1999年3月31日水曜日
大切な本 -『風の歌を聴け』
初めてこの本を読んだとき、何故かはわからなかったんですけどとにかく心が震えたのを覚えています。それは感動というよりはどちらかというと共感に近いものであったもしれません。ともあれ、私はその本を読んで自分も文章を書こうと思い、そしてそれが今に至るわけです。もう何度読み返したかわかりませんが、それでも読む度にこの本は心に染み入ってきます。初めて読んでから4年がたった今でも読む度に新鮮な感じがします。今はこの本と出会った頃と周りを取り巻く状況が少し似ているせいか、また深く心が震えていました。この本の主人公は大学生で21になり、地元で夏休みを過ごしていて、私は18になる高3の夏にこの本を手にし、今21、今年で22にもなります。その時の流れと共に、私の主人公に対する視点もやはり動いてきたのでしょうか。あの当時得た共感と、今日得たそれとではやはり異なる何かがあるのでしょうか。まだ近すぎます。あまりに近すぎると目は全体を見ることができません。似通ってるんですよ、あの当時と今の自分が。そこの違いがまだ見えないのです。今があまりに近すぎるせいで・・・。
1999年3月30日火曜日
1999年3月29日月曜日
自堕落に
1999年3月28日日曜日
怪我の報告
1999年3月27日土曜日
ボロボロの交歓演奏会
昨日は関大との交歓演奏会がありました。出来の方はというとまぁよくもあそこまでボロボロに・・・、といった感じで、コンパのときなどは普通に飲み食いはしているものの心の中ではかなり泣き入ってましたね。そら2次会でショットバー、3次会でジャズバーにも繰り出して飲むわ。あかんがな、ありゃ。おかげで珍しく酒でフラフラになって、何人かの人にも迷惑をかけてしまいました。どうもごめんなさい。
しかも今朝は5時頃から故あって京都駅の方まで行かなならんかったのですが、駅まで自転車で行く途中に暗い道を裸眼で疾走していたら道路の分離帯が視界に入らずに高速でそこに突っ込んで大クラッシュかますし・・・。両手を血みどろにしてジーンズの膝も破れてそこからエグイ傷が覗いているような状態で行ったら待ち合わせていた人はさすがに驚いてましたよ。そらおどろくわ。でも転んで受け身をとる時に、そこはギタリストの本能とでもいいますか、指先の方から突っ込んだのではなく手のひらの手首よりの肉厚なところの方から突っ込んだので、確かに手のひらに大きな裂傷はあるのですが、ギターは問題なく弾けるのです。指と爪には傷一つ付けずに済んだのは不幸中の幸いといったところでしょうか。
1999年3月24日水曜日
民謡のMIDIサイト
1999年3月22日月曜日
卒業式の日に過去を想う
で、我々は今日は部活の恒例行事として、式を終えて体育館から出てくる先輩達を花束持って出待ちしていたわけですが、それが雨のせいかムチャクチャ寒い!!! あれはちょいときつかったですね。でもとりあえず卒業する先輩の姿を全員分カメラに収め、なにげにOB会費の徴集もしつつ皆さんを送りだしてきました。ある人は紫のス-ツに派手なネクタイとえんじ色のマフラーで黒のグラサンをかけ木刀を持ち、またある人は上下黒の拳法着に身を包み、ヌンチャクを持って卒業する同期生(爆)の見送りに来たりしていました。本人曰く「いやがらせ」だとか・・・。しかしそのいでたちに本気でツッコミを入れる人も意外と少なく、その事実にとても寂しそうにしていました。やはり卒業は人間ドラマですね?
しかし卒業式の帰り道って何か妙に寂しい気分になったりしません? 私は高校卒業の時、2次会のカラオケが終わった後いつもの仲間達と別れポツンとバス亭でバスを待っていた時、いいようのない寂しさに襲われた記憶があります。色々あった高校生活もこれで終わりなんだなと思うとね・・・。そのことを今日一緒に帰っていた人に言ったら、自分も今そう思っていたと言いました。そして一人になってから、ふと自分が高校卒業の時に思ったこと、高校時代の(あるいはそれは今も脈々と私の中に息づいている)自分なりの美学というか人生観について思いました。
中学卒業の時に精神的に一回死を迎えて、自分の中で高校生活というのは新しく1から自分を組み直していく過程にありました。そこで運よく素晴らしい仲間達に恵まれ、やりたいことをやって生きたいように生きてみた結果、人間という不思議な生物のいい面も悪い面も肌で感じて経験することができました。こう書くと高校生風情がなに悟った気になってんじゃとツッコミ入りそうですが、でも実際そうなんです。結局経験なんて比較することはできませんから、極論すればどんなありふれたものでも本人が大切だと感じればそう感じただけ大切なんですよ。それを他人が否定するのはその否定した人にとってその事実が大きな意味を持っていないだけで、当人にとっては当人にしかわかりえない(そして逆説的に当人にも理解しえない)大切さがあるのです。その意味で、客観的に見てどんなに他人が凄いと思う体験でも当人がそう思ってなければそれは当人にとって何の意味も持たないただの事実にすぎないわけで、その意味でやはり人生は自分次第なんだと思います。私の高校時代は、それは有意義なものでした。いいことばかりでなく、悪いことも含めてです。むしろいいことばっかりだったら「あの頃はよかった」と振り返ってそこに逃げ込むだけの避難所としての過去にすぎなかったのではないかと思います。ところがそうではなく、人間関係のよい部分も悪い部分も、極端すぎるほどの勢いでその当時の私にぶつかってきて、本当に素晴らしい黄金時代と言ってもいいような時間から、ドロドロした猜疑的要素の塊の複雑な人間関係の中、必死で手の中のものを守ろうと四苦八苦していた時期までありました。まぁ混乱期は本当にコアな部分で関わった人以外にはそれほど表面的に私に起こっている何かは見えなかったでしょうけど。詳しくは書きませんがそりゃあ色々ありました。その中で得た何かが自然に自分の中に根付いたり、浪人している間にある程度自分の意志でまとめたりして今の私があるわけで、その意味で私の高校時代は決して無意味ではなかったと思うし、今も私の土台としてその日々が存在しているわけです。今日卒業していった先輩達にとって大学生活とは一体何だったのでしょうか。後輩がこんなことを言うのも差し出がましいとは思いますが、それが彼らにとって人生の土台となりえる素晴らしい時間であったことを祈ります。そして私が卒業する時、私はその過ごした時間について何を思うのでしょうか。今はまだそんなこと見当もつきませんが・・・。
「今自分がやっていることの答えは、忘れかけた頃に時が教えてくれる」
私はそう思います。
1999年3月18日木曜日
自転車を取り返しに
なお、明日から私は部活の合宿に行くので数日更新はお休みします。
1999年3月17日水曜日
足を奪われた日
1999年3月16日火曜日
生け贄
1999年3月15日月曜日
ラミレスが来た日
そして今日やっと手に入れました。念願のニューギターです! 某ギタ-関係のホームページでは「音に毒がある」とのコメントも付いていたラミレスのギターです。な~に、毒の一つや二つ持ってた方が俺向きってもんです。今日は帰ってからひたすら新しいギターを弾き倒してましたよ。弦を店で替えてもらってきたのでひたすら調弦は狂うのですが、それにもめげずほとんど15分おきに調弦し直しながらそれでも悦に入って弾きまくってました。ん~、よいギターですよ~。
1999年3月12日金曜日
1999年3月11日木曜日
続く自動車教習
1999年3月9日火曜日
ギター選び
1999年3月8日月曜日
ギターを弾くことについての無限問答
それでまぁなんやかんやでクラギタに入りタルレガやって、適当にやりたいように曲やってここまで来ました。今じゃクラシック技術部長なんて役職にもついて、ちゃんとした先生にも習いに行ってまでギタ-弾いてます。でも、それでどうなるんでしょう? いくらギターうまくなったって、俺はKIYOのようにその後ギタ-関係の指導に就きたいと思っているわけでもなく、金やU-yanのように音楽関係の仕事に進もうと思っているわけでもない。今は好きで弾いてて、弾く時間があるからいいけど将来仕事が始まったら今やってることはどうなるんだろうと。探せばね、そこらのオッチャンでも「若い頃はギターやってたよ」っていうヤツたくさんいるんですよ。でもオッチャンになってもまだギタ-弾いてる人ってほとんどいないわけで、やはり仕事に就いて日曜とかくらいしかギタ-弾く時間が無くなってきたら自然とギターと疎遠になっていくのかなとか思ってもみたりして、実に微妙な心境になってます。そうするとね、今あれこれ必死でやっていることってその時一体どうなるんだろうな、って・・・。今はそれこそ必死ですよ。技術部長としての責任もあれば、弾きたい曲をイメ-ジ通りに弾きたいという願望もあり、その願望はあれどいくらやっても自分の頭の中でなっている音に現実の音が近付いていってくれないというもどかしさがあるから、そのギャップを埋めようと必死にやってます。ギターでも歌でもあるいは卓球でも(わしゃ中高卓球部だったので。中学の時は部活ムチャクチャ燃えてたんだぜ)、自分のイメ-ジ通りに体が動き現実からの答えが返ってくる瞬間の興奮と充実感、まぁ大袈裟に言えば感動ですね、は同じだし、その感覚が忘れられなくて、また極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて、そのイメ-ジに近付こうと必死でやるわけです。それこそ単純に指が動く動かないのレベルから、ビブラートのニュアンスとか、低音弦の擦か音とか、音色の研究だとか、フォ-ムの改善だとか、課題を挙げ出したらキリもなくなるほどに。でも今そうやって、時にギターを弾くのがイヤになって苦痛に感じるほどに頑張っていても、それが一体どうなるのかとか、ふと考えてしまって止まらなくなってしまいました。でもそう考えれば考えるほど、何故かしらないけどギターを今この手に取って弾いて弾いて弾き倒したくなるんです。そしてそんな虚ろな考えを吹き飛ばしてしまいたくなるんです。そして自分のイメ-ジを現実にトレ-スできる快感を求め、それができないもどかしさに襲われ、また漠然とした脱力感の中自分がやっていることを無意味に感じ、でもそうなるとまた何故かギタ-が弾きたくなる・・・。無限問答ですね。ギターは私にとって大きな浄化作用を持つものであり、何かに行き詰まった時にはやはりなんとなく手に取りたくなるんですよ。でもそれが最近技術的な面から限界を感じ、それに技術部長としての責任が加わった段階で歪みが生じて問いは永遠に繰り返すわけです。ずっと独学でやってきたとはいえ、中2の冬に初めてギターを持ってからはや7年・・・。それだけ時間が流れても自分はまだこの位置にいるのかと思うと少しイヤになりますね。多分そこがこの無限問答の始点にあるのだと思います。そう、俺はまだこの位置にいるんですよ。大学からギターを始めて、それでも俺より先の方までいっちゃってるのもいるというのに・・・。
1999年3月7日日曜日
不健康に椎名林檎
1999年3月6日土曜日
D.C.クーパー@大阪バナナホール
今日は大阪バナナホールまで真茶器と共にD.C.クーパーのコンサ-トに行ってきました。知ってる人は知ってるROYAL HUNTのボーカリストです。コイツの尋常じゃない声域の広さと恐ろしい高音域のキレは、その声質のク-ルさと相まって実にカッコいいのです。会場はコンサ-トホ-ルというよりはライブハウスといった方がいいような小さい会場で、しかも前の方にいたので手を伸ばせばD.C.に届きそうなくらいの所でした。今日のD.C.はまぁちょっと調子悪そうに歌ってましたが、それでも高音のシャウトのキレはさすがの凄まじさがありましたよ。ROYAL HUNTの曲からも『Wasted Time』と『River of Pain』の2曲をやり、アンコールではジューダス・プリーストのカバーも飛び出して場を盛り上げてました。まぁ個人的には『Last Good-bye』か『Message to God』もやってほしかったのですが・・・。とまぁ今日は疲れたんでこのくらいにしときます。でもライブとしてのノリは前座のPink Cream 69の方がよかったかも。ヤツらライブ向けのノリノリの曲ばっかやりやがるから・・・。D.C.は最近のROYAL HUNTの傾向をそのまま踏襲したかのような重々しい大曲志向だからライブだとそうガンガンいけるわけではないしね。
1999年3月3日水曜日
神戸散策
まぁ今日は南京町からハ-バ-ランド近辺を散策して回っていたわけですが、南京町で食べた豚まんじゅうは異様に美味しかったですね。その次に食べたフカヒレラーメンはまぁ美味いっちゃあ美味いんだけど、という感じでしたが。そして夜はモザイクのブラジル焼肉料理の店で食べたのですが、剣にブッ刺した肉をテ-ブルの上でシェフがザクザク切り落として皿に落とす豪快さが気に入りました。が、肉が出てくるペースが異常に早く、食うのにかなりのエナジーを消費していたことは言うまでもありません。しかし港近辺の神戸の夜景ってのは不必要なまでに綺麗ですよね。