2001年4月25日水曜日
祝20,000Hit
祝!20,000Hit企画
2001年4月23日月曜日
配属初日のエトセトラ
が、悲劇はそれで終わりません。とりあえずは無事新しいマシンをもらうことができ、私は「お~、IBM NetVistaだよ!Pentium3だよ!!!!!」と喜んでいました。そしてチャッチャとセットアップを終え、電源を入れます。OSがWin98なのが痛いところですが、そこは気にしちゃいけません。どうせすぐフォーマットしてOS入れ替えるんだから。・・・が、悲劇はそのOS入れ替えのためにバイオスをいじって再起動をかけた時に起こりました。再起動をかけたはず。かけたはずなのに、いつまで経っても画面が上がってこないのです。確かに電源は入っています。おや?と思いました。不信に思った私は、何度も再起動をかけてみましたが、やはり画面は真っ暗なまま、PC本体には通電している証のライトのみが点灯します。最初はモニタがいかれたかな?と思っていました。何しろ私に割り当てられたモニタは、一応IBM純正ではあるものの、先輩が「これゴミ捨て場で拾ってきたヤツだから」と明るく笑いながら渡してくれたもの。そんなエピソードを聞かされてはまずモニタを疑わない方がおかしいです。で、そのモニタとルームサーバのモニタを取り替えて、再度私はトライしてみました。が、結果は同じ。先輩と色々検討した結果、「初期不良だな」という結論に達しました・・・。
そして私はその事実を、新人用PC仕入れ担当の方の所に報告しに行きます。そしたら「代わりのPCないから明日朝一にここに電話してください。今はもう営業時間外ですから。以上」と簡潔に切り上げられ、渡されたのはIBMサポートセンターの電話番号・・・。なんてこったい!せっかく支給されたNetVistaも、これではただのガラクラです。IBMサポートセンターの人が早く直してくれることを祈りつつ明日電話をかけますが、とりあえず緊急に私に割り当てられたPCのスペックはなんとMMX 166mhlz・・・。166って、ウチのMacと一緒やん!?しかもウチのはPowerPC 604e、MMXなんかよりはずっとマシなCPUなのに・・・。仕方がないので泣く泣くその代理マシンにJAVA2SDKを入れ、秀丸とJAVA開発用マクロを入れ、心に鬼を抱えながらJAVAの勉強をして今日の初勤務は暮れていきました。あ~、もう。社会とはかくもせち辛いものなのですな・・・(泣)。
浜崎あゆみ『Never Ever』
ところで、キリンサプリのCMの曲が前々から「カッコいいなぁ」と気になっていた私は、どうやらあの曲は浜崎あゆみの曲らしいということを聞きつけ、今日CDレンタルで浜崎あゆみのベスト盤を借りてきました。が、・・・な~んと、サプリのCMの曲、そのベスト盤に入ってなかったんですねぇ(苦笑)。浜崎あゆみの公式サイトで調べたところ、あの曲『Never Ever』というらしいです(調べてから借りに行けゆーねんなぁ・・・)。やられました。だがしかし、そのベスト盤、聴いてるとこれがまた結構カッコいいんですよ(笑)。「浜崎あゆみいいじゃん!?」とか思ってしまっています。名前が微妙にかぶってるのが気に入らないところではありますが(苦笑)。しかも本名の漢字表記はまったく同じだったしな・・・。
しかし浜崎あゆみの公式サイトを検索したついでに、非公式なファンのページもいくらか回ってみたのですが、どうやら皆さん彼女の歌詞に結構ひかれているようですね。歌詞について哲学的な考証を行っているサイトまでありました。当日レンタルで借りて、MDに録音したら速効返してきたのでまだ歌詞はよう聴いてませんが、そんなにいいのでしょうか。ちょっと注意して聴いてみましょう。何はともあれ『Boys & Girls』や『appears』がカッコいいです。おかげで今日商品券で買ってきたアル・ディ・メオラのCDまだ聴いてません(爆)。
2001年4月22日日曜日
新入社員歓迎会にて
そして昨日はわが社の新入社員歓迎会。列席者は社長以下役員・グループ長クラスの方々と我々新人。赤坂の中華料理屋で、かなり緊張に気押され気味の空気の中北京ダックなどの豪勢な料理が出てくるという、実にシュールな会でした。といっても緊張してたのは最初だけで、途中からはもうリラックスして飲みつづけたのですが(爆)。まぁまぁ僕ら開発系の席にいらっしゃった開発系のグループ長の皆さんは概ね20代後半から30台前半とお若いのでね。その意味ではまだ気楽でした。隣に座っていた第2グループのグループ長殿には、注がれたら注がれただけ酒を飲み続ける僕に「君はそこなしか?」と呆れられましたが・・・(苦笑)。
そして一次回が終わり、二次会へ・・・。最初は社長以下30人近いグループでカラオケへ行って、社長の熱い歌で二次会は始まっていたのですが、これではたまらんという開発第2グループ(僕は第3ですが部屋が同じ)の同僚オイル君の提案で、システムショリューション(開発)の連中だけで抜け出して他へ行かないかとのことになり、第2第3のグループ長を誘って抜け出して他所のカラオケへと出かけました。そして営業第3の二人を交えてのカラオケが始まります。カラオケ自体久しぶりだった僕は、思わずハッスルしてしまい、ここでまたも二人のグループ長殿の僕に対する価値観を変えてしまいました(苦笑)。まぁ僕の歌を知っている方にはその様子は想像に難くないでしょう。幾度もCELに激しいツッコミを入れられ、第2のグループ長殿に「真面目だと思っていたのに酒は飲むは歌うは・・・」とまたも呆れられ、昨日の夜は更けていきました。といっても終電で(おそらく)帰ってきましたけど。昨日散々飲んだ割には今日への後遺症は珍しくほとんどなく、朝から快適に動いていましたとさ。
2001年4月19日木曜日
開発の研修ではないけれど
そして今、『バーデンジャズ組曲』の株が再び私の中で急上昇中です。あの曲はやはりよいよ。とりあえず『シンプリシタス』のみ弾いてみたのですが、弾いてみるとやはりよい!あのどこか物悲しげなイントロからボサノヴァ調のリズムに切り替わる瞬間がたまらなくよい。運指のパターンを見切れば割に弾きやすそうだし、本格的に弾こうかなと考える今日この頃です。
2001年4月17日火曜日
轟沈
2001年4月16日月曜日
2001年4月15日日曜日
みなとみらいの休日
そして日が暮れるのを待って、定番中の定番、ランドマークタワーに繰り出してきました。地上296m、日本で一番空に近い展望台と謳うランドマークタワーのスカイガーデンからの夜景は、やっぱり素晴らしかったです。まさしく「人がゴミのよう」でしたからね。しかしあそこのエレベーター、69階296mを40秒そこそこで一気に登り切ってしまうスピードにはビックリしましたね。思わず「速い!」と心の中で叫んでしまいましたからね。みなとみらいではアトラクションもエレベーターも、とにかくすべてが速いようです。しかも全然揺れないし。おそるべしみなとみらい21地区。今度またいつか、もっとゆっくり何があるのか調べてから遊びに行ってきたいと思います。
2001年4月13日金曜日
MacでJavaを、妄想中
ならいっそのことCode Warrior(スペル不詳)やVisual CoffeeといったMac用の開発ツールを購入してきたらどうか?これだとご予算が10万円前後といったところでしょうか。これなら今のマシンにアプリケーションをインストールするだけで手っ取り早く開発環境を構築することができます。が、今の私のマシンには、HDの空き要領が400MBそこそこしか残されていません。この上ここにCode~やVisual~のような重いアプリケ-ションを入れ、さらにJAVAなんて修行し始めた日にゃあ・・・。恐らくあっという間に練習で作ったJAVAアプレットやJAVAアプリケーションでHDが埋め尽くされてしまうことでしょう。そしてこのマシンの性能的な寿命が来ているという問題も回避できません。
とすると残された手段は、思い切って新規マシンの購入。これなら選択肢次第ですべての問題は解決します。必要予算が20万からというのが痛いところですが・・・。まぁまぁ金銭的な問題はとりあえず置いておいて、新規マシン購入の路線を少し詰めてみましょう。まずはOS。JAVAを開発するのを第一条件にすると、まともに考えるならやはりWindows系が無難です。WindowsにそのままJAVA2を入れてもO.K.だし、パーティション切ってLinuxやFreeBSDを入れた上でJAVA2を入れるというのもアリです。しかし、会社でWindows2000にJAVA2を入れてプログラムを組んでみたのですが、メモ帳でプログラムを書くのはハッキリ言ってうっといです。いちいちメモ帳で書いたソースをDOSのコマンドプロンプトでコンパイルし、できたクラスファイルを組み込んだHTMLファイルをまたWindowsに戻ってメモ帳で書く・・・。行ったり来たリがうざったすぎます。秀丸とか使ってもその点は変わりありませんしね。その点やはりUNIXならMuleで書いて、プロセスを一旦切ってコンパイル、そしてまたすぐMuleでファイルを書いて・・・、っていちいちマウスとか持たなくても全部処理できますからねぇ・・・。やはりやるならUNIX環境ですな。しかし、やはりMacでJAVAを、という私の夢は消えません。MacOS X serverには確かJAVA2が標準装備されているはずです。それはどの程度使えるものなのでしょう?MRJみたいに中途半端に使えないのは勘弁してくれよ、と私は今日研修が終わった後、ひたすら本屋でMacOS Xについて調べてきました。そしたら・・・!
やはりMacは熱い!MacOS Xは名前はMacと冠されているものの、その仕様は実質UNIXに近い。少なくとも開発環境という面ではほとんどUNIXと同じ感覚で作業することができそうなのです。しかもやろうと思えば名前の通り当然サーバも組めるし、UNIXのシェルが使えるのもありがたいです(しかもbashも)。ハードディスクのパーティションを切る時にフォーマットに気を付けてあげればMacOS 9.X以下のMacOSとのマルチブートもでき、共有ドライブを作っておけばそこを経由してのファイルのやりとりもOS Xと9.X以下で可能です。ということは、40GBのHDのモデルを買って、22GBをOS Xに当て、10GBをOS9.1に当てる。そして3GBくらいのパーティションも切って、そこに今の8.1のシステムも全部丸ごと入れておいてそこからもブ-トできるようにしておけば(OS8.1以降なら0S Xとのマルチブートは可能)、今の資産もある程度活かせる。もっともCPUが全然違うのになるわけだから、当然動かないアプリケーションとかもあるだろうけど。そして5GBをOS間の共有ドライブにして、残った領域は後々のためにとっておけば・・・。夢は膨らみます。やはりMacでしょう。今週末に急遽秋葉原に行き、後先考えずにPowerMac G4を買ってきてしまいそうです。ああ、ヤバイ、ヤバイ。しかしJAVAの開発環境が家にほしいという思いは切実。何といっても仕事ですからね。20数万円の先行投資、生活を投げ打ってでもすべきか否か・・・。実に悩ましいところです。
2001年4月12日木曜日
友人とカレーを
しかし彼の家にはでっかいずん胴の鍋やらなにやら、かなり本格的に気合の入った調理具が並び、食器もたくさんあり、きちんと買ってきた食べ物も盛り付けて出してくれる辺りは素晴らしいです。そこへいくと俺なんて料理はしないは、飲み会の時買ってきた食べ物は適当にそのまま出すはですもんね(苦笑)。ちょっと見習って俺もせめて人が来た時に食べ物を出すのはもうちょっと気を使おうかなぁとか考えてもみたり。酒ならね、お手製のカクテルでも出してあげられるのですが。といっても京都を発つ時皆にカクテルの材料を配ってきて今部屋にはビールとウイスキーが残っているだけなので、その際にはまた材料を買い込んでくる必要があるのですが。・・・給料入ってからだな(爆)。
2001年4月11日水曜日
研修の日々
そう、昨日からちょっと筋トレを始めてみました。いや、先週は4日も飲み屋で飲んでたし、昨日も一昨日もラ-メン屋のちゃんとしたラーメンな食事だったし、非常に高カロリー・高タンパクな食生活をしているので、「これはヤバイ!」と思いましてね。このままではプクプクになってしまうという危惧を抱いた私は、日頃の運動不足の解消の意味も兼ねて筋トレを始めたわけです。とりあえず腕立て、腹筋、背筋を各20回*3セット。昔からすれば何ともないメニューですが、いやいや歳はとりたくないもので、これでも結構辛いのです。目指せマッチョといった無謀な夢は見ませんが、せめてこのくらい楽にこなせる体力を戻したいものです。
2001年4月9日月曜日
空を見上げてる
泣き出しそうな空を
うつむけばこぼれるよ
だからまだ、ここで、光が差すまで
今日、部屋のベランダに座り込んで、なんとなく空を見上げていました。私の部屋は1階ですが、この建物自体が丘の中腹のようなところにあるため、目の前は古びた家屋の屋根と森が広がり、視界の右上方、丘の上にはかなり大きいファミリーマンションが見えます。私の部屋のベランダから見上げる空は、その森の木々とマンションに遮られた形で、多少限定されて広がっています。ベランダに本当に座り込んた状態できつくなった角度で空を見ようとすると、本当に見上げるような格好になります。空を見上げる。思えば、この"見上げる"という感覚はここ最近ずっと忘れていたような気がします。大学生活の中、ほっておいても回生は上がり、3回生になったら何の疑問もなく執行部として役職に就き、4回生になったら元老院のようなものです。その小さな社会の中でそれなりの自信を持って生活していた私は、気付かないうちに井の中の蛙になっていたのかもしれません。
今、私はこうして現実の"社会"というフィールドに放り出されています。まだまだわからないことだらけです。働いている先輩方を見る。「これはかなわないな」と思うことも多々あります。現時点でかなわないのではなく、いつまでたっても、です。この"社会"では右を見るにも左を見るにも、今の私はいちいち見上げてみなくてはなりません。このベランダから見上げる空の景色は暗示的だな、とそう思ったりもします。少なくとも私の現状の景色です。いつか見上げずに景色を見られる時が来るのでしょうか。その時は、もしかしたらまた私はこうして空を見上げる感覚というものを忘れてしまうのでしょうか。
2001年4月8日日曜日
飲み過ぎな日々と帰宅時間
まぁまぁ飲む確率どうこうはとりあえず置いておいて、この一週間(というかこれからもですけど)研修の日々が続いていた私は、昨日やっと同じグループの一つ上の先輩達と話す機会があったのですが、どうやらウチの会社の我がグループは、平日は先輩曰く「何時に帰れるかは聞かない方がいいよ」という感じで、でも土日は「この一年で土曜に出勤したことは2、3回しかないなぁ」とのことでしたので、私は「ああ、土日はとりあえず休めるんだ」とほっとしています。まぁ土日さえ休めればギターを弾くくらいのゆとりは持てますからね。今日も私はCELと共に夕方出かけるまでは洗濯とギターに命を燃やしてました。次は何弾こうかなと考えますが、とりあえずスカルラッティの『ソナタK.11』辺りで攻めようかなと思います。やっぱバロックでしょう。っていうか在学中私は思ってるよりバロック弾いてませんでしたしね。しかもスカルラッティって何故か皆あまり弾かないし。バッハやヴァイスは結構いるのに・・・。まぁまぁのんびり弾きます。
そう、明日はメールの返事が書けてない方々に返事を出して、できれば『何もない未来へ』の続きも書きたいなぁと思っています。
2001年4月5日木曜日
今日も今日とて
虚しい部屋へ
2001年4月4日水曜日
入社二日目の二日酔い
そう、会社が終わった後に新人が10人程集まって、渋谷の飲み屋で飲んでいたのです。まぁ研修が終わって本格的に仕事が始まってしまったら同期の人間で飲みに行くのもそう簡単ではなくなるだろうということで、まずはちらっと行ってきました。そしてその会はまぁジャスト二時間、8時過ぎくらいには終わったのですが、7月の研修で仲良くなったCELの下宿が日吉から渋谷方面に二駅行った武蔵小杉であることが判明、「近いなぁ、じゃあ武蔵小杉で二次会行く?」ってことになり、本当に武蔵小杉で終電の時間になるまで二人で大いに飲んでました。ほとんど昨日は総計六時間弱の間飲み屋で飲み続けていたことになります。やりすぎです(爆)。おかげで今日は一日体調が悪く、死んだ魚のような目をして研修を受けていました。しかし酒が残っている状態での朝の満員電車は凄まじくハード。もう次の日出社しなけりゃならないときはこんなに飲むの止めよう、と本気で思いましたね。しかし入社一日目からこの調子です。やっぱりそんなんばっかりか!?