2004年11月29日月曜日

ウサギに指を噛まれた日

 ・・・ウサギに指を噛まれました。比喩でもなんでもなく、純粋な事実として。

 それはよく晴れた日曜のお昼前のことでした。どんぐり共和国という、アスレチックと動物ふれあい王国が一緒になったようなところを回っていました。無反応なポニーや愛嬌たっぷりの子やぎ、黒目たっぷりの子牛を眺めて撫でたりしながら、最後にウサギ小屋に辿り着きました。「日本の住宅事情は外国から見ればウサギ小屋も同然だと言うからな、どんなものかよく見てやろうじゃねーか」と意気込んで中に入ります。するとよく日の入る広々とした柵の中で、清潔に乾いた干し草の上をウサギ達が元気に駆け回っています。普通飼いウサギというとなんか元気が足りなくて、あまりぴょんぴょん跳ね回るような印象はないものですが、ここのウサギ達は違いました。そりゃもう元気に走り回ります。二、三十匹くらいの小さくて元気なウサギがカサカサっと飛び回ったり立ち上がったりする姿はそりゃかわいいです。手を差し出すと、何匹か必ずササッと寄ってきて、匂いをかいだり立ち上がったりして餌をねだります。そんなこんなで、柵の中に手を入れてウサギ達をかまっていたわけです。すると、その中の一匹、白い毛に赤い目の典型的なユキウサギです、がおもむろに立ち上がって私の手の方にやってきます。「お、寄ってくるかな?」と思っているとそのウサギ、スッと口を開きます。

 コリッ・・・

 クルミを二つ、掌の中で転がしたような乾いて歯切れのいい音がしました。「コリッ?」とその音に疑問を覚えた次の瞬間、右手の人差し指に痛みが走ります。反射的に指を引っ込めました。やっと「ああ、ウサギに噛まれたんだ」と気付きます。指先からは血がプクッと出てきてまず丸くなり、次の瞬間に流れ始めます。結構傷は深いです。水道水で傷を流してカットバンを張り、後になって血が止まって傷口を見てみたら、カッターで切られたような鋭利な傷が指先にできていたとのことです。

 しかしネコとか犬とかならまだ接する際に「もしかしたら噛まれるかも」という警戒心が心のどこかにあるので噛まれてもそんなに精神的に動揺はしませんが、まさかウサギに噛まれるというのは正直心のどこでもまったく想定していませんでした(苦笑)。いやー、びっくりしました。気をつけましょう。奴らは意外と凶暴です。

 ♪かわいいふりしてあの子、なかなかやるもんだねと~♪

2004年11月25日木曜日

ジベルばら色粃糠疹

 昔からよくわからない病気にかかるのは得意な(?)私ですが、また変な病気にかかってしまいました。今度の病名は『ジベルばら色粃糠疹』。まぁ、平たく言えばじんましんの一種です。病名からしてかなり厳つい印象を受けますし、なかなかレアな感じもしますが、皮膚病としては割にメジャーな部類に入るものらしいです。とりあえずかゆみもあまりなく(たまにかゆくなることもある)、基本的には放置しても治るらしいのですが、何しろ発生から今に至るまでの間は日が経つ毎に全身に赤い湿疹が広がっていくので、医者に診てもらって病名が特定できるまではとにかく焦ります。「大丈夫かな、これ?昔からあらゆるアレルギーは経験してきたけどアトピーだけはなかったんだけどなー・・・」、って感じで。

 原因は諸説あるそうですが、今現在最も有力そうなのはウィルス説。実際、一度かかると再発はほとんどないなど、ウィルス感染症独特の性質を持っているようです。とりあえず薬はもらってきたのですが、当面対症療法しかないものですから劇的によくなるわけでもなく、むしろまだ湿疹は広がっています。最初は下腹部からももの付け根くらいまでだったのに、今や上は腹側の上半身から上腕部、手首の辺りまで、下もふくらはぎのあたりまで浸食されています。ここまで広がってくると正体が割れていても不安にはなるもので、もう一度病院にでも行ってみるかと検討中です。

 いやーしかし、今私の体は大変なことになっています。

2004年11月24日水曜日

ジーパンの洗い方

 ジーパンは晴れた日に洗って外で干さないと乾かないのです。それもこの季節になってしまうと、できれば午前中に。

2004年11月21日日曜日

ウィーンフィル体験

 昨日のことになりますが、ウィーンフィルの演奏を生で聴く機会に恵まれ、コンサートに行ってまいりました。サントリーホールにて今新たなカリスマとして注目を集めているワレリー・ゲルギエフ指揮のウィーンフィル!これだけの一流ホールで世界最高峰のオーケストラが聴けるとは思いませんでした。しかも曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第三番とチャイコフスキーの交響曲第四番。かなり私好みのチョイスです。

 このコンサートは元々は招待及び抽選のみで全席が埋まり、一般でのチケット販売はされていないプレミアコンサートです。本来なら私が行ける類いの代物ではないのですが、招待券をもらった社長が「行きたい人がいたら抽選するから手を挙げろ」との配慮をしてくれて、手を挙げたら当ってしまいました。チケットをもらってみた時は、ギラッと光るプラチナチケットに戦慄を覚えたものです。基本は招待だけのコンサートだけあって、周りは何となくセレブっぽい人々がたくさんいましたし、会場では解禁されたばかりのボジョレー・ヌーボーも無料で飲み放題という至れり尽くせりぶり。開演前からして既に夢気分です。オーケストラが出てきて客電が下りた時の緊張はいうまでもないでしょう。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番が始まります。低く、怪しく静かに奏でられる弦の響きに、冷たく侘びしげなピアノのフレーズが乗っていきます。そこから始まる世界はなかなか改めて言葉にしようと思うと出てこない、非常に密度の高い空間でした。いつか言葉にできる日が来ることを祈りつつ、今回は少々寡黙に、確実に言葉にできることのみを書き留めておきたいと思います。

 ウィーンフィル、ゲルギエフの演奏でまず感じたのは音の入りに対する集中力がハンパじゃないということ。曲の入り、音量もテンポも大きく変わるダイナミクスの境目、要所要所は客席で観ているこちらまで一緒に息を呑んでしまうような、強烈な視線とブレスでオーケストラが合わさっていくのです。私は第一バイオリンとソリストの真後ろ、彼らの指も見えるようなところに座っていました。ピアノ協奏曲の最終楽章、さぁこれから盛り上がろうというところで、第一バイオリンがいきなり大音量で入る際、ゲルギエフがカッと目を見開いてこっちを見て、一瞬で鳴っている楽器の音も吹き飛ばすかのような強烈で瞬発力のあるブレスで第一バイオリンを音に一気に引き込んだ、その場面が瞼に焼き付いて離れません。その瞬間、「ああ、カリスマ指揮者とはこういうものなんだ」と肌で感じたのです。引っ張られる。音も無音も、すべてが引っ張られていく感じがするのです。音も意思も、引っぱり一つにまとめる力。客席でもそれを感じるのです。ステージで演奏しているオーケストラは、それをどれほど感じるのでしょう。叶わぬ夢ではありましょうが、いつかそういったステージに立ってみたいものです。

 もう一つ感じたのは、これは指揮者に大きく依存する問題なのかもしれませんが、意外とウィーンフィルってリズムを表に出した演奏をするという印象を受けました。CDで聴いてる際はいつもサラッと優雅にまとめていて、あまりガツンとぶつかってくるような強烈なリズムを打ち出した演奏はしてないように思っているのですが、今回はかなりリズムの輪郭をはっきり出した、その意味では私好みの演奏をしていました。リズムの角を取った丸みのある演奏ではなく、むき出しのままむしろ炉に入れて鍛冶で鍛えたような、まっすぐ無骨なリズム感。結構ウィーンフィルに対して私が抱いていた印象を変えてくれました。

 ともかくも総じて言えばさすが世界のウィーンフィル。聴いているこちらも集中力を切らす暇がまったくない、素晴らしい至福の時間でした。クライマックスで思わず背筋を伸ばし拳を握った、あの迫力と集中力は最高です。いつかまた聴きたいものです。そしてその時は、もう少しはましな言葉で語れるように。

2004年11月17日水曜日

今日の言葉

 愛にふさわしいものが愛を受けるのではない
 愛を受けたものが愛にふさわしくなるのだ

岩波新書 大平 健 著『豊かさの精神病理』より

2004年11月15日月曜日

払う登場!

 昨晩から払うがウチに泊まりにきていました。マンガ喫茶等で夜を明かしながら10日間ものフラメンコ東京行脚をしているそうで、相変わらずたくましいことこの上ない(笑)。とりあえず軽く飲んで、払うが持ってきていたディエゴ・デ・モロンのビデオを久しぶりに観て(以前払う邸で観たことあり)、洗濯をするのにコインランドリーを探して(笑)、そんな一日を過ごしていました。しかしディエゴ・デ・モロンの演奏は凄まじいですね。時たま神がかった気迫と集中力で、説得力の固まりのような音を出すのです。数年前に観たときも「コイツは凄ぇ」と思いましたが、改めて観てみてもやはりしびれました。

 しかし本当に久しぶりに、少しではありますが家で自分以外の人間がギターを弾いているのを聴き、また一緒に弾きました。やっぱり一人で弾くよりも、一緒に演奏する仲間がいるのはそれだけで楽しいものだなということを再確認しましたが、同時に切なくなるくらいのブランクも正直感じました。私が本当に集中して演奏した最後のときはいつだったでしょう?それからどのくらい隙間を空けてしまったのでしょう?とりあえず、最近弾かずにホコリをかぶっていたサイレントギターの弦を替えて、そこから出直しかなと思っています

2004年11月14日日曜日

名古屋出張開始

 一昨日のことになりますが、仕事で名古屋に出張してきました。ウチのグループは基本的に首都圏中心でやっているので新幹線で出張というのはなかなかないのですが、今回は名古屋で新規案件が取れたのでしばらく隔週くらいでの名古屋出張が続きそうです。まぁ既に東海道新幹線の利用に関してはマスタークラスの領域まで達してしまっている私ですが、一番怖いのは油断してると名古屋を通り越して京都まで行ってしまうのではないかと言うことです(苦笑)。まぁまぁとりあえず、しばらくは名古屋名物を堪能しながら旅をしようと思います。味噌カツは思ったより味噌の味がすっきりしてて食べやすくてよかったですね。

2004年11月10日水曜日

ならば

 あなたがよかれと思うことを、よかれと思うやり方でやりなさい。

2004年11月8日月曜日

デビッド・ラッセル - 輪廻のパッサカリア

 Amazonで注文していたデビッド・ラッセルの『Passacaille』が今日届きました。何故かCDのタイトルがAmazonの目録と一致してませんが気にしちゃ負けです。先月10/10にラッセルのコンサートに行った際、後半ののっけから聴衆を引っ張り込んでくれたヘンデルの『組曲七番』を全曲収録し、他の曲目もバッハにスカルラッティと、ラッセルの魅力が十二分に堪能できそうな期待の持てる一枚です。昼食後に帰宅したら郵便受けに入っていたそのCDを、今日は何度も聴いていました。

 まずはこれまで語る機会をなくしてしまっていた、先月10日トッパンホールでのラッセルのコンサートから始めましょう。意外かもしれませんし知ってる人も少ないでしょうが私は学生時代から(例えばまんごれとかに訊かれた際に)「一番の目標はラッセルだ」と密かに公言していました。大学四回の時にラッセルが来日した際は諸々の都合が折り合わずに行くことができず、「次に来たときは絶対行ってやる」と燃えていたわけです。当然当日も問答無用で仕事を切り上げ、普段絶対電源を切らない社用の携帯電話の電源を速攻落とし会場に向かいました。

 いきなりテデスコの『悪魔の奇想曲』から始まる強烈な曲目のコンサート。最初に思ったのは「もの凄く和音がきれいに響くなー」ということでした。入りに流してくるコードから、いきなり会場の空気をわしづかみにするくらい堂々と響くのです。ラッセル特有のあの暖かさと透明感を兼ね備えたあの音色で。テデスコの曲はこの『悪魔の奇想曲』もそうですし『ソナタ-ボッケリーニ讃』もそうですが、緊張感溢れる和音の高速移動が曲の最大の盛り上げどころであり、最大の難所でもあります。その高速で連打される和音がまた素晴らしく一つ一つきれいに鳴ってるんです。しかもまたその和音の中に決して旋律が埋もれない。ラッセルは音の分離にかけてはあらゆるギタリストの中でも屈指のセンスを持っているとCDを聴きながら感じていましたが、改めて生で聴くとやはり凄いです。この一曲目ではまだ手が温まっていないのか、『悪魔の奇想曲』必殺の高音から一気に駆け下りてまた戻ってを繰り返す連続スケール&アルペジオはかなりきつそうでしたが(苦笑)、肝心要の和音の高速連打を素晴らしいテンションで弾ききってくれたおかげでのっけからこの名曲を堪能させていただきました。

 続く『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』と『主よ人の望みの喜びよ』は割に力を抜いた感じの演奏で、『目覚めよ~』に非常に大きな期待をかけていた私は少し肩すかしを食ってしまうわけですが。まぁしかしそれ以上に許せないのがマナーの非常に悪い客達で、この二曲の演奏中はデカイ音で携帯は鳴るは後ろじゃずっとなんかガサガサガサガサ音立ててるバカはいるは、アンタら一体何しにこの会場に来てるんだと軽く小一時間説教くれたい気分で一杯でした。せっかくのコンサートなんだからよー。

 ともあれ続くマンホンの『バスクの調べ』は素晴らしい演奏でした。前半のMVPです。私もあまり聞いたことのない作曲家の知らない曲でしたが、またこれがよかったのです。作曲者のマンホンはバリオスをも魅了する腕前を発揮したというスペインのギタリスト兼作曲家ですが、この『バスクの調べ』は『アラビア風奇想曲』のようなエキソチックな情緒が漂い、中間に複雑なリズムや様々な技巧を差し挟みながら展開していく名曲です。相当に技巧的な要素を含みながら、その技巧によって紡ぎだされるフレーズがまた美しいのです。ラッセルもまたこの曲では調子を上げてきて、持ち前の美音と表現力でこの難曲を見事に歌って聴かせてくれました。思わず休憩時間にこの曲の譜面を所望してしまいましたからね。いい曲です。まぁいざ帰りの電車の中で譜面を見てみたら一小節の中に11連譜と12連譜が共存するような極悪な曲だったわけですが(爆)。

 そして後半の一曲目、ヘンデルの『組曲七番』より序曲、サラバンド、パッサカリアが弾かれます。これがねぇ、素晴らしかったんですよ。ヘンデルというと『水上の音楽』の『王宮の花火の音楽』のような明るく華やかなイメージがありますが、この曲はどちらかというとヴァイスやフローベルガーのような静謐な美しさを持つ曲で、序曲でのフーガ風の掛け合いや、重々しいというよりは敬虔な祈りの神々しさを思わせるサラバンドと、もの凄く印象に残るのです。またサラバンドでのラッセルの和音の音色がきれいなんですよ。透き通ってるんだけど刺のない、長期間樽の中で熟成された秘蔵のウィスキーのような音。どうやったらあんなにきれいな音が出せるんでしょうか。それも和音で。いつか自分でもと夢見てしまいます。

 そして組曲最後のパッサカリアが始まります。これはもう最初の一小節で充分でした。それだけで完全に曲の世界に引き込まれてしまいました。曲自体素晴らしく美しいのはもちろんなのですが、それ以上に演奏しているラッセルからもの凄いオーラが出ていたのです。また曲自体パッサカリアとしてはテンポ設定が早く、しかも一回の変奏周期が短いせいで、もう次から次へ変奏が展開していき音が回っていきます。中盤以降どんどんスケールやアルペジオの音数が増えていく中、短い周期でパッサカリアの低音主題は執拗に繰り返され、まるでグルグル回る輪廻を早回しで体験しているような、そんな感じでした。実際、ラッセルを中心に螺旋状に空間が回転しているような、そんな印象さえ受けました。ゾクッとしましたね。この演奏はホントに心が震えました。この一曲を聴くためだけでも来る価値はあります。

 そしてあれから約一ヶ月、改めてCDでこのヘンデルの組曲七番の『パッサカリア』を聴いてみます。コンサートの演奏よりもややテンポを落として弾いてますが、やはりいい曲です。パッサカリアはシャコンヌと同じように低音部に主題を持ち、低音で奏でられる主題旋律が一曲を通じてほとんど姿を変えずに執拗に繰り返され、その上で自由な変奏が繰り広げられる形式です。特にこのヘンデルの曲では短い周期で回る変奏が何度も何度も波のように押し寄せてくるのとは対照的に、低音主題は一曲を通じて姿を変えずにはっきりと繰り返されます。上の変奏がどれだけ変わっても、低音がまったく変わらずに響いてくるため、それが短い周期で何度も繰り返されるうちに、押し寄せてくるフレーズ自体に強い既視感を持つようになります。それが特にこのパッサカリアが輪廻を私に思い起こさせた所以でしょう。

 一つの区切りが終わりまた次の区切りが来る。前の区切りの音がまだ頭から離れないうちに。そのようにして強く厚く積み上がっていくデジャヴュ。それは輪廻転生をも確かに想起させるし、また同時に我々の人生のメタファーのようにも思うのです。中学、高校、大学、社会・・・、舞台は色々変わっていきますが、それは所詮上の変奏部が変わったに過ぎず、結局低音部では同じ主題が何度も繰り返される。それは今挙げたような学校を軸とした区切りでなく、例えば友人関係だったりあるいは恋愛関係だったり、ないしはもっと他の何かかも知れませんが。人生の何かの折にふと、「ああ、そういえばこんなこと前もあったな、結局同じことを繰り返してるな」と思う瞬間があります。正直あまり出来のいい小説ではありませんが、『やがて消え行く幻達へ』はそのような感覚が元になってできたものです。私がこのパッサカリアやシャコンヌという執拗に繰り返される低音主題の形式を好み、惹かれるのは、その明確に繰り返される主題とその上に乗っている変奏が、そうした人生の中の輪廻のようなものを感じさせるからなのかもしれません。低音部の主題を自分の基本的な流れとして、その上に乗る変奏を環境等の変動要因と見るならば、変奏部分がいかに変容しようとも結局いつも同じことをやっているという、そんな運命論的な人生の悲哀がこの形式の中には潜んでいます。そこが、好きなのかもしれません。

 CDで聴きなおすこの曲は、コンサートの時程の圧倒的なオーラこそないもののさすがに演奏自体は凄く安定していて、やはり同じ既視感を感じさせます。繰り返す運命論的悲哀としてのパッサカリア。ラッセルの透明だけれど冷たくはない音と、繊細な表現がここまでこの曲を強く心に残るものにしているのでしょう。CDでもここまで強烈なイメージを投げかけてくれる演奏というのはなかなかありません。コンサートからCDへ、それは心に響いていきます。

2004年11月7日日曜日

新サイト構築、作業中

 8月に引越宣言を出して以来、なかなかはかどらないこの『雑記帳』の移行作業。今日は奇跡的に(?)土日とも休みということで、ほとんど一日新サイトの作成にとりかかっていました。

 しかしあれですね、エッセイや小説なんかはまだいいにしても、日記を移植するのが大変です。何しろ7年以上のストックがあるわけですから。ともあれその7年以上の間、HTMLの基本的なテンプレートは一回も変わってないので(簡単なCSSを追加したくらい)、そこに乗じて今の雑記帳の日記を新サイトに移すプログラムを書いてしまおうかなと思い、50%くらいまでは作ったんですが、結局やめにして一日分ずつ手で移してます。何というかですね、プログラムで自動に移すにしろ新サイトでは日毎にタイトルを付ける必要があるので、結局その分は一日ずつ見ていかないといけないと、そういった理由もあるのですが、まぁやっぱり自分の手で書きためてきたものですからね、プログラム走らせて無機質にパチンとやってしまうんじゃなんか扱いが手荒なような気がして、自分に申し訳なくなってきたのです。そういった理由もあり、一日ずつ読み返しながらタイトルを付けて新サイトに移行という作業をこなしています。当然その日記を付けた時から既に時間は流れているわけで、書いた当時の自分が意図したであろうタイトルと、今読み返して付けるタイトルではずれがあるんだろうなと思うのですが。

 改めて日記を読み返してみると、その当時に自分が何にはまっていたのか、何を考えていたのか、意外によくわかるものです。普通の日記と違って、特に社会人になってからは仕事や生活の匂いをできるだけ消して日記を書こうと意識的に努めてきただけに、日々の記録という面の役割は後で読み返してもきっとそんなに大きくは期待できないんだろうなと思っていたのですが。逆に仕事や生活の表面的な面が書かれない分、そのときの内面は如実に出ているのかもしれません。まぁ、ときたま自分でも何の意図があって書いたのかまったくわからん文章に出くわすこともあるのですが(苦笑)。

2004年11月4日木曜日

二度と行けない店

 個人的にはほとんどボーナスと考えても差し支えない週の中日の突然の休日。天気もいいし用事もあったので、日吉の街をふらふらと色々歩いて店を回っていた。すると、まだ行きつけというには気が早いかもしれないが、行く度にマスターと一時間も話し込んでいた馴染みのお茶屋さんが、いつの間にかなくなっていることに気がついた。

 何度かこの日記でも触れた、本人曰く珈琲屋なんだけど店構えは紅茶の専門店っぽく、でも一番の売れ線はハーブティーという変な店。マスター馴染みのお客さんがよくたむろしていて、マスターと話しているといつの間にかその場にいる他のお客さん達とも話すようになって、なんとなくその場で人と人のつながりができてしまう、今時珍しい空気の店。いつも豊富な話題と無農薬のコーヒーで迎えてくれて、買い物に立ち寄っただけなのに一時間も過ごしたりしていた、そんな店。最後に行ったのは数週間前。無農薬有機栽培の紅茶と、キャッツクローというハーブというか健康茶を購入して、病院勤務の夜勤明けだというおばさんとマスターと三人で「住むならどこがいいか」というような話をしていた。きっとその時にはもう店じまいは決まっていたのだろう。割引券をくれたマスターの表情は、今思えば少し寂しそうだったような気もする。それは記憶の捏造だろうか?数日前、22時くらいに帰宅途中に店の前を通った時、珍しくその時間に電気がついていて、中でマスターとバイトの女の子がせっせと商品を整理していたのを目にした。車に荷物も積んでるようだったから、「もしかして」というのは少し頭をよぎった。「ちょっと声をかけてみようかな」と思ったけれど、忙しそうだし、月末だったからきっと棚卸しのついでに大掃除でもしてるんだろうと片付けてしまった。

 まだ行くようになってたった半年しか経ってないけれど、寂しいなと思う。初めて行ったときからずっと温かいコーヒーと面白い話を聞かせてくれたマスターに、挨拶くらいはしたかったなと思う。片付けをしている夜に、せめて一言声をかけていれば。後悔は先に立たない。もう、どうしようもないこともある。マスターはこれからどうするんだろう?店は引っ越すだけなのか、それとももう完全にやめてしまうのか。もう内装もすっかりはがされて、白い壁が四方にまぶしく光るがらんどうの店舗スペースが、なんだか妙に無機質に見えた。次は、花屋が入るらしい。街は変わっていく。その中で生活する人も変わっていく。おしなべて、すべては変わっていく。それが希望も生むし、寂しさも連れてくる。それが出会いを作り、別れをも押し付ける。