2014年11月30日日曜日

あゆむの雑記帳 引越のお知らせ

 突然ではありますが、この『あゆむの雑記帳』、現在のhttp://www.ayum.jp/から引越を行います。新しいURLは以下の通り。

http://ayumnote.blogspot.jp/

 1998年7月7日のオープンから16年超、この雑記帳はさくらのレンタルサーバを使って自分のサーバスペースにおいて運営してきましたが、今後はGoogle Bloggerを利用させていただきまして、そのサービス内で運営を進めていくことにいたしました。

 このタイミングで自分でのインフラ運営から一般のサービスに乗り換えるのには色々と理由があるのですが、一番大きいのは現在ブログのフレームワークとして利用しているMovable Typeのシステムとしての陳腐化・老朽化です。現在利用しているバージョンがMovable Type 3.171-ja。このバージョンだと今ネットワークに跋扈しているスパムコメントやトラックバックを防ぐことができず、放っておくとすぐにブログ記事がスパムで埋まってしまうのです。業を煮やしてここ1年以上はコメントやトラックバックも閉鎖して対応してきましたが、そうすると今度は当然ながら読んでくれた方からのフィードバックも全く受け取ることができない。毎回反応が得られることは最初から期待はしていないにせよ、いくら書いてもまったく反応が返ってこないというのはまた記事を書くモチベーションを無くすものです。その点Google Bloggerのサービスならスパム対策は基本システムに任せておけばいいので、安心してコメント機能を利用することができます。

 Movable Typeもバージョンアップすればいいのですが、3から4に変わった段階でデザインのテンプレートの仕様が結構変わってしまっていて、結構ゴリゴリとカスタマイズを入れた『あゆむの雑記帳』のデザインはそのまま移行ができなかったんですよね。で、デザインに対する情熱が比較的低く、その面倒な移行作業を行う気力を持てない自分は「いつかバージョンアップしなきゃな」と思いつつもここまで来てしまったのです。さらにはさくらのレンタルサーバで利用しているMySQLまでバージョンが古くなってさくらの運営からサポート期限切れの連絡が来てしまう有様。これはもう限界だなと、自分でのインフラ運営を諦めることにいたしました。

 Movale TypeからGoogle Bloggerへは一応データ移行の手段があるので、過去記事といただいたコメントは可能な限り新しい雑記帳に移してあります。デザインはGoogle君が用意してくれたものほとんどそのままですが、まぁそこそこいい感じだし、ま、いっかみたいな…。こちらも簡単に変えられるので、もしかしたら今後突然変えるかもわかりません。

 このayum.jpのドメインは当面移行せずにこのまま残しておくので、旧URLも相当期間生きる予定ではありますが、とりあえず本日をもってこちらayum.jpの更新は終了させていただきまして、今後はhttp://ayumnote.blogspot.jp/の方にて『あゆむの雑記帳』は続けていきたいと思います。訪れてくださる皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

2014年11月25日火曜日

モンゴル旅行記-4

  テレルジでの長い夜の翌日は、再びウランバートルに戻ります。この日はモンゴルでは珍しいという雨模様の天気で、草原にも雲のように濃い霧が立ち込めていました。霧のモンゴルというのもなかなか珍しいそう。青空の爽やかさ、解放感とは違いますが、そう考えるとこの霧の景色もこれはこれでまた味があるのはないかと思えてきます。そんな文字通り靄に包まれた景色の中、テレルジのツーリストキャンプからウランバートルに戻る途中に立ち寄ったのがこちら、亀岩。なるほど、亀岩です。説明の必要がないくらい亀岩です。ただそれだけの名物なのですが、あれは確かに亀岩でした。

 そしてまた、3時間弱程度バスに揺られながらウランバートルへと戻っていきます。途中ガソリンスタンドで衝立だけのモンゴリアン・ぼっとん便所を体験してみたり、見事に渋滞にはまったりしながら次の目的地である日本人墓地を目指します。


 モンゴルに日本人墓地があるとは、実は知らない人も多いのではないでしょうか。かくいう自分も正直申しますと、ノモンハン事件のことは概略程度に知っていても、そこで捕虜となり抑留された日本人とその墓地についてはまったく知らなかったのが正直というところです。

 ノモンハン事件は大雑把にいえば1939年に当時大日本帝国として満州を治めていた日本とモンゴルの国境における接触から、当時モンゴルの後ろ盾となっていたソ連を含めた国境際の争いになった、比較的短期間ながら、しかし確かに戦闘を伴った"戦争"です。きっかけは国境際の関東軍とモンゴル軍の偶発的な遭遇・交戦(と言われてはいるけれど真相は今のところ闇)ですが、時はまさに第二次世界大戦開戦前夜、当時の日本の状況を考えるとやはりモンゴルまで満州の領土を拡大・侵略しようという思惑は少なからずあったことでしょう。この1年に満たない戦争に満州(日本)は敗れ、そこで捕虜となった日本兵は抑留・強制労働という運命を辿ります。その数は数十人と言う人もいれば3000人という説もありますが、それらの捕虜となった日本兵は再び祖国の地を踏むことなく、モンゴルに命を散らせることになりました。写真がその日本人墓地。実際の献花台というか、祈祷台はこの上なのですが、この円盤には矢印で「日本はこちら」と方向が示してあります。日本に、帰りたかったことだろうと思います。その遂げられなかった思いの辛さは、自分にはわかるとはとても言えませんが、そう、やはり、言葉にするのならば無念だったことだろうと思います。だからこそ、そうした思いを後世がしないために戦争は起こしてはならないのだと改めて痛感しました。

 余談ながらこの日本人墓地、現日本国首相であられる安部氏の献花はキッチリとしてありました。うん、多くは語りませんがこういう部分はしっかりしてるんだなと。多くは語りませんが。

そしてモンゴルで驚いたことといえば、その交通マナーにひどくビックリしました。何が凄いってその道路横断。歩行者が信号のない道路を渡る時、日本であれば手前側車線も向こう側の車線も車が来なくなったタイミングを見計らって一気に道路を渡るのが普通かと思いますが、モンゴルでは違います。とりあえず手前側が空いたらまず中央線まで渡ってしまうのです。そして向こう側の車線が空いたら中央線から向こう側へ。この道路横断方法を、自分は勝手に「モンゴリアン道路横断」と名付けたわけですが、この横断方法が一般的なためにモンゴルの道路の中央線にはとにかく人がたくさん立ってます。ウランバートルも結構車社会で、道路にはたくさんの車がビュンビュン走ってるのにその混雑した道路の中央線にはまた歩行者がたくさんいるわけです。日本の感覚で言えばなかなかにデンジャラス。でもそれがモンゴルでは普通。これは是非一度やってみようと、自分も自由時間に散歩してちょっとやってみました。中央線で立ち止まるモンゴリアン道路横断。うん、おっかなかったです…。そして車もまた走りながら物凄い狭い隙間に容赦なく突っ込んでくるんですよね。あれでよく事故らないなと思ってしまいますが、実際のところ滞在中に数回事故も見たのでやっぱり事故ってはいるのでしょう。路駐だらけの香港と比べると駐車には余裕があるようですが、走っている時の危険度は圧倒的にモンゴル危ないです。正直自分はここで車は運転したくないなと思いましたとさ。

そんな楽しかったモンゴルの旅も当然終わりが訪れます。お土産を買うために立ち寄った国営の商業施設ノミンデパートではチンギス・ハン・ウォッカと、写真の民族楽器、ドンブラを買ってきました。馬頭琴を買うかこのドンブラにするか凄く迷った、というかそもそも楽器を買って帰るか凄く迷ったのですが、最後は伯父の「買いたいものを買った方がいいよ」との一言でこのドンブラの購入を決意。帰りの飛行機でずっと大事に抱えて日本まで持ち帰ってきました。カザフ族のギターだというこのドンブラ。調弦もよくわからないのでその場ではとりあえずギターの3、4弦と同じチューニングに合わせて、ちょろちょろと道すがら弾いたりしてご機嫌になってました。弾いてよし、飾ってよし、モンゴルといえば馬頭琴というイメージのところに敢えてのこのドンブラ。お気に入りです。家に着いたら妻が驚くかなとワクワクしてましたが、「てっきり馬頭琴買ってくると思ってたけどまた変な楽器を…」くらいのノリで、楽器を持ちかえってくること自体は想定の範囲内だったところがさすが我が妻です。

 初めて訪れたモンゴル。行く前は正直「こんな機会でもなければ行かないし」程度の気持ちであまり期待値は高くなかったのですが、実際にいってみたら実に素晴らしいところでした。そのモンゴルの伝統と旧ソ連がミクスチャーされた街並みや文化、日本の生活とはまったく違った在り方で暮らす人々の姿、そして雄大な大自然。どれ一つ取って見ても新鮮で、これまでの価値観を覆すほどのインパクトがあって。モンゴルに滞在したのは実質3日ほどだったわけですが、本当にいい体験をさせてもらいました。できればまた行きたいものです。子供らも、いつか連れていって一緒にあの大自然を体験させてあげたいなと思いましたよ。

2014年11月24日月曜日

モンゴル旅行記-3

 大分間が開いてしまいまいたモンゴル旅行記、お話はいよいよこの旅で仕事としてではなく人生経験として最も楽しかった時間、テレルジでの午後に移っていきます。この日の午後はテレルジのツーリストキャンプに到着後、現地の遊牧民の家庭訪問を行いお話を聞き、その後乗馬体験、そして夕食という予定。2班に分かれ、それぞれのスケジュールをこなしていきます。

 自分の班はまずモンゴルの遊牧民の家庭訪問。これはもう実際に遊牧で暮らしている方のゲルに訪問して直接話をおうかがいするという貴重な体験でした。例えばゲル一つとってもツーリストキャンプのきれいにスッキリ片づけられたものでなく、テレビや毛布等がそこら辺に出ている生活感が溢れるもの。そこでもうお馴染みになってきたモンゴルのお菓子等振る舞われながら、先方のお話を聞いたりこちらから質問したり。印象的だったのは、「自分も若い頃はウランバートルで働いていたが、親が早くになくなってしまいこちらに戻ってきて遊牧民を継いだ」という話。何と言うか、その継ぐ継がないのノリが日本の農家と似たところあるなと思ったのです。というか、ああ、遊牧民って「継ぐ」ものなのかと。遊牧民は自然とそのまま遊牧民になるのでなく、この現代ではやはり若いのは都会に出て就職したりする選択肢も当然あって、その中で継ぐか継がないか、そういった家庭の葛藤があるのは、やはり日本の農家もモンゴルの遊牧民も変わらないのだなと、そう思ったわけです。歴史ある古い職業、生き方は、どうしても現代という時代と交錯していく。どの国でも、きっと難しい問題なのでしょう。

 ところで、自分たちが遊牧民の家庭におうかがいした時はちょうどそのゲルの住人の方の親戚たちがウランバートルから遊びに来ていたそうで、ゲルの外では10人を超える大人数、それも皆若くてTシャツとか着てるような都会の人達が、輪になって座って団欒をしていました。そして親戚が集まるというので、左の写真のようなモンゴル料理を作ってこれから食べるところだというのです。これはモンゴルでも特別な時にしか作らない料理だそうで、羊肉に少々の野菜を入れて、少しくらい岩塩か何かで味付けしてあるのかな?、それを熱した石を中に入れて石焼きにするという、実にワイルドな料理です。折角来たのだから一緒に食べていけという家主のお言葉に甘えて、ちょうどできたてのこの料理をいただいてきました。羊肉は脂ギトギトで、持つともう手が火傷するくらい熱くて。でもこれがまたホントに、素晴らしく美味しいのです。羊肉の独特の匂いも全然なく、脂っぽくて胸が悪くなるかと言えば全然そんなこともなく、柔らかくてジューシーで肉の旨みがダイレクトにワイルドに伝わってくる。こんなに美味しい羊肉を食べたのは初めてでした。真面目にちょっと感動したくらい。この時の羊肉があまりに美味しかったので、帰国後ふとした機会に羊肉を食べてみたのですが、固いし臭みもあるし、あまり美味しくありませんでした…。何が違うんでしょうかね。品種か環境か鮮度か…。あるいはこの、広大な草原と青空の下で食べるというただそれだけで、もしかしたら美味しく感じられるものなのかもしれませんが。ああ、あの料理また食べたい。

モンゴルでは子供ももちろんこの羊肉食べます。モンゴルでは立って食べる風習はないので、写真のように草原でも当然のように敷物なしで直座り。右のお父さん、実にいい味出してます。このお父さんが羊の骨の際の肉をナイフで薄いベーコンのように切って、自分に「食べるか?」とジェスチャーで差しだしてくれたのです。またその肉が分厚くてジューシーな肉と違ってカリカリとして美味しかったのです。このように現地の人達に混ざって、皆で輪になり入り乱れ、この切れ目ない草原と青空の下で同じ肉を食べる。それは素敵な経験でした。そして何と言うか、「こんな生き方もあるんだな」と思ったのです。この大きな自然と、文字通り寄り添って、最低限の電気とかは使うにしても、あくせくした現代社会とは離れた場所で異なった価値観を生きる。もちろん遊牧民もお金を得るためには遊牧を商売にしないといけないですから、日本の農家同様、様々な苦労もあるのでしょう。その部分は今回まったく見てないわけで無責任な言い方かもしれませんが、凄く自由に身軽に思えたのです。家にも土地にも縛れる農家よりも、移動可能なゲルを自宅に土地を回りながら、それこそ持ち歩ける量の家財とともに暮らす遊牧民。これは今までの自分の価値観にはないものでした。

 余談ながらもう一つ意外だったのが、遊牧民の移動距離。実際のところ現代の遊牧民はそう何十キロ何百キロと移動して回ることはなく、決まった土地、半径数キロくらいを草が生える期間を置いてローテーションで遊牧するというのが一般的だということ。なので気ままに風の吹くまま、という勝手な印象とは少々違うようです。

ツーリストキャンプに戻った後は乗馬体験。いや日本でも何回か簡単な乗馬体験はしたことありますが、正直自分の人生でモンゴルの草原で馬に乗る日が来ようとはまったく思っていませんでした。そもそも今回こんな機会でもなければ恐らく自分からはモンゴルに来ようなどという発想はなかっただろうから当然なんですけれども。これもまぁ、当然のことながら気持ちよかった。乗馬と言っても特別訓練をしてから乗るわけでもないので、速度は全然あげません。せいぜい早足程度。馬もなかなか気まぐれで、歩いていたかと思うと突然歩を止めて足もとの草をモグモグと食べ始めたりします。でもその気ままさも含めて、雨が降る直前の少しひんやりした肌を冷やす空気も、とても心地よく爽快に感じられました。いや、モンゴルで乗馬ですよ?『スーホの白い馬』の世界です。ご覧の通り自分が乗ったのは白い馬ではないですけれど、うん、いいですよね。


そして乗馬が終わり、モンゴル相撲の模擬試合を観戦した後の自由時間、自分は一人で周囲をブラブラと散歩してみました。自分たちが泊まるゲルの裏はすぐ小さな丘になっていて、その向こうは下からは見渡せないような感じになっています。どうも見てみると立ち入り禁止っぽい柵が頂上には張られているわけですが、とりあえずそこまでは行って景色を見てみたいなと、そう思ったのです。せっかく来たモンゴル。次はいつ来るかなんてわかりません。どうせなら見られる景色は見ておきたいなと、10分か15分ほど丘を一人で登って、その頂上から反対側を見た景色が左の写真です。この日は珍しく雨が降るということで、空の上には雨雲がかかっていましたが、それすら広い空を覆い尽くすということはなく、地面も雲の切れ目に光が差すのが見てとれる、広大に開けた視界。自分が立っている頭上にはこの時雨雲が来ていて曇った薄暗い空だったわけですが、遥か遠くには白い雲と青い空が広がっているのが見えるわけです。広いですね、大地は。これは壮観な眺めでした。

 この日の夕食は賑やかで、一緒に視察に来た皆さんはもちろん、現地のパートナー企業の方々も一緒にツーリストキャンプの食堂でわいわいと騒ぎます。夏のモンゴルの日暮れは遅いので、夜7時8時になっても外は全然明るいままです。そんな中、現地のパートナー企業の方々がこの日のディナーにサプライズとして用意してくれたのがモンゴルの民族音楽バンドKhusugtun(フスグトゥン)のコンサート。これが最高にカッコよかったのです。馬頭琴やドンブラといった民族楽器はもちろん、ホーミーも生で聴くことができたのです。これが凄かった。低く唸るような歌声の上に、まるで笛のような高い歌が聴こえる。最初はどこでその音が鳴ってるのかわかりませんでした。ところがよく聴くと左から2番目の馬頭琴の人、その人から歌が聴こえてくる。口から音が出るのでなく、頭の上で天に向かって高い音が伸びていくような。これは震えました。人間、こんな歌い方ができるものなのかと。低い歌と高い歌、2つの音が同時に一人の人間の全然違う場所で鳴っているのです。昔音楽の時間にホーミーの紹介があった時、ビデオで現地の方が「ホーミーは勝手に練習をするとアバラが折れる」とか語っていたのを何故か覚えているのですが、実際生で聴いてみるとなるほどあの発声の仕方なら独学でやろうとしたらアバラくらい折れるかもしれないなと。実に衝撃的でした。この動画はその日の最後のアンコール、『モンゴル』という曲です。実にカッコいい!


 そのようにして楽しい宴は続き、一旦食堂でお開きになった後も日付が変わるまでゲルに集まった人で持ち寄った酒を飲んだりして、テレルジでの夜は更けていきました。たっぷりと人生観まで変わるような、たくさんの刺激を受けた素晴らしい一日でした。