2004年4月29日木曜日
忘れていた哲学
今日高校時代の仲間と話していて出てきたのは「たとえどんなひどい状況でもとりあえず笑いを。それもできればブラックな」という当時の私の名(?)台詞。「笑う門には福来る」的な発想とはちょっと違って、どんなに緊迫した場面(当時は色恋沙汰とか先生に説教食らうとかが主)でも、空気が転調できる頃合いを見切ってブラックなユーモアで周りを(たとえ苦笑いでも)笑わせてしまえというこの発想。台詞自体は忘れていましたが、なるほど今も私はそんな感じです(爆)。上司とケンケンガクガクやりあってる時でも、表情は厳しいまま台詞だけ強烈なブラックユーモアをかまして、対象とされた本人以外の周囲の誰かをニヤリとさせられたら私の勝ち。結構そんな感じです。別にそんなことしたって特別状況が有利に変わることもあまりないですし、むしろ相手が悪いと「真面目に話してるんだ」と火に油を注ぐことにもなりかねないわけですが、何故だか昔から私にはそういう傾向があるようです。ただの強がりといってしまえばそれまでですが、笑いを取りにいくことができるということは周囲を見渡す冷静さがまだ残っているということ。逆に笑いを取ろうと思ったら冷静にその場の全員の一挙一動を観察しなければなりません。緊迫した空気の中でその緊張を解きほぐせる一瞬は、熱くなってしまってはつかめるものではないですからね。そうやって無意識のうちに最低限の冷静さと観察眼を保つ戒めとして、「たとえどんなひどい状況でも笑いを」と私は狙っているのかもしれません。・・・ま、多分そんないい理由じゃないんでしょうが(←オイ!)。
2004年4月26日月曜日
2004年4月25日日曜日
後ろ向きな日曜の午後
けれど、その後が何か違うのだ。休日の終わりに、心を構えるようになった。「さぁ、明日から・・・だ」と。昔は別段そんなことも意識せず、普通にHPを更新して寝て起きて、休日も何も変わらない時間が流れていたように思うのだが。かつては連綿と切れ目なくつながっていた休日とその他の日は、いつからか間に大きな境目ができてしまっていた。当然と言えば当然のこと。明らかにそれらは違うのだから。過ごす時間の内訳においても、場所においても、心理的な面でいっても。けれども、何故休日の終わりに身構えなければならないんだろうかと思う。何故休みの日の終わりに、寂しさに似た気持ちすら覚えなければならないんだろう。それは次の日を、少なくとも完全には、前向きに迎え入れられていない証拠だ。色々思うところはあるけれど、結局、そろそろ潮時だということなのかもしれない。
2004年4月22日木曜日
2004年4月21日水曜日
2004年4月19日月曜日
Apple 2004年春の新製品
2004年4月18日日曜日
書くために
たとえば、通勤の電車ではいつも大抵何かしらの本を読んでいる。一冊読んでいるとそれがどんなジャンルの本であれ、一カ所くらいは何か思うところがある場所があり、そこについて書きたくなる部分があるものだ。そして実際、その場で簡単な草稿を頭の中で作り上げたりもする。ところが、そこまでしておいていざ帰宅してPowerBookを立ち上げると、ふっと書こうと思っていたものがわからなくなってしまう。もしかしたらそれは書きたいものがわからなくなるのではなく、頭の中でかなり具体的に練り上げたつもりの草稿が、実は本当に文章にするには曖昧にすぎるもので、だからいざ書こうと思った段階で筆が止まるということなのかもしれない。けれどとにかく、日記に何か書こうと思っても小説やエッセイを書こうと思っても、万事がその調子で形にならない。創作意欲がないわけではないだけに、その空回りが自分で悔しい。
どうしたものかと考えた末、いつも本と一緒に付箋とペンを持ち歩くことにした。そもそも本を読んでいて「後でここについて書こう」と思った場合、その「後で書く」時が訪れた際にはそれがどこだったか、ひどい場合にはどの本だったか忘れてしまっている場合が多い。そして活字の本を一冊目を通して、お目当ての箇所を拾いだすというのはなかなか骨の折れる作業だ。だから、すぐに「後で書こう」と思った場所を引けるように付箋を貼っておこうというのだ。カバンの中とかにあって取り出すのが面倒では元も子もないから、常にポケットに入れて持ち歩く。ペンがあれば気が向けばついでに一言二言メモを一緒に残しておくこともできる。とりあえずはそれで、何が書きたかったのかを忘れているだけなのか、あるいは頭の中でまとまったと思っていたものが実はまとまっていなかったのかの切り分けにはなる。前者ならこれで場所がすぐ思い出せるようになれば、後はスラスラと書けるだろう。後者ならこっちの頭の問題だ。すぐに解決とはいかないだろうが、それならそれでやりようはある。
とにかく、何か書いていくことが大事なのだ、今は。文章にしろ音楽にしろ、一度手を止めてしまったものはその後、手を止めた時点での立ち位置まで帰ってくるのは難しい。社会人として仕事を持っているとなおさらだ。だから、まず手を止めるわけにはいかない。そこから先に進むかどうかは、まだ考える時間はあるとしても、一度止めた手をまた動かして、止めた時点と同じ位置まで戻ってくるために使うだけの時間は多分もうないのだから。
2004年4月17日土曜日
おいしいジン・トニックの作り方
ジントニックの作り方は簡単で、大きめのグラスに氷を入れ、ジンとトニックウォーターを1:4くらいで割ってライムを絞ってブチ込めば完成です。それほどデリケートな調合でもないので、多少割合間違ってもそんなにひどい出来にはなりません。材料さえあれば誰でも比較的手軽においしくいただけます。なのに時たま恐ろしくまずいジントニックを出す店があるのです。あれはむしろどうやってあんなにまずく作ってるのか、その秘密が知りたいくらいです。
ジントニックを作る場合のジンはゴードンが一般的ですが(ジントニックに限らず、一般にジンベースのロングカクテルはゴードンが向くと言われている)、ジンが好きな人はちょっと贅沢にタンカレーを使うとより一層おいしくいただけると思います。トニックウォーターは私は基本的にシュウェップスを使いますが、今日カナダドライで試してみたのも結構いけたので、まぁどちらでもよいでしょう。問題はライムです。個人的にはライムは一杯につき1/4切れ、多めに贅沢に使うのが好きです。バーとかだと大体1/8切れくらいなんですけどね。ちょっと大きめの1/4切れライムをキュッと絞って、それをそのままグラスに入れてグッと飲む。これですね。間違っても「ライムは高いからレモンで」なんて考えたらダメです。レモンでは甘みが強すぎて、味が締まらずに輪郭がぼやけてしまうのです。ライムジュースもイマイチ。本物のライムは、一回で使い切るならいいけど残ってしまうと保存とか色々めんどくさいというのは確かですが、カクテル用のライムジュースはことジントニックに限って言うなら使わない方がよいです。酸味に爽やかさが欠けてしまいます。ジントニックはあらゆるアルコール類の中でも他に例を見ないほどの爽やかさというか健康さ、スポーティさが命。その身上を活かすためには多少めんどうでもフレッシュライムを切って使うのが一番なのです。
・・・というわけで、久しぶりに包丁持ちました(笑)。
今日のカクテルレシピ
ジントニック
ジン 1/5
トニックウォーター 4/5
ライム 1/4切れ
大きめのグラスに氷を入れ、ジンとトニックウォーターを注ぐ。ライムを絞った後そのままグラスに入れてステアする。ちなみにカクテルレシピ的にはジンは45ml、トニックウォーターは適量と書かれております。
2004年4月15日木曜日
ビールも飲めずに
2004年4月9日金曜日
渋谷の春
2004年4月7日水曜日
理性と感情
2004年4月5日月曜日
「とりあえず」
まぁとはいえ言ったそばからなんだけど、「とりあえず」今は、この週末まで桜が咲いてくれていることを祈る。
2004年4月4日日曜日
趣味としてのプログラム
で、今は手始めに前のマシンで使っていたOutLook4のメールを現在の環境に取り込むプログラムを暇を見て少しずつ作っています。いや、やっぱり七年間蓄積してきたメールの財産って捨てたくはないですからね。私のマシンのOutLook4はもう古すぎて、今の世の中では形式を変換してくれるプログラムが見当たらないので、それなら仕方がないから自分で作ろうとやっています。ついでにPHSのメールもH"問屋で一通一通持ってくることはできるものの、そこからはテキストとして開く以外どうにもならないので、一緒にPHSのメールも現在の環境に取り込んでしまうというのも作ってます。どっちかっつーとこっちの方が楽なんですよねー。通常のEメールはエンコードの形式やら何やら取り決めが色々めんどくさい。その点AirH" Phoneのメールは適度に仕様に手が抜かれていて楽です(笑)。ま、この新マシンの使い心地と性能を確認する意味も含めて、そんなこともやってみたりしています。
完全に趣味としてのプログラムってのは実は初めてなのですが、これはこれでなかなかそれなりに楽しいですね。仕事では期限や予算や政治の関係で曲げたり妥協したりしなければいけない部分も結構多いシステム屋の世界。ビジネスという名の下にものづくりとしての美学や精神が曲げられたり捨てられたりしてしまうのはプログラムも同じです(一昔前の芸術家には社会主義思想の人が多いのはそこが原因なんだろうか?)。やはりこの仕事も、できる人ほど職人的な美学を持っているものですからね(『プログラマー職人気質』という本まである)。ま、完全にプログラムを趣味としようとは思いませんが、必要性があるときに思い切り設計や細部の実装の美学にこだわってプログラムをしてみるというのも、普段押し潰された美学を飛び回らせてストレスを解消するという意味ではいいのかもしれませんね。