1999年1月31日日曜日

フェアウェルの後に

 今日で1月も終わりです。この前正月を迎えたばかりだというのにもう・・・。最近時が流れるのが異常に早い気がしますね。なんか細かいイベントが立て続けにあって、ゆっくりと落着いて過ごせる時間が減っているせいもあるんでしょうけど。困ったことです。

 今月は4回生の本当に最後の引退コンサ-トがあったことや、その絡みで(?)色々な先輩の人生観を聞かせてもらったせいもあって何か色々と人間関係について考えること多かったですね。

1999年1月30日土曜日

遊びのトライアスロン

 徹夜明け、恐怖の遊びのトライアスロン第2日目は果たして体と精神はもつのだろうかという不安の中始まりましたが、人間の体というものは不思議なもので一っ風呂浴びて歯でも磨いてスッキリしてしまえば疲労度というものはかなり軽減されるものだという事実にかなり助けられました。

 保津峡の鍋大会はとてもJRで230円の区間内にあるとは思えない綺麗な自然の中で、久しぶりにキャンプ気分などを味わいながら非常に楽しく火を起こして鍋を作ってました。持っていった酒も大好評で、皆さん喜んでくれたようで嬉しかったですね。やはり景色のよい自然の中というのは心が洗われるようでよいものです。

 その後のコンパも睡眠不足と疲れから肉体的疲労は相当たまっているにもかかわらず、何故か酒と喉の調子は昨日より快調。たくさん飲み食いして満足してきました。2次会のカラオケも絶対昨日より調子がよく、(自称)RAINBOW名物となったHさんとのアニメタルのデュオもビシッと決まり気分よかったですね。しかも課長さんがお金を出してくれたおかげで、さんざん飲み食いして3時間歌っても一人頭わずか350円の出費で済んだというこの素晴らしさ! 今日は一日であらゆるストレスを吹っ飛ばした最高の日でした。さぁ明日は部活の某先輩宅でまた鍋パーティーだ。

1999年1月28日木曜日

ゲテモノブーム

 最近私の周りの一部の人間の間で、ゲテモノな飲み物の話題が流行って(?)います。一時期ATSONのフリートークなどでももてはやされていた『メッコール』とか『ガラナコーラ』とかが再び我々の表層意識の表舞台に登場してきたわけです。その火付け役となったサイト『汁物ストライク』や、私がどこからともなく発掘してきた『全国毒物食品連絡会』はなかなか面白いサイトですよ。前者はゲテな飲み物の世論調査のようなことをやっているサイト、後者は食い物全般のゲテ系のレビューを毒物度というよくわからん尺度のもとに掲載しているサイトです。興味があれば是非1回ご覧になってみてください。かなり笑えます。

 しかし私の中でゲテな飲み物と言えばやはり『ドクター・ペッパー』が一番ですかね・・・。あの当時110円だったジュ-スの自動販売機の中で、何故かこれだけ70円とかで売られていたという伝説の。しかも主に長岡の自動販売機でその傾向が顕著なんだ、これが。何故かは知らんけど。まぁ飲んだことがある人にはわかるだろうけど、あの腐った医院のような消毒臭じみた匂いの、妙な甘さが口に残るとてもこの3次元の生産物とは思えない飲み物がどういった経緯で商品化されたのかは今でも疑問ですね。しかし高校時代私が所属していた(というか助っ人参加していた)部活の人間相手に実際に飲ませてリサーチを取ったところ、不思議なことに血液型AB型の人間は何の抵抗もなく飲めるんですよ。で、A型の人間はことごとく悶死。0とBは飲めなくはないけどちょっと敬遠、といった感じでした。それもキレイに例外なしに。これはどういうことなんでしょうね? やはり血液型で味覚にも差があるのか、それとも何か別の要因があるのか・・・。気が向いたらもう1回リサーチを取ってみるのも悪くはないかも知れません。

 そういえばドクター・ペッパーで思い出したのですが、その昔真島昌利がブルーハーツと並行してソロ活動やってたときに出した『アンダルシアに憧れて』という曲のカップリングの曲にドクタ-・ペッパ-出てきてましたね。曲名がちょっと思い出せないのですが・・・。

♪ドクター・ペッパーをいつも飲みたかった~

 ・・・って、飲みたくねーよ!

 しかしブルハといえば私の中学から高校初期の頃までの人生のバイブル的存在であったわけですが、なんかハイロウズってブルハに比べるとやはりパワーというかカリスマというか求心力のようなものがありませんよね。少なくとも私はそう感じるのですが。何がどうとかいうんじゃなく、もっと単純に直感的な面で心に訴えかけるものが少なくってる気がします。『終わらない歌』や『チェインギャング』、『首吊り台から』や『Too Much Pain』、『ナビゲーター』といった今も心に残る名曲達のような理屈抜きの説得力が足りないような・・・。まぁいつまでもあのエネルギーを保ちつづけろという方が無茶なのはわかっているのですが、それでもちょっと寂しいですね。あそこまで心に直接訴える力を持った歌ってそうそうあるもんじゃありませんから・・・。

1999年1月27日水曜日

クッシー宅訪問

 今日はクラギタ2大怪獣の一端を担うクッシーのお宅にお邪魔してきました。彼には基本的に今年は編曲を頼まないでやっていこうという方針が決まっており、その旨を伝える意味も今回はあったのですが、実際会ってみるとこれがクッシー無茶苦茶いいオッサンなんだ(笑)。実ににこやかにおおらかに、今年もやる気はマンマンですよとアピールしてくる。オケとギタオケの違いについて熱く語る彼を見ていると本題を切り出すのが異常にためらわれて罪悪感にかられてしまいましたね。でもちゃんとリストラ(?)の旨は告げてきましたけど。あぁ、ゴメンよクッシー。美味しいお茶をありがとう。同じMacユーザーだったとは知らなかったんだ・・・。

1999年1月24日日曜日

アンニュイ

 やっぱ今日は気合いの都合上CSSバージョンのアップは止めさせていただきます(苦笑)。また今度ということで・・・。

 今日はもうなんか日中ずっと寝てたって感じでねぇ・・・。なんか頭の働きもイマイチ鈍くて、夕飯食べながらボ~ッとテレビなど見て時間過ごしてましたわ。適当にギターも弾いて、疲れたらボ~ッとして、ってそんな生活も結構よいですね。なんか俺は色々と妙なことやってるからやたらに何かをやってないと気がすまないんじゃあというようなイメージが広まっているようですが、これで実は意外とボ~ッとするのも好きな方なんでね。一人だと仕事もあまり進まなかったりする(苦笑)。ああっっっ、そういやAアンの『調和の幻想』とBKCとの合同有志の『Fenix』の編曲しないと! いや、まぁ『Fenix』の方はもう大体終わってるんですけどね・・・。

1999年1月23日土曜日

CSS実験室

 今日はCSSを使って色々と実験して遊んでました。CSSってのはCascading Style Sheetの略で、いわゆるスタイルシ-トと呼ばれているものです。まぁHTMLに替わるWebデザインの次世代標準と世間では言われているようですが、そのわりにCSS2はおろかCSS1(まぁバ-ジョンの違いと思ってくれい)ですら完全にサポ-トしているブラウザはまだ存在しないという・・・(黙)。IE4.01もNN4.06もまだ本当の意味でCSSに対応しているとは言えないこの状況下、CSSなんぞ組めるようになってもあまり意味がないのでは?と自分の行為に疑問を抱きつつ、それでも『まにや』路線をひた走るためだけにCSSのレファレンス片手に色々実験していたわけです。まぁ大体の構造はつかめましたね。

 しかしCSSで実験していて思ったんですが、世に現段階ですでにスタイルシートを使ってWebデザインをやるべきだという輩もいますが、いくらなんでもそりゃまだ時期尚早だろうと感じましたね。CSSへの対応が比較的的確になされていると言われているIEでもまだCSS1ですらバグが残ってる。現在のHTMLは構造を指定するものでレイアウトを決定するためのものではないから本来の目的に応じてスタイルシートを使うべきだというのが彼らの言い分ですが、まぁ理論上そうでも実際問題まだブラウザの対応が完全になされてないうちからそんなもん使ってるとWebを見てくれる人に対してあまりに優しくありませんよね。そんなにスタイルシ-ト使いたいならWebマスターに強要するんじゃなくて、自分でユーザー標準スタイルシートの設定してブラウジングすりゃいいんです。人に使え、っていうくらいならそのくらいの技術あるんでしょうし。ねぇ。まぁ確かにCSSを使った方が現在のHTMLの限界を簡単に超えていけるだけの可能性はあるのですが・・・。現にこのペ-ジも試しにCSSでレイアウトしてみたけど、実にスッキリしたソースで見やすく仕上げることができましたよ。このペ-ジテキストが多いから通常のHTMLだけでやってると行間が狭くてとてもゴチャゴチャして見えるのも解決できたし、ノート型のレイアウトにするのに左マージンをとるのにHTMLだけだと非常に苦労するのもCSSだとマ-ジンの設定一発でできちゃうし、背景画像のリピ-ト方法も余裕で指定できるし。・・・便利なんですけどねぇ。見やすくなりますよ、このページも。明日気が向いたらスタイルシ-ト使用の『雑記帳』をお試し版でアップしてみますよ。最新版のブラウザ(まぁIEの方がお薦め。NNでも最新版ならある程度は・・・)で見てみてください。

1999年1月21日木曜日

沈黙の平行線

二人きり、人気のない空間
そこに言葉もなくただ沈黙だけが流れた
「なんか話そうよ」
その彼女の言葉の後もそれっきり
また遠くの喧噪が虚ろに響くだけの時が始まる
言葉を常に意識する僕は
言葉の嘘を知っていた
あるいはそれは誰もが暗黙のうちに知り得ていること
でもやはり
本当に伝えたいことが“言葉”という形で外に出た時
それも自分で嘘に聞こえる気がして
そのことが嫌で沈黙を選ぶ
悲しいことは
僕らは誰もその“言葉”を介してしか何かを語れないこと
“言葉”がなければ物足りないこと
彼女はやはり確かなものとして“言葉”を求め
僕は確かなものとして“沈黙”を選ぶ
限り無い平行線
伝えようとすればするほど
彼女が求めるのは“言葉”
僕が選ぶのは“沈黙”
今僕が口にする“言葉”が虚偽ではないと
信じることもできないくらい
世界に飾り立てた綺麗な“言葉”は蔓延しているから
やはり僕は沈黙を選ぶ

作成:98/9/18 修正:99/1/21

1999年1月20日水曜日

家族で食事

 今日は親父が仕事の会議で京都に来ていたので弟とともに夕飯など食べてきました。たまにはそんなのもよいものです。ちなみに風邪の方はもう熱は完全に下がり、咳が少々残っているだけとなりました。でもまだ体力の完全回復には2、3日かかりそうですね。今日は病後はじめて大学にチャリで行ってきたのですが、軽く普段の3倍以上は息切らしてましたから。まぁでも昨日みたいにギタ-弾くと手が震える(実は弾いてなくても震えてたという噂も・・・)、っていうのよりは相当マシになりましたよ。

1999年1月19日火曜日

DDBJ Search and Analysis

 いや~、昨日のノリで医学・薬学関係のサイトを探していたら、ひょんなところでとんでもないサイトを見付けてしまいましたよ。・・・なんと、DNAやRNAの塩基配列のデ-タを入力すると膨大なデ-タベースの中から配列の相同性を持つものを検索してくれるサイトです!!!!! こいつぁ凄ぇ!!!!!!! 凄ぇけど絶対使わねぇ(爆)!!!!!!!!! でも思わずブックマ-クに入れてしまいました(大爆)。ここのさらに便利なところは、なんと塩基配列だけでなくタンパク質の立体構造の予測をしてくれたり、さらには配列の解析までやってくれるところ!!!!!! いや~、ネットの世界も既にここまで来ていたんですね~。万感胸に詰まる思いで一杯です。専門の方にはきっと涙が出るほどありがたいサ-ビスなんでしょう。まぁとりあえず興味のある方はのぞいてみてください。そして使えるデ-タがあれば何かを分析してみるのもまた一興でしょう。

DDBJ Search and Analysis

1999年1月18日月曜日

39度オーバー、三度目

 さてさて、今日は無事(?)3度目の39度オーバーをマークしたとはいえ夕方以降は比較的平穏な体調に戻ってきました。もっとも今日はどうしても学校に行かなければならない用事があったので行きはバスに乗って行ったのですが、205系統の満員ラッシュにもまれ一気に具合が悪くなってしまったので帰りはタクシーに乗って帰ってきたのですが。まぁまた人ゴミに揉まれて気分悪くなるくらいなら1,000円くらい払ってやろうかと。さすがに歩いて帰れるほど元気じゃありませんでしたからね。で、夕方から元気になってきたのはいいのですが、その元気にまかせてネットで抗生物質と耐性菌、ついでに劇症溶連菌感染症について色々調べて回ってたら異常に疲れてしまってこの更新の前にひと休みもしてました(苦笑)。なんでそんなもん調べてたかって、そりゃ最近日本でもバンコマイシン耐性菌(VRE)の感染例が報告されてきたようですしね。往年の薬剤(というかむしろヤク)マニアとしてはそれは当然気になるところですよ。バンコマイシンって細胞壁合成阻害系の抗生物質だったんですね。そうするとペニシリン系かセフェム系か・・・。まぁどっちにしろβ-ラクタム系抗生物質であることは間違いないと思うのですが、どっちかな? まぁいいや、また今度調べよう。今日はもう疲れました・・・。

1999年1月17日日曜日

39度オーバー、二度目

 今朝方またも2度目の39度台に体温が突入。おかげで今日潜入を試みる予定だったクラギタの二大怪獣の一端『ヨッシー』のもとへ行くことができなくなってしまったのです。それでも何故か夜になると体温が下がる私は今夜もこうしてネットに出没しているわけです。そんなことやってるから熱がぶり返すんだという説もなかなかに有力ではあるのですが、まぁそこはそこ。気合い入れていきましょう。

1999年1月16日土曜日

39度オーバー

 ・・・やっちゃったよオイ。今朝方寝苦しくて目が覚めて、なんかヤバそうだったから体温はかってみたら39度オーバーの一人暮らし最高記録をマーク。とりあえずバファリン飲んで無理矢理寝直してから医者に行ってきました。注射を打たれて薬たくさんもらって、今はとりあえず落着いたところですが、・・・う~ん、ヤバかった。

1999年1月15日金曜日

風邪ひき

 また風邪をひいた。昼間になにやら悪寒がするから熱をはかってみたら案の定・・・。しかもこんな日に限って珍しく夕食を自分で作ろうと材料を確保していたりして、夕方になって微妙に熱も上がってきたところをフラフラしながら根性入れて久し振りの料理をしていましたよ。「俺の手料理を食べられるなんて滅多にねーぜ」と自分自身に言い聞かせながら(爆)。しかし何でまたこんな日に限って狙いすましたように熱が出るかな・・・。何か呪われてるんじゃないだろうな?

1999年1月14日木曜日

話のスタイル

 面白い話題はないか? って聞かれると正直ちょっと困ってしまうんですよね。何しろ私は現代という時の流れから取り残されたところで普段生活しているわけで、更に言うなら基本的にアドリブのブラックジョ-クと行動自体で話題を構成している私は話をするための話題なんてストックもしていないしストックする習慣もない。中にはマメに話題をため込んでいく人間もいますが、ちょっとそういう人とは人種が違うものでねぇ・・・。テレビもほとんど見ないし関西ウォー◯ーみたいな雑誌にもまったく目を通してないし、そんな人間に一般に通じる面白い話題を突然提供しろと言われてもそら無理ってもんですよ。話すことが無くなったら無くなったで別にいいや、黙ってるよ、ってのがスタイルですし、そこで無理に話題を探そうという意志もまったくない人間なのでねぇ・・・。まぁそれもアリでしょう。皆さんはどうですか? 話題には不自由しない方ですか? 皆さんの話のスタイルは一体どういう体系ですか?

1999年1月13日水曜日

ReadMe! Japan参戦

 さっきネットを彷徨っていたらReadMe! Japanというサイトを見付けました。ここは読み物系サイトのランキングを集計しているサイトで、参戦登録を自薦で受け付けているところでした。で、なんとこのページも衝動的に参戦を決定してしまったのです。何も考えていません。これまで大手の検索エンジンにも登録せずにのんびりとかまえていたこのページがとうとう世の中に一歩だけ踏み込むことにしたのです。まぁ上位サイトは一日何千ヒットもかましているので、日に10ヒットが関の山のこのページでは当然勝ち目はおろか一生ランキングに載ることもないと思いますが、まぁいくらかのスパイスとしてランキング参戦をペ-ジ更新のエネルギーの一つにしてみるのでは悪くないのではないかと勝手に思っているわけですよ。だからというわけでもありませんが、皆さんこれからもヨロシク。

1999年1月12日火曜日

無題

 明日はテストだが、勉強する気も全く起きない、・・・というか帰ってから今まで(現在2:00A.M.)ずっとコタツでぐーすか寝てました(爆)。さてさて勉強しようかな? う~ん、多分寝直すんだろうな・・・。

1999年1月10日日曜日

断片

 波長、プライド、拒絶への拒絶、繰り返される過去、ほころぶ境界線、空洞化する自我、限りない自己嫌悪、責任からの逃避、楽観、陶酔、消えてゆく歌声、浮遊する現実感、見えなくなる糸・・・。そろそろやばいかな?

1999年1月9日土曜日

小説の好み

 どうも自分の小説の好みというのはストーリーメイキングという部分にあまり重点が置かれていないらしいということに最近気付いた。小説だけに限らず映画でも何でもただスト-リーの展開がハラハラしたり意外だったり巧妙だったりというのでは「まぁよくできてるけど・・・」で感想が終わってしまうのだ。それよりも神経症的な要素がポリフォニックにちりばめられているものや精神的な部分が複雑な物語構造の中に織り込められているものに強く惹かれる傾向がある。それもそういった要素があからさまに表に出てきていると「ベタだな」と言って掃き棄てるという心の狭さ。難しいものである。要はスト-リーや台詞よりも作品としての空気というか精神性、表向きの面白さや感動より顕在意識外(あえて無意識とは言わない)における共感やカタルシスがないと駄目なようです。例えて言うと、村上春樹は全般的に好きなんだけど村上龍となると『コインロッカーベイビーズ』や『イン ザ・ミソスープ』は好きだけど『限りなく透明に近いブル-』や『ピアッシング』はイマイチ、スティーブン・キングなら『グリーンマイル』や『スタンドバイミー』あたりはいいけど『ダークハーフ』はよろしくないとか実に微妙な基準が引かれてるわけです。端的なのは『イン ザ・ミソスープ』と『ピアッシング』はある意味似たような空気を持つ作品ではあるのに片方は気に入ってもう片方はそれほどってこと。私の作品評価基準に共感というものが重い位置を示している故の微妙な差異なんだと思われますが、にしても奇妙なものです。私の好みからしてヤバめの描写が多いとか残虐性が強いとかいうのが好きと思われる方も多いと思いますが、小説や映画を純粋に作品としてみる場合は意外とそうでもないようです。難しいものですね。皆さんはどんな風に作品の好き嫌いが分かれますか?

1999年1月8日金曜日

底冷えの京都と締切り間際の魔術師

 ・・・寒い。今日は何か異常に寒い。新潟も寒いっちゃあ寒かったが、気温が同じなら京都の方が風の吹き当たりが強いから体感温度はより寒い。困ったことだ。これでは家からあまり出たくなくなってしまうではないか。

 しかし今日で無事レポ-ト提出も終了。一晩で20枚を一気に書き上げるという荒行もこなし、その上情報処理系の宿題も2つばかりこなし、久し振りに修羅のような気合いとともに締切り間際の魔術師が復活、召喚されたのでした。いや~、終わったよ。今夜は祝杯だ。

1999年1月7日木曜日

新年、"自分"と向き合う

 ここ数日諸般の事情によりアナログな生活を送っていたのでHPの更新ができていませんでした。その間更新を心待ちにしてこのペ-ジを覗いている人がおられましたらごめんなさい。これからはやります。

 さてさて、話はガラリと変わりますが、皆さんは普段どのくらい“自分”というものを考え、それをどの程度自覚しているでしょうか。もちろん全部の人がそうというわけではないでしょうが、大体の人は普段そのような問題に目を向けないで漠然とした自己意識の中で生活しているのではないでしょうか。新年を迎え、新たな一年の展望をはかりたい今の時期、ちらとそのような“自分”というものに向き合ってみるのも悪くはないのでは思うのですが・・・。そこでちょっと“自分”というものを見直してみるためのちょっとしたゲームのようなものをやってみましょう。これは別に心理テストといった類いのものでもありませんし、自己啓発のためのトレーニングでもありません。普段表層意識から隠れた(あるいは表層意識に抑圧された)“自分”を見つめてみるためのちょっとしたお手伝い、ダイナマイトに付いた真管のようなものです。まぁ暇潰し程度に思ってやってみてください。一人のときにリラックスした状態でやるのがよいのではないでしょうか。神経がピリピリしてる時にやるとかえって自分を見失ったりしかねないでしょうし。

 ではやり方を説明します。筆記用具を用意してください。コンピュータみたいなのは使わない方が無難かもわかりませんね。手で書きましょう。そして用意した紙に「私は」で始まる文章を上限13個を限度に思い付くまま書いていってみてください。変に考えたりせずに、思い付くままに。書くことが次々思い浮かんで止まらなくなるかも知れません。あるいは何も思い浮かばずに手が止まってしまうかも知れません。まぁそれのどちらがいいとかいうものではありませんのでね。で、終わったら自分が書いたものをゆっくりと読み直してみてください。あなたはそこにどんなことを書き綴ったでしょうか。自分の性格のこと? 成績や他人からの評価といったこと? それとも恋愛や対人関係について? あるいはそんなものではない全く違った何か? 何が書かれていてもよいのです。それ自体いいわけでも悪いわけでもない。肝要なのはそこに書かれたことがすべてあなたの心の中に確かに潜んでいる“自分”の欠片であり、あなたが気付いていなくとも普段心の中に潜んでいる気持ちであり傾向であり欲望であること。もし最初何故自分がこんなことを書いたのかわからないというようなフレーズが混じっていても、何度も何度も読み返していくうちにそのフレーズの奥深くに潜んだ“自分”の欠片を見つけることができません。そこから先は、あなた次第です。

1999年1月2日土曜日

雪の文学的意味

 ・・・雪が降っている。新潟の冬なんだから当たり前といえば当たり前、さして驚くことでもないのかも知れないがとにかく雪だ。30日に京都を出た時は日中の最高気温が12度くらいあるのもざらだったのにこっちは雪である。京都での標準装備にさらにセーターまでおまけしてやっても外に出ると寒い。どうやら京都のぬくさに慣らされてしまったようである。昔はこんな中手袋もせずに高校からバス停までダッシュかけてたのかと思うと年を感じる。あの頃は若かった・・・。

 ときに雪というと何か文学的に死と関連づけられて語られることが多いそうなのですがどうなんでしょうね。どこの国の文学でもそれまで登場してこなかった雪が話の中でなにげに降り出してきたら誰か死ぬと思って間違いないとか。まぁ確かに雪って静かに降る分にはしんみりとした末期の雰囲気ってありますしねぇ・・・。夏にあれだけ満ちあふれた緑や虫たちの姿が消えていった秋のそのまた後に、生命の源である温かさを静かに消し去っていくように降る雪に、人は命の終焉を見て取るのかも知れませんね。そこまで考えずとも窓からしんしんと降り続く雪をただぼ~っと見ているだけでその中にどこかしら寂しさと無邪気さの入り交じった気持ちを感じることもできますし。ただ「きれい」で片付けてしまうには冷酷な面もあり、退廃の美をそこに見い出すだけにしては潔白すぎる新雪のオーラは毎年新鮮なものです。そんな雪も一旦地面に積もって街の空気に汚されてしまうと、もう見るも無惨な残骸に変わり果ててしまうわけですが。自動車の排ガスなんかに汚されて黒くそまり、一旦溶けた表面がまた凍って柔らかさを無くして硬く変わった雪はちょっとよろしくありませんね。やはり純粋で美しいものほど汚されやすいんでしょう。願わくば最後まで美しいままで消えていってほしいところなのですが、街に降る雪はどうもそうはいかなくて。まぁ最近の雪は降る段階で空気中の不純物やら汚染物やらたくさん取り込んでますから、降った段階で既に純粋な美しさとは無縁であるという説もありますがね(苦笑)。

1999年1月1日金曜日

謹賀新年、世紀末!

 さてさて皆さん、新年あけましておめでとうございます。いよいよ西暦は1999年、ノストラダムスという御仁がこの世の終わりを預言した年になってしまいました。大晦日の晩なんかはその預言の肯定派と否定派で意見を戦わす番組があってかなり笑わせてもらいましたね。どっちの言い分も狂信的で面白みがあってよい。久しぶりにあのユリ・ゲラーの生存を確認できたのも収穫だった。まだいたんだねぇ、彼。

 思えば80年代後期のオカルトブームの火付け役はヤツのスプーン曲げに始まる超能力(!?)の数々だった。あの頃はワシもそら色々その手の道を模索したさ。そういえばオカルトブーム当時一部のマニアに絶対的な支持を誇っていて俺も愛読していた『ワンダーライフ(通称ワンダラ)』とかいう雑誌は今どうなってるんだろう?改めて実家に残っていたものを呼んでみると実に凄まじい内容の雑誌だったが。そしてその雑誌に90年代預言カレンダーみたいのがあって、そこに2種類の違う預言が掲載されて「さぁ、どっちが正しい!?」みたいな企画がぶたれとったが、今見てみると両方見事に見当違い・・・。まぁそんなもんかも知れんが。なにしろ片方の預言だと96年に世界恐慌が起こって97年に日本沈没、98年に中近東で戦争が始まり99年に核によって人類滅亡という破滅のシナリオが描かれてるのだ。が、今現在日本はもちろん沈没しちゃいないし、それ以前に世界恐慌も起こっとらん。98年に中近東で戦争ってのはまぁとりあえず当たってはいるが、この調子じゃ99年はどうなることやら。まぁ実際問題核の危険はこの戦争の余波的なところでかなり高まっていると俺は思うのだが。北朝鮮さんにアメリカからプレッシャーがいったときが山場だね。ヤツらが本当に懸念されている通り核を持っているのか。っていうかイラクも実はそこらから流出した核持ってんちゃうんという説も。まぁまぁそれもアリ。で、もう一つの預言では98年に最後のエイズ患者がいなくなり、人類はガンも克服して繁栄の頂点を極めているはずだが・・・。ま、もうこれ以上俺が突っ込むまでもないね。預言って・・・。

 で、話を大晦日の晩にやっていた預言検討の番組に戻すと、こちらはこちらで肯定派の方は色々な意見を述べて下さって。オ◯ムみたいな宗教的概念によって「改心しない限りは神が滅ぼす」的な言い分からプルトニウムを積んだ惑星探査機帰還失敗により放射能が成層圏から世界にバラ捲かれるという説、他にもディープインパクト/アルマゲドンばりの隕石激突説や果ては火星人(何故火星のみに限定するのかは謎。いちおうNASAの不穏な見解を下敷きにしてはいたが)襲来説までなかなか楽しませてくれました。さてさて、これらはどうなんでしょう?ノストラダムス、当たるんですかね?とりあえずチェルノブイリは当ててたらしいけど。まぁ世界が滅びるにせよ永らえるにせよ、それは今考えても仕方のないことではありますがね。「今年の夏で世界は終わるから来年の定演の企画はたてなくていいよ」とかなりませんしね。まぁまぁ皆さん、今年も頑張っていきましょう。下手に未来を勘ぐり過ぎるより「今を生きろ」の精神ですよ。それでは今年もよろしく。大学卒業の年、20世紀のファイナルカウントダウンを気持ちよく迎えられるように、まず今年をよい年にしていきましょう。