2003年8月31日日曜日
JPHONE風『ロンド風ガボット』
2003年8月29日金曜日
時間と空間と金の諸問題
空間と金は、ある程度どうにかなる問題のように思える。確かに今現在既にこの部屋では本棚に入り切らない本が溢れ出て、机の上や床の上に本が山と積み上げられている。CDラックも一杯で、仕事中用のCDはそもそも会社に置いておくことで負荷分散を試みているものの、当然根本的な解決にはなっていないわけで、会社から家に持って帰ってきてもそれらのCDは行き場がない(苦笑)。そして実際このままではもう本だって本棚にも入らないが、そもそも本棚が結構無駄な使われ方をしている部分もあるので、学生時代CDラックでそうしたように、一度本格的に整理すれば今床に積まれている分は入るような気がする。・・・少し無理っぽいけど。あるいは、これは金の問題とも絡んでくるが、手元に置いておく必要なしと判断した本やCDは売ってしまえばいい。Amazonのマーケットプレイスで売れば、確実に買い手が見つかるとは限らないものの郵送する手間さえ惜しまなければ古本屋に売るよりずっといい値段で売れる。そして当然売れた分空間も空くし、金も入ってくる。一度買った本やCDで手放してもいいかなと思えることがあまりないのが難点だが、これは一つの有効な打開策だ。Amazonであまりに売れないようなら、とりあえず従来通りブックオフにでも持ち込めばよい。入る金は少ないが、とりあえず空間は確実に空く。
・・・が、金や空間と違って解決策の欠片も見当たらないのが時間の問題。コイツだけは難しい。節約したり有効に利用することはできても、増やすことだけは絶対にできない。寝る時間をいくら削ったって時間そのものが増えるわけじゃない。ある本を読むということは別の本を読む時間が減るということだし、同時にギターを弾く時間が減るということでも、自分で文章を書く時間が減るということでも、音楽を聴く時間が減るということでもある。それは他の行為にしても同様に。ある時間の中で一つの可能性を選択するということは、逆に他の可能性を選択しないということだ。そして僕らが時間に対してできることは、時間の中に内在するほぼ無限とも取れる可能性、その中の一つを選択するということだけ。そして、その選択すらできないことも珍しくはなく。僕らは限りある時間の中に意志を詰め込んでいくことくらいしかできない。
とまぁそんなことを最近よく考えてみるわけです。我ながらガツガツしてるというか、生き急いでいるというか、端的に言うなら余裕がないなぁと思うわけです。時間の大半を仕事に使う中で、音楽を聴いて、本を読んで、ギターを弾いて、文章を書く。今の私はそのバランスを、時間の都合だけでなく空間と金の兼ね合いも合わせた上で多次元的に折り合いを付けていかなければならないわけですが、どうもその、多次元的なバランスを取ろうとすることにエネルギーを使い過ぎて、肝心のバランスよく配分した外身の中に詰める何か、それをよく忘れてしまっているような気がします。わかってはいるんですよ。外身を配分することが大事なのでなく、配分した後に何を詰めるのかが大事なのだということくらい。ですが、そのバランスキープに必死だと、バランスを保った先のことに回す余力がなかったりすることがままあるのもまた事実です。そんな中、凄く久しぶりにミヒャエル・エンデの『モモ』を読み直してみました。そして、時間泥棒は一体いつ自分のところに現れたのだろうと、そう思ってしまうわけです。モモも、カシオペイアも、まだ来てくれません。時間の花は、まだ氷付けにされたまま冷たい部屋で眠っています。
2003年8月27日水曜日
最近つまらないですね?
何か面白いことないのですか?
何か言いたいことないのですか?
「いま」とか「ここ」が、不満なのですか?
「~でない」何かに、憧れるのですか?
それがすべての、原因なのですか?
最近つまらないですね?
もっと話題はないのですか?
否定や虚勢でないお話は?最近つまらないですね?
・・・この日記に対するモノローグ
2003年8月25日月曜日
バーデン・パウエルの似合う日曜日
2003年8月24日日曜日
表現力とは?
ぼんやりと思うことは、それはやはり全体のコンテクストの中で決まってくるのだろうなということ。「春の熊と同じくらい好きだ」という言い回しを『ビタミンF』に出てくる主人公達が口にしても説得力はないでしょうし、ワタナベ君が「俺の人生は、これか」とつぶやいてもイマイチでしょう(『ノルウェイの森』も『ビタミンF』に収録されている『なぎさホテルにて』も、どちらも私は非常に好きな作品です、念のため)。・・・とすると、非常にやっかいなことになってきます。「生き生きとした描写」とやらのためのマニュアルやら方程式といったものは存在しないということになるからです。当たり前のことですが、どんなに色々な文章を読んで研究してみたり、たくさんの語彙を仕入れてみたりしたところで、自分のコンテクスト内で鮮烈な描写をしたければ、そのコンテクストで映えるような表現を探さないといけない。今さらのようですが、厄介な話です。さてさて、どうしましょうか・・・?
2003年8月22日金曜日
2003年8月20日水曜日
2003年8月19日火曜日
弦を替えたら
そう、私は今回2本のギターの弦を同時に交換しました。ということは、2本同時に調弦をしないといけないということです。1本合わせたらもう1本を、それが終わったらまた戻って・・・。ひたすらそれを繰り替えします。そして、2本のギターを調弦するために、私は当然何度も音叉を叩かなければなりませんでした。私は音叉を自分の膝で叩きます。机とかで叩く人もよくいますが、あまり固いもので叩くと音叉の音程がずれることもあるのであまりよくありません。ので、私はいつも音叉を右膝で叩きます。膝で叩くといってもそれももう手馴れたもので、音叉はなるけど膝は痛くない、そんなギリギリの力加減をちゃんとマスターしています。ので、今回も単純計算で普段の弦交換の際の倍以上の回数音叉を叩いたにも関わらず、痛みというものはまったく感じていませんでした。ジーパンをはいていたので、痛みがない以上当然自分の膝はまったく無傷なものと思っていました。・・・が!その日、風呂に入ってみると、右膝の上の辺りが内出血して赤黒く滲んでいます。それを見て、私は最初「何だろう?」と思いました。その内出血の原因に、まったく心当たりがなかったのです。・・・結論に行き着くまで10秒ほどかかりました。「ああ、音叉!あれか!確かにたくさん叩いたわな」、と。
痛みは感じなくとも、何度も繰り替えし金属の音叉で叩かれた右膝は、確実に悲鳴を上げていたようでございます。どっとはらい。
2003年8月17日日曜日
隠れた達人・柴田杏里
そうそう、「実はかなり凄いらしい」と実に曖昧な情報を仕入れてから三年程、見事に放置してしまっていた柴田杏里ですが、中古のCDを見つけたというのもありようやく二枚買って聴いてみました。一部の人々の中では柴田杏里というといち早く藤井敬吾先生本人以外で『羽衣伝説』をCDに録音した人というイメージが強いでしょうが、今回私が買ったのはそれ以外の二枚です(苦笑)。・・・だって中古なかったし・・・。まぁそれはさておき、私が柴田杏里氏が凄いという情報を仕入れたのはまだ東京に出てきたばかりの時、藤井敬吾先生がGGショップでマンドリンの柴田高明氏とコンサートを行った際の打ち上げて知り合った人からです。その人は柴田杏里氏の演奏を生で何度か聴いて、確か習ったこともあると言ってたように思うのですが、曰く「日本人離れしたリズムセンスでラテン系の曲をカッコよく弾く」とのことでした。しかしいざCDを手にしてみて最初に思ったのは、実はこの柴田杏里、何と『リブラ・ソナチネ』の第三楽章フォコや『タンゴ・アン・スカイ』、『ヴィラ=ロボス讃歌』第四楽章トゥーンといった今では定番となったディアンスの名曲たちを大萩康司よりも福田進一よりも鎌田慶昭よりも早く録音しているのですね。なかなか先見の明を持っています(?)。でも、彼のディアンスは正直イマイチです(爆)。なんか、彼のディアンス凄いゆっくりなんですよ。しかも『タンゴ・アン・スカイ』ではわけのわからないところにわけのわからないハーモニクス入ってるし。正直凄い違和感があります。ですが、確かにスペインものやラテンものはもの凄くカッコいいです。しかもさりげにアンヘル・バリオスも『グラナダの花』、『トナディーリャ』他数曲入れてます。が、『トナディーリャ』は藤井敬吾先生の演奏を聴き慣れているとやはり違和感があります。やっぱりゆっくりですし、曲の作り方が全然違う。まぁ、柴田杏里の方がスペインっぽいといえばスペインっぽいのですが。ですがアジャーラの『セリエ・アメリカーナ』よりの抜粋や、R.S.デ・ラ・マーサ、E.S.デ・ラ・マーサ、ロドリーゴ、ファルーといったスペイン/ラテンものの演奏はヤバイくらいカッコいいです。特にR.S.デ・ラ・マーサの『ロンデーニャ』はいい!これを聴くためだけでもCD一枚買う価値はあると思います。しかし柴田杏里、デビューアルバムでスペインものの曲を集めたのはいいのですが、スペインものやってアルベニスもグラナドスもファリャも一曲も入れず、ロドリーゴも有名どころは一曲も入れず(『朱色の塔の影にて』という曲が収録されている。普通こんな曲知らん)、R.S.デ・ラ・マーサやE.S.デ・ラ・マーサ、アンヘル・バリオスといった辺りを中心に据えて来るというのはかなりいい度胸してます。絶対売ろうと思ってねぇ(爆)。
ともあれ柴田杏里、曲レベルで多少の辺り外れはあるものの(ってゆーかそれも好みの問題かも)、スペインものは相当マニアックな曲を相当カッコよく聴かせてくれます。果たして彼は、『羽衣伝説』を一体どのように弾いているのでしょうか・・・?
2003年8月16日土曜日
8月の秋雨
2003年8月13日水曜日
爆死、勤務中
会社で私はちょっと休憩をしていて、ペットボトルのお茶を飲みながら軽く本を読んでいました。本を読みながら、ペットボトルに手を伸ばし、特別なことをやるわけでもなく、何か話しながら飲もうとするでもなく、ただおもむろに一口、ただし量は結構多めに、ゴクッと口に含み、飲もうとしました。・・・その時です。その多めに含んだお茶は、何を間違ったのか食道の方に(おそらく一滴も)入ることなく、ダイレクトに思いっきり気管に流れ込んでくれたのです。まさに「ゴフッ!」って感じでした。当然激しく咳き込もうとするわけですが、まだ口の中にお茶が残っていてまともに咳をしたら一気に吹き出てしまいます。とはいえ水分を肺の外に押し出そうとする圧力が強く、中から吹き出る空気圧と、それを押しとどめる弁の役割を果たす閉ざされた口のせいで間違った意味に胸が一杯になり、顔も紅潮してもう大変です。息もできません。「ヤバイ。これはヤバイ。死ぬぞ!?」と思った私は、さすがにこんな間抜けな死に方もしたくなかったのでとりあえず手近にあったお茶を買ってきた時のコンビニ袋に口の中の水分を吐きだしました。まさに「背に腹は代えられず」というヤツです。これで堂々と咳き込めるわけで、これでちょっとは楽になるだろうと思ったのですが・・・。何と、まだ息が全然できません。肺に水が溜まっているせいなのでしょうか、激しく咳き込む間に必死で息を吸っても、全然肺に空気が入ってくる感じがしない、少なくとも血に酸素が回っている感じがしないのです。本気でヤバイと思いました。咳でどんどん肺の中の空気は出て行くのに、いくら吸っても空気が肺に届かないのです。そりゃもう苦しかったですよ、ええ。終いにゃ空気を吸い込もうとする息すら細くなりかけたわけですが、そこまでいった段階でやっと、少しずつ吸った空気が肺に届くようになってくれました。まだ最初はひどい喘息の発作の時のように、思いきり吸っても潰れたストローの中を無理矢理通ってくる感じの線の細い空気が微かに吸えるだけでしたが、それも少しずつよくなり、どうにか数分後「普通に咳き込んでる」感じのところまで回復することができました。その後もしばらく、声を出そうとすると肺に何かつっかえた感じがしてうまく声にする息が出てこなかったり、息と一緒に水分が出てきたりしましたが、本当にギリギリ一杯、今は無事に元通りの体に戻れました。いや~、息ができるって素晴らしいですね(笑)。
・・・しかし、私は一体どれだけの量の水分をどれだけの勢いで肺にブチ込んでしまったのでしょうか・・・?
2003年8月12日火曜日
2003年8月9日土曜日
働けってか!?
・・・とまれかくまれ、今年は盆休みも取れないことが確定した私はそうやさぐれてみましたとさ。いや、まぁ振替休日は取れるのですが、一体いつ取れというのでしょう?下手すりゃ年末まで持ち越しだったりします・・・。
2003年8月8日金曜日
小さな本屋では
2003年8月5日火曜日
2003年8月4日月曜日
熟成されたウィスキーのように
ウィスキーが正しく年を経るにはやはり、相応の労力がいる。ただ放っておけば若者が老賢人になるわけではないように。僕らも、年をとる。僕らは、時とともに価値を高めていくことができるのだろうか。熟成されたウィスキーのように。
2003年8月3日日曜日
自転車で日吉巡り
日吉というところは基本的にも応用的にも山です。道はあまり広くないし、坂も視界を遮る段差や木々等の障害物も多く、視野はあまり開けていません。ので、自分が普段通る道から少しでも外れてしまうとそこはもう、視野にすら入ったことのない完全な未体験ゾーンが待ち構えているのです。とりあえず家の前の坂を駆け上がり駅前まで行った私は、ただでさえ普段は絶対通らない浜銀通り、そこを奥まで突っ切っていこうと思い、進み始めました。それはなかなか大変な道のりでした。浜銀通りを普通に走っている内は登りよりは下りの方が多くて楽だったのですが、途中左に折れてからは突然急な斜面に出くわすは、かと思えば「どこまで降りるんだ、この坂は!?」と思うくらい急で長い下り坂に突然出てみたり、とにかく大きな坂にやたらとぶち当たるのです。息を切らしながら坂を駆け上がり、不安に駆られながら坂を降りを繰り返す内、気付いたら私の家の近くにあるでっかいマンションが遥か丘の上に見えるようになっていました。・・・あそこまで登らないと帰れないのかよ。ってゆーかそもそもここどこだ!? その時には既に私は軽く道に迷っていました(笑)。そもそも地図も持たずに知らない道に向かって問答無用で突き進んだわけですから当然といえば当然です。しかも「あっちが家」と方向的にはわかっていても、坂が多くて道のつながりがまったく見えないし、そもそもまともじゃ駆け上がるのは絶対無理な坂に阻まれていたりして普通じゃ帰れそうもありません。・・・その後私が知った大通りに出るまで実に一時間以上、日吉の山の坂と格闘を繰り替えしていたとのことです。疲れた・・・。