2006年12月19日火曜日

復調

 今日は久し振りに体も頭も軽かった。昨日運良くキャンセルが出て行けた整体のおかげだろうか。妙に頭がスッキリしていた。素晴らしい。私の頭はこんなにも冴える!(←オイ!)コトー先生に感謝です。やはり体が固まっていると頭もダメになるものです。ともあれ、これでなんとか今年も乗り切れそうです。

2006年12月17日日曜日

ベートーベンの誕生日

 今朝起き抜けに妻から聞かされて知ったのだが、今日はベートーベンの誕生日らしい。ので、そこに敬意を表して、先にも書いたように基本的に編成の大きな音楽をあまり好まない私は普段はそんなに積極的にベートーベンはかけないのだが、今日はひたすら意識してベートーベンを聴いていた。自分からはそんなに聴かないベートーベンではあるが、父はベートーベンが大好きなので、幼い頃からよく父の部屋から流れてくる音楽は聴いていたせいか、やはり自分でも好きな曲やCDはある。せっかくなので、今日は私が好きなベートーベンを、独断と偏見でご紹介してみようと思う。

 まずはやはりカルロス・クライバー指揮 ウィーンフィル演奏のシンフォニー5番&7番。『運命』と7番の組み合わせ。今さら説明不要な曲・演奏だが、やはりよい。実に力強いエネルギーの躍動は聴いている者を問答無用で曲の世界に引きずり込まれていく。何しろこの演奏を聴いただけで私はすっかりC.クライバーの虜になってしまった。ぎぃ助達の世代のクラギタから『こうもり序曲』の編曲を頼まれた時も、音源のサンプルには迷わずC.クライバー指揮のものを選んだものだ。是非とも一度生で聴いてみたかった指揮者だ。ちなみに、リンク先のCDはJ.シュトラウスの作品集オムニバスだが、一枚目のワルツ、ポルカ、マーチ集ではカラヤン、アバド、ベームら名指揮者がウィーンフィルを振った演奏で、2枚目の『喜歌劇<<こうもり>>(抜粋)』はすべてC.クライバー指揮の演奏。ユニバーサル・クラシックが出しているこのオムニバス・シリーズ『パノラマ』は著名な名演をまとめて安価で楽しめるので、なかなかお買い得だ。他にも例えばラフマニノフの作品集とかドビュッシーの作品集ショスタコーヴィチの作品集等、色々出ている。一枚1,500円と安価にクオリティの高い演奏で各々の作曲家の代表曲に触れられるので、「この作曲家はどんな曲を書いているんだろう?」と興味を持った時なんかにお薦めのシリーズだ。

 次はこのCD。ジョージ・セル指揮 クリーヴランド・オーケストラ演奏の交響曲第3番『英雄』。以前の日記で紹介した際は『英雄』のCDとして紹介したし、実際このCDのメイントラックはやはり『英雄』だが、一番聴いてほしいのは実は『エグモント序曲』。というか、実は曲としては『英雄』は特別好きではない。この『エグモント序曲』は私の大のお気に入りの曲で、学生時代に(演奏する当てもないのに)ギター合奏に編曲しようとして総譜までは購入したというくらい思い入れの深い曲だ。ちなみに、編曲は結局完成しなかった。このCDでのセルの演奏は、イントロを聴いた瞬間「うおっ、重いな!」と思った。実に、重い。重いが、実直で、堅実で、それでいて情熱に満ちた演奏はさすがジョージ・セル。彼も好きな指揮者の一人だ。

 そして『エグモント序曲』と言えば、あまり知られていないが実はこれには弦楽四重奏版の編曲がある。しかもC.F.エバースというベートーベンと同時代の人物による編曲で、一説によるとベートーベン公認の下での編曲だったらしい。C.F.エバースは他にも交響曲5番、7番、8番や様々な序曲を弦楽重奏に編曲している。その弦楽重奏版の交響曲7番と『エグモント序曲』が聴けるのがこのCDだ。これも、お薦めのCDの一つ。ちなみに、このCDで演奏しているプロ・アルテ・アンティクア・プラハは、他に同じくC.F.エバース編の交響曲5番と8番の弦楽五重奏版も録音している。

 そして曲として大好きなのは弦楽四重奏第11番『セリオーソ』。いきなり迫力あるスケールから切り込んでくるこの曲は、その激しい音列が紡ぐ深く重い情熱と、最終楽章で奏でられる暗い熱を帯びならがも実に官能的で美しい旋律が素晴らしい傑作と思う。個人的には同じ弦楽四重奏の中でももっと有名なラズモフスキー3部作よりもこっちの方が好きだ。お薦めの演奏はやはりアルバンベルク・クァルテットスメタナ・クァルテットのものか。まぁ、どちらも世間一般に評価の高い盤だけど(苦笑)。

 というわけで、今日はこれらのCDを聴きながら夜を過ごしている。たまにはベートーベン尽くしもいいものだ。


癒しの旅 in 2006/12/16

 今朝も起きたら肩から首にかけてのもはや筋肉痛のような痛みと張り。毎晩塗っているアンメルツも気休め程度にしか効かないようです。ともあれ、この状況を少しでもマシにしなければプライベートにも今後の仕事にも差し支えると判断した私は、とにかく今日一日は癒しを求めることにしました。整体のK-STYLEさんは相変わらずの人気で今週・来週中に行こうと思ったらキャンセル待ちの状態なので、とりあえず私のもう一つの癒しスポットである綱島温泉・東京園に行くこと決めました。妻を大倉山の港北図書館まで送り、自分はそのまま引き返して綱島温泉へ。一時間弱の癒しの旅へとLET'S GOです。"Let us"っていう割には一人かよ、というツッコミは入れてはダメです。

 綱島温泉は綱島駅から徒歩1分の場所にある温泉で、かつて温泉街として栄えた綱島の、現在では唯一残った温泉です。綱島通り沿いにあるその建物は全体を黄色のペンキで塗りたくった、お世辞にも趣味がいいとは言えない素敵な外見で、施設も温泉というよりは銭湯とSPAの中間くらいの、昭和を感じさせる古びた内容。4つもある大広間では、絶えずお客の年配の方がカラオケで演歌を歌ったり将棋を指したりしています。ハッキリ言って、どう見てもお洒落ではないですし、実際若い人はあまりいません。でもここ、お湯はいいのです。

 湯の色は関東に多いらしい、完全な黒湯。真っ黒です。印象としてはコーヒーより濃い黒。墨汁をほんの少しだけ薄めたような感じです。正直、初めは「ゲッ」と思いましたが、効くのです、これが。よく温まって、なかなか冷めない。新宿や汐留での深夜作業・徹夜作業が立て続いていた頃、よく明けにこの温泉で体をほぐして疲れた体を休ませていたものです。今日も一時間弱、のんびりと温まってきました。さすがに全快ではありませんが、少しばかり首も肩も楽になりました。真っ黒なお湯の天然ラドン泉。素敵です。やはり温泉は疲れた体に効きます。

 ちなみに、この「一時間弱」という時間には理由がありまして、この綱島温泉、入場時に料金800円を取られるのですが、昼は一時間以内に退出すると370円帰ってきます。つまり、カラオケ等の施設を利用しない場合は通常の銭湯と同じ料金で入れるのです。ので、私は大抵風呂に入って、少し飲み物を飲んで休んだら出るという行動パターンでここに来ます。今日もそうでした。そしてホカホカに温まった体でまた車を駆って図書館に向かったとのことです。


2006年12月15日金曜日

心身硬直

 忙しい。もはや忙しいとすら感じることができなくなるほど忙しい。心身ともに余裕のない日々を最近は送っている。おかげで腰もガタガタだし、何より首から肩がもうガチガチで、朝起きた段階で既にもうバリバリこっている。なかなか最低のフィジカル・コンディションの中、処理能力を超えたタスクに埋もれながら、とうとう思考も停滞する。忙しさ故に停滞する瞬間は、ある。それは厳然たる事実として。とりあえず、まずは整体に行きたいなとずっと思っているのだが、日中は予約の電話一本入れる隙すらなかなか作れず、ずっと引っ張ってしまっている。体が軽くなれば、多かれ少なかれ頭もそれについてくると思うのだけど。

2006年12月11日月曜日

水天宮参り

 今日は日曜なのにちょっと早起きして(といっても普段会社に行く時間と変わりはないが)、妻と水天宮まで出かけてきた。いわゆる安産祈願というヤツだ。水天宮は安産祈願の由緒正しいお宮なのだ。次の月曜日(つまりは明日)が戌の日だそうで、「帯祝い」といって多産でお産がかるい犬にあやかって、五ヶ月になった初めての戌の日に腹帯をお腹に巻くという習わしがあるそうなのだ。初めて知った。とにかくそういうわけで、初冬の珍しく澄んだ青空の下、渋谷から半蔵門線に乗り一路水天宮前へ、お宮参りに行ってきた。

 水天宮前は以前に仕事で来たこともあるので初めてではない。特に迷うこともなくお宮に着く。受付を済ませ、お守りを購入し、安産の祈祷へ。平日はともかくとして、戌の日でなくとも土日はやはりなかなか混雑する。ので、祈祷のために昇殿できるのは妊婦本人のみだそうで、夫も親も中には入れずに周囲にたむろしていた。当然私も例外ではなく、列に一緒に並ぶことすら認められずに境内から下ろされてしまった(泣)。とはいえ妻は無事に祈祷をしてもらい、帰りに人形町で人形焼きを買って、ココイチのカレーを食べて帰路についた。

 ともあれ、こうした細かい行事も一つ一つ進んでいく。最近は、たまにお腹の中でぐるぐる回っているのを感じることもあるらしい。今のところ順調に、時の経過とともに外の行事も終わり、中の子供も育ってくれているようだ。無事に、健康に生まれてくれるといい。月並みではあるが、やはりまずはそれが一番だ。後は、生まれてくる子供に自分がどう対面できるか。そこが、こちらの当面の問題になるわけだ。今、自分は生まれてくる子供に対して、自信を持って「人生は素晴らしい」と胸を張れるのだろうか?もしそれができないとしたら、自分は一体どうすべきなのだろうか?


2006年12月9日土曜日

大萩 康司@浜離宮朝日ホール -武満 徹没後10周年によせて-

 ただでさえ忙しい師走の金曜日、18時過ぎに会社を「お疲れ!」と逃げるように後にし、渋谷から一路都営大江戸線築地市場駅へ向かいました。目的地は浜離宮朝日ホール。大萩康司のコンサートです。かねてより日本人ギタリストの中では一番好きだと明言していたにも関わらず、実はちゃんとしたコンサートで聴くのはこれが初めてです。以前オスカー・ギリアが来日していた際に一度『そのあくる日』を弾いたのを聴いたことがあるくらい。ですので、このコンサートは密かに楽しみにしていました。コンサートの名目もズバリ『武満 徹没後10周年によせて/ギターを知り尽くした作曲家達』。実に、そそられます。その名目から想像することは難くないように、演目もなかなかにマニアックです。ブローウェル、武満 徹、ヴィラ=ロボス、ジスモンチ、S.アサド。自分で楽器を弾く人間以外には、好き好んで聴く人達があまりいなさそうな作曲家群です(苦笑)。何しろ一曲目からブローウェルの『悲歌』。武満 徹へのオマージュであるこの曲は、コンサートの題目にはピッタリでしょうが、普通に考えてこの曲を最初に持ってくるのは正直相当な冒険です。さてどう切り込んでくるのか、開演前から楽しみに待っていました。

 客電が落ち、大萩康司がステージに登場します。拍手を受け、椅子に座ります。一気に拍手も止み、ホール全体に微かな衣擦れや咳の音がまばらに響くだけになります。そこからが、長かった。ステージ上の大萩は、調弦をするでもなく、両手をだらんと肩からたらして、じっとうつむいたまま座っています。異常に長い、長い沈黙。やっと手を上げたと思ったら、軽く調弦を合わせてまた力なくだらんとたらします。どのくらいか、おそらくでも一、二分程度の間でしかなかったのでしょうが、演奏が始まるのを待っているホールでは、その時間は異常に長く感じられます。最初の一音が響く前に引き延ばされた、張りつめた空気の中の静寂。自然、最初に耳に聞こえていた衣擦れや咳、あるいはその他様々な雑音もその長い緊張に耐えられずに消えていき、一瞬、完全な静寂がホールに訪れます。その後に、やっと最初の音が奏でられました。出だしだけで『悲歌』とわかる、悲しく諦観に溢れたハーモニクス。引っ張って引っ張って、極限まで高められた集中力と緊張感の中始められた演奏は、この曲の大半を占める少ない音数の中で維持される絶望的なまでの緊張感がひしひしと伝わってくるものでした。さすがに一曲目から『悲歌』だと、指は部分的に辛そうでしたが・・・。

 その後は武満編曲の『ギターのための12の歌』よりの抜粋。これがなかなかよかったのです。少々、粗いところはあるのですが、彼は音の立ち上がりが非常に早いし、音の立ち上がりと切れ目を非常に明確に意識した演奏をするので、ちょっとジャジーにリズムの遊びが意識されたこれらの編曲には非常に表現がピタリとはまる。聴いていて気持ちのいい演奏でした。そして最後は武満の『フォリオス』が演奏され前半は終了します。

 後半の曲目はまずヴィラ=ロボスの『5つのプレリュード』に始まり、ジスモンチの『変奏曲』、そしてセルジオ・アサドの『アクアレル』。後半はなんと言ってもこの最後の『アクアレル』の一曲目のディベルティメントが凄かった。鳥肌が立つほど凄かった。ただでさえ超絶な技巧が織り交ぜられながら、なおかつブラジル音楽特有のリズムも生き生きとしていなければカッコよくは決まらないというこの難曲。しかし見事に鬼気迫る演奏で聴かせてくれました。何と言いますか、正直、端で見てて「ようやるわ・・・」とあきれてしまうくらいでした。今回の観客は曲に対する造詣が深いようで、組曲の途中ではこれまで一回も拍手が鳴らずにクラシックのコンサートのマナー通り来ていたのですが、このディベルティメントの後だけは拍手が鳴りました。確かに凄かった。お見事でした。大萩康司は2月に新しいCDを出すそうで、まだ曲目は完全に決まってないそうですが、この後半の曲目の中からは何か入ってくるらしいです。願わくばもう一度、CDで彼の『アクアレル』を聴きたいものです。

 アンコールはまず『タンゴ・アン・スカイ』。そして次に『そのあくる日』。彼が持っている定番アンコールナンバーが一気に2曲続けて出てきたので、今日は2曲で終わりかなと思っていたら、何と3曲目、最後に『愛のロマンス(禁じられた遊び)』を演奏してくれました。プロがステージで弾くのを生で聴くのは初めてです。いやー、何と言うか、随分思いきったな、と感じました。

 そして演奏会終了後、ホールを後にしようとしたら何気に福田 進一を目撃しました。クロークの前でサインをねだられていました(笑)。そして私が帰ろうとエスカレーターに乗ったら、何気にすぐ後ろに福田進一がいました。周りの人と話しながら、今日のコンサートを「うん、上手だったね」と笑いながら一言でまとめていました。鉄板焼きの打ち上げには後ほど合流という手はずにしたらしいです。ま、どうでもいいことですが・・・。

 総じてやはり、私好みの現代曲が跋扈する、なかなか刺激的なステージでした。一緒に行っていた妻は途中曲があまりに理解できなかったので終演後に食べるご飯のことばかり考えていたらしいですが(爆)、ま、それもよいでしょう。私のように精神が病んだ人間には(?)素晴らしい選曲、素晴らしいコンサートでしたとさ。


2006年12月6日水曜日

目指せ6時間!

 今週は日曜の夜から月曜の朝にかけて仕事をしていて3時間弱しか寝ずに月曜を過ごした。さすがに、楽ではなかった。普段は睡眠時間は4~5時間。気を張っていると別に気にもならないが、ふっと糸が切れた瞬間にドッと眠気や疲れが来る。朝起きた時の倦怠感も正直かなりある。昨晩は、6時間寝ることができた。前の晩に酒を飲んでもいない。素晴らしい寝起きだった。スッキリしている。起き抜けの倦怠感は多少残っているが、頭は実に晴れ晴れとしている。久し振りにニュートラルよりはやや前向きな気持ちで仕事に出かけることができた。

 やはり睡眠時間が3時間以下では、寝ないで稼いだ仕事の分より、次の日にロスする損失の方が多い。4~5時間ではギリギリ集中力のバランスは保てるかもしれないが、心が下向きになりがちだ。睡眠時間の平均が5時間を切ると鬱や突然死(自殺を含む)が多いとの研究結果も報告されている。やはり、6時間だろう。そのくらいは寝たいものだ。一日の、実に4分の1。そう考えるとなかなかバカにはならない気もする。とはいえ、次の一日のための今日のうちの投資。そう考えると、それは果たしてリスクの高い投資だろうか?そうはならないように思う。

 ともあれ、「リスクの高い投資」とかなんとか言わずとも、とりあえずまずは6時間眠れるようにしたいものだ。深夜1時に寝て、朝7時に起きる。そんな生活は果たして、贅沢な高望みなのだろうか?まぁ確かに、今の私から見れば夢物語だ。今(2:40)から寝ても睡眠時間はざっと4時間強。結局、いつもの通りだ。

2006年11月30日木曜日

無題

 寡黙さを、選ぶといい。饒舌であることを蓑としながら。

2006年11月27日月曜日

マタニティ・クラシック

 今日はみなとみらいの方までコンサートを聴きに出張っていました。和光堂が提供している『岡崎ゆみファミリーコンサート』という企画で、応募して抽選に当たれば無料でコンサートが聴けるものです。この企画には通常ならクラシックのコンサートには入れない未就学児童とその親を主な対象とした『ベビー&ファミリークラシック』と、妊娠中の女性とその連れを対象とした『プレママ&ファミリークラシック』があり、今回は後者の方に行ってきたわけです。演奏者の岡崎ゆみ氏『クラシックを聴くと良い子が育つ』という著作もあり、幼児のためのコンサートを各地で開くなど、家族で楽しむクラシックを推し進めるその道の第一人者とのこと。まぁ、たまにはそんなのもいいでしょう。

 ショパン『華麗なる大円舞曲』で始まるコンサート、曲目はやはり聴きやすいものが中心ですが、中にはショパンのエチュード『木枯らし』等、結構聴く側にとってもいかつい印象を与える派手な曲も織り込んであったりするので油断がなりません。ショパンに始まり、ルービンシュタインリストラフマニノフを経由して最後はベートーベンピアノソナタ『月光』にて第一部終了。ちょっと意表を突かれた選曲もありました。

 しかし岡崎ゆみ氏、マタニティ・クラシックという割には結構強気な演奏します(笑)。一曲目の『華麗なる大円舞曲』からしてかなりカツカツに強調されたスタッカートと、随所に聞かれるかなり強烈な打鍵が鮮烈に響きます。えらい主張の強いピアノだなと、そんな印象を受けました。まぁでもなかなかいいです。『華麗なる大円舞曲』や『木枯らし』、『月光』なんかではその強気さがいい方向に出ててよかったです。「これホントにマタニティか!?」というツッコミはありますが(笑)。

 休憩を挟んでの後半はマタニティビクスの実演に始まり(この辺がさすがプレママコンサート)、ソプラノが出てきて『パパゲーノ』や『アヴェ・マリア』を歌ったり、バイオリンが出てきて『ツィゴイネルワイゼン』弾いたり、なかなかバラエティに富んだコンサート内容でした。欲を言えばバイオリン、『ツィゴイネルワイゼン』やるならもっと頑張ってほしかった・・・。まぁ私の中でこの曲はハイフェッツの演奏が非常に強く頭にこびりついてしまっているので、それと比べるのはさすがにかわいそうな気もするのですが。

 というわけで、マタニティ・クラシックを堪能した休日でしたとさ。ちなみに現在胎教・情操教育として、寝る際のBGMを毎夜選定していたりします。例えば、こんなCD達です。

『The Night Music』 アンドリュー・マンゼ指揮イングリッシュ・コンサート
『ルクレール:VN・ソナタ第3番』 グリュミオー
『The Melody At Night, With You』 キース・ジャレット
『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』 グレン・グールド
『モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8・11・15番 <<キラキラ星>>の主題による変奏曲』 クリストフ・エッシェンバッハ

 等です。何故かエッシェンバッハのCDがAmazonでもHMVでも見つからなかったので、比較的内容が近いCDのリンクになってます。


2006年11月26日日曜日

初対面

 今日は午前中、妻と一緒に産婦人科に行った。妻は妊娠5ヶ月。3週間に一度の定期健診で、初めて私も一緒についていった。これまでは妻が一人で通院していたので同伴は初だ。現在のところ経過も順調なので、同伴の目的はお腹の中にいる子供との対面になる。病院に行く度に超音波写真は撮ってもらえるので、写真ではまだただの袋にしか見えない頃から見ているが、実際に動く姿を見るのは当然初めて。嬉しいような恥ずかしいようなおっかないような、そんな微妙に入り混じった気持ちで待合室に座っていた。

 妻が通っている病院は古い個人経営の病院で、最近流行の4Dエコーはない。ので、伝統の(?)2Dエコーでお腹の子供と初のご対面となる。先生が器具を妻のお腹に当てると、画面にぼやっと白黒のグラデーションで曖昧な壁に囲まれた空間が現れる。少し位置を調整していくと、今度はその真っ暗な空間の中に、白く丸い輪郭が浮かび上がってくる。

「これが頭だよ」

 言われるとなるほど、人の頭に見える。「ちゃんと脳みそも入ってるね」とは先生の談。頭の中央にぼんやり見える線がどうやら、右脳と左脳の分け目らしい。そしてまた少し位置を調整していくと、今度は体や、手足が見えてきた。暗闇から白い輪郭が浮き上がってきて姿を見せるその映り方は、何故か「もきゅっ」という擬音を頭によぎらせた。「もきゅっ」と浮かび上がってくるのだ。めそかよ!お腹の子供は手足を上下に小さく動かして、たまに頭を回したりして動いている。先生曰くお腹の中の子供はほとんどの時間寝ているので、動いている姿を見るのは実は意外に難しいらしい。その意味では、今日は運が良かったようだ。でも、見ているうちに眠ってしまって、すぐに動きがなくなってしまったのだけれど(笑)。

 初対面というよりは、まぁどちらといえばのぞきに近い形だけれど、ともあれ自分の子供が動いているのを初めて見た。まだ深く大きな感動というほどではない。けれど確かに新しい命が息づいているんだなと感じた。不思議なものだ。子供。自分の遺伝子と、妻の遺伝子が受け継がれている。どういう形でかはまだ全然わからないけれど。男か女かすら、まだわからないけれど。とりあえず、"実感"という言葉が実体になりつつある。自分は、親になる。どんな子供が、生まれてくることか。まぁ、なんか一癖あるのが出てくることは確かなんだと思うのだけれど(苦笑)。

 というわけで子供が生まれてくるのは、来年5月上旬の予定となっております。

2006年11月24日金曜日

PORT ELLEN - ポートエレン17年 プロヴナンス

PROVENANCE ポートエレン17年
Distillery : PORT ELLEN

Years : distilled in 1982-Winter and bottled in 2000-Winter, aged 17 years

Area : Islay

Bottler : PROVENANCE

Cask Type : Unknown

Product : 43% vol, 700ml

Price : 7,000yen

Remarks : -


 1983年に閉鎖され、もう今後は残っているストック分しか出てこない蒸留所、ポートエレン。「最も閉鎖されるべきではなかった蒸留所」という声も多く、その美しい名前の響きと味わいを惜しむ愛好者は多くいます。今回私が手にしたのは1949年操業の老舗ボトラー、ダグラス・マックギボン社がノンチルフィルター&ノンカラーリングで瓶詰めしているブランド『プロヴナンス』の17年もの。このプロヴナンスは他にも19年、22年、23年、25年、そして23年と25年のジョン・ミルロイコレクションと、執拗なまでにポートエレンをリリースしています。何でも創業者のダグラス・マックギボン氏が最も愛した蒸留所がこのポートエレンだったとか。・・・にしても1ボトラーとしてはストック持ちすぎな気もしますが。また、このプロヴナンスというブランドは蒸留された季節によってラベルの色を使い分けることでも有名。春は緑、夏は赤、秋は黄、冬は青です。今回のポートエレンは瓶にも冬の蒸留と書いてあるので、青いラベルとなっています。

 グラスに注いだ瞬間に、濃い潮の香りに、熟成に使用された樽は公表されていませんが、まぁ濃厚なアンバーの色合いからしても明らかにシェリー樽でしょう、ある程度以上のシェリー樽熟成を経たモルト特有の生醤油のような、しかしマッカランのような甘みはあまり感じない、濃厚ながらもドライな印象を持つ独特の香りが広がります。華やかというのとは違う、重厚でいて、それでいて奇抜な個性も持ち合わせた、落ち着いたアイラモルトの香り。強烈にピートが炊かれたアイラ特有の"正露丸のような"と形容される薬くささが、ラフロイグほどきつくはないにせよしっかりと存在しています。口に含むと、すぐにその香りが口の中一杯に、そして鼻孔の中まで満ちあふれて、まろやかな角のないしょっぱさと、それでいて輪郭がぼやけない枠のしっかりしたシャープな味わいが広がります。そして後口にほんのわずかな麦の甘みと、それ以上の強烈な香りとしょっぱさを残しながら、長く、長く印象を残してなかなか消えていきません。そのどっしりと落ち着きながらも強烈な個性をもった香りと、潮っぽさを常に口の中に感じさせながら最後にほんのわずかな甘みが顔をのぞかせる味わいは、PORT ELLENという優雅で美しい名前に似合わず、そう、まるで晩年のヘミングウェイのような老人が上品で暗いバーのカウンターで一人どっしりとかまえて飲むような、そんなモルトのように思えます。将来、このモルトが飲めなくなるのは確かに惜しい。重厚な個性が素晴らしいモルトです。

 余談ではありますが、このポートエレン蒸留所が閉鎖された1983年はモルトにとって大災厄の年。このポートエレンの他にもバンフ、グレンアルビン他いくつもの蒸留所が閉鎖されています。80年代はモルト大不況の時代で、倒産したり生産の縮小を余儀なくされる蒸留所がたくさんありました。以前紹介したローズバンクが閉鎖されたのは1993年ですが・・・。その後のモルトブームまで生き残ることができなかった蒸留所達。このポートエレンやローズバンクは、確かに閉鎖されるべきではなかった。まったく性格は違いますが、どちらも実においしい、素晴らしいモルトを作ってくれています。これほどのモルトを作る蒸留所が閉鎖に追い込まれる。どの世界でもそうですが、いいものが常に生き残るとは限らない。このモルトを飲んでいると、色々とそんな世界の理不尽さにまで考えがいってしまいます。


2006年11月21日火曜日

晩秋・雨・平日・夜・バス

晩秋の重い霧雨の夜、家路のためにバスに乗る
最終間際の小さなバスに、うつむき無言の人が詰まる
病的に、震えるバスの、蒼白の弱い灯の中で、
立つ人の影がぼんやりと、重なり闇を下に落とす

ずっしりと沈んだ空気の中、引きずるようにバスは進む
人を乗せて、雨を乗せて、重苦しい坂をバスは進む
今日を乗せて、闇を乗せて、湿った道をバスは進む

2006年11月19日日曜日

音楽の指向性と20世紀音楽

 最近、ワーグナーやマーラー、ストラヴィンスキーといった、19世紀後半~20世紀の作曲家の、比較的編成の大きな歌劇や交響曲的なものを改めて真面目に聴いてみている。実は、そんなに好きではなかったのだ。彼らの作品が好きではないというよりは、そもそもある程度以上編成の大きな音楽が好きではなかったのだ。具体的には弦と金管が両方必要になる程度の大きさの編成になると、もう毛嫌いしていた。だから自分でかける音楽は、大きな編成のものでもせいぜいバッハの管弦楽組曲か、モーツァルトのシンフォニーくらい。ベートーベンのシンフォニーは余程気分が乗っていないとかけない。そんな感じだったので、巨大な編成を必要とするワーグナーやマーラーなんて、そもそも真面目に聴こうとすら思っていなかった。例外として、ショスタコーヴィチだけは昔から好きだったのだけれど。

 そもそも、大編成の交響曲や歌劇があまり好きでなかったのには明確な理由がある。それはひとえにそれらの音楽があまりに外向きに過ぎるからだ。音楽は編成が大きくなればなるほど、当然ではあるが自分一人の中に対する指向性だけでは解決ができなくなってくる。それは指揮者に対する指向であったり、あるいは他の楽団員に対する、自分以外の音や空気に対する指向性であったり、とにかく意識のベクトルを外に向けざるをえない。自然、音楽それ自体も一個人の意識の内面に潜っていくというよりも、外に、世界に対して働きかけるような形で作用する。個人の中に潜っていくのではなく外の世界へ。大編成の曲は、もはや音楽作品自体それがそのような指向性を持ってしまうし、それを演奏する側も聴く側も、無意識のうちにそういった指向性の元に音楽を表現し、体験する。ベートーベンやワーグナーの壮大な音楽や、その他現在では退廃音楽と呼ばれている様々な作品達がナチス・ドイツに利用され、旧ソ連の共産体制の中ショスタコーヴィチの音楽が(物議を醸しながらも)政治的に利用されたことも、それらの音楽が持つ外向性を所以とするのは明らかだ。大編成の音楽は、個人に向かうのではなく世界に、社会に向かう。音楽が政治的に利用されたから嫌いだと言っているのではない。単純に、私はそういった外向性を音楽には求めていない。それだけのことだ。

 そもそも音楽は、元々は祈りから始まった。原初の祈りが宗教行為だったとして、その祈りは個人的なものだったのか、それとも社会的なものだったのかというのは諸説あるところではあるが、明らかなこととして、原初の祈りは人や人が織りなす社会に対してではなく、人の力が及ばない自然や超自然に対して行われていた。その超自然が形を変えると神となる。その祈りのバリエーションの一つとして始まった音楽も、元々は言ってしまえば神に対して捧げられるものであった。だが、それは時代とともに次第に人の立つ地平にまで降りてくる。いわゆるアーリー・バロックの時代に既にその傾向は見られる。その当時の西洋音楽はほとんどが教会で演奏される宗教音楽の範疇にあった。それでも少しずつ、楽器の技法を駆使するための楽曲や、作曲技法のための楽曲、そして直接的に人に対して捧げられる音楽が出始めてくる。ただ、この頃はそれでもまだ、音楽は個人のものだった。神を存在理由とする音楽は、最終的には内省へ向かう。

 音楽が本格的に社会的になっていくのは、やはりベートーベン以降だろう。彼の交響曲第3番『英雄』は、その意味で音楽史的にも音楽精神史的にも、非常に大きな転機となったことは間違いない。フランス革命に欧州中が動揺する中、神に対してでも貴族に対してでもなく、初めて明確に政治的な意図を持って"民衆"のために書かれ、そして受け入れられた音楽。ここに至って本格的に、音楽は神から人へとその対象を変える。そして今に至るまで、音楽の捧げられる対象は人から神へは返っていない。私の考えではその後、シェーンベルクやベルク等の新ウィーン学派が調性や旋律の解体を始めた辺りから今度は無意識から意識へという音楽作用の対象のシフトが行われていくのだが、そこまで語り始めると長くなりすぎるので今は口をつぐむ。

 そのように、外向的な傾向を持つ音楽を私は好まなかった。どこまでも、奥深く自身の意識・無意識の深みにはまっていけるような、そんな内向的な音楽ばかりを好んでいた。また機会があればこれについても語るが、そう考えると私自身のバロックと現代曲という極端にアンバランスな音楽傾向も一応理論的な説明がつく。逆に言えば、ベートーベン以降から第二次世界大戦以後数十年の音楽は、ギターやピアノの独奏、弦楽四重奏等の一部の例外を除けば基本的に私自身が避けて通ってきた音楽になる。最近は、そういった音楽も避ける前にまず聴いてみようと思い直したわけだ。

 きっかけは、『20世紀音楽 クラッシックの運命』という本を読んだことだ。音楽は、特に外向的な性質を持つ19世紀後半~20世紀半ばまでのものであれば尚更、歴史とも大きな関わりを持つ。音楽を考えていくことは歴史を、人が辿ってきた精神史を考えることにもつながる。そこに興味を持った。

 私の音楽に対する基本的な考え方は、歴史や背景等は音楽を聴く際には極力意識しないことだ。ベートーベンはフランス革命の動乱の中、自身の難聴の苦悩の中で『英雄』を書いたかもしれない。ショスタコーヴィチは当局の厳しい目をかわすために、敢えて交響曲第五番をアイロニカルに書いたのかもしれない(彼が後に語ったところによれば、あの最終楽章のフィナーレは「勝利の讃歌などではなく、"ほら、喜べ!"と強制された凱歌」だそうだ)。スペイン内乱の中で曲を書き続け、最後はフランコ派に処刑されてしまったアントニオ・ホセは、どのような心境であの『ギター・ソナタ』を書き綴ったのか。

 ただ、そんなものは音楽それ自体には関係がない。音楽は、それが生み出されたコンテクストとは関係なく、ただそれ自身無垢に人の心を揺さぶる力を持っていなければならないというのが私の考えだ。だから、曲を聴く時には音楽それ自体に集中し、そのような背景は考えないようにする。そういった聴き方をしてきた。音楽は、作曲者や演奏者は理論や歴史・背景等を学び、糧とする義務があるが、聴く側にとっては逆にそういったものは音楽自身に対する印象のノイズとなって働くというのが私の考えだ。作曲者や演奏者が理論や歴史背景等を学ばないのはただの怠慢で、そこで得た知識的なものも含めてそれを如何に音楽に組み込んでいくかが送り手としての音楽家の責務となる。逆に、受け手は(少々残酷に過ぎるようだが)そういった音楽自身以外のコンテクストは排除した上で、純粋に音楽を享受することで音楽それ自身の価値を体験しなければならない。そう考えていた。大雑把にまとめると、音楽の送り手としての作曲者や演奏者は、知らなければならない。音楽の受け手としての聴衆は逆に、知ってはいけない。それによって、送り出された音楽がそれ自身の力によって受け手にどのように解釈されるか、どのように影響を与えるかといった音楽それ自身の力が試されるのだ。ただ、敢えてそこまで音楽に対して純粋さを求めるのでなくても、歴史背景や音楽史の流れを意識しながら聴いてみるのも、それはそれで面白いのかもしれないと思い始めた。例えそれが時に音楽に対する色眼鏡として働くことがあるとしても。その色眼鏡を作り出す力もまたある意味では音楽の力なのかもしれない。

 そう思いながら、ワーグナーやマーラー、ストラヴィンスキーといった、19世紀後半~20世紀の作曲家の、比較的編成の大きな歌劇や交響曲的なものを改めて真面目に聴いてみている。マーラーの交響曲第二番『復活』など、実に劇的で壮大で、美しい。やはり、喰わず嫌いはしないにこしたことはないものだ。


2006年11月15日水曜日

2006年11月13日月曜日

CD大量購入

 久し振りにCDを大量に購入しました。といってもAmazonHMVで数週間のブランクを空けて別々に頼んでいたCDが、奇しくも今日一気に届いたという話なのですが。最近はネットでCDを買う時、AmazonHMVを使い分けています。それぞれ、長所と短所があるのです。

 まずHMV。ここで何よりも魅力なのがいつ終わるのかわからない"輸入盤CDどれでも3点買うと25%オフ"。文字通り、ジャンルも価格も何も問わず、とりあえず輸入盤を3枚まとめ買いすると問答無用で25%オフになるというキャンペーン。クラシックならこれと"EMI Classic 2点買うと20%オフ"のおかげで色々なCDがかなり安く買えます。これらのおかげで価格的に実店舗のHMV渋谷店、タワーレコード渋谷店、そしてAmazonと比べてもダントツに安くなる。まぁクラシックは基本的に日本盤買いませんからね。日本盤は何故か音質がよくない。ライナーノーツが読みたいなら英語があれば問題なし。この輸入盤3枚で25%オフはかなり魅力です。知る限りこの半年くらいずっとこのキャンペーン続いてますが、いつ終わるんでしょうか?ずっと続いていてほしいものです。HMVはポイントも付くので、たまればさらに割引が付くのもいいところです。

 そしてAmazon。ここは何と言ってもその圧倒的な品揃え。HMVオンラインは実店舗と比べれば遥かに品揃えはいいですが、やはり特にクラシックはAmazonと比べると品揃えが全然悪い。といっても普通のクラシック愛好者が聴くような一般的なものがないということはないのですが、例えばここ数年私がハマっている作曲家ビーバーの代表作『ロザリオ・ソナタ』で、ラウテンバッハー演奏の盤が素晴らしい名演らしいと聞きつけて探したときなんかはHMVじゃ全然引っかからないのにAmazonではすぐ見つかりました。圧倒的な品揃えにA9検索エンジンによる強力な検索。これがAmazonの最大の魅力であり武器です。マニアックなCDを探す時はHMVで見つからなくてもAmazonなら見つかる。他にも今回Amazonで買ったステファノ・グロンドーナのアルカス作品集『La Leona』なんかもHMVじゃ見つかりませんでしたが、Amazonでは普通にすぐ検索に引っかかって他の注文分も含めてちゃんと一週間くらいで届きました。マーケットプレイスを含めれば廃盤であっても手に入れられる可能性が大いにある無限の在庫に、A9検索エンジンの精度の高い検索。そういう意味ではやはりオンラインショップ最強はいまだにAmazonです。

 というわけで、CD探す際はとりあえずHMVの方が安いのでまずHMVで探して、なければ次はAmazonというのが最近の私のネットでのCD購入パターンです。ちなみにですが、本日届いた分ではHMV4枚、Amazon3枚でした。正確には2枚組とかあるのでもう少し枚数増えますが。


2006年11月12日日曜日

風邪ひき

 風邪をひきました。一昨日くらいからなのですが、どうも風邪ひくのも久し振りだなぁと思っていたら、なんとしっかり4月にひいてました。人の記憶なんて当てにならないものです・・・。

2006年11月6日月曜日

水難の三連休

 この三連休はなかなか水難の相が現れていました。何だったかのTVの占いでは今週末最もハッピーなのは私のさそり座だったはずなんですが・・・。ともあれこの連休中、見事に三つの水難にあったのです。

 水難の一つ目は金曜夜、家で鍋をしようとしていた時のことでした。豆乳鍋の素を買ってきて、一緒に土鍋もコンロも買ってきて、意気揚々と鍋を始めました。土鍋の蓋を閉めて、火を着けてしばらく待ちながら豆乳鍋の説明を読んでいました。「ふむふむ、豆乳の性質上、非常に吹きこぼれやすいので気をつけてくださいか、なるほど」等と思っていたら、ぼちぼちグツグツと煮える音がしてきます。「じゃあ蓋を取ろうか」と思ってみると、鍋つかみがウチにはないことに気が付きます。皆さんご存知のことと思いますが、土鍋の蓋なんて素手ではとてもつかめたもんじゃありません。やばい、どうしようかと思っているうちにみるみる間に豆乳が吹き出し始めました。鍋の蓋の周りにフツフツと泡を作ったかと思えば、次の瞬間には一気にドッと溢れてきます。ナウシカで腐った巨神兵が崩れて周囲を浸食していく様さながらに、豆乳が鍋から外に一気に押し寄せてくるのです。ジューッと、豆乳がコンロの火を消してしまいます。コタツテーブルの上一面にもあっという間に広がり、床にまで垂れてきます。それは一瞬の出来事でした。「なるほど、確かに非常に吹きこぼれやすいな・・・」と、妙に感心したとのことです。まぁ、冷静に考えれば蓋を開けるのに手間取っている間に、まず火を弱めればよかった話のような気もしますが。

 次の水難は土曜の昼。私は金魚の水換えをしていました。水槽の水をポンプでバケツ一杯分汲み出して、そこに水草と金魚を入れます。そして残りの水をポンプで排水してから水槽の掃除にかかるわけです。その残り水を排水している際に、部屋のチャイムが鳴りました。以前購入していたダイニングテーブル・コタツの配達です。慌ててポンプを水槽から外して出たはいいのですが、何とそのとき、ポンプの排水口を床の上に置いたまま出てしまったのです。当然、戻ると床は水浸しになっていました・・・。やれやれです。

 最後の水難は同じく土曜の夜、私は食事をしながらワインを飲んでいました。ワインを飲む際は、普通の750mlのものなら大抵二日に分けて飲みます。一人で空けるのなら大体それで適量といったところなのですが、その日はワインがたまたま好みに合っておいしかったもので、グイグイと一気に一本空けてしまったのです。それでもその時は気分がよかったのですが、後からが大変でした。朝方にもの凄いむかつきと頭痛で目覚めます。喉も舌までカラカラです。とりあえず水を飲んで、激しい頭痛と悪心に耐えながら布団の上をのたうち回ります。胃からこみ上げてくるものを感じたので、必死でトイレまで我慢してリバースの儀式を行います。いやー、久し振りに、たまりませんでした。その後吐くところまで行ってしまった際の飲み過ぎのリーサルウェポン、五苓散を飲んでしばらく耐えていると頭痛も吐き気も落ち着いてきて、再び眠りにつくことができたとのことです。しかしたかだかワイン一本でそこまでひどい症状が出てしまうとは情けないものです。最近、どうも以前より酒の回りが早くなったような気がするのですが、疲れてるんでしょうかね・・・?

 ついでに、五苓散について少々説明しておきましょう。五苓散は文字通り5つの生薬が配合された漢方薬で、大雑把にいうと体内の水分循環の不調和を改善する薬です。5つの生薬の内4つまでが体内の水分の調整を行う役割を担っているところからも明らかです。この薬は口の乾きや胃水停滞といった症状を処方の目安に、体の中で滞った流れを改善して吐き気や下痢やむくみなんかによく効く薬です。実は、二日酔いっていうのはこの水分循環の不調和以外の何物でもありません。口の乾き、胃に残った酒や食べ物はつまりは胃水停滞です。以前やはりひどい二日酔いのとき、元々は強い嘔吐をともなう風邪をひいた際に処方された五苓散が残っていたのを思い出し、原理的に効くはずだと思って飲んでみたらこれがまたビックリするくらいよく効いたのです。吐き気も頭痛も口の乾きも、通常では考えられないくらい早くスッと引いて、しかも起床後への影響も大きく軽減できるのです。ウコンは二日酔い防止には非常な効果を発揮しますが、いざ吐くくらいまで飲み過ぎてしまうとそこまでの効果は期待できません。ひどい二日酔いには五苓散。私の必殺の処方です。よく見ると、カネボウだけは効能に二日酔いも入っています。五苓散は薬局でも購入できるので、よく飲み過ぎてしまう方は常備薬として持っておいてもいいのではないでしょうか?

 ともあれそのように、何だか無駄に3回も水難にあった連休でしたとさ。どっとはらい。


2006年11月3日金曜日

デイヴィッド・ラッセル@東京文化会館小ホール

 というわけで行ってまいりました、ラッセルのコンサートです。私が最も敬愛するクラシック・ギタリストの一人、デイヴィッド・ラッセル。見逃すわけにはいきません。元々David Russellのカナ表記は"デビッド・ラッセル"にしていたのですが、パンフに合わせて今回から"デヴィッド・ラッセル"に変えます(?)。今日のコンサートに確実に行くために、会社は一日休みまで取りました!いや、下手に定時退社とか考えてると逃げられない電話がかかってきたり、いきなり急な仕事が入ってきたりする危険性があるので、確実に観るためには休むしかないという・・・。そもそもクラシック・ギターのコンサートに行くこと自体実は相当久し振り。そりゃ気合いも入ろうってもんです。

 今回の会場は東京文化会館小ホール。前回はトッパンホールだったので、会場のランクは一気に上がっています。トッパンホール、ギター独奏は非常によく響くいいホールなのであそこはあそこでいいと思うのですが。とはいえ今回の東京文化会館小ホールも昔から独奏楽器の演奏では東京有数の響きの良さを持つと定評のある伝統・格式のある場所。以前福田進一のデビュー20周年記念リサイタルの際もここに来ましたが、確かにギターも非常に綺麗に鳴る箱です。この会場変更は、きっと彼のCD『Aire Latino』がクラシック器楽ソロ部門でグラミー賞を受賞した故でもあるのでしょう。ランクアップです。

 ジュリアーニの『大序曲』から始まる今回のコンサート、一曲目からいきなり楽しみです。人身事故で山手線と京浜東北線が遅延しているとかで10分押しで始まりました。『大序曲』と言えば私がクラギタに入ったばかりの1回生の頃、きよと京都アスニーに尚永ギター教室の発表会を見に行った際に京大の聖帝が弾いていた曲です。その演奏を聴いて受けた衝撃は計り知れませんでした。私がまだタルレガ教則本の初めの段階で苦戦していた当時、こんな曲をこんなに見事に弾いてみせる同回生は何者かと。それ以来、私の中では密かに聖帝のテーマ曲はこの『大序曲』になったとのことです。ちなみにその数年後に本人に訊いてみたところ、「大序曲?あーまぁ得意のうちやなぁ」という実に淡白なお返事をいただいたとのことです(笑)。

 というわけでラッセルの『大序曲』です。正直、これがどうもイマイチだったのです。なんか音も全然響いてこなくてか細いし、持ち前の透明感のある音色も生きてません。何よりも曲の解釈が全然気に入らなかった(笑)。『plays Bach』の中のシャコンヌを聴いた際も思ったことですが、どうも彼はたまに揺らす必要のないところでテンポを揺らして、それが結果として音楽の軸をずらしてしまうことがあるように感じます。今回の『大序曲』も妙なところで不自然にテンポを落としたりして揺らされるせいで、この曲特有の華やかな疾走感が失われてしまっていて好きじゃありませんでしたね。この曲はテンポを揺らすことで情感を表現しようとするよりは、そこは音色と強弱だけにまかせて基本インテンポでキッチリ弾ききった方がいいように思うのですが。前回は一曲目の『悪魔の奇想曲』から一気に引き込んでくれたラッセルですが、今回は出だしイマイチのようです。

 とはいえそこはさすがラッセル、2曲目のJ.S.Bachの『無伴奏フルート・パルティータ イ短調 BWV1013』ではいきなり音の出もよくなって、和音の透き通った美しい響きも、単音の暖かく優しい音色も、天井が非常に高い東京文化会館小ホールの空間全体に鳴り始めるのです。そして前半最後のグラナドスの『詩的ワルツ集』と、プログラムには載ってないけれど急遽演奏してくれたメルツの『ハンガリー幻想曲』。これらの2曲が最高でした。『詩的ワルツ集』はCD『Reflections Of Spain』内でも素晴らしい音色と演奏を聴かせてくれていて、今回のコンサートでは前々から楽しみにしていた曲目です。いやー、よかった。最初の入りの和音が生で聴くとCD以上に実に美しい。ラッセルの和音はまるで鳴った瞬間にきらめき、瞬いているかのよう。暖かく、優しくなめらかな単音の旋律が、和音の旋律に変わった瞬間に音が本当にきらめいているように感じる。ただ音が複数同時に鳴っているのではなく、ただ響いているのでもなく、複数の音がお互いを昇華させながら一つになっているイメージ。ラッセルのこの和音の響きの美しさはどこからくるのでしょう?他のギタリストでは決して出せないラッセル最大の魅力はまさにそこにあると思います。

 前半最後に急遽演奏された『ハンガリー幻想曲』、これがまたよかった。きらびやかな星のようなイメージの『詩的ワルツ集』での和音の音色とは打って変わった、重厚で地面に沈み込むような和音で入り、最後テンポを上げて疾走していくところではもう観客をしっかりとリズムに引き込んで気持ちよく引っ張っていく。個人的には山手線・京浜東北線の遅れのせいで曲の合間合間に毎回大量の人がホール内に入ってくるような状況だったので、最初の曲目を聴き逃した多数の観客のために一曲弾いてくれたのかなと思っているのですが、何にせよこの『ハンガリー幻想曲』を聴けたのはよかった。実に素晴らしい演奏でした。やはりラッセルには19世紀の曲はよく似合います。

 そして後半、ダウランドの小品を4曲から始まり、ソーホの『5つのヴェネズエラ小品』に至るまで、しっかりとホールをその演奏で包んでくれました。ちょっとダウランド、4曲目の最後終わる時に弦がヴィィィィン・・・とか鳴ってしまって観客共々苦笑いなんていう場面もありましたが。アントニオ・ラウロの師であるソーホのこの小品集はジョン・ウィリアムズが『エル・ディアブロ・スエルト』に収録している曲です。リズム感を心地よく感じられるジョンの演奏もよいですが、情感溢れるラッセルの演奏もまたよかったです。

 アンコールは3曲。一曲目はシンプルな旋律でラッセルの美しい音色を堪能できる非常に素晴らしいスペイン風の小品だったのですが、これがなんと曲名がわからない(苦笑)。とてもいい曲だったので、誰か曲名教えてください。グラナドスかなー、もしかしたら『献辞』かなー、と思って聴いていたのですが、後で『献辞』を聴いてみたら違ってた・・・。後はマラッツの『スペイン・セレナータ』、そしてアンコール止めはバリオスの『最後のトレモロ』。2回生の頃自分でも弾いた大好きな曲ですが、ラッセルの『最後のトレモロ』はトレモロが歌う旋律が非常に美しく情緒にあふれていて、思わず目を閉じて聴きいってしまうほどに素晴らしかったです。終演後もしばらく続く感動の余韻は、久し振りのギターコンサートのせいもあり相当心地よかったとのことです。いやー、よいですね、やっぱり。


2006年10月30日月曜日

祖父からの電話

 夕方、16時半くらいだろうか。実家から電話がかかってきた。いつものパターンだと9割方は母からなので、そのつもりで電話に出てみると、実際は電話の向こうで話していたのは祖父だった。TVを観ていたら佐賀の有明海に天皇陛下が訪問されたというニュースが流れていて、それで何となく電話をかけてみたらしい。私の妻は佐賀出身だ。そうでなければ、佐賀のニュースなんて気にもとめなかったんだけど、とは祖父の談だ。本当に、特に用事があるわけではない、それだけの世間話の電話。何となく、不思議な感じがした。

 祖父がこのように自分から電話をかけてくることは滅多にない。もしかしたら、今回が実家を出て以来初めてだったかもしれない。だからこそ、不思議な感じがしたのだろう。昨晩から一緒に暮らしている父と母は出かけていたそうで、もしかしたら祖母も出かけていて、話し相手がほしかったのかもしれない。まぁでもそれでも、そのくらいのことで電話をかけてくる人ではない。

 うまくは言えないが、こういったこともある種の縁なのかもしれない。私が妻と結婚して、その妻が佐賀出身でなければ、今日のその天皇陛下の佐賀訪問のニュースはきっと祖父の耳には聞き流されていたことだろう。祖父の世代の新潟県民にとって、佐賀は関心事とするにはあまりに遠い。それが今はこうして佐賀のニュースを聞く度に関心を寄せるようになり、それが一つの行動を起こさせるくらいにまでなった。それは実は結構、大変なことだ。本当に、これまで祖父から直接電話をもらったことなどほとんどないのだから。そして何故だろう、私は今日のこのことを、ずっと覚えていなければいけないような気がするのだ。それはつながりの、証として。

2006年10月28日土曜日

無題

 随分、長い間を空けてしまった。忙しかったこともある。考えていたこともある。単純に、書きたくなかったということもある。この世界はおかしい。資本主義の気持ち悪さ、世を支配する一神教の原理、そのアンバランスさは、その原理が前提となった今となっては実はあまり気付かれない。中沢新一に言わせると、それらの原理は意識・無意識の在り方や、ひいては自と他の関係の在り方に根本的な歪みをもたらす。人は、心の成り立ちのレベルで今の世の在り方のようにはできていない。

 否定することは簡単だ。実際、否定はしている。ただし、それとこれとは別問題だ。外に出てわかることもあれば、中でしかわからないこともある。離れることも勇気なら、留まることもまた勇気だ。ただし、留まる以上は踊らねばならない。踊らされる前に、自ら進んで踊らなければいけない。踊らされるな、自ら踊れ。周りが見とれてしまうほど。単純な話は、実は何よりも難しい。

2006年10月16日月曜日

無題

 書きたいことはあれど、情報や考察が足りずに文章にできないとか、そもそも書く気力がなかなか湧いてこないとか、色々とある。過去にもスランプは何度かあったが、今度のは割ときつい。語るべきものが中にあっても、それは表に出てこない。上っ面だけでも言葉を並べようとする前に、キーボードに向かうことに挫折する。横になって、気づけば朝だ。それでも会社には定時に出て行く。何かが、違う。社会的には、正しいのだが。

2006年10月9日月曜日

北原白秋『落葉松』(水墨集より)、そして『働きマン』

 一
 
 からまつの林を過ぎて、
 からまつをしみじみと見き。
 からまつはさびしかりけり。
 たびゆくはさびしかりけり。

 二
 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。
 三
 
 からまつの林の奥も
 わが通る道はありけり。
 霧雨のかかる道なり。
 山風のかよふ道なり。
 四
 
 からまつの林の道は、
 われのみか、ひともかよひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。
 さびさびといそぐ道なり。
 五
 
 からまつの林を過ぎて、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 からまつはさびしかりけり、
 からまつとささやきにけり。
 六
 からまつの林を出でて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。
 七
 
 からまつの林の雨は
 さびしけどいよよしづけし。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 からまつの濡るるのみなる。
 八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 常なれどうれしかりけり。
 山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。


 『働きマン』というマンガを読んだ。以前深夜にTVを観ていたら(まぁ私がTVを観るのは大抵深夜0時過ぎではあるのだが)、このマンガがアニメ化されるというのでその特集をやっていて、それを見てちょっと気になっていたのだ。この週末、歯医者の帰りに古本屋に寄ったら売っていたので一つ所望した。

 この『働きマン』というマンガもさすが最近レベルの高いモーニング誌の中でも不定期連載という立場でありながら話題をさらっているだけあって非常に面白い。また、働くということについて色々な角度から、色々なキャラクターから眺めているので、一応人並みに働いている身としてはなかなか考えさせられることも多い。これは基本1話か2話で一本のストーリーが完結し、ストーリーごとに色々な人物に焦点を当てて、様々な視点から仕事を切り取るという手法がなせる技だろう。この『働きマン』についてはこれはこれでまた別途書きたいところではあるのだが、実はこのマンガを読んで一番心に響いたのが、作中で引用されているこの北原白秋の『落葉松』(←「からまつ」と読む)。実に、静かで、それでいて侘び寂びがあり、それでいながら沈みきっていくのではなくふっと前を見て進んでいく前向きさも感じられる、非常に美しい詩だと思った。作中の引用は抜粋だったので、すぐにネットで全文を検索して調べてみた。便利な世の中になったものだ。

 作中では自分ではこだわりをもって仕事をやっているつもりなのに、なかなか周囲とはずれて理解されない中年(だろう)男性との比較描写で使われる。

からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。

 というわけだ。仕事をしていると(特に多忙きわまりない時に)ときたま感じる寂しさや侘びしさに近い感情を、この描写は間接的ではあるがなるほど非常に見事に描写している。そしてまぁ色々とすったもんだあるわけだが、最後にこの物語は、そして北原白秋は、こう締めるわけだ。

世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

 実に、美しい。「さびさびといそぐ道」の先の、希望が見えてくる。

 余談ではあるがこの『働きマン』、アニメ版のテーマソングはユニコーンの名曲『働く男』のPUFFYによるカバー版だそうだ。この選曲もなるほど、絶妙である。


2006年10月8日日曜日

さて、

 今日は久し振りに本当に予定のない、純粋に空白の日曜日。さて、何をしよう?何もしないのも、たまには一興かもしれないが。

2006年10月6日金曜日

裏返し

 「美しい国」というのは、逆から読むと「憎いし苦痛」になるそうだ。まぁだからどうというわけではないけど、面白いね。

2006年9月25日月曜日

横浜軽自動車生活

 横浜の道をスズキのアルトで走ることにも、もう大分なれてきた。初めての道でも、まぁ何とかいけるものだ。駐車場がイチイチ満車だったりわかりにくかったりと入れづらいのが都会の難点ではあるが。やはり車はあればあったで便利なものよ。

2006年9月23日土曜日

作らなければ壊せないが

 チベット仏教の僧侶たちはしばしば砂マンダラを作ります。色の付いた砂を少しずつ落としていってマンダラを描いていくのですが、彼らは、作った後で壊すことがわかっていて作るのです。マンダラの儀礼では、完成したマンダラを壊すということが儀礼の中に組み込まれています。自分たちが作っているものが無に帰すことがあるということを知りつつも僧たちは作ります。

 それと同じように、自分の歩みが、必ず否定される時が来るのだということを含みながらする、それが哲学であり、神学なのです。では初めから何も作らなければよいではないか、と思われるかもしれません。そうではないのです。作らなければ壊せないのです。壊すために作るかというと、そうでもないのです。われわれが生きていくということは結局そのようなことではないでしょうか。

立川武蔵著『聖なるもの俗なるもの』講談社選書メチエより


2006年9月18日月曜日

夜、池袋へ

 今日はきよとのざてっちゃんが東京に出てきていました。会おうと話をしていたのですが、仕事が入ってしまってしかもなかなか区切りがつかず、やっと終わったのが21時過ぎ。今回は一日自宅で作業をしていて、二人が飲んでいる場所は池袋。「・・・順調にいって一時間ってところかな。23時前には着けるだろう。よし、一時間は飲める!」と家を飛び出しました。

 21時40分のバスに乗り日吉駅へ。21時49分の電車で渋谷へ。渋谷に着いたのは22時10分過ぎでした。渋谷から池袋に出る手段は大きく2つ。山手線で地道に行くか、埼京線/湘南新宿ラインで一気に行くかです。前者は確実だが時間がかかり、後者は新宿→池袋と一気に行けるので早いが本数が少ない。おまけにホームが遠い!「とりあえず、JRの乗り場に行って確認だな」ということでJRに向かいます。すると22時16分に埼京線が。あと2分です。・・・走りました。おかげで22時半という奇跡的に早い時間に池袋に到着できたとのことです。

 しかしまぁ、特別な何かがあるわけでもゆっくりと深い話をするでなくても、やはり心の許せる友人と話すということはいいものです。今回はわずか一時間半ばかりの短い時間でしたが楽しかったです。

 話は変わりますが、日中家で仕事をしながら、部屋では何故かずっと小さな音量でNHKが流れていたわけですが(単に消すのが面倒だっただけという説が有力)、そこで新潟の民謡特集みたいなのをやってました。有名なのから聴いたことないのまで、新潟の民謡と一口に言っても色々です。驚いたのが三条にも囃子歌があったこと。しかも結構ビートの効いたヤツ。いやー、初めて知りました。っていうかその歌の中では三条の名物は凧になってました。・・・それは白根じゃね?

 またまた話は変わって今度は京都の三条。『三条あかり景色』なるものをやっているらしいですね。"れんが造りの近代建築や町家が並ぶ京都の中心部を、映像と光で演出する"イベントで、京都文化博物館別館や三条大橋、中京郵便局がCGアニメーションや色とりどりのイルミネーションでライトアップされているとか。個人的にはそうした歴史的な風情のある景観を小手先のテクノロジーでどうこうしようというのは邪道なようにも思えるのですが、如何せん実際に見ていないので何とも言えません。誰か、見た人がいたら感想を教えてください。

2006年9月17日日曜日

気づけば、朝

 最近は夜不意に眠ってしまって明け方や下手すれば朝に気づくということが多くなってきている。特にここ二日間はひどい。一昨日はウィスキーを飲もうと思ってグラスまで用意したのに、結局そこにウィスキーを注ぐことすらなく眠りに落ちてしまったし、昨日はいつの間にか眠っていて、せっかく風呂を入れたのに入らないまま朝までグッスリだった。そして今朝起きてこの日記を書いている。どうにも、疲れているのだろうか・・・。

2006年9月10日日曜日

意識と無意識と心の本性、断片

 心の本質は意識か無意識か。人間にだけあって他の動物にはない"心"の本質は意識にあるのか無意識にあるのか。なんとなく、普段僕らは意識を"心"の本性ととらえている。意識を人間の特権と考えている。もしかしたら、違うのかもしれない。一つ言えることは、僕らの心には、あるいは僕らの認識には、あらゆるものの中に相同性・類似性を見つけ"YES"と言おうとする論理と、あらゆるものの中に差異を見つけて"NO"と言おうとする論理、その2つが存在するということ。前者が無意識なら、後者が意識なのかもしれない。

2006年9月7日木曜日

LES FORTS DE LATOUR 2002

 レ・フォール・ド・ラトゥール 2002年もの。これは個人的なお祝いだ。今朝から世間を騒がせている話題とは別物の、ごく私的なお祝いだ。ボルドー一級シャトーのセカンドワイン。香りも味も、とにかく濃い。ワインがずしりと胃に落ちていくのを感じる。後味に長く、長く残り続けるスパイシーな余韻が印象的だ。ワインは正直詳しくない。ボルドー一級シャトーのワインを飲むのなんて(例えそれがセカンドといえど)初めてだ。これがいいワインというものなのかと、ある意味での衝撃を感じながら飲んでいた。これまで飲んでいたワインがまるで水のよう。非常に濃い密度の中に、様々な香りと味がトロンと融合して沈んでいる。そしてそれらが重々しく胃の中にまた沈んでいく。イエス・キリストは最後の晩餐にて「このワインは私の血」と例えたという。きっとそれはいいワインだったことだろう。その重々しさは、確かにまるで濃い血のようだった。その後の受難を語るに足る、重々しさだった。


2006年9月4日月曜日

横浜散歩

 家を夕方6時過ぎに出て、みなとみらいの方へ遊びに行ってきました。目的地はとりあえず港の見える丘公園。横浜の夕暮れを楽しもうという企画ではあったのですが、到着した7時には既に夕暮れは遥か向こう、立派に夜景になっていました(苦笑)。いやー、もう日も短くなったものです。とはいえそこは夜景でも好スポットとして有名な港の見える丘公園。きっちりと横浜ベイブリッジを中心として広がる夜景を堪能させていただきました。

 横浜の夜景は大雑把に2つのエリアにスポットが分かれます。一つはベイブリッジを中心とする白い灯に浮かび上がる大桟橋の下に、浜の倉庫や工場のオレンジ色の光が広がっていく地帯。もう一つはコスモクロックを中心に広がる、白い灯と都会的な輪郭に華やかなネオンが輝くみなとみらいの辺り。どちらも横浜ならではの規模の大きさでなかなか素敵です。横浜の夜景の特徴はやはりその都会的でクールなフォルムと、とにかく平面的に広がっていく灯の分布でしょう。比較的上の方まで灯が来る長崎の夜景とはそこが違います。広い港に平面的に広がる都会の夜景です。

 今日は他に中華街と山下公園にも行ってきたのですが、個人的には横浜の夜景は港の見える丘公園の高い所から見るベイブリッジより、山下公園で海の水面の高さから見る、左手にコスモクロックやクイーンズスクエア、右手にベイブリッジが見えて中央には海が広がる、あの景色の方が好きだなと思います。まぁ夜の山下公園なんてならず者のカップルだらけですが・・・。


2006年9月3日日曜日

夏から秋へ

 空を見たら、もう青空に浮かぶ雲が随分と高く、繊細になっていた。青空高くに浮かぶ鰯雲。真夏のような深紅でなく、淡いピンク色に控えめに空や雲を染めていく夕陽。今年の夏も、もう終わる。いいでもなく、悪いでもなく、季節は変わる。

 四季の変わり目で、夏から秋への移ろいが一番哀しい。夏が終わって秋が来ていることに気が付くのは、毎年空の高さを見てだ。夏がもう終わりに来ていることに気が付くのは、いつも妙に哀しい。春から夏へは、新緑とその木々や葉を照らし、輝かせる太陽の日差しで気付く。この変化はすがすがしく、また少しだけ浮ついた胸騒ぎがする。秋から冬へは、雪が降る一歩手前の、ピンと張りつめた澄んだ緊張感のある空気で気が付く。この変化は哀しいでもなく、嬉しいでもなく、少し雪が懐かしく、同時に逆に身が引き締まる思いもする。冬から春への変化は、開きかけた桜の花に注ぐ柔らかな陽光。また、春が来るかと少し優しい気持ちになれる。

 そう思いを巡らすに、やはり夏から秋への移ろいは他とは違う独特の哀愁がある。『秋に想う』ではそれを"過去の亡霊"と表現した。それは今も当たっているのか。一つの頂点が終わり、終焉に向かっていく。そして終焉からまた新たな始まりが生まれ、頂点に向かっていき、達したところでまた果てる。四季が織りなす永遠のパッサカリア。四季という主題に基づく一つのバリエーションが、また今年も終わりを告げようとしている。

2006年8月28日月曜日

金魚がウチにやってきた

ウチに来た金魚達
 ウチでも金魚を飼うことにしました。小さい頃は喘息だった私は犬や猫を飼うことができず、それでも生き物が好きだったのでずっと金魚や熱帯魚を飼っていたのですが、一人暮らしを始めてからはなかなかそこまで世話する余裕もなかったので飼っていなかったのです。まぁもう世話するのも一人ではないしということで、とうとう念願の金魚がウチにやってまいりました。写真は水槽の様子です。

 土曜のうちに水槽に砂利にフィルター、水質調整剤などを買い込み、水槽に水を張って水草も植えて、後は魚を入れるだけという状態にして一晩待ちます。これは新しい水槽の水質を安定させるために必要な過程でなのです。いくら最近のバクテリア剤がよくできているとはいえ、水槽もフィルターも砂利も新品の環境では水質を保全・維持してくれるバクテリアがまったくいませんし、水質調整剤を入れたとしても水道水のPHや硬度が安定するのには少し時間がかかります。そこにいきなり魚を入れたのでは輸送のショックに不安定な環境が重なり、非常に死亡率が高いのです。ですので、最低でも前日には水槽はセットアップして慣らしておいた方がよいのです。理想をいえば、もう少し慣らし期間は長い方がいいのですが。

 そして満を持して今日は金魚を飼ってきました。今回入ったのは体の白地がかすかに桜色に透けているのが綺麗な桜琉金、赤の発色も尾ひれの形もなかなかいいけど血統的には雑種なMIX琉金、錦模様が独特ならんちゅう江戸錦、そして金魚では唯一地色に青味が入っている青文金(青と言っても鮮やかな青ではなく、黒がかすかに青味がかっているという程度ですが)です。食欲おう盛な桜琉金にはぐれ者のMIX琉金、乱暴者のらんちゅうにのんびり屋さんの青文金と、早くもそれぞれ個性ある性格が出てきていて、なかなか楽しませてくれます。これからコイツらに癒されながら世話をしていこうと思います。


2006年8月22日火曜日

続・熱闘!甲子園

 15回延長引分再試合の甲子園決勝、今日も素晴らしい試合だったようです。私はまんまと録画を忘れ(泣)、昼食を取りながら店のテレビで5回6回を観ただけだったのですが、両チームの緊張感と疲労と意地が伝わってくる好ゲームでした。しかし連投続きにも関わらず9回の最後の打者まで147kmの速球で迎え撃てる斎藤投手は凄い。一体彼の体力・精神力はどこまであるのでしょうか?しかし9回最後に2点を返し、1点差まで追いすがってきた駒大苫小牧の執念も凄かった。この激戦の最後がお互いマウンドを守り続けてきた両エース、斎藤投手と田中投手の対決で幕を下ろしたというのも実にドラマチックで運命的な展開でした。最後田中投手を三振に切って落とし、整列に向かう際の斎藤投手の涙は最後まで何かをなし得た者だけが感じられる至福の涙だったことでしょう。ダイジェストで観てるこっちまで泣けてきました。生で観てたら危なかったかもしれません。クールな表情の裏の熱い魂で感動させてくれた斎藤投手、そして素晴らしい試合を見せてくれた早稲田実業と駒大苫小牧両校の選手・監督にありがとうと伝えたい気持ちです。


2006年8月21日月曜日

熱闘!甲子園

 公約通りTVで観てました、甲子園の決勝 駒大苫小牧VS早稲田実業。結果は皆さんもご存知の通り延長15回の末に両者譲らず引き分け再試合なわけですが、いやー、実に緊張感のある素晴らしい試合でした。駒大苫小牧の田中投手と早稲田実業の斎藤投手、両エースの投げ合い。お互い一歩も譲らない気迫のぶつかり合いは甲子園ならではの熱さがあります。「こういう投手戦は大体ただ一振りだけで明暗が分かれることが多いからなー」とずっと思っていた私は8回に斎藤投手がホームランを打たれた時に「ああ、これは決まったか」と思ったものですが、しっかり早稲田実業もその裏に3番・4番の活躍で同点に返し、そのまま延長に突入。その後もお互いに満塁のピンチを迎えるも乗り切り、結局1対1で引き分けに終わりました。

 それにしても凄いのは早稲田実業の斎藤投手。甲子園をずっと一人で投げ抜いてきた上に、今日も当然のように連投で先発、そして延長15回を一人で1失点16三振で完投。早稲田実業を支える文字通り不動のエースです。マスコミは『クールな豪腕』というコピーで紹介しているようですが、地方予選決勝の日大三高戦から見ていると彼のここ一番での勝負魂は全然クールどころじゃない。ピンチになればなるほど気迫が増し、ここ一番を140km台後半の速球と切れ味鋭いスライダーで片っ端から打者を三振に切って落とす姿は修羅のようです。本当に、ピンチの時にはほぼ必ずもの凄い球で打者を三振に取ってしまうのです。凄まじく強いハートを持っています。確かに表情は大抵涼やかですが、根は恐ろしく負けず嫌いなのでしょう。今日も最後延長15回、2死を取った後迎えた駒大苫小牧4番の本間選手を相手に170球を投げてきた斎藤投手が立て続けに140km後半の速球を5つも投げ込むのです。ここまで連投してきて、延長15回を投げた投手がまだ147kmの速球を投げるのです。凄まじい体力と気力ですよ。そして本間選手を最後フォークで三振に切って落とした際のガッツポーズ。珍しく気迫を表に出したそのシーンに背筋がゾクッとしたものです。凄い。凄まじい精神力です。

 明日午後13時からの再試合、仕事がある私は生で観ることができないのが非常に残念です。連投の疲れに、後ろに控える投手の有無など、斎藤投手、ひいては早稲田実業には不利な条件が揃っている再試合、できればこの試合中にケリを付けたかったというのが早稲田実業側の本音でしょう。今日の疲れは当然明日にも大きく影を落とすことと思いますが、それでも斎藤投手はやはり先発で投げてくるでしょう。逆境に負けず、是非優勝旗を手にしてもらいたいものです。たまたま東京MXテレビで早稲田実業VS日大三高の激戦を観て以来、早稲田実業は応援しているのです。

 ・・・しかしおかげで、甲子園を観ながら少しずつリハビリを始めようと思っていた仕事はまったく進まず、中継が終わってから本格的に始めるハメになったとのことです(苦笑)。


2006年8月20日日曜日

長旅を終えて

眼鏡橋
 長旅を終えて、本日夜に無事日吉に帰ってきました。新潟の実家への2泊の帰省に始まり、高岡を経由して京都で1泊、その後佐賀にて2泊、最後に長崎にて2泊。計7泊8日の日本半周の旅でした。とはいえまぁ新潟と佐賀は私と妻のそれぞれの実家に泊まらせてもらっていたので、その意味ではまだ楽な旅行ではあったのですが。写真は本日昼頃に訪れた長崎の眼鏡橋です。PHSのカメラにしてはよく撮れてると思いませんか?

 京都以降の後半戦は、佐賀にて妻の実家に泊めていただき、とっておきの焼酎『百年の孤独』など飲ませていただいてご機嫌になった後は近くであったごくごく小さな花火大会を観に行くところから始まりました。

 そして次の日は博多まで私の両親を迎えに行き、妻と私と両の両親と6人で佐賀市内観光。大隈重信記念館や佐賀城本丸記念館などを見て回り、佐賀神社記念館にて妻の父方の親戚一同の集まりに参加させていただいて親戚挨拶。なかなか、緊張しましたがこれもまた滅多にない機会なので、遠くてなかなかお会いできない親戚の皆さんにご挨拶できたのはよかったのかなと思います。

 翌日は有田に焼物を見に行き、深川製磁や香蘭社といった有田焼の有名どころを回ってみます。焼物に興味がある両親はなかなかご満悦の様子で、私は両祖父母に贈るプレゼントを何にするのかを狩りのように(爆)探し続けていましたとさ。しかし有田は街全体に落ち着いた日本的な空気が感じられる、素朴で静かなよい雰囲気の街です。その後は福岡空港から新潟に帰る両親を大和インターまで送った後、私と妻は佐賀駅より特急かもめにのって一路長崎まで。次の日台風が来るとのことなので、時間は遅くなっていたにも関わらず、夜21時までやっていたグラバー園を観に行きましたとさ。坂の多い長崎の中心近くで非常に高い標高に位置するグラバー園は、長崎の景観を眺めるのに絶好のスポット。長崎港の向こうに沈む夕陽や、その後に拓けてくる長崎の夜景は非常に素晴らしいものがありました。個人的には横浜や神戸の夜景よりこの長崎の夜景の方が好きですね。横浜は光は華やかだけど意外に平面的な光の分布だし、神戸は割と綺麗に見える範囲が狭い。でも長崎は周りを囲む山の中腹辺りまでひたすら光があるので、上も下も光に包まれて全体的に隙がないのです。基本的に民家の灯がほとんどなので、札幌の夜景のようにすすき野のネオンがあまりに毒々しくて目に痛いというようなこともなく、非常に素晴らしい景色でした。長崎、いいです。

 翌日は台風のためほとんど動けず、大雨強風の中無理矢理ドンドン坂と大浦天主堂は回ってきたのですがまんまとずぶ濡れになってしまい、タクシーの運転手さんに「チャンポンならここが一番おいしい」と教えてもらった中華街の外れの永盛楼でチャンポンを食べた後はホテルに戻って夜までおとなしくじっとしてましたとさ。そして夜には雲龍亭の一口餃子で食事を済ませ、あらかじめガイドブックで見つけておいたモルトの品揃えが素晴らしいバーでボトラーズもののモルトをちょいといただいた後、敢えて長崎でカラオケに繰り出し、長崎の2泊目は暮れていったとのことです。

 最終日である本日はまずオランダ坂をひたすら登り、みさき道を降りて思案橋まで歩き、そこから路面電車に乗って一路眼鏡橋へ。ご覧のように洋風の石橋がしだれ柳が美しい日本的な川にかかるその風景は、異国情緒溢れる長崎ならではの風情ある景色。他にも味のある石橋がかかるこの一帯は、観光客がちと多いのはタマに傷ですが(まぁ自分もその観光客の一人だったわけですが)非常に素晴らしいところです。そして最後に長崎港で海を眺めて、お土産を買って佐賀に帰り、妻の実家に挨拶だけして佐賀空港より羽田に帰ってきたとのことです。いつものように羽田空港から日吉への直行バスに乗り、バスからのみなとみらいの夜景を眺めながら今回の長旅の余韻に浸っていましたとさ。

 以上、行程があまりに長いのでやや走り書き気味ですが、私の夏休みでした。明日は甲子園の決勝を楽しみに最後の休日を過ごすとしましょう。






2006年8月15日火曜日

夏休み大移動

 仕事が忙しすぎるこの8月、何とか無理矢理区切りをつけて、今は12日より夏休みに入っています。今回は本来17日までの会社の休みに、18日は会社が全社員に「有給取得推奨日」ということで全社員(半強制)有給休暇。いつにないオフィシャル9連休が実現しました。とはいえこの夏休み、私は手放しで休養できるわけではありません。結婚して初の夏休み、お互いの実家に挨拶回りです。

 12日に新潟の私の実家に帰省。本日14日には新潟より京都に出てきました。河原町阪急百貨店の飲食店街でしゃぶしゃぶ食べ放題を堪能した後は夜の八坂神社を参拝し、以外に人も少なく雰囲気がよいのにびっくりした後は祇園のせせらぎの道など散歩をし、短いながらも京都を堪能。明日は妻の実家の佐賀に向かいます。そして16日に博多で私の両親と合流した後、改めて両親共々妻の実家にご挨拶に向かいます。そして17日夕方に長崎に向かい、長崎で2泊。これは個人的な小旅行です(笑)。そして19日夜に佐賀空港より羽田に帰って、20日は一日ゆっくり休んで21日に社会復帰の予定です。

 冷静に考えると横浜→新潟→京都→佐賀(博多経由)→長崎→横浜と、軽く日本半周くらいしてます(苦笑)。こりゃあ移動が大変だ・・・。

2006年8月6日日曜日

メガネ女子

 今日のNIKKEIプラス1に、メガネ女子というタイトルで最近の女性の間でのメガネブームのことが取り上げられていた。その記事を妻は読んだらしい。その中で渋谷に拠点を持つ低価格メガネ店『ゾフ』が紹介されていた。当然のように、渋谷にも店舗がある。マークシティの中だ。皆様周知のように、私の職場は渋谷だ。そして今日は、月一回の会社で正式に決められている土曜出社日。とはいえ仕事の義務は一応午前中一杯で終わる。・・・夕方には妻はゾフで買った新しいメガネをかけてホクホクしていた。

 一応本人の言い訳を載せておくと、以前に新しいメガネがほしくてネットで検索したらゾフが出てきて、そのイヌのロゴを見てイヌ大好きの妻は「よし、ここでメガネを買おう」と心に決めていたらしい。・・・にしても、今日仕事が終わったらいきなりゾフに連れて行かれたのでは、やはりNIKKEIプラス1の影響を感じるなと言う方が無理というものだと思う。


2006年8月4日金曜日

無題

 目的のない希望は、生きのびることができない。

 この言葉を、あなたはどう受け取るか。
 そして私は、どう受け取るか。

2006年7月31日月曜日

BRUICHLADDICH - ブルイックラディ10年

ブルイックラディ10年
Distillery : BRUICHLADDICH

Years : aged 10 years

Area : Islay

Bottler : Official

Cask Type : 60% Refill Sherry, 40% American Refill

Product : 46% vol, 700ml

Price : -

Remarks : -



 ピートを強烈に焚き込み、スモーキーで強烈な個性を持ったモルト達が居並ぶアイラ島において、最も穏やかで優しい風味を持つと言われるこのブルイックラディ。結婚式の時にPCKから贈り物でもらった逸品です。もらった袋を見てみるとシーバス・リーガルの箱とよくわからない麻の袋が入っていて、まずシーバス・リーガルを開けたら中にはいつもの極悪ミッフィーの顔のシールが張ってある瓜が!次に麻の袋を開けてみたら入っていたのがこのブルイックラディでした。いやー、贈り方が実にPCKらしい(笑)。ありがとう、PCK!

 このブルイックラディ蒸留所、創設は1881年で1975年に改装されています。が、1995年に突然の閉鎖。このままなくなってしまうのかと思われた時期もあったのですが、かのボウモアのブランド・アンバサダーとして業界ではあまりに有名なジム・マッキュエン氏(村上春樹の『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』の中で村上氏を案内していたのも彼)とマーレイ・マックデイヴィッド社が買収し、アイラ島唯一の完全独立資本の蒸留所として再開しました。その際、ジム・マッキュエン氏はこれまでピートの焚き込みがブナハーブンの次に少なかった同蒸留所のモルトに、最もヘビーなアイラモルトとして知られるアードベッグ以上のピートを焚き込むとして、同蒸留所の風味をガラッと改革を始めたのです。その行為に関しては賛否両論、どうなるかはそのヘビーピートなものが出回り始めてから本当の評価がくだされることでしょう。その新しい原酒が蒸留され始めたのは2001年。市場に出るのはまだ先のことで、現在は蒸留所閉鎖前のストックが出てきている形になります。今回いただいたブルイックラディ10年はそんな過渡期のものです。

 色は比較的薄めの琥珀色。優雅で穏やかなアイラモルトの入門編と呼ばれるだけあってラフロイグやアードベッグといった強烈な個性で知られる他のアイラはもちろん、最もバランスの取れたアイラモルトと呼ばれるボウモアなんかと比べてもまだ全然スモーキーな薫りは穏やかです。むしろ麦の素朴な香りがほのかにし、香り自体はモルトとしては控えめな感じがします。味の方は「最も穏やか」とか「ひじょうにまろやか」とか「食前酒向き」とか一般的に言われてますが、私に言わせれば実は結構骨太。しっかりとした強いボディに麦の暖かさと甘みが舌の真ん中辺りに広がるその味はライトとするにはちといかついように思います。そのしっかりした飲み応えのあるテイストは、「入門用」とか「ライト」といった言葉に拒絶反応を示す酒飲みマニアの方々も充分満足させることができるものでしょう。他のアイラモルトでは強烈な香りの影にかすんで出てこない暖かくふくらむ麦の風味が、このブルイックラディではしっかりと味覚として楽しむことができます。・・・しかし本当に、これにアードベッグ以上の強烈なピートをかけたらどうなるんでしょうか・・・?

 日本語で書く時の記述は他にブリックラディックやブリックラディなんかもありますが、個人的にはブルイクラディじゃないかなと思います。ジム・マッキュエン氏が就任以降、次々と新しいボトルを出してくるブルイックラディ。ボウモアやマッカランのように、その様々なボトルの違いを楽しむことができるのも魅力です。





障害報告

 ここ数日、BLOGの記事にコメントができない障害が出ていました。どうもここ数日普通のコメントもコメントスパムも全然付かないのでちょっと不審に思って今しがた見てみたら、まんまとコメントを登録しようとするとエラーになってしまっていました。とりあえず直しときました。ここ数日の間にコメントを付けようとして付けられなかった方がいたらごめんなさい。以下は技術的なメモ。技術的な興味がない人は読み飛ばし可です。

 原因としてはコメントスパム対策の禁止IPリストにおかしな文字が入っていたのが原因です。Movable Typeはコメントスパム対策として、(焼け石に水といった感はありますが)コメントの投稿を許可しないIPの一覧を指定することができます。私もそのリストを作成していたのですが、この前禁止IPを追加する際にXXX.XXX.XXX.XXXという本来のIPの後に")"を誤って打ってしまっていたのがエラーを引き起こしていたようです。

 エラーメッセージを大雑把に邦訳すると「正規表現のフォーマットとして")"が一致してないぞ、コラ!」というもの。要は投稿元のIPが禁止IPかどうかをリストを元に正規表現を作成して比較しているのでしょうが、そこに余計な")"が入ったのでフォーマットが不正なものになってしまってプログラムがエラーを起こしたと。まぁ初歩的なエラーなので原因究明は難しくありませんでしたが(一目見て見当はついた)、Movable Typeに注文付けたい部分も出てきます。

1. 禁止IPの登録をする際、正しいIPのフォーマットかどうかの検証をしてくれてもいいじゃん。エントリーの投稿時の時間のフォーマットはチェックしてくれてるんだから。

2. っていうか正規表現比較をする際に入力された文字列のサニタイズくらいしてくれてもよくなくね!?

 このサイトで使用しているMovable Typeのバージョンは3.171で、最新版は3.31です。まだリリースノートを読んでないので修正項目は把握してないのですが、新しいバージョンではこの点は改善されているのでしょうか?まぁ何にせよ一日落ち着いて時間が取れる際にバージョンアップをしようと思います。でもこのサイト、結構色々いじってるからバージョンアップ大変そうだなー、とも思っているのですが・・・。


2006年7月29日土曜日

疲れた時は

 また、仕事が忙しい。いつものことと言えばいつものことだが、今回はなかなか、かつてない程プレッシャーが厳しい。折れそうになる心を引きずりながら、立て直そうとしながら、重い足を一歩一歩前に進める。そんな感じだ。ゆっくりする暇なんて結局ないんだなぁなどと思いながら、毎日日付が変わる帰宅を繰り返す。

 疲れた時には、意外に歩くのが好きだ。もちろんスポーツなんかの筋肉的で直接的な疲労でなく、仕事なんかの体が逆に固まってしまうような疲れや精神的な疲れの場合、とりあえず当てもなくふらふらと歩くのが好きだ。仕事の気分転換にもふらりと外に出ることがあるし、家に帰るのを敢えて少し回り道をして帰ることもある。疲れた時には、歩くのがいい。それも無理してリフレッシュしようとか気張るのでなく、気が自然と晴れるなら晴れていくように、心が沈むのならそのまま沈ませておくように、何かをどうにかしようとするのでなく、ただ自然と心と体が赴く方向にまかせて歩いていくのが好きだ。

 そういう時にはゆっくりと歩くのがいい。前へ足を運ぶというよりは、持ち上げた足が慣性で少し前へ進み、重力に任せてぼてっと落ちるように。無理して何かを見る必要もない。眼鏡もかけずに裸眼で道へ出て瞼の力を抜いて、きっと端から見たら眠そうに見えるのだろうとろんとした目で、誰に追い越されるのも気にせずに、ぼてっぼてっと歩いていくのがいい。気が晴れるのなら晴れるままに、気が沈むのなら沈むままに。

 結局、今の世の中は目的があって、それを追いかけることを前提として成り立っている。ある点から別のある点への移動、運動、指向。ある点からある点への意識を持ち続けること、指向することこそがイコール今の世の中での有効な価値だ。だから、ともあれ人は何かを指向する。仕事もそうだし、私生活でもそうだろう。それは向上心と呼ばれたり、趣味嗜好と呼ばれたり、あるいはずばり生活そのものと呼ばれたりする。極論すれば指向性の持続こそが生きていくために必要な最たるもので、生きていくことそのものだ。

 だから、たまには、疲れた時こそ、その何かを何かに持っていこうとする、どこかからどこからを見ようとする、そんな力の働きかけを放棄してもいいんじゃないかと思う。何かをどうこうしたくて歩くのでなく、どうにもしないようにと歩くのでもなく、できるだけ流れに任せて、何かを見ようとも見まいともせず、ただふらふらと、歩く。心に浮かぶ好嫌さまざまな断片を思い浮かぶままに受け入れて。何かをどうこうしようというのではないから、当然それで気が晴れるとも限らないし楽になるとも限らない。むしろかえって沈みこむこともある。でも、それでもこうした歩き方が疲れた時に好きなのは、やはりどこかに向かおう、何かをしようとする心の動きに疲れてしまって、そこを休めなければいけない時があるからなのだろう。ここで"こうしたことをすることは何かを指向し続けることに疲れた心にとって必要なのだ"というと、何も指向しないというこの行為自体が"心を休めるため"という指向性を持ってしまって、困った論理矛盾が発生してしまうのだが。

 まぁ、そこは深く考えないことにするとしてとりあえず、疲れた時には当てもなく道を歩くことが好きだ。気が晴れるのなら晴れるままに、気が沈むのなら沈むままに。

2006年7月24日月曜日

結婚式当日 - 儀

 ぐっすり眠ったとはいえそもそも睡眠時間が短くて寝不足なまま迎えた結婚式の朝。昨晩の激しい雨を受けて湿った空気の中、朝7時前の嵐山をギターを持って歩きました。本当はオルゴール博物館に行く途中でコンビニを見つけて朝食を買っていきたかったのですが、なんと朝の嵐山には開いているコンビニがありません。前々から会場の担当の方に「当時は必ず朝ご飯は食べてきてください。そうでないと保ちませんから」と何度も釘を刺されていたにも関わらず、結局当日の私の朝ご飯は自動販売機で買った野菜ジュースのみでした。・・・ま、いつものことだし大丈夫だろう、と。こちとら朝から水も飲まずに24時過ぎまで仕事して、超空きっ腹のところにいきなり赤ワインとか入ったりする生活してるんだから。そう、自分を納得させて演奏のリハーサルをし、式の衣装に着替えてリハーサルをこなしていきました。

 しかしちょっと驚いたのは式の前、まだ来賓の皆さんが来場する前に行われるアルバム向けの写真撮影。会場直属のカメラマンが撮影してくれるわけですが、ここにきてこういうポーズを決めてくれとか、もっとこんな表情でとか、まるでグラビア撮影でもしているかのように色々注文が飛んできます。いやー、こういうものなんだなぁと思いながらポーズを決めていましたとさ。

 いよいよ式が始まります。控え室で妻の姉と妹に続き三度目のエスコートながらやはり緊張している様子のお義父さんとお話をし、ギャツビーのフェイシャルペーパーで二人で顔を拭いたりしながら出番を待ちます。ここに来るまで緊張感というもののあまりなかった私ですが、まぁさすがに式本番が近づいてくるにつれ緊張くらいはしてきます。そんな中開式直前になって会場の方からきよとmachakicとMaza-hが来てないが来場を待って式の開始を遅らせるかどうかといった打診があって、それぞれに連絡を取ってみたり、なかなか、式の直前までドタバタしてながら時が過ぎていきました。すると、そしていよいよ出番の声がかかります。

 式は、意外とあっさりと始まりました。新郎は最初一人で出て行き、新婦が父にエスコートされて入場するのを待つことになるわけですが、控え室を出たらもう袖で待機などする暇もなく行っていいと言われ、「え、もう出て行くの?」くらいの感じで、集中力を高める猶予もなくサラッと送り出されます。そのちょっと肩すかしを喰ったような気分から抜け出せず、緊張を集中に変えるきっかけもつかめないまま、僕らのミスター・オートマタが開式の旨を告げます。リハーサルの通りに前へ出て行きコインを受け取り、ディスク・オルゴールにコインを投入します。中からカタンと機械が傾く音が聞こえ、一瞬の間をおいて曲が流れ始めます。J.S.Bashの平均律クラヴィア曲集第1巻の最初のプレリュード。その最初の数音が鳴るのを確認して私は祭壇の前のバージンロード中央に移動します。お義父さんが妻をエスコートして、オルゴール特有の柔らかく澄んだ響きの音楽が空間を包む中ゆっくりとこちらにやってきます。向き合って一礼をし、お義父さんから私へ妻が渡される際、小さな声で「よろしく頼むよ」と言われました。緊張やら何やらですぐに何と応えていいのかわからず、笑いながら(それも笑いになっていたのかどうか自分ではよくわかりませんが)「はい」とだけ返しました。この時に限らず、実は式の間は緊張の中、ただ一回だけリハーサルしただけの手順を思い出しながら如何に間違えずにスマートに行動するかというので結構一杯一杯でした(苦笑)。

 式は進み、二人で誓いの言葉を読み上げます。妻は、泣きそうになっていました。実は、私はリハーサルの際少し泣きそうになったのですが、本番では油断せずに心を強く持っていたのでここは大丈夫でした。いやいや私の涙は意外性があり過ぎて絵にならんでしょうということで。そして二人で選んだ誓いのオルゴールを向かい合ってはさんで、その上でMaza-hに作ってもらった指輪を(作成者本人不在の中)交換し、オルゴールの蓋を閉じることで誓いをオルゴールの中に封印します。ギド・リュージュ社の職人の手によるハンドメイド・オルゴール。式の中ではこのオルゴール自身をならす機会はありませんでしたが、曲は3アレンジ入っている『カノン』です。このオルゴール博物館でのウェディングならではのハイライトです。リハーサルの際「できるだけゆっくり」と指示されていたのでそのようにしていたのですが、妻は案外あっさりパタンと閉めてくれました(苦笑)。ま、いいでしょう。そして二人と両の母親が結婚証明所に署名をし、それを来賓の皆様に披露して祝福を受け、式次第は終わります。退場する中、親戚や友人から「おめでとう」と祝福され、これまでの人生の色々な場所で出会った人達が今同じ場所にいることに違和感と幸福を感じながら、式は無事に終わりました。とりあえず、ほっと一息です。

 今回は式と披露宴の間に妻の髪型のチェンジがあるので、その間をメッセージカードの記入とスライド上演で時間を稼ぐ寸法だったわけですが、その空いた時間の中でBGMとして流しておいたブランデンブルグ協奏曲第3番第1楽章と同第6番第3楽章を聴きながら、一仕事終えた充足の中と集中力の仕切り直しを図っていたわけです。空腹と緊張で少し頭がボーッとしていますが、ここで疲れている場合ではありません。何しろ三次会まで、長い一日はまだ始まったばかりなのです。


2006年7月23日日曜日

結婚式前夜

 早いもので、ちょうど結婚式から一週間が経とうとしています。このまま詳細を書かずに流してしまおうという考えもちょいとあったのですが、さすがに一生に一度のイベントでそれもなんなので、今改めて書いておこうと思います。まずは、結婚式前夜のことから。

 とりあえず京都出発前夜である金曜日、私は結婚指輪を作ってくれたアクセサリー職人Maza-hと渋谷で飲んでいました。彼は23時新宿発の夜行バスで京都に向かう前です。そんなお互い京都に向けての出発の直前に何故また渋谷で飲んでいたかというと、それは作ってもらった結婚指輪を受け取るためです。こともあろうに指輪の制作依頼を彼に正式にしたのが式の一ヶ月ちょい前くらいとかなりギリギリで、それからさらにデザインを決めて、指輪の裏に入る名前を私と妻と自分達で掘るのはいいけれど、その作業と名前を彫刻後の指輪の型の返送がまた指定期日ギリギリになったりと、そんなことをしていたら完成が出発前夜になってしまったわけです。なにしろMaza-hが考えてきてくれた10くらいのデザイン案をすべて尻目に、妻が「こんなのがいい」と言い始める顛末までありました(苦笑)。当時W杯でアルゼンチンとメキシコの調子が良くなかったらMaza-hの機嫌が危ないところでした(?)。まぁ毎度のことながらドタバタとして時間がない中素晴らしいものを作ってくれたMaza-h、ありがとうございました。

 ちなみにこれが今回作ってもらった私達の結婚指輪です。お互いのイニシャルであるA.K.とK.K.をデザインし、2つ合わせるとA.K.とK.K.両方のイニシャルが出来上がるというコンセプトです。

Maza-h作成結婚指輪

 そしてMaza-hと別れて帰宅した後は、二次会のBGM用のCDの編集やら何やら色々とやっていたらあっという間に朝方4時。10時25分新横浜発の新幹線に乗るので、残りの準備を考えると翌朝7時過ぎには起きなければなりません。そんな感じで睡眠時間3時間程度(ここ数週間はずっと仕事と式の準備で休みの日ですら長くて5時間しか寝てない感じ)のふらふらした状態で、たくさんの荷物とギターを持って新横浜へ向かいました。

 新横浜で新幹線に乗ると、新潟から東京駅経由で出てきた両親と父方、母方のおじさん・おばさんと合流します。話すとなると随分久し振りな人もいて、小さい頃は遊んでもらったなとか思いながら普段同時に揃うことのない親戚の顔を見ながら眠気と闘うのも結婚式ならではのイベントです(?)。そして京都に着き、親戚と一緒に嵐山の宿まで行って荷物を置き、オルゴール博物館がみんな見たいというので担当の人に電話を入れて、中を見せてもらうようにお願いして皆を誘導してから私は一人で嵐山から京都駅に戻ります。今回来てもらう中では唯一の小学生時代私が新飯田に転校して以来の長い友人であるTakeshiと合流するためです。

 京都駅で久し振りにあった彼は相変わらずで、夜行で朝6時過ぎに京都に着いて暇だったの、なんと徒歩で京都駅→八坂さん→六波羅蜜寺→清水寺→京都駅と午前中に回ってきたとか!何気に京都を堪能し過ぎです(爆)。まぁ何気にそんなことをしれっとやってしまうのも彼らしいと言えば彼らしいのですが。

 そしてこの後、この日最大のイベントが始まります。そう、ウェルカムボード騒動です。ウェルカムボードは弟を通じて知り合ったイラストレーターのサトウヒロシ氏に作成をお願いしていました。指輪もドタバタでしたが、なんとこちらも凄まじくドタバタ。私が京都に行く新幹線に乗ってる間にイラストが上がって、それを弟が印刷にかけに走って、私が京都でイラストを入れる額とマットを買いに走るという、そんな素敵な〆切間際の魔術師っぷり。腹を空かせて早くしろと急かす母親を尻目に(笑)、オルゴール館に私が額を、弟とそのフィアンセさんがイラストを持ち込んで、その場でイラストのサイズを調整して額に入れて、やっと完成したのが夕方19時頃。いやー、大変でした。でも出来上がってみるとこれが実にいい感じ。オルゴール館の担当の方も驚き、式の当日もかなりの好評をいただいたこのウェルカムボード、今では私達の部屋の玄関にぬいぐるみ達を前に従えて飾られています。サトウヒロシ氏、実は結構難産だったそうですが忙しい中素敵なイラストを描いていただきありがとうございました。

サトウヒロシ氏作成ウェルカムボード

 その後は宿に戻って親戚の皆さんと近況や仕事の話等しながらゆっくり夕食を取り、弟と新潟の友人達が泊まっている新阪急ホテルを襲撃し、私は23時までに宿に戻らなければいけなかったので23時に新阪急ホテルを後にしました(爆)。しかしそこから電車がいいのがなかったのでタクシーで嵐山まで戻ったのですが、いやいや凄まじい雨に降られました。祇園祭の宵山は雨が降るものらしいですが、タクシーの窓から景色がほとんど見えなくなる程の豪雨はなかなかです。そしてその後は宿で少し親と話をし、部屋に戻って一人になってから伯父から結婚祝いにいただいたモンブランの万年筆を早速使って披露宴の中で読み上げる両親への手紙を書き、気付いたら深夜2時半になっていました。結婚式当日は朝7時会場入り。ということは6時起きです。睡眠不足は、解消されないまま結婚式だなぁ等と思いつつ、さすがに数週間続く寝不足は緊張にも勝り、わずかな睡眠時間は意外にもぐっすり眠れたとのことです。そのようにして、私の結婚式前夜は過ぎていきました。


2006年7月18日火曜日

My Orgel Wedding

 昨日7月16日、京都嵐山オルゴール博物館にて、とうとう私も結婚式を行ないました。まずは当日ご列席いただいた皆さん、ありがとうございました。今回は本当に関西圏を始め新潟から東京から富山から三重から愛知から佐賀から広島から愛媛から、二次会ではさらに岐阜から静岡から福島から岡山から、色々と遠いところからもお集まりいただきまして感謝しています。式の次第がどうこういう以前に中学、高校、大学時代のそれぞれの友人達と一度に話せるという機会はまぁ当然あるものではなく、それだけでもかなり楽しかったです。それは下手したら一生に一度の機会かもわからないことですしね。ちょっとした人生の友人総決算って感じです。自分でやっている分には客観的なところはわからないものですが、客席に座っている皆様にはどのような式として映ったのでしょうか。

 とりあえず今はまだ詳細を書くには整理ができていないので今日は控えめに書くに留めますが、やはり一生に一度のイベント、なかなか心に去来するものはたくさんありました。両親、友人、そして妻と、思えばいろいろな人に支えられてこれまで生きてきたものだなと。うーん、色々、語りたいのですがやはり今はまだ語れないようです。また、今度。

2006年7月12日水曜日

ある偶然の再会 - 戸田誠二『説得ゲーム』

 今日、仕事の合間に気分転換に会社から徒歩30秒の本屋でマンガを探していた。仕事を根詰めてやっていると、どうもマンガが読みたくなる時がある。それで何か目当てがあるわけでもなく、読んだことのないマンガを衝動買いするつもりで本屋に入った。目についたのは、その本屋で今売り出し中らしい戸田誠二という漫画家の作品群。朝日新聞やダ・ヴィンチ等で絶賛されて今注目されているらしい。まったく予備知識はなかったが、とりあえず彼の単行本を2冊買ってみた。『説得ゲーム』『ストーリー』だ。このうち、『説得ゲーム』を選んだのには明確な理由がある。オビに書いてあるあらすじを読んだ時、どうも、この話はどこかで聞いた気がしたのだ。

 会社の帰りに電車の中で早速読んでみる(さすがに仕事中は読まない)。すると、その中の『キオリ』と『説得ゲーム』は、読めば読む程聞いたことのある話だった。最先端の脳の研究所に持ち込まれた若い自殺未遂の女性の脳。体はもう使えないので脳だけで培養されていくが、結局は萎縮して消えてゆく運命を辿る。その作品の中、主人公の「体なんてなくても大丈夫ですよ」「今の時代脳さえあれば」で完全に思い出した。そう、以前に読んだことがある。インターネットでだ。いつだったか、ネットで読めるマンガを探していてこのマンガを掲載しているHPに辿り着いた。この戸田誠二のHPは1999年より運営されているそうなので、きっともう何年も前に見たのだろう。今も、運営されいる。この『COMPLEX POOL』がそうだ。このHPを見つけたとき、結構時間をかけて何点もの作品を読んだのを覚えている。少なくとも『キオリ』と『説得ゲーム』、そして今回買った単行本には入っていないものの『唄う骨』は当時に読んだ記憶が蘇ってきた。「そうか、ちゃんとした本になったんだな」と、なんとなくちょっと嬉しくなった。

 彼の作品は単純と言えば単純で、巧妙な伏線やら予想外の展開やらがあるわけではない。大体、「こう終わるんだろうな」という期待を裏切らずに予定調和的な安心感の中で読める。世の中のちょっと歪んだ部分、事件でも非日常というほど大きなものでもないけれど、日常の中に点在するわずかな歪み。そこを静かな視点で描いているマンガで、ともすれば少し寂しかったり暗かったりとなりがちな題材が多いが、そこをさらりと後味のいいようにまとめてくれる。劇的ではないからこそ逆に共感はしやすい。そんなマンガだ。

 彼の作品は常に変化が描かれている。描くための題材は毎回異なるが、キーとなるテーマは明らかに変化だ。日常の、ともすれば絶え間なく連綿と、いつまでも続くように思える"当たり前"の連続。そこからのちょっとしか変化の瞬間が常に描かれている。それも前向きに、しかし控えめに、ほんの一歩だけの決定的な変化。行動の選択肢は多様になった現代だが、それは結局以前の行動のバリエーションに過ぎず、結局日常は同じテーマが繰り返される。私は以前それをパッサカリアやシャコンヌといった曲の形式に例え、だからこそこれらの曲は繰り返す人生を感じて心に響くのだと言った。彼の作品はその同じ主題による執拗な変奏の繰り返しから、一歩抜ける瞬間を描こうとしている。それが簡単ではなくなってしまった世の中だからこそ、共感できる人が多いのかもしれない。


2006年7月8日土曜日

8周年開設記念日

 突然ですが、最近非常に更新が停滞しがちな中(苦笑)、このHPもとうとう開設8周年を迎えました。七夕が開設日。狙っていたのではないのですが非常にわかりやすくていいです。ついでに言うと常に三ヶ月更新で購入している通勤定期、その期限ももう入社以来ずっと7月7日を期限とするものを毎年持っています。七夕、私の中では意外に重要な日です。

 しかし結婚式の準備というのも大変です。大変と言っても準備のメインは妻がやっているので私がやっている部分はそれに比べれば微々たるものなのですが、それでもいやいやなかなか大変です。夜遅くに帰ってから、今度は結婚式のために仕事でさんざん酷使した頭をさらにもう一回働かせる。結構、しんどいです。何よりも確実に睡眠時間が減ります(苦笑)。ここ数週間は平均4.5時間睡眠コース。FIFAワールドカップがさらに睡眠不足に追い打ちをかけてくれます。インターネットで買ったCD(SACD)もまだ未聴のストックに6枚入っています。いやー、クラクラしますね(苦笑)。

 ・・・すいません、最近更新していない言い訳でした・・・。

2006年7月1日土曜日

大変な一ヶ月

 ここしばらくとにかく寝不足の日々が続いています。仕事が忙しいのはまぁ相変わらずのこととして、結婚式の準備、そしてW杯。4年前から応援しているイタリア代表と、今回すっかり虜になったアルゼンチン代表。彼らの試合がある間は深夜もTVの前に釘付けです。日本戦は挫折して寝てましたが・・・。今晩はアルゼンチンもイタリアも出てきます。しかも文句なしの好カードです。・・・また、眠れなさそうです。


2006年6月26日月曜日

かつての生活圏巡礼

 この週末は結婚式の打ち合わせでまたも京都へ赴いていた。式の打ち合わせは会場スタッフの方々と直接顔を合わせて行うのは今回が最後。決まっているんだかいないんだか、(自分の怠慢のせいで)少々不安は残るものの、まぁまぁ後は買うものを買って作成するものを作成して、心身を健康に保ちながら(おそらくこれが一番難しい)、当日に向かっていくのみになったわけだ。

 今回は打ち合わせ以外に多少時間の余裕があったので、お互いが学生時代に住んでいた下宿を久し振りに訪ねてみた。といってももちろん外から外観を眺めただけだが、クレイジー西ノ京は相変わらず変わらぬ姿でそこに建っていた。卒業後、二条駅近辺と御池通の再開発で、下宿から一歩出た御池通の風景は随分様変わりし、車と自転車がすれ違えない程狭かった道は今では立派な4車線道路になり、広くなった御前御池の南西の交差点にはきれいなam/pmができていた。けれども一歩路地を入った風景はほとんど当時と変わっておらず、なかなか懐かしい思いで歩いてきた。常磐にあった妻の下宿近辺も事情はほぼ同じようで、大通りは多少変わったけれど部屋の近くの路地はまだそんなに変わっている雰囲気ではなかった様子。当時住んでいたというアパートを初めて(外からだが)眺めてみて、「そうか、こいつは大学時代はここで生活していたのだな」と妙な感慨を覚えた。

 大学近辺を除けば二条駅~西大路御池~円町と中京区を中心の生活圏としていた私と常磐~花園と右京区を拠点としていた妻と、同じ大学でもまったく違った生活風景だったことだろう。大学時代は同じ授業もあってBOXも隣でお互い見知ってはいたものの、どこで生活しているのかすらよく知らなかった二人が今は一緒に生活している。不思議なものだ。実際に、そう思った。

2006年6月18日日曜日

オーディオ新時代 - SACD/DVDオーディオ

 引越の際、コンポを買い替えました。それまでのKenwoodのものからONKYOのX-UN9(D)に替えたのです。以前のKenwoodのものも10万円(当時)級のものだったので、ランク的にはほぼ変わらずといったところなのですが、1点大きな違いがあります。このX-UN9(D)はSACDDVDオーディオの再生に対応しているのです。DVDオーディオ(以下DVD-Aと表記)が再生できるプレイヤーがいいという父の強い薦めにより、このONKYOのミニコンポを選んだわけです。元々次に買うならONKYOかDENONだなとかねてより考えていたこともあったのですが。で、SACDとDVD-Aを再生できるプレーヤーを手に入れた私は、早速SACDやDVD-Aを買って試してみたわけです。

 通常の音楽CDより高音質であることが売りのこの2つのフォーマットですが、実際どのくらい違うかって、正直ビックリするくらい違いました。音質ってやつは結局いいスピーカーやアンプ使っていい音が出せる環境を整えてあげないとなかなか違いがわからないもので、実際通常のミニコンポクラスだと"20bitデジタルリマスター"とか言われてもはっきり言って違いがわからないものです(苦笑)。けれどこのSACDやDVD-Aはもう意識しなくてもわかるほど圧倒的に音の質が違う。フォーマットの違いだけでこんなに音質が変わるとは思いませんでした。私は主にクラシックで試したわけですが、SACDやDVD-Aは通常のCDと比べて楽器の響きが明らかに自然なのです。これまでもCDの響きが不自然だと思って聴いていたわけではありませんが、SACD、DVD-Aと比べると明らかに楽器の響き方が薄いと言うか平坦な感じがするのです。それは特に弦楽器の高音域に顕著で、オーケストラで高音の弦楽器が続く部分なんかは音の響きの美しさにビックリしました。ちなみに私がそのSACDの弦楽器の響きの美しさを特に実感したのはこのゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団演奏のショスタコービチ交響曲5番&9番。演奏は賛否両論なこのアルバムですが、5番の第4楽章最後の弦の響きは非常に美しい。さすが石丸電気のSACD/DVD-A専門フロアで優良録音として紹介されていただけあります。

 で、SACDとDVD-Aのあまりの音の良さにすっかり感激してしまった私は、早速次の段階に行ってしまいました。SACDやDVD-Aの魅力の1つはその高音質のみならず、最大6chをサポートするマルチチャンネル。私が買ったX-UN9(D)は別売りのオプションを買えば簡単に5.1chのシステムができあがります。しかも値段もそう高くはありません。・・・買ってしまいました(爆)。これで右、左の通常のステレオだけでなくセンタースピーカー、左右後方の2基のスピーカ、そしてサブウーファを搭載したマルチチャンネルシステムです。早速試してみました。比較材料は私の大のお気に入りの録音である、カルロス・クライバー指揮ウィーンフィル演奏のベートーベン交響曲5番&7番です。これは元々CD版を持っていたので、SACD版を購入しての聴き比べです。

 この名演中の名演との誉れ高いクライバーの『運命』で比べるに、やはりCDとSACDでは音が全然違います。しかもそれがステレオから5.1chに変わるともはや比較にならないくらい違う。モノラルからステレオになった時も同じ衝撃があったのでしょうが、5.1chマルチチャンネルは通常の2chステレオと比べて明らかに音の立体感が違います。オーケストラの各楽器のそれぞれがどこに位置してどこから音が出ているかがわかるような立体感と遠近感。壮大なオーケストラの曲ではその違いは直接リアリティの違いになります。部屋の中の小さなミニコンポでもこれまでの最高級2chオーディオに負けないくらいの臨場感が味わえる5.1chサウンドは素敵です。そしてやはりSACDの素晴らしい響きとCDよりも遥かに広いダイナミックレンジがより一層の生々しさを演出してくれて、これまでのCDとは比較にならない程音の体感が違います。SACDにDVD-Dというソフトのフォーマットの違いと5.1chというハードの違い。オーディオは進化しています。

 今回比較に使用したクライバーの『運命』は元々2chステレオの録音を5.1chにリミックスしたものですが、近年出ているそもそも録音からしてマルチチャンネル録音のものはまた更に一段臨場感が違います。先のゲルギエフのショスタコ5番もそうですし、アンドリュー・マンゼとイングリッシュ・コンサートのモーツァルト作品集『The Night Music』なんかも古楽器の響きとSACDのマルチチャンネルが楽しめるいい録音だと思います。

 SACDもDVDオーディオも市場に出てからしばらくはイマイチ認知が広がらずなかなか苦戦を強いられていたようですが近年は主にクラシック/ジャズ界を中心にかつての名盤がSACDやDVD-Aで再リリースされたり、タワレコやHMVがプレーヤーも含めてキャンペーンを打つ等、やっと少しずつ広がりを見せ始めたように思います。ロックの世界でもクイーンの『オペラ座の夜』やDEEP PURPLEの『MACHINE HEAD』がDVD-A、PINK FLOYDの『狂気』がSACDで出てくる等、少しずつタイトルが増えてきています。クラシックギターでは村治佳織や山下和仁なんかの最近のものはSACD盤も出ています。ラッセルの新譜もSACDで出るとのことで予約していたのですが、発売するなり取り扱い不能。どうなってるんでしょうか?ラッセルの所属するtelarcは優秀な録音技師を擁し早くからSACDに取り組んでいるレーベルだけに期待が持てるのですが。ともあれしばらくはSACDとDVD-Aを買い漁る日々が続きそうです。


2006年6月12日月曜日

一人じゃない生活のリズム

 最近なかなか更新もできず、してみても中身があまりない今日この頃です。やはりどうもバタバタしていて、何か一つのテーマに対して精神を統一して書くということができない日々。まだ新生活のリズムをつかめていないのかもしれません。早いところ一人じゃない生活のリズムを確立したいものです。

 とはいえそんな中、明日・明後日は大阪出張です。難波宿泊、泉大津作業。また、遠いなぁ・・・。

2006年6月7日水曜日

666

 200666日。"666"。映画『オーメン』の宣伝もたけなわだがこの"666"という数字、Number Of The Beast(獣の数字)と呼ばれてキリスト教では邪悪な番号とされている。

 でも、「それだけのこと」らしい・・・。


2006年6月2日金曜日

BLOGのモチベーション

 ここ数日の間で2ちゃんねるのスレッドの中で面白いものを紹介していくという、いわゆる「スレ紹介系」と呼ばれるブログの閉鎖が相次いでいるらしい。そうしたブログは2ちゃんねるの面白いスレを紹介することで自分のブログに客を集め、その集まった客層を対象にするアフィリエイトでお金を儲けていたらしい。その"アフィリエイトで金を儲ける"ところに2ちゃんねらー達が反発し、結果としてスレ紹介系のブログが閉鎖されるという経緯を辿っているそうだ。ITmedia Newsで読んだ記事に、渦中のブログ管理人の言葉が紹介されていたものを下記に引用してみる。

 5月31日だけでも7万近いアクセス数を誇る「【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)」の管理人は自身のブログ上でこう心境を述べた。「アフィリ(エイト)はブログを続ける“モチベーション”になってました。今スレ紹介系ブログのアフィリが問題になってますが、ほとんどの管理人が僕と同じモチベーションを保つためにやってるはずです」。その一方で、「そして2ちゃんねるの住民の人が『俺達の書き込みで金儲けしてんじゃねーよ』と騒ぐのも必然です」と、住人側への理解も示した。

 ブログを更新し続ける、日記系のHPを更新し続けるのに、ある程度のモチベーションが必要なのは確かだ。このHPももう8年目に差しかかろうとしているが、やはり更新を続けるためには明確な意思が必要なときもある(自然発生的に書いていることももちろんあるが)。とはいえ、そのモチベーションをアフィリエイトに持っていこうと思ったことは一度もない。『あゆむの雑記帳』は立ち上げ当初から「余計な画像は使わない。広告は自分の意志で認めたものしか出さないので、サービスには金を払うか自分で作るかで無料使用で広告掲載のものには屈しない」というコンセプトでやってきた。たまにAmazon等にリンクを張っていることはあるが、あれにアフィリエイトを入れたことは実は一度もない。明確な意志を持ってアフィリエイトを使わずにいる。それは「このHPでは金は稼がない」という開設当初からの指針だ。金が絡むと、どうしても金が儲かる方に進みたくなる。すると、結局「書きたい時に書きたいものを書きたい」という最低限で最大限の欲望を満たすこともできなくなる。

 ブログの普及で総表現社会が到来する(あるいは既にある程度実現している)というような言い分を最近よく聞くが、アフィリエイトをモチベーションにした表現に力はあるのかと疑問に思う。実際、今回閉鎖しているブログ達は自分の表現で稼いでいるわけではなく、いわば他人のふんどしで相撲を取って稼いでいたわけだ。そりゃふんどしの持ち主は怒る。WEB2.0という言葉について(本質的な部分ではないにせよ)先日少しばかり言及した。見ていると、この言葉の周りにはその技術がもたらす表現と知識スパイラルの可能性よりも、金を稼ぐという意味での可能性がフューチャーされてばかりいる。一部の技術者向けな情報ソースは話が違うとしてもだ。それは少しばかり、悲しいことだと思う。


何だか、

 もやもやしてるなぁ。

 そう、気分がもやもやしている。

2006年5月29日月曜日

WEB2.0時代のブログ検索

 去年辺りから我々のような情報業界人や、あるいはそうでなくともインターネットに敏感な人達の間で"WEB2.0"という言葉が急に流行り出した。個人的にはこの言葉、どうも好きになれない部分はあるのですがそれはそれ。事実としてネットの在り方は確かにここ数年大きく変わってきています。で、WEB2.0という言葉自体を解説するのが今回の目的ではないので知りたい人は適当に自力で検索等していただくとして(参考図書として一応『ウェブ進化論』『WEB2.0 BOOK』辺りを挙げておきましょう)、今日は最近じゃもうあまりに一般化して物珍しくもなくなったブログが、このWEB2.0の中でどう変わっていくのかの現状垣間見れる点をご紹介してみましょう。


 まず出てくるのがブログ検索というツールです。検索ならこれまでもYahoo!Googleを始めとして様々なタイプの検索エンジンがありました。それとこのブログ検索ツールは何が違うのか。端的に言いますと、更新の反映の素早さと検索の精度が変わってきます。

 これまでのGoogle等のロボット検索エンジンは大雑把に言うとネットの世界を徘徊して情報を集め、それを整理して検索に出すということをやっていました。これだとGoogleが世界中の情報を集めて整理して結果に出すまでに大体2週間から数週間かかってしまいます。私の個人的な感覚で言うとこのayum's noteに新しい記事を投稿したら、それが検索に引っかかるようになるまで大体3週間ってところのように思います。それがブログ検索では、サイトの管理者がブログ検索エンジンに対して更新のお知らせをするようツールの設定をしておく必要があるとはいえ最短1分程度で最新の情報が反映されます。これはMovable Type等のブログエンジンが一般に持っている更新通知PINGという機能(XML-RPCがどうのこうのという技術的な点に関しては触れません)を利用したもので、新しい記事が登録された場合は登録されたタイミングでブログの方からブログ検索エンジンに対してお知らせをするわけです。だから情報の更新が早い。これはブログというツールの特性を利用してできる利点です。

 もう一つ、検索精度の件ですが、これも一般的なブログエンジンが持っている機能を利用しています。Google等の検索エンジンは、ネット上のページをHTMLを自力で解析することでその内容を分類・整理していますが、これはどうしてもある程度以上の精度には上がりません。元々のページに何を書きたいかという明確な意志を表す部分がないからです。ブログはXHTMLというHTMLを一歩進化させた技術を用いて、その内容の整理という部分を作成者側でやってしまいます。それも記事を書いている本人はそんなに意識せずに、です。そうして整理された情報を検索キーに使うので、ブログ検索は精度が上がると、そういうわけです。

 もう一つ検索精度を上げるために最近注目されているものにタグがあります。タグ自体はHTML時代から馴染みのものですが、最近ではブログの記事等のコンテンツの内容を表すキーワードを示すのにタグを使おうという風潮が出てきています。昨日からこのHPにも取り入れてみたのですが、この記事を表すキーワードを示すタグを付けていくことで、検索エンジン側にそのキーワードで拾ってもらおうというわけです。情報の整理という一番難しい部分をこのように明確化することで、検索の精度や同じキーワードを扱っているブログ同士のつながりを強化できるのです。

 現在日本でこれらのブログ検索に実際に対応しているサービスは、テクノラティNAMAAN等があります。このHPも昨日からこれらに更新PINGを送るようにしてみました。いや、別に広がらなくていいし、むしろひっそり運営したいページではあるのですが、ちょっと新しいものを試してみたくなったので・・・。どうなることか、ちょっとしばらく動向を追ってみたいと思います。


2006年5月28日日曜日

結婚式と二次会のギター

 会社の先輩と後輩の結婚式が今日はありました。別のグループながらも最初数年はずっと隣り合わせのグループ(今は席が離れてしまいましたが)で、一緒に北海道旅行にも行ったりした先輩(新郎)と、ウチのグループの2つ下の後輩で、当然仕事も何度か一緒にやっていた後輩(新婦)が結婚したわけです。社内結婚ということで自然と式の構成人員の比率は会社の人間の割合が多くなるわけですが、いやそれにしても今日は会社の人間多かった。まるで会社の忘年会のようです(爆)。何しろ親族は文字通り親・兄弟だけで、祖父母や叔父・叔母・従兄弟等の出席はまるでなし。出席者の80%以上が会社と友人で埋め尽くされた式に披露宴。なかなか斬新なコンセプトです。随分思い切ったものだと正直思いました。そのおかげか堅苦しさはほとんどなく、時に無秩序に思える程の自由なアットホームさが前面に出た式に仕上がっていました。

 ともあれ私は今回もギターを弾くというミッションを受けていたわけです。まぁ披露宴ではなく二次会でということだったので、まだ緊張は薄いのですが、二次会には二次会でそれなりの敵があります。そう、それは二次会特有の落ち着かないざわついたオーディエンスです。披露宴ならまだ皆静かに聞いてくれますが、二次会となるとそうはいきません。どうしたって多少はざわつく中での演奏を余儀なくされます。そんな中無事にミッションを遂行するには、周囲の雑音にめげない強いハートが必要なのは言うまでもありません。今回はその辺りを考慮して、私の持ち曲の中では比較的雑音に強い『花祭り』をチョイスして演奏の舞台に立ちました。

 その時の環境はマイクもまともにない状況でカーペットの宴会場に100人のざわついた聴衆。はっきり言ってそんな中でギターがまともに響いて聞こえるわけがありません(爆)。音を増幅させる要素がないのに音を吸収したりかき消したりする要素だけがふんだんにあります。仕方がないので「聞こえねー」とか「悲しげにはじまったぞ」とか「マジだな」とか何とか、とかく耳に入ってくるノイズを聞こえないふりをしてスルーして、ひたすら演奏に集中します。後半はもう完全に自分の世界に入ってました。ちゃんと音が聴衆に届いていたかどうかは定かではありません。まぁ緊張もあまりせず、調子も絶好調ではないけど悪くもない程度の演奏ではありましたが、返す返すもせめてマイクはほしかった・・・。どうせ弾くならやっぱり聴いてほしい、というかせめて最低限聞こえてほしいですからね。まぁ、よしとしましょう。必要な機材の指示を明確に出していなかった自分が悪かったわけですから。そんな日もあります。そして演奏が終わった後は完全に呆けた状態で、あまり他の人とも話をせずにチビチビ水割りを飲みながらイスにおとなしく座っていたとのことです。

 しかしウチのグループ、今月一杯で紅一点だった今日の新婦がめでたく寿退社されるわけで、来月からは見事に野郎オンリーの環境になってしまいます。いやまぁ、だから何だと言われても困るのですが。ふむ。


2006年5月27日土曜日

走り去る"時"

 時間が早く過ぎていく。時の歩幅はやはり、年々広くなっているように思う。その時が過ぎ去る早さに対して、段々中身の方が追いつかなくなっていく。時に一度に乗せられる荷物の上限が仮に決まっているとしても、その上限一杯に積み込む前に時がさっさと行ってしまうような感じだ。もっと色々やるべきこと、その中でできること、できたはずのことはあったはずだからだ。何しろ、まだCDラックと本棚、衣装棚すらまともに片付けきれてない。そろそろ積み上がった物達を眺めるのもイライラしてきたのに、だ。それでも何故か午前3時前に寝ることはほとんどない日々。単純に時間がないのだろうか。あるいはそうかもしれない。あるいは走っている時にうまい具合に荷物を乗せられていないのかもしれない。それともあるいは、この感覚自体がただ生き急いでいる故のものに過ぎないのだろうか?どうだろう?

2006年5月23日火曜日

家庭内環境構築

 部屋に無線LANを設置しました。私も妻も使用しているPCはノートなので、これで部屋のどこにいても自由にインターネットができるわけです。やっと私のPowerBookに搭載されたAirMacExrteamカードも活躍する機会を得たというわけです。これからフルに働いてくれることでしょう。ん~、しかし家庭内でこんなに簡単にWindowsもMacもつながる無線LANが組めるとは、便利な世の中になったものです。

2006年5月17日水曜日

10年ぶり、2度目

 今日は会社で献血がありました。社のボランティア活動の一環として、会議室に赤十字を呼んで社員の有志で献血をしようというわけです。とりあえず、私も(「オマエが輸血される必要があるだろ」という周囲の声を尻目に)400mlばかり提供してきました。

 しかし赤十字、一度輸血した人のデータはビックリするくらい保管してあるのですね。今日受付で私が名前を告げたところ、「10年程前に新潟に住んでましたか?」と聞いてきます。「新潟出身です」と答えると、「10年前にも新潟で献血をした方と同一人物で間違いないですか?」と聞かれます。そう、確かに私は高三の時、文化祭に来ていた赤十字で献血をしていたのです。しっかり、データは電子化されて簡単に照合可能な形で残されていたのでした。いやー、ちゃんとしっかりデータベース化ができてるんですね。まぁ赤十字という組織の性質上当然と言えば当然なのかもしれませんが(貴重な血液型のものが逼迫して必要になった場合、過去にその貴重な血液型を献血した人を当たって血液提供をお願いしたりすることもあるらしい)、職業柄妙に感心したりしました。そして問診の医師にも「献血は初めてではないが10年ぶり」と言われたり、実際に血を抜く看護士さんにも「10年ぶり、2度目」と言われたり、とかく「10年ぶり」が強調された献血でしたとさ。私が高校三年だった時から、ともあれ10年の月日が経ったということでしょう。

 しかし最近の献血は血の提供者に対して実に厚遇です。受付で並んでいる時にも「待っている間に飲んでください」とアクエリアスを渡され、終わった後にも「ジュースは2本飲んでください」と数種類のジュースとクッキーに椅子まで用意してくれているのです。昔は終わってからポンッとジュース一本渡されてそれきりだったような気もするのですが。やはり献血をやろうという人が減っているのでしょうか?

2006年5月13日土曜日

日帰り札幌出張

 昨日のことになるが、日帰りで札幌に出張に行ってきた。まぁ想像に難くはないと思うが、いくら首都圏の交通の便がいいと言っても、これは正直結構無茶だ(苦笑)。試みに、当日の私のタイムスケジュールをちょっと以下に記してみようと思う。

4:45 起床
5:00 ご飯とみそ汁、納豆という簡素な朝食
5:30 家を出る。バスがまだ走っていないので徒歩20分で駅まで
6:00 日吉発羽田空港行きリムジンバス出発
7:00 羽田空港着
7:45 羽田空港離陸
9:10 新千歳空港着
9:35 新千歳空港よりエアポートライナーで札幌へ
10:10 札幌着
10:30 客先着。納品作業開始
14:00 納品作業終了。ローソンでカロリーメイトの昼食
14:30 システムの説明会開始
18:30 説明会終了
18:55 札幌駅よりエアポートライナーで新千歳空港へ
19:40 新千歳空港着
19:55 サンドイッチと札幌限定ビール札幌クラシックで軽く腹ごしらえ
20:35 新千歳空港離陸
22:15 羽田空港着
22:30 メチャクチャ早足で羽田の通路を歩き抜け、日吉行きの最終リムジンバス搭乗
23:20 日吉着。バスがもう終わっているので徒歩20分を歩いて家まで
23:40 帰宅

 ・・・ご覧の通り、実にカツカツです。一歩でも間違ったら家に帰って来れません(爆)。しかも札幌まで行って昼飯がカロリーメイトって!

 ・・・できれば一泊して悠々札幌を楽しみたいものです・・・。

2006年5月9日火曜日

ADSL開通

 やっと新居にADSLが開通しました。まだ無線は張ってないですが、優先でビュンビュン使えます。いやー、家にブロードバンドがあるとは素晴らしい。もはや完全にライフラインですなこれ。ホント。

 というわけで、LINKを4件追加しました。私がお世話になっている整体院K-StyleさんのHPとその院長コトー先生のブログ、今の部屋を探す際お世話になった不動産屋さんイシイプランニングさんのHPです。この3つのページを合わせて日吉カテゴリの作成です。今後はこのカテゴリの拡大を図ろうと思います。そしてギタリスト福田進一氏のブログも追加いたしました。このページはクラシックギター弾きならもう既にご存知の方も多いでしょうが、そうでない方は必見です。

2006年5月5日金曜日

新生活

 どうも随分と更新をサボってしまって申し訳ございませんでした。言い訳をさせてもらえるのなら、引っ越したばかりの今の家には、まだADSLが開通していないのです(泣)。

 近況報告として、引っ越してきた新しいマンションで、妻と二人で暮らすようになりました。こうなるといつものように「正直特別何かが変わったようには思えない」などとすかした台詞を決めることもできません。何しろ厳然とした事実として明らかに、生活が変わったのですから。このGWはまだまだ段ボールに梱包されたままのものが多い荷物の整理と、色々と足りない家具やら小物やらの調達でほとんど潰れてしまいそうな勢いです。

 3日は横浜に行き、ビックカメラと東急ハンズとドン・キホーテを回って、小さくは郵便受けの鍵、微妙に風呂のフタやイス、大きくはキコリの手作り木彫りの掛け時計(尻尾を振ってスイスイ泳ぐ岩魚のオブジェがなかなかかわいい)、果てはシャープのAQUOSとパイオニアのハイビジョンレコーダ(!)まで、結構思い切って散財してきました。

 そして今日は妻が佐賀から持ってきた佐賀ナンバーのスズキのアルトを駆り、横浜初運転(私も横浜初運転)でニトリの港北ニュータウン店へ。コトー先生に「安くておしゃれだ」と存在を教えてもらったのですが、なるほど、確かにその通りです。ここでも食器棚(最近はキッチン何とかと言うらしい)やスライド書棚、カーテン、テレビボード他を思いっきり買い込み、GWの2日目は暮れていきました。明日は秋葉原にCDラックと無線LAN基地局、そして上野に妻のスニーカーを買いに行く予定です。どうもね、CDラックは一台いいものを親からいただいたのですが、それに加えてもう一台どうしても新しいのが必要なようで(苦笑)。QUADRASPIREのはカッコいいし、置こうと思っている場所のスペースにちょうどいい大きさなんだけど、やっぱ高いなぁ・・・。普段これ一個の買い物だけなら買ってしまうところですが、昨日今日と派手に買い物しているだけに悩むところです。うーん・・・。

 しかしなかなか部屋が片付きません。衣類もまだ半分以上はダンボールのままだし、本は今日注文した本棚が届かないと今の手持ちの本棚だけには明確に入らないし、CDも同様だし・・・。今日ニトリで買ってきたスチールラックのおかげで酒が片付いたのは大きな進歩でしょうか?

 何にせよ、新生活です。慣れない二人暮しは、今のところ快適な新居を作るという一点に力が注がれている感じです。ADSLが開通するのもこのGW明け。本格的な更新はそれまでお預けになりそうですし、やっと部屋にカーテンが付いたような段階です。まだまだ、思う以上に慣れないことはこれから出てくるのでしょう。・・・頑張ります。

2006年4月25日火曜日

引越

 この週末は引越しでした。今回は京都から横浜に出てきた前回と違い同じ日吉エリア内での引越しなので、荷造りや移動も割とすんなりといきました。まぁその前に毎日深夜2時や3時まで必死でゴミを整理して捨てる毎日が一週間ほど続いていたわけですが。ともあれ無事新居に引越してくることができました。まだ荷物もほとんど開梱しておらず、部屋の中にはダンボールがゴロゴロしている状況で、3LDKのだだっ広い空間の中では一人じゃ微妙に居場所に困ります。ので、一部屋を自分の住処に決めて、妻が来るまではそこをワンルームマンションのように使って生活して行こうと思っています。

 しかしよく考えれば今住んでいるところもこっちに出てきてからもう5年も住んでるわけです。実はもう京都にいた期間より長い。京都ほど劇的な何かがあの部屋で次々に起こったわけではないけれど、そりゃ愛着も湧こうというものです。今思えば坂がきついことを除けばかなり申し分ない部屋でした。当時新築のオートロック、日吉の丘の谷間に建った、目の前が山のまるで隠れ家のような家。それでもバスやトイレにはタイマー付きの換気扇も付いてるし、内装も落ち着いてセンスがよい、静かでいいマンションでした。またいつも大家さんが自ら周囲の植え込みの手入れや掃除を念入りにやっているのです。そしてエントランスには趣味のいい絵画がいつもかけてあり、季節に応じて花が飾ってあったりするのです。植え込みの手入れをしているところに遭遇して挨拶を交わす以外は自分から住民に積極的には話しかけてこない大家さんが、そういったところで色々と気を使ってくれているおかげで気分よく住めたのだと思います。30日が部屋の引渡ですが、その際は大家さんにも是非お礼を述べたいと思います。

 何はともあれ、さぁ新居です。また、新しい生活が始まります。さてさてこれからどうなるのでしょうか。

2006年4月20日木曜日

新潟県ツールバー

 面白いものを発見しました。その名も『新潟県ツールバー』です。GoogleツールバーやYahoo!ツールバーのような感じでブラウザの一部として組み込まれ、新潟県の情報に素早くアクセスできるという実に熱い(?)ツールです。IE版とFireFox版があり、IE版はWindowsのみですがFireFox版の方はMacやLinux等、およそFireFoxが動作する環境ならもれなく動作するというこの素敵さ。さらに熱いことにこの『新潟県ツールバー』、なんと新潟県のHPからダウンロードできます!県がオフィシャルに開発したものらしいです。といってもツールバー自体はインフォアクシアという会社が持っている『自治体向け広報ツールバー』なる製品らしいですが。何と言うか、えらいニッチなところを狙ってきます。ビジネスとして成功できるかどうかは知りませんが個人的にこの『新潟県ツールバー』、無意味に気に入りました(笑)。

 いや、何が凄いって、当然のように新潟県のHPやニュース、防災情報にワンタッチでアクセスできます。そしてYahoo!ツールバーのようにYahoo!のニュースや路線にもワンタッチでアクセスできるのですが、天気はデフォルトが当然新潟県。そりゃもう当然ですよね。『新潟県ツールバー』ですから。新潟県の天気を見たい新形在住の人であればただのYahoo!ツールバーとして使っても遜色ないです。むしろ本家よりアクセスがいいかもしれません。

 そして何より熱いのがHPの各種解析機能。何で『新潟県ツールバー』にそんな機能が付いてるのか、まったくもって意味がわかりません(爆)。HPの背景色や文字色を自分の見やすいように変換したり(いわゆるユーザーサイドCSSを使用しているのでしょう)、行間を自分好みに拡げたり狭めたりできたりと、普通のインターネットサイトをある程度自分好みに変えていける機能!何故必要なんでしょう?さらに極めつけはHP上の漢字に対してひらがなやローマ字でルビまで振れたりします!凄い!けど意味がわからない(爆)。いやー、普通にYahoo!とかこのayum.jpにもルビ振れますからね。恐ろしい話です。

 というわけで『新潟県ツールバー』、新潟在住の皆さんや新潟を郷里にする皆さんは是非、一度試してみてください。何か、正直何が便利なのかよくわからないけど、とりあえず無意味に楽しいです。

2006年4月18日火曜日

肺炎疑惑

 先週からずっと体調を崩していました。とはいえ会社を休んだのは金曜午前中の半休だけで、あとはごまかしごまかし出社はしていたのですが。やっと昨日辺りから回復基調になってきました。今回の病状は熱は上がらないのですがとにかく乾いた咳が出て痰が絡み、ヒスタミンが多量に分泌されるせいで鼻もグスグスだし目もシパシパします。初期は喉が痛くて嫌な粘液が口の中に溜まったりもしました。そして何よりだるいだるい。最低でした。しかも気管支系の風邪にやられた際に私が気をつけなければいけないのは喘息です。往年の持病喘息。今回も咳がピークに達した木曜夜、久し振りに声もまともに出ない程の大きな発作にやられ、薬を飲んでの静養を余儀なくされました。そして翌朝は半休をとるわけです。

 そして今日出社して聞いたのですが、今ウチの会社、4Fを中心にマイコプラズマ肺炎が大流行しているらしいです。私がいるのは5Fですが、4Fでは今10人以上がマイコプラズマ肺炎で倒れているとか。そういえば5Fでも至る所で乾いた咳の音が聞こえます。

 ・・・私ももしかしてマイコプラズマ肺炎だったんでしょうか・・・。

 どうでもいいですがリンク先の横浜市衛生研究所のマイコプラズマ肺炎の解説、最後の「予防のためには・・・」の部分がもの凄い投げやりな感じがして素敵です。そこまではあんなにキッチリ解説してるのに(苦笑)。

2006年4月8日土曜日

ソルの『幻想曲op30』を探して

 何だか知らないが今朝九時出社の満員電車に乗っている時から、ソルの『幻想曲op30』が頭の中を回っています。あのイ短調の冷たく愁いを帯びた主題がそりゃもうエンドレスです。家に帰ってからこの曲が入っているCDを探したのですが、いや意外と持ってないものです。ブリームの演奏のは持ってますが、実はこの演奏あまり好きじゃないのです。確か「他に誰かこの曲弾いてるの持ってたよなぁ」と思ってクラシックギターのCDを片っ端からひっくり返してガサガサと探すのですが、いやいや意外とないものです。とはいえすぐにブリームの『幻想曲op30』を聴くのも何となくシャクだったので(何でだ!?)、とりあえず冷たくサラッとした古典期スペインが聴きたいというわけで村治佳織の弾くアグアドの『序奏とロンド』を聴きながらAmazonでCD探してました。

 思えばこの曲を初めて(意識して)聴いたのは大阪シンフォニーホールでの村治佳織のコンサート。あの時以来ソルの曲では数少ないお気に入りの1つのこの曲ですが、なかなか録音が見つからないのです。コンサートで弾いていた村治佳織も録音では残していないし、福田進一の2枚のソル作品集にも入ってない。セルシェルが録音しているようですが、・・・品切れです。とりあえずは諦めてブリームの演奏を聴くことにします。誰かソルの『幻想曲op30』のいい演奏が聴けるCD知りませんか?

2006年4月4日火曜日

4月最初の月曜日 - 満員電車考

 毎年のことですが、4月の最初の月曜日の通勤は大変です。学生・社会人問わず新入生が一気に電車に乗ってくるのです。そして学校が始まる新入生じゃない学生も。4月の最初の月曜には、やはり入学式や入社式なんかが多いのでしょう、普段はフレックス出勤であろう人々まで乗ってきます。結果、電車がとてつもなく混む。こればっかりは毎年諦めるしかない、恒例のギュウギュウパニック通勤列車です。いやいや今日もなかなか凄まじかったです。私はいつもスーツの上着の左の内ポケットにPHSを入れているのですが、今日なんてあまりに混み合ってギュウギュウに圧迫され、PHSがもうゴリゴリとアバラに食い込んでミシミシいう始末。「痛い!痛いって!ギブギブギブ!」とか心の中で叫んでみても、誰一人まともに手を動かす余裕すらない車内では、自分も他の誰かも己の身すら守ることは容易でありません。・・・結局一番混雑する自由が丘-中目黒間は左胸のPHSにアバラをヘシ折られそうな痛みと闘いつつ必死で足を踏ん張っていました。

 さて、突然ですが満員電車にはレベルがあります。4月一杯の8時台の電車は上述したようなギュウギュウパニック電車になるわけですが、GWが明けた頃になるとフレックスの人々が元に戻り、5月病の人達が出てこなくなるので少し空いてきます。7月下旬になって学校が夏休みに入ると一気にガラッと空きます。そして9月にまた学校が始まった際にも混雑が始まりますが、これは4月程凄くはありません。きっと大学生や専門学校生の多くは既に不規則な生活に入っているためでしょう。で、12月末以降は割と落ち着いて推移します。

 そんな中、GW明け-夏休み前程度の混雑、仮に混雑レベルP3としましょう、までは電車の中央部、ドアに挟まれた一番広いスペースはギュウギュウになり、両サイドの吊り革を持った人の間にまで人が入っては来るものの、サイドで椅子の前に陣取り、吊り革をつかんでさえいれば割と無難にやり過ごすことができます。ところが、真に混雑する4月の朝8時台や年末の金曜日横浜行き最終電車、これは混雑レベルP4です、になると、椅子の前で吊り革をつかむという行為は逆に自殺行為になります。何故かと言うと、両サイドで椅子の前で吊り革を持った人の間にまで人が入るだけでは飽き足らず、そこにさらに二重三重に人が詰め込まれて入ってきます。すると中に詰め込まれた人の圧力は今度は外へ向かいます。そう、両サイドの椅子の前で吊り革を持っている人の方に凄まじいプレッシャーが来るのです。そうなるとそこに立っている人は悲劇です。目の前では人が椅子に座っているので、真ん中で人に囲まれている場合と違って支えてくれるものがありません。人に囲まれてさえいればとりあえず圧力はありますが立ってはいられるのです。ところが、前に支えがない状態で後ろからもの凄い圧力がかかる。するともう吊り革持って立ってる場合じゃありません。押されてつんのめって窓ガラスに手をついて、体が斜め45度になるくらいの格好で何人分もの体重を支えなければなりません。そりゃもう手がプルプル震えてきます。といって力尽きて崩れるわけにもいきません。それはかなりの地獄です。P4レベルの混雑では、椅子の前に立ってはいけないのです。

 5年の間に培われた、満員電車での悲劇を少しでも避けるための知恵。それはまずこれから乗る電車の混雑レベルがどの程度かを見極めるところから始まります。まぁ、4月中の朝8時台の電車は間違いなくP4レベル。椅子の前には陣取らないように気をつけましょう。

2006年4月3日月曜日

Glenmorangie - グレンモーレンジ アーティザンカスク






グレンモーレンジ アーティザンカスク
Distillery : Glenmorangie

Years : aged 9 years

Area : Highlands

Bottler : Official

Cask Type : first fill/hogshead

Product : 46% vol, 500ml

Price : 7,000yen

Remarks : Glenmorangie Artisan Cask


 北ハイランドを代表する蒸留所グレンモーレンジ。作られるモルトはすべてモルトとして出荷され、一切ブレンド用に回されることはないという、ある意味気高い蒸留所でもある。本場スコットランドではグレンモーレンジが一番多く飲まれているのだとか。ウッド・マネジメントという言葉・概念を作り出し、蒸留した後原酒を寝かせる樽に非常に強いこだわりを持つことでも知られる。ポートワインやマディラワイン、シェリー等でフィニッシュされたウッドフィニッシュ・シリーズはもはやグレンモーレンジの定番になっている。思えばこの蒸留所に関してはブレンドに回されないどころかボトラーズものすらほとんどみかけない。熟成を行わせる樽に強いこだわりと研究心を持つこの蒸留所にはボトラーがただ原酒を買い取って自分のところで熟成させてもオフィシャルを超えることができないからなのかもしれない。あるいはただ単にボトラーにも原酒を回していないだけなのだろうか?

 ともあれそのグレンモーレンジがウッドマネジメントの集大成として出してきたのがこのアーティザンカスクだ。同蒸留所がモルトを寝かせる樽にふさわしい木材を探求するところから始まったこの品には、グレンモーレンジのウッドマネジメントに対する並々ならぬ執念が感じられる。何と言ってもパッケージにどのように作成された樽かが詳細に書いてあるのだ。

 同蒸留所は樽に理想的な木材を探してアメリカ、ミズーリ州のオザーク山に行き着いたと言う。そこは日当たりも悪く、土地もあまり肥沃ではない。だからこそモルトの熟成に向いた木材が育つという。日陰が多く、栄養も少ないところでゆっくりと成長した木からは、年輪が密に詰まった樽に最適な木材がとれる。その中でもさらにアーリーウッドと呼ばれる春材(早材)の部分はレートウッド(秋材)に比べると顕微鏡で見た際にスポンジのような構造で吸水性に富んでいる。その木材を通常機械で2週間程で乾燥させてしまうところを敢えて自然乾燥で2年間かけて乾燥させ、それを用いてこのアーティザンカスクの樽は作られている。樽1つにとんでもないこだわりようだ。

 そのこだわりが生み出したこのアーティザンカスク、実際に飲んでみると実に素晴らしい。色は明るい金色で、9年という比較的短い熟成期間故のフレッシュさが感じられる。香りも軽やかという程広がりもせず、重くという程グラスに溜まりもせず、ふわっとほどよく柑橘系とバニラのような上品な甘さを持って広がっていく。マッカランを始めとするシェリー樽熟成系とは明らかに香りの質が異なる。口に含むと実に滑らかで、フレッシュな柑橘系の香りと甘みがしっかりと広がっていき、すっと消えていく。このモルトの面白いところはその後味で、一旦余韻が消えたかなと思った頃に、最後にまたもう一回口の奥から少々まったりとしたバターのようなフルーツのような不思議な甘みが蘇ってくる。またその感覚がよい。

 グレンモーレンジが生み出した徹底的な樽へのこだわりによるこの逸品は、9年という短い熟成期間にも関わらずその倍の時間を経た他のモルトと比べても遜色のない素晴らしい出来映えだ。何しろ私は5,000円以上のモルトをこのアーティザンカスクで初めてリピートした。アップした写真は2本目のもので、今1本目の最後の一杯を飲みながらこれを書いている。容量が500mlとやや少ないことを考えると、やはり少々値の張るモルトであることは確かだが、それにしても掛け値なしにおいしい。作り手のこだわりと執念は、9年の熟成でもここまでおいしい程のものを作り出せてしまうのだなと畏敬の念すら覚える。このモルトは長期熟成でもいけると思うので、いつかきっとアーティザンカスクの長期熟成ものが出てくるだろう。その時は、きっとさらに激しく値が張るだろうけど、是非飲んでみたいと思う。あと何年後かわからないが、楽しみだ。

2006年4月2日日曜日

年度末を迎えて

 年度末。年度末です。今年も色々ありました。人の出入りがとにかく激しい年で、仕事のやり方・在り方も一年の間で大きく何度も変遷を繰り返した年でもありました。ウチの会社が上場したり、グループの製品開発の体制・姿勢・方針に大きな変革がもたらされたり、付き合いのある会社の倒産騒ぎやら何やら、とどめは次の新年度に向けての(ウチにしては大きな)人事異動、いやいや盛り沢山な一年でした。まぁそのおかげで大変ではありましたが色々と経験にもなりました。この一年で受託開発でもプロダクト開発でも普通に現場の設計・コーディングからテスト・バグ潰しまで関わって、なおかつプロジェクトのマネジメントまでやってしまう、最近流行りのプレイング・マネージャー的なスタイルが定着してきた感があります。ヤクルトの古田選手が選手兼監督になって世間で注目された際、「んー、冷静に考えれば俺もPMじゃん!?」とか思ったものです。

 というわけなのか何なのか、年度末の金曜日というこの上ないシチュエーションの下、昨日は異動になる人の送別会から始まり、久し振りに渋谷で朝までひたすら飲み続けていました。最後は始発までショットバーのカウンターに5人で座り、一人、また一人と突っ伏して眠りに落ちていく中、新潟出身の後輩と私の二人だけが生き残って朝の5時まで延々とウィスキーをストレートで飲み続け、マスターから名刺をもらって家路に着いたとのことです。たまたま朝5時まで開いているバーを見つけて入ったのですが、なかなかウィスキーの品揃えのよいシックなスタイルのバーでした。お酒の話で盛り上がるとバーテンダーさんは仲良くなってくれるもののようです。「コイツは酒好きだから金取れる!」とか思ってるのかもしれませんが(苦笑)。

 しかしさすがに朝まで飲み続けると疲れます。でも今日はしっかりと午後から普通に仕事をしていたとのことです。

 さて、月曜からまた新しい一年です。この一年は公私ともに大きな正念場になるでしょう。んー、頑張らないとなぁ・・・。

2006年3月27日月曜日

新居決定

 ずっと延び延びになっていた新居の部屋探しですが、無事に今日決定いたしました。K-Styleコトー先生に「凄く親身になって部屋を探してくれる人だから」と日吉の不動産屋イシイプランニングさんを紹介していただいたのが記録によると11月20日。それで決まったのがやっと今日ですから、いかに私の腰が重かったかが伺い知れます(苦笑)。ともあれそんな長期間に渡り、ロクに反応すらしないことも多かった私にめげずに色々な物件の情報を送り続けてくださったイシイプランニングの石井さんに感謝です。

 私が石井さんの店を訪れるのはいつも突然で、最初もコトー先生に紹介の電話を入れていただいて3分後には店に行ってましたし、メールでやり取りをしていて紹介いただいた物件を自分で見に行った帰りにフラッと寄ることもありました。そしていざ部屋を決めた今日も「昨日ご紹介いただいた物件、やっぱ見てみたいんで午後から行っていいですか!?」くらいの勢いで朝にいきなりメールをして飛び込む始末(爆)。そのくせ向こうからいただくメールへのレスポンスはあまりよくなかったので、きっと厄介な客だったことでしょう。それでも行く度に丁寧な対応をしてくださり、各物件のいいところも悪いところも忌憚なく教えてくださるので物件を選ぶ際のいい参考になりました。突然フラッと店に寄った際、部屋を決める時期に関してご相談させていただいた際も非常に的確な回答をくださり、おかげで焦ることなくいい部屋を探せることができました。日吉で部屋を探すことがあるのならイシイプランニングさんはお薦めです。

 今度の部屋は駅からは少し離れています。歩けば歩けないことはないですが、基本的にはバス圏内でしょう。ですが都会にしては珍しく周囲に畑があるほど静かな新興住宅街で、建物は古いですが部屋はリフォームのおかげで非常に綺麗ですし、何よりとても広いです。オールフローリングで7畳、6畳、6畳、16畳(!)の3LDK。それでも今の部屋の家賃に2万円足した程度なので価格的にもお得です。高台のマンションで周りに他に高い建物がないので、部屋からみなとみらいのランドマークタワーなんかも見えます。昼の展望もよいですが、きっと夜景もいけるに違いありません。なかなか、住むのが楽しみです。まぁ、高台にあるということはまた日吉の坂と闘うロケーションであることは確かなのですが(苦笑)。

 こうして、新しい生活の準備が少しずつできていきます。ふむ、何だか不思議なものです。

2006年3月26日日曜日

消えていく思い出達 - 神戸ポートピアランド

 神戸にある遊園地、『神戸ポートピアランド』が今月一杯、31日をもって閉鎖になるというニュースを聞いた。神戸の海に浮かぶ人工島都市ポートアイランドにあるこの遊園地に初めて行ったのは、高校の修学旅行の時だった。神戸では一日自由行動、宿泊は京都なので各自神戸から京都に移動して京都で集合というある意味リベラルな修学旅行。とはいえ修学旅行という建前上、規律的にはポートピアランドのような遊園地に行くことは許されないわけだが、そこは体育祭をばっくれてもばっくれたことがばれないくらい用意周到な我らのグループ。学校から支給された『写ルンです』には午前中に行った異人館での写真をひたすら詰め込み、ポートピアランドでの写真はプライベートのカメラに集中させるという計画的な行動で無事に遊園地で遊ぶ午後を手に入れることに成功した。

 ポートピアランドは楽しかった。当時組んでいたバンドのメンバーと神聖皇帝らで構成されていたウチらの班(本来同じ組でのみ構成されるはずの班だが、ウチらには「同じ組のヤツといてもつまらん」と言って抜けてきた他の組のバンドメンバーもいた。そして驚くくらい女っけの無かったウチらのグループは、当然のように男だけで構成されていた)は、とにかく絶叫系のアトラクションを中心に神戸の遊園地を堪能しきった。絶叫系のアトラクションにリピートも含めて10回以上乗った結果、京都に向かい疲れ切った電車の中では目を閉じると空間が加速する感覚が蘇るくらいにまで感覚が研ぎすまされ、「あー、目を閉じると今でもジェットコースターに乗ってるみたいだよ」とか言いながら京都へ向かっていたのを覚えている。

 特にお気に入りで思い出深いアトラクションは『リバーボート』と『フライング・カーペット』、そして何と言っても『スーパー・ループ・オン・トップ』。後の2つに至っては検索するまでもなくその名前が思い出せるほど印象深いアトラクションだった。

 『リバー・ボート』は文字通り川の中をボートで進んでいくような感覚が味わえるアトラクション。ディズニーランドで言うところの『カリブの海賊』だろうか(ちなみにディズニーの『カリブの海賊』もお気に入りのアトラクションの1つである)。まず高い方へとボートが登った後、水の流れの中をゆったりと進んでいき、最後には11mの高さから滝を落ちるような感覚で下っていってフィナーレを迎える。その上層部でのんびりと水流の中をボートが進んでいく中、前に乗っていたバンドメンバーとお互いの姿を撮り合った写真が残っている。

 『フライング・カーペット』は何のことはない、船状の乗り物がグオングオンと前後に大きく揺れるブランコのように振り子運動を繰り返すだけの代物。それだけでは大して面白くはない。が、それに乗った神聖皇帝のリアクションが最高だった。不慣れな絶叫系アトラクションに凍り付く神聖皇帝。その横で振り子運動のピークに会わせてブッチャーの地獄突きのように掌を上に指を揃えて腕を突き出しながら、「ブシャーーッッッ!」とか叫び続ける私達。妙に楽しかった。

 そして一番のお気に入りが『スーパー・ループ・オン・トップ』だ。これはある意味斬新なアトラクションで、スピードではなく回転や捻りで勝負してくる。椅子に座った状態で360度グルングルン回されたり、完全に上下逆さま天地無用になった状態でピタッとしばらく静止し、「おやっ?」と思った頃に突然回転を始めたりして、とにかく変な重力体験をさせてくれるアトラクションだった。ジェットコースターは進行方向へのスピード感とGで勝負をするが、これは完全に天地無用の無重力状態で頭と足がクルクル地面に対して入れ替わる、そんな回転と万有引力に逆らう感覚が魅力のアトラクションだった。私とバンドの2ndギターをやっていたヤツはこれがとにかく好きだった。間を溜めてグルン、グルン、と回る度に、それに合わせて手を突き出し、「ブシャーーーッッッ!」とか叫んではゲラゲラ笑っていた。この乗り物が本当に気に入った私と仲間は、フリーパスを使って計4回ほど繰り返し乗ったものだ。大学時代にも1、2回ほどポートピアランドには来たが、その時もこの修学旅行でのことを思い出しながら、少し感傷に浸りながらこの『スーパー・ループ・オン・トップ』に乗っていた。

 神戸ポートピアランドには、そんな高校時代の思い出が詰まっている。新潟の、文字通り田舎の高校生にとって、あそこはもの凄く刺激的だったものだ。私達が神戸を訪れた数ヶ月後、あの阪神・淡路大震災によって思い出の地の1つである異人館は一旦潰れてしまった。だから、大学に入って初めてポートピアランドに行った時、『スーパー・ループ・オン・トップ』等の当時のアトラクションがそのまま残っているのを見たときは変に嬉しくなったりしたものだ。ポートアイランド自体は全体が液状化してしまい大変なことになったらしいけれど。

 そういった思い出の地がなくなる。寂しいことだ。もう二度と行けないんだなと思うと、閉園までの間にもう一度行きたくすらなってくる。まぁ、遊園地に一人で行くのはあまりに現実的ではないのだけれど。当時神戸の町並みがえらく気に入った私は、京都のホテルのベランダでバンドの仲間と酒を飲みながら(高校生だろ!? というツッコミは今更やめていただきたい)、「将来はこの神戸や京都で頑張ってみるのもいいかなと思った」と語ったことを覚えている。そしてその二年後、無事に立命館に合格を果たした私は京都に出てくることになるわけだ。

 神戸ポートピアランドもここ数年は客足が伸び悩んでいたらしい。この社会ではどんなに望んでも仕方のないことはあることはあることはわかっている。わかっているから、寂しいけれど閉鎖という事実をどうすることもできない一個人としては、せめて思い出を書いておくことでこの素晴らしい記憶をくれた遊園地と、高校時代への私達自身へのオマージュとして記録しておこうと思う。それは多分に感傷的な理由からだけれど。まぁ、たまには感傷も悪くない。

 これはまったくの余談ではあるが、修学旅行でポートピアランドを楽しんだその夜の京都の河原町での自由行動の際、私とバンドメンバーの一人はホテルに戻る時間になっても帰らずに教師をやきもきさせ、切れる寸前まで追いつめた。その理由は「夜に飲む酒を売っているところを探して買っていたから」だ。しかしそれ以前に家族旅行で何回か京都に来ていて、河原町の地理にそこそこ詳しい私のことを知っていた仲間達は、まったく心配をしていなかったらしい。「まぁアイツのことだからどこかで時間を忘れて何かをやっているんだろう」と。まったく、私はいつもそんなキャラだ(苦笑)。

2006年3月22日水曜日

札幌出張

 昨日・今日と札幌に出張していました。幸か不幸か3月末らしからぬ低気圧にブチ当たり、着くなり真冬と見紛わんばかりの風雪に見舞われました。いやー、寒かったです。昨日今日とずっと結構な量の雪が降ってましたからねぇ。まぁ多少寒いくらいの方が北海道っぽくていいと言えばいいのですが。

 今回は札幌という遠い地での納品・教育ということで、朝7時半羽田発の飛行機に乗り、10時過ぎに客先着、その後は午前中に納品作業で午後から教育を実施するという実にタイトなスケジュール。一歩でも予定が狂えばもうサヨナラの、なかなか緊張感溢れる仕事でした。まぁ結果としては無事予定通りオンスケですべてを終え、夜には一仕事終えた感満載ですすき野に飲みに行くこともできたのでよしとしましょう。北海道の海の幸を堪能し、上司と営業と別れてお互い個人プレイに走った後は雪降りしきるすすき野を真っ白になりながらよさそうなバーを探して、結局サントリー直営のバーを見つけてそこで一人でひたすらシングルモルトを飲んでいました。バーテンダーさんとモルトの話で盛り上がり、最後には普通には売ってない(おそらく山崎蒸留所に直接行かないとない)山崎15年の樽出し原酒をいただいて、またそれが非常においしくて、かなりご満悦に酔っぱらってホテルに帰って行ったとのことです。山崎のいわゆるカスクストレングスですね。樽から出してそのままのヤツなので、度数も56度あるのですが非常にまろやかでおいしかったのです。全然度数が強いとは感じない。とはいえそれを普通にストレートで飲んでいたらバーテンダーさんに「いい飲みっぷりですねー、56度もあるのに」とつっこまれたとのことです。しかし非常においしいモルトだったのは確かなのですが、翌日冷静になった頃に計算してみたらあの一杯が2,000円くらいしてた・・・。そういや「山崎15年のカスクは非常に貴重なものなので、ちょっとお高くなってます」と会計時に言われたような・・・。まぁ、いいです。

 北海道はいいですね。食べ物もお酒もおいしい。とはいえさすがに遠いので、あまり頻繁に行くとなると辛いですが、たまに出張する分にはいいかなと思います。お土産もおいしいの多いですしね。まぁ今回の案件を無事に導入成功させて、これを機に次の案件へと拡げていって定期的に札幌を堪能できるようになればなと思います。かしこ。

2006年3月18日土曜日

麦焼酎 小城






小城
製造元 : 天山酒造

熟成年数 : -

地域 : 佐賀

原材料 : 麦・麦こうじ

製品情報 : 25度, 720ml

価格 : 1,100円

備考 :


 シェリー樽熟成の麦焼酎。その売り文句は、一部の人には目に入った瞬間に激しくツッコミを入れたい衝動を覚えさせるはずだ。私もそうだった。そして実際心の中で大きくツッコミを入れた。「シェリー樽熟成の麦焼酎って、・・・ウィスキーかよっっっ!!!」

 というわけでこの「小城」、焼酎なのにシェリー樽で熟成をさせているという一風変わった一品だ。熟成の樽にシェリーを使うのは有名どころではマッカランがそこにこだわり続けているようにモルトの世界では珍しいことではない。だが、焼酎の世界ではさすがに珍しい。瓶で貯蔵することがほとんどで、他の酒が一度寝かされた樽を使用して貯蔵することなど焼酎の世界ではまず考えられない。どうでもいいけれど熟成に使っているシェリー樽、一体何処から仕入れているのだろう・・・? まぁともあれ、モルトも麦、そしてこの小城も麦焼酎。当然のことながら「モルトウィスキーみたいな味わいがするんだろうなぁ」という想像が成り立つ。というわけで、何はともあれ実際飲んでみた。

 色は薄く明るい琥珀色。若いモルトウィスキーを連想させる色合いだが、焼酎としてはここまで色が着いているのはやはり少し珍しい。非常に柔らかで丸い香りの奥にはやはり、麦焼酎というよりはスペイサイドのモルトを彷彿とさせる華やかな甘みが隠れている。味も非常に繊細できめ細かく、「焼酎」という響きが持つ荒々しさは微塵も感じられない。焼酎というのは基本的には甘い酒ではないので、甘みと言っても普通は余韻の中に米や麦、芋といった原材料に由来する甘みがほのかに感じられる程度のものなのだが、この小城に関しては口当たりからしてほんのりと甘みが感じられる。おそらくシェリーに由来するものであろう、微かに果実的な甘み。とはいえ明らかに「甘い」というほどのものではない。微かですっきりとした春風のような印象。焼酎としては確かに甘口の部類だろうが、飽きがこない。実にいいバランスを持っている。飲み方はやっぱりロックがお薦め。最近はお湯割りもおいしくいただけるようになってきたけれど、この小城はロックが一番似合うと思う。華やかな甘さに一本張りが出るし、氷に負けない芯の強さもある。

 製造元の天山酒造は焼酎よりは日本酒の蔵元として有名。佐賀県の小京都小城に蔵をかまえ、その蔵は国の有形文化財にも指定されている。全国桜百選にも名を連ねる小城公園、全国棚田百選及び農村景観百選指定の江里山地区等、とかく自然に恵まれたこの土地は、やはり水も素晴らしい。全国名水百選に選ばれた「清水の滝」が蔵の近くにあり、そこと同水系で蔵の前を流れる祇園川は天山山水系の清流であり源氏蛍発祥の地でもある。現在でも全国有数の蛍の名所であるこの川の水は、酒造りに悪影響を及ぼすと言われている鉄分が限りなく0に近い。そのような素晴らしい水を使って作られている酒がまずいわけはない。

 この「小城」も値段こそ1,100円と高くはないが、この価格からは想像もできないほどおいしい酒だ。なんというか、佐賀に行く度に思うのだけれど、佐賀県の人って商売っけがないからなぁ・・・。東京なら数倍の値段でも行けるくらいの商品やサービスを信じられないくらい安い値段で出してくる。しかも宣伝もする気がないらしく基本的に無名なまま。隠れた名品が意外に佐賀には多い。この小城もそんな隠れた逸品の一つだ。