2003年10月30日木曜日
修羅場、開始
2003年10月27日月曜日
完璧な日曜日
2003年10月26日日曜日
本棚の整理
しかし、捨てるとか売るとかでなく実家に送るという軽めの選択肢にも関わらず、手放す本の選択は意外に難しいのです。まずいつ読み返したくなるかわからない本当にお気に入りの本(村上春樹の大部分やカポーティ等がこれに当たる)はとっておきたいですし、いつか日記に使う予定のネタ本(イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』やフォルケルの『バッハ小伝』等)も手元になければ話になりません。その他心理学系の本はものを書く時に参考にする可能性が高いですし、そういった資料性の高い本(薬物・毒物関係や法医昆虫学の数少ない読み物『死体につく虫が犯人を告げる』等)も手元に置いておかないといけません。『術語集』や『悪魔の辞典』等も同様です。
・・・一向に整理が進みません・・・。
2003年10月24日金曜日
芸術性と大衆性
少数なるものを満足せしめよ
シラー『選択』より
・・・元々二行詩なので、上記に引用した二行目の後に一つのフレーズを入れてこの詩は終わります。「多くの者を喜ばすことは悪しきことなり」と、この詩は結ばれます。大衆の喝采と真の芸術は両立し得ないという、崇高な地平。確かに音楽でも何でも、より高度で複雑なレベルのものを理解するにはそれなりの資質なり訓練なりが必要だということは(以前にもこの日記で紹介しましたが)認知科学的にも証明されています。ということは、なるほど専門的な訓練を積んだわけでもない人間が大部分であろういわゆる大衆に理解できるものは「高度で複雑」なものではないということでしょう。「真の芸術」というものが「高度で複雑」でなければならないとするなら、「大衆の喝采と真の芸術は両立し得ない」というテーゼは科学的に証明されてしまうことになります。その論理を諸手を叩いて歓迎したい「崇高な」方々も世の中には多くいらっしゃることでしょうし、「理解されない芸術に意味はあるのか」と物申すか、あるいはそこまで理屈っぽくなくても一般受けも大事だと仰る方も相当数いらっしゃることでしょう。どちらを否定するわけでもありませんが、私はそしてこう言います。
まず、始めから大衆受けというものを狙って作るもの、それは確かに真の芸術たりえないでしょう。可能性はゼロではないですが、限りなくゼロに近いでしょう。ならば高度に専門的な訓練を積んだ識者達にしか理解し得ないような難解なものを作ることが真の芸術になりえるのかというと、それも当然そうとは限らないでしょう。確率的には前者より幾分はマシかもしれませんが。敢えて大衆を「人的」なもの、高度で崇高なものを「神的」なものと二極化して定義するとすると、その時点でどちらかの立場に立ったものはもう片方の立場を捨てることになります。それは等しく表現の帯域を狭めて限定することに他ならないのです。大衆受けを狙うなら高い認知能力を必要とするような技法は使えないし、それを悪とするならわかりやすいシンプルな手法を捨てることになります。「人」と「神」は絶対的な壁に隔てられることになるわけです。別にこだわる必要はないんじゃないかなと思います。「人」としての芸術にも「神」としての芸術にも。作品が求めるもの次第で、「人」にも「神」にもなれるし抗える(特に時間芸術においては一つの作品の中でそれが遷移することすらあり得る)、そんな柔軟さ、奔放さが真の芸術には必要なんじゃないかなと思うわけです。どちらかにこだわることはそれだけ可能性をせばめることになるわけですから。まぁ、ザックリ言うなら「受けるも受けねぇも気にすんな」ってことです(?)。
・・・しかし「人」と「神」の間を自由に行き来することが真の芸術への近道だとするなら、カルト宗教のトップとかが一番真の芸術に近い位置にいるということでしょうか。信者の前で「神」になり、「人」としての欲望も望むままにし・・・。う~ん・・・(苦笑)。
2003年10月22日水曜日
2003年10月20日月曜日
哲学的な感性の音楽 - ステファノ・グロンドーナ
とはいえステファノ・グロンドーナです。かのオスカー・ギリアの高弟であり、85年にとあるインタビューでセゴビアが「最もお気に入りの弟子の一人だ」と名指ししたという(ちなみに同列に並べられたのはジョン・ウィリアムス、オスカー・ギリア、そしてアリリオ・ディアス)知る人ぞ知る名ギタリストです。まぁ世界的な評価の割に日本ではやけにマニアックというかあまりに知られていないだけなのですが。私も彼のことは知らなくて、昨年の5月にマンゴレの熱い誘いを受けて行った『音楽の絆フェスティバル』でグロンドーナ氏のマスタークラスを聴講し、その堅実で流麗な技術と、豊かな音楽性を裏付ける哲学的な思索と確かな感性に魅力を感じ、また他に類を見ない「哲学者」的なギタリストという印象から、その後も非常に興味を持っていたのです。しかし彼のCDってなかなか売ってないんですよ。なんとAmazonでも見つけられなかった・・・。それがタワーレコードでほとんど偶然に見つかったので、給料日前の苦しい懐具合にも関わらず思わず衝動買いしてしまいました(苦笑)。いいんです、CDには2種類あるんです。買おうと思えば後で買えるCDと、見かけた時に買っておかないともう二度と出会えないCDと。
今回入手したのは前述のバッハ、スカルラッティ、フローベルガーの曲を集めた『BAROQUE IMAGES』、そして歴史的価値の非常に高い12本のヴィンテージギターを弾き分け、タルレガ、リョベート、セゴビアの作曲・編曲物を中心に編纂した2枚組『鳥の歌』です。ステファノ・グロンドーナはギター史やギター製作の研究家としての顔も持っており、『鳥の歌』では演奏家としての彼と研究家としての彼が両方楽しめます。曲に合わせてA.トーレス(しかも様々な年代の)やブーシェ、ハウザー他計12本の歴史的名器を弾き分けていくこのCDは、曲や演奏も素晴らしい上に様々な名器の音色も堪能できるという素敵な1枚です。しかし、このCDを聴く人は「やっぱり同じ人が弾いても楽器によってこんなに響きが違うんだな」というテーゼと「やっぱりどんな楽器を弾いても結局はその人の音になるんだな」というテーゼ、そのアンビバレンツに苦しむ羽目になりかねません(爆)。いや、本当不思議なんですよ、これが。ともあれ、ギター史やギター製作史に対する深い理解を持った上で一曲一曲に注がれる深い洞察、内省的な奥行きが聴く程に伝わってくるこのCDはかなりお薦めです。この音楽を楽しむためなら多少アンビバレンツに苦しむくらいはいいじゃありませんか(?)。ちなみに、もう1枚の『BAROQUE IMAGES』の方は今聴いているのですが、こちらも楽器はA.トーレスです。敢えてバロックをトーレスで弾く意味は?という疑問はさておいて(トーレスはいわゆる19世紀ギター、収録されている作曲家が生きたのは17世紀)、フローベルガーという作曲家をギター編で聴けるのはそれだけでなかなか珍しいことです。
・・・というわけで、先のジョン・ウィリアムスのコンサートもあり、ここ数日私の中ではギター熱に相当火がついてしまっているとのことです。
2003年10月19日日曜日
ジョン・ウィリアムズ@すみだトリフォニーホール
客電が落ち、ジョンがステージ上に現れてバッハのリュート組曲第四番BWV1006aからコンサートが始まるわけですが、私がまず最初に思ったのは「ちょっと待て、今着てるその服、絶対何かのCD(『ザ・ギタリスト』?)のジャケットで着てたヤツだろ!?」ということ(笑)。大抵の場合ステージ上にいる人物とCDのジャケットに写っている人物というのは印象が微妙に異なるものですが、ジョンに限ってはまったく印象が同じでした。そして演奏です。どうやら彼は極端なスロースターターらしく、BWV1006aの『プレリュード』は結構何度も音外してました(苦笑)。同組曲の『ロンド風ガボット』くらいから切れ始めて、前半の最後グラナドスの『アンダルーサ』、『ゴヤのマハ』、アルベニスの『朱色の塔』、『セビリア』と続く流れは凄まじかったです。『セビリア』カッコよかったなぁ・・・。
ジョンの演奏を聴いていて思ったのは、とにかく右手のタッチがしっかりしているということ。マイクなんてなくても生音でこのすみだトリフォニーホールを掌握できるんじゃないか?と思えるくらい骨太な力強い音が出るのです。そしてハーモニクスが異様にデカイ。実音とほとんど音量差のないハーモニクスがバッツンバッツン鳴り響く様はかなり圧巻でした。しかし彼の右手、弾いてる時は指の第一関節から先がほとんど見えない位置にいるんですよね。ラスゲアードの時ですら指先が客席の視界に入ってこない。それだけ無駄の少ない小さな動きで弦を弾いているということなのでしょうか。
後半は『ザ・マジック・ボックス』収録の曲達から始まります。もうこの頃にはジョンはかなりノリノリで、アフリカ音楽であるこれらの曲達を凄く気持ちよくリズミカルに聴かせてくれました。CDで聴いてると端正でソツのない演奏といった印象の強いジョンですが、実際この『ザ・マジック・ボックス』のようなアフリカの音楽や最新作『解き放たれた悪魔』に収録されているようなベネズエラ音楽での演奏を生で聴いてみると、端正でソツがないというよりは気分屋でノリ重視といった感じさえ受けます。のってくると止まらないってタイプでしょうか。そして『舞踏礼讃』です。この曲で私はジョンの左手に脱力の究極形を見ました。この『舞踏礼讃』という曲は基本的に弾き手本位な曲でして(爆)、特に左手は一度手の形を決めたらそれをそのまま縦なり横なりに動かしていくだけで弾けてしまうという部分が結構あります。ただしそれも理論上の話で、実際はその手の形が結構無理があって力が入ってしまってフォームが崩れて音がびびったり、手の形は同じでも開放弦を交えて高速なスラーで移動しなければいけないので左手指が非常にバタバタしてみたりとなってしまいがちです。ところがジョンは、左手の形が一旦決まってしまうともうピクリとも指が動かない。スラー交じりに縦に左手を移動させていくフレーズのところも、当然指は動いているはずなのですが見た目は本当に指は静止したまま手だけが平行移動しているように見える。ゾクッとしました。どんだけ無駄のない小さな動きで弾いてんだと。かつて藤井敬吾先生が喫茶アルハンブラで半音階で左手の指の動きをいかに最小限に抑えて弾くかということを実践して見せてくれた時も衝撃でしたら、それを実際の曲の中であそこまで見事に実践しているのを見たのは初めてです。しかもまた『舞踏礼讃』の演奏が凄くよかったんですよ。あの曲を妖しいだけじゃなく本当の意味でカッコよく音楽として聴かせてくれるギタリストはなかなかいませんからねー。
そして曲は私の中で本日一番のハイライトである『大聖堂』に移ります。そう、私が初めて買ったクラシックギターのCDはジョン・ウィリアムスの『バリオス作品集』です。そして三回生の定演までずっとそこに収録されている『大聖堂』を目標にやってきたわけです。その名曲が、最初に買ったCDと同じジョン・ウィリアムスが、まさに目の前で弾いているわけです。そりゃ熱くならないわけがありません。そして演奏の方も期待通り、もう最初の一音から客席の空気をすべてかっさらっていくような、オーラに満ち満ちたものでした。ジョンの音って透明でクリアというよりは、少しかすれた感じの丸みがある暖色系のものだとこれまでの演奏からは思っていたのですが、この『大聖堂』の第一楽章ではちょっと毛色が変わりました。丸みのある暖色系の音という底の部分は変わらないのですが、かすれた感じが消え去って、透明感が増したというか輪郭がスッキリしたというか、彼独特の力強いハーモニクスがそのまま実音で出ているような、そんな音に突然変わりました。今思えばこの変化は、もしかしてPAで調整してたのかもしれませんが、とにかくその音にすっかり私は引き込まれ、第三楽章の最後の和音を軽く流して終わるまでずっと固唾を飲むどころかその固唾を飲むために集中力がわずかにそれるのも嫌だというくらいじっとステージから流れてくる音に聞き入ってました。終わった後はもう会場中その日一番の拍手です。客席の何処かから「ブラボー」と叫ぶ声が聞こえます。鳴り止まない拍手にステージ上のジョンが何度も何度も笑顔を返し、次の『森に夢見る』のために調弦を変えようにも拍手がうるさくて困ったなくらいの表情でたたずんでいました。
次の『森に夢見る』もいい演奏でしたし、最後ベネズエラのギター音楽ではまた後半の開始と同じように、気持ちよく音楽に乗っていけるセンスのいいリズム感で観客を楽しませてくれて、コンサートの本編は終わりを告げました。アンコールは三曲、すべて『解き放たれた悪魔』からの曲で、最初の曲はちょっとわかりませんでしたがあとは『星の涙』と『別れへの前奏曲』でした。最後のアンコール前のスピーチで、「これも『解き放たれた悪魔』からの曲で、『Prelude del Adios』です」と告げて「これでアンコールストップですよ」と暗に告げるジョンの、ちょっと悪戯っぽい笑顔が印象的でした。アンコールストップも終わり、ジョンが袖に帰っていきます。それでも当然拍手は止みません。もう一回出てきてくれないかなと皆思ってるわけです。が、鳴り止まないカーテンコールも上がった客電に有無を言わせず止められます。拍手も一気に小さくなっていきます。が、その瞬間客電がまた落ちて、袖からジョンが笑顔で両手を広げて小走りに出てきます。そんなちょっとした悪戯が、無邪気な笑顔によく似合っていました。いやー、このコンサート聴いてジョン・ウィリアムスが好きになりました。彼の演奏は決して「端正で上品にまとめる」だけでなく、聴き手を引き込むオーラとリズムセンスに裏打ちされた力強い説得力のある演奏家なのだなと、私はジョンへの認識を改めましたとさ。
・・・しばらくは『解き放たれた悪魔』が部屋でヘビーローテーションでかかりそうです。
2003年10月15日水曜日
暗い幻影
2003年10月13日月曜日
最近弾いている曲達
2003年10月12日日曜日
2003年10月11日土曜日
小さくとも形になった感性達
次は当時付き合っていた彼女のバイト友達で、シンガーとしてちゃんとした事務所に所属してやっていて、その当時メジャーデビュー一歩前くらいの位置にいた人が参加したコンピレーションアルバム。何度か一緒にカラオケに行ったこともあるけれど、可愛ければよしのアイドル系ではなく真面目にシンガーやってプロ目指してるだけあって、さすがにそこらへんの女の子や学生バンドの女ボーカルなんかより全然うまかったですね。どうなったんだろう、私は名前を聞きませんが、メジャーデビューできたんでしょうか?
そして3枚目は今聴いているCDで、まりも氏の強い勧めで何度かライブも観てこのCDも持っている、みじんこ!の『ケンビキョウと宇宙』。当時立命の軽音の看板バンドの一つで、くるりのメジャーデビューなどで盛り上がっていた立命のバンドシーンの中でも一際目立っていた、というか個性を発揮していたバンドです。・・・とまぁ知ったかぶってますが、二度程バンドに在籍したり引き込まれそうになったりはしたものの(苦笑)、私も立命のバンドシーンにそんな詳しかったわけではないのでまぁ個人的な印象です。で、このみじんこ!が結構いいんですわ。正直、特別うまいわけではないんですよ。もちろん下手でもないですけれど。ただこう、音といい歌詞といいなんかホッとするんですよね。ボーカルの人、確か体の小さい、長めのおかっぱ頭の女の人だったように記憶してますが、学園祭でギターを弾きながら気持ちよさそうに揺れながら歌っていた姿が思い出されます。それを見て私も「もう一度バンドやってみるのもいいかもなぁ」とちょっと感化されたものです(笑)。音楽性としては敢えて言うならスピッツに近いけど、もう少しおっとりとした浮遊感が漂う、なんかちょっと天然系の暖かな音です。リードギターもセンスの塊のような人で、曲の流れの中で随所にビビッとくる演奏を聴かせてくれていました。確か、卒業記念にこのCDだけ出して解散したんでしたっけ?
こうして見てみると、昔はちょっと周りを見回せばそういったセンスや行動力を持った人達がたくさんいたんだなぁ、って思います。社会人になったからなのでしょうか、それとも学生の頃の環境があまりに特殊だったからなのでしょうか、今周りを見回しても、そんなセンスを磨いてそれを外に出していこうという人なんてほとんどいません。ギリギリ一杯一人いるかな、くらいです。きっと私なんか及びもつかないような、想像もできないくらいのセンスや見識や行動力を持った人もいるんでしょう。ですが、少なくともそれらが発揮されているところをお目にかかる機会はありません。正直、つまらないですね。外からの刺激に飢えています。刺激といってもストレスはもうたくさんです(爆)。私の感性を刺激して、つっついて、赤く腫れ上がるくらいにぶっ叩いて、「負けてられるか」と思わせてくれるような、そんな感性に飢えています。だからこそ先週もみなとみらいまで一人で繰り出したりするわけで、狂ったように次から次へと小説を読みあさったりもするわけです。ですが、なかなかうまくいきません。なかなかうまくいきません。感性を刺激してくれる、そんな空気に飢えています。ライブとか何とかそういうことではなく、日常の中に溶け込んだ創造というものに向き合う空気に。学生時代は気付かなくても常に周りに、当然クラギタの中にも、Toward eveningの中にもあった、あの空気に。正直、つまらないですね。
2003年10月10日金曜日
涙の六本木ヒルズデビュー
「まぁ、場所も近いしこのマシン(私がいつも使っている開発マシン)担いでタクシーに乗って行ってもいいな」
・・・ほほう、この私の省スペースどころか思っくそ普通のタワー型のデスクトップマシンを担いで客先まで行くと。なるほど、それなら確かにマシンパワーの問題は解消します。ですが・・・、
「デモってどこでやるんですか?」
「ん?六本木ヒルズ」
・・・ほほう、確かにそりゃ近いな。っていうかヒルズかい!? というわけで、今日私は今日本で最もホットなスポットの一つであることに疑いのない六本木ヒルズを、いつも会社で使っているタワー型のデスクトップを担いで闊歩していました(爆)。プライベートで行った人の話によると実は意外とつまらないらしい六本木ヒルズ、商品一つ一つ当たりの展示スペースがやたらに広く、その空間の広さに呼応するかようにお値段の方もやたらと高いブランドものばかりが並び一般庶民が買い物できるスペースがほとんどないという六本木ヒルズ、そこを私はタワー型のマシンを重そうに担ぎながら歩いて行ったわけです。とにかく最新鋭な六本木ヒルズ、オフィス棟に入るためには空港のようなセキュリティチェックを受けなければなりません。探知機の間を通る時、このマシンがチェックに引っかかって止められたらどうしようかと思いました(苦笑)。何はともあれセキュリティチェックでも止められずに無事通過することができたわけですが、ってゆーか逆にPC担いでても無事に通れるセキュリティチェックって、一体何をチェックしているのでしょう?こんなでかいタワー型のマシンなら中に爆弾の1つや2つ隠せるんですがねぇ・・・。帰り際、ヒルズの静かで高速なエレベーターで、制服姿のキャイキャイ騒ぐ女子高生達とスーツを着込んでタワー型のマシンを抱えた私が乗り合わせるその風景や、ガラス張りの回転ドアをタワー型のマシンを抱えた私がくぐり抜けてきて、水が流れるアクリルの壁の横を抜けてエスカレーターに乗り込む様は、きっと端から見ると得体のしれないシュールさが漂っていたに違いありません・・・。今日という日に、そんななんとも言えない微妙な気まずさが残るヒルズデビューを私は果たしたのでした。どっとはらい。
2003年10月7日火曜日
原点
2003年10月6日月曜日
Sputnik Sweetheart
今朝、9時半と休日にしては早めに起きた私は、洗濯や買い出しといった日常の諸事を手早くすませます。そして行き際にスーツをクリーニングに出し、ラーメンで昼食をすませた後に桜木町行きの電車に乗り込みました。終点で降り、バスターミナルの向こうで回るコスモクロックを横目にエスカレータで上の動く歩道に昇り、一路ランドマークタワーの方を目指します。そしてランドマークタワーの横を抜けて扉をくぐり、回廊状のエスタレーターを5階まで上がればもうランドマークホールはすぐそこです。近未来的でお洒落で先進的なみらとみらいランドマーク近辺に、20代の一人攻めを敢行している人間は男女を問わずほとんど皆無に等しいですが気にしちゃ負けです。手前にある有燐堂の『世界のトランプ展』とやらが目についたので立ち寄ってみて、妖しいタロットカードにちょっと惹かれながらも意外と高かったので諦めてみたりしながら、私はランドマークホールに向かっていきました。受付を済ませ、来場者全員プレゼントというポストカードをもらって中に入ると、美術館というよりはイベントホールといった雰囲気で(というか実際そこはイベントホール以外の何物でもないのですが)、薄暗く照明を落とした空間に、意表を突いたことに静かなBGM的な音楽でなく、大音量のいわゆるネオクラシックとかネオフラメンコとかいった類いの音楽が流されいています。ある種学園祭の出し物につきものな浮き足立った熱気にも似た印象を受ける、ある意味で実に斬新な空間です。版画はまぁお決まりって感じで黒い幕に暖色の電球で照らされていましたが、その明らかに美術館とは一線を画した雰囲気は、微妙に若者受けを狙っていたりするのでしょうか?
中に入って「むう、シャガールだ(やっぱ相変わらずこんなんだな、オイ)」等とすっとんきょうな感想を持ちながら一枚目の版画を近寄ったり離れたり角度を変えてみたりしながら眺めていると、スーツをビシッと着込んだ、短めに刈り込んだ茶髪を爽やかに上に立てた同じ歳くらいの説明員が満面の笑みで声をかけてきます。
「シャガールお好きなんですか?」
・・・ほう、俺がシャガールが好きかと?なるほど、休日にイベントホールのシャガール展に一人で立ち寄って、しかも一枚目からじっと数分立ち尽くしているくらいだから、確かに他の人から見たら「シャガール好き」に見えるのかもしれない。が、何しろ俺は初めてではないにしろ美術全般に大した見識があるわけでもない、「なんちゃって美術好き」です。彼の質問に大真面目に「ええ、いいですよね、シャガール」と答えることもできず、仕方がないので開き直って「いやー、ぶっちゃけよくわからないんですけどね、まぁ観るのは嫌いじゃないんで」等とひきつった笑みとともに答えてました。それでも彼は「この金色の額がシャガールが生前に自分で作成したもので、それ以外の物は死後に出た復刻で・・・」と説明してくれました。それはそれで嬉しかったりはするのですが、素人同然の人間が美術の展示会場に単身乗り込んできて、しかも適当に流すでもなく一点一点じ~っと首を捻りながら観ているというのも少し気まずかったりします。何しろ本当に「よくわからん」のですから(苦笑)。ん~、ムンクは凄く感性に響くものがあるし、カンディンスキーも素直に響くものは響くなりに、わからんものはわからんなりに、もっと色々感じるものがあるのですが、シャガールはよくわからん・・・。
その会場にはシャガールの他にスペインの作家や日本や中国の現代のアーティストの作品も展示されていて、むしろそっちの方がよかったです。まぁ、ただ単にわかりやすかっただけって話もありますが(爆)。ただあれですね、このことはまた機を見て書こうと思いますが、そこに展示されていた現代のアーティスト達は、凄く透明で幻想的な綺麗な作品を作っていて、確かにその技術には感心するのですが、その作品の中で何かしらの形をとって息づいていなければならないはずの魂が見えなかったのです。表面的な美しさだけで終止してしまっているような、そんな印象を受けました。シャガールの作品は理解できないなりにそういった「力」のようなものはやはり感じますねぇ。それともこれも色眼鏡なのかなぁ・・・?
そしてその後、有燐堂に再び立ち寄り、奥の方に渋谷のブックファーストより充実した洋書コーナーがあるのに気付き、そこで一時間程立ち読みをして過ごしていました。いや、村上春樹の英訳版があって、最近じゃ海外でも英訳された村上春樹の小説が非常に評価が高く読まれていると聞いたので、「英語で読むとどんな印象をうけるんだろう?」と、興味津々で立ち読んでいました。しかし、英訳されたタイトルがいちいち微妙です(苦笑)。例えば『ねじまき鳥クロニクル』は『The Wind-Up Bird Chronicle』。いや、まぁ、確かに「ねじまき」は「Wind up」なのかもしれないけどさぁ・・・。『神の子どもたちはみな踊る』は『After the Quake』。むぅ、確かに『神の子どもたちはみな踊る』は阪神淡路大震災から作者が受けた心象をもとにした連作短編集だ。・・・が、敢えてその中の作品の一つを本のタイトルにもってきた作者の意図は何処へ・・・?とか。『ノルウェーの森』や『アンダーグラウンド』なんかはそのままですね。で、唯一「この英訳タイトルはセンスいいなぁ」と思ったのは『スプートニクの恋人』。訳して『Sputnik Sweetheart』。これは村上春樹の作品としては正直私の中で比較的評価の低い作品ですが(そのくせ文芸方法論のレポートでは当時出たばかりのこの作品を、必死で読みといて色々な所に付箋張り付けたりして珍しく熱心に研究してレポートを書いた)、英訳版を読むならこれかなぁ、とか思ってしまいました(笑)。なんかいい感じじゃないですか。『Sputnik Sweetheart』。まぁ実際ヒロインのすみれがSweetheartかどうかはともかくとして。
ところで、ペーパーバックってよく裏表紙や中の扉に作者の経歴やバイオグラフィーが載ってたりするじゃないですか。村上春樹のも載ってたんですが、彼、京都の生まれだったんですね(←知らなかったんか!?)。ずっと神戸だと思ってました。しかも、村上春樹の写真初めて見ました・・・。それらに衝撃を受けるにつれ、「そういや俺ってそんなことも知らずに彼のファンやってたんだろうか・・・?」と思ってしまいましたとさ。いいんです、俺は彼の作品が好きなのであって、彼の写真やバイオグラフィーが好きなわけではないのです。・・・まぁでも普通、好きな作家の写真くらい8年もファンやってりゃ一度くらいは目にしますよねぇ・・・。
バイオグラフィーで思い出しましたが、今日は私の遠い友人の誕生日でした。今では連絡先もわからなくなってしまって、どこでどうしているのかもさっぱりで、まさに『遠い声、遠い部屋』といった趣もありますが。折角思い出したのだからこの場で一言くらいお祝いをいいたいと思います。しかしどうしてるんでしょうね、ホント?お~い、元気か~?
2003年10月5日日曜日
壊れかけの・・・。
2003年10月2日木曜日
弁解余地なし
・・・にしても昨日日記に書いたばかりでもう今日かい・・・。