2006年5月27日土曜日

走り去る"時"

 時間が早く過ぎていく。時の歩幅はやはり、年々広くなっているように思う。その時が過ぎ去る早さに対して、段々中身の方が追いつかなくなっていく。時に一度に乗せられる荷物の上限が仮に決まっているとしても、その上限一杯に積み込む前に時がさっさと行ってしまうような感じだ。もっと色々やるべきこと、その中でできること、できたはずのことはあったはずだからだ。何しろ、まだCDラックと本棚、衣装棚すらまともに片付けきれてない。そろそろ積み上がった物達を眺めるのもイライラしてきたのに、だ。それでも何故か午前3時前に寝ることはほとんどない日々。単純に時間がないのだろうか。あるいはそうかもしれない。あるいは走っている時にうまい具合に荷物を乗せられていないのかもしれない。それともあるいは、この感覚自体がただ生き急いでいる故のものに過ぎないのだろうか?どうだろう?

3 件のコメント:

  1. 私からの回答は、以下からお好きなものをお選びください。
    ��:1(年)=365(日)×24(時間)×60(分)×60(秒)というのは、少なくとも、ここ数年、変化してませんよ。
    ��地球の自転速度とセシウム秒の話とか、相対性理論における時間の伸び縮みの話とかは禁止)
    ��:有限の時間の中で、やるべきことがあり、その優先順位があり、所要時間が存在する、という状況で、やり残しが出るのは、単なる管理能力の不足である。
    ��;あるいは、無意識・消極的なものにせよ、一応は管理・取捨選択をした結果なのだから、現状を甘受すべきである。
    ��:まー、どーにかしようっつう意識があるうちはマシなんじゃねーの。

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  2. あら? なんか、前のコメントに名前が反映されてませんけども、私です、私。かんべんね。

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  3. まぁとりあえずはBだろうね。
    最近は自身のタスク管理が甘くて仕方がない。
    やるべきことに対してその他のものをもっと割り切らないといけないんだけどなー・・・。
    というか、無駄な時間が多すぎるんだよなー・・・。
    何と言うか、やれやれなのだよ。
    溜息つくくらいなら反省しろって話だが。
    ちなみにAについては、
    俺が問題にしているのは物理的and/or客観的な時間のお話ではなく心理的and/or主観的な時間のお話です。

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