2012年1月30日月曜日

就農者を増やすのはお金で解決できるのか?!

 農水省が年間2万人の新規就農者を増やすことを目的として『新規就農総合支援事業』を実施することになりました。農水省のHPで公開されている資料は以下になります。

 http://www.maff.go.jp/j/budget/2012/pdf/kettei_b007.pdf
 http://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_syunou/roudou.html

 この新規就農総合支援事業について、わかりやすい問題提起を農家のこせがれネットワークの 脇坂 真吏さんがブログで書いてくれています。以下になります。
 農家のこせがれネットワーク ブログ『就農者を増やすのはお金で解決できるのか?!』

 詳細は上記ブログを読んでいただいた方が私が書くよりわかりやすいと思うのですが、ここで最も大きな問題提起となるのは「45歳以下の新規就農者を大幅に増やすためには所得補償をすればいいのか」という部分。脇坂さんが書かれているようにこの補助金は「すでに何かの用件によって農業に関心をもち、検討をしている人々」には利用価値はあるでしょう。農業大学等での研修期間に払われる準備型については奨学金的な考え方で見る分には悪くないとは思います。でも、経営開始型の方はよく考える迄もなく問題が多くあります。例えばこの補助金を受ける前提として、
・自ら農地の所有権または利用権を保有している
・主要な機械や施設を自ら保有または借受している

 の2点が入っていること。熱意ある新規就農者でも、その多くが引っかかるのはまずここなんじゃないでしょうか?農地を取得しようにも農業委員会の認可がなかなか下りないとか、農地法の定める5反の農地を耕作しようとするとそれだけの農地を探すのがまず難しいとか、初期の経営を支える意味でも兼業で農業を始めたいと思っても経験のない新規就農者が兼業で5反は実際問題まず難しいとか、そんなあれこれ。機械を買う資金も、そのために補助金がほしいのに機械を保有していることが前提となると…。要はこの補助金、家が農家の若手が実家に帰って農業始めるなら使いどころはあるかもしれないですが、本当の意味での新規就農者には厳しい。そしてそれでもまだお金が出るだけいいかもしれませんが、これでは今現在熱意を持って新規就農を考えている人の補助には多少なりともなりえるとしても、新規就農者のパイを増やす結果にはつながらないかなと。

 これもまた脇坂さんが書かれていますが、新規就農者を増やすためにはまず農業に興味を持ってもらう人を増やさなければなりません。そして、興味から実際の就農にまで行動を起こしてもらうには今度は農業は魅力的である、とか農業は儲かる、というイメージを持ってもらわないといけません。いくら補助金が出たって、魅力がない、儲からない産業に人は入ってきません。当然です。今はその「魅力がある」「儲かる」部分に対する努力はもっぱら農家(法人含む)個人にかかっているのが現状で、一部を除けばあまり明るいとは言えません。それが世間一般での農業に対するイメージでしょうし、全体の見通しが現状あまり明るくないという点では多くの農業の現場でもそうでしょう。私がお客様の農家の方とお話をしていても、先行きについて悲観的な見方をされている方のなんと多いことか。もちろんそうでない方もまた多くいらっしゃいますが、この現場の悲観的な声をできるだけ少なくし、明るい声を大きくして農業全体を明るくするような方向が見えてこないと、なかなか新規就農者というのは増えてこないだろうと考えています。

 では、そのために政府の施策として何をするべきか、どうしたらいいのか。真に(特に家が農家でない人の)新規就農のハードルとなっているのは実際には以下だと感じています。
・農業に明るい展望が見難い現状
・農業の技術習得
・農地の取得・借受のための資金や制度他のあれこれ
・機械の購入のための資金

 このうち、他は直接的な対策が見えやすい(実施しやすいかどうかはともかく)としても、一番重要で一番難しいのが農業に明るい展望を持たせることができるかどうかというところ。自助努力による部分が大きい現状をどうすべきか。そもそもそれは国が何とかできる問題なのか、また、何とかすべき問題なのか。

 長くなってきました。この先についてはまた考えて書いてみたいと思います。

 最後に蛇足ながら、山梨県笛吹市でも新規就農者に100万円の助成金を出そうというニュースもありました。お金で新規就農を促そうという動きは多いみたいです。
 笛吹市:就農者に年100万円助成方針 45歳未満対象、「果樹の郷守りたい」 /山梨

2012年1月2日月曜日

元旦から『山本五十六』

 明けましておめでとうございます。2012年、新たな年がやってまいりました。皆様どうぞ今年もよろしくお願いいたします。昨年は日本では東日本大震災を始めとにかく災いの多い年でした。世界に目を向けると、中東のFacebook革命を始めビンラディンやカダフィ、金正日の死去等、世界で独裁者と呼ばれた人達が去っていく年でもありました。間違いなく色々な意味で激動の年であった2011年。この新しい2012年はどういった年になるのでしょうか。願わくば、もう少し平穏な一年であることを。

  私個人的には今年は「考えて立ち止まってばかりいないで、勇気を出して前に進む」をテーマにしていきたいと思います。本当に自分がこの先仕事面で自立した経営者としてやっていくためには、思考ばかりして行動を起こせないことが多い自分の性格からまず変えないといけない。性格なわけですから簡単には変わらないと覚悟はしていますが、そこを何とか変えていけるよう、ここは本当に頑張らないとなと感じています。

 だからというわけではないのですが、元旦朝9時30分からの回で、新年早々映画『山本五十六』を観てきました。妻と二人で、1日だから1,000円だし、元旦の朝なら映画も空いてるんじゃないかということで、子供たちをおじいちゃんおばあちゃんに見てもらって行ってきました。

 いやいや新年最初から素晴らしい映画でした。実際に山本五十六があんなにカッコいい人物だったのか、考えや言動がどこまで史実に則しているのかはわからないですが(すんません…)、二重の意味で映画として非常に面白かったです。一義的にはもちろん、人間山本五十六のストーリーとして面白い。単純に山本五十六の人間性や、それをとりまく戦時中の状況の進展を眺めるストーリーとしてもテンポがよく、随所に魅力的な挿話が差し込まれて飽きがこない。

 そして、この映画は舞台こそ第二次世界大戦開戦前から戦時中をメインに描いているものの、その描写や言及はドンピシャで現在を思わせるのです。特に震災後の日本では、時代こそ違えど世の状況はこの時代と変わらないのではないか。そう感じずにはいられない映画でした。

 例えばメディア・情報について。三国同盟を締結するかどうかで揺れた大戦前、締結推進派の多くは日本語訳の『我が闘争』を読み、ヒトラーが日本を対等のパートナーと見てくれると信じていました。そして推進派の何人かが山本五十六や井上成美に「何故ドイツと同盟を組まないのか」と詰め寄る中、井上が『我が闘争』のドイツ語の原書のある部分を読みあげます。そこには"日本は取るに足らないが、同盟相手としては利用価値がある"的な書き方。「そんなことはどこにも書いてない」と動揺する推進派に、「日本語訳では都合の悪いことは削られているからな。何事も、大元までたどらねばな」と山本五十六。このエピソードが史実かどうかはともかく、この場面だけでも大いに現在に重なります。

  例えばTPP。賛成派も反対派も、多くの人が断片的な報道や日本語のソースだけを読んでああだこうだと語ります。P4の原文を少しでも読んだ上で話している人がどのくらいいるのでしょうか?あるいは原発について、どこまで技術的な詳細を調べ、どこまで経済的な資料を集め、話をしているのでしょうか?どの程度、各地の放射線量を信頼のおけるソースを探して検証しているのでしょう?戦争が始まれば景気がよくなる、先の第一次世界大戦では一気に日本経済が持ち直した、早く三国同盟を組んで戦争が始まればいいと浮かれる国民も、今のTPPについての一部の姿勢と重なります。

 現代は、当時とは比較にならない程多くの情報が手に入りますが、その多くは孫引きまたはそれ以上の末端の情報。大きな判断を下そうとする時、私達は果たして大元まで辿っているのでしょうか?ただ手元にある情報だけで思考停止して、そこに恣意性や誤謬があるとは疑わずに、あるいは恣意性をまた別の恣意性で疑ってバイアスをかけ直すだけで、ただ推論だけでものを語ろうとしていないでしょうか?山本五十六はよく部下に問います。「根拠は?」と。私達の言論は、ちゃんと大本まで辿った根拠に根ざしているでしょうか?

 新聞の在り方もそうです。山本五十六に開戦前は"三国同盟締結ありき"、開戦後は"無条件降伏の上での勝利ありき"でインタビューをする記者。実際に山本五十六が何を言うかに興味があるのではなく、自分が書きたいことを喋ってくれることを期待するだけのインタビュー。山本五十六が意にそぐわない解答をすると、気分を害して取材を切り上げる。さらにはミッドウェー海戦で実際は大敗して撤退を余儀なくさせられたにも関わらず、内心それに気付きながらも意図的に大本営発表の"転進"という言葉をそのまま使い、あたかも戦況が勝利の連続であるかのように報じる新聞。新聞はありのままの事実を伝えるのが使命ではないのかとの問いに、国民の士気を高め勝利に貢献するのが新聞の役目だと返す。この歪んだ使命感。これもまた、今のメディアと同じではないでしょうか。「世論は○○なのです」と問い詰めた記者に山本五十六が返した言葉が胸に刺さります。

 世論はどうでも、この国を滅ぼしてはいけない。

 この山本五十六の映画は、第二次大戦開戦前から戦中メインに描いていますが、その実、現在の日本を風刺し、これではいけないという強いメッセージを発するために作られたのではないか。そう思ってしまうほど、観ながら色々と考えさせられる映画でした。先日、どこかで見かけた言葉を思い出します。優秀な作品とは、決して伝えたいメッセージを表に直接さらしたりはしない。よい文学作品のように、表向きはメッセージなどないように思えても、それでも確かに伝わるのがよい作品なのだと。その意味では私にとってこの映画『山本五十六』はいい映画でした。

 元旦から、面白くもあり深く考えさせられもする映画に巡り会えた幸運。どうか2012年がこのように私にとって、また皆さんにとって幸せな年でありますように。