2001年12月29日土曜日
2001年流行語大賞
とりあえず今年の流行語大賞を発表しておきたいと思います。昨年は『アンニュイ』が大賞の座を得ましたが、今年の大賞はズバリ『ザックリベース』です!これは凄い言葉ですよ。例えば上司に「この作業どのくらいでできる?」と聞かれて、私が「そうですねぇ、ザックリベースで一週間ってところでしょうか」と答えたら、なんと誤差が前後一ヶ月あります(笑)。とてつもなくザックリベースです。この言葉は我がグループ公認の流行語大賞となってしまいましたので、やはりこのHPでも流行語大賞として祭り上げてしまいたいと思います。皆さんもさぁ、使ってください、「"ザックリベース"でお願いします」と!
2001年12月25日火曜日
お忍びだったのに・・・
今回はちょっと大阪の方に遊びに出てて、大阪城公演のクリスマスイベントなどを堪能してきたわけですが、そのクリスマスイベント、まぁゆーたら大阪城公園の関西最大級というクリスマスツリーの下で行われるコンサートなわけですが、のっけに出てきたのが『まほろば楽座』とかいう民族音楽をやってるバンドで、その名前から私は二回生までクラギタにいて独自の民族音楽サークルに専念するため去っていった某Sのグループかと思っていたわけですが、どうやらそれとはまったくの別団体だったようです。しかしイルミネーションの艶やかなツリーの下に響く三味線ロックはかなり相当熱いものがありました。後に出てきたゴスペルグループもいい味出してましたしね。そしてその後私は弟の家を急襲、そこで聖帝殿に目撃をされてしまうわけです(笑)。いや~、そういえば彼の家あの近くでしたね。
2001年12月23日日曜日
動乱の年の瀬
そういえば今、アメリカの『Time』誌がHuman of the Year 2001の投票をインターネットで受付けています。見事一位に選ばれた人は新年最初の『Time』誌の表紙を飾るわけですが、皆さん誰が一位になると思います?ちなみに去年はブッシュ大統領でした。では今年は?順当に行くなら首謀者(?)ビンラディンでしょうか。しかし、現実はどうやら物凄いことが起こっているようです。今は亡き(といっても実質あるけど)日本のインターネット・サブカルチャーの代表格、超巨大BBS群『2ちゃんねる』、その常連達(俗に2ちゃんねらーと呼ばれる)が徒党を組んでその『Time』誌の投票に参加、現時点での一位がなんと彼らの力でMasashi Tashiroになっているらしいのです!!! しかもいきなり『田代まさし』とか言われても向こうじゃ知らん人も多かろうと、彼らはMasashi Tashiroを紹介するホームページまで作り、そこでマーシーを「He's Worldwide Photographer」とかわけのわからん紹介の仕方をしてブチ上げているらしいのです。おそるべし2ちゃんねらー・・・。っていうか、「He's Worldwide Photographer」って、違うだろ、明らかに。っていうか盗撮じゃん、あれ!? そうそう、余談ではありますが、同じく2ちゃんねらーの方々の力で同アンケートの五位くらいにはさっちーこと野村某も食い込んでいるらしいです。マジかよ、オイ・・・?
2001年12月21日金曜日
2001年12月20日木曜日
空白について
・・・というのはまぁ半分本気、半分冗談にしておいて、何はともあれ昨日の日記の空白が確信犯であることは本当です。さて、この一日分の空白の中、私は一体何を語りたかったんでしょうか?・・・実はただ単に何も語りたくなかっただけかも知れません(爆)。
2001年12月19日水曜日
2001年12月17日月曜日
2001年12月16日日曜日
『古いメダル』
2001年12月13日木曜日
予告や如何に?
2001年12月12日水曜日
一呼吸
2001年12月11日火曜日
歌うためには
聴くためには さわらねばならぬ
知るためには 歌わねばならぬ
たとえ世界が どんなに難しい調べだとしても
歌うためには まず 醒めなければならぬ
だが、果たして我々は「醒める」ということができるのだろうか?そもそも、「醒める」とは一体何を意味するのだろう?
2001年12月10日月曜日
『トナディーリャ』練習開始
今日はそろそろ新しい曲を弾いておこうと思い(『羽衣伝説』は余興。あれは弾きたいとこだけ弾ければよい)、Angel Barriosの『トナディーリャ』を弾きはじめました。藤井敬吾先生の最後レッスンの日、先生に頼んでいただいてきたものです。ずっと弾く気はマンマンだったのに、何故かこれまで軽く目を通す程度であまり本気で弾いてなかったのですね。2分間スペインの風邪、・・・違うよ風だ、を巻き起こすだけ巻き起こしてあっという間に過ぎ去っていくこの曲は、力強く歯切れのいいベースの消音がミソとみました。ちょいとばかりしんどいところもありますが、基本的に弾きやすい曲です。ただしあの疾風のようなところまでスピードを上げられるかどうかはまた別問題なのですが・・・。しかしあれですね、社会人になってから、新しい曲に目を通してみて「う~ん、これなら一週間あればゆっくりならとりあえずは曲になるかな?」とか目算を立ててみても、実際は平日弾けないのがたたって一ヶ月とか、下手したら二ヶ月かかったりしてしまいます。どうにか平日に一時間だけでいいからギターを弾く時間が作れないものなのでしょうかねぇ・・・?
2001年12月9日日曜日
乳酸菌と抗生物質
2001年12月8日土曜日
発熱39度
しかし、39度超もの熱、よく風邪をひく方ならおわかりになると思いますが、ここまでくると『ナロンエース』や『バファリン』といった市販の解熱剤レベルではなかなか下がってくれるものでもありません。投薬後三時間半が経過しても39度台をキープし続ける熱に、「う~ん、こりゃやばいなぁ・・・」と思いながら新たな手を考えなければなりませんでした。「そういや以前医者にもらった抗生物質って、まだ残ってたかなぁ?」と思い、薬入れをガサガサと漁ってみます。すると、果たしていつのものかはわかりませんが微妙にカプセルも変色しているような気もするセフェム系抗生物質『ケフラール』が出てきました。いつのだったっけ、と思い出そうとしてもなかなか思い出せず、おそらく一年か二年前のものだろうと当たりをつけて、「まぁ、・・・大丈夫だろう」と飲んで眠りにつきます。約一時間半後、目覚めた時には熱は37度台後半まで下がっていました。どうやらいつのものかわからない抗生物質は効いてくれたようです。そしてとりあえず帰る時に買ってきておいたミカンを食べ、このまま寝るかどうかを思案します。そこで私は思い出しました。「・・・そういや葛根湯があったなぁ・・・」。葛根湯は基本的に汗をかかせるのが目的の薬で、それ故体力がまだ残っている風邪のひきはじめによく効く薬です。熱と寒気がメインならなおさらです。私はちょっと自分の体調を探ってみて、「・・・ふむ、数時間39度台の熱にやられていた割にはミカンも普通に食えたし体力は残ってそうだな」と判断、葛根湯の投薬を決めました。そして汗をかいてもいいように背中にタオルを突っ込んでおき、そのまま眠りにつきました。そして案の定汗まみれで眼が覚めたのは朝方4時くらい。もうパジャマまでびっしょりだったので、新しい冬用のパジャマ(今まで夏用だった)に着替えて水分を補給して眠りにつきました。次に朝七時に目覚めた時、熱は36度台まで下がり、体も意外にさっぱりとだるさの取れた状態で起きれましたとさ。とはいえ昨日も朝は36度台だったし、さすがに39度台の熱が出た直後だったので会社はお休みをいただき、一応病院にいって古くない、カプセルが変色してたりしない抗生物質をもらってきて一日のんびりしていましたとさ。皆さんも風邪には気をつけましょう。
2001年12月5日水曜日
風邪気味
2001年12月4日火曜日
古代ケルトの「時」
2001年12月3日月曜日
2001年度BKC定演所感
そして定演終了後はキムとたっちー、そして京大の聖帝殿と西大路七条で飲み交わし、しんちゃん邸に襲撃をかけて京都の夜は暮れていきましたとさ。っていうかさすがに二週連チャンでいくと体が休まらないっすね。ちょっとばかり疲れましたよ。来週はのんびりした週末を過ごそう・・・。
2001年11月30日金曜日
2001年11月27日火曜日
2001年11月26日月曜日
2001年度衣笠定演所感
演奏会の感想及び総評として一言でまとめるなら、「よくまとまった演奏会」だったと思います。去年一昨年はある意味結構バクチ打って演奏会やって、一応は成功と言える形で終われたからいいようなもの舞台裏では結構綱渡りしてたような感がありましたからねぇ(特に俺は何度か綱から落ちかけた、というか少なくとも3回確実に落ちた)。まぁ『カイザーワルツ』なんて大曲やる辺りはかなりのバクチだったのでしょうが、演奏自体は危なっかしさをあまり感じさせない安心して聴けるものでした。個人的に特に気に入ったのはポピュラーアンサンブルと4回生4重奏の『スピン』。ポピアンは皆凄く気持ちよさそうに弾いてて、ちゃんと音色を意識したハ-モニー作りが心地よく響いていたので、見てて「う~ん、やっぱ合奏っていいよな~」と思ってしまいましたね。ああそうさ、一人じゃどう頑張ったって合奏はできないさ(←嘆き)!そして『スピン』は4回生の成長ぶりにビックリ。我が後継者M野(「胃痛とかいうHNでBBSにも登場してきたね~)は本当に御大としての貫禄のようなものが出てきてて、正直一年前は実力はあるのにどこか頼りなげだったのが嘘のようなオーラを醸してました。そしてスカイライン男(まぁ、誰だかわかるでしょう?)も昔と比べてしっかりと音が出て曲を作ってきていて、その成長ぶりに驚かされました。そう、彼らももう4回生ですからね。さすが最上級生、下回生にしっかりしめしをつけてくれていました。
そして何よりもビックリしたのが2回生の成長ぶり。特にナオエギター教室でももはやマスコットとなりつつあるらしい次期C技候補筆頭はその成長具合に戦慄すら覚えました(←マジ)。いや、合奏の中でもしっかりと存在感のある音で抜けてくる彼女の音とセンスは凄まじいものがありましたよ。ウチらの回に対して一部の間で「もしにらめっこが一回の時から入っていたら」という命題は時たま投げかけられるものですが、次期C技殿はまさにその体現のような・・・(ただしもし本当ににらめっこが一回の時から入っていたら、ウチらの代は違った意味でより破壊的になっていたに違いない)。あれは上回生としてもプレッシャーじゃなかったですかねぇ、あんなに急激に成長されていくと。これは来年が楽しみです。精々今の内にプレッシャーをかけておきましょう(笑)。大合奏は『カイザーワルツ』、大曲への挑戦でどうなることかと思いましたが、実に綺麗にまとまっていて聴きやすかったです。特に指揮者殿は一年前は一回生会本番直前に「指揮教えてください」とか言ってきていたのに、あんな難しい曲の指揮を見事に振れるようになっていて正直頑張ったなぁと思いましたね。
定演出場者及びスタッフの皆さん、お疲れさまでした。いい演奏会でしたよ。とはいえ私が手放しで誉めたままというのも逆になんかうさんくさかろうということで、技術的に感じたことをまとめた定演裏批評は別にアップしておきます。まぁこれはどちらかというと来年に向けての2回生へのメッセージという方向で。
そして夜は同期の連中+まりも氏と飲み、キム邸を経由してガッティ邸へ押しかけ、フェアウェルのビデオなど眺めながら熱く、それでいて寒い夜を過ごしていましたとさ。そして次の日、京都駅ビルで福田進一氏が演奏をするというのでガッティ邸から京都駅へ直行しました。そこで龍大のつっきーとも瞬間的な(爆)再会を果たし、赤子の泣き声に切れて(?)ときたまヤケっぱち気味な演奏をする福田氏の演奏を堪能した後奈良ギターフェスティバルへ行くために速攻みやこ路快速に乗り込んでいきました。来週はBKCの定演ですが、さすがに二週連続して行くことができるかどうかが怪しかったためとりあえず奈良ギタでBKCの演奏を聴いておこうというわけです。そして無事3時半からのBKCの演奏に間に合い、休憩時間にフラフラと外に出た私に、後ろからポンポンと方を叩きつつ声をかける人物がいました。ふっと振り向いてみると・・・、
な~んと、それは藤井敬吾先生でした!ビックリです。先週の火曜まで上海へコンサートに行っていて、奈良ギタに藤井先生が指導している合奏団が出ているので見にきたとのこと。相変わらず色々なところで色々なことをやっておられるようで、少々立ち話で近況報告などしてきました。しかし後輩の演奏会を観て思ったのですが、私ももう一回改めて藤井先生のところに習いに行きましょうかねぇ・・・?2ヶ月に1回でも3ヶ月に1回でもいいから、京都まで行って稽古つけてもらおうかと思案中です。一人でもギターは弾けるし、先生がいなかったからって曲が完成させられないわけではありませんが、短い時間で効率良く技術と知識を身につけたいなら藤井先生のようないい先生に師事するのがやはり一番です。いや、東京で福田進一氏辺りに1レッスン15,000円払って診てもらってもいいのですが、それなら交通費含めても藤井先生にじっくり指導していただいた方がいいように思えます。とりあえず、いつか後輩達の前でギターを弾くことがあったとして、その時ロクな演奏ができないで「仕事が忙しくて弾けてなかったからね~」とか言い訳するようなことだけは絶対したくないんですよね。後輩がどんなに成長してこようと、胸を張って「自分がアイツらの先輩だ」と言える自分でありたいんですよね。別にギター弾けなくても仕事が忙しくて弾く時間がないのは事実なんだからいいじゃんという声も聞こえてきそうですが、例えば後輩の演奏会見に行って「ここがもう少しこうならよかったね」とか言って、「じゃあオマエ弾いてみろ」って言われた時弾けないのはカッコ悪かろうと。まぁそれだけの理由と言えばそれだけの理由なんですが、マジでもう一度藤井先生の門を叩くかどうか思案中です。やはり未だ基礎力(特に右手)には独力での完成、矯正に限界を感じていますしね。私は別にギターのプロは目指してませんが、もっと気持ちよく曲が弾けるだけの技術と知識は持ちたいですし、一線を退いたとはいえまだまだ向上心も好奇心もありますからね。う~ん、どうしようかなぁ・・・?
2001年11月22日木曜日
衣笠クラギタの定演へ
しかし明日の休みのために今日はできるだけのことはやっておかねばと、結構終電近間まで会社でねばっていたので、昨日に引き続きやはり私は眠いのです。後輩達のビックリするくらいの成長ぶりを夢見て眠らせていただくこととしましょう。
2001年11月21日水曜日
2001年11月19日月曜日
定演を楽しみに
2001年11月18日日曜日
2001年11月15日木曜日
2001年11月14日水曜日
寝坊の連鎖
2001年11月13日火曜日
げんこつラーメン
2001年11月11日日曜日
女神オーキルが紡ぐ「変化」
矢のように流れていく歳月は崖を滑り落ちる
ゆっくり過ぎていく歳月が目の前を行きすぎる
どれも二度と帰りはしない
遠くに積み重ねられた歳月は、
待ちくたびれた眼に涙をためている
フィオナ・マクライド/荒俣宏訳『ケルト民話集』ウラとウルラより
2001年11月7日水曜日
ミリ秒の違いは・・・
2001年11月6日火曜日
2001年11月5日月曜日
羽衣伝説演奏の心得
羽衣伝説演奏の心得
だまされてはいけない
右手と左手はまったく別の生き物であると割切ること
そしてその2つの生き物を頭の中のリズムに合わせる
指揮者のような気持ちで弾くべし
それでも合わない部分は勢いでごまかせ(←オイ)!
2001年11月2日金曜日
2001年10月30日火曜日
暗闇が消えた現代
2001年10月29日月曜日
2001年10月26日金曜日
トップランナー(大萩康司)
しかし彼もお気に入りCDのベスト5、1位にグールドの『ゴールドベルグ変奏曲』を上げてましたね。やっぱりあれは・・・。
怒濤の15時間睡眠
そしてそれからはのんびりした平日の休暇が始まるわけですが、やはり一日ギターを弾くというよくも悪くもかわりばえのしない休日を過ごしていました。今日は10日ぶりくらいにギターを持ち、何を思い立ったか『羽衣伝説』を弾こうと決意し、何げに下からDADGADの調弦と格闘していました。端で聴いてるととても人間が弾ける曲のようには思えない神の領域のような『羽衣伝説』ですが、やはりある程度は人間が弾くということも想定して作られているようで、弾いてみたら以外に弾けるもののようです。っていってもやはり難しい曲であることに違いはないのですが。でもまぁ今日はとりあえず、あの曲のラストの部分はこっちが何も考えてなくともほっておけば勝手に曲の方が盛り上がってくれるということが判明しましたのでよしとしましょう。
2001年10月21日日曜日
土日出勤とBGM
2001年10月17日水曜日
もの作りと美学
2001年10月15日月曜日
ギターについて雑談あれこれ
しかしクラギタの皆さんはご存じの通り、学生時代私は高音弦オーガスチンリーガル、低音弦オーガスチン青という非常にテンションの強い弦を好んで張っていましたが、こっちに来てからあまり弾く時間もなくなり力が落ちてきたのか、このセットだとどうにも手がしんどくて仕方がないのです。ので、もっぱら高音弦プロアルテ・ノーマルテンション、低音弦オ-ガスチン赤というクラギタ伝統のいわゆる赤セットで弾いてます。これはこれで悪くはないのですが、弾いてるとやはり曲によってリーガルの艶やかな高音や青の力強い低音が恋しくなる瞬間があったりしますね。ピアソラ弾けば赤だと低音の力がなんとなく足りない気がするし、『シャコンヌ』や『シンプリシタス』を弾けばリーガルの高音の音がほしくなる。世の中なかなかうまくいかないものです。
そういえば数週間前、ちょうどきよがウチに泊まりに来ていた時に大萩康司の新譜と高田元太郎のCDを買ってきました。いや、久しぶりにタワーレコードに行ってみたら、なんかこれらのCDが出てたんでビックリですよ。大萩康司は期待通りの出来というか、実に表現力豊かで色彩感の溢れる彼の持ち味が堪能できる非常によい一枚でした。っていうか、何でヤツは前回といい今回といい、私が知ってる曲の方が遥かに少ないようなマイナーな、だがしかしよい選曲をしてくるのでしょう?一体何処から曲探してきてるんだ・・・。
そして高田元太郎の方は、大萩康司とは打って変わって、なんというかリズム感が日本人離れしてるというか日本人的でないというか、ラテン・スペイン系の曲を物凄いノリで弾きこなしているのにはやられましたね。何というか、一言でいうならホントに日本人的でないギターを弾くのです。ある意味斬新です。『ギター演奏法の原理』の訳者として、カルレバーロ奏法の使い手として、実に注目度の高い一枚でしたが、やはり出るべくして出たといった感がありますね。大萩康司が出て、さらに高田元太郎まで出てきたんじゃいよいよもって某K村Dの居場所はなくなっていくばかりでしょう。まぁ何はともあれこの2枚はお薦めです。爽やかな色彩と、時に『舞踏礼讃』などのブローウェル及びそれチックな現代曲が混じる明るい(?)世界を堪能したい方は大萩康司のCDを、怪しく情熱的なピアソラ、及びスペインの間違った情熱を堪能したい方は高田元太郎を、それぞれ買ってみるのもまた一興でしょう。しかし高田元太郎が弾いてたセルジオ・アサドが編曲した『ブエノスアイレスの夏』はカッコいいなぁ・・・。アサド編は『冬』だけ持ってるんですが他がない。探して見つかるものでしょうかね・・・?誰か持ってたら教えてください。
2001年10月14日日曜日
漢方と証
西洋医学が病原を特定してその病原を排除するという方向を基本にして進歩してきたのに対し、漢方は人間それ自体が持つ体のバランスを整え、自然治癒力を高めるという方向を基本にして体系だてられてきました。故に漢方は西洋医学で原因が特定できなかったり根治が難しかったりする病気や症状においても効果を発揮する場合が多いのですね。逆に発作や急を要する病状の場合、漢方の殆どは速効性という意味では西洋医療に及ばないので大人しく病院に行った方がよろしいわけです。
私が漢方の考え方で特に興味を持ったのは"証"という考え方です。西洋医学では「この症状に対してはこの薬」というように病状に対して処方しますが、漢方では体質やら病気の時期やら何やらそんなことをまとめた(?)"証"というものに対して薬を処方するわけです。だから「頭が痛いからこの薬」ではなく、同じ「頭が痛い」でも人によって処方する薬が全然変わってくるのですね。で、漢方の先生はじっくりと患者さんの話を聞いて肌の色やら髪の色やら舌の色やら見て判断するわけです。しかし最近は日焼けやら茶髪やらで漢方医療士さんは泣いてるそうです(笑)。まぁとにかくなんとなく面白い世界ですよ、漢方ってのは。
そうそう、まったくの余談ではありますが、私がもらった『紫朴湯』、喘息に対しての長期服用の効果は至る所で証明され最近は一般の病院でもよく用いられるそうですが、他にどんなのに効くかというと(この薬を効能で分けるのは実はあまり漢方的ではないのですが)、ストレス等による自律神経失調症(頭が痛いとか体がふわふわする感じがするとか)やら抑鬱症などにもよく効くそうです。・・・う~ん、ストレス性の神経症にも効いちゃうんですか・・・。
2001年10月9日火曜日
BSE騒動の余波
ギター編曲に挑戦!- J.S.Bach BWV827
まったくの余談ではありますが、今日ふとCDを聴いていてバリオスの『オラシオン』は結構いい曲だな、と思いました。
2001年10月7日日曜日
連休返上
にしても一週間前に客先のテスト環境に入れた大型プロジェクト第一号機、さすがにすんなりいくとは思ってはいませんでしたがまさかこの土壇場に来てここまでバタバタするとは思いませんでした・・・。昨日からは平和になる予定だったのですが。まぁこれを機に可能な限りのリファクタリングを行っておけば後が楽になって早く帰れるようになるのは確かなので、「♪トラブルは素晴らしいチャンス」と何処かで聴いたような歌を歌いながらやっていきたいと思います。
2001年10月4日木曜日
2001年10月3日水曜日
2001年10月2日火曜日
ふと
2001年10月1日月曜日
初めての徹夜仕事
2001年9月26日水曜日
2001年9月25日火曜日
休日の仕事
世間は何やら三連休ということでお休みムードだったようですが、実は私は土曜と今日は会社に出ていました・・・。そして土曜の夜からきよが指揮のレッスンを受けに東京の方に出てきていて、土曜に会社を上がってから彼を我が家に迎え入れて久しぶりに酒など飲んで語らっていたわけです。いや、やはり大学時代の仲間というのはよいものですな。こっちに来てから普段クラシックギターの話をする相手もいないし、コンサ-ト以外で自分以外の人がギターを弾いているのを聴くこともなくなっていたわけなので、なかなかギターの話をしながらちょっと弾いてみたいのが楽しくてよろしかったです。まぁきよは某合奏組織の陰謀にやられ、全人格を否定されてしまったらしいのですが・・・。
そしてこの三連休で得たささやかな収穫の一つは、「休みの日の会社は案外快適である」ということに気付いてしまったことです。私服で適当に行きたい時間に行けばいいんだし、普段我々新入りは電話番をしなければいけないのですが会社が休みの日はそもそも電話が鳴らないからその必要もない。そしてその必要がないから普通に堂々とPCでCDをかけながらヘッドフォン付けて仕事ができる!これだけで仕事の環境はかなり快適になるものだということがわかりました。私は昔から「本気で集中したい時はメタルに限る!」という確固たるポリシーのもと、浪人の受験勉強の時もずっとウォークマンでメタルを聴きながらやり、大学のレポ-トや雑誌の締切前などもひたすらメタルを聴きながら乗り切ってきた男です。やはりメタルがあった方が集中力の桁が違います。はかどることこの上なかったですね。疲れたらクラシックギターを聴くのもまたよしです。しかも元バンドマンのグループ長殿とやけに話も盛り上がりましたし。う~ん、普段から音楽聴きながら仕事したいなぁ・・・。
2001年9月19日水曜日
限界バトル
2001年9月17日月曜日
2001年9月16日日曜日
ギター浸けの一日
で、最近私がよく弾く曲としては、こちらに来てからずっと弾き続けているものの土日しか弾かないせいかまだイマイチ覚え切れてない(泣)『バーデンジャズ組曲』より『シンプリシタス』、懐かしの『ダンサ・ブラジレイラ』、そして何故かヨークの『フェアー』と、南米系の匂いで固められています。いや、フェアーはちょっと南米ではないけど・・・。ロドリーゴの『ファンダンゴ』や『パッサカリア』、バッハのリュート組曲4番プレリュードなんかも弾きたいんだけど時間がない・・・。せめて一時間でいいから毎日弾けたらと思う今日この頃です。バッハのね、パルティータ第3番(BWV827、ギターでバッハのパルティ-タと言えば無伴奏バイオリンパルティータを連想する人がほとんどだと思うが、それではなくピアノの方)もね、せめてファンタジアだけでも編曲して弾きたいんだけどなかなかそれも。一応譜面だけはネットでMIDI見付けて用意はしてあるのですが、独奏の編曲って難しいんですよねー。まぁ地道にやって行こうと思います。っていうかあの曲、ギター独奏でやろうとすると明らかに音域が・・・。
2001年9月15日土曜日
崩れゆくWTC
しかしまぁなんといいますか、基本的に私はナショナリズム的というかイデオロギー的なものはあまり好きではないのですね。集団主義的なものがあまり好きではないと言った方が正確でしょうか。ですのでテロ側についてもアメリカのやけに強気というか、まぁちょっとあれな言い分に対してもあまりコメントはつけないでおきます。ただ私には、少しの迷いもなくまっすぐに貿易センターのビルに飛行機が突っ込んでいき、一瞬ビルの裏に隠れたのかなと思った次の瞬間に中から爆炎が巻き上がるあの瞬間の映像、そしてまるで砂で作られた城が崩れていくかのように粉塵と化して上から雪崩のように建物が崩れて消えていくあの映像が、何か妙に暗示的なもののように思えました。すべては夢なんだよと、あるいはすべては夢だったんだよと、あの映像はそう語りかけてきているような気がしました。大きな、そして権威的であり象徴的でもある建物が一瞬で崩れ去る瞬間。はたして崩れていったものはその建物だけだったのでしょうか。それは、私達の世界も巻き込んで、一緒に何かを崩して持っていってしまったような気すらします。世界の情勢がどうとか言っているのではなく、もっと抽象的で象徴的で潜在的である何か。それも一緒に巻き込んで、あの大きなビルは崩れていったのではないでしょうか。また、世界は激しく動き始めるかも知れません。あるいはそうではないかもしれません。これから先、どういう方向に何が進んでいくのか、実に不透明なこの状況。さて、どうしたものなのでしょうか。
しかしまったくの余談ではありますが、どうも私は小泉首相というのは元々あまり好きじゃありませんでしたが、今回の件で「好きじゃない」が本格的に「嫌い」になった気がします。あの男、言いっぷりはいいもののどうにもうさんくさい。日本に徴兵制度を作るとしたらヤツじゃないのかねぇ。レベルは違うものの、どうにもヒットラーくさい匂いがするのだよな・・・。
2001年9月12日水曜日
台風一過
2001年9月10日月曜日
Sometimes I feel l'm drifting far away...
2001年9月9日日曜日
ドラえもん眼鏡
2001年9月6日木曜日
仕事に追われて
2001年9月5日水曜日
無限ループ構文の哲学
v.add( a );
v.setSize( 0 );
if( ??? ) { break;}
}
終わることのない無限ループ。いつかはここから抜け出せるのだろうか。見えないbreak条件は、一体いつループを終わらせるのだろうか。そしてその時輪の外に、一体何が待っているんだろうか。無限ループ構文の哲学。
2001年9月2日日曜日
タイタニック
2001年9月1日土曜日
締めきれず
2001年8月30日木曜日
2001年8月29日水曜日
まだ遠い平穏
2001年8月28日火曜日
2001年8月24日金曜日
2001年8月23日木曜日
台風とXML
2001年8月20日月曜日
腐りかけの冷蔵庫
2001年8月19日日曜日
浸食
ちなみに私の家のベランダは今、アサガオの他にネコジャラシや正体不明の鈴蘭と藤の花を足して2で割ったような小さい白い花をたくさんつける植物など、実に色々な植物に侵食されています。いや~、自然ですねぇ・・・。
2001年8月18日土曜日
2001年8月17日金曜日
恐怖のどぐろ焼き
飲み屋に入り、テーブルについた我々は、やはりまず最初にメニューを吟味することから始めました。そしてある程度固まったところで店員さんを呼び、「生中5つと、イカのげそ揚げに・・・」といった具合に順調に注文を進めていきます。そして私が「他に誰か何か頼む?」と声をかけた時、高校時代からの古の友人は店員さんに向かって言いました。
「あの~すいません、どぐろ焼きってなんですか?」
・・・どぐろ焼き?一体何のことだか私にもわかりません。そんなん一体どこに書いてあった?と私がメニューの上に視線を走らせている時に冷静に店員さんは答えました。
「・・・ああ、のどぐろ焼きですね?」
一瞬の沈黙。後爆笑。そらそうだ。「どぐろ焼き」なんて意味不明です。そして私は発見しました。メニューに「新潟名産のどぐろ焼き」と書かれているのを。ああ、なるほど。彼は
「新潟名産/のどぐろ焼き」
として見たのではなく、
「新潟名産の/どぐろ焼き」
としてその項目を見たわけですね。そうか~、あの「の」は助詞だったんだねぇ・・・。まだ一滴も酒を飲んじゃいないのに、早くも酔っぱらいモードです。かくして我々はその「どぐろ焼き」ネタでしばらく盛り上がり、適度に酔ったところでちゃんと「どぐろ焼き」を注文し、楽しい酒を飲んできましたとさ。どっとはらい。
2001年8月14日火曜日
盆の入り
しかしまぁお盆の墓参りというのも日本の風物詩としては実はなかなかの物なのではとか思ってもみました。やっぱウチ田舎ですからね。結構どの家もそういうことしっかりやってるんで、行くとどのお墓にもちゃんと花や線香が捧げられてて、お坊さんがお経上げてて・・・。悪い世界ではないように思います。
2001年8月11日土曜日
帰省
2001年8月10日金曜日
夏休み始まり
2001年8月7日火曜日
言い訳
2001年8月4日土曜日
2001年8月2日木曜日
2001年8月1日水曜日
八つ当たり
2001年7月31日火曜日
2001年7月30日月曜日
グールド『バッハ全集』
グールドといえば、私が「ギター、ピアノ、バイオリン等の楽器を問わず史上最高の演奏家は誰か」と問われればまず挙げるであろうピアニスト。当然このCDが届くのは大変心待ちにしていたわけです。彼の超絶に正確な技巧と、常識的か否かにとらわれず自由に音楽を追求した上で計算しつくされた表現、そして明るい曲を弾いていても常に何処かに付きまとう内省的な響きは心ひかれるものがあります。ギターじゃいないなぁ、こういった演奏をしているのは。
2001年7月28日土曜日
残業と占い
まぁそれはそれとして、ちょいと面白いホームページを見つけました。その名も『運命.com』。実に色々な占いからIQ測定、EQ測定までありなかなか楽しませてもらえます。普通のタロット占いなどもあるのですが、とりあえず私が占ったのは『三国志占い』。占った人を三国志の武将に例えて表現してくれるという実にシュールな代物です。あまりに気になったので、ちょっと速攻やってみましたが、何と私は関羽雲長だそうです(笑)。以下にその結果の文章を転載してみます。
あなたは関羽雲長(かんう・うんちょう)のような人です。あなたの才能は多岐に及び、商才もあり、他者を圧倒する実力もあり、髯も良く似合う。義理堅く頼りにもなる。かつ、少し頑固すぎる所はあるが友達は大切にする忠義の人。言うことなし。文句なし。そんなあなたは後世、永く語り継がれるような人です。呂布との一騎打ちは危険すぎるのでやめましょう。マイカーを持つようなことがあれば是非赤いフェラーリがお奨めです。そんなあなたの座右の銘は色即是空です。
う~ん、髭、よく似合うか・・・?しかも「呂布との一騎打ちは危険すぎるのでやめましょう」って・・・。この占いはなかなか実にシュールな趣を醸し出していてよいです。ちなみに絶対音感鑑定とか凄まじいのもありますよ。色即是空。
2001年7月27日金曜日
ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』
余談ではありますが、『ポルノグラフィティ』という言葉で私がまず思い出すのは往年の名曲『More Than Words』を含むエクストリームの名盤『ポルノグラフィティ』。何か関係があるんでしょうかね?
♪旅人に尋ねてみた どこまで行くのかと いつになれば終えるのかと
旅人は答えた 「終わりなどないさ 終わらせることはできるけど」♪
2001年7月26日木曜日
昼食後の集中豪雨
東急のレストラン街で食事をし、「いや~、牛肉となすの辛味噌炒め美味しかったなぁ」くらいのノリで外に出てみたら・・・。渋谷駅から続くアーケードの出口のところで、何やら人が大勢たまっています。アーケードに入ってくるひとは皆びしょぬれです。雨そんなに降ってんのか?とか話しながら出口の方まで行くと・・・。降ってます。無茶苦茶降ってます。やばいくらい降ってます。雷も鳴ってます。最悪です。・・・結局会社に電話し、残っていた同僚に傘を持って迎えに来てもらいましたとさ。しかし傘をさしていても会社までの僅か五分の道のりで下半身は見事びしょぬれになってしまいました。やれやれです。
2001年7月25日水曜日
摂氏39度
そう、余談ではありますが、私は今でも通勤の際長袖シャツにスーツの上着をしっかり着込んで満員電車へと向かいます。暑いよ。
2001年7月22日日曜日
The Mosquito Battle -オマエハモウシネ-
私は今日の夕方、ギターの弦を替えようとギターを取り出し、まずおもむろに現在張ってある弦を外しにかかりました。すると、周りの方で何やらプ~ンと音が回っています。そう、・・・蚊です。蚊のヤロウです。我が家はよくも悪くも自然に恵まれた谷間に位置しているので、そりゃあ蚊はたくさんいます。何を隠そうこれまでも部屋の中にいながらにして一日一箇所は刺されていたという始末ですから。まぁ逆に言えば蚊の一匹くらいいても当たり前な状況なので、私も最初は無視していました。が、弦を一本外した辺りでやけに右肘の辺りがかゆくなってきました。・・・ちくしょう、喰われたな・・・、と思いつつも、敢えて無視して次の弦を外しにかかったのですが、それを外し終わらない内に左足の裏、右足首、と次々かゆい場所は増えて行きます。そして左腕にチクリとした痛みを覚えた私は、すっとそちらの方を見ました。血を吸っている蚊がいます。その瞬間、私の中で何かが切れました。
パァン!
勢いよくひっぱたくも、蚊はその攻撃をかわし宙に逃げて行きます。ちっ、外したか・・・、と思っていると、今度は右足の親指に同様の痛みが・・・。見ると、今度は別の蚊が私の血を吸っています。二匹いやがったか、と思いながら手元にあった週刊誌を手に思い切り叩きつけます。・・・今度はやりました。蚊の亡骸は、力なく地面に横たわっています。・・・あと一匹。ギターの弦の交換を邪魔された私の怒りは止まりません。これを機にうざったい部屋の中の蚊を一掃してしまうことに決め、週刊誌を手に持ったまま蚊が来るのを待ちます。自分を餌にしたおとり猟です。もう何でもやったります。じっと待っていると、遠くの方から段々プ~ンという忌々しい音が近付いてくるのがわかります。・・・来たか。私は週刊誌を構え、蚊が愚かにも私の体ではなく壁に止まった瞬間を狙って叩き付けました。
パァン!
・・・やりました!壁には赤い鮮血をまき散らして蚊の残骸がこびりついています。これで当面私の視界に入っていた蚊は絶滅させたことになるのです。満足感の中、私は壁にこびりついた蚊の始末をしようとティッシュをとってきました。そこでふと気付いたのですが・・・、
赤い鮮血・・・? それ、俺の血だよ、俺の!!!!!
・・・こんなに吸ってやがったのか、と思いながら、私はその蚊を始末しました。そしてさぁ弦を替えようと再びギターを手にし、古い弦を全部外し終わってギターの手入れをしている時に、またあの独特のチクリとした痛みが・・・。見ると、また新しい蚊が私の右腕に取りついて血を吸っています。もういちいち自らの手で叩き潰すのも疲れていた私は、その蚊を追い払った足で速攻薬局に行き、ブタさんの蚊取リキッドを購入して使いはじめましたとさ。それから蚊に悩まされることもなくなった私は、「効くもんだなぁ」と思いつつ『バ-デンジャズ組曲』と『天使の死』を弾き倒していたそうです。どっとはらい。
2001年7月21日土曜日
人生最大クラスのボケ
しかしそこの管理会社の人、入居手続きの時から色々とお世話になっている方なのですが、今日の件でも「本来なら出張費を請求するんですけど今日はいいです。気をつけてくださいね」と笑って帰って行きました。う~ん、いい人だ・・・。
2001年7月19日木曜日
飲み会は深夜まで
私を知る人なら想像に難くないでしょうが、私がその本領を発揮し始めるのは二次会から。早くも「ayumワールド」と名付けられてしまったカラオケで、一部酔いまくってスパークしていた方を煽りつつ(笑)その本性を僅かながらもさらけだして来ました。が、カラオケも終わり11時半、さて帰るかと家の近い隣のグループのグループ長殿と電車に乗って武蔵小杉まで来ました。ここで一緒に来た第二グループ長殿とは別れるはずだったのですが、降り際に手招きをされ、にこやかに笑って「もう一件回れるか?」と誘われ、何と平日三次会という荒行に入ってしまいました。そして小杉在住のCELを誘い、三人で熱く語って次の日会社、平日の夜はふけていきました。家に辿り着いたのは二時半くらいでしたとさ。さすがに今日はちょいとしんどかったですが、でもまぁ楽しかったし誘いを受けるのも嬉しいことですのでよしとしましょう。
2001年7月16日月曜日
低音の輪廻
歴史は繰り返す。たとえ周りのすべてが変わっても。執拗に繰り返される低音が象徴するものは・・・。そう、すべては因果の流れの中に。
2001年7月14日土曜日
仕事場雑景
しかし最近我がグループでは風邪が流行っています。そもそもは私があやしい咳をし始めたのがきっかけですが、今ではグループ長殿含めグル-プ員の半数が実にあやしい咳をしながら仕事をしています。私がグループに風邪を広めたという噂もあり、密かにか明らかにか「ayumに伝染された」と吹聴しているお方もいるようですが(苦笑)、いやいや夏風邪はつらいですからね。私も快方には向かっているものの、まだまだ咳が取れてくれないのです。皆さんも外と中の気温差及び冷房のかけ過ぎには注意しましょう。
2001年7月12日木曜日
頭の中で回る曲達
♪ 大変だ~真実が~イカサマ~と~手を組んだ~
誰か僕に約束の~守りか~た~教えてよ~ ♪
いや、何でもいいんだけどさぁ・・・。ちなみに私の頭の中ではいくつか回りやすい曲というものがあります。その中の一つが川本真琴(漢字不詳)の『D・N・A』。
♪ グルグル回ってる、回ってる
・・・って、オマエの歌がわしの頭の中で回っとんじゃい!と思わず叫び声を上げてみたくなったり。あるいは中谷美紀の『MIND CIRCUS』もやばいです。
♪ 悲しい世界を~浄めるように、街角でわ~らあって~
君の誇りをけ~がすものから君を守るか~ら~ ♪
・・・守ってくれるならまず俺の頭の中を浄めてオマエの歌止めてくれよ(嘆願)、とか思ってみたり。まぁまぁしかしこれらの歌に負けず劣らず私の頭の中を回ってくれる曲はまだあります。よくジャスコなんかの鮮魚市場に行くと流れている名称不明の魚の歌。誰かこの歌の曲名知ってる人がいたら教えてください。
♪ さかなさかなさかな~~~
さかな~を~食べ~ると~~~
あたまあたまあたま~~~
あたま~が~よく~なる~~~ ♪
・・・ホントか、オイ!?
2001年7月11日水曜日
2001年7月10日火曜日
青汁
今日の夜八時くらい、私はいつものようにコンピュータに向かい、一日の仕上げをしようとガシガシとJAVAのコードを書いていました。すると、何やら後ろの方で先輩達が盛り上がっています。何だろうと思ってみてみると、グル-プ長殿が笑いながら部屋の外に出て行きます。彼は私と目が合って曰く、「いや~、青汁こぼしちゃったよ」。その時私は一瞬自分の耳を疑いました。「え?青汁!?」 見ると、確かに某先輩の手の中には青汁が。ラベルも何もついてないサラの500mlペットボトルの中に入った青汁があります。「ayum君も体にいいから飲んでみたら?風邪治るかもよ?」とグループ長殿は笑って言います。そして元来ゲテモノに強い私は、青汁も確かに悪くないかもなと挑戦を決意したのです。
青汁。それはドロドロしています。まるでアオコが発生して腐りかけた水のようにドロドロしています。その極限まで密度が高められた緑色は、何かしら自然界に存在するものとしては不自然なくらいのヤバさに満ちています。私はまず匂いを嗅いでみました。先輩は匂いを嗅ぐと飲めなくなるからやめた方がいいと言うのですが、幸か不幸か極度の鼻づまりに苦しんでいた私にはその殺人的とも噂されるアオコの臭気にはあてられずに済みました。そして一口。・・・ん?案外こんなものかという感じです。そして普通に飲んでいる私を見て、グル-プ長殿は「案外いけるじゃん、って顔してるな」と仰ります。うん、確かに匂いがわからなければ普通の野菜ジュース(ただしやはりかなり濃い)程度のノリで飲めるのです。そして私はこの風邪を早期に完治させるため、明日は自ら500mlの青汁を購入してきて一気に飲み干そうと心に決めたのでした。何しろ今日会社を風邪で休んだ先輩は、私に風邪を移されたと吹聴していたそうですしね(爆)。そうそう、ちなみに私の後に飲んだ同僚は、もうこの世のものとは思えないくらいの壮絶な表情を醸してくれましたとさ。
2001年7月5日木曜日
夏場に冬布団
2001年7月4日水曜日
過去の新人の中で一番タスクを抱えた男
2001年7月3日火曜日
バッハ
『ブーレ(前半戦のみ)』。チェロ組曲4番の『ジーグ』、最初の2ページだけリュート4番の『プレリュード』、中途半端に覚えた無伴奏バイオリンパルティータ1番の『サラバンド』、とそのくらいですか。冷静に考えればまともに完成させたのは2曲しかない(苦笑)。しかもその内の一つ『ジーグ』は私の本番演奏ワースト3に入る素晴らしい出来でしたし・・・。バッハ難しいし覚えにくいし、覚えてから曲にするのが大変だしで、いつも途中で挫折するんですよね。バッハはやはりいつでも私の好きな作曲家であるだけに思い入れも強く、小手先だけで弾いてハイ、お終い、ってやってしまいたくないというのもあり・・・。でもまぁとにかく最近バッハが弾きたいのです。『サラバンド』もいいし、『ガボット~ロンド(リュート4番のいわゆる『ロンド風ガボット』ではなく)もいい。『シャコンヌ』は、・・・いいけどいい(爆)。もう少し弾ける時間があったらいいのにね。
2001年7月2日月曜日
思い出の『ラーメンひら乃』
2001年6月30日土曜日
初納品物初稼働
2001年6月29日金曜日
湘南飲料
2001年6月27日水曜日
久しぶりの自社
2001年6月23日土曜日
in trouble
2001年6月21日木曜日
初仕事納品
2001年6月20日水曜日
初納品前夜
明日私が普通に客先から帰って来れるのか、あるいは客先でバグ対応に追われNo Returnとなるのか、はたまた動かしたとたん致命的なバグが発現しForever No Returnとなるのか、まだ誰にもわかりません・・・。
2001年6月19日火曜日
Feel H"
2001年6月18日月曜日
2001年6月17日日曜日
破滅に向かって
2001年6月14日木曜日
残業新記録
今日は先のASPの仕事を昨日今日で無理矢理終わらせ、7時から8時50分くらいまであった勉強会が終わってから修正で出たバグを速攻修正し、先輩に動作確認をお願いして帰ってきました。こうして少しずつ帰りが遅くなっていくのですね・・・。
2001年6月12日火曜日
初の客先訪問
今日のビックリ:『め、目の前をタヌキが普通に歩き去って行った!!!』
2001年6月11日月曜日
2001年度BKC独重所感
さてさて、遠奏会の方、やはり彼らはなかなか楽しませてくれました。基本的に今年のBKCは演奏レベルの高い世代のなので、皆技術的な不安はほとんど感じさせずに安心して聴かせてもらいました。が、その反面やや気になったのが技術に頼り過ぎなこと。なんというか、"譜面通りミスなく弾けて、強弱や音色の変化もそつなく付ければそれで完成"みたいな弾き方をしている人がほとんどだったような気がしたのが少々残念です。本来演奏に出るはずの個人個人のセンスがあまり感じられない、・・・というとちと辛く書き過ぎのような気もしますが。もっと自分が選んだ曲に対する思い入れみたいのを感じさせてほしかったです。その意味でなかなかよかったなぁと思うのはぶ~れ殿(確かこのHNでよかったと思うが)。あの『愛のワルツ』は、技術的にはまぁまだ2回生らしい粗さは多々残っているものの、雰囲気の伝わってくる演奏でなかなかよかったですね。あとはF技殿。フラメンコのコンパス感やら何やら深いところは私はわかりませんが、彼の音楽センスには脱帽です。無茶苦茶うまくなってました。彼の今後のさらなる成長には期待大です。
しかし皆さんしっかり成長していたのには正直ビックリです。もう技術的な部分は私なんて問題でないくらいのレベルにまで達してますね。特にCの皆さんは平均的に技術レベルが非常に高い。まぁまぁあとは如何に技術だけを頼りにせずに、自分の感性を活かして音楽を奏でていくことができるかというところでしょう。"自分の感性を活かして"というのは決して"ひとりよがり"ではないところに注意です。いや~、うらやましいですね、皆さん未来があって成長してて。私なんてここ二週間程両手の腱鞘炎のせいでまともにギターを弾くことすらできてないというのに・・・。まぁ愚痴っても仕方のないことですが(苦笑)。
そしてせっかく京都へ行ったので、懐かしの我が家"クレージー西ノ京"近辺をしばし散策し(道路が広くなって、となりにあった工場みたいのがなくなってた)、帰りの新幹線までの時間潰しに東寺でハトに餌をやり、心の疲れを癒して(?)日吉に帰ってきました。いや、東寺のハト、手からマメ食べるんですよ。しかも立ってマメ持ってるとバタバタバタッとはばたいてきて、手に乗ってマメ食いやがるんですよ。おかげで楽しかったですけど半袖を着ていた私の腕は、ハトクローに見事にやられミミズ腫れだらけになりましたとさ・・・。
さて、独重に出た演奏者やスタッフの皆さん、お疲れさまでした。ちょいとばかり辛いことも書きましたが、レベルの高いいい演奏会でしたよ。楽しませてもらいました。衣笠の皆さん、BKCに負けないよう頑張ってください。金曜日だといよいよもって私は行けませんが、あやしいオーラを横浜から送って応援してます。・・・え、そんな応援いらない?
2001年6月8日金曜日
業界用語(?)辞典
タスクがたまる | タスクとはコンピュータの用語ですが、まぁ日常用語に直すなら「仕事」でしょうか。CPUが処理している(あるいはしなければならない)仕事のことです。で、それを我々は日常に転用し、仕事がたまってえらい忙しい状態のことを「タスクがたまる」と普通に言います |
用例:「某社さん、なかなか返事くれないねぇ。向こうもタスクがたまっていそがしいんだろうけど・・・。」 | |
おちる | これはコンピュータが処理に耐えきれずにフリーズして動かなくなったりした場合に用いる「おちる」という言葉の応用です。あまりの眠さに耐えきれず、仕事中などに思わず眠ってしまった場合のことを指して我々は「おちる」と言います |
用例:「やっべぇ、今日客先でおちちゃったよ!」 | |
Aボーイ | 実に謎の多い言葉です。我が社でもシステムソリューション第二、第三グループでしか通用しないという悪名名高い通り名ですが、「Aボーイ」の"A"とは秋葉原のこと。週末になるとは秋葉原へ行き、一日中色々な店を回って秋葉原を堪能する人のことをさして言います |
用例:「(金曜日に)さ~て、明日秋葉原に行ってくるかな」 「またか。さすがAボーイ」 |
・・・とまぁ、ざっとこんな感じで、微妙に外界から隔絶された言語体系を構築しつつ我々は日々の仕事をこなしているわけです。SE達よ、永遠なれ!
2001年6月7日木曜日
光陰矢の如し
2001年6月6日水曜日
2001年6月4日月曜日
アンニュイな午後
2001年6月3日日曜日
ギター演奏法の原理 - 独自の解釈も含めて
そして今日もせっかくの休日なのにそんな状態ではギターなど当然弾けるわけもなく、でもせめてギターに浸った気分になりたいということで先週に引き続きまたも現代ギター社に繰り出してきました。いや、渋谷まで定期で出れば池袋まで160円で行けますしね。時間は一時間ちょいかかるけど。で、CDデビッド・ラッセルの『バロック作品集』と『羽衣伝説』の譜面、新型の弱音機にA.カルレバーロ著高田元太郎訳『ギター演奏法の原理』という本を買ってきました。どうやら私もショッピングでストレス解消をはかれるようです(笑)。
で、今日買ってきた『ギター演奏法の原理』という本ですが、これは演奏者、作曲・編曲者として、そしてそれ以上に指導者として有名なギタリストA.カルレバーロがギターの構え方から右手・左手の押弦、弾弦の基本といったいわゆる演奏理論をまとめたもので、その名は(特に海外で)有名でも意外にそれに関する著書が少なく謎の多かった『カルレバーロ奏法』を本人が懇切丁寧に解説するというありがたい書物です。今日はちょっとその検証をしてみたいと思います。
まず、まだ私は『ギター演奏法の原理』を全部は読んでいないということを断わっておきます。まぁJAVA Servlet & JSPの本なんかに比べればはるかに読みやすいので、興味があれば皆さんも買って読んでみることをお薦めします。で、とかく中身が謎のまま名前が先立って有名になってきた感のあるカルレバーロ奏法ですが、その基本原理は「いかに手に余計な力を入れず、負担をかけず効率的にギターを弾くか」ということに集約されます。その目指すところは藤井先生と同じなのですが、実はその理想の実現方法は構え方の時点でかなり異なります。細かいところはまぁ本を買って読んでいただければいいのですが、端的に言えばギターを構える基準点を、藤井先生は左手に置き、カルレバーロ奏法では右手に置きます。その結果、藤井先生はネックを左手の自然な稼動範囲の直線に置くことでネックが体の方により、カルレバーロ奏法では肩を自然に平行状態に保ち、なおかつ右手に変な負荷をかけずに指が弦に届くようにするためにギターを体に対して斜めに構え、ネックが体の前に出るような形になります。どちらが正しいというものでもないでしょう。藤井先生の構え方では右肩がどうしても前に出てきて(実際先週の藤井先生を見ててもそうだった。ただし力が入って前に出てきているのではなくあくまでリラックスした状態で関節の位置だけ前に出ている状態)、それはカルレバーロ奏法的にはよろしくないですし、逆にネックが左手の稼動直線上から離れることは、藤井先生に言わせれば左手に余計な負荷をかけることにもなりましょう。カルレバーロ奏法の場合左手の位置を肘からの距離が7フレットまでと12フレットまでの間で等しくなるようにすることでその負荷を最小限に抑えようとしていますが、やはり左手の稼動範囲を超えていることから、ハイポジションの方はまだいいにしても7フレット以下のローポジションではどうしても手にかかる負荷が大きくなります。この辺両手とも理想の状態にするのはギターの形からして難しいのかもしれませんね。エレキくらいボディが薄ければ藤井先生の構え方そのままで右手をカルレバーロ奏法の理想に持っていくことができるのですが・・・。まぁ細かい話は今企画しているこのページの新コーナー、『ayum'sワンポイントギターTips』ででも述べることにしましょう。
ひとつ言えることは、やはりギターの演奏法で行き着くところは「いかに手に余計な力を入れず、負担をかけず効率的にギターを弾くか」であり、たとえその実現方法が多少ことなったとしても、それはただ方法が違うだけです。そして藤井先生もカルレバーロも、構えの形を除けば言っていることの共通項はかなり多いです。指の力だけでなく場合によっては腕や肩などより大きな力を利用するとか、何時間もやみくもに練習することの無意味さとか、他にも色々です。細かいことは今回は触れませんが。そして、ギターをうまくなりたいという人はたくさんいますが、そのほとんどの人が「演奏技術」ばかり闇雲に磨こうとし、「演奏理論」を学ぼうとしません。自分が何故ここを弾けないのか、あるいは何故ここは弾けているのかを理解することは上達のスピードに大きくものをいいます。そういった自分の行動を認知することを認知科学の用語で『メタ認知』と言いますが、楽器演奏であれ文章を書くことであれスポーツなどであれ、いわゆる「うまい」人程自分が今やっていることに対する『メタ認知能力』が高いということが認知科学の実験でわかっています。そりゃそうです。例えばギター。「ここ難しいなぁ」と言って何も考えずにただひたすら反復練習で、なんとか指もなれて弾けるようになったかな、と思っても、何故自分がそこを弾けるようになったのか理解してなければ次にまた別の曲などで同じ技術を必要とする場所が出てきた時また指がその部分に慣れるまで反復しなければなりません。それは時間の無駄ですし、技術力の底上げにもつながりません。だってなんとか弾けたとしても、そこで間違った癖が身につく可能性は高いのですから。これは藤井先生もカルレバーロも言っています。「何故そこで弾けないのか」という要因を、要素に分けて分析し、問題点を発見してそこを正確に修正することが大事なのです。それができるのとできないのとじゃ全然上達が違います。まぁこの辺をちゃんと理解したい人は、ちゃんとした先生につくか『ギター演奏法の原理』を買って読んでみてください。現代ギター社の通販で買えます。まだ数冊カウンターに積んでありましたよ。まぁ奥にもあるか。
・・・って、タイピングで腱鞘炎になってんのに、何でこんなに文章打ってんだよ、俺!?
2001年6月2日土曜日
熱帯魚
グッピー。 グッピーは体系やしっぽの形で色々種類がありまして、その種類によっては無茶苦茶高い値段がついてたりします。一匹10万円とか。ふつうはつがいで500円くらいですけど。 | |
コリドラス。 ナマズの仲間ですが3~6cmくらいと小さく、温和な魚なので大抵の魚と一緒に飼えます。いつも底の方にいるのですが、コイツがちょこちょこと水草の間を泳いでたりするとかわいいんだ、これが。 |
2001年6月1日金曜日
2001年5月31日木曜日
E.S.デ・ラ・マーサ『暁の鐘』
さてさて、そもそも最近私はギターを弾いているのでしょうか。・・・弾いてます。今週は特に先日の藤井先生のコンサートの余波もあってか、毎日帰ってきてから30分ばかりは弾いてます。やっぱねぇ、帰ってくるの遅いし(といっても冷静に考えれば毎日夜11時までBOXで弾いてた頃よりははるかに早いが)、マンションじゃ夜遅くまで弾くのも限界があるし、平日は頑張っても一時間くらいですね。でもちゃんと基礎練から、私が後輩に「一日15分しか弾けないならこれを弾け」と指導していた通りのメニューで始めてます(笑)。それに藤井先生に「一日でこれしか弾けないってときならこのパターンのアルペジオを弾くのがいい」と言われた、アグアドでいうなら、・・・11番かな?あのpimamamaのパターンと。やっぱ短い時間で効率良く技術の維持及び向上を望むならそれなりのメニューを考えないとね。
そしてこっちに来てからはひたすらE.S.デ・ラ・マーサの『曉の鐘』と『バーデンジャズ組曲(シンプリシタスのみ)』を弾いてるわけです。トレモロがねぇ、なかなか思うように歌わせられないんですよ。難しい・・・。
ちなみにこの『曉の鐘』、世間に出回っている楽譜は一種類しかありませんが、実はそれとは違うE.S.デ・ラ・マーサ自身による校定版のようなものが存在します。そしてその校定版は譜面としては世界に出回っていません。E.S.デ・ラ・マーサ自身が出版しなかったのですね。で、『曉の鐘』は譜面の記載を見ればわかる通り兄レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに献呈されたもので、レヒーノが残した録音は校定版の方になっています。他アリリオ・ディアスなどいわゆるレヒーノ門下のギタリスト(レヒーノは演奏者、指導者としてはエデュアルドより有名だった。普通「デ・ラ・マーサの弟子」と言えばレヒーノの弟子ということを意味するらしい)は皆校定版の方で録音していますね。まぁ譜面で出回っている方の版は、ゆーたら作曲途中みたいな感じで、仕上げの推敲を済ませたのが校定版の方、ということになるのでしょうか。ちなみにこの校定版、一般には「レヒーノが変更した」ということになってるらしいですが、レヒーノは「エデュアルドが変えたから変えた」と言っているそうで、やっぱり作曲者であるエデュアルド自身の校定らしいです。
ところが『曉の鐘』の校定版、藤井先生も仰ってましたがプロでもその存在を知らない人が結構いまして、私は『曉の鐘』を収録しているCDを3枚もってるのですが、アリリオ・ディアス以外皆校定版以前の出版されている方で弾いているのです。まぁ敢えて名前は出しませんが、兄がエデュアルドの弟子で、E.S.デ・ラ・マーサ作品集を出している某ギタリスト、E.S.デ・ラ・マーサ作品集まで出しておいて、校定版じゃないので入れてました。まぁそっちが間違ってるってわけじゃないからどっちで弾いてもいいんでしょうけど。ちなみに『曉の鐘』の校定版、譜面は出版されてませんし海賊版の譜面も知る限り出ていませんが、立命クラギタの方はご安心あれ。BOXに『曉の鐘』の譜面があります。あれが実際出版されていた版なのですが、よく見てください。ところどころ手書きでカッコでくくってあったり音符に変更が加えられていたりします。そのカッコでくくってあるところを飛ばして弾いて、変更されている音符を変更されている通りに弾けば校定版の方になります。この『曉の鐘』はナオエ先生がBOXに寄贈されたものですが、昔先生がアリリオ・ディアスのCDから耳コピしたものだそうで、キッチリ校定版になってます。ただし最後のペ-ジの最後の最後、ベースがA-E-C-B-C-E,A-F-C-B-C-Fと流れる部分がありますが、ナオエ先生そこだけ気付かなかったのか直し忘れたのか、校定版の通りに弾くならA-E-C-B-C-E,A-E-C-B-C-Eとなります。同じフレーズの繰り返しになるんですね。まぁ校定版の方で弾いてみようという方はどうぞ。ちなみに私は校定版で弾いてます。
2001年5月30日水曜日
ブラクラ
なに、大したことはありません。原理としては一瞬で500ものメーラを起動する命令を出すことでCPUに莫大な負荷をかけメモリを喰いつくすだけです。しかもHTMLしか使ってない単純極まりないトラップなので、画像の読み込みを切るだけで回避できます。ちなみに今回はそれじゃ物足りないという方のために、スクリプトや画像はおろかその他あらゆるマルチメディア系の読み込みを切ってしまわないと回避できないという、わが社の同僚が公開している実に素晴らしいブラウザクラッシャーも併せて公開いたします。命が惜しくない方はアクセスしてみてください。もしどちらかのクラッシャーを体験してみたいという場合は、作業中の文書があれば保存し、いつでも再起動をかけられる準備をしてから自己責任の上でアクセスしましょう。ま、この程度のクラッシャならOSが吹っ飛んだりはしないと思いますが。
2001年5月29日火曜日
眠い
2001年5月28日月曜日
現代ギター社での夕べ
そして演奏会終了後、現代ギター社で演奏者を囲んでの交流会兼打ち上げみたいのがあり先生に「時間があるならどう?」と誘われたのでお言葉に甘えて出席してきました。とはいえ私は現代ギター社に単身乗り込んでいる身、下でCDを買っている内に打ち上げが始まり、なんか一人ずつ自己紹介と演奏者への激励の言葉を述べていて異常に入り辛くて「どうしようかな~」と入り口からちょっと離れたところで様子を伺っていたのですが、その私を先生が見つけてくださって「どうしたの?入れば?」と大きく手招きして呼んでくださったのでどうにか無事入室することができました。色々と気を使っていただいてありがたい限りです。その後ビールを手渡され、自己紹介と演奏者への激励も恙無く終え、いわゆる歓談の時間と相成ったわけですが、私が座ったところは周囲10人くらい全員『クボタフィロ・マンドリーネン・オルケスター』というマンドリンオケの団体さん。主に彼らと話していたわけです。このマンドリンオケはアマチュアとしては相当レベルの高いところらしく、指揮兼顧問の先生もこの界隈では有名な人で、毎週朝九時から五時までビッチリ練習という社会人のアマ団体としては異常なくらい本格的なところ。話してる内に何故かそこのギターパートに誘われ、さらに村治パパのところに習いに行っているギターパートの人と話も盛り上がり、6月10日にある彼らの演奏会に見に行ってみようかなということになりました。まぁマンドリンオケにはさすがにあまり入る気は今のところないのですが、皆話を聞くと厳しいながらもかなり楽しくやってるみたいなので一回見ておくのもいいかなぁと。そして現代ギター社での打ち上げも終わり、最後に藤井先生に挨拶して帰ろうと思って先生のところに行きます。私の前に一人先生と話している方がおられたのですが、その方も京都の出身で京都にいた時藤井先生についていて、今は品川でコンサル系の会社を興して運営している方でした。先生の紹介でその方とお話しし、一緒に池袋駅まで迷いながら歩いて(爆)渋谷まで一緒に帰ってきました。色々と藤井先生の裏話(?)も聞けて面白かったですよ。えらい気さくな方でしたし。
まぁまぁそんな感じで音楽も堪能し、人とのつながりもできて素晴らしい夕べを現代ギター社で過ごして昨日の私は家路につきました。ちなみに、僕は一番入り口に近いところで聴いていたのですがコンサートの最後の方、一人見たことのある人が入ってきまして、5秒後くらいに「あれ?もしかして鎌田慶昭?」とか思ったのですが、はやりその人は鎌田氏でした。席の関係上一言もお話をすることなく終わってしまったわけですが(爆)、何げにそんな人が現れるのも現代ギター社でのコンサートならでは、といったところでしょう。面白いことこの上なしです。
夢の話 -僕の時間と君の時間-
集合場所に着きます。そこには人はたくさんいますが、僕が待ち合わせをしていた人達はいないようです。腕時計を見ると、集合時間には完全に遅れています。僕は「遅れたからみんな先に行っちゃったのかな?」と思いました。すると、待ち合わせていたはずの一人が向こうからやってくるのが見えます。彼は僕に「早いな」と声をかけてやってきました。早い?僕はもう一回腕時計を見てみますが、やはりどう見ても一時間は遅れています。腕時計が狂っているのかな、とPHSの時計も見てみますが、やはりそれが示している時間も腕時計のそれと同じです。僕は腑に落ちないまま、集合場所のところにあった(公園のようなところ)時計にふと目をやります。すると、その時計は僕の時計より一時間以上も遅れているのです。集まる予定の皆も続々集まってきました。皆の時計も僕より一時間以上遅れています。
僕は不思議に思って腕時計の秒針をじっと見つめます。何で腕時計もPHSの時計も、両方とも同じ時間だけ他の人より早くなっているのだろう?そう思って見ていると、その秒針の刻み方のある事実に気付きました。僕の時計は、数分間に一回か二回、1秒ずつ進むのではなく5秒とか10秒分を一気に刻む瞬間があるのです。試しに時計を交換してもらったところ、僕の身につける時計だけがそうなることが判明しました。同じ時計でも他の人が持っている場合はそうはなりません。これは何を意味するのでしょう?僕だけ他の人より時が流れるのが早いということなのでしょうか、それとも、秒針は一気に進むのだから、数秒ずつとは言え、僕の時間が、未来が削られているということなのでしょうか。その後、夢の中で僕の時間と周囲の時間のずれはどんどん大きくなっていき、僕は時間に遅れたつもりが早く来すぎたとか、そういった時系列の狂いに惑わされることになります。ですが、何故僕の時間の流れが変わったのか、あるいは最終的に僕はどうなるのか、夢はそれらのことには一切解答をくれませんでした。
どこか暗示的にすら思える夢です。僕だけ周囲の人間と時間の流れ方が違ってしまう。それも単純に早くなるのではなく、少しずつスキップするというようなやり方で。この夢を見て目覚めた時、何かこれをモチ-フにして小説かエッセイが書けそうな気がしたのですが、どうにも具体的な形になってくれないのでこういった形で書きました。"僕"の時間の流れが変わる。それでたとえば、他の時間が止まってしまうとかだったら書きやすい。でも、この夢では周囲の時間はこれまで通り普通に流れているのです。僕だけがその流れから外れて、時間の流れは外れたのに空間としてはまったく一緒に共存している。これが意味するものは何なのか、また、秒針が"早く進む"のではなく、少しずつ"スキップする"ことが意味するものは・・・?時間という概念は実に難しいのです。
"時間"というものはただ時系列の流れに名前をつけただけのもので、実体はないのかといえば案外そうでもなく、アインシュタインなんかは一般相対性理論の中で「加速度運動をするものは止まっているものや等速直線運動を行うものより時間の進み方が遅く、重力が働くものも働かないものに比べて時間の進み方が遅い」ということを証明しました。これは同時に"時間"というものがどんな状況下でも万人に共通に流れるものではなく、状況によって"絶対的に"時間の進み方が異なるということを意味します。また、ホーキングは「宇宙は"虚数の時間"を通って誕生した」と言っています。そして"虚数の時間"は理論上の産物ではなく、実際に存在するとも。虚数とは二乗したら負の数になる数学上の数。そもそもマイナスの時間というのも想像しにくいものがあるのに、その上さらに"虚数の時間"とは一体なんでしょう。ややこしい話です。"スキップ"した僕の時間はどこへ消えていたのでしょう?そして何故、僕だけそのような形で周囲と時間の流れの差異が生まれたのでしょう?謎は深まるばかりです。
Another Holly War -第二次洗濯機の変-
な~んと、キッチンの方が一面水浸しになっているではありませんか!ふと洗濯機の方を見ると、排水パイプが見事に外れてそこから水が吹き出しています。
「ブチッ!」
その時、自分の頭の中でそのような音が聞こえました。そして口に出した台詞は「あ”!? またか、コラ!?」といったようなものでした。そう、こちらに来てから以前にも一回こういうことがあったのです。その時にもう洗濯機の排水パイプが外れるなどという悲劇が起こらないようにきつくパイプを締めたつもりでしたが・・・。一面水浸しになっているキッチンフロアを見て私が感じたもの、それは怒りでした。当惑でも憂鬱でもなく、確かな怒りでした。水を吸って膨れている足拭きマット、火曜日に捨てるはずのゴミ、実家から送ってもらった夏服・・・。それらを見て、巨大な水たまりと化した床を見て、私は確かな怒りを感じていました。床に波打つ水面を見ると、微かに、しかし確かに泡立っています。またも洗剤入りの水が大漏出しているのです。その事実は私をさらに怒り狂わせるに至りました。「またイチイチ雑巾で水を吸い出して、ってやるのか俺は!? チクショウ、やってられるか!!!!!」と心の中で叫びつつも、かといって自分でやらなければ他にやってくれる人などいるはずもありません。しかたなく怒りに燃えながらも雑巾で水を吸って絞り、水を吸って絞り・・・、という作業をひたすら繰り返します。回を追うごとに怒りのボルテージは高まっていきます。が、これはまさにやり場のない怒りです。「あ~もう、なんでせっかくの日曜に俺はこんなことやってんだよ?」と疑問に思い、試みに「ったく、チクショウめ!!!!!」と声に出して悪態をついてみたところで何が変わるわけでもありません。結局私は一時間近く雑巾で水を吸って、絞ってまた吸って・・・、という作業を延々くり返していました。段々雑巾を絞るのにも力が入ってきます。怒りのパワーです。
それでもその不毛な作業をどうにか終え、私は手と足を水洗いして洗剤を流し、ギターでも弾こうかなと部屋に帰っていきました。その時、ふと手を見たら左手の親指の人差し指側の爪と第一関節の間辺り、ちょうど雑巾を絞る時に力の加わる部分に異変が起きているのに気付きました。そう、水で皮膚が柔らかくなったのか、その部分の皮がベロンとめくれて肉が剥き出しになっているのです。いつからこうなっていたのでしょう?全然気付かずに雑巾を全力で絞り続けていました。きっと怒りのパワーがもたらすアドレナリンが、私に痛みを忘れさせていたに違いありません。とりあえず私は「消毒くらいはしといた方がいいんだろうなぁ」と傷を消毒し、カットバンを貼って簡単に処置をしておきました。第二次洗濯機の変、それは私に久しぶりに"憎悪"という感覚を思い出させてくれました。すべての処置が終わった後、洗濯機の排水パイプをもう二度と外れないようにガムテープでグルグル巻きにしておいたのは言うまでもありません。
「てめぇらのくだらねぇまねのおかげで久々に目のさめる思いだぜ。思い出したよ、久しぶりに。最初の気持ちってやつを。ありがとよ、最悪の気分だ」
2001年5月25日金曜日
ASP研修終わり
そう、で、ASPを勉強した成果の程ですが、ここ10日くらいは何を参考にするでもなく自分で一から設計して、ASP(VBScript)+SQLサーバで"一人きりのコミュニティサイト"『EZ Place』を作って楽しんでいました。いや、せっかくデザインも凝って、時にHTMLリファレンスを調べる(いまさらですが、普段使わないFormなんかは結構忘れてた)ようなハメに陥りながらもカッコいい(というかかわいい?)サイトを作り上げたとしても、いかんせんIIS及びSQLサーバは会社の私の個人マシンに入っているので当然社外から使えるわけもなく、好むと好まざるとに関わらず"一人きりのコミュニティサイト"になってしまうという・・・。寂しいですねー。
で、その作った内容の方はといいますと、まずログインを作り、BBSを作り、コミュニティサイトらしい機能を付けようということで、一時期会社の(一部の)同期の連中の間で流行っていた某出会い系サイトのようなシステムを作りました。まぁASP始めて二週間、このサイトを作り始めて約10日ではこれが精一杯です。ログイン時にブラウザにSessionを渡し(敢えてCookieではない)それがないとサイトのコンテンツにアクセスできないような仕掛けを施し、BBSではメールアドレスを入力したら名前のところにリンクが張られ、書き込み時刻等も表示され、もちろん記事の削除もできる一応の基本機能は網羅しましたし、一つのテキストフォームでIDからも漢字の名前からもひらがなの名前からも部分一致でユーザー検索できるようなシステムもつくりました。そして今週火曜日から作っていた今回の目玉"お友達検索システム"『EZ Friends』では、自分の紹介用のカードを編集し(もちろんSessionからIDをとっておいて、編集画面に入ったら自動で自分のカードの編集に入れるようになっている)、お友達検索画面ではフォ-ムの選択リストで性別や年齢を絞って(絞らなくても可)、やはりBBSで使ったユーザー検索のように一つのテキストウインドウからデータベースの複数のテーブルのあらゆる列を同時に走査して、キーワードによる自由検索も搭載して該当者の自己紹介カードを表示できるようなシステムを作りました。この機能を実現するのに、私はSQLで複数の列を同時に走査する方法がわからず、一つの列を走査してレコードセットが空なら自動で次の列へ、という仕組みをDo WhileとSelect Caseで無理矢理作って実現させました。おそらくそんなことやらなくてももっといい方法あるんでしょうねぇ・・・。まぁおよそ自分で考えられる限りのバグフィクスも施してあるので、ちょっとやそっとじゃエラー画面は出てきません。ちょっと自信作です。先輩の評価も概ね上々でしたし、このサイトを一から設計して完成できたことでいくらか自身もついてきました。これをバネにして明日からのJAVAとXMLの勉強も気合入れていきたいと思います。
2001年5月23日水曜日
危うく遅刻
2001年5月22日火曜日
2001年5月21日月曜日
machakic
2001年5月20日日曜日
ややへこみ
今日の一言:『"Confusion" will be my epitaph』(混迷こそが我が墓碑名)
2001年5月17日木曜日
"悲しみ"という言葉
"悲しみ"という言葉には、あるいはその他のほとんどの言葉、
特に人間の心の動きを表す言葉には、定義というものは無意味に近い。
"悲しみ"という言葉が、一体どれほどのものを表せるだろう?
"悲しみ"という言葉に含まれた内容の多さ、
"悲しみ"という言葉の持つ許容量の大きさは、
同時に"悲しみ"という言葉の決定力を消失させる。
"悲しみ"という言葉は結論にはなり得ない。
その言葉に辿り着くまでの選択肢の数だけ、
その言葉の意味は多様化する。
それは量子論のパラレルワールドにも似ている。
一旦分岐した言葉の意味は、決して重なりあうことがない。
それはよりどころになるのだろうか?
"悲しみ"という言葉にすがることで、
その悲しみを理解しようとすることから逃げてはいないか?
"悲しみ"という言葉が含有した多数の可能性は、
時に一番触れたくない真実に対するめくらましになる
僕にはわからない
この言葉を、これらの言葉をどう用いたらよいのだろう
また饒舌であることが
常に何かをうまく伝えられることとイコ-ルであるとは限らない
ときに言葉少なな囁きが
すべてを伝えることもある
どこかの誰かはこう言った
真実は常に小さな声で囁かれる、と
やはり僕にはわからない
2001年5月16日水曜日
おや?
2001年5月15日火曜日
鬼のような思い
今日になるとASPにも随分慣れてきて、まぁまぁ段々調べものも少なくなり、自分の思い通りの結果を返すことに手間取ることも少なくなってきました。今は先週末から作り始めたWeb掲示板『EZ BBS』の改良に命燃やしてます。ちなみにこのネーミングはどこぞのEZ W◯Bとやらとは何の関係もありません(笑)。少しずつよくなってきてるのですが、まだ足りない機能やバグは残ってますねぇ・・・。開発とは難しいものです。でも段々デバッグ作業にも慣れてきました。こうして人は成長していくのだなぁ・・・。こうしてひたすらプログラムの勉強をするのも、自分が書いたコードが多少のデバッグだけで思い通りに動いてくれている内はかなり楽しいものです。うまくいってないときは先週木曜のように恐ろしくへこみますが・・・。
2001年5月14日月曜日
2001年5月13日日曜日
リンク追加
今日は久しぶりに見事なまでの快晴になり、一日とてもよく晴れていました。でも結局ほとんど家にいてギター弾いたりしてたのであまり外の天気は関係なかったのですが(苦笑)。そう、久しぶりに大幅にリンクを更新しました。今回は結構大量にリンクを修正したり追加したりしていますが、目玉はやはり実はこれまでリンクを張ってなかった(爆)PCKの『"T" de la frontera』、CELの『Frontale Stadium』、My Brothの『Day Dream』といった友人、知人系のリンクでしょう。それとある意味究極の闇を提供してくれる『Tamalunch Factry No Future』。この際との詳細についてはリンクのところに書いた紹介文を参照していただきたいのですが、とにかく闇と邪悪のオンパレードです(爆)。あまりにやばく、そしてあまりにアンダーグラウンド。熱いです。心や人間性に闇や邪悪を抱えるすべての人は一回訪れてみるべきでしょう。あのHPの運営者、一体何者なのでしょうか・・・?ちなみに他クラシックギタ-関連のMIDIサイトなどを追加し、HP移転等でリンクが切れていた箇所を修正しています。
2001年5月11日金曜日
苦戦、ASP
2001年5月10日木曜日
量子論のパラレルワールド
おそらく大方の人は何を言っているのかチンプンカンプンでしょう。量子論というのは只でさえ物理学の中でも理解が難しい分野で、わかりやすく説明するのも大変なので敢えてああ書きました(←ダメじゃん)。要は今回言いたいことは、量子論の論理を極限まで額面通りに解釈していくと『多世界解釈』という話に行き着くということです。これが何を意味するのか。それは、SFの世界の絵空事と思われていた『パラレルワールド』というものが、実際に存在する可能性を示唆するものなのです。
量子論の理論を突き詰めた『多世界解釈』によれば、世界は瞬間瞬間毎に起こり得るすべての可能性の分だけ分岐していくことになります。人は誰しも「あの時ああしておけば」と思うことがあるでしょう。量子論の『多世界解釈』では、「あの時ああしていた」自分が存在するパラレルワールドが、現在も同時進行していることになるのです。もちろんその後の大小問わないあらゆる分岐点分のパラレルワールドも。しかしパラレルワールド同士は一旦分岐してしまえば物理的なつながりがまったくなくなるため、お互いに干渉することものぞき見ることもできません。そしてある世界にいる「私」にとってはその世界での「私」しかいないのです。実に面白い。量子論が従来の「科学的な」分野だけに留まらず、哲学などの分野にも大きな影響を与えているのもうなずけます。もしかしたら霊能力者とか前世の記憶がある人とか、そういった人々は「パラレルワールド同士はつながらない」というテーゼを破って、どこかでパラレルワールドとつながりを持った人達なのかもしれませんね。
2001年5月9日水曜日
2001年5月8日火曜日
電卓君
今日はまず簡単なWeb文書作成の仕事を初めてもらい、HTMLの知識すらロクにいらんようなその初仕事をサクサクとこなした後は、2日にグル-プ長に添削していただいた『電卓君』のデバッグ及び改良、コードの整理をして日が暮れていきました。今日を含め実質3日間かけて製作した『電卓君』の最後の仕上げです。最後2日の夕方から解消できないで悩み続けていたバグが一つ結局残り、それをどうデバッグしてやろうかと考えていた私は、帰る直前数分でコードに実に阿漕で力技なコードを数行追加し、半ば無理矢理終わらせるような形で帰路につきましたとさ。いや、あんなことやらなくてもいわゆる正統的な対処法はあるのですが、それをやるとこれまで作ったコードの構造を結構根本的に直さないといけないので、「バグなく動きゃあいいんだろ、ああ!?」とでも言わんばかりの勢いでとんでもない処理を追加してきてしまいました(爆)。まぁあのやり方のがコードの記述量も少なくて済むしね?
・・・明日の添削が怖いです・・・。
2001年5月7日月曜日
『ハンニバル』鑑賞記
まぁしかし始まっていきなりモノクロのコマ送りのような画面で流れる『ゴールドベルク変奏曲よりアリア』にはやられました。前作ではこの曲が凄惨な殺人の場面を異常なまでに静かで美しく演出していたわけですが(詳細は当HPの映画鑑賞記参照のこと)、今回もその手法は見事に踏襲。凄惨な場面で不必要に緊張感を煽らず、あくまで静かに平静に狂気を見せていくやり方は個人的には好きですね。今回は派手なアクションシーンがあるわけでなく、きらびやかなSFX画像が入るわけでもなく、表向きは比較的地味に終始進んでいくのですが、その中で随所に垣間見えるDr.レクターの美学にはしびれました。この映画の見所はそこに尽きます。まぁグロイ場面も多いし、盛り上がりどころはわかりにくいし、あまりカップルとかで行くのをお薦めする映画ではありません。っていうか映画終わった後、誰も喋らないもんだからいやに映画館静かだったし・・・。そらまぁ話題作だからってカップルで観に来てあれじゃあ言葉もなくしますわな。『羊達の沈黙』をちゃんと観て感動してから来よう。
そしてその足でタワレコに行き、金もないのに思わずアル・ディ・メオラのCDを3枚も衝動買いしてしまいました。いや、CD屋に行くのはやめられるんですけど、一旦CD屋に入ってしまったら衝動買いはやめられない・・・。おかげで給料日までのピンチ度が増しました・・・。
2001年5月6日日曜日
2001年5月5日土曜日
風邪薬あれこれ
しかしまぁ今更言うことでもないかもしれませんけど、市販の薬って基本的に対症療法だけですからね。例えば喉の痛みとか頭痛といった症状を緩和することはできるけど、風邪そのものを治すわけではないのですよ。風邪の原因はウイルスや細菌。市販の風邪薬にそれらを殺す成分が入っているわけではありません。結局風邪を治すのは自分の体力なわけです。だから軽い風邪で頭痛とかそういう症状が耐えられる程度のものであるなら、風邪薬なんて飲むより栄養剤でも飲んで寝てた方がよいです。睡眠は抵抗力を高めてくれるので、風邪ひいた時はとにかく寝ましょう。
医者の薬だって似たようなものです。医者が処方する総合感冒薬の定番PL顆粒とか、見事なまでの対症療法薬です。でも、実際問題いわゆる風邪には根本的な治療法ってないんですよ。先述したように風邪の原因はほとんどウイルスです。真先に細菌感染症からくるケースはほとんどないです(もしそんなのがあった場合は急性肺炎とかになる。もはや風邪と言うにはデンジャラスだ)。とすると、医者が抗生物質を処方したとして、その抗生物質が風邪のウイルスを殺してくれるわけではありません。あくまで二次感染としての気管支炎他細菌感染症への対処なわけです。対ウイルスの薬と言えばワクチンですが、風邪のウイルスなんていくらでも違うのがいますから、「風邪に効くワクチン」といって投与するのは現実問題無理があります。どのウイルスかによってワクチン変えなきゃいけないんですから。インフルエンザは過去の傾向から「今年はこれが流行るだろう」という予想で予防接種のワクチン投与してますからね(爆)。
ちなみに今日私が買ってきたパブロンSゴールド、これは「塩酸ブロムヘキシン」という成分を含有していることをウリにしていますが、ではこの「塩酸ブロムヘキシン」とは一体どんな成分でしょう?一言でいうなら痰きりです。痰を出しやすくするのですね。まぁ痰の主成分であるムコ多糖体の蛋白結合をたたき切ることで低分子化、要はネバネバをなくして痰を出しやすくする成分です。何故これがパブロンのウリなのかわかりませんが、とりあえず咳と痰の風邪にはよいでしょう。他には消炎酵素成分である塩化リゾチーム、解熱・鎮痛成分アセトアミノフェン他、咳止めや鼻水止めなど大抵の風邪の症状に対処できるよう成分が配合されているようです。
2001年5月4日金曜日
ATMを探して
2001年5月2日水曜日
手詰まり
今は先週(の水曜日から)勉強してきたVBのまとめも兼ねて電卓を作っています。納期は明日。締切ギリギリ一杯です(苦笑)。最初は順調にいっていた電卓作成も、四則演算とその周辺処理が終わってより細かい機能を付けつつデバッグを繰り替えしていた頃に突然手詰まりになり、今日は最後二時間ばかりほとんど画面とにらめっこして過ごしてました・・・。っていうかVBでの電卓作成ごときで手詰まるなよな、俺・・・。
2001年5月1日火曜日
正義とは?
力なき正義は無力である
では、正義とは何か。ここで注意しなければならないのは、「正義」という言葉の意味は決して「正しい」ということとイコールではないことである。いくら理想を掲げて正義を唱えてみても、それは「正しい」こととは限らない。あるいはその理想は正しいかもしれない。そして力も伴っているかもしれない。だが、その「力」の行使の方法を間違ってしまえば、それはやはり「暴力」になりえるのではないか。あるいは、「理想」そのものが「理想」の段階で終わってはいないか。「理想」というのはあくまで主観的なものであり、個のものとして始まる。主観は常に絶対のものとしては存在しえず、絶えず周囲の反応に曝される。この場合周囲とは客観ではない。周囲もまた各々の立場からの主観に過ぎないからだ。その中で「理想」という主観を周囲の「主観」にぶつけ、「間主観」としての妥当性を探っていくことで「理想」は洗練され、受け入れられていく。妥当であることは妥協ではない。主観と主観の間にあるギャップを埋めていくことだ。それができなければやはり「理想」は個のままでとどまり、周囲に受け入れられることなく孤立していく。そして孤立した「理想」の行使は同時に暴力になりえる。それは周囲の主観にとっては受け入れられないものだからだ。それは周囲の主観には「理想」としてではなく「狂気」と受け取られるかもしれない。「理想」の難しさ。それは個として孤立したままでは「理想」として作用しえないところにある。主観と主観の間を探る、それは妥協でもなければ敗北でも決してない。ただ「理想」をより高めるための止揚である。弁証法哲学はその意義を問いかけた。現象学はその立場を深めた。もう一度考えてみよう。個としての孤立した理想ではなく、間主観的立場から妥当性を得られる理想こそが「正義」として機能し得るものではないだろうか。今、私はここに「正義」の意味を再定義する。「正義」とは「間主観的立場から妥当性を得られる理想」である。その定義のもと、再び最初の言葉に今帰ろう。
2001年4月25日水曜日
祝20,000Hit
祝!20,000Hit企画
2001年4月23日月曜日
配属初日のエトセトラ
が、悲劇はそれで終わりません。とりあえずは無事新しいマシンをもらうことができ、私は「お~、IBM NetVistaだよ!Pentium3だよ!!!!!」と喜んでいました。そしてチャッチャとセットアップを終え、電源を入れます。OSがWin98なのが痛いところですが、そこは気にしちゃいけません。どうせすぐフォーマットしてOS入れ替えるんだから。・・・が、悲劇はそのOS入れ替えのためにバイオスをいじって再起動をかけた時に起こりました。再起動をかけたはず。かけたはずなのに、いつまで経っても画面が上がってこないのです。確かに電源は入っています。おや?と思いました。不信に思った私は、何度も再起動をかけてみましたが、やはり画面は真っ暗なまま、PC本体には通電している証のライトのみが点灯します。最初はモニタがいかれたかな?と思っていました。何しろ私に割り当てられたモニタは、一応IBM純正ではあるものの、先輩が「これゴミ捨て場で拾ってきたヤツだから」と明るく笑いながら渡してくれたもの。そんなエピソードを聞かされてはまずモニタを疑わない方がおかしいです。で、そのモニタとルームサーバのモニタを取り替えて、再度私はトライしてみました。が、結果は同じ。先輩と色々検討した結果、「初期不良だな」という結論に達しました・・・。
そして私はその事実を、新人用PC仕入れ担当の方の所に報告しに行きます。そしたら「代わりのPCないから明日朝一にここに電話してください。今はもう営業時間外ですから。以上」と簡潔に切り上げられ、渡されたのはIBMサポートセンターの電話番号・・・。なんてこったい!せっかく支給されたNetVistaも、これではただのガラクラです。IBMサポートセンターの人が早く直してくれることを祈りつつ明日電話をかけますが、とりあえず緊急に私に割り当てられたPCのスペックはなんとMMX 166mhlz・・・。166って、ウチのMacと一緒やん!?しかもウチのはPowerPC 604e、MMXなんかよりはずっとマシなCPUなのに・・・。仕方がないので泣く泣くその代理マシンにJAVA2SDKを入れ、秀丸とJAVA開発用マクロを入れ、心に鬼を抱えながらJAVAの勉強をして今日の初勤務は暮れていきました。あ~、もう。社会とはかくもせち辛いものなのですな・・・(泣)。
浜崎あゆみ『Never Ever』
ところで、キリンサプリのCMの曲が前々から「カッコいいなぁ」と気になっていた私は、どうやらあの曲は浜崎あゆみの曲らしいということを聞きつけ、今日CDレンタルで浜崎あゆみのベスト盤を借りてきました。が、・・・な~んと、サプリのCMの曲、そのベスト盤に入ってなかったんですねぇ(苦笑)。浜崎あゆみの公式サイトで調べたところ、あの曲『Never Ever』というらしいです(調べてから借りに行けゆーねんなぁ・・・)。やられました。だがしかし、そのベスト盤、聴いてるとこれがまた結構カッコいいんですよ(笑)。「浜崎あゆみいいじゃん!?」とか思ってしまっています。名前が微妙にかぶってるのが気に入らないところではありますが(苦笑)。しかも本名の漢字表記はまったく同じだったしな・・・。
しかし浜崎あゆみの公式サイトを検索したついでに、非公式なファンのページもいくらか回ってみたのですが、どうやら皆さん彼女の歌詞に結構ひかれているようですね。歌詞について哲学的な考証を行っているサイトまでありました。当日レンタルで借りて、MDに録音したら速効返してきたのでまだ歌詞はよう聴いてませんが、そんなにいいのでしょうか。ちょっと注意して聴いてみましょう。何はともあれ『Boys & Girls』や『appears』がカッコいいです。おかげで今日商品券で買ってきたアル・ディ・メオラのCDまだ聴いてません(爆)。
2001年4月22日日曜日
新入社員歓迎会にて
そして昨日はわが社の新入社員歓迎会。列席者は社長以下役員・グループ長クラスの方々と我々新人。赤坂の中華料理屋で、かなり緊張に気押され気味の空気の中北京ダックなどの豪勢な料理が出てくるという、実にシュールな会でした。といっても緊張してたのは最初だけで、途中からはもうリラックスして飲みつづけたのですが(爆)。まぁまぁ僕ら開発系の席にいらっしゃった開発系のグループ長の皆さんは概ね20代後半から30台前半とお若いのでね。その意味ではまだ気楽でした。隣に座っていた第2グループのグループ長殿には、注がれたら注がれただけ酒を飲み続ける僕に「君はそこなしか?」と呆れられましたが・・・(苦笑)。
そして一次回が終わり、二次会へ・・・。最初は社長以下30人近いグループでカラオケへ行って、社長の熱い歌で二次会は始まっていたのですが、これではたまらんという開発第2グループ(僕は第3ですが部屋が同じ)の同僚オイル君の提案で、システムショリューション(開発)の連中だけで抜け出して他へ行かないかとのことになり、第2第3のグループ長を誘って抜け出して他所のカラオケへと出かけました。そして営業第3の二人を交えてのカラオケが始まります。カラオケ自体久しぶりだった僕は、思わずハッスルしてしまい、ここでまたも二人のグループ長殿の僕に対する価値観を変えてしまいました(苦笑)。まぁ僕の歌を知っている方にはその様子は想像に難くないでしょう。幾度もCELに激しいツッコミを入れられ、第2のグループ長殿に「真面目だと思っていたのに酒は飲むは歌うは・・・」とまたも呆れられ、昨日の夜は更けていきました。といっても終電で(おそらく)帰ってきましたけど。昨日散々飲んだ割には今日への後遺症は珍しくほとんどなく、朝から快適に動いていましたとさ。
2001年4月19日木曜日
開発の研修ではないけれど
そして今、『バーデンジャズ組曲』の株が再び私の中で急上昇中です。あの曲はやはりよいよ。とりあえず『シンプリシタス』のみ弾いてみたのですが、弾いてみるとやはりよい!あのどこか物悲しげなイントロからボサノヴァ調のリズムに切り替わる瞬間がたまらなくよい。運指のパターンを見切れば割に弾きやすそうだし、本格的に弾こうかなと考える今日この頃です。
2001年4月17日火曜日
轟沈
2001年4月16日月曜日
2001年4月15日日曜日
みなとみらいの休日
そして日が暮れるのを待って、定番中の定番、ランドマークタワーに繰り出してきました。地上296m、日本で一番空に近い展望台と謳うランドマークタワーのスカイガーデンからの夜景は、やっぱり素晴らしかったです。まさしく「人がゴミのよう」でしたからね。しかしあそこのエレベーター、69階296mを40秒そこそこで一気に登り切ってしまうスピードにはビックリしましたね。思わず「速い!」と心の中で叫んでしまいましたからね。みなとみらいではアトラクションもエレベーターも、とにかくすべてが速いようです。しかも全然揺れないし。おそるべしみなとみらい21地区。今度またいつか、もっとゆっくり何があるのか調べてから遊びに行ってきたいと思います。
2001年4月13日金曜日
MacでJavaを、妄想中
ならいっそのことCode Warrior(スペル不詳)やVisual CoffeeといったMac用の開発ツールを購入してきたらどうか?これだとご予算が10万円前後といったところでしょうか。これなら今のマシンにアプリケーションをインストールするだけで手っ取り早く開発環境を構築することができます。が、今の私のマシンには、HDの空き要領が400MBそこそこしか残されていません。この上ここにCode~やVisual~のような重いアプリケ-ションを入れ、さらにJAVAなんて修行し始めた日にゃあ・・・。恐らくあっという間に練習で作ったJAVAアプレットやJAVAアプリケーションでHDが埋め尽くされてしまうことでしょう。そしてこのマシンの性能的な寿命が来ているという問題も回避できません。
とすると残された手段は、思い切って新規マシンの購入。これなら選択肢次第ですべての問題は解決します。必要予算が20万からというのが痛いところですが・・・。まぁまぁ金銭的な問題はとりあえず置いておいて、新規マシン購入の路線を少し詰めてみましょう。まずはOS。JAVAを開発するのを第一条件にすると、まともに考えるならやはりWindows系が無難です。WindowsにそのままJAVA2を入れてもO.K.だし、パーティション切ってLinuxやFreeBSDを入れた上でJAVA2を入れるというのもアリです。しかし、会社でWindows2000にJAVA2を入れてプログラムを組んでみたのですが、メモ帳でプログラムを書くのはハッキリ言ってうっといです。いちいちメモ帳で書いたソースをDOSのコマンドプロンプトでコンパイルし、できたクラスファイルを組み込んだHTMLファイルをまたWindowsに戻ってメモ帳で書く・・・。行ったり来たリがうざったすぎます。秀丸とか使ってもその点は変わりありませんしね。その点やはりUNIXならMuleで書いて、プロセスを一旦切ってコンパイル、そしてまたすぐMuleでファイルを書いて・・・、っていちいちマウスとか持たなくても全部処理できますからねぇ・・・。やはりやるならUNIX環境ですな。しかし、やはりMacでJAVAを、という私の夢は消えません。MacOS X serverには確かJAVA2が標準装備されているはずです。それはどの程度使えるものなのでしょう?MRJみたいに中途半端に使えないのは勘弁してくれよ、と私は今日研修が終わった後、ひたすら本屋でMacOS Xについて調べてきました。そしたら・・・!
やはりMacは熱い!MacOS Xは名前はMacと冠されているものの、その仕様は実質UNIXに近い。少なくとも開発環境という面ではほとんどUNIXと同じ感覚で作業することができそうなのです。しかもやろうと思えば名前の通り当然サーバも組めるし、UNIXのシェルが使えるのもありがたいです(しかもbashも)。ハードディスクのパーティションを切る時にフォーマットに気を付けてあげればMacOS 9.X以下のMacOSとのマルチブートもでき、共有ドライブを作っておけばそこを経由してのファイルのやりとりもOS Xと9.X以下で可能です。ということは、40GBのHDのモデルを買って、22GBをOS Xに当て、10GBをOS9.1に当てる。そして3GBくらいのパーティションも切って、そこに今の8.1のシステムも全部丸ごと入れておいてそこからもブ-トできるようにしておけば(OS8.1以降なら0S Xとのマルチブートは可能)、今の資産もある程度活かせる。もっともCPUが全然違うのになるわけだから、当然動かないアプリケーションとかもあるだろうけど。そして5GBをOS間の共有ドライブにして、残った領域は後々のためにとっておけば・・・。夢は膨らみます。やはりMacでしょう。今週末に急遽秋葉原に行き、後先考えずにPowerMac G4を買ってきてしまいそうです。ああ、ヤバイ、ヤバイ。しかしJAVAの開発環境が家にほしいという思いは切実。何といっても仕事ですからね。20数万円の先行投資、生活を投げ打ってでもすべきか否か・・・。実に悩ましいところです。
2001年4月12日木曜日
友人とカレーを
しかし彼の家にはでっかいずん胴の鍋やらなにやら、かなり本格的に気合の入った調理具が並び、食器もたくさんあり、きちんと買ってきた食べ物も盛り付けて出してくれる辺りは素晴らしいです。そこへいくと俺なんて料理はしないは、飲み会の時買ってきた食べ物は適当にそのまま出すはですもんね(苦笑)。ちょっと見習って俺もせめて人が来た時に食べ物を出すのはもうちょっと気を使おうかなぁとか考えてもみたり。酒ならね、お手製のカクテルでも出してあげられるのですが。といっても京都を発つ時皆にカクテルの材料を配ってきて今部屋にはビールとウイスキーが残っているだけなので、その際にはまた材料を買い込んでくる必要があるのですが。・・・給料入ってからだな(爆)。
2001年4月11日水曜日
研修の日々
そう、昨日からちょっと筋トレを始めてみました。いや、先週は4日も飲み屋で飲んでたし、昨日も一昨日もラ-メン屋のちゃんとしたラーメンな食事だったし、非常に高カロリー・高タンパクな食生活をしているので、「これはヤバイ!」と思いましてね。このままではプクプクになってしまうという危惧を抱いた私は、日頃の運動不足の解消の意味も兼ねて筋トレを始めたわけです。とりあえず腕立て、腹筋、背筋を各20回*3セット。昔からすれば何ともないメニューですが、いやいや歳はとりたくないもので、これでも結構辛いのです。目指せマッチョといった無謀な夢は見ませんが、せめてこのくらい楽にこなせる体力を戻したいものです。
2001年4月9日月曜日
空を見上げてる
泣き出しそうな空を
うつむけばこぼれるよ
だからまだ、ここで、光が差すまで
今日、部屋のベランダに座り込んで、なんとなく空を見上げていました。私の部屋は1階ですが、この建物自体が丘の中腹のようなところにあるため、目の前は古びた家屋の屋根と森が広がり、視界の右上方、丘の上にはかなり大きいファミリーマンションが見えます。私の部屋のベランダから見上げる空は、その森の木々とマンションに遮られた形で、多少限定されて広がっています。ベランダに本当に座り込んた状態できつくなった角度で空を見ようとすると、本当に見上げるような格好になります。空を見上げる。思えば、この"見上げる"という感覚はここ最近ずっと忘れていたような気がします。大学生活の中、ほっておいても回生は上がり、3回生になったら何の疑問もなく執行部として役職に就き、4回生になったら元老院のようなものです。その小さな社会の中でそれなりの自信を持って生活していた私は、気付かないうちに井の中の蛙になっていたのかもしれません。
今、私はこうして現実の"社会"というフィールドに放り出されています。まだまだわからないことだらけです。働いている先輩方を見る。「これはかなわないな」と思うことも多々あります。現時点でかなわないのではなく、いつまでたっても、です。この"社会"では右を見るにも左を見るにも、今の私はいちいち見上げてみなくてはなりません。このベランダから見上げる空の景色は暗示的だな、とそう思ったりもします。少なくとも私の現状の景色です。いつか見上げずに景色を見られる時が来るのでしょうか。その時は、もしかしたらまた私はこうして空を見上げる感覚というものを忘れてしまうのでしょうか。
2001年4月8日日曜日
飲み過ぎな日々と帰宅時間
まぁまぁ飲む確率どうこうはとりあえず置いておいて、この一週間(というかこれからもですけど)研修の日々が続いていた私は、昨日やっと同じグループの一つ上の先輩達と話す機会があったのですが、どうやらウチの会社の我がグループは、平日は先輩曰く「何時に帰れるかは聞かない方がいいよ」という感じで、でも土日は「この一年で土曜に出勤したことは2、3回しかないなぁ」とのことでしたので、私は「ああ、土日はとりあえず休めるんだ」とほっとしています。まぁ土日さえ休めればギターを弾くくらいのゆとりは持てますからね。今日も私はCELと共に夕方出かけるまでは洗濯とギターに命を燃やしてました。次は何弾こうかなと考えますが、とりあえずスカルラッティの『ソナタK.11』辺りで攻めようかなと思います。やっぱバロックでしょう。っていうか在学中私は思ってるよりバロック弾いてませんでしたしね。しかもスカルラッティって何故か皆あまり弾かないし。バッハやヴァイスは結構いるのに・・・。まぁまぁのんびり弾きます。
そう、明日はメールの返事が書けてない方々に返事を出して、できれば『何もない未来へ』の続きも書きたいなぁと思っています。
2001年4月5日木曜日
今日も今日とて
虚しい部屋へ
2001年4月4日水曜日
入社二日目の二日酔い
そう、会社が終わった後に新人が10人程集まって、渋谷の飲み屋で飲んでいたのです。まぁ研修が終わって本格的に仕事が始まってしまったら同期の人間で飲みに行くのもそう簡単ではなくなるだろうということで、まずはちらっと行ってきました。そしてその会はまぁジャスト二時間、8時過ぎくらいには終わったのですが、7月の研修で仲良くなったCELの下宿が日吉から渋谷方面に二駅行った武蔵小杉であることが判明、「近いなぁ、じゃあ武蔵小杉で二次会行く?」ってことになり、本当に武蔵小杉で終電の時間になるまで二人で大いに飲んでました。ほとんど昨日は総計六時間弱の間飲み屋で飲み続けていたことになります。やりすぎです(爆)。おかげで今日は一日体調が悪く、死んだ魚のような目をして研修を受けていました。しかし酒が残っている状態での朝の満員電車は凄まじくハード。もう次の日出社しなけりゃならないときはこんなに飲むの止めよう、と本気で思いましたね。しかし入社一日目からこの調子です。やっぱりそんなんばっかりか!?
2001年4月2日月曜日
入社前夜
2001年4月1日日曜日
2001年3月30日金曜日
初ギターin日吉
なので今日は用事を済ませてからは家で初ギターin日吉をやっていたわけですが、いやいや『曉の鐘』は順調な仕上がりを見せつつあります。実はさりげに2月頭くらいから弾いていた曲、だがしかし衣笠クラギタの人間といえど私がこの曲を弾いている姿を目にした人間はほとんどいないでしょう。あまり人前で弾きませんでしたからねぇ、この曲。仕上がりがもっと早ければ最後にタルレガ発表で弾いて去っていこうかとも考えていたのですが。E.S.デラマーサの名曲『曉の鐘』。実はなにげにナオエ先生と藤井敬吾先生の両氏に見ていただいた最後の曲でもあります。まぁまぁ学生時代最後の名残りとして丁寧に仕上げてあげようかなと、トレモロの基礎力養成から地道にやっていってます。綺麗な曲なんですよ、これがまた。霧の深い、たくさんの寺院がある外国の風景、その夜明けに遠くこだましていく鐘の音・・・。そんなイメージの曲です。トレモロ曲の中では一番簡単(少なくとも『アルハンブラ宮殿の思い出』や『最後のトレモロ』よりはよっぽど弾きやすい)な曲ですし、機会がありましたら皆さんも是非弾いてみてください。
今日の一言:チッ、部屋が片付かねぇ・・・。
��ならギターなんて弾いてないで片付けしろゆーねんなぁ)
2001年3月29日木曜日
更新再開@日吉
さて、私の新居は大物は大体整理し終わったものの、まだ衣服や本などが大量に段ボールの中に入って放置されている状態です。部屋がこれまでより広いのが助かるところ。あの大量の荷物も(多少は京都を出る時間引いたとはいえ)そんなに苦になりません。とはいえまたすぐ汚くなるのかもわかりませんが(苦笑)。私が移り住んだ日吉というところは、慶應のある学生街なので商店街などが発展していてそれはなかなか便利で結構静かで綺麗なところなのですが、いかんせん周囲が山のため坂が多い・・・。私の家の玄関に入るには、どう転んでもBKC前の心臓破りの坂の2/3位の長さで1.2倍くらいの傾斜の坂をクリアしなければなりません。はっきり言って疲れます・・・。しかし綺麗なマンションです。カードキーでのオートロックというのが私の中では斬新です。日吉駅前の東急は、無印やユニクロ、ベスト電気に天一書房となかなか使える店がたくさん入っていることが判明しました。坂が多いのを除けば非常に住みやすいところです。皆さん、東京・横浜方面に来られることがあったら是非我が新居に遊びに来てください。歓迎いたしますよ。
しかし関西に『関西ウォーカー』があり、東京に『東京ウォーカー』があるように、横浜にも『横浜ウォーカー』なるものが存在します。そして今出てる『横浜ウォーカー』で日吉の特集をやっていたので、「うん、これは家の近辺を探るにはいい資料だ」と思い購入、確かにそれは地図も付いていて色々と有益な情報は仕入れられました。ですが!そこで同時に宇多田ヒカルの特集やってたんですよ。で、駅前の東急でも彼女のCDの即売所みたいのができてて、それはいいと言えばいいのですが、その特集や売られているCDのジャケットをみていて思うことがあります。それは、
・・・絶対ヤツ1stの頃と顔違うだろ!?
2001年3月22日木曜日
クレージーより最後の更新
そして20日は卒業式。式自体はまぁ大して感慨の湧くものでもありませんでしたが、その後文学部の仲間やクラギタの面々と最後の写真撮影などし、クラギタ面子でカラオケに向かい最後の絶叫をし、私はそれを途中でちょっと抜けて近くでやっていたゼミコンに顔を出して先生に挨拶し、その後皆が飯を食っている間に私とキムとPCKで部屋の大掃除をした後に(ありがとうよ、キム&PCK)いよいよ「クレージー最後の晩餐」は始まりました。1回生の頃から何かと皆のたまり場になり、数々の伝説を生み出してきたこのクレージー西ノ京。この部屋とも23日でお別れ、今回が本当に最後の晩餐です。詰め込んだり14人、6.5畳の私の部屋に、よくもこんなに入れたもんだという凄まじい状況の中、最後の晩餐は行われました。絶好調によっぱらうにらめっこ、熱く語りあうキムとうーやん、やっぱりガスか元王子、寝方が変だぞうーやん、とやはりそれはいつものように盛り上がり、いつものように夜はふけていきました。4年間皆に愛用されたこのクレージー301号室に感謝です。色々と楽しい思い出ができました。そうでない思い出ももちろんありますが、この部屋では実に色々なことが起こりました。蛇足なようですがこの雑記帳が生まれたのももちろんこの部屋でです。きよが思わず振り返る(?)特有の匂いがこの部屋にあったとしても、私があまり掃除をしない上にやけに物が多いのでかなり雑然とした様相を呈する部屋であったとしても、私はこの空間が気に入っていました。皆と楽しく騒げる部屋でした。色々考えたりもできる部屋でした。のんびりボ~ッともできる部屋でした。当たり前のことかもしれませんが、それが結構最高です。
そんなこの部屋ももう本格的に引越しの準備が始まり(遅いって?)、もうコンポもバラしましたしパソコンデスクもキムに譲渡しましたし、CDやMDも全部片付けました。明日にはMacもバラすので、しばらく日記の更新もできなくなります。どこかから、せめてBBSには来たいと思っていますが・・・。27日に新居に入れるので、早ければその日に更新を再開しますが、まぁなかなかそうもいかないでしょう。今日がとりあえずクレージーからの最後の更新です。皆さん、これまでありがとうございました。今後も『あゆむの雑記帳』は本拠地を横浜・日吉に移し運営を続けていきます。どうぞよろしくお願いします。そしてこの4年間の間に出会ったすべての人達に、心からの感謝を述べさせてもらいたいと思います。おかげで自分で大学に来てよかったと思える素晴らしい時間を過ごすことができました。多くの人とは遠く離れてしまいますが、今後もまた、よろしくお願いします。
2001年3月18日日曜日
クラギタ卒業旅行
次の日宿を出てから、自転車で来ていたPCK、元王子、キム、ヤクザの4人は宿の近くの酒蔵を見学に、きよの車で来た連中はあまりの天気の良さに目をくらまされ、帰りの足でそのまま琵琶湖一週の旅へ、私とジャンクスはにらめっことともみ嬢を京都駅で下ろした後、後輩が合宿をしているホウライへと散っていきました。そして私とジャンクスは後輩が関大交歓演奏会の通しリハをやっているのをしりめに、現職C技が横で練習しているにも関わらず、それでもおかまいなしに一局将棋をさしてきたのでした。私は後輩に指導者指導をした後、二条駅に帰れる最終の湖西線に乗ってギリギリで帰ってきましたとさ。忙しい話です。そして明日は四国を目指して旅立ってきます。果たしてどこまで行けるかわかりませんが、気合入れて行ってきます。
2001年3月15日木曜日
BOXにある譜面を全部コピーしよう計画
そうそう、無事に卒業できることがきまりました。あまり感慨も湧かなかったのですがね・・・(苦笑)。
2001年3月13日火曜日
最後のRainbow-STAFF勤務
思えば当時は清心館にOPRがあり、しかもそこにはMacが入っていたのでした。私が一回の頃は恒心館にOPRはなく、代わりに研心館や西園寺記念館にOPRがあったのです。有心館にもありました。図書館と尽心館だけは今も昔もOPRがありますね。そしてMacとWindows3.1が当時OPRに入っているマシンでした。今みたいに安定して動くNTでもなく、imapもWeb Mailもありません。ATSONだけは当時からありましたが・・・。少しずつ便利になっていくRainbowのシステムを、STAFFとして三年間変容に置いていかれないようにしながらも常に他の学生より先にそのシステムに触れて学べる機会に恵まれていたわけです。思えば素晴らしい仕事でした。
私もSTAFFとして色々な経験を積んできました。通常の勤務の他にリエゾンオフィスで書類の整形や大学組織図の作成の仕事をやったこともありましたし、二年前ウチの大学の文学部のホームページをリニューアルしたのも私です。ホ-ムペ-ジ作成講座の講師も何度かやりましたし、2回生の時には新しく入ってきた新人さんの研修チーフもやりました。3回の春には大学が新入生に課した初歩的情報リテラシーの講師を勤め、4回の時には新人採用の際の面接官のまとめ役もやりました。その中で特に、知識を持っているだけでなく、目の前の状況に持ち前の知識を柔軟に対応させて解決を見い出さなければならないということは経験を通じて学んできました。それはSTAFFの仕事以外でも色々なところで役に立つものでしょう。3回と4回の時は部活や就職活動に忙殺され、STAFFの飲み会などは行く機会がほとんどなかったため、STAFFの中では私は普段案外目立たない存在だったかもわかりませんが、私はRainbow-STAFFの仕事に誇りを持っていました。憧れて始めた仕事です。本当に積極的に関われたのは2回生まででしたが、それでもいい経験をさせてもらったと思っています。本当はもう少し積極的に関わる時間がほしかったんですけどね、人間の時間は無限にあるわけじゃありません。残念ですが・・・。
今日最後図書館のコンピュータの電源を落とし、今年から着ることになったRainbow-STAFFの赤いジャンパーを脱いだ時は「もうこれに袖を通して勤務に就くこともないんだな・・・」と思って少し寂しくなりました。こうして大学でやってきたことの諸事に一つ一つ終わりが訪れていきます。その度いちいち感傷的になってしまいます。でもそうして感傷的になれるということは、自分はそれだけそのことに対して頑張ってきた、誇りを持ってきたということなんだなと今日思いました。自分が力を入れてきたことに終わりの時が訪れるのは寂しいことですが、終わった時後悔することなく、少しくらい感傷的になったとしても、それでも「自分はやったんだ」と思えることがあるというのは、・・・いいことなんじゃないでしょうか、やっぱり。
2001年3月12日月曜日
学生時代ラスト・コンサート@喫茶アルハンブラ
今日は私自身の『グラナダの花』はお世辞にも出来がいいとは言えなかったのですが(暗譜したの昨日だったしなぁ・・・)、それでも何だか妙にさっぱりした気分なのは聖帝にマンゴレと最後一緒の舞台に立てたおかげでしょう。これを最後に私が人前で舞台に立って弾く機会はもう数年単位でないと思いますが、最後にマスターに去り行く4回生へといった感じでサザンの『TUNAMI』を弾いていただき、4回生で写真も撮って、気分よく終わることができました。今日来てくれていたすべての仲間、特に快く誘いに乗ってくれた聖帝とマンゴレに感謝です。またいつか一緒にやりましょう。その時は重奏もできたらいいですねぇ・・・。
2001年3月11日日曜日
頭痛、演奏会前夜
2001年3月10日土曜日
無題
しかし最近食生活がまた乱れています。昨日は朝飯に麦チョコを食べて以来晩飯まで何も食べず、しかも晩飯もコンビニ焼そばというていたらく。今日は今日で朝にパンを一個食べてから夕方まで何も口にせず、6時前にあまりの空腹からスパイシーでカレーを食べてそれっきりです。何だかなぁ・・・。
2001年3月9日金曜日
藤井敬吾先生に習う最後のレッスン
藤井先生のところに通い始めたのは昨年10月末から。約半年稽古をつけてもらいました。短い間ではありましたが、基礎力の養成に壁を感じていた私に改めて基礎の大切さと大切な基礎を一から仕込んでくださったのは大変勉強になりました。半年では教えてもらったことを完全に身に付けるまでは到底至りませんでしたが、どこに気をつければいいのかはわかったのでこれから気長にやっていこうと思います。今日は細かい技術のレッスンというよりは、社会に出てギターを弾く時間も少なくなる中でいかに効率良く技術を上げるか、一人で弾いて上達していくにはどうすればいいか等を聞かせてくれました。元々は手を壊さないようフォームの矯正のために藤井先生の門を叩いたわけですが、それ以上の技術や知識を教えていただくことができ、実に実りの多いレッスンだったと思います。最後には私がお願いしたAngel Barriosの『トナディージャ』の譜面も「人にあげたりしないでね」と言って快く渡してくれ(市販されているものとは違うホセ・ルイスとその門下生が校訂した版らしい)、「また東京で会いましょう」と言って玄関まで送ってくださいました。いい先生です。最後に改めてそう感じました。先生から教えていただいたことをしっかり身に付けて、社会に出てからもずっと手を壊さずにやっていきたいと思います。一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから・・・。
2001年3月8日木曜日
大切なものは何ですか
誰かにいきなりそう聞かれた時、
あるいは自分で自分に向かってそう問いかけた時、
あなたは即座に答えることができますか?
即座に答えることができなかったあなた、
あなたは大切なものがわからなくなっているのですか?
それとも大切なものがたくさんありすぎて即答できなかったのですか?
即座に答えることができたあなた、
答えたことは本当にあなたにとって大切なものなのですか?
大切だと思い込もうとしているものではありませんか?
大切なものなど何もないと答えたあなた、
・・・あなたは寂しくありませんか?
大切なものは何ですか?
自分自身に問いかけてみます
それまで自分が大切だと思っていたことが実は
大切だと思い込もうとしていたもので、
捨ててもいいと思っていたものが、
実は何より大切なものだった
そんなことも、またよくある話です
今の僕にはそれすらよく見えません
一体何が大切なのでしょうか
何もなくても生きていけるような気もしてて、
でもやはりそれは哀しいなという気もしてて、
結局曖昧な中に答えは沈み、
結局答えは見つかりません
昔は何かあった気がします
必死で守らなきゃいけないことも、
必死でつかもうとしていたものも
今は何も見えません
それでいいのだという気もします
きっと少し疲れているんだ
そう思えば片付くこと
いつかこんな問いかけをしたことも忘れた頃に
ふと周りを見たら大切なものがあると願って・・・
自分と向き合うことからさえ逃げたくなった
そんな自分へのモノローグ・・・
2001年3月7日水曜日
バイオリンソナタト短調『悪魔のトリル』
・・・というわけで、ここ数日タルティーニのバイオリンソナタト短調『悪魔のトリル』にはまっています。演奏はグリミュオーので聴いてます。いや、美しく、そしてやはり最終楽章の"悪魔のトリル"はあやしくカッコいいっ!!! この曲こんなにカッコいいのにギターへの編曲版はないんですよね~。なら一発わしがギターに編曲したろかと思いつつ、でもバイオリンの原譜見付かるかなと思っていたわけですが・・・。ありましたありました。それも立命の図書館に(爆)。結構譜面ありますよ、あそこ。バッハの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータはもちろん、スカルラッティのピアノソナタなんかも有名どころは網羅してます。ギターの譜面も『グラン・ホタ』とか意外なものが結構・・・。卒業までに使えそうなのは一通りコピーしておきたいものです。皆さんも一回図書館で譜面探しをしてみては?
ちなみに『悪魔のトリル』は別途MIDIも発見することができました。本気でギター用に編曲するかどうかは謎ですが(編曲しても弾く機会もうないしね)、とりあえず準備だけは万端です。そういやコレルリの『ラ・フォリア』もバイオリンからギターに編曲するとか言って途中で止まってたな・・・。ヴィターリの『シャコンヌ』もギターで弾けたらカッコよさそうだな・・・。誰か俺と一緒にバロック時代のバイオリンソナタ片端からギターに編曲しようよ・・・。
2001年3月6日火曜日
近づく旅立ち
2001年3月5日月曜日
病み上がり
2001年2月27日火曜日
ドタバタ
そう、新潟昨日今日となかなかハードに雪が降ってましてね、その影響かわからないのですが、実家ではPHSが使えなくなっているのですよ。夏は問題なく使えたんですけどね・・・。圏外表示がされてるわけでもないのに全然つながらん。私は雪が電波を乱しているのだと勝手に解釈しています。おそるべし、雪・・・。
2001年2月20日火曜日
寺田屋拝見
さてさて、『何もない未来へ』の第五章、アップしました。ついでに第四章、早速ですがちょいと手直しが入りました。とりあえず書けるうちに書いときます。今日なにげにエンディングまでの構成を計算し直してみたら、まだ実は結構書かなければいけないことが判明。東京に行く前に書いておかないと、また一年とか続きを書かずにいそうなので、できれば京都にいる間に完成させたいのですがどうなることやら・・・。
2001年2月19日月曜日
尚永ギター教室発表会
演奏の方はまぁ細かいミスはそらありますが、大方無難に弾けたのでとりあえずは及第点かなと?ただし総じて粗さが目に付きました。まぁ今回は定演で弾いた時とはちょいとバージョンを変更しまして、『ブエノスアイレスの夏 ayumバージョン(別テイク)』って感じのものにして弾いてました。細かい変更なんですけどね。部分的に和音をアルペでばらしたりカッティングのリズム変えたり終わりのハ-モニクスの出し方変えたり中間部の運指変えたりテンポの揺らし方変えたりした程度です。こう書くと「結構変えてるじゃん」とか思われそうですが、実際聞いてみれば案外そうでもありません。下手すりゃ変わってることにも気付かないでしょう。そんなものです。演奏会終了後、元合奏団のYさんに「よかったよ」と言ってもらえたのはちょいと嬉しかったですね(まぁ社交辞令かな?)。演奏会後、京大の聖帝殿と共に3月の喫茶アルハンブラでのコンサートに乗り込む決意を固め、今日の演奏会は終了しました。ちなみに金がなかったのでコンパは行けませんでした(苦笑)。やれやれです。
そう、そして一部の皆さん(日本語おかしいな?)お待たせしました。一年以上もブランクが空きましたが、『何もない未来へ』の続きをアップしました。そして今回のアップで『何もない~』を正式にNOVELの方にアップし直し、第一章を少しだけ修正しておきました。最初から読みたい方はNOVELから、第四章から読みたい方はこちらから行ってください。私に早く書けと言ってくれていた皆さん、申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。しかしこの小説、試しに文字カウントしてみたら第四章までの時点で15,000字。卒論より長いじゃねーか・・・(爆)。
2001年2月17日土曜日
パラサイト・シングル考と『Tango Zapateado』
『パラサイト・シングル考』
一昨日から今朝にかけてと朝日新聞の朝刊でパラサイトシングルに関する特集をやっていた。数名のパラサイトシングルと思われる人達の生活と言葉を載せるというものだ。
ところで、パラサイトシングルという言葉はご存じだろうか。その定義は2/14付けの同特集によれば「成人し、仕事を持っても親元を離れず、経済的にも家事等の労力の面でも」親に依存する人ということになるらしい。私の記憶が正しければ、従来その定義に「結婚もせず」というものが入っていて、故に「パラサイトシングル(親に寄生する独身者とでも訳すのか)」という言葉が生まれたはずだ。この言葉が社会問題として取り上げられる場合は「自立できない成人」が問題になる。就職して給料をもらっても家を出ることもなく、家にお金も入れないか入れてもわずかで、家事等も親に負担をかけ楽をする成人というイメージが社会問題として取り上げられるパラサイトシングルなのだ。だが、例によって作り上げられたイメージというものは実際とは異なることも多いもので、今回の特集では病気の親を看病しながら生活費を稼ぎ、結婚する余裕もなかった人等も紹介されている。端から見れば「パラサイトシングル」に見えても、この場合実際は「パラサイト」という言葉とは程遠い。もちろん、イメ-ジ通りのパラサイトシングルももちろん取り上げられている。稼いだお金は全部自分のお金、生活費は親まかせというものだ。中には「結婚式や新居の費用も一部援助してもらえると思っていた」という人もいる。成人の自立という問題について考えさせられる。
ただ、そうしていわゆる典型的なステレオタイプ通りのパラサイトシングルを自立ができていないと非難し、問題視するのは簡単だが、私も実際自分のことを考えてみると胸が痛いものがある。今は学生である。私は仕送りをもらえていて、学費から生活費まですべてを稼ぐ必要がないという意味ではそれらすべてを自分で稼いで大学生をやっている人達にくらべればはるかに恵まれている。だが、ふと「これはどうなのだろう?」と思った。あまりに当たり前だったのだ、仕送りというものが。これは事実上「パラサイト」ではないのだろうか。「まだ学生だから」と割切るのは簡単だし、実際「今大学生です。仕送りもらって生活してます」と公言したところで別に世間から白い目で見られることはないだろう。だが、私も今年で24才。この歳ですでに社会に出て稼ぎを得ている人間は多い。だというのに私は未だ親からの仕送りをメインに生活しているのだ。それでも親元にいて毎日親と顔を合わせてられるなら今回の特集でもそう言っていた人がいるように「甘えるのも親孝行」と開き直ることもできるかもしれないが、私の場合そういうわけにもいかない。ただ金のみを吸い取っているわけだ(ちなみにこの「甘えるのも親孝行」という言について、実際親も「いてくれた方がいい」というケースも少なくない。この場合は心理学的に「共依存」と呼ばれる状態が発生していることが考えられ、この状態がいわゆるAC、アダルトチルドレンやアルカホリックチルドレンを生み出すという論も根強いので無視できない問題ではあるが、それをやり出すと長くなるのでまた別の機会があれば)。そう考えると実に質の悪いパラサイトである。
4月からは就職して働けるのはせめてもの心の救いではあるが、正直生活に余裕があるかどうかもわからず、家に金を入れることができるのかどうか・・・。そう考えると「パラサイトシングル」の自立の問題は自身の問題であり、実際には私と同じような状況にある人も含めれば一体どれだけの「パラサイト」が存在するのか・・・。私のようなケースは敢えて社会問題になるようなものではないかもしれないが、自覚の問題として、あるいはこのパラサイトシングルについての論でよく言われることではあるが「日本人特有の甘えの構造」についての問題として何処か頭の隅ででも考えておく問題ではないだろうか。もちろん自身の問題として考える分には頭の隅どころかより多くの思考スペースを確保してやるべきだ。ただし、私がこの問題を自分自身のこととして考えようとするとあまりに胸が痛いため、このエッセイも敢えて論旨を曖昧なままここで締めさせてもらう事にする。
・・・、と続けて『史上最高の演奏家は?』というエッセイを書き始めたのですが、音楽家の時代と近代自我の芽生えやら演奏家の直観による無意識とのコンタクトやらまで話が及んできて恐ろしく長くなりそうだったので止めます。他に『"遊び"と"学び"』、『教育問題と教育者の在り方』、『恋愛論ショート・ショート~バレンタイン編~』、『偶然の拡大』等概要が頭の中で渦巻いているのはたくさんあるんですけどね、止めときます。例によって私は気紛れなので、次はいつ書くかわかりませんので悪しからず。
とはいえエッセイを数編と冒頭で予告しておいて一編のみというのもなんだか味気ないので、代わりにたった今できたMIDIデータをアップします。曲はスペインのギタリスト兼作曲家のAngel Barrios(『大聖堂』とかで有名な方のバリオスではない)の『Tango Zapateado』。Angelは『グラナダの花』や『トナディージャ』が代表曲なのですが、今回は敢えてこの曲を。私の知る限りこの曲を録音しているギタリストはいないので実際に誰かの演奏は聴いたことがないのですが、何故か譜面を持っていて曲名がやけに気になったので一発打ち込んでみました。だってタンゴとサパテアードが組み合わさったらどんな曲になるのかって興味津々じゃないですか。で、MIDIを作ってみたのですが、そしたらまぁ明るいんだか暗いんだか、カッコいいんだか悪いんだか・・・。不思議な曲です。とにかく滑稽なリズムのオンパレード。まぁ聴いてみてください。そしてこの曲を弾きたいというチャレンジャーがもしいた場合は私まで。譜面コピーさせてあげます。そんなに指は難しくないですよ。中間部のおかしいリズムをどう取るかだけですね、この曲は。ちなみにMIDIは今日2時間程でパッと作ったものなので、どこか間違えてるかもしれませんのでご了承下さい。