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2014年11月25日火曜日

モンゴル旅行記-4

  テレルジでの長い夜の翌日は、再びウランバートルに戻ります。この日はモンゴルでは珍しいという雨模様の天気で、草原にも雲のように濃い霧が立ち込めていました。霧のモンゴルというのもなかなか珍しいそう。青空の爽やかさ、解放感とは違いますが、そう考えるとこの霧の景色もこれはこれでまた味があるのはないかと思えてきます。そんな文字通り靄に包まれた景色の中、テレルジのツーリストキャンプからウランバートルに戻る途中に立ち寄ったのがこちら、亀岩。なるほど、亀岩です。説明の必要がないくらい亀岩です。ただそれだけの名物なのですが、あれは確かに亀岩でした。

 そしてまた、3時間弱程度バスに揺られながらウランバートルへと戻っていきます。途中ガソリンスタンドで衝立だけのモンゴリアン・ぼっとん便所を体験してみたり、見事に渋滞にはまったりしながら次の目的地である日本人墓地を目指します。


 モンゴルに日本人墓地があるとは、実は知らない人も多いのではないでしょうか。かくいう自分も正直申しますと、ノモンハン事件のことは概略程度に知っていても、そこで捕虜となり抑留された日本人とその墓地についてはまったく知らなかったのが正直というところです。

 ノモンハン事件は大雑把にいえば1939年に当時大日本帝国として満州を治めていた日本とモンゴルの国境における接触から、当時モンゴルの後ろ盾となっていたソ連を含めた国境際の争いになった、比較的短期間ながら、しかし確かに戦闘を伴った"戦争"です。きっかけは国境際の関東軍とモンゴル軍の偶発的な遭遇・交戦(と言われてはいるけれど真相は今のところ闇)ですが、時はまさに第二次世界大戦開戦前夜、当時の日本の状況を考えるとやはりモンゴルまで満州の領土を拡大・侵略しようという思惑は少なからずあったことでしょう。この1年に満たない戦争に満州(日本)は敗れ、そこで捕虜となった日本兵は抑留・強制労働という運命を辿ります。その数は数十人と言う人もいれば3000人という説もありますが、それらの捕虜となった日本兵は再び祖国の地を踏むことなく、モンゴルに命を散らせることになりました。写真がその日本人墓地。実際の献花台というか、祈祷台はこの上なのですが、この円盤には矢印で「日本はこちら」と方向が示してあります。日本に、帰りたかったことだろうと思います。その遂げられなかった思いの辛さは、自分にはわかるとはとても言えませんが、そう、やはり、言葉にするのならば無念だったことだろうと思います。だからこそ、そうした思いを後世がしないために戦争は起こしてはならないのだと改めて痛感しました。

 余談ながらこの日本人墓地、現日本国首相であられる安部氏の献花はキッチリとしてありました。うん、多くは語りませんがこういう部分はしっかりしてるんだなと。多くは語りませんが。

そしてモンゴルで驚いたことといえば、その交通マナーにひどくビックリしました。何が凄いってその道路横断。歩行者が信号のない道路を渡る時、日本であれば手前側車線も向こう側の車線も車が来なくなったタイミングを見計らって一気に道路を渡るのが普通かと思いますが、モンゴルでは違います。とりあえず手前側が空いたらまず中央線まで渡ってしまうのです。そして向こう側の車線が空いたら中央線から向こう側へ。この道路横断方法を、自分は勝手に「モンゴリアン道路横断」と名付けたわけですが、この横断方法が一般的なためにモンゴルの道路の中央線にはとにかく人がたくさん立ってます。ウランバートルも結構車社会で、道路にはたくさんの車がビュンビュン走ってるのにその混雑した道路の中央線にはまた歩行者がたくさんいるわけです。日本の感覚で言えばなかなかにデンジャラス。でもそれがモンゴルでは普通。これは是非一度やってみようと、自分も自由時間に散歩してちょっとやってみました。中央線で立ち止まるモンゴリアン道路横断。うん、おっかなかったです…。そして車もまた走りながら物凄い狭い隙間に容赦なく突っ込んでくるんですよね。あれでよく事故らないなと思ってしまいますが、実際のところ滞在中に数回事故も見たのでやっぱり事故ってはいるのでしょう。路駐だらけの香港と比べると駐車には余裕があるようですが、走っている時の危険度は圧倒的にモンゴル危ないです。正直自分はここで車は運転したくないなと思いましたとさ。

そんな楽しかったモンゴルの旅も当然終わりが訪れます。お土産を買うために立ち寄った国営の商業施設ノミンデパートではチンギス・ハン・ウォッカと、写真の民族楽器、ドンブラを買ってきました。馬頭琴を買うかこのドンブラにするか凄く迷った、というかそもそも楽器を買って帰るか凄く迷ったのですが、最後は伯父の「買いたいものを買った方がいいよ」との一言でこのドンブラの購入を決意。帰りの飛行機でずっと大事に抱えて日本まで持ち帰ってきました。カザフ族のギターだというこのドンブラ。調弦もよくわからないのでその場ではとりあえずギターの3、4弦と同じチューニングに合わせて、ちょろちょろと道すがら弾いたりしてご機嫌になってました。弾いてよし、飾ってよし、モンゴルといえば馬頭琴というイメージのところに敢えてのこのドンブラ。お気に入りです。家に着いたら妻が驚くかなとワクワクしてましたが、「てっきり馬頭琴買ってくると思ってたけどまた変な楽器を…」くらいのノリで、楽器を持ちかえってくること自体は想定の範囲内だったところがさすが我が妻です。

 初めて訪れたモンゴル。行く前は正直「こんな機会でもなければ行かないし」程度の気持ちであまり期待値は高くなかったのですが、実際にいってみたら実に素晴らしいところでした。そのモンゴルの伝統と旧ソ連がミクスチャーされた街並みや文化、日本の生活とはまったく違った在り方で暮らす人々の姿、そして雄大な大自然。どれ一つ取って見ても新鮮で、これまでの価値観を覆すほどのインパクトがあって。モンゴルに滞在したのは実質3日ほどだったわけですが、本当にいい体験をさせてもらいました。できればまた行きたいものです。子供らも、いつか連れていって一緒にあの大自然を体験させてあげたいなと思いましたよ。

2014年11月24日月曜日

モンゴル旅行記-3

 大分間が開いてしまいまいたモンゴル旅行記、お話はいよいよこの旅で仕事としてではなく人生経験として最も楽しかった時間、テレルジでの午後に移っていきます。この日の午後はテレルジのツーリストキャンプに到着後、現地の遊牧民の家庭訪問を行いお話を聞き、その後乗馬体験、そして夕食という予定。2班に分かれ、それぞれのスケジュールをこなしていきます。

 自分の班はまずモンゴルの遊牧民の家庭訪問。これはもう実際に遊牧で暮らしている方のゲルに訪問して直接話をおうかがいするという貴重な体験でした。例えばゲル一つとってもツーリストキャンプのきれいにスッキリ片づけられたものでなく、テレビや毛布等がそこら辺に出ている生活感が溢れるもの。そこでもうお馴染みになってきたモンゴルのお菓子等振る舞われながら、先方のお話を聞いたりこちらから質問したり。印象的だったのは、「自分も若い頃はウランバートルで働いていたが、親が早くになくなってしまいこちらに戻ってきて遊牧民を継いだ」という話。何と言うか、その継ぐ継がないのノリが日本の農家と似たところあるなと思ったのです。というか、ああ、遊牧民って「継ぐ」ものなのかと。遊牧民は自然とそのまま遊牧民になるのでなく、この現代ではやはり若いのは都会に出て就職したりする選択肢も当然あって、その中で継ぐか継がないか、そういった家庭の葛藤があるのは、やはり日本の農家もモンゴルの遊牧民も変わらないのだなと、そう思ったわけです。歴史ある古い職業、生き方は、どうしても現代という時代と交錯していく。どの国でも、きっと難しい問題なのでしょう。

 ところで、自分たちが遊牧民の家庭におうかがいした時はちょうどそのゲルの住人の方の親戚たちがウランバートルから遊びに来ていたそうで、ゲルの外では10人を超える大人数、それも皆若くてTシャツとか着てるような都会の人達が、輪になって座って団欒をしていました。そして親戚が集まるというので、左の写真のようなモンゴル料理を作ってこれから食べるところだというのです。これはモンゴルでも特別な時にしか作らない料理だそうで、羊肉に少々の野菜を入れて、少しくらい岩塩か何かで味付けしてあるのかな?、それを熱した石を中に入れて石焼きにするという、実にワイルドな料理です。折角来たのだから一緒に食べていけという家主のお言葉に甘えて、ちょうどできたてのこの料理をいただいてきました。羊肉は脂ギトギトで、持つともう手が火傷するくらい熱くて。でもこれがまたホントに、素晴らしく美味しいのです。羊肉の独特の匂いも全然なく、脂っぽくて胸が悪くなるかと言えば全然そんなこともなく、柔らかくてジューシーで肉の旨みがダイレクトにワイルドに伝わってくる。こんなに美味しい羊肉を食べたのは初めてでした。真面目にちょっと感動したくらい。この時の羊肉があまりに美味しかったので、帰国後ふとした機会に羊肉を食べてみたのですが、固いし臭みもあるし、あまり美味しくありませんでした…。何が違うんでしょうかね。品種か環境か鮮度か…。あるいはこの、広大な草原と青空の下で食べるというただそれだけで、もしかしたら美味しく感じられるものなのかもしれませんが。ああ、あの料理また食べたい。

モンゴルでは子供ももちろんこの羊肉食べます。モンゴルでは立って食べる風習はないので、写真のように草原でも当然のように敷物なしで直座り。右のお父さん、実にいい味出してます。このお父さんが羊の骨の際の肉をナイフで薄いベーコンのように切って、自分に「食べるか?」とジェスチャーで差しだしてくれたのです。またその肉が分厚くてジューシーな肉と違ってカリカリとして美味しかったのです。このように現地の人達に混ざって、皆で輪になり入り乱れ、この切れ目ない草原と青空の下で同じ肉を食べる。それは素敵な経験でした。そして何と言うか、「こんな生き方もあるんだな」と思ったのです。この大きな自然と、文字通り寄り添って、最低限の電気とかは使うにしても、あくせくした現代社会とは離れた場所で異なった価値観を生きる。もちろん遊牧民もお金を得るためには遊牧を商売にしないといけないですから、日本の農家同様、様々な苦労もあるのでしょう。その部分は今回まったく見てないわけで無責任な言い方かもしれませんが、凄く自由に身軽に思えたのです。家にも土地にも縛れる農家よりも、移動可能なゲルを自宅に土地を回りながら、それこそ持ち歩ける量の家財とともに暮らす遊牧民。これは今までの自分の価値観にはないものでした。

 余談ながらもう一つ意外だったのが、遊牧民の移動距離。実際のところ現代の遊牧民はそう何十キロ何百キロと移動して回ることはなく、決まった土地、半径数キロくらいを草が生える期間を置いてローテーションで遊牧するというのが一般的だということ。なので気ままに風の吹くまま、という勝手な印象とは少々違うようです。

ツーリストキャンプに戻った後は乗馬体験。いや日本でも何回か簡単な乗馬体験はしたことありますが、正直自分の人生でモンゴルの草原で馬に乗る日が来ようとはまったく思っていませんでした。そもそも今回こんな機会でもなければ恐らく自分からはモンゴルに来ようなどという発想はなかっただろうから当然なんですけれども。これもまぁ、当然のことながら気持ちよかった。乗馬と言っても特別訓練をしてから乗るわけでもないので、速度は全然あげません。せいぜい早足程度。馬もなかなか気まぐれで、歩いていたかと思うと突然歩を止めて足もとの草をモグモグと食べ始めたりします。でもその気ままさも含めて、雨が降る直前の少しひんやりした肌を冷やす空気も、とても心地よく爽快に感じられました。いや、モンゴルで乗馬ですよ?『スーホの白い馬』の世界です。ご覧の通り自分が乗ったのは白い馬ではないですけれど、うん、いいですよね。


そして乗馬が終わり、モンゴル相撲の模擬試合を観戦した後の自由時間、自分は一人で周囲をブラブラと散歩してみました。自分たちが泊まるゲルの裏はすぐ小さな丘になっていて、その向こうは下からは見渡せないような感じになっています。どうも見てみると立ち入り禁止っぽい柵が頂上には張られているわけですが、とりあえずそこまでは行って景色を見てみたいなと、そう思ったのです。せっかく来たモンゴル。次はいつ来るかなんてわかりません。どうせなら見られる景色は見ておきたいなと、10分か15分ほど丘を一人で登って、その頂上から反対側を見た景色が左の写真です。この日は珍しく雨が降るということで、空の上には雨雲がかかっていましたが、それすら広い空を覆い尽くすということはなく、地面も雲の切れ目に光が差すのが見てとれる、広大に開けた視界。自分が立っている頭上にはこの時雨雲が来ていて曇った薄暗い空だったわけですが、遥か遠くには白い雲と青い空が広がっているのが見えるわけです。広いですね、大地は。これは壮観な眺めでした。

 この日の夕食は賑やかで、一緒に視察に来た皆さんはもちろん、現地のパートナー企業の方々も一緒にツーリストキャンプの食堂でわいわいと騒ぎます。夏のモンゴルの日暮れは遅いので、夜7時8時になっても外は全然明るいままです。そんな中、現地のパートナー企業の方々がこの日のディナーにサプライズとして用意してくれたのがモンゴルの民族音楽バンドKhusugtun(フスグトゥン)のコンサート。これが最高にカッコよかったのです。馬頭琴やドンブラといった民族楽器はもちろん、ホーミーも生で聴くことができたのです。これが凄かった。低く唸るような歌声の上に、まるで笛のような高い歌が聴こえる。最初はどこでその音が鳴ってるのかわかりませんでした。ところがよく聴くと左から2番目の馬頭琴の人、その人から歌が聴こえてくる。口から音が出るのでなく、頭の上で天に向かって高い音が伸びていくような。これは震えました。人間、こんな歌い方ができるものなのかと。低い歌と高い歌、2つの音が同時に一人の人間の全然違う場所で鳴っているのです。昔音楽の時間にホーミーの紹介があった時、ビデオで現地の方が「ホーミーは勝手に練習をするとアバラが折れる」とか語っていたのを何故か覚えているのですが、実際生で聴いてみるとなるほどあの発声の仕方なら独学でやろうとしたらアバラくらい折れるかもしれないなと。実に衝撃的でした。この動画はその日の最後のアンコール、『モンゴル』という曲です。実にカッコいい!


 そのようにして楽しい宴は続き、一旦食堂でお開きになった後も日付が変わるまでゲルに集まった人で持ち寄った酒を飲んだりして、テレルジでの夜は更けていきました。たっぷりと人生観まで変わるような、たくさんの刺激を受けた素晴らしい一日でした。

2014年7月8日火曜日

モンゴル旅行記-2

  今回のモンゴル研修、14日はお勉強というよりはモンゴル体験を目的とした一日。ウランバートルを出て、およそ80kmほど離れているというテレルジ国立公園へ向かいます。テレルジはツーリスト向け観光地となっていて、観光客向けにゲルでの宿泊等ができ、シャワーや食堂も設置された体のいいツーリスト・キャンプです。とはいえ電気が使えるのかもよくわからないし、シャワーはお湯が突然水になるなんてザラだというし、そもそも日本ですらほとんどキャンプをしたことがない自分にとって、このテレルジでの一日がどんなものになるか、行く前は旅程の中で一番楽しみにしていた半面、不安も結構あったのが正直なところです。それでも道中、ウランバートルの終端のゲートをくぐると、そこからは昨日同様どんどん景色が変わっていって、洋風のレンガ積みの家があったと思えばそれにゲルが混じってきて、本格的な草原に入ったと思ったらそこに突然工場が現れたりと、窓の外を見ているだけでまたその日本ではおよそ見られない風景にテンションが上がってきて、その小さな不安は忘却の彼方に消えていきました。

   そのようにして草原をしばらく走っていくと、突如として現れるのがこの巨大なチンギス・ハーン像。風景の中に突如脈絡なく現れる巨大な像という点で、石川は加賀温泉の慈母観世音菩薩を思い出させます。でもきれいに風景に溶け込んでるから加賀観音ほどのシュールさはないですね。広大な丘と草原、そして青空に囲まれて立つ様はまさに大チンギス・ハーン。モンゴルでは至る所にチンギス・ハーンの像やブランドがある辺り、今でも相当な信仰があるのだなと感じられます。新潟における田中角栄より、もっとブランド力ある感じでしょうか。今後はこの像の周りに騎馬兵の像をたくさん建立して並べていくそうで、お金を出せばその兵を自分の顔にすることができるとか。一体いくらくらいでできるんでしょうね?若干気になります。その他、ここでは2000トゥグルグ払うと鷲を腕に乗せてくれる商売があったりして、自分もやってきました。結構ねぇ、重いんですよ鷲。空飛ぶ鳥だから見た目の割に軽いんだろうなと思って油断してたら、案外見た目通りに重い。これもいい体験でした。

   チンギス・ハーン像を出た後、次に立ち寄ったのがこの御坊。モンゴルにチベット仏教が入ってくる以前のシャーマニズムの聖地のようなものだそうで、このように石を積み上げて青い布等で飾って祀る、日本で言うなら地蔵のような感じでしょうか。長い旅に出る際は自分の村の御坊の周りを3回回って道中の安全を祈願するのがしきたりだそうで、我々も式に則ってやってきました。まず御坊の周りにある小石を3つあらかじめ拾っておき、1回回るごとに1つ、御坊に石を投げていくそうです。3回終わると手の中の石もなくなる。そのようにして、古のモンゴルの旅人は安全を祈っていたのだとか。今回のように大勢で周囲をグルグル回ると、絵面的には若干シュールな感じになりますが、そのシュールさがまた宗教っぽくてちょっといい感じだったりもしました。

 そしていよいよテレルジ国立公園の宿泊場所、ツーリスト・キャンプに到着します。ここは本当に風光明媚なところで、空が晴れている時であれば本当に気持ちがいい。よく撮れた写真を何枚か、これもFBに上げてあります。着いてから少々自由時間もあったので、辺りをちょっと散歩してみます。寝泊まりする場所であるゲルのところはさすがに舗装された道があるのですが、そこを出るともう後はただ草原。道もなく、当てもなく、ただ気持ちいい空、風、草と土の感触を確かめながら歩いていく。なかなかそんな散歩はできないなと、旅特有の幸せな高揚感の中で思いました。道がないのがいいのです。どこを歩いてもいい。道があって、歩くべきルートが決まっていて、辿り着くべき場所がある、そんな歩き方じゃなくてもいいじゃないかと、この岩山と草の丘に囲まれた、広大な大地でぼんやりと考えました。何だか、人生にも通じそうですね。この日の天気はモンゴルにしては珍しく少し不安定で、自分が散歩をしている間でも曇ったり晴れたり忙しく空模様は変わっていきましたが、青空におもちゃみたいな白い雲がぽかーんと浮かんだ草原は、何だかその真ん中にいるだけで気分がよくなる素敵な場所でした。よく「小さなことなんかどうでもよくなる」とか言いますが、そんな感じでもなく、どうでもよくなるのでなくただただ自然と気持ちいい開放感。この風景はそんな気分にさせてくれます。


 お楽しみここで我々が宿泊するゲルは4人部屋でこのような感じでした。装飾もきれいなところですが、昼間であれば天窓から入る明りで、電機などつけなくても普通に明るい。特に生活するには支障がない程度の明りは天窓からの自然光だけで充分確保できていました。やっぱりこのゲルというものも、機能的によく考えられているんですね。このキャンプのゲルは違いますが、昨日お邪魔したトマト農家の方のゲルではソーラー発電で電気を確保していたりして、現代のゲルはさらに機能性を増している様子です。

 そしてこの後まだ、このテレルジではモンゴルの遊牧民の一般家庭を訪問し、乗馬体験をしと、モンゴルならではの刺激的な体験が続いていくわけです。

2014年7月7日月曜日

モンゴル旅行記-1


  さてさて、七夕が開設記念日のこの雑記帳。16年目となる今年は先日行ったモンゴルについての旅行記など、久しぶりの更新となりますが書いてみたいと思います。

 去る6月12日~16日にかけて、新潟クボタが創立50周年記念事業の一環として行っている農機具屋の後継者研修の一環として、自分はモンゴルに行ってきました。12日と16日はまるまる移動日となっていますので、正味3日間の行程です。正直それまでモンゴルなんて行こうと思ったことはなかったのですが、これが行ってみたら実に素晴らしい。昨秋香港に行った時は初めての海外旅行ながら一応英語も通じるし、基本的に東京と同じような都市で治安もよく、「まぁまぁ何とかなるかな」くらいの旅でしたが、このモンゴルは全然違う。風景も、料理も、人々の暮らしぶりも日本とはまったく違い、アジアに通じる文化を底に置きながらそこにロシアの影響は色濃く受けつつも、欧米風の文化とも明らかに違う。もちろん英語なんて一部でしか通じない。文字通りカルチャーショックと言いますか、こんな風景の中でこのような暮しが実際に行われているのかと、それこそ価値観が変わるくらい刺激的な旅となりました。その意味で実に海外旅行らしい、刺激的な体験だったなと思っています。

12日の朝に新潟空港を出て、その日は仁川を経由してウランバートルに着くのが深夜11時過ぎ。ホテルに到着した時には深夜0時を回っていて、それでいて翌朝8時にはホテルを出発というなかなかの強行軍で始まったモンゴル研修。まず行くのはモンゴルでトマトを栽培している農家さんのところです。元々は新潟の農家さんのところに研修に来ていた方だそう。モンゴルでは野菜を食べる文化があまりなく、トマト栽培も周辺ではその方くらいしかやっていないとか。この農家さんの研修面でのレポートはFacebookに上げておいたのでそちらをご参照いただいて、ここでは別のお話をしたいと思います。

 モンゴルの夏は9時とか10時にならないと暗くならないとはいえ、ウランバートルに着いた時はさすがに真っ暗な深夜。ホテルに着くまでの道程では町なみ、風景はよくわかりませんでした。朝になって見えるその町なみは、ウランバートルに関して言えば普通に都会です。ロシアの影響が色濃く出ているとはいえ、ビルが立ち並びます。けれどもそこから農家の方のハウスへと郊外に向かうと、ある時点で一気にビルは消え、草原、丘にバラックやゲルが並ぶ風景に変わってきます。写真はまだそうした家の密度が高いですが、次第にその数も減っていき、緑が目立つようになってきます。そして途中からは道路も舗装されておらず、土と石を巻き上げながら、ところどころ陥没した道に大きく揺られ、当然車線なんてない中で時たま対向車とすれ違いながら進みます。そして次第に西洋風の建物は減っていき、逆にゲルが目立って増えてくる。放牧されている羊や牛、馬といった家畜。そんなものが実際に目に飛び込んでくるのがとても刺激的で、何と言うかそれだけで「ああ、外国に来たな」という感じがしてワクワクしてきました。香港はきれいに整備されてましたからね。この感覚はない。そしてその見慣れぬ風景の果てに唐突に表れた場違いな感じのビニールハウス。バスを降りてその景色を見た時の高揚感はなかなかのものでした。もう完全に観光のまなざしモードですが、このハウスがある辺りは別段観光地というわけでもないので、外国人の目を意識して町なみが作り込んであるわけではない。そこがまた逆に生活感がリアルで、ゾクゾクしたのです。明らかに日本とは違う景色に文化、生活様式。それでもここで人は生活しているのだなと、その当たり前のことがとても新鮮に感じられて。

 こちらのトマト農家の方のハウスで見てきたことは先述のようにFBに譲りまして、ここではさらに農家の方が我々をお手製のモンゴル料理でもてなしてくれました。馬乳酒やチーズ(馬か羊か山羊…どれだっけ?)、羊のヨーグルト、干しヨーグルト…、どれも正式名称を失念しましたが(オイ)、たくさん用意して歓迎してくれました。自分としてはやはりまず外せないのが馬乳酒。写真左上になります。実際飲んでみると酒と言ってもアルコールの感じはあまりせず、むしろ乳酸系のすっぱさで日本で売ってるヨーグルトの上澄みに溜まってる乳清をもっと強烈に生臭く乳臭くしたような感じ。日本人的には正直あまり美味しい感じではありません。馬乳酒はやはり皆さん気になるのか、とりあえず飲んではみるものの、ほとんどの方は「これダメだ」と残しておられた様子。まぁ日本人向けに味を調整とかまったくしていない、ホントに手作りのものですから無理もないかもしれません。自分は全部飲み切りました。馬乳酒はちょうど夏の始めにでき、その頃から夏の間飲み続けるんだとか。

 一般的には一年で最初に馬乳酒を飲んだ時は必ず下痢をするそうです。そしてその後は大丈夫になるとか。自分は一杯半しか飲まなかったせいか下痢までしませんでしたが、その話を聞いてちょっと警戒していました。野菜を食べる習慣のないモンゴル人は、馬乳酒を飲むことでビタミンやミネラルを補給しているそう。だから子供も飲むんだそうです。しかも肝臓にとてもいい飲み物だそうで、肝臓が悪い人には薬代わりにもなるとか。自分の感覚だと「お酒が肝臓の薬って…」というところですが、それが文化というものなのでしょうね。馬乳酒が食物繊維の代わりに腸の調子を整えているんじゃないかという研究まであるそうで、馬乳酒、結構マルチに大活躍です。

 ちなみに写真左下はヨーグルト、右下はこの後モンゴルにいる間何度となく食べることになるでっかい餃子(ホーショール?)で、肉は羊が使われています。チーズ等も含め、基本的には自分は美味しくいただけたのですが、干したヨーグルトだと言っていた、ビャスラグっていうのかな、あれだけはちょっと苦手でした…。ちんすこう以上にパサパサした、生臭いヨーグレットみたいな感じ。それでも手をつけた以上は月餅くらいの大きさのを一つ食べきりましたが、いやいや時間かかりました…。

 こちらではモンゴルでまだ実例がほとんどないトマト栽培の苦労もそうですが、観光地と違って一切手加減なしのモンゴルをまず体験させていただいたのが衝撃でした。景色もそうですが、馬乳酒やビャスラグ等々、ホントに現地で味わわれているものをそのままいただけたのがとても嬉しかった。もちろん合う部分もそうでない部分もあるわけですが、それも含めて文化の違いというのはこういうことなんだなと、文字通りのカルチャーショックを受けて再びバスに乗り込みました。
 その後は同じくモンゴルで花卉栽培を行っている日本人の方のところへ研修でお邪魔しました。こちらもFBにレポート上げてますので、詳細はそちらをご参照いただければと思います。FBに上げてない裏話として、モンゴル人の花の好み。今シーズン無事に一万本を売りきったチューリップですが、売れたのはすべて通常タイプのもの。花弁が細かく分かれるパーロットタイプというものはまったく人気が出ず、仕方ないからスタッフや近しい人にタダでいいから持って帰ってくれと言っても誰も持って帰ってくれなかったとか。それでも用意したパーロットタイプは割合的には極端に少なかったので事なきを得たそうですが、好みに合わないものはまったく売れないのがモンゴルの風土のようです。花卉栽培の方に言わせると、モンゴルではドカンとわかりやすい色合いの花が一般に好まれるそうで、日本でいういわゆる侘び寂びを感じるような清楚な花はあまり好かれないんだとか。文化の、違いですねぇ…。

 この日の研修最後は本命、モンゴルでの米輸出事業を行っているMJパートナーズ様訪問。この時の内容もFBに上げてます。こちらではとにかく熱烈な歓迎をいただき、着くとまずスタッフの女性がモンゴルの伝統衣装に身を包んで迎えてくれ、たくさんのお菓子も用意していただいており、それだけでもモンゴルでの米輸出ビジネスが今上り調子なんだなという空気が伝わってきました。やっぱりね、違うんですよ、上り調子に勢いのある会社の空気は。前職でも、そうした会社にお伺いした時は同じような空気を感じていました。明るいのもそうなんですが、何と言うか一緒にやっていこうとする前向きな善意というか、そういうものを感じるんですよね。正直な所、なかなか今の新潟では感じることができないその空気。久しぶりにここで思い出させていただきました。

 この後は昼食後にチンギス・ハーン広場観光、夕食…、と流れていき、非常に刺激に満ちたモンゴルの一日は終わっていきます。なお、モンゴルではウォッカがよく飲まれていて、食事の最後の方になると当然のようにウォッカが出てきます。チンギス・ハーン・ウォッカなる銘柄をこの日はしたたか飲んで、普通に美味しいウォッカではあったのですが、その後ホテルの部屋に戻ってスマホいじっていたら、まったく気付かない間に完全に寝落ちして朝を迎えていました…。きっと知らない間に一気に回ったんだろうなぁ…。恐るべし、モンゴル・ウォッカ。

 そして翌日はテレルジのツーリストキャンプへ。いよいよ本格的な大草原に出て、モンゴルの大自然を体験です!

2009年5月20日水曜日

新型インフルエンザから身を守れ

 神戸で新型インフルエンザの感染が確認されてから数日。私がこの日記を書いている20日0時時点で193人の感染者が判明しています。今のところは神戸・大阪で拡大が止まっているようにも見えますが、首都圏まで広がってくるのは時間の問題と考えてよいでしょう。個人的には潜伏期間を考慮すると首都圏で最初の感染者が発見されるのは20日中くらいじゃないかなと考えています。

 というわけで、私が見る限り今のところはこの新型インフルエンザに関しては比較的正確な情報が多く流れており流言飛語の類いは少ないようではありますが、まぁそれでも一旦ここでこの新型インフルエンザから身を守るためのポイントを改めてまとめてみたいと思います。

 まずは何と言っても予防。基本はよく言われる以下の3つです。

・手洗い(殺菌・消毒が行える薬用ハンドソープで)
・うがい(イソジン推奨)
・マスク着用

 誤解されがちですが、インフルエンザの予防で本当に効果的なのは手洗いとうがいであって、マスク着用ではありません。インフルエンザウィルスは一般に消毒全般に弱いので、殺菌作用のある薬用ハンドソープでの手洗いとイソジンでのうがいは非常に効果的です。会社員の方なら朝出社したらまず手洗い・うがい。昼食に出て帰ってきたら手洗い・うがい。外出から夕方に帰社しても手洗い・うがい。帰宅したらまた手洗い・うがいです。これが一番。ウチの会社は医療機関用の手指消毒アルコールを常備してくれているのでありがたいです。過敏なようですが、新型インフルエンザは誰も免疫を持っていません。ということは、感染しても体力があれば発症しないとか基本的にありえません。侵入を許したら発症します。諦めてください。だから予防するしかないのです。

 対して、マスクではインフルエンザウィルスの侵入は基本的に防げません。不織布のマスクは確かにガーゼのものよりは予防できますが、まぁそれでも気休めよりは少しマシ程度に考えた方がよいでしょう。20枚8,000円とかで売ってる一部の本格的なサージカルマスクはまた話が別です。

 ではマスクの効果はないのかというとそれも違って、侵入を防ぐことはできませんが侵入を遅らせて時間稼ぎをすることはできます。インフルエンザウィルスは湿気を嫌うので、マスクでこもった湿気がインフルエンザの侵入を足止めします。ので、足止めしている間にイソジンのうがいで予防しましょう。マスクだけでは予防は片手落ちです。マスクで足止めしてうがいで予防、です。

 ではあまり考えたくないですが、もし感染してしまったら。考えたくはないですが、一応対処を知っておくに越したことはありません。以下のポイントを押さえておきましょう。

【事前に】
・自分の住む自治体の新型インフルエンザ電話相談窓口を確認しておきましょう
・同じく発熱外来を行っている医療機関を確認しておきましょう

【あやしいなと感じたら】
・38度以上の熱、咳や呼吸困難等の呼吸器症状が併発したら電話相談窓口へ
・相談窓口の指示に従い、必要に応じて医療機関へ
・その際、マスクの着用は義務と思ってください

 現時点ではこの新型インフルエンザは弱毒性です。安心はできませんが落ち着きましょう。タミフルやリレンザといった抗ウィルス剤も有効であることがわかっています。慌てずに医療機関の治療を受けるのが一番です。やってはいけないのが無理をして仕事をする等、人と接触する生活を行うこと。それは普通にテロです。インフルエンザの感染が懸念されたら、迷わず人との接触を断って相談窓口・医療機関の指示に従うのが感染の拡大を予防につながります。外出時のマスクも必須です。マスクは予防よりも感染の拡大防止にこそ大きな効果を発揮します。感染が疑われたときこそマスクの着用をお願いします。

 最後に、今回の新型インフルエンザは弱毒性ということで、危険度は今のところ通常のインフルエンザとそれほど変わりありません。それでも何故ここまで騒がれているかというと、そのポイントは大きく以下になります。

・誰も免疫を持っていないので感染力が強い
・いつ強毒性に変異するかわからない
・その上タミフル等に耐性を持たれたらたまらない

 特に重要なのは「いつ強毒性に変異するかわからない」ところで、かつて大きな被害をもたらしたスペイン風邪なども流行当初は弱毒性だったものが途中で変異して強毒性になったと言われています。だから今回も強毒性に変異されたくないので、その前の収束を目指して躍起になっているわけです。ですので、「今回は弱毒性なんだから大丈夫だろ」などと言わずに、予防と流行の収束に高い意識を持つことが重要なのです。それは大袈裟に言えば、人類のために。私はとにかく強毒性のインフルエンザに自分がかかりたくない一心ですが(苦笑)。

 鳥インフルエンザがしばらく警戒されていたら、突然やってきた豚インフルエンザ。これがこのまま弱毒性のまま収束してくれるかどうか、日本での流行範囲はどこまで広がるか、それは現時点ではわかりません。が、敢えて今言わせていただくと、やはり私達は鳥インフルエンザのことを忘れるわけにはいきません。何故ならこちらは正真正銘の強毒性新型インフルエンザだからです。強毒性とは呼吸器のみならず、全身の臓器に感染・発症する非常に致死率の高いインフルエンザです。今回の弱毒性新型インフルエンザを教訓として、予行練習として、いつ来るともわからない鳥インフルエンザにも油断せずに普段から準備を怠らないようにしたいものです。とりあえず、いざ流行し始めると店頭からマスクがごっそり無くなるということがわかったので、普段からマスクとうがい薬は常備する程度のことはしようかな、と思います。

 新型インフルエンザだといって、なめてももちろんいけませんが、必要以上に慌てても仕方ありません。とりあえず正確な情報と行動で、一人一人が自分にできることで予防をし、感染の拡大を防止することが流行の早期収束につながり、引いては自分の身を守ることにつながります。どうなるかはわかりませんが、皆さん、気をつけましょう。

2008年11月9日日曜日

謁見、路上にて

 本日、天皇陛下に謁見いたしました。といっても路上で車ですれ違っただけです。今日は慶応大学創設150周年のイベントがあるので日吉に皇族が来るとかで、警備が厳重になるからあまり駅前には近寄らない方がよさそうだということは事前にわかっていました。ので、日吉駅前を通らずに行けるところに行こうということで、午前中からららぽーと横浜に車で出かけていたのです。ところが、今回は警備範囲がやけに広い。午前中に家を出た段階で既に駅から離れた第三京浜都筑インターの近辺まで至る所に警察がいます。私服警官までいます。皇族が来るとは言っても、また随分とえらい警備です。思えば愛・地球博で皇太子様と遭遇した際もここまでの警備はなかったので、それより上となると天皇陛下でも来るのかね、とか話しながら買い物に向かいました。

 ららぽーとを14時過ぎに出て、また都筑インターの前を通って家路につきます。すると、今度は警備がさらにものものしく、しかも歩道にはたくさんの人が群れをなして何かを待ち構えています。都筑インターを超えて日吉に向かう方面ではもはや信号ではなく警官が全権を掌握して車の流れを整理しています。どうやら対向車線側に皇族の車がこれから通る様子です。恐らく、日吉を出てから都筑インターで第三京浜に乗って帰路につくのでしょう。東山田を右折した辺りになると、とうとう対向車線は一般の車は走っておらず、パトカーと白バイのみがゆっくりと走っている状態になりました。そして我々の車線も車がすべて止まっています。「これは、丁度来るんだな」と思い、とりあえず車を右車線に寄せて渋滞の列に並びました。歩道ではカメラを構えた人だかりができています。

 そのまま、待つこと数分。明らかに、それとわかる車が一台やってきます。当然、何台ものパトカーや白バイに周辺を警護されて。窓を開けてこちらの車線に向かって手を振るその人は、紛れもなく天皇陛下です。皇太子様を見た時にも感じた、決して人を不快にさせることのないその笑顔は、天皇陛下にいたっては皇太子様よりさらに円く穏やかで、おおらかに手を振って沿道や対向車線上の人に応えていました。ほんの数秒、天皇陛下の乗った車は私の車とすれ違い、その後、渋滞は何事もなかったかのように動き始めました。妻は「天皇陛下と目が合ったよ」と言ってホクホクしていました。まぁ何にせよ、天皇陛下の車とあの距離ですれ違うというのもなかなかないものです。路上での謁見(?)はそのようにして無事に終わったとのことです。

2008年5月7日水曜日

オカピ、ホリヤン、金魚坂

 GW最終日の今日は、唯一以前から予定が決まっていた0歳児から聴けるオーケストラ・コンサートの日です。場所は川崎シンフォニーホール。普段からよく買い物に出かけている川崎駅周辺です。11時からの開演に会わせ、10時過ぎに家を出て行ってきました。実はこのコンサート、妻が見つけてチケットを取ってから現地に入るまで、ずっとどこかのアマオケがやっているコンサートだと思っていたのですが、実は東京交響楽団。日本屈指のオーケストラが、年一回とはいえ0歳児でも聴けるコンサートを開いてくれるのは嬉しいものです。指揮はヘルベルト・フォン・ホリヤン。明らかに某大指揮者をパロってますが気にしちゃ負けです(笑)。

 コンサートの内容自体もよく、子供相手だからといってオケが手を抜いてる様子もなく、『天国と地獄』の序曲なんかは純粋に素晴らしいと思える演奏を聴かせてくれました。動物園ズーラシアをモチーフにした動物の着ぐるみ金管五重奏『ズーラシアンブラス』も登場し、随所に笑いあり、よい演奏ありで、なかなかよいコンサートでした。ちなみに、オケの指揮はホリヤンですが、ズーラシアンブラスの指揮は動物園ズーラシアの目玉動物であるオカピです。私たちは丁度オケの真後ろ、パイプオルガンの真上辺りにいたのですが、最初開演の一曲ではそのズーラシアンブラスが真後ろに整列し、いきなり金管で『剣の舞』を演奏し始めるものなので、娘は目を丸くして驚いていました。そしてオーケストラの伴奏で皆で歌おうと『となりのトトロ』より『さんぽ』をオケをバックに会場全員で歌い、アンコールはウィーンフィルのニューイヤーコンサートよろしく『ラデツキー行進曲』で締めて、このコンサートは終わりました。しかし本物のオケ、しかも東京交響楽団クラスをバックに歌えるというのは考えてみれば贅沢なものです。

 そして指揮のホリヤン。芸名(?)出で立ちともにそこそこふざけてはいますが(笑)、0歳児の子供相手に振るのはいつもよりも緊張すると言っていました。子供の真っ白な心に自分が音楽を描いていくのだから、その責任は重大だと。会場に来てくれている子達の生まれて初めての生のオーケストラの指揮を、自分が振っているということは光栄だと。なかなか、わかっています。また来年もチケットが取れれば是非行きたいものです。

 そしてこの連休は、隠れたミッションとして「新しい金魚を探す」というものがありました。年が明けてから立て続けにウチの金魚が亡くなってしまうという事態があり、もう水槽には2匹しか金魚がいなくなってしまっているのです。そこで、今日まで3つの店を回って金魚を探していたのですが、なかなか気に入ったものに巡り会えず、今日コンサートの後に4つ目も見てもどうもピンとこない状態でした。そこで思い立ったのがかねてよりネットで見て気になっていた創業350年の老舗、金魚坂。駅でいったら本郷三丁目。詳細はよくわかりませんが、とりあえず東京都文京区です。実はこれまで横浜・川崎は結構車でも走ってきましたが、東京23区内はまだ車を自分で運転して走ったことはありません。ですがここはカーナビに金魚坂が出てきたのをいいことに、川崎から敢えて車で急遽行ってみることにしました。

 川崎から約一時間のドライブ、最後は泣き叫ぶ娘に戸惑いつつ、やっと金魚坂に着きました。さすが老舗、そこにいる金魚達はホームセンターやデパートのペット売り場にいる金魚達とはひと味違ういい金魚ばかり。色々と目移りする中、私も妻も気に入ったのは羽衣らんちゅうという品種だったのですが、いかんせん1匹6,000円となかなか高価だったため、買ったとしてもその後の扱いがプレッシャーだねと感じ、青みがかった銀色の体色ときれいなうろこ並び、体型が魅力の深見氏産あおらんちゅうを所望してきました。今既にウチの水槽で泳いでいますが、心なしか他の金魚と比べて育ちの良さが泳ぎっぷりに出ている気がします。さすが老舗の生産者特定ブランドです。値段は羽衣らんちゅうに比べれば安いものの、結局プレッシャーです(笑)。

 そして帰りは初の23区内ドライブ。東京ドームの横を通り、九段下、永田町を経由して、246を青山、表参道、渋谷、三軒茶屋と走り抜け、ちょっとばかり観光気分で運転していました。普段仕事でよくいく駅でも、車で通るとまた風景が違います。いやーしかし246、緊張しました。私は元々車の運転にはそれほど興味も自信も持ってませんからね(苦笑)。カーナビがないと特に渋谷を超えてからの246辺りは路頭に迷うところでした。いやー、カーナビは高かったけど投資するだけの価値はありますね。適当に渋滞避けてくれるし。助かります。

 そんなこんなでGW最終日は過ぎ、ウチの水槽にはあおらんちゅうが1匹新たに迎えられたということです。

 余談ではありますが、今日ウチに着いてから話していたら、妻がこんな台詞を言う一幕がありました。

 「豆の話はやめましょう。」

 まぁ、そういうことです。

2007年7月17日火曜日

中越沖地震と結婚記念日

 三連休の最終日の今日、孫に会いに来ていた両親と共に朝食を食べ終わった朝10時過ぎくらいのことだった。足下が、ユラッと揺れた気がした。両親も揺れに気付き、「地震だ」と周囲を窺う。かなり長い間、大きくゆったりとした横揺れが続いていた。金魚の水槽で水が溢れそうに左右に振られている。結構、大きな地震だなと警戒していると、BS1で観ていたメジャーリーグの画面に地震速報が映った。速報にしても妙に早いなと思っていたら、ここ横浜についての速報ではない。10分程前、新潟で震度6強という速報。一瞬、理解ができなかった。今まさに、まだ足下は揺れている。しかし画面に映る速報は10分程前の新潟の情報。しばらくして、やっとつながった。新潟で起きた地震が、200km超の距離を10分程かけて伝わってきて、今ここ横浜が揺れているのだと。

 何人かの新潟の仲間にメールで連絡を取ってみると、とりあえずその当初は皆「ものはいくつか落ちたが、大丈夫」という回答が多数。ニュースも地震発生後すぐの時点ではそれ程壊滅的な被害を報道していなかったので、まぁ一旦一安心した。ただ、両親は今こっちに来ているので、実家には祖母が一人だ。当然のように電話はつながらない。メールは比較的つながるものだが、祖母は携帯など持っていない。実家の状況が知りたいところだが、そうもいかないのが気になるところだった。

 話は変わるが、今日は私達の結婚記念日。一年目ということで、両親に娘を見てもらってレストランで食事をしようということで、横浜のレストランのランチを予約してあった。ので、地震発生から一時間も経たない内に、情報が整理されて報道が始まる前に家を出た。横浜から公衆電話で実家にかけてようやくつながった時には、とりあえず祖母は元気とのことだった。

 ところがいざ16時過ぎに帰宅してみると凄いことになっている。ここ数年天災・人災続きの柏崎が特に壊滅的な打撃を受けたのを中心に、三条・燕・加茂でも震度5強。怪我人も続出。この三地域が震度5強ということはそこに挟まれた実家も恐らく同程度の被害でしょう。両親が帰ろうにも、夕方17時の時点で新幹線は越後湯沢-新潟間で完全に止まっています。それでも一旦東京駅まで出るとのことで、夕方に両親はウチを出て行きました。ところがそこからが大変です。18時過ぎに「新潟まで新幹線が復旧して、それに乗れた」と連絡が入ったまではいいのですが、その一時間後くらいにまた連絡が入り、「落石が見つかったのでまた新幹線が不通になった」と言って高崎で足止めです。その後21時を目処に復旧を目指すとのことでしたが、両親は最悪もう一泊ウチに泊まってから新潟に戻ることを視野に入れ、一旦高崎から東京に戻ります。そして21時過ぎに今度こそ復旧したという新幹線にやっと乗れ、23時現在まだ燕三条には着いていないようです。

 そしてこれを書いている23時15分過ぎ、また横浜で地震がありました。ギシギシと揺れる酒ラック。またか、と思ってテレビを付けて速報を待つと、今度は東北・北海道の方で震度4弱。また、違う地震のようです。今やっと更新されたYahoo! 地震情報を見てみると、今度は京都府沖。でも何故か被害は北海道の震度4を中心に東北寄り。ただ、震源地を見る限りやはり日本海側のプレートから来ているようです。日本海側のプレート、連鎖反応を起こしているのでしょうか。まだまだ、警戒が必要のようです。

2007年5月29日火曜日

佐賀空港はANA

 先の週末は妻と娘に会いに佐賀に行っていました。土曜日にいつも通りANAにて羽田より佐賀へ。ここまでは問題ありませんでした。向かい風のせいで15分ほど到着が遅れたとしても、まぁそんなものは問題のうちに入りません。が、問題はその帰りに起きました。そう、日曜のニュースを散々騒がせたあのANAのシステムトラブルです。佐賀空港に就航しているのは今のところANAのみ。ANAがダメだからといって、他の選択肢などありません。そのニュースを佐賀で知り、「オイオイ、帰りの飛行機はちゃんと飛んでくれるんだろうな?」ととりあえずANAのホームページを確認します。どうやら佐賀空港発の飛行機は全て無事に飛んでくれているようです。まぁ、すべてといっても佐賀空港発は日に4本くらいしかないのですが。その状況を確認し、「とりあえずは大丈夫そうだな」と一息つきながらも、実際佐賀空港に着いて搭乗手続きをする際はなかなかスリリングでした。

 航空券を機械に通すと、いきなり「出発便は1時間15分遅れですがそれでもよろしいですか」とメッセージ。なかなか不意をつかれましたが、何しろここは佐賀空港。羽田に行く便は日に3本しかありません。そして私が乗る18時35分発のANA456便はその最終便です。大阪行きの便は既に終わっています。「よろしいですか」と訊かれても、「はい、よろしいでございます」と言う以外に選択肢がない(苦笑)。とりあえず同意し、カウンターで1,000円分のお食事・お買物券をくれるというのでそれをもらい、佐賀空港でのんびり自動販売機のカップコーヒーなどすすりながら友人達に窮状を告げるメールをしていたとのことです。

 しかしまぁ、佐賀空港だったのが唯一の救いですかね。佐賀空港では18時35分発のANA456便がその日の最後の飛行機で、しかもそれも小さいエアバスだから180名しか乗らない。ので、この非常事態にも関わらずターミナル内は混雑した感じもせず、のんびりとベンチに座ったり、大して混雑もしていない土産物売り場で明太子を物色したりできました。これが福岡空港や新千歳空港だったら大変だったことでしょう。というか、ベンチに座ってコーヒー飲みながら入口上にある大きいディスプレイで見ていたニュースに映し出される、羽田の出発ロビーの惨状は凄まじいものがありました。「これからあそこに帰るのか・・・」と思うとなかなかブルーになりましたが、案外到着ロビーは混乱はしていなかったとのことです。まぁ、さすがにいつもよりは混雑していましたが。

 そうそう、娘は無事に大きくなってきていました。目も大分パッチリ開くようになってきて、黒目の多い切れ長の目は私に似てきた気がします。生まれて二週間で結構顔の印象って変わるものだなぁと思いましたよ。そしてまだ新生児の平均にも達していない2600グラムそこそこの体でもの凄い大きな声で泣くんです。全身の力を振り絞って泣くんです。なかなかいいシャウトです。しかし、なかなか泣き止んでくれないときは本当に弱ります。それがまた妻の母親、娘の祖母が抱っこするとピタッと泣き止んだりするのです。さすが娘三人育て上げて、ウチの子で孫も三人目となるお義母さん、キャリアが違います。とりあえず抱き方や角度なんかをじっと研究してみるのですが、いやー、なかなかまだうまくはいきませんね(苦笑)。まぁ、これから先は長いですからね。

 しかし赤ちゃんは面白い。見ていると笑ったりぼーっとしたり、何かを不思議そうに見てみたり顔をくしゃっとして伸びをしてみたりと、色々な表情をしてくれて飽きません。大変なことも多いですが、やはりかわいいものですね。うん、かわいいものです。

2007年5月16日水曜日

命名の儀



命名 子供の名前が決まった。「芽生(めい)」と名付けることにした。親戚にサツキちゃんもいるので、二人で『となりのトトロ』ができる(笑)。"メイ"という響き自体は名付け選考の結構初期段階から候補に挙がっていたのだが、字は妻と私でいくつか意見が分かれていた。結局、先月に一日違いで妻の祖母と私の祖父が亡くなり、母方・父方両家ともに意気消沈している時に生まれてきた新しい命だからこそ、願いを込めて「生きる」という文字を使いたいといった妻の言葉に打たれて、「芽生」となった。何気に画数も結構いい。"メイ"という響きも古くさくもなく奇抜でもなく、シンプルでかわいらしくてなかなか気に入っている。早速今日、出生届を佐賀市役所に出してから飛行機で横浜に帰ってきた。

 余談ではあるが私の父に当たる芽生の祖父より、「プレゼントとしてプラトンの『ソクラテスの弁明』のワイド版を芽生ちゃんにあげよう」という提案をいただいた。もちろんありがたい。ありがたいが、・・・初孫の、しかも女の子への初めてのプレゼントとしては何処か間違っている気がする(笑)。ま、父らしいと言えば父らしい。

2007年5月14日月曜日

第一子誕生!

 去る5月10日、実家に帰省していた妻が待望の第一子を出産した。午後3時51分、2374グラムの女の子だった。超音波検査ではもう2700グラムくらいあるのではないかと予測されていたが、実際は割と体が小さかった。胎児の体重は頭の大きさで測定するのだが、どうやら、頭が結構大きかったらしい。ともあれ、母子ともに無事に元気に生まれてきてくれた。

 その知らせを最初に受けたときは、まさに寝入りばなというところだった。5月9日の夜から10日の深夜3時前までギターを弾いて、ラッセルの新譜『Art of the Guitar』をBGMに眠りにつこうとしていた。そして心地よい眠りに入って間もない時、部屋の電話が鳴った。一回目は、現実の音と夢が混じり合っていて何が何だかわからなかった。よくは覚えていないが、はっきりしない意識の中で極彩色の何かがモヤモヤと、しかし激しくグルグルと回っていたような、そんな気がする。電話の音が鳴り止んでからやっと目が覚めて、ぼーっと布団の上に座っていた。CDはまだ続いている。眠りについてからそれほどの時間は経っていないということだ。一度完全に完全に油断して寝ていたせいか、目が覚めても布団の上から動くことはできなかった。二回目の電話が鳴る。今度は受話器を取った。出産準備のため実家に帰っている妻からだった。陣痛が来たという連絡。これから産院に行くという。深夜3時半頃だった。電話を切って、眠ることもできずに布団の上に座っていた。ふと窓の外を見ると、ほんの少しだけ夜が白み始めている。ちょうどCDの最後の曲が鳴り始めていた。E.S.デ・ラ・マーサの『暁の鐘』。ぼんやりと薄められ始めた夜空に、ラッセルの弾くトレモロの旋律が小さな音量で流れる。「ああ、暁だよ、暁」と、障子越しにその景色を見ながら思ったのを覚えている。学生時代、先生から指導を受けた最後の曲『暁の鐘』。何となく、落ち着いたらもう一度弾いてみようかなと思った。

 その日は一日あるセミナーで講師をしなければならず、深夜4時からでは当然代役は立てられないので、結局朝から落ち着かないまま壇上に立っていた。昼休みに付き添ってくれている妻の両親と連絡を取りながら、ともあれ無事を祈る。夕方5時過ぎにセミナーが終わってPHSを確認すると、無事に生まれましたとのメールが入っていた。ほっとしたし、何より嬉しかった。

 夜に赤ちゃんの写真を送ってもらうと、まだ会ってもいないのにひどくテンションが上がって、何度も何度もその写真をじーっと見た。生まれてくるまでは正直なかなか実感がつかめないところもあったのだが、いざ生まれてみると自分でも驚くくらい嬉しい。そして何よりも子供がかわいい。親になったという実感や責任感よりも、まずは嬉しさとかわいさが大きく大きく先に立った。結局親になるということはやはり、社会的なことの前にまず個人的なものなのだろう。だから何よりもまず嬉しいしかわいい。責任感やら身の引き締まる思いとやらはその次に来る。40週と1日の妊娠生活を超えて、最後出産まで頑張ってくれた妻と、無事に元気に生まれてきてくれた娘に今はただ感謝のみだ。

 これから、どんな風に育っていくのだろうか。自分に用意して上げられるものはすべて用意してあげたとして、その先で人生を歩いていくのは結局この子自身だ。自分がこの子の人生に与える影響はやはり果てしなく大きいが、同時に限りなく小さい。「こんな子に育ってほしい」という思いはあるが、それはここでは書かないことにしよう。本当に大切な思いは、やはり声に出して直接伝えるのがいい。開かれて書かれた言葉は、風化する。まずは元気に、健康にと祈る。

2007年4月16日月曜日

初挑戦!フットサル

 昨日のことになりますが、初めてフットサルなるものをやってきました。ウチの会社と普段付き合いのある派遣会社とで、若い人間が集まってちょっと交流試合のようなものをやろうということで、お互い10人ずつ集めてフットサルをやったわけです。高校卒業以来本格的な運動とは縁のない私も声をかけられ、「まぁたまには運動も悪くないか」と参加を承諾したわけです。

 運動を(一応)やっていた中学・高校時代でさえサッカーはやっていなかった私です。足技は不得手なことこの上ありません。正直、自信のある分野ではまったくなかったのですが、まぁでも久し振りに運動してみたらこれが結構気持ちよかったわけです。走ってみたら自分で思った以上に意外に走れたので、調子に乗って走り過ぎてしまいました(苦笑)。最後の方はシュートしようと右足を振りかぶったら左足に力が入らなくて膝が折れるという体たらく。さすがに運動不足は否めません。少し運動しようかなと、ちょっと本気で考えました。

 んー、でも、青空の下で汗を流すというのもやはり気持ちいいものです。最近は仕事で変な汗流すことはあっても、気持ちよく爽やかな汗というのはあまり流してませんでしたからねー・・・。フットサルも意外に悪くないと、そう思いましたとさ。

 ちなみに、昨日は家に着くなり服だけ着替えてシャワーも浴びずに崩れるように眠りに落ち、今日は起きるなり足腰を襲う激痛に苛まれながら、反動で実に無気力な一日を送っていたとのことです。どっとはらい。

2007年3月5日月曜日

月とコスモクロック

月とコスモクロック 今日は久し振りに元町~みなとみらいへ出かけてきました。明日が妻の誕生日であることと、そろそろその妻は実家に強制送還される身なので、その前に横浜の休日を堪能しておこうという寸法です。何しろ実家から妻が再びこちらに帰ってくる時には家族が一人増えているわけで、しばらくはゆっくりと横浜を散策することもできないでしょう。ので、まぁ体は重いにしろゆっくりとはできる今のうちに見納めておこうというわけです。幸い今日は3月としては例外的に暖かく、気持ちいい青空も広がっていて、でかけるにはよい天気でした。

 電車で元町・中華街に繰り出し、まずは春並みの陽気の下、山下公園を散歩。たくさんの家族連れと犬連れに混じりながら、周りをベイブリッジとみなとみらいの高層ビル群に囲まれた海を眺めます。休日の山下公園はのんびりしていて、人は多いけれども割にスペースはあるのと、今日は特に風が気持ちよかったので、まったく狭苦しさを感じることもなく、ゆっくりスッキリと散歩することができました。柔らかい陽の光の中、潮風とカモメの鳴き声が心地よく感じられます。
 その後有名なパンケーキの店らしいモトヤで遅めのランチを取り、一路横浜へ。カバンを探してベイクォーターに行ってみるも、お洒落ではあるがあまり面白そうな店がなかったので(最近増えてる20代-30代のお金のある独身カップル向けと見ました)、今度はそごう、ジョイナス、高島屋とハシゴ。そして東急ハンズまで行くも全て外れ(苦笑)。この時点で夕方19時過ぎです。最後にクイーンズ・スクウェアに戻ってカバン探しを続行。しかし20時で閉店の段階でクイーンズ・イーストを閉め出され、本日のカバン探しは終了となりました。やれやれ・・・。
 そしてクイーンズのベランダ通路に出て一休みしようとすると、よく晴れた空に満月がポカリとコスモクロックの上に浮かんでいるのに気が付きました。光の扇風機のようにきらびやかに色を変えるコスモクロックの上に、目立たずに静かに佇んでいる満月。みなとみらいの街の灯の仲までは、さすがに満月の光も届きません。風情があるような、何だか味気ないような、不思議な都会の夜の満月。思わず一枚撮った写真がこれです。コスモクロックがきれいに光ってくれるまで、結構待ちました(苦笑)。その後クイーンズ・スクウェアの店で晩ご飯。たまたまコスモクロック側の窓際の席が取れたので、みなとみらいの夜景を楽しみながら、のんびりと横浜の夜を楽しんだとのことです。
 さてさて、次に二人でこんなにのんびりと横浜を楽しめるのは一体いつになるのでしょうか。

2007年1月23日火曜日

両親学級

 年が明けてから、1月は仕事が忙しいのが目に見えているので書けるうちに書いておこうと思い序盤頑張っていたこの日記も、いきなり10日間も飛ばしてしまいました(苦笑)。いやー、なかなか、ハードでした・・・。まぁとりあえず今月一杯はそのハードさは続き、来月上旬までは出張ラッシュにその余韻が残るわけですが、今日はとりあえず溜まりに溜まった代休を取得、一日お休みをいただいて港北区が主催する両親学級なるものに行ってきました。ついでに、これまで忙しくて行けなかった免許の住所変更にも行ってきました。引っ越したの四月下旬なのにやっとです・・・。

 横浜市港北区が初めての妊娠・出産の妊婦さんを対象に行っているこの講座は、区が主催するだけあって無料で色々教えてもらえるらしいので、それは是非いってらっしゃいということで妻が通っているわけです。といっても週に一回で計四回。そんなに数が多いわけではないですが。その中で今日だけは夫同伴が推奨される、赤ちゃんの入浴のさせ方講座だったというわけです。赤ちゃんの体の洗い方やら服の着せ方のコツやら、まぁなかなか勉強になりました。ウチの場合近くに最大の先生足り得る親がいないわけで、こういうサービスを利用して事前に学んでおけるならそれにこしたことはないわけです。

 いやー、しかし大変そうですね。特に生まれてから二ヶ月は起きる・泣く・飲む・寝るを昼夜問わず二時間ごとに繰り返すと言いますからね。夜も眠れないそうで、ちょっと前にお子さんが生まれた同じ部署の人もその時期は寝不足で大変そうでした。そんな話を聞く度に戦慄する今日この頃です。それでも自分の子どもなら頑張れるのでしょうか。まぁ、頑張るしかないんでしょうが(苦笑)。色々凄いことにはなるんでしょうが、慣れない日々を二人で頑張っていくしかないのだろうなと、こういうイベントがある度に少しずつ、本当に少しずつ実感と覚悟が湧いてくるわけです。まだ、それが力強い確信というほどでは正直ないのですけれど。まぁ、少しずつ・・・。

 余談ですが代休届を総務に提出した際、今月は8日と13日に休日出勤しているので1/8分代休と書いて出したら、「2005年8月の分から代休が残っているので古い方から消化してください」と差し戻されてきました。2005年って、・・・覚えてねーよ!っつーか使えるんだ、2005年8月分の振替休・・・。というわけで本日は2005年8月18日分の代休です。あといくつ代休残ってるんだろう?有給は34日残ってるのはわかってるんだけど・・・。


2007年1月8日月曜日

白らんちゅうがやってきた

らんちゅうと白らんちゅう
 金魚の飼育開始から約4ヶ月が経過し、とうとうウチにも5匹目の金魚がやってきました。白い体にキュートな黒目がチャームポイントの白らんちゅうです。先月元々いた4匹のうち3匹を購入したペットエコ港北NT店に大掃除の水換えの際に使う交換用の濾過材等を買いに行った際にこいつがいたのですが、ウチの桜琉金(命名"さくら")のような透明な体と黒いキュートな瞳に、らんちゅうのコミカルな体型がくっついたこの金魚に妻は一目惚れ。その時は見送ったのですが、今日また行ったらまだ売れずに残っていたので、「まぁ、水槽のキャパにはまだ余裕はあるしなぁ」ということで購入してきました。写真は元々ウチにいるらんちゅう(命名"らんちゅう")とのランデヴーです。写真ではわかりづらいですが、白らんちゅうは元々いたらんちゅうの半分くらいの大きさしかない小さい仔魚です。



 実はこの白らんちゅう、店にいたときは他の体の大きさが同じくらいの小さな白らんちゅう達と遊泳していて、その中で一際元気に動き回り、他の魚を突っついていじめたりするような暴れ者でした。ですが、いざウチの水槽に来てみると、他の金魚は全部単純に体長で見ても自分の倍以上はある大きい魚ばかりです。体積で見れば5倍くらいありそうなヤツもいます(さくら)。しかも、食欲がハンパじゃありません(笑)。あまりの周囲との力の差に、このおチビさんはすっかり落ち込んでしまったようで、他の金魚に喧嘩をふっかけることはおろか、泳ぎ方すら店にいたときと比べて何だかおとなしくなったような気がします。いやー、怯えてるのかもしれません。頑張れ、おチビな白らんちゅう。負けずにエサを食べて、早く大きくなるのです。ちなみに、名前はまだありません。
 しかし新しい魚を入れてみるとよくわかるのですが、ウチの金魚、大きくなりましたねー・・・。そりゃあんだけエサ食べてりゃなぁ(笑)。ちなみにウチの金魚達は、エサの食べ過ぎでひっくり返ってしまうヤツが2匹ほど出てきたので、今日は一日絶食させてました。琉金系やらんちゅう等の丸型の金魚に出やすい転覆病の心配もしたのですが、一日エサを抜いたらひっくり返ることもなくなったので、まぁ純粋に食べ過ぎだったのでしょう。特に普段テトラフィンのような浮上性のエサを与えている金魚の場合、エサを食べる際に空気が大量に体内に入ってしまいそれが原因でエサを消化して空気が体から抜けるまで転覆病に類似した症状を示す場合も多いようですし、生き餌や乾燥餌の場合は食べ過ぎ等が原因の消化不良で同様の状態になることも多いそうなので、転覆病を疑う前にまず食い過ぎを疑って絶食させてみた方がいいようです。今回はエサを断っただけで水温を上げる等の処置はしていないのですが、昨日ひっくり返っていた連中も今日はひっくり返らずに元気にスイスイ泳いでいます。金魚は食べ過ぎ注意です。ちなみに、金魚がひっくり返ったままになってしまっていて浮袋(鰾)の辺りがふくれてお腹がプクンと出てきている場合は明らかに転覆病です。まずは水温を25度以上にキープし一週間程度の絶食、そして0.5%食塩水浴辺りを試してみることをお薦めします。詳細はこのページが参考になります。

2007年1月3日水曜日

恩師の訃報

 実家からの電話で、小学校時代の恩師が亡くなられたことを知った。六年生の時の担任で、生徒はもちろん、父兄の間でも有名な、今で言うところの名物先生だった。当時既に50歳前後だったはずだが、痩身で浅黒く焼けた肌と、顔に刻まれた深いしわと気迫に満ちた目は迫力満点で、それだけで小学生を震え上がらせるに充分だった。この先生が"名物"たりえた所以はもう一つある。常に持って歩く"魔法の棒"の存在だ。僧侶が座禅の時に「喝っ!」とか言ってひっぱたく、あの棒である。それに手書きで色々な言葉を書き込んだ棒を授業中もいつも持ち歩いていて、何か悪いことをした生徒がいるとその棒でコンコン、と床を叩いてにらみつけ、「○○っ!」と名前を呼んで前に出させる。そして出てきた生徒を罪の深さに応じて、その棒でふくらはぎや尻をスパーンとひっぱたくのだ。罪が深かった時などはこれはかなり本気で痛い。時代が今ならPTA辺りから「暴力教師」として吊るし上げを喰うかもしれない。だが、私達の親の間では躾をきちんとしてくれる先生として信奉されていたようだ。

 もちろん、ただ怖いだけの先生ではなかった。特に生徒の健康には非常に気を遣う先生で、持病を持った生徒には毎日のように具合はどうかと確認していたし、私が小学校の鼓笛隊の指揮者をやる時も、当時病弱で体も学年で一、二番を争う小ささだった私に「食べて力を付けないと町まで棒振って歩けないから」と給食のおかずで一番体力付きそうなものを私に毎日分けてくれていた。鼓笛隊の指揮者は普通列の後ろの方からでも棒がよく見えるように体の大きな人がやるものだったが、私が"体の小さい指揮者"に先鞭を付けて以降、小さい指揮者も見られるようになった。私の次の代の指揮者も私に負けず劣らず体が小さい女の子だった。最初は体力のない私が指揮を振るというのはどの先生も反対したものだ(同じ理由で楽器が重いアコーディオンも却下された)。それでもやると言い張って、教師側が折れる形で実際やるとなったら後は何も言わずに「体力を付けろ」と暗に示しながら、毎日おかずを分けてくれる。そんな先生だった。

 白根市内の小学校別対抗水泳大会へ向けての練習で、真夏の学校のプールで目にした先生の姿が何故か一番記憶に残っている。歳不相応に痩せた、でも鍛えられているので貧相な感じはしない体に、白い水泳帽をかぶっている。少し、カッパに似ていた。次は、卒業式の時の緊張が一気に解きほぐれたような笑顔だろうか。無邪気に、無条件に、笑ってくれていた。

 成人式の後、小中学校の同級生が一堂に会した席で、先生を呼んでみようという話になった。私が卒業した小中学校は全学年一クラスしかない、実質的に小中一貫校なので(苦笑)、そこにいるのは皆先生の教え子だ。だが、その時はクラスの代表が先生と電話で話をしただけで姿は見せなかった。確か、その時既に体調を崩していたのではなかったろうか。結局、その後もお会いする機会のないままになってしまった。またよりによって私が帰省しない年末年始にと、少し思わなくはない。すべてがあまりに急で、お通夜にも告別式にも参列することができなかった。だからせめて、(先生は特別音楽が好きというわけではなかったけれど)モーツァルトのレクイエムを聴きながらこうして思い出を書き綴ることでせめてもの手向けとしようと思う。基本的に"先生"という人種が好きでなかった私は、その後大学に至るまで教師に敬意や親近感など持ったことはなかったが、唯一この先生だけは恩師と言える先生だった。学校という社会を通じて、何がよくて何が悪いのかを、やり方は厳しいながらも教えてくれ、頑張っていることに対しては無言で力強く応援してくれる先生だった。先生が教壇に座って、しかめ面をしながら魔法の棒で床を二回コンコン、と叩く、あの姿が懐かしい。

 大野先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2006年12月17日日曜日

癒しの旅 in 2006/12/16

 今朝も起きたら肩から首にかけてのもはや筋肉痛のような痛みと張り。毎晩塗っているアンメルツも気休め程度にしか効かないようです。ともあれ、この状況を少しでもマシにしなければプライベートにも今後の仕事にも差し支えると判断した私は、とにかく今日一日は癒しを求めることにしました。整体のK-STYLEさんは相変わらずの人気で今週・来週中に行こうと思ったらキャンセル待ちの状態なので、とりあえず私のもう一つの癒しスポットである綱島温泉・東京園に行くこと決めました。妻を大倉山の港北図書館まで送り、自分はそのまま引き返して綱島温泉へ。一時間弱の癒しの旅へとLET'S GOです。"Let us"っていう割には一人かよ、というツッコミは入れてはダメです。

 綱島温泉は綱島駅から徒歩1分の場所にある温泉で、かつて温泉街として栄えた綱島の、現在では唯一残った温泉です。綱島通り沿いにあるその建物は全体を黄色のペンキで塗りたくった、お世辞にも趣味がいいとは言えない素敵な外見で、施設も温泉というよりは銭湯とSPAの中間くらいの、昭和を感じさせる古びた内容。4つもある大広間では、絶えずお客の年配の方がカラオケで演歌を歌ったり将棋を指したりしています。ハッキリ言って、どう見てもお洒落ではないですし、実際若い人はあまりいません。でもここ、お湯はいいのです。

 湯の色は関東に多いらしい、完全な黒湯。真っ黒です。印象としてはコーヒーより濃い黒。墨汁をほんの少しだけ薄めたような感じです。正直、初めは「ゲッ」と思いましたが、効くのです、これが。よく温まって、なかなか冷めない。新宿や汐留での深夜作業・徹夜作業が立て続いていた頃、よく明けにこの温泉で体をほぐして疲れた体を休ませていたものです。今日も一時間弱、のんびりと温まってきました。さすがに全快ではありませんが、少しばかり首も肩も楽になりました。真っ黒なお湯の天然ラドン泉。素敵です。やはり温泉は疲れた体に効きます。

 ちなみに、この「一時間弱」という時間には理由がありまして、この綱島温泉、入場時に料金800円を取られるのですが、昼は一時間以内に退出すると370円帰ってきます。つまり、カラオケ等の施設を利用しない場合は通常の銭湯と同じ料金で入れるのです。ので、私は大抵風呂に入って、少し飲み物を飲んで休んだら出るという行動パターンでここに来ます。今日もそうでした。そしてホカホカに温まった体でまた車を駆って図書館に向かったとのことです。


2006年12月11日月曜日

水天宮参り

 今日は日曜なのにちょっと早起きして(といっても普段会社に行く時間と変わりはないが)、妻と水天宮まで出かけてきた。いわゆる安産祈願というヤツだ。水天宮は安産祈願の由緒正しいお宮なのだ。次の月曜日(つまりは明日)が戌の日だそうで、「帯祝い」といって多産でお産がかるい犬にあやかって、五ヶ月になった初めての戌の日に腹帯をお腹に巻くという習わしがあるそうなのだ。初めて知った。とにかくそういうわけで、初冬の珍しく澄んだ青空の下、渋谷から半蔵門線に乗り一路水天宮前へ、お宮参りに行ってきた。

 水天宮前は以前に仕事で来たこともあるので初めてではない。特に迷うこともなくお宮に着く。受付を済ませ、お守りを購入し、安産の祈祷へ。平日はともかくとして、戌の日でなくとも土日はやはりなかなか混雑する。ので、祈祷のために昇殿できるのは妊婦本人のみだそうで、夫も親も中には入れずに周囲にたむろしていた。当然私も例外ではなく、列に一緒に並ぶことすら認められずに境内から下ろされてしまった(泣)。とはいえ妻は無事に祈祷をしてもらい、帰りに人形町で人形焼きを買って、ココイチのカレーを食べて帰路についた。

 ともあれ、こうした細かい行事も一つ一つ進んでいく。最近は、たまにお腹の中でぐるぐる回っているのを感じることもあるらしい。今のところ順調に、時の経過とともに外の行事も終わり、中の子供も育ってくれているようだ。無事に、健康に生まれてくれるといい。月並みではあるが、やはりまずはそれが一番だ。後は、生まれてくる子供に自分がどう対面できるか。そこが、こちらの当面の問題になるわけだ。今、自分は生まれてくる子供に対して、自信を持って「人生は素晴らしい」と胸を張れるのだろうか?もしそれができないとしたら、自分は一体どうすべきなのだろうか?


2006年11月27日月曜日

マタニティ・クラシック

 今日はみなとみらいの方までコンサートを聴きに出張っていました。和光堂が提供している『岡崎ゆみファミリーコンサート』という企画で、応募して抽選に当たれば無料でコンサートが聴けるものです。この企画には通常ならクラシックのコンサートには入れない未就学児童とその親を主な対象とした『ベビー&ファミリークラシック』と、妊娠中の女性とその連れを対象とした『プレママ&ファミリークラシック』があり、今回は後者の方に行ってきたわけです。演奏者の岡崎ゆみ氏『クラシックを聴くと良い子が育つ』という著作もあり、幼児のためのコンサートを各地で開くなど、家族で楽しむクラシックを推し進めるその道の第一人者とのこと。まぁ、たまにはそんなのもいいでしょう。

 ショパン『華麗なる大円舞曲』で始まるコンサート、曲目はやはり聴きやすいものが中心ですが、中にはショパンのエチュード『木枯らし』等、結構聴く側にとってもいかつい印象を与える派手な曲も織り込んであったりするので油断がなりません。ショパンに始まり、ルービンシュタインリストラフマニノフを経由して最後はベートーベンピアノソナタ『月光』にて第一部終了。ちょっと意表を突かれた選曲もありました。

 しかし岡崎ゆみ氏、マタニティ・クラシックという割には結構強気な演奏します(笑)。一曲目の『華麗なる大円舞曲』からしてかなりカツカツに強調されたスタッカートと、随所に聞かれるかなり強烈な打鍵が鮮烈に響きます。えらい主張の強いピアノだなと、そんな印象を受けました。まぁでもなかなかいいです。『華麗なる大円舞曲』や『木枯らし』、『月光』なんかではその強気さがいい方向に出ててよかったです。「これホントにマタニティか!?」というツッコミはありますが(笑)。

 休憩を挟んでの後半はマタニティビクスの実演に始まり(この辺がさすがプレママコンサート)、ソプラノが出てきて『パパゲーノ』や『アヴェ・マリア』を歌ったり、バイオリンが出てきて『ツィゴイネルワイゼン』弾いたり、なかなかバラエティに富んだコンサート内容でした。欲を言えばバイオリン、『ツィゴイネルワイゼン』やるならもっと頑張ってほしかった・・・。まぁ私の中でこの曲はハイフェッツの演奏が非常に強く頭にこびりついてしまっているので、それと比べるのはさすがにかわいそうな気もするのですが。

 というわけで、マタニティ・クラシックを堪能した休日でしたとさ。ちなみに現在胎教・情操教育として、寝る際のBGMを毎夜選定していたりします。例えば、こんなCD達です。

『The Night Music』 アンドリュー・マンゼ指揮イングリッシュ・コンサート
『ルクレール:VN・ソナタ第3番』 グリュミオー
『The Melody At Night, With You』 キース・ジャレット
『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』 グレン・グールド
『モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8・11・15番 <<キラキラ星>>の主題による変奏曲』 クリストフ・エッシェンバッハ

 等です。何故かエッシェンバッハのCDがAmazonでもHMVでも見つからなかったので、比較的内容が近いCDのリンクになってます。


2006年11月26日日曜日

初対面

 今日は午前中、妻と一緒に産婦人科に行った。妻は妊娠5ヶ月。3週間に一度の定期健診で、初めて私も一緒についていった。これまでは妻が一人で通院していたので同伴は初だ。現在のところ経過も順調なので、同伴の目的はお腹の中にいる子供との対面になる。病院に行く度に超音波写真は撮ってもらえるので、写真ではまだただの袋にしか見えない頃から見ているが、実際に動く姿を見るのは当然初めて。嬉しいような恥ずかしいようなおっかないような、そんな微妙に入り混じった気持ちで待合室に座っていた。

 妻が通っている病院は古い個人経営の病院で、最近流行の4Dエコーはない。ので、伝統の(?)2Dエコーでお腹の子供と初のご対面となる。先生が器具を妻のお腹に当てると、画面にぼやっと白黒のグラデーションで曖昧な壁に囲まれた空間が現れる。少し位置を調整していくと、今度はその真っ暗な空間の中に、白く丸い輪郭が浮かび上がってくる。

「これが頭だよ」

 言われるとなるほど、人の頭に見える。「ちゃんと脳みそも入ってるね」とは先生の談。頭の中央にぼんやり見える線がどうやら、右脳と左脳の分け目らしい。そしてまた少し位置を調整していくと、今度は体や、手足が見えてきた。暗闇から白い輪郭が浮き上がってきて姿を見せるその映り方は、何故か「もきゅっ」という擬音を頭によぎらせた。「もきゅっ」と浮かび上がってくるのだ。めそかよ!お腹の子供は手足を上下に小さく動かして、たまに頭を回したりして動いている。先生曰くお腹の中の子供はほとんどの時間寝ているので、動いている姿を見るのは実は意外に難しいらしい。その意味では、今日は運が良かったようだ。でも、見ているうちに眠ってしまって、すぐに動きがなくなってしまったのだけれど(笑)。

 初対面というよりは、まぁどちらといえばのぞきに近い形だけれど、ともあれ自分の子供が動いているのを初めて見た。まだ深く大きな感動というほどではない。けれど確かに新しい命が息づいているんだなと感じた。不思議なものだ。子供。自分の遺伝子と、妻の遺伝子が受け継がれている。どういう形でかはまだ全然わからないけれど。男か女かすら、まだわからないけれど。とりあえず、"実感"という言葉が実体になりつつある。自分は、親になる。どんな子供が、生まれてくることか。まぁ、なんか一癖あるのが出てくることは確かなんだと思うのだけれど(苦笑)。

 というわけで子供が生まれてくるのは、来年5月上旬の予定となっております。