2007年9月24日月曜日

Amazonの不手際?

 AmazonでCDを3枚買った。まぁそれ自体特に特筆すべきことでもないのだが、昨日届いた荷物を見て、「おや?」と思うことが一点あった。それは、届いた3点のCDのうち一つが、完全に梱包が破られた状態で届いたことだ。

 他の2点は問題なかった。ちゃんと輸入版独特のビニールとテープに包まれ、新品であることを疑う余地はなかった。が、1点、ビニールも何も包装が無く、CDケースがむき出しのまま、他の2点と一緒に段ポールで包まれて届けられたCDがあった。しかも、ケースはなんとなく、だがしかし明らかに少々、汚れている。当然、マーケットプレイスで買ったものではない。Amazonで正規の注文として新品を購入した(はずの)ものだ。まぁそもそもが廃盤すれすれのマニアックな海外盤だし、少々の事故はありえるのかもしれないが、にしても明らかに包装が破れたケースの汚れた中古品っぽいものが送られて来るというのは一体どういった事情なのだろう?改めて製品のページを読み直してみるが、どこにもそんな記述は無い。そもそも、Amazon自体基本的にはそんな商品の売り方はしないはずだ。

 ちょっとクレーム付けようかとも思ったが、届いた製品自体に間違いはないし、とりあえず盤面はきれいで新品同様、再生にはまったく支障がなかったので、まぁ食べ物や生き物ではないし、とりあえず即の行動は起こさなかった。今後Amazonのしかるべき部署に説明を求めるかどうかまでは現時点では未定である。しかしまぁ、こんなこともあるんですなぁ。

2007年9月18日火曜日

ミッション・三連休

 この三連休には大きな目的があった。それは、車を購入することだ。今乗っている、妻が嫁入り道具的に持って来たアルトは、2人だけのうちはまだよかったのだけど子供ができた今は手狭すぎる。もう10万km近く走ってるし、家の近辺の細い山道ではちょっと大きな荷物を積んでいるとアクセルベタ踏みでも30km/h前後しか出ないで後ろの車を苛立たせていたし、エアコンの効きが悪いと娘は怒るし・・・。というわけで、引越以来頑張ってくれたアルト君に敬意を表しつつ、より実務に耐えうる車を購入しようという計画が持ち上がったわけだ。

 というわけで、トヨタとニッサンの車に目を付けた我々は、この三連休でそれぞれを試乗し、営業の人の話を聞いて交渉しつつ、次のマイカー選びに腐心していたわけだ。ちなみにホンダは今回選んだ車と同クラスの車種は「一杯道を走り過ぎているからイヤ」という妻の一言で却下。スバルは「実質はともかくイメージがよくない」という私の一言で却下など、スクリーニング段階で理不尽に消されていった車も多かったのを付け加えておく。

 まぁ結局、色々とすったもんだあったわけだが、最終的にはトヨタに決めた。私も妻も基本的に車、ひいてはモーターに特別の興味があるわけではないので、万人向けにソツなく快適に作られているトヨタはやはり心地よく見えた。とりあえず今は納車が非常に楽しみだ。今度は、快適に走ってくれるんだろうなー・・・。

 まったくの余談ではあるが、実は私はプジョーに乗ってみたかったということを一言付け加えておく。プジョー、カッコいいね。

2007年9月10日月曜日

松阪牛(どこかで聞いたような)

 妻がもらってきた引き出物のカタログで、松阪牛のすき焼き肉を頼んだ。届いた牛肉を、早速今日すき焼きにしていただいたわけだ。さすが最高級松阪牛、見事な霜降りで脂もまったく嫌みがなく、実に美味しい贅沢な夕食を堪能させてもらった。

 ところで、驚いたのが肉に松阪牛の血統書が添付されていたこと。わざわざこんなもんつけるんだと思って見てみると、今回の肉となっている牛さんの血統書が鼻紋付きでちゃんと載っている。今回私達が美味しくいただいた牛は二頭。ちかこ6とふくこという名前の牛達だ。ちかこ6、ふくこ、美味しくいただかせていただきました。そして曾祖父母の代まで律儀に家系図が書いてあるわけだが、ちかこ6の方を見ていると何やらどこかで見たような名前が。そう、「祖母 きよふく」と書いてある。ふむ、ということはちかこ6の何年か前、松阪牛に「きよふく」という名前のものがいたことになる。松阪牛のきよふく。おわかりになる方は既にお気づきだろうが、なかなかシュールだ(笑)。

2007年9月7日金曜日

過剰反応

 どうも最近の報道を見ていると、本来どうでもいい些細なことに過剰反応をしすぎなような気もする。あまり神経質になりすぎると、本来の目的を見失う。いくつか例はあるのだが、一番わかりやすいのは横浜の警官が電車内で拳銃形ライターを他の乗客に向けていた高校生を平手打ちしたというもの。注意したその警官は(オフで酒を飲んでいたらしいが)傷害容疑で逮捕された。そのニュースを知った時、それはちょっと違うだろうと思った。

 確かに平手打ちで高校生を殴って軽傷を負わせたわけで、傷害と言えば傷害だろう。だが、それ以前にその高校生には明らかに非があった。拳銃型のライターなんて物騒なものを持って他の乗客に銃口を向けて迷惑をかけているような無礼な若造に、注意して口論になった挙句に平手打ち程度喰らわせたところでそれが不祥事だろうか。個人的にはそうは思わない。自分たちが学生の頃なんて、生徒をグーで殴るような教師が学校に一人はいた。最近は、それが不祥事になる。確かに程度というものはあるが、時にはお灸が必要なこともある。単純に暴力イコール不祥事という図式を見ていると、何もそこまでしなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。これは報道の仕方の問題だ。

 こう言うと反発を覚える方もあるかと思われるが、最近の日替わり状態の閣僚の政治と金の問題についても、実は同じことを考えている。あるべき論はともかくとして、現実問題まったくあやしい金の影も匂いもしない政治家なんてほぼいないのだから、あまり細かい金銭の受け渡しをスキャンダルとあげつらっても仕方ないんじゃないかと思う。正直、そろそろ辟易としてきた。あまりに目に余る例はともかくとして、そんなことはある程度どうでもいい。それよりそんなスキャンダルにかまけてるヒマがあったらちゃんと仕事して政治して国をよくしてくれ、と思う。極端な話、不正な金の一千万くらいくれてやるから100億分国に貢献しろと思う。それなら投資対効果としては素晴らしい。あまり目を向けたがる人は多くないようだが、日本の国の財政状態は非常に悪い。年金問題ばかり取沙汰にされるが、その前の根幹をしっかりしないと話にならない。教育環境や福利厚生もイマイチだ。だから、そんな細かい金銭スキャンダルにかまけている時間はない。仕事しろ!というかマスコミよ、政治家にちゃんと仕事をさせろ!寛容になるといい。実際に激務だし結果次第で多くの人の生活に影響が出る立場なのだから、一千万くらいくれてやればいい。その代わり、100億分の貢献をしてさえくれれば。

 どちらにも共通して心配しているのは、あまりこういった細かい問題ばかり取沙汰されて問題だ問題だと報道されていると、現場の方が不祥事を恐れるあまりに萎縮して何もできなくなってしまうのではないかということ。警察も政治家も、それではまったく意味がない。だから、あまり問題ばかりを無理に探してあげつらうよりは、ある程度細かいことには寛容になった上で本来の仕事をしっかりやってもらえた方がいいのではないかと思うわけだ。大事の前の小事とでも言えばいいのか。ちょっと違うかもしれないが、とにかく最近の本来の目的の達成を明らかに妨害している程の報道の過剰反応には、ほとほとうんざりしてきたわけだ。寛容になろう。一昔前はその辺りはある程度うまくバランスが取れていた気がする。もう一度、考えてみたらどうか。そもそも、本来の目的はどこにあって、その目的に対して報道内容はただの妨害になっていないか。報道に萎縮して行動を起こさない現場が常態化してしまっては、社会に希望はない。

2007年9月4日火曜日

無題

 秋の匂いがし始める。朝方は、もう大分涼しい。色々と、物思いにふけりたくなる季節が来る。