2006年7月31日月曜日

BRUICHLADDICH - ブルイックラディ10年

ブルイックラディ10年
Distillery : BRUICHLADDICH

Years : aged 10 years

Area : Islay

Bottler : Official

Cask Type : 60% Refill Sherry, 40% American Refill

Product : 46% vol, 700ml

Price : -

Remarks : -



 ピートを強烈に焚き込み、スモーキーで強烈な個性を持ったモルト達が居並ぶアイラ島において、最も穏やかで優しい風味を持つと言われるこのブルイックラディ。結婚式の時にPCKから贈り物でもらった逸品です。もらった袋を見てみるとシーバス・リーガルの箱とよくわからない麻の袋が入っていて、まずシーバス・リーガルを開けたら中にはいつもの極悪ミッフィーの顔のシールが張ってある瓜が!次に麻の袋を開けてみたら入っていたのがこのブルイックラディでした。いやー、贈り方が実にPCKらしい(笑)。ありがとう、PCK!

 このブルイックラディ蒸留所、創設は1881年で1975年に改装されています。が、1995年に突然の閉鎖。このままなくなってしまうのかと思われた時期もあったのですが、かのボウモアのブランド・アンバサダーとして業界ではあまりに有名なジム・マッキュエン氏(村上春樹の『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』の中で村上氏を案内していたのも彼)とマーレイ・マックデイヴィッド社が買収し、アイラ島唯一の完全独立資本の蒸留所として再開しました。その際、ジム・マッキュエン氏はこれまでピートの焚き込みがブナハーブンの次に少なかった同蒸留所のモルトに、最もヘビーなアイラモルトとして知られるアードベッグ以上のピートを焚き込むとして、同蒸留所の風味をガラッと改革を始めたのです。その行為に関しては賛否両論、どうなるかはそのヘビーピートなものが出回り始めてから本当の評価がくだされることでしょう。その新しい原酒が蒸留され始めたのは2001年。市場に出るのはまだ先のことで、現在は蒸留所閉鎖前のストックが出てきている形になります。今回いただいたブルイックラディ10年はそんな過渡期のものです。

 色は比較的薄めの琥珀色。優雅で穏やかなアイラモルトの入門編と呼ばれるだけあってラフロイグやアードベッグといった強烈な個性で知られる他のアイラはもちろん、最もバランスの取れたアイラモルトと呼ばれるボウモアなんかと比べてもまだ全然スモーキーな薫りは穏やかです。むしろ麦の素朴な香りがほのかにし、香り自体はモルトとしては控えめな感じがします。味の方は「最も穏やか」とか「ひじょうにまろやか」とか「食前酒向き」とか一般的に言われてますが、私に言わせれば実は結構骨太。しっかりとした強いボディに麦の暖かさと甘みが舌の真ん中辺りに広がるその味はライトとするにはちといかついように思います。そのしっかりした飲み応えのあるテイストは、「入門用」とか「ライト」といった言葉に拒絶反応を示す酒飲みマニアの方々も充分満足させることができるものでしょう。他のアイラモルトでは強烈な香りの影にかすんで出てこない暖かくふくらむ麦の風味が、このブルイックラディではしっかりと味覚として楽しむことができます。・・・しかし本当に、これにアードベッグ以上の強烈なピートをかけたらどうなるんでしょうか・・・?

 日本語で書く時の記述は他にブリックラディックやブリックラディなんかもありますが、個人的にはブルイクラディじゃないかなと思います。ジム・マッキュエン氏が就任以降、次々と新しいボトルを出してくるブルイックラディ。ボウモアやマッカランのように、その様々なボトルの違いを楽しむことができるのも魅力です。





障害報告

 ここ数日、BLOGの記事にコメントができない障害が出ていました。どうもここ数日普通のコメントもコメントスパムも全然付かないのでちょっと不審に思って今しがた見てみたら、まんまとコメントを登録しようとするとエラーになってしまっていました。とりあえず直しときました。ここ数日の間にコメントを付けようとして付けられなかった方がいたらごめんなさい。以下は技術的なメモ。技術的な興味がない人は読み飛ばし可です。

 原因としてはコメントスパム対策の禁止IPリストにおかしな文字が入っていたのが原因です。Movable Typeはコメントスパム対策として、(焼け石に水といった感はありますが)コメントの投稿を許可しないIPの一覧を指定することができます。私もそのリストを作成していたのですが、この前禁止IPを追加する際にXXX.XXX.XXX.XXXという本来のIPの後に")"を誤って打ってしまっていたのがエラーを引き起こしていたようです。

 エラーメッセージを大雑把に邦訳すると「正規表現のフォーマットとして")"が一致してないぞ、コラ!」というもの。要は投稿元のIPが禁止IPかどうかをリストを元に正規表現を作成して比較しているのでしょうが、そこに余計な")"が入ったのでフォーマットが不正なものになってしまってプログラムがエラーを起こしたと。まぁ初歩的なエラーなので原因究明は難しくありませんでしたが(一目見て見当はついた)、Movable Typeに注文付けたい部分も出てきます。

1. 禁止IPの登録をする際、正しいIPのフォーマットかどうかの検証をしてくれてもいいじゃん。エントリーの投稿時の時間のフォーマットはチェックしてくれてるんだから。

2. っていうか正規表現比較をする際に入力された文字列のサニタイズくらいしてくれてもよくなくね!?

 このサイトで使用しているMovable Typeのバージョンは3.171で、最新版は3.31です。まだリリースノートを読んでないので修正項目は把握してないのですが、新しいバージョンではこの点は改善されているのでしょうか?まぁ何にせよ一日落ち着いて時間が取れる際にバージョンアップをしようと思います。でもこのサイト、結構色々いじってるからバージョンアップ大変そうだなー、とも思っているのですが・・・。


2006年7月29日土曜日

疲れた時は

 また、仕事が忙しい。いつものことと言えばいつものことだが、今回はなかなか、かつてない程プレッシャーが厳しい。折れそうになる心を引きずりながら、立て直そうとしながら、重い足を一歩一歩前に進める。そんな感じだ。ゆっくりする暇なんて結局ないんだなぁなどと思いながら、毎日日付が変わる帰宅を繰り返す。

 疲れた時には、意外に歩くのが好きだ。もちろんスポーツなんかの筋肉的で直接的な疲労でなく、仕事なんかの体が逆に固まってしまうような疲れや精神的な疲れの場合、とりあえず当てもなくふらふらと歩くのが好きだ。仕事の気分転換にもふらりと外に出ることがあるし、家に帰るのを敢えて少し回り道をして帰ることもある。疲れた時には、歩くのがいい。それも無理してリフレッシュしようとか気張るのでなく、気が自然と晴れるなら晴れていくように、心が沈むのならそのまま沈ませておくように、何かをどうにかしようとするのでなく、ただ自然と心と体が赴く方向にまかせて歩いていくのが好きだ。

 そういう時にはゆっくりと歩くのがいい。前へ足を運ぶというよりは、持ち上げた足が慣性で少し前へ進み、重力に任せてぼてっと落ちるように。無理して何かを見る必要もない。眼鏡もかけずに裸眼で道へ出て瞼の力を抜いて、きっと端から見たら眠そうに見えるのだろうとろんとした目で、誰に追い越されるのも気にせずに、ぼてっぼてっと歩いていくのがいい。気が晴れるのなら晴れるままに、気が沈むのなら沈むままに。

 結局、今の世の中は目的があって、それを追いかけることを前提として成り立っている。ある点から別のある点への移動、運動、指向。ある点からある点への意識を持ち続けること、指向することこそがイコール今の世の中での有効な価値だ。だから、ともあれ人は何かを指向する。仕事もそうだし、私生活でもそうだろう。それは向上心と呼ばれたり、趣味嗜好と呼ばれたり、あるいはずばり生活そのものと呼ばれたりする。極論すれば指向性の持続こそが生きていくために必要な最たるもので、生きていくことそのものだ。

 だから、たまには、疲れた時こそ、その何かを何かに持っていこうとする、どこかからどこからを見ようとする、そんな力の働きかけを放棄してもいいんじゃないかと思う。何かをどうこうしたくて歩くのでなく、どうにもしないようにと歩くのでもなく、できるだけ流れに任せて、何かを見ようとも見まいともせず、ただふらふらと、歩く。心に浮かぶ好嫌さまざまな断片を思い浮かぶままに受け入れて。何かをどうこうしようというのではないから、当然それで気が晴れるとも限らないし楽になるとも限らない。むしろかえって沈みこむこともある。でも、それでもこうした歩き方が疲れた時に好きなのは、やはりどこかに向かおう、何かをしようとする心の動きに疲れてしまって、そこを休めなければいけない時があるからなのだろう。ここで"こうしたことをすることは何かを指向し続けることに疲れた心にとって必要なのだ"というと、何も指向しないというこの行為自体が"心を休めるため"という指向性を持ってしまって、困った論理矛盾が発生してしまうのだが。

 まぁ、そこは深く考えないことにするとしてとりあえず、疲れた時には当てもなく道を歩くことが好きだ。気が晴れるのなら晴れるままに、気が沈むのなら沈むままに。

2006年7月24日月曜日

結婚式当日 - 儀

 ぐっすり眠ったとはいえそもそも睡眠時間が短くて寝不足なまま迎えた結婚式の朝。昨晩の激しい雨を受けて湿った空気の中、朝7時前の嵐山をギターを持って歩きました。本当はオルゴール博物館に行く途中でコンビニを見つけて朝食を買っていきたかったのですが、なんと朝の嵐山には開いているコンビニがありません。前々から会場の担当の方に「当時は必ず朝ご飯は食べてきてください。そうでないと保ちませんから」と何度も釘を刺されていたにも関わらず、結局当日の私の朝ご飯は自動販売機で買った野菜ジュースのみでした。・・・ま、いつものことだし大丈夫だろう、と。こちとら朝から水も飲まずに24時過ぎまで仕事して、超空きっ腹のところにいきなり赤ワインとか入ったりする生活してるんだから。そう、自分を納得させて演奏のリハーサルをし、式の衣装に着替えてリハーサルをこなしていきました。

 しかしちょっと驚いたのは式の前、まだ来賓の皆さんが来場する前に行われるアルバム向けの写真撮影。会場直属のカメラマンが撮影してくれるわけですが、ここにきてこういうポーズを決めてくれとか、もっとこんな表情でとか、まるでグラビア撮影でもしているかのように色々注文が飛んできます。いやー、こういうものなんだなぁと思いながらポーズを決めていましたとさ。

 いよいよ式が始まります。控え室で妻の姉と妹に続き三度目のエスコートながらやはり緊張している様子のお義父さんとお話をし、ギャツビーのフェイシャルペーパーで二人で顔を拭いたりしながら出番を待ちます。ここに来るまで緊張感というもののあまりなかった私ですが、まぁさすがに式本番が近づいてくるにつれ緊張くらいはしてきます。そんな中開式直前になって会場の方からきよとmachakicとMaza-hが来てないが来場を待って式の開始を遅らせるかどうかといった打診があって、それぞれに連絡を取ってみたり、なかなか、式の直前までドタバタしてながら時が過ぎていきました。すると、そしていよいよ出番の声がかかります。

 式は、意外とあっさりと始まりました。新郎は最初一人で出て行き、新婦が父にエスコートされて入場するのを待つことになるわけですが、控え室を出たらもう袖で待機などする暇もなく行っていいと言われ、「え、もう出て行くの?」くらいの感じで、集中力を高める猶予もなくサラッと送り出されます。そのちょっと肩すかしを喰ったような気分から抜け出せず、緊張を集中に変えるきっかけもつかめないまま、僕らのミスター・オートマタが開式の旨を告げます。リハーサルの通りに前へ出て行きコインを受け取り、ディスク・オルゴールにコインを投入します。中からカタンと機械が傾く音が聞こえ、一瞬の間をおいて曲が流れ始めます。J.S.Bashの平均律クラヴィア曲集第1巻の最初のプレリュード。その最初の数音が鳴るのを確認して私は祭壇の前のバージンロード中央に移動します。お義父さんが妻をエスコートして、オルゴール特有の柔らかく澄んだ響きの音楽が空間を包む中ゆっくりとこちらにやってきます。向き合って一礼をし、お義父さんから私へ妻が渡される際、小さな声で「よろしく頼むよ」と言われました。緊張やら何やらですぐに何と応えていいのかわからず、笑いながら(それも笑いになっていたのかどうか自分ではよくわかりませんが)「はい」とだけ返しました。この時に限らず、実は式の間は緊張の中、ただ一回だけリハーサルしただけの手順を思い出しながら如何に間違えずにスマートに行動するかというので結構一杯一杯でした(苦笑)。

 式は進み、二人で誓いの言葉を読み上げます。妻は、泣きそうになっていました。実は、私はリハーサルの際少し泣きそうになったのですが、本番では油断せずに心を強く持っていたのでここは大丈夫でした。いやいや私の涙は意外性があり過ぎて絵にならんでしょうということで。そして二人で選んだ誓いのオルゴールを向かい合ってはさんで、その上でMaza-hに作ってもらった指輪を(作成者本人不在の中)交換し、オルゴールの蓋を閉じることで誓いをオルゴールの中に封印します。ギド・リュージュ社の職人の手によるハンドメイド・オルゴール。式の中ではこのオルゴール自身をならす機会はありませんでしたが、曲は3アレンジ入っている『カノン』です。このオルゴール博物館でのウェディングならではのハイライトです。リハーサルの際「できるだけゆっくり」と指示されていたのでそのようにしていたのですが、妻は案外あっさりパタンと閉めてくれました(苦笑)。ま、いいでしょう。そして二人と両の母親が結婚証明所に署名をし、それを来賓の皆様に披露して祝福を受け、式次第は終わります。退場する中、親戚や友人から「おめでとう」と祝福され、これまでの人生の色々な場所で出会った人達が今同じ場所にいることに違和感と幸福を感じながら、式は無事に終わりました。とりあえず、ほっと一息です。

 今回は式と披露宴の間に妻の髪型のチェンジがあるので、その間をメッセージカードの記入とスライド上演で時間を稼ぐ寸法だったわけですが、その空いた時間の中でBGMとして流しておいたブランデンブルグ協奏曲第3番第1楽章と同第6番第3楽章を聴きながら、一仕事終えた充足の中と集中力の仕切り直しを図っていたわけです。空腹と緊張で少し頭がボーッとしていますが、ここで疲れている場合ではありません。何しろ三次会まで、長い一日はまだ始まったばかりなのです。


2006年7月23日日曜日

結婚式前夜

 早いもので、ちょうど結婚式から一週間が経とうとしています。このまま詳細を書かずに流してしまおうという考えもちょいとあったのですが、さすがに一生に一度のイベントでそれもなんなので、今改めて書いておこうと思います。まずは、結婚式前夜のことから。

 とりあえず京都出発前夜である金曜日、私は結婚指輪を作ってくれたアクセサリー職人Maza-hと渋谷で飲んでいました。彼は23時新宿発の夜行バスで京都に向かう前です。そんなお互い京都に向けての出発の直前に何故また渋谷で飲んでいたかというと、それは作ってもらった結婚指輪を受け取るためです。こともあろうに指輪の制作依頼を彼に正式にしたのが式の一ヶ月ちょい前くらいとかなりギリギリで、それからさらにデザインを決めて、指輪の裏に入る名前を私と妻と自分達で掘るのはいいけれど、その作業と名前を彫刻後の指輪の型の返送がまた指定期日ギリギリになったりと、そんなことをしていたら完成が出発前夜になってしまったわけです。なにしろMaza-hが考えてきてくれた10くらいのデザイン案をすべて尻目に、妻が「こんなのがいい」と言い始める顛末までありました(苦笑)。当時W杯でアルゼンチンとメキシコの調子が良くなかったらMaza-hの機嫌が危ないところでした(?)。まぁ毎度のことながらドタバタとして時間がない中素晴らしいものを作ってくれたMaza-h、ありがとうございました。

 ちなみにこれが今回作ってもらった私達の結婚指輪です。お互いのイニシャルであるA.K.とK.K.をデザインし、2つ合わせるとA.K.とK.K.両方のイニシャルが出来上がるというコンセプトです。

Maza-h作成結婚指輪

 そしてMaza-hと別れて帰宅した後は、二次会のBGM用のCDの編集やら何やら色々とやっていたらあっという間に朝方4時。10時25分新横浜発の新幹線に乗るので、残りの準備を考えると翌朝7時過ぎには起きなければなりません。そんな感じで睡眠時間3時間程度(ここ数週間はずっと仕事と式の準備で休みの日ですら長くて5時間しか寝てない感じ)のふらふらした状態で、たくさんの荷物とギターを持って新横浜へ向かいました。

 新横浜で新幹線に乗ると、新潟から東京駅経由で出てきた両親と父方、母方のおじさん・おばさんと合流します。話すとなると随分久し振りな人もいて、小さい頃は遊んでもらったなとか思いながら普段同時に揃うことのない親戚の顔を見ながら眠気と闘うのも結婚式ならではのイベントです(?)。そして京都に着き、親戚と一緒に嵐山の宿まで行って荷物を置き、オルゴール博物館がみんな見たいというので担当の人に電話を入れて、中を見せてもらうようにお願いして皆を誘導してから私は一人で嵐山から京都駅に戻ります。今回来てもらう中では唯一の小学生時代私が新飯田に転校して以来の長い友人であるTakeshiと合流するためです。

 京都駅で久し振りにあった彼は相変わらずで、夜行で朝6時過ぎに京都に着いて暇だったの、なんと徒歩で京都駅→八坂さん→六波羅蜜寺→清水寺→京都駅と午前中に回ってきたとか!何気に京都を堪能し過ぎです(爆)。まぁ何気にそんなことをしれっとやってしまうのも彼らしいと言えば彼らしいのですが。

 そしてこの後、この日最大のイベントが始まります。そう、ウェルカムボード騒動です。ウェルカムボードは弟を通じて知り合ったイラストレーターのサトウヒロシ氏に作成をお願いしていました。指輪もドタバタでしたが、なんとこちらも凄まじくドタバタ。私が京都に行く新幹線に乗ってる間にイラストが上がって、それを弟が印刷にかけに走って、私が京都でイラストを入れる額とマットを買いに走るという、そんな素敵な〆切間際の魔術師っぷり。腹を空かせて早くしろと急かす母親を尻目に(笑)、オルゴール館に私が額を、弟とそのフィアンセさんがイラストを持ち込んで、その場でイラストのサイズを調整して額に入れて、やっと完成したのが夕方19時頃。いやー、大変でした。でも出来上がってみるとこれが実にいい感じ。オルゴール館の担当の方も驚き、式の当日もかなりの好評をいただいたこのウェルカムボード、今では私達の部屋の玄関にぬいぐるみ達を前に従えて飾られています。サトウヒロシ氏、実は結構難産だったそうですが忙しい中素敵なイラストを描いていただきありがとうございました。

サトウヒロシ氏作成ウェルカムボード

 その後は宿に戻って親戚の皆さんと近況や仕事の話等しながらゆっくり夕食を取り、弟と新潟の友人達が泊まっている新阪急ホテルを襲撃し、私は23時までに宿に戻らなければいけなかったので23時に新阪急ホテルを後にしました(爆)。しかしそこから電車がいいのがなかったのでタクシーで嵐山まで戻ったのですが、いやいや凄まじい雨に降られました。祇園祭の宵山は雨が降るものらしいですが、タクシーの窓から景色がほとんど見えなくなる程の豪雨はなかなかです。そしてその後は宿で少し親と話をし、部屋に戻って一人になってから伯父から結婚祝いにいただいたモンブランの万年筆を早速使って披露宴の中で読み上げる両親への手紙を書き、気付いたら深夜2時半になっていました。結婚式当日は朝7時会場入り。ということは6時起きです。睡眠不足は、解消されないまま結婚式だなぁ等と思いつつ、さすがに数週間続く寝不足は緊張にも勝り、わずかな睡眠時間は意外にもぐっすり眠れたとのことです。そのようにして、私の結婚式前夜は過ぎていきました。


2006年7月18日火曜日

My Orgel Wedding

 昨日7月16日、京都嵐山オルゴール博物館にて、とうとう私も結婚式を行ないました。まずは当日ご列席いただいた皆さん、ありがとうございました。今回は本当に関西圏を始め新潟から東京から富山から三重から愛知から佐賀から広島から愛媛から、二次会ではさらに岐阜から静岡から福島から岡山から、色々と遠いところからもお集まりいただきまして感謝しています。式の次第がどうこういう以前に中学、高校、大学時代のそれぞれの友人達と一度に話せるという機会はまぁ当然あるものではなく、それだけでもかなり楽しかったです。それは下手したら一生に一度の機会かもわからないことですしね。ちょっとした人生の友人総決算って感じです。自分でやっている分には客観的なところはわからないものですが、客席に座っている皆様にはどのような式として映ったのでしょうか。

 とりあえず今はまだ詳細を書くには整理ができていないので今日は控えめに書くに留めますが、やはり一生に一度のイベント、なかなか心に去来するものはたくさんありました。両親、友人、そして妻と、思えばいろいろな人に支えられてこれまで生きてきたものだなと。うーん、色々、語りたいのですがやはり今はまだ語れないようです。また、今度。

2006年7月12日水曜日

ある偶然の再会 - 戸田誠二『説得ゲーム』

 今日、仕事の合間に気分転換に会社から徒歩30秒の本屋でマンガを探していた。仕事を根詰めてやっていると、どうもマンガが読みたくなる時がある。それで何か目当てがあるわけでもなく、読んだことのないマンガを衝動買いするつもりで本屋に入った。目についたのは、その本屋で今売り出し中らしい戸田誠二という漫画家の作品群。朝日新聞やダ・ヴィンチ等で絶賛されて今注目されているらしい。まったく予備知識はなかったが、とりあえず彼の単行本を2冊買ってみた。『説得ゲーム』『ストーリー』だ。このうち、『説得ゲーム』を選んだのには明確な理由がある。オビに書いてあるあらすじを読んだ時、どうも、この話はどこかで聞いた気がしたのだ。

 会社の帰りに電車の中で早速読んでみる(さすがに仕事中は読まない)。すると、その中の『キオリ』と『説得ゲーム』は、読めば読む程聞いたことのある話だった。最先端の脳の研究所に持ち込まれた若い自殺未遂の女性の脳。体はもう使えないので脳だけで培養されていくが、結局は萎縮して消えてゆく運命を辿る。その作品の中、主人公の「体なんてなくても大丈夫ですよ」「今の時代脳さえあれば」で完全に思い出した。そう、以前に読んだことがある。インターネットでだ。いつだったか、ネットで読めるマンガを探していてこのマンガを掲載しているHPに辿り着いた。この戸田誠二のHPは1999年より運営されているそうなので、きっともう何年も前に見たのだろう。今も、運営されいる。この『COMPLEX POOL』がそうだ。このHPを見つけたとき、結構時間をかけて何点もの作品を読んだのを覚えている。少なくとも『キオリ』と『説得ゲーム』、そして今回買った単行本には入っていないものの『唄う骨』は当時に読んだ記憶が蘇ってきた。「そうか、ちゃんとした本になったんだな」と、なんとなくちょっと嬉しくなった。

 彼の作品は単純と言えば単純で、巧妙な伏線やら予想外の展開やらがあるわけではない。大体、「こう終わるんだろうな」という期待を裏切らずに予定調和的な安心感の中で読める。世の中のちょっと歪んだ部分、事件でも非日常というほど大きなものでもないけれど、日常の中に点在するわずかな歪み。そこを静かな視点で描いているマンガで、ともすれば少し寂しかったり暗かったりとなりがちな題材が多いが、そこをさらりと後味のいいようにまとめてくれる。劇的ではないからこそ逆に共感はしやすい。そんなマンガだ。

 彼の作品は常に変化が描かれている。描くための題材は毎回異なるが、キーとなるテーマは明らかに変化だ。日常の、ともすれば絶え間なく連綿と、いつまでも続くように思える"当たり前"の連続。そこからのちょっとしか変化の瞬間が常に描かれている。それも前向きに、しかし控えめに、ほんの一歩だけの決定的な変化。行動の選択肢は多様になった現代だが、それは結局以前の行動のバリエーションに過ぎず、結局日常は同じテーマが繰り返される。私は以前それをパッサカリアやシャコンヌといった曲の形式に例え、だからこそこれらの曲は繰り返す人生を感じて心に響くのだと言った。彼の作品はその同じ主題による執拗な変奏の繰り返しから、一歩抜ける瞬間を描こうとしている。それが簡単ではなくなってしまった世の中だからこそ、共感できる人が多いのかもしれない。


2006年7月8日土曜日

8周年開設記念日

 突然ですが、最近非常に更新が停滞しがちな中(苦笑)、このHPもとうとう開設8周年を迎えました。七夕が開設日。狙っていたのではないのですが非常にわかりやすくていいです。ついでに言うと常に三ヶ月更新で購入している通勤定期、その期限ももう入社以来ずっと7月7日を期限とするものを毎年持っています。七夕、私の中では意外に重要な日です。

 しかし結婚式の準備というのも大変です。大変と言っても準備のメインは妻がやっているので私がやっている部分はそれに比べれば微々たるものなのですが、それでもいやいやなかなか大変です。夜遅くに帰ってから、今度は結婚式のために仕事でさんざん酷使した頭をさらにもう一回働かせる。結構、しんどいです。何よりも確実に睡眠時間が減ります(苦笑)。ここ数週間は平均4.5時間睡眠コース。FIFAワールドカップがさらに睡眠不足に追い打ちをかけてくれます。インターネットで買ったCD(SACD)もまだ未聴のストックに6枚入っています。いやー、クラクラしますね(苦笑)。

 ・・・すいません、最近更新していない言い訳でした・・・。

2006年7月1日土曜日

大変な一ヶ月

 ここしばらくとにかく寝不足の日々が続いています。仕事が忙しいのはまぁ相変わらずのこととして、結婚式の準備、そしてW杯。4年前から応援しているイタリア代表と、今回すっかり虜になったアルゼンチン代表。彼らの試合がある間は深夜もTVの前に釘付けです。日本戦は挫折して寝てましたが・・・。今晩はアルゼンチンもイタリアも出てきます。しかも文句なしの好カードです。・・・また、眠れなさそうです。