2011年12月27日火曜日

災いの年

 年末ということもあり過去の修理伝票など整理していて、ふと8月の頭で手が止まりました。7月29日~30日にかけて新潟・福島を襲った豪雨は、ウチの店の近辺である三条・加茂の信濃川沿いにも大きな被害を与えました。その水害で、水に潜ってしまった機械の修理依頼が入り始めるのです。



 7月30日が土曜日だったので、週が明けて8月1日からすぐ修理依頼が来るかと思いきや、実際に依頼が来始めるのは1日おいて2日から。1日の時点ではまだ地面がドロドロで、お客様も状況を確認したくても入っていけないエリアも多かったのです。そこから何枚も続く、水に潜った機械の修理伝票。改めて、災害の被害の大きさを感じます。

 今年は東日本大震災もあり、和歌山でも豪雨被害があり、全国的に自然災害が多い年でした。自然ばかりはどうにもなりませんが、来年は大きな災害がないようにと願う年の暮れです。

2011年12月21日水曜日

イリーナ・メジューエワ ベートーヴェン後期ピアノソナタ@りゅーとぴあ

 本日はりゅーとぴあにてイリーナ・メジューエワのコンサートを聴いてきました。プログラムはベートーヴェンの後期ピアノソナタ。第27番と第30番~32番です。これらが生で聴けるというだけでよだれものの、神々しい名曲達。先にイリーナ・メジューエワのショパン及びリストのCDも聴いてみて、その清廉で音楽が自然に響く演奏に、さらに期待を高め、本日行ってまいりました。

 コンサートは素晴らしいものでした。イリーナ・メジューエワのピアノは、透明で温かな水のような美音を基調としながらも、激しく攻めるところではその細い体からは考えられないほどの音量・迫力で迫ってきます。その音のキレも凄まじく、またその強奏から弱音への音量・音色の切り替え方も鮮やか。まさに様々に装い、ふるまいを変える水のように、時に鏡の上を滑る水のようになめらかに、時に岩をも削る激流のように、表情を変えながら音楽を創り上げてきます。

 特に印象に残ったのはまず第27番の第2楽章。音楽が始まった瞬間、その場の空気が変わりました。柔らかく透明な音色に包まれた、あの優しく牧歌的な旋律。「ああ、27番ってこんなにいい曲だっけな」と思うほど、会場をその音楽の世界で満たしていました。

 そして第30番での泉からどんどん湧き上がる清い水のような音楽。第2楽章では時にペダルを踏む足音を響かせながら鬼気迫る演奏を聴かせてくれます。本当にあの細い体のどこからあれ程の鋭く気迫に満ちた音が出てくるのか。

 第31番では嘆きの歌からフーガへつなぐ和音の、嘆きがためらいながらも救済のフーガへ収束していくその自然と息が吸い込まれるようなアーティキュレーションに目を見張りました。

 そしてやはり凄かったのが第32番。力強く、デモーニッシュな迫力すら感じる第1楽章から、美しさを極めた第2楽章へ。清澄した水の玉が輝いているような高音が、本当に天国的に美しい。最後のトリルに入った時は「ああ、もう終わってしまう」と曲が進むのが残念に思えるほど、その素晴らしい音楽にひきこまれていました。

 イリーナ・メジューエワの何が凄いかというと、もちろんその音色の美しさや強奏時の迫力、その切り替えや多彩な表情も見事なのですが、それらを駆使して演奏をする果てに、最後にはメジューエワという奏者を超えて曲そのものの素晴らしさが見えてくるところ。彼女の演奏を聴いていると、この曲はやはり素晴らしいなと素直に感じられるようになってくる。演奏が凄いと感じるのでなく、音楽が素晴らしいと感じてくる。そこが、何よりも凄いところだと思います。美しい音色も、力も、確かな技術も、あらゆる発想も、持てるものをすべて使い切った果てに音楽が浮かび上がる。素直で、清廉に磨き上げられた音楽そのものの魅力が。それこそ、確かな音楽性によるものなのだと思います。そして、その音楽が心を洗い流してくれる。

 今日は素晴らしいコンサートでした。聴衆も非常にリテラシーが高く、曲が終わった後すぐに拍手をしたりしない。メジューエワが手を下ろし、一息つくまでまってから熱烈な拍手。音楽の余韻までしっかり味わうことができました。終焉後、第32番が収録されているCDを所望し、サイン会でサインをもらって、感動に加えてほんのりミーハーな喜びも満たして帰ってきましたとさ。

 でもこんなに素晴らしい内容なのに、かなり席はガラガラだったのです。おかげでCD買うのにもサインもらうのにも大して時間かからなかったのはいいのですが、これだけのコンサートにあれだけしか人がいないのは、正直寂しい気もしました。平日だからでしょうか?ベートーヴェンの後期ピアノソナタは『悲愴』『熱情』『月光』辺りと比べて人気がないからでしょうか?それともイリーナ・メジューエワがまだあまり名前が知られてないせいでしょうか?あまりに、もったいない。これだけの音楽が、新潟で比較的手ごろなお値段で聴けるのに、とかもちょっと思ってしまいましたとさ。

2011年12月19日月曜日

ピアノ発表会見学

 昨日は上の娘が習いに行っているピアノの先生の教室の発表会でした。ウチの子はまだ習い始めて間もないので今回は出場せず、観客席でただ聴くだけでしたが、一緒にいった自分はなかなか楽しめました。

 まだ若い先生で、発表会に参加する生徒も下は幼稚園の年長さん、上でも中学一年生。わずか6、7人の生徒が2巡するだけの発表会です。それでも皆、上手に弾いたというのもそうですが、それ以上にピアノを楽しんで演奏していたのが凄く気持ちよかったです。

 見ていると、この先生はこの発表会に向けて生徒が選んだ曲は、ポピュラーでもジャズでも、先生自身が知らない曲でも、それでよしと認めて指導してきた様子。普通先生って自分の知らない曲、ジャンル外の曲って嫌がるんですけどね。それもあって生徒達は自分の好きな曲をいきいきと演奏していたのだなと思いました。

 ある程度以上のレベルを目指すなら、課題曲を通じて技術的なステップをクリアしていく過程も必要でしょう。でも、それ以上に先生はまず音楽を楽しむことを大事にしているようで、それは凄くよいことだなと思いました。ピアノが上手になるために、音楽が嫌いになったら意味がないですから。いい先生についたなと感じる、暖かい発表会でした。来年はウチの子も出られるようになってるといいなぁ。

2011年12月18日日曜日

クラギタ50回目の定演の報を聞き

 昨日出身校クラシックギター部の50回記念となる定演があり、そこで藤井敬吾先生の委嘱新作となる合奏曲『暁のファンファーレ』を演奏したとのこと。スネアやら叩き、グリッサンド、果てはバルトークピッチカートまであるという特殊技法が散りばめられた弾くのが楽しい曲ということで、きっと色々な意味でスリリングな曲だったんでしょう。 50回という節目でプロの作曲家による委嘱新作を自分達で演奏するという挑戦。その意義は大きく、後輩達の順調な発展と挑戦は、話に聞くだけでもやはり嬉しいものです。

 自分達の頃は、何はともあれまず"自分達で編曲をする"ということが挑戦でした。前年まではしばらくプロの先生にオーケストラ曲の編曲を依頼して、それを演奏するという文化が続いていたのですが、自分が2回生の時はそのいつもの先生が練習を開始する時期になってもなかなか編曲を上げてくれず、あまつさえ上がってきた譜面が「こんなんギターで弾けるか!」と叫びたくなるような非ギター的な譜面。当時の指揮者・パートリーダー達は随時そこを苦心して手直ししながら練習していきました。その不毛さに怒った私は、「来年は自分が編曲をやる!」と言い放ち、手探りで編曲を始めたものです。今思えば断片的な楽典知識はあったとはいえ、宣言した当時の状態からするとなかなか無謀に近いチャレンジです。それでもまぁ何とかノーテーションソフト『Encore』の力もあり、オーケストラの譜面を読む訓練もして、何とかブランデンブルグ協奏曲第3番(第1楽章)や威風堂々第1番等を編曲してきました。おかげでオーケストラの譜面を読んでアルト、バス等の合奏用ギターを含む合奏用の譜面に(多少の手心を加えた上で)コンバートするという特技が身につきました。

 余談が長くなりすぎましたが、当時の自分達はそこまでが挑戦でした。それは大きな挑戦ではあったけど、クラシックギター部が自立するための小さな一歩でもありました。当時師事していた尚永豊文先生に「来年は編曲を自分がやります」と話した時、ここ数年は外部に編曲を依頼していたことをお話しすると「甘えていましたね。自分達でやることはいいことです」と仰っていたのを思い出します。編曲も自分達でやることで、音楽に向き合うことができたのは、確かに厳しい側面もあったものの、実際いい経験でした。

 自分が卒業してから10年以上が経ち、その間自分の後のクラシック技術部長達には自分など及びもつかないような実力を持った人達も就いていきました。卒業後も何曲か合奏用に私が編曲をさせていただいたこともありますし、藤井眞吾先生に編曲をお願いしたこともあったようです。今でもクラギタのBOXに顔を出す同期に聞くと、自分らの頃とは大分雰囲気も変わったそうです。それでも、大学で公式に部として昇格して50周年となる節目の年に、フラメンコは記念イベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』を開催し、Aアン大合奏では藤井敬吾先生の委嘱新作を自分達で演奏できる。それだけの大きな活力を持つ今の後輩たちを頼もしく思うし、嬉しく思います。今後も楽しみになります。自分達がいた頃とは空気や何やらは変わっても、自分達がそう感じたような、あるいはそれ以上のいい部であるのだなと、その活動を通じて感じることができました。

 現執行部の皆さん、部員の皆さん、50回の記念となる定演での大きな挑戦、お疲れさまでした。是非今後とも、頑張ってください。

2011年12月14日水曜日

TPPという名の世界均質化

Twitterで平川克美氏(@hirakawamaru)が以下のようなツイートをされていました。


多国籍企業の論理や行動は、基本的に超国家主義的であり、覇権主義的にならざるを得ない。法人税率を上げたり、規制があると海外へ逃避してしまうと脅す人がいるが、そうしなくてもボーダレスに消費者を探し、安価な労働力を探しまわるものだ。ボーダレスな焼き畑農業をやっているわけだ。

多国籍企業の利益をもとに、国民国家を論じるのは、筋違いである。多国籍企業の利益は、そのまま多国籍でアノニマスな株主の懐へ納まる。

新自由主義のメリットは、ほとんど多国籍企業のためのメリットと同じだ。国民利益とは、なんの関係もない。にもかかわらず、経済政策は、多国籍企業やアノニマスな株主に配慮してばかりいる。

 TPPに感じる違和感、それは「国に縛られない企業の論理を、国土と国民に縛られざるをえない国に適用する」ところにあるのだなと、これを読んで感じました。国土や国民にしばられることなくコストを下げ、収益を上げたい企業論理。その論理をどうしたって国土や国民が前提となる国に適用することで、ビジネスに関して国の差、地域差をなくそうというのがTPPです。そもそも前提となる範囲が異なる規範を無理に適用しようとするから齟齬が生じるのだなと。

 その国土、国民性に合った農業や医療、法令、ビジネスが本来はあるはずです。でも「その国に合った」なんて考えてたら国ごとにビジネスを考えなきゃいけなくなって非効率だから、「じゃ、その差を考えなくていいようにルール作りましょ」ってのがTPP。グローバル化はイコール均質化です。TPPの無理があるところは、実際これだけ異なる世界を、論理的に一つと見なそうとするその本質の部分にあるのだなと、改めて感じました。

Google『未来へのキオク』

本日、Googleが東日本大震災被災地の最新のストリートビューを公開しました。あらためて津波被害地域等を眺めてみると、いまだに荒れ果てたままの街並みと、時折警備員の姿が飛び込んでくる非日常的な世界。胸が痛み、言葉をなくします。震災から9ヶ月、震災後の生活は既に日常に溶け込んでしまった感もありますが、こういった映像を見るとまだ震災は、復興は、まったく終わっていないのだと強く感じます。

以下は、Googleのサイトの文の転載です。
今回のデジタルアーカイブプロジェクトは、震災の被害の大きさをストリートビューの技術を活用し、撮影・公開することで、世界中の科学者や研究者だけでなく、一般の方がこうした情報にアクセスできるようになり、地震や津波が引き起こす被害を知っていただくきっかけになるものと考えています。これが、後世に震災の記録をきちんと継承し、震災の記憶の風化を防ぐことにつながることを期待しています。
震災を風化させず、未来への記憶と記録をつなごうというGoogleの強い意志を感じます。

2011年12月11日日曜日

農家のこせがれネットワーク:農と食の新潟地域交流会@新潟

 本日は農家のこせがれネットワークの地域交流会が新潟で初めて開催されました。以前エコノミストで代表宮治氏のインタビューを読んで以来彼らの活動がどんなものか興味を持っていた自分は一体何をやるのかもよくわからないまま、とりあえずまずは参加してきました。

 第一部は「農家のこせがれ地域交流会」ということでしたが、今回残念ながらイベントの告知自体が開催一週間前だったということもあり農家の方は非常に少なく、それどころか参加者自体が非常に少なく、そのせいもありどちらかというとこせがれネットワークの紹介がほとんどの感じでした。それでも10名に満たない参加者は非常に意識の高い方々で、特に魚沼の農業関係者の方々が仰っていた「魚沼コシヒカリのブランドも内部的には崩壊の危機感が募ってきている」という趣旨のご意見には考えさせるものがありました。

 その後意見交換の中でも出てきましたが、外から見ると盤石に見える"魚沼産コシヒカリ"のブランドも、実は案外消費者から「こんなものか」と受け止められてしまうことがある。これは生産者による質の違いもあり、その質の違いをすべてブレンドして出してしまう流通の問題でもあり、なかなか根の深い問題です。個人的には山形の「つや姫」を筆頭に、他県が打倒新潟コシヒカリを掲げて頑張っている中、少々新潟は後手に回ってしまったのかなという感は正直あります。ただ、その中でも個人レベルでは危機感を持って食味・品質の向上に努めておられる農家の方が魚沼に限らずおり、私の周辺地域の農家の方もそういった方々はやはり一般的な魚沼産コシヒカリより(私が食べて)美味しいと感じるようなコシヒカリを生産されています。問題はそれが農家対消費者で直接届く場合はいいとしても、流通を通すと悪い言い方をすればミソもクソも一緒にされるようなやり方で、でもそれが"新潟米"だとして出ていく辺りにもあるのだと思います。新潟では単純に地域で分けて価格が決められているのも問題の一端としてはあります。そういった"コメ王国新潟"が抱える問題点は、やはり県内どこの現場でも感じていることなんだなと確認することができた点はよかったと感じています。

 二部は農家のこせがれネットワークから離れ、奨学米プロジェクトのイベントに移ります。これは大学生に農家の作業を手伝ってもらい、その代償として奨学金の代わりに自分が手伝った農家から米が送られるというプロジェクトで、今年が一回目のようです。企画自体はまぁ正直ありそうな感じだったのですが、ちょっと驚いたのがその構成人員。大学生は最初当然新潟大学の学生なのかと思っていたら、なんと全部首都圏の大学生。それが新潟の農家に来ていたというのです。そしてその(奨学米プロジェクトの言葉を借りれば)コメ親さんとなる農家の方々も、自然派農業、有機農業で筋を通してやっておられる非常に熱意のある方ばかり。この組み合わせには少々驚きました。そしてこのプロジェクトの年間活動報告の後、自分が手伝った農家さんから米を手渡された大学生達は一人一人感想を述べていくわけですが、それがまた面白い。各人奨学米プロジェクトに参加したきっかけは様々です。農業に興味があった、流通に興味があった、オシャレなオーガニック食品が好きだった、等々様々です。で、ほとんどは家が農家ではなく、都会生まれ都会育ちの大学生達。そんな大学生が、田んぼに素足で入って除草をしたり、畦草を刈ってニワトリの餌にしたりする。そして自然から色々なことを学ぶんだという農家の方々と話をして、人生について考える。このプロジェクトの非常に面白く、また素晴らしいところは、参加した学生達がほぼ例外なく、農業体験を通じて農業だけではなく、食について、また人生について深く考える機会を得たというところです。学生達は次々に口にしていました。普段東京の高級なスーパーで並んでいる綺麗なオーガニック食材にも、これだけの苦労をして作ってくれている人がいる、そんなことも気付かないでこれまで生活してきていたと。この食べ物がどれだけ大切なものか、体験を通じてわかった。これからは米の一粒も大事に食べていきたいと。そういった都会暮らしから、いわゆる昔ながらの土と結びついた暮らしへの、価値観の転換、パラダイムシフトを学生達に起こしたというのが、このプロジェクトの一番凄いところだと感じました。たった3回の新潟での農作業でも、米を受け取る時には涙ぐむくらい大切な体験ができる。これは受け入れ先となった農家の方々の仁徳もあるのでしょう。そして一面、都会の暮らしがどれだけ土と離れているかもあるのでしょう。色々と考えさせられる話でした。

 そしてまた面白かったのが最後のパネルディスカッション。これまでの流れを受けて「農と地域の活性化」という題目で30分ばかりの意見交換だったのですが、大越農園の大越さんの発言が奮ってました。曰く、農業を使って何か企画しようという時、例えばホテルがグリーンツーリズム的に宿泊と農業体験をセットにしたパックを作ろうとした時、ホテルは宿泊場所は用意するから後のプランは農家にすべてお願いしますと丸投げてきたりすることが多い。あるいはマルシェで出店依頼があったとしても、例えば東京まで出ていくのにはその交通費、新幹線で行ったら2万円、その他農産物を送る手間や送料があって、売れ残ったらまた地元まで送り直さないといけない。それらで無駄になる時間や手間、コスト、そういったものはすべて農家が背負わなければいけない。農を絡めた企画を立てるのはいいけれど、今はそれに関わるリスクをほとんど農家が背負っている場合がほとんどだ。これから本当に農で地域を復興していきたいのなら、そのリスクを農家だけに重く背負わせるのではなく、リスクを分散する、あるいはリスクに見合うだけのメリットを明確にして進めていかなければいけない。そう仰ってました。至極、真っ当な意見だと思います。個人的な見解としても、世の人が企画ごとに農家を巻き込む時、ともすると農家を聖人的に見てしまう。農家も商売で、コスト管理、リスクヘッジ等あることを忘れてしまう。変な言い方をすると、農家をビジネスマンとして見ない。そんな空気への警鐘もあるのだと思います。ここは継続的に農業の発展を望むなら考えなければならないところで、農家だけがリスクを過大に背負う形では、いずれ今やっている農家達もリスクの大きさに潰れる時が来ますし、そのリスクの大きさが一般的に認知されれば新しいことへの参加は及び腰になります。だからここは継続的発展のためにはしっかり考えないといけない。これは強く感じました。

 同じく大越さんが仰っていたことで、地域復興というのなら、東京進出とか何とか言う前に、まず自分達が自分達の地域に正面から向き合う方が先じゃないか、というのも心に残りました。自分達が住んでいて楽しくない地域、魅力がない地域なら復興も何もないだろうと。自分達が住んでいて楽しいから、魅力があるから、外にアピールできるし、外から人も呼べるんだと。そのためにまず自分達で自分達の地域に向き合い、何が悪いのか、何を直せばいいのかを考えていくところから始まるのではないか。そう仰っていました。これも至極正論です。なるほど、と思いました。

 短いディスカッションの時間ではこれ以上議論を深めることも、結論を出すこともできなかったわけですが、それでもこれらの問題提起は非常に大きな意味があると感じました。個人的にはそれ以上に、自分自身の意識の甘さについても考えることの多い機会となり、非常にいい刺激を受けたイベントとなりました。できれば次回はもっと深く意見を交わし、拙いながらも自分もあのディスカッションに加われるような形で、こういったイベントに参加できたら嬉しいなと思います。自分だけの世界では見識は深まらないものだなと、改めて感じた世界です。そしてそれは見識だけでなく…。

 ともあれ非常にいい刺激を受けたイベント。想像した形とは違っていましたが、参加してよかったと思います。次はどなたか、近しい農家の方もお誘いして、できれば一緒にその刺激を味わうことができればなおよいなと、そう感じました。

2011年11月29日火曜日

今だから考えさせられる『COPPELION』

 ヤングマガジンで連載中のマンガ『COPPELION』をレンタルしてきて11巻まで一気に読了した。お台場原発がメルトダウンを起こし廃墟となった東京で、遺伝子操作を受けて放射能への抗体を持った少女が生存者の救出に向かうアドベンチャー。当然震災前から連載が始まった漫画だ。さすがに震災後であればこんな内容のマンガは新規連載開始とはならなかっただろう。

 『COPPELION』は爽快で涙もあり、とても面白いけど正直深い話ではない。けれど、震災後の今読むと色々と考えさせられる。セシウムやストロンチウム、中性子等の性質もちゃんと出てきて、ある程度科学的に正しいから尚更だ。もちろん科学的にまったくあり得ないことも出てくるが、まぁそこはマンガの世界。つっこむのは無粋というものだろう。

 挿話的に描かれるのは、震災発生時、放射能漏れを隠して自衛隊に救助をさせ、自分達は逃げ出した政府。事故の実態を隠そうとする電力会社。責任を感じて一人で東京に生存者の理想郷を創り上げる原発設計者や、軽視される安全管理の中で危険を承知の上で現場に残った技術者など。そして一番痛ましいのは、自分の意思で残ったのではなく、逃げ遅れる形で汚染された東京に残されてしまった多数の一般市民。今となってはどれも現実的だ。読んでいるとこの悲劇は福島でも現実にあり得たのだと思ってしまう。

  『COPPELION』を読んでいると、今までなら「まぁマンガの世界だしな」で片づけられる部分がそれで片づけられない。今となっては、恐ろしい程のリアリティがあるからだ。「そんなマンガみたいな」とはよく言うけれど、そう、マンガみたいな世界に、なってしまったのだなと。

  このマンガは震災後は不謹慎との批判もあるらしいし、福島の人から見たら実際精神的にも苦しいのだろうと思う。その人達に対して自分は何も言うことはできないのだけれど、個人的な希望を言えば不謹慎とは言わずに続けさせてほしい。今だからこそ、想像力に働きかける物語でもあるのだから。

2011年11月7日月曜日

上野にて文化の日

 さて、3日から妻子と共に妻の実家である佐賀に盆・正月代わりの帰省という形でお邪魔していたわけですが、今回も妻子は二週間ばかり佐賀に滞在するため、本日一旦自分は一人で新潟に帰ってまいりました。その際、佐賀空港から羽田に飛んで、東京を経由する形で帰ってきたので、まぁ折角東京に来たんだしということで、ちょっと一人で東京で遊んで帰ってきました。

 東京駅から近くて、ノープランでも遊びやすいところとなると個人的には上野になります。美術館も東京文化会館もあって、一年中いつ行っても大抵何かやってるので、東京駅を起点にするなら便利な所。今回もとりあえず行ってみたら西洋美術館でゴヤ展をやっています。ゴヤはクラシックギターで最も重要なレパートリーの一つであるグラナドスに多大なインスピレーションを与えた存在。有名な『着衣のマハ』も見られるということで、これはギター弾きとしては逃すわけにはいきません。まずは行ってきました。

 ゴヤの作品をまとめて鑑賞するのは初めてでしたが、有名な『着衣のマハ』に代表されるように、女性の官能的な魅力やその裏に隠れた闇を描き出した画家ですが、実はそれ以上に世の中の闇に非常に敏感に向き合った人でもありました。それは女性を中心に描いていた頃は女性の魅力と裏腹の恐ろしさ、醜さという形で、後年にはより不気味な幻想世界の描写という形で、現れるようになっていきます。だから彼の作風はエロスに留まらず、次第に時代への風刺とともに強烈なタナトスを織り込むようになっていきます。

 それらの作品群を見ていて感じたのですが、痛烈な教会批判もしたゴヤが、一番疑ってかかって挑んでいたのはやはり神であり、ひいては正義や真理といった概念だったんじゃないでしょうか。そういったものが本当に存在するのなら、何故この世界にはこんなに痛みが、苦しみが、死が蔓延しているのか。彼の作品はそう叫んでいるように思えます。特に晩年近くなってからの不気味に幻想的な作品群からは、そのようなメッセージを強く感じるのです。

 そしてゴヤ展を鑑賞した後は、お腹が減ったので一蘭でラーメン。一蘭のラーメンは久しぶりですが、やっぱり美味しい。有名店の名に恥じないクオリティで楽しませてくれるお気に入りのラーメン屋です。

 ラーメンを食べて満足した後は、東京文化会館へ。この日は東京文化会館の50周年記念ということで、『東京文化会館は音盛り。 ~うえの音楽人フェスティバル~』ということで一日中コンサートが催されていたのです。私は16時からのプログラムに行ってきました。演目はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、モーツァルトのフルート協奏曲第1番K.313より第一楽章、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、上野学園大学管弦楽団の演奏です。この演目でチケ代は2,000円ですから安いもの。上野学園大学管弦楽団は学生と教員が混ざったオーケストラですが、さすが音大のオケだけあってなかなかいい音鳴らしてます。印象的だったのがラフマニノフ。ソリストは何と高校三年生(!)の古賀大路さん。10月にコンクールで3位入賞(?)されたとのことですが、この高校生がなかなか凄い。とても高校生とは思えない深いフレージングで、さすがにまだ少々力尽くではあるものの、それでもラフマニノフに負けずにしっかりと音楽を刻んでいきます。恐らくこのステージにかけての意気込みは強いものがあったのでしょう、最後まで集中力を切らさず一心に弾く姿と音楽は素晴らしいものがありました。演奏後、何度も何度も客席、指揮者、オケにぎこちない礼を繰り返す辺り、まだステージ慣れしていないし、凄く生真面目な人なんだなぁと感じさせて、ちょっと微笑ましくもあったり。まだ高校生とのこと、将来どうなるかわかりませんが、順調に成長していけばいい音楽家になるんじゃないかと思いました。

 そしてコンサートが終わったら足早に上野駅に戻ってそこから新幹線に乗って新潟に帰るわけですが、半日で上野をたっぷりと堪能いたしました。こうしてぶらりといってもたっぷり文化に浸れるところが上野のいいところですね。2011年11月6日、一人で勝手に上野で文化の日をやっていました(笑)。

2011年10月30日日曜日

ジュリアード弦楽四重奏団@黒崎市民会館

 ジュリアード弦楽四重奏団が新潟にやってきました。Lienという新潟大学教育学部音楽科と新潟市西区役所、新潟県文化振興財団が主催し昨年から行われている音楽祭のスペシャル・コンサートという形での実現です。新潟大学と新潟市西区役所が中心となって行われているわけですから、世界のジュリアードが来るのに会場も中央区のりゅーとぴあではなく西区の黒崎市民会館。わずか300席の近い距離感です。ジュリアード弦楽四重奏団が新潟で聴けるという千載一遇のチャンス、逃すわけにはいきません。父母及び4才の上の子と一緒に、ホクホクしながら行ってきました。

 当日のプログラムは以下の通り。

バッハ:フーガの技法よりコントラプンクトゥス1~4
ハイドン:弦楽四重奏曲第57番 ト長調 作品54-1<第1トスト四重奏曲>第1番
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130(大フーガ付き)

 そう、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第番13番を大フーガ付きでやってくれるのです。これだけでも行かないわけにはいきません。実際わずか300席の会場は新潟のクラシックファンで満席状態。黒崎市民会館というややマニアックな会場が、凄い熱気に溢れていました。

 開始前の注目は第1ヴァイオリン。ジュリアード弦楽四重奏団は元々カリスマ ロバート・マンがこの位置で引っ張っていたカルテット。ロバート・マンの引退後、いくつかの変遷を経て今年から若いジョセフ・リンが務めるようになったわけです。当然カリスマであったロバート・マンのイメージが強い第1ヴァイオリンを、この若い(何と1978年生まれで自分より1つ下!)のジョゼフ・リンがどう務めるのかというところが気になっていました。

 いよいよ演奏が始まります。まずはバッハのフーガの技法。弦楽四重奏版は普段はジュリアードの教え子であるエマーソン弦楽四重奏団のテンポ早めでスリリングな演奏で聴きなれているこの曲。ジュリアードはそれよりも穏やかに、ゆったりと入ってきます。全編堅牢な対位法で描かれた究極のバッハイズム。第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラと入っていき、最後に注目の第1ヴァイオリン ジョゼフ・リンが音を出します。その瞬間、彼にロバート・マンの後釜が務まるのかという失礼な疑念は吹き飛びました。同じカルテット内の他の3人と比べても圧倒的な音の存在感!とてもなめらかで澄んで艶のある、それでいていやらしくない素晴らしい美音のヴァイオリン。ロバート・マンの後釜どころか、音楽的にもしなやかにリズムを支配しながら他の3人を引っ張っていくリード力。さすが若くしてジュリアードの第1ヴァイオリンに抜擢されるだけあって物凄い才能です。4声部が対等に展開するフーガの技法ですら思わず彼のヴァイオリンを中心に音を追いかけてしまう程の強烈な存在感にはただただ敬服しました。

 そして次のハイドンがまた素晴らしかった。この曲は音楽構造的にも文字通り第1ヴァイオリンが他のパートをリードする形で引っ張っていく弦楽四重奏曲。最初の和音からアクション大きめ、気持ち良さそうな表情で入ってくるジョゼフ・リンのヴァイオリンがとても魅力的に響く、のびのびとしたとてもいい演奏です。きっと彼、この曲好きなんでしょうね。まったく金属的なか擦音がない美しい音色で、音楽のリズムに乗って自由にしなやかに聴かせてくれました。正直、ハイドンの弦楽四重奏曲にはあまり期待していなかったのですが、この演奏は本当に気持ちよかったです。

 そしてこの前半、一緒に連れて行った上の娘は世界のジュリアードの生演奏を聴きながら、おばあちゃんに抱っこされて気持ちよさそうに眠っておりましたとさ・・・。なかなか贅沢なBGMでのお昼寝です(笑)。まぁ、弦楽四重奏版のフーガの技法は夜に寝る時のBGMにもよくかけますから、条件反射的なものもあったのかもしれません・・・。

 後半は最大のお楽しみ、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番の大フーガ付きです。これもやはり第2楽章楽章などではデモーニッシュな低音から艶のある高音まで駆け抜けるジョゼフ・リンのヴァイオリンの音色に酔いつつ、見事なアンサンブルで進んで行きます。そして美しいカヴァティーナの音楽を堪能した後に始まる。大フーガ。最初の和音からいきなりびっくりしました。全員が今日のコンサートの中でそれまで出していなかった一番のフォルテッシモ!プログラム全体の中で、ここまで最大音量を出さずに温存しておいた驚異の構成力。この入りでまず持っていかれました。本日の演奏を通じて初めて、ジョゼフ・リンのヴァイオリンが金属的な音を(ほんのわずかですが)立てるくらい強烈な音量での入りに、すっかり意識はステージに釘付けです。混沌すらも構造に取り込んだ、目まぐるしいフーガがグルグルと渦巻くようなこの曲。中間部の暖かい間奏部分での美しさとの対比も凄まじく、夢中で聴いている間にあっという間の15分が過ぎて行ってしまいました。最初の大音量から紡ぎ出される、緊張感と迫力に溢れた大フーガ。素晴らしかったです。

 アンコールはハイドンの弦楽四重奏曲第28番 作品20-1、いわゆる『太陽四重奏曲』よりヴィオラのサミュエル・ローズ曰く「ゆっくりの楽章」(笑)。これもまたゆったりと伸びやかで美しい演奏でした。また最後弦の余韻がホールの残響で美しく消えていく中、ゆったりと下ろされるジョゼフ・リンの腕が下がりきるまで静かにその余韻を味わっていた聴衆のマナーのよさもよかったです。やはりこういう綺麗な曲は、終わってすぐ拍手でドーッとやるのではなく、余韻も楽しみたいところですよね。そしてもう終わりだろうと思っていたらアンコール2曲目はまさかのストラヴィンスキー。弦楽四重奏のための3つの小品より第2曲目。サミュエル・ローズは「この曲はピエロの動きを表した曲」と説明してくれました。初めて聴く曲でしたが、これまでの音楽とは一気に打って変って描写的で現代的な響きの曲。ストラヴィンスキーとしてみても前衛的な部類の音楽です。最後不可解な終わり方をしてニヤッと笑うジュリアードのメンバーに一瞬遅れて満場の拍手。最後をなかなか面白く締めてくれました。

 ところでアンコール2曲目に入る前、「もうないだろう」と客席全体がお帰りムードになり、自分たちも一回席を立とうとしました。そんな中再びジュリアードがステージに戻ってきて演奏配置についたものだから、皆あわてて座ります。そしてサミュエル・ローズがしゃべろうとしたその瞬間、ウチの娘が「早く帰る!」と声を上げたのです(苦笑)。拍手が鳴り終わりそうな時に出されたその声は会場中に響いて笑いを誘い、サミュエル・ローズも娘を見て笑っていましたとさ・・・。どうもスイマセン・・・。

 総じてたった2,000円でこんなにいい思いしていいのかというくらい素晴らしいコンサート。一緒に行った父(大体コンサートの後はまず一つ二つの苦言から入る)も珍しく手放しの絶賛でした。ジュリアード弦楽四重奏団、また聴いてみたいものです。今度はバルトーク聴きたいなぁ。そうでなければベートーヴェンの15番とか。いいだろうなぁ・・・。

 ところで今回のジュリアード弦楽四重奏団の新潟コンサートを実現したLien(フランス語で絆を意味するそうです)という音楽祭、こういう試みは素晴らしいですね。大学と自治体が連携して、地域に密着した形での大企画。この音楽祭では学生もステージに立つ機会もあるし、外部の一流の演奏家と触れる機会もできるし、企画や運営に参加するのはいい経験になることでしょう。そして何よりそういった地元の学生の演奏や、世界の一流の演奏が地域でたくさん開催されることは市民の文化的喜びにもつながります。こういった地域の学生にも住民にも嬉しい音楽祭は是非もっと増えていくといいなと思います。できる限り、聴きに行くという形ででしょうが応援したいものですね。

2011年10月24日月曜日

『いまだから読みたい本-3.11後の日本』 坂本龍一+編纂チーム著編

 坂本龍一+編纂チームによる『いまだから読みたい本-3.11後の日本』読了。3.11後の今だからこそリアリティが感じられる過去のテキストを盛り込んだオムニバス。さすが坂本龍一達が厳選しただけあって、感情面や論理面で確かに3.11後の今この世界だからこそ感じられる文章が集まっている。

 少なくとも、3.11後に国や東電に「だまされた」と声高に叫んでいる人達は、この中の伊丹万作による「戦争責任者の問題」だけでも読んでみるべきだ。戦後、日本の国中に「国にだまされた」という空気が漂っていた、その時代の鋭い考察はこの3.11後の日本でもそのまま当てはまる。

 その他、管啓次郎の「七世代の掟」は、そのまま短いスパンでの利益のみを求める現代資本主義社会-それは当然原発利権も含む-への強烈な警鐘となるだろう。直接の被災者の方々は「先住民指導者シアトルの演説」に涙するかもしれない。確かに3.11後に読むべきテキストが集められた一冊だ。

 それにしても、坂本龍一がさらなる参考図書としてレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』や中沢新一のカイエ・ソバージュのシリーズを挙げているのはさすがの慧眼。私自身の思考体系にも大きく影響を与えたこれらの書だが、確かに3.11後の今の世界でこそ読み直され、見直される価値がある書だと思う。

2011年10月23日日曜日

サイトウ・キネン・オーケストラ バルトーク・プログラム

 本日は録画していたBSプレミアムシアターのサイトウ・キネン・オーケストラ バルトーク・プログラムを観ました。演目は『中国の不思議な役人』と『青髭公の城』。小澤征爾が振る青髭公もよかったけれど、本当に凄かったのは『中国の不思議な役人』。あのシュールで鬼気迫るバレエと、そこに見事に絡まる音楽に釘付けです。

 少女ミミを演じていた方、お名前を失念してしまいましたが(確か井関佐和子さん?)実に艶めかしく表情豊か。ギリギリの緊迫感を持つ音楽の中、一際輝く舞を魅せてくれました。これまで音楽でだけ聴いていた『中国の不思議な役人』の曖昧なイメージを一気に吹っ飛ばして、凄くシュールで官能的な世界観を植えつけられた感じです。

 以前BSで春の祭典を観た時にも思ったけど、バレエ音楽って音楽だけでも楽しめる曲が多いけど、やはり実際に踊りが付くとその魅力が全然変わりますね。視覚的に楽しめると、そこに絡まる音楽の意味と魅力もまた変わってくる。バレエ音楽はやっぱり舞台を見てみるべきなんですね。『ペトルーシュカ』とか『くるみ割り人形』とか観てみたいなぁ・・・。

2011年10月10日月曜日

クラシックギター部50周年に寄せて

 私が大学時代に素晴らしい時間を過ごした立命館大学クラシックギター部が創立50周年に当たるということで、昨日10月9日、それを記念するイベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』が梅小路公園の緑の館イベント室で開かれていました。まぁクラギタ創設50周年のイベントで、何故に部全体ではなくフラメンコ技術部による主催なのか、じゃあクラシック技術部どうした!? 的な思いは少々あるものの、あまり細かいところは敢えて突っ込まずに(笑)。50周年という節目にこういった大きなイベントを開く元気がクラギタにあることは素直に嬉しく感じますし、昨日のイベントにも行きたかったのですが会場は当然京都。今自分は新潟に在住なので、なかなか気軽にお出かけするわけにもいかず、少し羨ましい気持ちともに新潟から眺めていました。

 それでも「せめて」と、当日にかつてのクラギタの機関誌『六弦』が復刻・配布されるということで、そこに向けてささやかながら一筆寄稿をさせてもらいました。昨日、無事にイベントも終わったとのことですので、その寄稿文をこの雑記帳でも公開したいと思います。

『ギター、音楽とともに』

1999年度クラシック技術部長 小林 歩

 この度は素晴らしい時間を過ごした思い出深きクラシックギター部が同好会発足より50周年を迎えるということ、おめでとうございます。やはり自分が大切な時間を過ごしたこの部が、順調に発展して長い歴史を創り上げていっているということは、OBの身としても純粋に喜ばしいことです。その喜ばしさにまかせて今こうして六弦への寄稿を書こうとしているわけですが、もう卒業して10年にもなる私の今の、ギター、あるいは音楽に対する思い、そしてその大学時代から変化について、自分への確認の意味も含めて書いていきたいと思います。

 今あらためて思い返してみると、我ながらクラギタでの活動は非常に一生懸命にやっていました。毎日BOX412に通い、一日何時間もギターを弾いて、定演のためにAアン用の合奏曲をオーケストラ譜から自分で編曲したりして、とにかくギター漬け、音楽漬けの日々を過ごしていました。もちろんそれが苦行などではなく、やって楽しいからこそやっていたわけで、素晴らしい仲間達に囲まれていたこともあり、非常に充実した大学生活を送っていたと思います。ですが、だからこそ、当時思い悩むことがありました。

 それは自分が社会人になった後のことについての悩みでした。今自分はこうして一生懸命ギターの練習をして頑張っているけれど、社会人になって仕事が忙しくなってくると、やはりギターを弾く時間というのはなくなってくるのだろうか、それならば今自分がやっていることに何か意味があるんだろうかという悩みでした。確かに、探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。ですので、就職活動が始まり、大学から社会への出口がいよいよ実感されるようになってくるとこの悩みはより一層大きくなって行きました。今自分がやっていることは一体何なのだろうと。社会人になってギターが弾けなくなるのなら、今やっていることは結局すべてムダになるのではないかと。

 そんな最中、私が4回生の6月のことでした、たまたまBKCに行っている時に、あるクラギタのOBの方にお会いしました。その方は当時で25年ほど前(だから今から35年くらい前でしょうか?)に立命のクラギタでコンサートマスターをやっていた方で、たまたま仕事でBKCに来て、ギターを弾いている私をみかけたので声をかけてきてくれたというのです。その方は大学卒業後もずっと自分のためだけに演奏し続けているそうで、ギターから発展してリュートや特注の10弦ギターも弾いているそうです。卒業後もずっと、ギターを楽しんで弾き続けておられるその方から名刺をいただき、私も付箋に名前やメールアドレスを書いて交換させてもらいました。後日、その方からすぐにメールをいただきました。その中に、「どうか一生ギターを弾き続けていただければと思います」と書かれていたのを読んで、当時なんだか嬉しくなったのを覚えています。卒業後25年も経っても、ずっとギターを弾き続けて楽しんでいる人がOBの方の中に実際にいらっしゃるのだとわかり、とても元気づけられました。

 そして卒業の時が来て、私は当時のブログの中で「一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから。」と宣言しました。ギターに費やしたたくさんの時間を無駄にしないためには、やはりBKCでお会いしたOBの方のように、仕事をしながらでも、細く長く続けていくことだというのが当時の自分の解答でした。

 そして今、卒業してちょうど10年が経っています。現状を正直にお話しすると、仕事が忙しいこともあり、さらに子供が生まれてからは家にいても子供と過ごす時間が増えてきたこともあり、現時点でほぼ3年、ギターをまったく弾いていないブランクが空いています。でも、今はそれでもいいかなと思っています。学生時代の自分には怒られるでしょうが、ギターを仕事として生きていくわけではない以上、やはり人生のステージにおいてギターの優先度を下げなければいけない時期があるということが、今になり実感としてわかるからです。それでも、ギターを一生懸命弾いているうちに音楽がさらに好きになり、そしてギターを通し音楽について、表現についてより深く考えたおかげで、音楽を聴く際にもより深く聴けるようになりました。だから今、ギターを直接弾きはしないけれど、音楽を聴くことをクラギタ以前と比べてより深く、より大きく楽しめています。これだけでも、クラギタで音楽に深くかかわり続けた日々は無駄ではなかったのだと思います。

 とはいえ、このままもうギターを弾くつもりがないのかと問われれば、当然そんなつもりもありません。もう少し仕事や子育てに余裕が出てきたら、その時はまた、少しずつギターを弾いていきたいなと思っています。そして、音楽を聴く喜びとはまた少し違った、自分で奏でる喜びをささやかにかみしめていけたらと思うのです。大学時代師事していた尚永先生が「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど、最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」といつかのレッスンで話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でも、ギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。今あらためて胸に響きます。だから皆さん、うまいへたもいいけれど、是非ギターをずっと楽しんでください。弾く楽しみ、聴く楽しみなど、楽しみ方は色々あるでしょう。その楽しみを生涯の友とできたら、クラシックギター部で過ごした時間はとても有意義なものだったと言えるのではないでしょうか。OB/OGの方々の中にも、私と同じように今はギターを弾くことから遠ざかっている方もいらっしゃるかと思います。今弾くことから遠ざかっているならば、聴く楽しみを、そして、また少しずつでも、弾く楽しみを。様々なライフステージにおいて、楽しみ方は変わる時もあるでしょう。せっかくクラシックギター部にいたのです。一生、ギターを楽しんでいきましょう。

2011年9月11日日曜日

10年目の9.11、半年目の3.11

 今日は2001年に起きた9.11同時多発テロから10年目となる節目。昨晩BSプレミアムでやっていたステーヴィ・ライヒの『WTC 9/11』も、この節目に合わせて発表された曲だ。2001年9月11日当時、自分がどんな思いでこの事件を見ていたのかは、完全にではないにせよ当時の雑記帳のエントリー『崩れゆくWTC』からうかがい知ることができる。細々とでも長くブログを続けている意味は、例えばこんなところにあるのだね、と実感した次第だ。

 話を戻して、当時のエントリーを読んで、あのWTCが崩壊する映像が、これまでの資本主義社会の崩壊を暗示しているように思えてならなかったことを思い出した。実際はその後も資本主義は膨張し続け、2008年9月のリーマンショックを経ても尚、傷は追ったもののその基本原理は揺るがずにいるわけだが。当時社会人一年目、波乱の新製品開発プロジェクトに投入され、資本主義の厳しい側面を新鮮に感じていた自分にとって、その資本主義経済の象徴とも言えるWTCがイスラム原理主義者のテロによってあっさりと崩壊していく様は、何かしら暗示的なものを感じさせたのだろう。そこから始まった"テロとの戦い"という名目の戦争では、毎日帰宅するとテレビをつけ、夜の爆撃の風景を、時に鳴り響くサイレンの音を、ずっと聞きながら眠りに就く毎日がしばらく続いた。

 もしかしたら、この9.11を境にこの世界が変わるかもしれない。どう変わるのかはわからないにせよ、そんな期待を抱きながら、その遠い国の非日常の映像を眺めていたのかもしれない。でも、短期的な心情としてはともかく、長期的な結果としては9.11以降も自分の周りでは何も変わらなかった。これまで通り渋谷に通って仕事をする毎日だったし、ブッシュが、小泉が、大きな声で国を引っ張る世界だった。9.11は、少なくとも自分の目に見える範囲での世界は、何も変えなかったんだなという曖昧な失望とともに、この日の衝撃は時が経つに連れ日常の中に溶けて消えていった。こう書くと、憤慨する人も多いだろうけれど。

 ただ一点、自分が資本主義、ひいては一神教の限界を見て、崩壊を感じたのはあの9.11の映像からなのかもしれないなと、今、当時の自分の言葉を見ていて感じた。一神教の強固な価値観と推進力は、例えばWTCのような大きく象徴的な建造物を生み出した。でも、それはまた別の一神教的価値観によりあっさりと崩されていく。排他的価値観同士による破壊と創造の無限ループを目の当たりにして、それが急に虚しく感じてしまったのかもしれない。この一神教の限界の超克というテーマが自分の中に発生した契機は、これまで自覚はしていなかったものの、もしかしたらこの9.11にあるのかもしれない。そう考えると、自分の目に見える外の世界はともかく、自分の中の世界には、やはり9.11は大きな変容をもたらしていたのかもしれない。

 そして今年の3月11日、東日本大震災が発生した。奇しくも今日はこの日からも半年の節目に当たる。この衝撃は、同じ日本で起きた分、そして原発事故という二次災害も発生してしまった分、やはり外国の9.11よりは直接的に大きな影響を自分にも生活にも与えた。地震が発生した当時はちょうど仕事中。事務仕事をするのにPCに向かっていた時だった。揺れが来た瞬間、「これは大きい!」と思った自分はPCの画面を瞬間的にEXCELからTweetDeckに切り替え、「地震だ、大きい!」とツイートした。そこから目にしたのは、TLが地震一色に染まる異様な光景。広範囲にわたる全国の人が、皆「揺れている!」と騒いでいる。そんなに大きい地震なのか?と戦慄したのを覚えている。

 そしてそこからのTVとTwitterの混乱ぶりと地獄絵図。津波が畑や民家を押し流し、最後川の堤防に当たって盛り上がってまた溢れていく光景は、正直あまりに現実味がなくて「これは何の映画だ!?」と思ったものだ。そして間断なく起こる余震、燃え上がるコンビナートや気仙沼の光景、次々明らかになる原発事故の詳細、すべてがあまりに現実離れしていて、逆に感覚が麻痺したような心境になった。この3.11について雑記帳のエントリーは、気持ちに整理が付かずにずっと書かないでいた。それでも2週間後に一度エントリーを書きかけはしたのだが、途中で筆が止まったまま、今でも下書きのまま保存されている。消化できないのだ。この出来事も。

 それから半年がたった今、改めて考えてみると、とても不思議な気分だ。「もう半年か」よりも「まだ半年しか経ってなかったのか」という気持ちの方が強い。3.11はもう随分昔に起きたことのように感じる。あの震災は、具体的な生活レベルでも確かに多くのものを変えた。だが、その変わったものの多くは、早くも生活として定着してしまっていて、あたかも昔からそのような暮しであったかのような感覚で既に馴染んでしまっている。これは、自分が直接被災していないから言えることで、本当に被災した方々にとってはひどく失礼な言い分であることはわかっている。だが、実感として、震災後の世界は既に震災後の世界として日常になってしまったのだ。それは記憶の風化ではなく、変化への対応だと思いたい。いつまでもショックを受けたままでは、心が被災したままでは、日常は、暮らしは、立ちいかないのだから。

 3.11は現時点で具体的な生活レベルのあれこれを変えた。その意味での影響力は明らかに9.11よりは大きい。では、この3.11は自分の心には何を起こしたのか。これは、実はまだ見えていない。9.11の時ですら、10年経った今、当時の文章を読み返してみて「もしかしたら9.11は自分に資本主義の限界を悟らせたのかもしれない」と思い至る程度だ。まだ、近すぎて3.11の影響は見えてこないのだろう。目の前1cmのところに物を置かれても、逆に近すぎて何が置かれたかなんてまったくわからないように。

 9.11から10年目で3.11から半年目の今日、改めてそれぞれの出来事について少し思いを巡らせてみた。この、2つの大きな歴史上の出来事は、私という個人には果たしてどういう意味をもたらすのだろうか。あるいは、何も、もたらさないのだろうか。

2011年8月21日日曜日

キース・ジャレット ソロコンサート@2005年 池袋 芸術劇場

 随分昔の話になるが、池袋の芸術劇場にキース・ジャレットのコンサートを観に行った。当時は仕事が忙しい時期で、半ば無理やり客先での仕事を切り上げ直帰して、そのままコンサート会場で友人と落ち合い、開演まで時間もあまりない中、とりあえず二人でビール一杯一気してから客席に向かった記憶がある。



 会場の中に入ってみると、予想だにしなかった一種物々しい空気が漂っていた。その前回のコンサートで聴衆がよほどやかましくてキースがキレたらしく、会場中に「キースの即興演奏は極度の集中力を要します。演奏中は皆さんどうかお静かに」的な張り紙がしてある。アナウンスでも同様のメッセージを執拗に繰り返す。
 そんな状況だからキースがステージに出てからの客席は物音一つ立てないように超緊張状態。曲の合間に咳をすることも許されないような厳戒態勢だった。曲が終わったら拍手は盛大に鳴る。でもその拍手がピタリと止むと、あとは固唾を飲んでシーン、と静まりかえる。例えは悪いかもしれないが、塹壕の中で爆撃が過ぎるのを待つような緊張感。そんな中、何曲目かでとうとう拍手の合間に咳が聞こえると、キースは立ったまま笑って、「今なら、どうぞ」とジェスチャーをした。途端、会場中で急に鳴りだす咳。キースは「どうぞどうぞ」とばかりににっこり笑って、ピアノの周りをグルグル歩いて回りながら客席が静まるのを待つ。一回止まって、「まだかな?」というジェスチャーで客席の笑いをとった。そしてほどなく、また物音一つ聞こえない静寂が戻ったのを確認して、キースは椅子に座って演奏を始めた。
 その日のキースの演奏は素晴らしいものだった。すべて即興の演奏だったからタイトルなどもちろんないが、何曲目だったか、まるで飛行機から見る雲海の上をふわふわと自分の足で歩いているような、そんな映像が自然と目の前に浮かび上がった。本当に、くっきりと鮮烈な映像が。
 視覚に訴えるほど強烈な力を持った即興演奏。その音と映像のイメージに身を委ねる幸福感。演奏後の満場のスタンディングオベーション。自分が観たコンサートの中でも屈指の演奏体験を、この日のキースはさせてくれた。その後、一緒に行った友人と飲みながら熱く語ったのは言うまでもない(笑)。その彼も今はブラジルに行ってしまったが。

2011年8月3日水曜日

豪雨被害地帯に入って作業してみて

本日は先の新潟・福島豪雨にて大きな被害のあった、三条・井戸場の信濃川沿いの畑を訪問しました。水害にやられ、水に潜ってしまった機械の引き上げ及び点検・メンテナンスのためです。午前と午後で一件ずつご依頼がありました。この井戸場河原の果樹畑地帯は、堤防の内側がすっかり水に潜った地帯です。水害後、私も初めて入りました。

井戸場河原の入口はもう弊社の2tトラックが停まれる程度には乾いているのですが、少し中に入るともう川水の汚泥が地面に蓄積していて、軽トラも4WDを入れていないと進めないような道になっていきます。長靴が5cmくらいは潜る感じでしょうか。今回のお客様が機械を保管していた場所に近くなると、これまでより一層泥が厚くなっていきます。お客様の畑に行くいつもの道はまだ水没したままで通れないので、今回はお客様の案内で途中でトラックを停め、一輪車に交換用のエンジンオイルや軽油、バッテリー等を積み替えて、一人が一輪車を押し、もう一人(私)がロープでその一輪車を引っ張る形で、10cm以上の汚泥が溜まった畑の中をやっと進んで行きました。酷いところは長靴がふくらはぎまで泥で潜る感じです。
機械のある場所は、川が近いとはいえ井戸場河原の中では少し高い場所になります。その小高い丘の上でも水は目線より高い位置まで来ていたようで、小屋にクッキリと泥の後が付いていました。今回引き上げた機械はSSですが、となりに置いてあったコンバインもアンローダ以外の部分はすっかり泥にやられた形跡があります。地面から160cm-170cmくらいは水が上がったということでしょう。当然桃も梨も、下枝の果実は全部やられてしまっています。
機械がある丘から下の畑に目をやると、1mくらい下にある桃畑はまだ水が引いておらず、川に浸かった状態になっています。お客様はもう既に袋がかかっている梨の袋を一旦取って、洗ってまた袋をかけ直さなければいけないからえらい手間だと仰ってました。その手間を考えるだけでも大きな被害なのに、この上まだ水に浸かっている桃畑があるのです。今地面を覆っている川泥は、果樹用に耕されて柔らかい団粒構造を持った土ではありません。だから乾くと固くなってヒビが入ります。この泥も、最終的にはどうするか考えなくてはなりません。
そんな被害状況に目を向けつつ、すっかり水が入ってしまったエンジンオイルと軽油タンクの中の軽油を換え、なんとかSSのエンジンをかかる状態にして機械を走らせて引き上げます。4WDのSSではありますが、10cm超もの泥の中では何度もぬかりかけてヒヤヒヤしました。引き上げすがら周りを見ると、泥を被ってしまったので病害虫予防に防除をしている人、今回のお客様のように袋かけをやり直している人、様々に被害の後片付けをしています。被災の中心に入ってみると、やはり今回の被害は大きかったし、後片付けの苦労も、その後の苦労も大きなものだと感じました。震災で津波にやられた地域も、大変なのでしょう。せめて、自分にできるお手伝いをしたいと思いました。
ちなみに今回も写真は撮っていません。例えば病気の家族を写真に撮られて公開されるというのは、あまり気分のいいものではないように思えまして・・・。記録は、それが仕事であるプロの人にお任せしたいと思います。私は、記憶にとどめたいと思います。

2011年7月7日木曜日

雑記帳13周年

 7月7日はこの『あゆむの雑記帳』の開設記念日。大学時代、学内公開のみのサーバから脱出し、インターネットへと公開を開始した日になります。1998年から13周年。1998年分の過去記事はこのMovable Typeで自作した雑記帳にデータ移行はまだしていませんが、1998年7月分から実に13年間、細々とながらも何とか続けてきました。思いだした時にでも立ち寄って、ぶらりと雑記帳を眺めてくれる方々に改めて感謝です。

 最近ではTwitterとFacebookを始め、そちらの方は日々短文をぼそぼそと出しています。Facebookでは元々仕事絡みで農家の方々や農業の周辺で頑張っておられる方々と交流や情報交換を行いたいというのが趣旨ですので、そちらでは趣味の話はあまりせず、仕事の日報的な短信や気になるニュース等に話題・立ち位置を限定して活動しています。こちらは完全に社会人としての立場での参加です。

 Twitterでは速報ニュースの情報収集や農業、音楽関係の情報収集をメインで使っています。農業関係は情報収集をメインにして、Twitter上での交流は控えめにするスタイルになりました。逆に趣味の音楽のつぶやきが多く、そっち関係のフォロワーさんとの会話はぼちぼち出てきています。Facebookと比べると趣味寄りにシフトし、交流よりは情報収集メイン、ひとり言メイン、たまに会話、くらいの使い方です。最近ではTwitterへの出没が一番多いです。

 対してこの雑記帳の立ち位置は昔から変わりません。基本的には好きな時に好きなことを、あくまで個人としての立ち位置で書くというスタイルです。もちろん個人だからと言っても自分がここで書いた発言に対してはしっかりと責任を持つという考え方なので(だから公開当初から実名を出す実名主義。もっとも当時は実名か匿名かなんて議論すらまだなかったけれど)、その意味では社会性ももちろん考えますが、趣味でも仕事でも何でも、書きたいことはジャンル・内容に関わらず書くというスタンスです。Twitterほどの情報発信力があるわけでもなく、誰の目に触れてるのか触れてないのかもわからないこの雑記帳ですが、最終的に表現の場として私が一番大事にしているのはこの内容にも字数にもこだわらない、昔から続けているこの雑記帳です。更新頻度が少ないのは仕事関連はFacebook、その場限りの単発のひとり言はTwitterへと機会を分散したせいもあります。以前はすべてこの雑記帳でした。

 ブログブーム以前から続け、FacebookやTwitterが一般公開されるずっと前から続けているこの雑記帳。最近はコメントスパムのあまりの量に辟易として、対策を施すまで一時的にコメント欄を閉鎖してしまっていますが、今後も細々とかもしれませんが続けていきます。よろしくお願いします。

2011年6月28日火曜日

復興支援演奏会inミュンヘン ズービン・メータ『第九』

復興支援演奏会inミュンヘン ズービン・メータ『第九』 楽しみにしていたCDが届いた。ズービン・メータが2011年5月2日にミュンヘンで行った、東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートのライヴCD。以前TVで放映されたN響との復興支援コンサートの演奏は、強い決意と並々ならぬ霊感に満ちた、まさに一世一代ともいうべき名演だったので、その時と同じ曲目が演奏されるこのコンサートCDにはとても期待していたわけだ。手元にこのCDが着いたのは一昨日の6月26日。AmazonやHMVの画面では6月28日朝5時半現在でまだ「6月29日発売予定」の状態になっている。「こんなに早く届いていいんだろうか?」と思いながらも、発売日前に聴けることにちょっとわくわくしながら、早速届いた当日、ライナー・キュッヒルが登場するN響アワーそっちのけで聴き始めた。

 2011年5月2日、この日メータが振ったのはバイエルン国立歌劇場管弦楽団及び合唱団、バイエルン放送交響楽団及び合唱団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団、実にバイエルンとミュンヘンの名立たる3つのオーケストラ・合唱団が集った連合オケ。バイエルンの弦、ミュンヘンの管が一つになるというだけでも垂涎のオーケストラ。彼らが旧知の間柄であるメータを通じて集まり、日本の復興のためにコンサートを開いてくれたわけだ。その心意気にはただただ感謝。

 コンサートはN響の時とまったく同様、演奏開始前に亡くなられた方々のために黙祷が捧げられた。その列にはバイエルン放送響の首席指揮者、マリス・ヤンソンスも加わったという。そして震災で亡くなられた方々に捧げる意味でバッハの管弦楽組曲第3番より『アリア』が始まる。いわゆる『G線上のアリア』。鎮魂の祈りとして演奏されたこの曲は、N響の時も今回も、メータの意思により演奏後の拍手は慎み控えるようにお願いされた。CDではさすがに黙祷の間は収録されていないが、静謐の祈りの空間から静かに浮き上がるように始まるこのアリアは、震災で沈んでしまった日本の心を、重い地面から、暗い闇から、静かに両手ですくい上げてくれているように感じた。わずかではあるかもしれないが、それでも確かに。願わくば、亡くなられた方々の魂もそうでありますように。

 そしてベートーヴェンの『第九』が始まる。静かなアリアの終わりから、思った以上に力強く入ってくる第一楽章の導入部。メータの指揮は全体に急ぎすぎず、聴かせどころではオケを煽って走っていくよりもむしろテンポを落としてじっくり聴かせる、そのような演奏をしてくれている。バイエルン/ミュンヘン連合オケのぶ厚い弦と管に支えられた、非常に響きの濃い、充実した演奏。

 正直、この演奏にはN響の時のような指揮者にもオーケストラにも満ちていた目が離せないような圧倒的な霊感、音に満ちていた強い意思とも無心な祈りとも感じる不思議な力は感じられない。だから、N響と同じものを期待して聴いていると少しイメージが違ってくる。自分も最初そうだった。あのN響の時に感じた圧倒的なオーラが感じられない。そればかりが最初は気になっていた。でも、最終楽章に入り、歓喜の歌の旋律をバスが最弱音で奏で始めた時、いきなりそこで印象が変わった。そうだ、この演奏はこれでいいのだ、と。N響の演奏は震災で被災した当事者の祈りだ。そこにはそこにしかない痛み、思い、祈り、希望、絶望、様々なものが渦巻いていた。だからこその演奏だった。でも、今演奏している彼らはそうではない。震災の当事者ではない。彼らの演奏はこう言っているのだ。

 我々は震災にあったわけではない。だから被災された方々の痛みは半分も理解はできないかもしれない。けれど、それでも我々は立ちあがろうとするあなたの傍にいることはできる。共に立ち上がろうとすることはできる。この音を通じて、と。

 そう感じると、これは非常に暖かい演奏だった。バイエルン国立歌劇場が、バイエルン放送響が、ミュンヘンフィルが、一堂に集って、通常よりも大きな編成で『第九』を演奏している。これだけの人が、この音を通じて傍にいてくれる。歓喜の歌の旋律をなぞるバスに、バイオリンが、他のパートが、加わってくる。自分もいるよ、自分もいるよ、と。たくさんの声が合唱から聞こえてくる。これだけの人が、今、ここにいるんだよ、と。とても暖かい、励ましの意味が込められた『第九』だった。

 そもそもメータは選曲をする際、「Allle Menschen werden Bruder(すべての人は同胞になる)」というメッセージを込め、この『第九』を選んだそうだ。このコンサートのプローベ初日、バイエルン/ミュンヘンの連合オケを見渡して開口一番「みんな知っている顔ばかりだ」と笑顔を見せたというマエストロは、その同胞達と共に被災された方々に、日本に、「我々も傍にいる」とメッセージを送ってくれたわけだ。N響の当事者の祈りとは違う、バイエルン/ミュンヘン連合オケによる、震災を包み込むとても暖かい『第九』。最後まで感じられるこのたくさんの人の息吹、暖かさが、とても力になるように感じられた。この暖かさが直接の被災をしていない自分だけでなく、本当に被災された方々にも届くことを願ってやまない。

2011年6月25日土曜日

米の輸出と原発問題

 2010年度の新潟県の米輸出量は約335トンと前年度から倍増していたらしい。輸出は日本の米農家が生き残り発展をするために欠かせない道の一つだと思うので、この実績は喜ばしいなと思う。

 一方、福島第一原発の事故を受けて、米の主な輸出先の一つである中国が新潟を含む10都県の米を禁輸にしているとのこと。やはり原発事故による農業への影響は、この新潟でも既に始まっている。

 ところで、原発事故の影響で輸出ができなくなるのなら、いよいよもってTPP参加は農業に壊滅的打撃を与えてしまう。輸出もできずにひたすら受け入れるだけになれば、さすがに日本農業はもたないだろう。輸出に希望を持った上でならTPP参加は検討の余地があったわけだが、原発事故の影響を考えると厳しい。困った事態になったものだ。

 原発問題で派生する米の国内供給に関しては、少なくとも今年は大丈夫だろう。政府備蓄米もあるし、いざとなったら転作で飼料米として出荷する米を主食用に回すこともできる。飼料米ったって主食用品種を普通に作ったのを減反のため便宜的に飼料米にしてるだけ。それらが主食用として供給されるまでの間に多少の政治的、あるいは流通的な混乱はあるかもしれないが、最終的に米の供給が足りなくなることは恐らくないだろう。新潟まで放射能検出されたら危ないけど。

2011年6月19日日曜日

鈴木秀美/リベラ・クラシカの『ジュピター』

 最近は朝4時に目覚ましをかけて、7時半に家を出るまでの間は子供達に気を取られずに済む自分のための活動タイムにしている。本を読んだり、黙々とネットをしたり、・・・まぁ大体はそんな感じだ。そして気分に合わせてBGMをかけるわけだが、今朝はモーツァルトでも聴きたい気分だった。CDラックのモーツァルトの辺りを物色し、鈴木秀美の『ジュピター』か、コリン・デイヴィスの40番、41番か迷った上に前者にした。鈴木秀美指揮、オーケストラ・リベラ・クラシカ演奏のモーツァルト交響曲41番『ジュピター』。そういえば買った時に1~2回聴いたが、あまり聴きこまずにそのまま放置してしまっていた。小編成で爽やかなイメージがあったと思うが、どうだったか・・・?そう思いながら、CDをかける。

 『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。

 そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。

2011年5月29日日曜日

LFJより不思議な縁で - アンヌ・ケフェレックのショパン

 LFJ新潟でのダン・タイ・ソン独奏、井上道義指揮仙台フィルのコンサートで、ダン・タイ・ソンが「被災した日本のために」と本来あるはずのないアンコールをショパンのノクターン嬰ハ短調『遺作』で演ってくれたことは先の日記でも書きました。そのノクターンはとても美しく胸に響きました。正直、ショパンはクラシックの作曲家の中では苦手な部類に入るのですが、この曲、あの日のダン・タイ・ソンの演奏は静かに美しく感動しました。

 同曲のCDは手持ちがなかったので、それ以来ノクターン嬰ハ短調のCDを探し始めます。が、元来ショパンは苦手としていたもので、どの演奏が定番なのか、そもそもショパンが得意なピアニストって誰?というところがまずわからず、選定が進まなかったわけです。試みに一度Twitterで「お薦め教えて」とつぶやいて、何人かから情報はいただいたのですが、まさかの入手困難・廃盤なCDの連発(苦笑)。皆さん、意外とマニアックです。そんなこんなで、昨日までノクターン嬰ハ短調のCDは選定されないまま来ていました。

 昨日、あるショッピングモールに買い物に行き、妻と下の子が食料品等を回出している間、私と上の子はモール内にある小さなタワレコでCDを物色していました。東京時代に通っていた渋谷のタワレコと比べると寂しくなるくらい小さなタワレコです。それでもタワレコはタワレコ限定の音源もあるので、一応見る価値はあるかなとクラシックの棚を見ていると、一緒にいた4才の上の子が「これ!これがいい!」と一枚のCDを指差します。「ん?」と思って見てみると、それはアンヌ・ケフェレックが弾くショパン作品集でした。

 アンヌ・ケフェレック。ラ・フォル・ジュルネ新潟で私が行った、先のダン・タイ・ソン演奏のベートーヴェン ピアノ協奏曲4番で、本来はヴュルテンベルグ管弦楽団と共に来日するはずだったピアニストです。このケフェレックとヴュルテンベルグ管弦楽団が来日キャンセルしたため、代わりにダン・タイ・ソンと井上道義指揮仙台フィルがやってきました。そうした経緯もあるので、その後私は「ケフェレックのCDなんて買わねーぞ、あのチキンが!」くらいの勢いでいたのですが、子供がこれがいいと言うんじゃ仕方ありません。とりあえずCDを手に取ってみました。曲目を見てみると、何とノクターン嬰ハ短調も入っています。ふと棚に目をやると、「ラ・フォル・ジュルネ特集」とのポップ。「ああ、それでアンヌ・ケフェレックなんて比較的マニアックなピアニストのCDがこんな小さいクラシックコーナーにもあったわけか」と納得しつつ、子供に「これがいいのかい?」と確認します。4才の上の子はためらわずに「うん」と言うので、仕方ない、このCDをレジに持って行きました。ケフェレック、結局ラ・フォル・ジュルネには来なかったんだがなぁ、と心の中で苦笑しながら。

 で、聴いてみるとケフェレックの演奏が実に素晴らしい。私がこれまでショパンを苦手としてきた理由の一つは、ポロネーズやワルツ何かでは特に力入りすぎ、見事に弾きすぎな演奏が多くて、華やかで絢爛ではあるけれど音楽に深みが感じられなかったことにあるのですが、このケフェレックの演奏はそうではない。ポロネーズもそうですし、幻想即興曲ですら力任せに弾いている感じがせず、実に美しく情感漂う演奏を聴かせてくれます。ノクターン嬰ハ短調も静かな夜に雨だれが打つような、静謐な中に想いのこもったトリルが響く素晴らしい演奏でした。このショパンはいいなぁ、と思いました。これならショパンも聴ける。ポロネーズや幻想即興曲ですら力強く迫力一杯に鳴らすことはせず、華麗で絢爛、英雄的なピアニズムとは一線を画した、スケールは小さいながらも寂しくしとしと降る秋の長雨のような、静かな抒情感に満ちたショパン。私はショパンもピアノも門外漢なので、それがショパンとして正統的な演奏なのかまではわかりませんが、このショパンは実に素晴らしいと思いました。昨日の夜からもう3回も聴き直しています。初めて素晴らしいと思えるショパンの演奏に出会えました。

 思えば不思議なものです。このアンヌ・ケフェレックが来日キャンセルしなければ、私がLFJ新潟でダン・タイ・ソンの演奏を聴くこともなく、ダン・タイ・ソンがノクターン嬰ハ短調を演奏しなければ私がこの曲のCDを探すこともなかったでしょう。そこに子供が「これがいい」と指差した偶然も加わり、私はこのアンヌ・ケフェレックのCDを手に取りました。そしてショパンもいいなと、ショパンの良さが少しわかってきた感じです。これもまた、縁というものかもしれません。来日キャンセルのドタバタは色々ありましたが、とりあえず今はダン・タイ・ソンと仙台フィルの心意気と思いのこもった演奏と、このアンヌ・ケフェレックの静かな抒情に満ちたショパン、両方を聴くことができたのだからいいじゃないかと思っています。不思議な、縁のつながりですね。

2011年5月8日日曜日

井上道義指揮 仙台フィル@ラ・フォル・ジュルネ新潟2011

 今年も新潟では5月1日~5月8日までの間、ラ・フォル・ジュルネ新潟2011「熱狂の日」音楽祭が行われました。特にメインとなる7日、8日はメイン会場であるりゅーとぴあだけでなく、音楽文化会館や燕喜館、旧斎藤家別邸でも一日中コンサートが催されるという音楽の祭典。今年のテーマは「ウイーンのベートーヴェン」です。ほぼオール・ベートーヴェンで埋め尽くされた音楽祭。できることなら一日中音楽に浸ってコンサートからコンサートへと渡り歩いてみたいところですが、それは田植時期の農機具屋、この期間仕事は休みなし、待ったなしです。何とか行けると言えば6日と7日にある20:15スタートのプログラムのみ。選択肢はありません。私はその2つの公演のチケットを取り、楽しみに待っていました。

 6日の演目はシューベルトの序曲とピアノ協奏曲4番。演奏には元々はアンヌ・ケフェレックをソリストに、ヴュルテンベルグ管弦楽団が来日する予定だったのですが、震災・原発事故後に来日キャンセル。東京他各地の公演でも震災後は来日キャンセルする団体が相次いでいるらしいですが、ここ新潟でもその煽りは受けました。しかしそこで立ち上がったのが自らも震災で被災した仙台フィル!井上道義氏を指揮に迎え、新潟の音楽ファンのためにやって来てくれました。ソリストはケフェレックの代わりにダン・タイ・ソン。演目もシューベルトの序曲がフィデリオ序曲になりました。

 というわけで演奏者がガラッと変わったこの公演。仙台フィルが入場してくると、会場はいきなり大きく暖かい拍手が響きます。りゅーとぴあの大ホールに、フルオケとしては少しばかり編成が小さい仙台フィルが並びます。井上道義氏が颯爽と入場し、挨拶もそこそこに指揮台に立ち、すぐさま始めるフィデリオ序曲。少しテンポ早め、爽快で明朗なフィデリオ序曲。仙台フィルは弦の響きが暖かく柔らかい印象です。曲の最後、オケを盛り立てた井上道義氏は最後の音を右手で振ると同時にクルッと観客席の方にターン。両手を広げて仙台フィルのために拍手を求めます。劇場一杯に満ちる拍手。少しして、その拍手を静止して井上氏が語り始めました。

 ドイツのオーケストラに突然来たくないって言われちゃって、仙台が来ました!

 (拍手)

 人間、いつ勝負するかって、一番厳しい時に来ることです。(彼ら仙台フィルは)まさにそれを体現しています。

 泣きそうになりました。井上道義氏の言葉は発音が聞き取りにくいし、少し日本語としてはおかしいところもあるのですが(笑)、それでも胸に響く言葉でした。周りを見ると、実際に泣いている人もいました。自らも被災した仙台フィル。人的な被害はなかったといいますが、本拠地となる仙台のホールが被災し、6月までの公演はすべてキャンセル、練習もままならない状態だと聞きました。そんな彼らが、中には自分の気持ちの整理がまだついてない人もいるだろうに、それでも新潟の音楽ファンのために短い準備期間でこうして演奏に来てくれるのです。その精神力と心意気にはただただ敬服するばかり。恐れ入ります。

 そしてダン・タイ・ソンを迎えてのピアノ協奏曲4番。いきなりピアノ独奏から入るこの曲、静かなホールにピアノの音が響きます。ダン・タイ・ソンの演奏を聴くのは初めてなのですが、水滴が流れ、弾けるような高音と演奏をするピアニストだなと思いました。そして時たま水面を飛び出す小魚のように自由に跳ねる。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンのものでしたが、その水がどんどん溢れていくような演奏は素晴らしかったです。そしてそのカデンツァを暖かい音色で優しくそっと受け止める仙台フィルの弦。いい演奏でした。第2楽章では少々ソリストと指揮者・オケの思惑がかみ合わない部分もあったようでひやっとしたのですが(苦笑)、最終楽章ではそれもぴったり息が合ってきて演奏も乗ってきました。指揮者も演奏後に自ら「今日は真面目な、ベートーヴェンでした(笑)」と語ったように、正当派の、少しスケールは小さいけれど暖かくて思いの満ちた演奏。素晴らしかったです。

 そして、ピアノ協奏曲4番終了後にダン・タイ・ソン氏がまさかのアンコール。基本ラ・フォル・ジュルネは45分一公演。枠が決まっていますので、アンコールはないはずなのです。この時点で既にピッタリ45分経過した21:00。それでも、その本来ないはずのアンコールは始まりました。

 震災に被災した日本のために、ショパンのアンコールを弾きます

 たどたどしい日本語でそう語った彼が弾き始めたのは、ショパンの遺作となったノクターン第20番 嬰ハ短調。映画『戦場のピアニスト』では冒頭のシーンでこの曲が弾かれ、開始ほどなくして爆撃が始まり演奏は中断されます。震災がまだ完全に落ち着いたとは言えないこの日常の中、仙台フィルのメンバーも聴き入る中で惹かれるノクターンは、非常に美しく心に響きました。

 この日の演奏は、心に残る演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を生で聴くという念願が叶ったのもそうですし、自らも厳しい状況に置かれている中、それでも新潟の音楽ファンのために代役を買って出てくれた仙台フィルの心意気にも打たれました。仙台フィルの皆さん、井上道義さん、ダン・タイ・ソンさん、どうもありがとうございました。素晴らしい体験をさせてもらいました。落ち着いて本格的な活動が再開できるまで、まだ大変なことも多いかとは思いますが、頑張ってください。

2011年5月3日火曜日

オサマ・ビンラディン死亡の報を受けて

 オサマ・ビンラディンが死亡したそうだ。アメリカ軍がパキスタンの首都イスラマバードに近いアボタバードに潜伏していたビンラディンを米海軍特殊部隊(SEALS)が急襲し、銃撃戦の末に殺害したとのこと。米国時間で日曜の深夜に突然発表された、文字通り寝耳に水の出来事だ。


 ところで、ビンラディンが行ったことと、今回アメリカが行ったことは何が違うのか? 無差別に大量の人を巻き込んだか、特定の人物にターゲットを絞ったか、それだけではないか。広場で歓喜するアメリカ人の姿には、 どうも違和感がある。

 一神教では自分の信じる価値と異なるものは文字通り異物として、絶対悪として排除の対象となる。この辺り、伝統的に多宗教・多信仰で"八百万の神"を自然と受け入れていた日本人には感覚として理解が難しいところだ。一神教では自分の価値観を否定するものは敵となる。だから憎しみは終わらないし、これで戦いも終わらない。その意味ではこれまでビンラディンが行ってきたことと今回アメリカが行ったことは、本質的にはまったく同質のものだ。最後にTwitterで見かけた言葉を引用。

 あのビンラディンが最後の一人だとは、ボクにはどうしても思えない。今後も世界で混乱が続けば、地球のどこかに第二、第三のビンラディンが現れるかも知れないよ。

2011年4月22日金曜日

日常に満ち溢れた有害なものたちと

 今日はSS(防除機)の外装を特別なクリーナーでひたすら洗浄。SSの表面には大量の農薬がこびりついてますが、それを酸性の洗剤で溶かして落とします。この洗剤は強力で肌につくとピリピリするし、溶けた農薬もはねてきます。今私の体には基準値以上の有害な何かが付着していること必至です。

 私は外で洗浄でしたが、工場の中では別の人がひたすらラッカーで塗装。シンナーやトルエンの匂いが充満し、時たま「ずっと中にいると具合が悪くなる」と言って外に空気を吸いに来るほど。ウチに限った話ではないでしょうが、工場の現場では体に有害なものが満ち溢れています。
 農薬、シンナー等の有機溶剤、水銀等の重金属、排気ガスや電磁波、環境ホルモン、アスベストとか、果ては放射能まで、人間は有害なものに囲まれつつも、そのデメリットを超えるメリットを生んでここまで来たのだなぁ、と何となく思いました。メリットが勝っているおかげで、ここまで人の平均寿命は延びてきました。
 リスクを取ってメリットを生む。例えば農薬なんて、短期的に見れば放射能より有害でしょう。それでも農薬は分解が早いので消費者の口に届く頃には無害になっている(はず)。でも放射能はモノによっては無害になるまで数万年かかる。その覚悟の上でリスクを取っていたかと言われるとそうでもない。
 経済を効率的に回すためにリスクが見過ごされるのが資本主義の歴史の常。じん肺も、光化学スモッグも、水俣病を始めとする四大公害病も、アスベストも、今回の原発事故もそう。ただし今回はリスクの影響期間がちと長すぎます。直接その物質を摂取した人だけでなく、子孫にまで影響大なわけですから。リスクを見逃していました、で済まされる問題ではないでしょう。
 短期的に体に害のある農薬や酸性の洗剤、シンナー等に囲まれて仕事をしていた今日、作業しながらぼんやりとそんなことを考えてました。結局、有害なものは日常に満ち溢れているのだから、リスクを認識して許容範囲を決めつつ、メリットを生み出して生活していくしかないんでしょう。でも、放射能ばかりは困ったなぁ・・・。
 まとまらないからここでやめ。

2011年4月11日月曜日

選挙戦について思う

 今回の選挙で開票が始まった頃、Twitterで@hitononaka氏が以下のようなツイートをしていたのが目に止まった。

60代以上は戦後の復興を体験してるし、50代は復興を発展させた。つまり「俺たちが日本を作った」という気概があるから選挙に行く。40代以下は、最初から全て与えられているので気概がない。だから選挙に行かないし考えない。あっても「危機感」の方。これは社会構築課程上の問題なんですよ。

 今回の震災では「今日と同じ明日がいつものようにまたやってくる」という閉塞感が打ち砕かれたと以前に書いた。今日と同じ明日はもうやって来ないかもしれないし、今日と同じ明日ではまだこの世界に不安や不幸はたくさんある。それらは決して無くなりはしないだろうけど、それらを減らして安心や幸福を少しでも増やせる世界にしていかなければならない。それが変革ということなのだろうし、直接的には復興ということなのだろう。そのためには、我々若年層も「これからの日本を支え、築くんだ」という気概を持たないといけない。その意味で、まずは選挙に対する意識を高めることは必須だと思う。そして、選挙に行くために常日頃から政治の世界にも気を配ることも。
 それとは別の議論として、現状の日本での間接民主制における情報後悔とその共有システムについてもTwitter上で話をした。こちらは@hsuenobu氏と。今の日本では現実的に直接民主制は取れないので、間接民主制の体裁を取っている。だが、その前提としては民の代表たる議員を選ぶ際に、我々が正しく選択を行うための情報があることが必要となる。理想を言えば選択のために必要な情報が透明に平等に用意され、情報の偏差がない状態を前提とする。ところが現状では地元候補者に投票する際でさえ、誰がどんな考えを持って何を言っているのかは余程意識的に情報を集めないとわからない。それも日本ではネットでの選挙活動が解禁されていないから、市報やらたまたま巡り合わせた街頭演説やら、たまたまニュースや新聞で見かけた過去の活動から判断するしかない。選挙カーなんて名前を連呼するだけでまともな判断材料なんてくれやしない。そんな偶然性に大きく左右される情報偏差が多い状態で、間接民主制の真意たる正しい選択ができるのだろうか。この状態で、我々は情報を基に自分の意思で自分の代理人を選任していると言えるのだろうか。もちろんまずは選挙には行くというのが大前提ではあるが、選挙に行ったとして我々は真に自分の意思で選択していると言えるのか、という問題がそこにはある。本当に判断するための情報がまず揃わないのだから。この点を改善しないことには、間接民主制は意味を成さない。
 そのためにやるべきことは色々あるけど、まずはネットでの選挙活動の解禁は最低限やらないといけないのではないか。それによって平日仕事している時間内に行われる選挙演説や情報量の少ない公の上の広報と比べると、格段に情報の手に入れやすさが容易になる。ネットは拡散性と伝染性(こちらが問題だ)が非常に強いのでそれによる別の弊害は考える必要はあるが、情報のオンデマンドな入手が可能になる点と、やりようによっては双方向な情報のやり取りが可能になる点は大きい。政治家の方々としてはネット活動の解禁によってこれまでの活動手法が通じなくなり、何が起きるのかわからないので恐ろしい、という面があるのだろうが、我々が受けるメリットは大きい。
 もちろんそれだけで情報偏差がなくなるわけではないし、選挙戦だけではなく通常の国家運営についても情報の透明性は確保される必要があるので、課題は山積している。今回は震災直後の選挙戦ということで思うところは多かったが、国にも、民にも改善すべき点はたくさんあるという曖昧な結論を出し、そろそろ眠りに就くことにする。

2011年4月7日木曜日

政府による言論統制の危惧:東日本大震災に関わるネット上の情報について

 cnetでこのような記事を見かけた。

『総務省通達「東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請」は極めて危険だ。』

 日本政府が「ネット上で国民の不安をいたずらにあおる流言飛語が流布している」として、このような流言飛語の自主的な削除をサイト管理者側に求めた。ネット上ではこれを「言論統制だ」として反発が広がっている。

 私個人としても、この政府の対応ばかりは気に入らない。正しく有益な情報もとんでもない流言飛語も等しく情報として手に入れられるのがネットというものだ。その玉石混交膨大雑多の情報を読み取り、善悪好悪を判断するのは利用者側の責任であり、そのためには利用者側が最低限のリテラシー及び知識・常識を持たなければならないというのが昔から言い続けている私の立場。国に情報元の精査・操作をされる言われはない。こればかりは声を大にして言おう。ネットに政府の統制はいらない。

2011年3月31日木曜日

消えた農業議論

 果樹の防除も本格的に始まり、我々農機具屋も忙しくなってきたものの、震災後は農業関係のニュースや議論も少なくなった。TPPとか、6月中の参加可否決定が延期されても議論すら起きない。事態が事態だけにやむなしという諦めか、それとも各業界が議論がなくなったのをよしとして参加or不参加になし崩し的に持っていきたいという思惑があるのか。

 しかし農業関係のニュースも放射線量については豊富だけど、それに気を取られすぎなんだな。放射線の問題はもちろん農業にとって死活問題だし、これが解決しないと国内でも対外的にも農業はさらに弱ってしまうのは確かなんだけど、どうも世の中のニュースは一つ論点が見つかるとそこに意識が集中しすぎて、各論以前の総体としてどうするかのビジョンが不明瞭になっていく気がする。ニュースとは所詮事例報告だから仕方ない面はあるけれど。放射線の情報は大事だが、その他のニュース、議論も併せて再開した方がいいのではないかと思う。

2011年3月24日木曜日

『ジェットコースター』と大人の必要条件

たむらぱん『ジェットコースター』の歌詞。「大人になんてならなくていいよ」ではなく、「大人でなんかいなくてもいいよ」と歌っているところがポイントだ。前者は本当の子供が言う分には若さ故と許せるが、いい大人がそうは言いたくない。でも、後者は普段は大人な人に対して歌っている。大人にも大人でなくていい時間はあってもいいんだよ、と。その差は大きい。

ところで、一体いつからが大人なのだろうか。何歳からと区切りたいわけでもないが、とりあえず自分の家庭を持ったら、少なくとも大人であろうという自覚はしていたい。自分一人なら自分の命、人生は自分が責任を持てばいいが、家族ができるとそうではない。自分自身に対する責任が、家族という自分以外の人への責任にもつながる。大人とは、家族に限らず、自分以外の人に対する責任を自覚できることなのではないだろうか。これは大人であることの必要条件の一つに過ぎないとは思うけど。
まぁとりあず、例えばコンサートに行った時なんかは大人でなんかいなくてもいいんじゃないだろうか。感動すれば泣けばいいし、飛び跳ねながら手を振ったっていいし、ヘッドバンキングだってしちゃってもいいだろう。そんな時間だって必要だ。

2011年3月6日日曜日

地産地消『A alla Z』

 今日3月5日は妻の誕生日、続いて3月7日は下の娘の誕生日ということで、たまには奮発してディナーを外食に出かけました。

 行ったのは地元新潟の契約農家から仕入れた減農薬野菜を使用したイタリア料理が売りの『A alla Z』というお店。全体に野菜をふんだんに使った優しい味付けで、素材を生かした料理が素晴らしく美味しかったです。子供達も美味しいのがわかるのか、いつもよりもいい食べっぷり。一つだけある個室が予約で取れたので、3才と1才の子供が少しくらい暴れても大丈夫。安心して美味しいコース料理を堪能できて私も妻も大満足でした。

 地元で採れた野菜がこんなに美味しい料理になり、近所のお店で食べられる。地産地消の一つのいい形だなぁと感じました。このお店にはまた機会があれば行きたいものです。

2011年2月27日日曜日

たむらぱん パンダフルツアー@新潟LOTS

 というわけで行ってまいりました、たむらぱんパンダフルツアー新潟公演。詳細は後程ゆっくり語るとして、とりあえずは最高でした。素晴らしい!たむらぱんの表情豊かな歌声も、ライヴではより一層魅力的に響いていました。彼女の歌は生で聴くと細かい声や表現の表情の変化が伝わってきて、CDよりもさらに素晴らしい。伴奏陣もあの転調・リズムチェンジ・変拍子が随所にちりばめられた何気に難曲揃いなたむらぱんの楽曲達を、ノリノリで楽しそうに演奏しているのが凄い。特にキーボード/シンセサイザー等の後ろ二人は随所にアドリブや小技を効かせて、実に楽しそうに演奏してました。リズム隊もグルーヴ感バッチリの演奏で土台を支え、気持ちよくリズムに乗せてくれました。たむらぱんは楽曲も歌声も魅力的だけど、それを支えるバンドの実力もかなりのもの。さすがここ数年クラシック一辺倒だった私の通勤BGMの比率を、『ナクナイ』を手に入れて以降のここ一か月で9割たむらぱん、1割クラシックに塗り替えてくれただけのことはあります(笑)。アンコール含め約100分のステージ、非常にテンションが上がって幸せな気分で満喫させてもらいました。

 当日のセットリストは大体以下の通り。『ストーリーテラー』から『フロウハロウ』までの曲順が少々記憶が曖昧ですが、大枠こんな感じだったと思います。『フロウハロウ』は『ズンダ』の後だったかなぁ・・・?あやしい部分もあるので訂正あれば教えてください。

1. バンブー
2. スポンジ
3. マウンテン
4. フレフレ
5. ノバディノウズ
6. ごめん
7. ズンダ
8. ストーリーテラー
9. ゼロ
10. ラフ
11. きづく
12. フロウハロウ
13. SOS
14. あいそう
15. ジェットコースター
16. へぶん
17. ハリウッド

~アンコール~

18. とんだって
19. 十人十色

 当日のドキドキを大切にするため、敢えてセットリストは未確認のまま臨んだ今回のコンサート。スタートは予想通り『バンブー』から。サビは結構高いところで音が続くから歌う側としては一曲目には辛そうな曲ですが、そこはさすがたむらぱん、しっかり声出てました。続く『スポンジ』のイントロで飛び跳ねながら「新潟の皆さんこんばんは」的なMC入れてたら本来歌が入る所で入り忘れ、「やっべ、入るとこ間違えた」と焦るのがちょっと面白かったです。

 さて、その後全曲について語りたい気持ちはやまやまなのですが、書くのも読むのも大変だと思うので特に印象に残った部分を。たむらぱん自身が"平成の関白宣言"と自負(?)している『フレフレ』から『ノバディノウズ』の流れでは演奏後にMCが入り、いつまでも二人一緒に頑張っていこうという内容の『フレフレ』から、誰にも知られないようにこっそりと新しい恋人に会いに行く不倫・浮気の歌である『ノバディノウズ』へつなげる流れは、現実的な感じがして気に入っているとかのたまっておられました。そしてもし浮気がばれた時でも対応できる曲を作っています!とか言って『ごめん』。面白すぎです(笑)。その『ごめん』でサビを会場中で思い切り歌って、『ズンダ』で気持ちよく手拍子をして、前半最初の盛り上がりとなっていきました。私は元々この『ズンダ』のサビで手拍子したいという思いでコンサートチケットを取っただけに、ここは楽しかったですね。セットリストは未確認でしたが、まぁ『ズンダ』は演らないはずはないだろうと思っていたので、「よし来た!」と盛大に手拍子してました。

 でもビックリしたのは『ノバディノウズ』を演ったこと。この曲は1st『ブタベスト』の中でも好きな曲で、6/8拍子の気持ちよいリズムに体を揺らしながら、それこそ天の上まで引っ張っていかれるようなサビのメロディーと歌声がお気に入りなのです。生で聴きたいとは思っていたのですが、『ブタベスト』の中でも比較的マイナーな部類に入る曲だからまぁ演らないだろうなと完全に諦めていたのが聴けたのでとても嬉しかったです。ライブでも気持ちよくリズムに体を揺らして、バッチリ天まで引っ張り上げてもらいました(笑)。個人的にはサプライズという意味ではこの曲が一番サプライズ。
 そしてそこからは少しクールダウン。ちょっと落ち着いてたむらぱんの歌を堪能できる曲が続きます。『ストーリーテラー』よかったなぁ・・・。この曲は『ナクナイ』購入後、その魅力に気付くまで少々時間がかかった曲なのですが、よく聴くとちょっとJAZZかボサノヴァっぽいコード進行に、何というか美しいながらも少し表情が曇り気味なメロディーが絡まった名曲です。生で聴くと歌に一層力と表情が加わって、実に感動的な、でもどこか少し足取りが重くなるような感傷が、とても素敵でした。

 『ノバディノウズ』に続くサプライズはやはり『フロウハロウ』!この曲も1st『ブタベスト』の曲で、ピアノ伴奏とドラムスを効果的に使って後半にかけてどんどん盛り上げてくれる超名曲。ライヴで歌いながら「♪東の方向へ~」で手を振りたい!という思いが強く、コンサート開始前には「『フロウハロウ』も聴きたいけど演らないだろうなぁ」とつぶやいてしまったくらい聴きたい曲だったので最高に嬉しかったです。調べてみると今回はツアーの途中、名古屋公演では『フロウハロウ』演ったらしいです。仙台でのセットリストは現時点で情報がないので未確認ですが、とにかくこの曲はツアー後半で演るようになったらしいので聴けてよかったです。最高。

 そして『SOS』、『あいそう』、『ジェットコースター』とライブ映えするアップテンポなナンバーが並ぶクライマックスへ。「♪SOSです、SOSです」の合唱はお約束。個人的にはズンダと並んで手拍子したい曲No.1の『あいそう』のサビで思い切り手拍子できてスッキリしました。でもあの曲、CDでも『ズンダ』程手拍子が目立ってないせいか意外と正しく手拍子してる人が少ない(苦笑)。そして手拍子の定番『ハリウッド』で、カッコいいメンバー紹介と共に本編は幕を閉じます。

 アンコールはピアノ伴奏のみの『とんだって』。これで『ナクナイ』収録曲はコンプリート。ここでも素晴らしい歌声を聴かせてくれたたむらぱん。この手の曲でCDより生の方が歌に感動できるのは正直凄いと思いました。あまりライヴ映えする曲でもないかなぁ、と思っていただけに生のオーラにびっくり。いい意味でしてやられました。そしてアンコール最後の曲はまさかの『十人十色』。ちょっとサイケデリックなミッドテンポナンバー。でもこの曲はサイケなだけに音数も多いし、サビでは高音で声を張るメロディーが続くので実は意外に生で聴くと迫力があります。新ウィーン学派を始めとする一見難解な現代曲は生で聴くとカッコいいのと同じ原理です(?)。そしてやはりよかったです。やっぱこういう曲はCDよりはライヴです。シュールにサイケデリックに、たむらぱんの夜は〆られていきました。

 コンサートが終わって新潟LOTSを出て、ふと「そういえば新潟に戻ってきてからこうして夜の新潟を一人で歩くのは初めてだなぁ」と思いました。学生時代、独身時代は新潟に帰省する度に仲間と夜の万代や新潟駅前を歩いたものですが、結婚して子供ができて、新潟に戻ってきてからはそもそも夜遊びをあまりしなくなったのです。ライヴが終わった後の高揚感の中で夜の街を歩いていると、何かわからないけれど何か起きそうな、そんな不思議なワクワクというかソワソワした気持ちになります。独身時代ならその余韻で間違いなくどこかのバーにでもふらっと入って行ったことでしょう。けれども、今は家には帰りを待っている妻と子がいます。とりあえず自動販売機でジュースだけ買い、ひとことTwitterに感想をつぶやいて、そのまま家路につきました。2ndアルバム『ノウニウノウン』を『ハレーション』からかけながら。

 たむらぱん パンダフルツアー@新潟LOTS。素晴らしい夜でした。たむらぱんとそのバンドの皆さんに感謝。また、新潟に来たら行きます!






2011年2月20日日曜日

『さよならニッポン農業』神門 善久 著

この『さよならニッポン農業』はまず明治から平成の鳩山政権までの農政を俯瞰しつつ、日本の農業、特に農地利用がどのような理由で無秩序化し、競争力を無くしていったかを冷静に分析し、提示して見せてくれる。単純に農政の歴史の勉強としても役立つし、それ以上にその農政によって人の意識がどのように変わり、どのような行動・結果につながっていったかという因果関係をはっきり説明してくれるので非常に腑に落ちやすい。


本書が一番の警鐘を鳴らしているのは転用や耕作放棄を含む農地の無秩序な利用。最終的には規制緩和の名の下にそれこそ農地をだれでも自由に取得して自由に利用していいという形になることを警戒する。この無秩序な農地利用に国や地域が歯止めをかけ、農地に競争力を与えることでこそ農業の復興の可能性と説く。ここでいう"競争力"とは世間一般で叫ばれる規制緩和により誰でも農地の取得・利用をできるようにするという見せかけの自由競争ではない。それでは無秩序化がさらに進む。土地利用の方法や手法を細分化して規定化した上で、その規定に沿って土地利用をする限りでは土地の利用権のやり取りを自由化するという方策を提言する。それにより土地利用の無秩序化を抑止しながら価格面での自由競争を促進するわけだ。その際の前提として農地基本台帳を法定化し、平成の検地をおこなって農政を策定・運用する際の基本情報を整理する必要があるというが、これには強く同意する。そもそも自分の農地の権利関係が自分でもわからずに困っている農家も多いのだから。
著者はその他にも無秩序化を抑止するための様々な意見を述べているが、一貫しているのは現状での無秩序な農地利用のままでは日本農業に未来はないということ。その意味で本書のタイトルは『さよならニッポン農業』なわけだ。まだTPPという話が大きくなり始める前に出版されているので本書中にTPPという言葉こそ出てこないが、ドーハ・ラウンドやFTAを視野に入れつつ、貿易自由化の際の影響も視野に入れており、その提言は貿易自由化への対応としても有効と感じる部分も多い。現状をみると非常に理想論的に思えるが、論拠が完全なまでに現実的なだけに現状への悲嘆と将来への可能性をどちらも感じる本だ。
この本は農家ならずとも農業界に身を置く人間としては耳に痛い言葉も多い。だが、感情的にでもなく、行政やJAへの批判というわけでもなく、冷静に歴史と現状を分析して問題点と解決案を問いかけてくる本書は非常に説得力がある。是非一人でも多くの人に読んでもらいたい本だ。
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・・・と、ここまで書いてFacebookのリンクを使って書評として登録しようとしたら文字数オーバーと言われた(苦笑)。どうやら420文字しか書けないらしい。短いな・・・。なので、とりあえず原文はこの雑記帳に記載して、Facebookには抜粋版を掲載。もう子供達が起きるから、後でBLOGをFacebookに反映する方法を試してみよう・・・。

2011年2月5日土曜日

Twitter始めてみました

 この雑記帳にアクセスしたら嫌でも気付くでしょうが、遅まきながらTwitter始めてみました。そしてTwitterでつぶやいたつぶやきをこの雑記帳で表示するようにしてみました。Twitter始めて友達探すとかよりもまず先にそういうところから始めます(笑)。デザイン的には日記の一番上にドカンと置いてみましたが、目障りなようならどこかに移すかもしれません。ちなみに、i-modeのブラウザで見るとこのTwitterのウィジェットは表示されないようです。

 Twitterを始めるに当たり、つぶやくのはいいんですが、この雑記帳と合わせてあっちも更新、こっちも更新となると読む方も書く方も落ち着かないだろうと思って少々二の足を踏んでいた感がありました。ので、とりあえずここに情報を集約してみた感じです。最終的にはここを見ればTwitterもBLOGも見れる、と。これでTwitterも合わせればこの雑記帳の更新頻度は増すことでしょう。Twitterは携帯からの更新も簡単ですしね。

 このTwitterというのは良くも悪くもリアルタイム性と手軽さが身上。やはりBLOGとはメッセージの質が完全に異なるように思います。BLOGならある程度ネタを見つけて考えて、多少なりとも文章をまとめた上で公表します。が、Twitterは思いついたら推敲などせず直発信です。それこそ「カレーライスなう。」くらいの勢いで現状の事実や思いがストレートに出てくる。それはそれで情報の一面としては面白いのかなと感じています。

 今の状況や気持ちをリアルタイムに発信。それは思想よりは感想に近い。そのコミュニティの広がりと、極端なまでのリアルタイム性がこのツールに強力な情報発信力を与え、最近じゃTwitter絡みで色々な情報や事件すら巻き起こっています。とりあえずはちょっと、自分でも使ってみようと思います。

 というわけで私をフォローしてくれる人がいるならば、@AyumuKobayashiでお願いします。

2011年1月25日火曜日

雪やや多く

 新潟では今年も雪がやや多い。去年のように20数年ぶりの大雪というわけではないが、我社がある新潟市と三条市の境目辺りでは週に1、2回程度、一晩で10~30cmくらい積もる雪がコンスタントに降っている。なんだ案外その程度かと思われるかもしれないが、今年は寒波が続いて外気温が摂氏2度程度の日々が続いているため、その"案外その程度"の雪が溶けない。溶けないということは当然新しい雪が降れば既に積もっている雪の上にさらに積み上げていかれるわけで、普段雪かきをしない小屋の屋根などはえらいことになる。

 昨晩の雪でそのような屋根に積み上がっている雪がとうとう1m近くに達してきたので、雪の重みで潰されそうな古い屋根が多い我社では午前中一杯総出で雪かきをしていた。装備は歩行型の除雪機2台、シャベル、屋根の雪下ろし用の自家製の道具、そして地下水汲み上げの消雪ホースだ。それだけの装備で3、4人でかかっても午前中いっぱいかかる。当然通常の業務は行えない。ざっと2人日と考えればなかなか馬鹿にならない工数だが、こればっかりはやらないわけにもいかない。雪が多いと駐車場にお客様も自分達も車が入れない(実際今朝は出社した時は駐車場に入れず、まずは除雪機で最低限のスペースを確保するところから始まった)し、機械の移動や洗浄等もまともにできなくなる。雪の重みで屋根が潰れたりしたら当然シャレにならない。雪国というのはこういったところで確かなハンデを負わざるをえないわけだ。

 ウチのような小さな建物がたくさんあるような会社ではなく、自社ビルを構えているような会社なら除雪はしなくても業務が進むかというとそうでもなく、今朝なんかはやはり朝一で職員が大勢でビルへの入り口や駐車場の除雪に追われていた。手でシャベルやスノーダンプで雪のけをする会社もあれば、豪勢にユンボで駐車場を除雪している会社もある。地上にスペースが多ければ多いほど、当然人も手間もかかる。

 朝、出社前も余計な仕事が増える。車が雪に埋まっているため、まずは最低限ガラスの雪をのけて、前に雪が積もっていたら出られるように除雪しなければならない。それだけで10分から15分はかかる。朝にそれだけ時間が取られるのは大変だ。

 雪国で仕事をして雪と付き合うというのは、新潟の中では雪が少ないウチのような会社でもそれなりに大変なものだ。雪がないとまた果樹のリズムも狂うので困るということだが、降って適度に溶ける程度でなんとか勘弁してもらえないだろうかと空に向かってお願いしてみたくもなったりする。

2011年1月22日土曜日

意外と思われるかもですが、たむらぱん

 最近たむらぱんというアーティストにはまっている。たむらぱん。まだ知名度的には知っている人は知っているというレベルだろうか。が、このたむらぱん、実にいい。いつ以来かわからないくらい久しぶりに女性VoのJ-POPにはまっている。

 元々はFM新潟で『ラフ』がよく流れてきて、そのサビのメロディーがとにかく耳に残って離れなくなったのが始まりだ。そこでとりあえずiTunes Storeでその曲だけ買ってじっくり聴いてみたわけだが、仕事をしながらラジオで聴くのではなく、じっくりと聴いてみてとにかく驚いた。サビだけでなくAメロからすべてのメロディーも、そのアレンジも歌もすべてのクオリティが尋常じゃなく高い。あまりに衝撃を受けたので、今度はアルバム『ブタベスト』を聴いてみた。これがたむらぱんのメジャーデビューアルバムとのことだが、やはり全曲そのメロディーもアレンジも丁寧でよく考えられていてクオリティが高い。あっという間に通勤中のBGMのヘビーローテーションになってしまった。

 たむらぱんの魅力はよく言われるようにやはりまずはその柔らかく親しみやすい珠玉のメロディー。しかもサビだけがいいのではなく、AメロBメロと言わずに思わず口ずさんでしまいたくなるメロディーばかりが曲をつないで一つの曲が出来上がっていく。だから彼女の曲に「サビはいいけど他はちょっと・・・」という曲はない。しかも一つのメロディーから次のメロディーへ、ちょっと想像できないつながり方で進んで行く。聴きながら「え?こうつながるの?」といった意外さが聴いている側をドキドキさせる。そしてそれがすべて違和感なくつながっていく。

 そしてそのメロディーを引き出す巧妙なアレンジ。たむらぱんはアレンジからプロデュースまですべて自分で手掛けているとのことだが、このアレンジが実に素晴らしい。とにかく同じ旋律を同じ形では絶対に登場させない。静も動も使い分けて、曲の始まりから終わりまで聴いていて常に期待をいい意味で裏切るような意外性に満ちた進み方をする。転調や変拍子を多用しているわけでもない(もちろん多少はある)のに、音とリズムの使い方を変えるだけで曲の先が読めない面白さ。ここが私がたむらぱんにはまった最大の理由かもしれない。Dream Theaterといい、そういう意外性の音楽は好きなのだ。かの大指揮者フルトヴェングラーは、音楽で一つの主題が提示された後に様々な展開や変奏を経てまた主題に戻ってくる時、その主題は最初に提示された時とはまったく違った形で響かなければならないと言った。何故ならその主題は再び登場するまでに音楽的にも時間的にも様々な経験を積んでいるのだから、その経験の分だけ主題は変わっているはずなのだからと。たむらぱんの音楽にもそのような音楽自身による音楽の成長が感じられる。同じ旋律が同じ曲の中で出てきても、決して同じようには響かない。それはアレンジ面でもそうだし、歌唱面においてもそうだろう。

 たむらぱんの歌の魅力はわかりやすいと言えばわかりやすい。透明できれいに伸びる高音と、曲により様々な表情を見せる表現力。曲によく合ったその歌声は実にチャーミングだ。個人的に気に入っている点は、彼女が声にビブラートをかけるかけないを恐らくはかなり意識的に使い分けている点だ。そして最近のR&B系の歌手のように深く大きいビブラートはほとんど使わない。それが彼女の"透明できれいに伸びる高音"をより一層効果的にしている。ビブラートは音を揺らして深みや艶を出す、と一般には簡単にそう言われているが、ビブラートのかかった音が"いい音"とは単純には直結しないことを意識している人は少ない。ビブラートは音を揺らすわけだけら、どうしたって揺らした分だけ音は不協する。不協する分周囲の音からは引き立つし、使い方によってはその不安定な響きが艶となるわけだが、純正律的な響きの美しさとは決して両立しない。つまりビブラートは使い方によっては旋律の強調や艶っぽい響きと引き換えに、音楽全体の響きの美しさを壊すこともあるわけだ。だからビブラートは声に限らず楽器においても使い所と使い方が重要になる。そこを意識せずにクセだけでビブラートを使う歌い手や弾き手は多いが、たむらぱんはそうではない。曲の中で透明な響きの歌声がほしいところではビブラートを使わず、素直に声をすっと伸ばす。それがまた音楽に溶け込んで実にきれいに響く。この歌はかなりクセになる。

 アルバム『ブタベスト』ではまず最初の曲『責めないデイ』にいきなりKOされた。どこか懐かしいピアノの旋律から入るこの曲は、たむらぱんの魅力であるトントンと旋律も曲調も転がって行って先が読めない意外性に満ちた面白さも、透明できれいに伸びるチャーミングな歌声も堪能できる名曲だ。最後たたみかけるように「♪~今日もヨシ、それもいいよ」と繰り返し呼びかける部分はとても印象的に耳に飛び込んでくる。2曲目『ぶっ飛ばすぞ』ではちょっとスピッツを彷彿させるシンプルで明るいロックナンバーと思いつつ、イントロから続くキーボードのUFO的な響きの音が周りの歌や伴奏がすべてブレイクかけようと何しようと延々と淡々と同じ調子で続くというツッコミどころが用意されています。そして大好きな3曲目『へぶん』。これも聴き始めは「♪平凡だ、平凡だ」で始まる軽快なガールズロックチューンと思いきや、序盤も序盤、最初のAメロでいきなりまさかのキーアップ。「え!? そこでいきなり転調ですか!?」と突然ド肝を抜かれる素敵なアレンジ。全然平凡じゃない。この曲はその後も犬の鳴き声や車の急ブレーキ音等の効果音を取り入れながら素敵に盛り上がっていく。軽妙な6/8拍子のリズムに心地よく揺られながら、ゆったりと聴き手を空に引っ張っていくようなたむらぱんの透明な歌声が堪能できる夢見心地な名曲『ノバディノウズ』に、曲が進むにつれて音が洪水のように溢れていき、最後はアップテンポなポップチューンなのにアップテンポなままこれまでと同じ旋律が感動的にすら響く『フロウハロウ』。やさぐれ気味な牧歌的旋律で「♪ヘイヨー、メイヨー」と始まりながら幾度もの曲的展開を経て最後は抒情的な響きと足取りで終わっていく『ヘイヨーメイヨー』。アルバムの最後にたむらぱんが敢えてアレンジを控えめにしてピアノ弾き語りと少しのストリングスだけで歌い上げる3拍子の名曲『回転木馬』。この『回転木馬』は歌詞の世界もなかなか好き。共感できるというよりは、こういう感じが好きだ。総じて、まるでパステルカラーのふわふわした万華鏡のような音楽世界。音の気持ちよさと展開の意外さに驚きながら、面白く気分良く、時にじんわりしんみりとしながら聴いているうちにあっという間にアルバム一枚が終わってしまう。デビューアルバムでこれだけのクオリティを持つたむらぱん、恐るべしだ。

 彼女は作詞・作曲はおろかアレンジもプロデュースもアルバムで使用するイラスト等も自分で手掛け、MySpaceでの活動から初めて日本人としてメジャーデビューしたという経歴だけを見ても怖いくらいのマルチな才能に満ちたアーティストだと感じる。これだけの才能は日本の音楽界にはJ-POPに限らずともそうそう見当たらない。歌詞の世界が中学・高校生にも受けるものというよりは比較的若い社会人向けに感じるものが多いので、幅広い世代の支持というのは受け辛く、爆発的なセールスを記録するということは多分ないと思うのだが(売れるためには世代を超えた支持が必要)、純粋に音楽面で見た場合にこれだけの才能が日本に出てきたことは凄いと思う。今後もその活動は注目していきたい。とりあえずは最新アルバム『ナクナイ』でも買うか。