2009年1月26日月曜日

一挺のバイオリンで描かれた宇宙

 久し振りにバッハの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータをギター編ではなく本来のバイオリンの演奏で聴いた。演奏はシェリング。学生時代に就職活動をしていたとき、大阪に行ったついでに買ってきたヤツだ。バッハの曲はこの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータに限らず、本来の楽器から別の楽器にトランスクリプションを行ってもその魅力が全く失せないものが多い。

 例えば『シャコンヌ』を含むパルティータ2番は実はギター編でもよく音楽の魅力が引き出せていると思うし、実は私は『シャコンヌ』に至ってはギター編の方がバイオリンよりよいと感じている。セゴビアが初めてこの曲をギター編で世に出した時はバイオリンに対する冒涜呼ばわりされたものだが。この曲は、バイオリンではどうしても最初と最後の和音の響きがどうしても甲高くヒステリックに聴こえてしまう。名手シェリングやミルシテインですらそう感じる。その点ギターでは奏者に人を得ればその和音が実に荘厳に響く。その後に繰り返される変奏も本来ギターのために書かれていたかのように自然に響く。最大の盛り上がりどころである高速のアルペジオが続くパッセージもバイオリンではともすると音や響きが曖昧になりがちだが、ギターではそのアルペジオが一音一音堅牢に、粒を揃えて響かせることができる。私は随分前にも「バイオリンは単音に悲しみを宿し、ギターは和音で悲しみを響かせる」とこの日記で書いた。パルティータ2番ではその楽器の個性がうまく音楽にはまり、ギター編でも素晴らしい音楽が引き出される。

 だが、パルティータ3番BWV1006はやはりバイオリンがよい。あのプレリュードの、高温の伸びやかな旋律の響きはギターでは出ない。元の曲が素晴らしいのでギターでもよい音楽になるが、あのバイオリンの繊細に輝くようななめらかな高音の節回しはギターではできない。ローロのゆったりした歌もギターではともすると間が持たない。ロンド風ガヴォットもやはり展開部の伸びやかな歌がバイオリンで気持ちよく響く。これをギターでカバーするには、それだけで演奏者に相当の技量がいる。まぁ、ギター編でも素晴らしい音楽になるには違いないのだけれど。

 ところで、バッハという人はもしかしたら純粋に音楽を目指したかった人なのではないだろうかと、ふと思うことがある。それは広い意味での音楽ではなく、楽器や編成にしばられず、極論すれば記譜だけで表現できなくもない、楽器も音色もない、ただ音列としてだけの純粋音楽だ。『フーガの技法』や『音楽の捧げもの』に明確な楽器指定がないのは、その意味での純粋音楽を極めたかったからではないのだろうか。楽器の物理的な制約や、ともすれば音色からの制約すら離れて、ただ純粋に理論を極めた音楽を作りたかったのではないだろうか。バッハの時代の作曲家は基本的には委嘱作品のような形で、スポンサーのために音楽を作っていた。ただ、その時代でも稀に作曲者自身が誰のためでもなく、ただ作りたいから作った曲があるという。間違いなく、『フーガの技法』はそうだ。楽器編成や、ともすれば曲調まで依頼されて作る音楽ではなく、そういった依頼のしがらみはおろか楽器のしがらみすら捨てて、彼は彼の音楽を作りたかったのではないだろうか。無伴奏のバイオリンやチェロのためのソナタという、事前に例がほとんどない音楽で彼が絶後の名作を生み出したのも、最小限のシンプルな楽器のみに編成を絞ることで、楽器編成という音楽に関する音色という色彩的な付加要素を排除したかったのではないだろうか。

 私はベートーヴェンが最晩年まで弦楽四重奏という形式で音楽を書き続けたのにも同じ理由があるのではないかと思っている。管弦楽の様々な楽器の音色は音楽に多様な色彩をもたらすが、それはその音色の多様性が逆に音列としての音楽を見えにくくする枷ともなる。バッハや弦楽四重奏を作る時のベートーヴェンは、そこから解放されたかったのではないだろうか。今となっては、確かなことを知ることはできない。

 だが、バッハはその無伴奏バイオリンという編成で、「一挺のバイオリンで宇宙を描いた」と言われる程の深遠な世界を作り出した。ベートーヴェンは後期の弦楽四重奏で精神の崇高な高みにまで達した。そこには彼らが余計な要素を排した上で純粋に音楽と向き合い、精神の奥深くまで潜り込んでいった結果が現れているような気がする。彼の曲に楽器を変えても魅力が消えない作品が多いのは、それだけ楽器という"色"に頼らず音楽を作っていたという証拠だろう。

 バッハは『フーガの技法』で病床、最後のフーガを書く手を止めて天へと向かった。彼は、何故最後あの極限の技巧的名作を完成させなかったのだろうか。ただ単に力尽きただけなのだろうか。もしかしたら、彼は知っていたのかもしれない。対位法、ポリフォニーという音楽の完成者は自分であり、そこが頂点であることを。彼以後、音楽はポリフォニーからモノフォニーへと移行して行き、その後彼程の対位法作曲家が世に出てこないことを。最後のフーガを完成させてしまえば、対位法による技巧はとうとう極まってしまい、本当の完成を見てしまう。その完成は、本当の対位法の死を同時に意味することを、彼は意識したのかもしれない。これも、今となっては確かなことは知ることができない。

 夜、久し振りにバイオリンで無伴奏ソナタ&パルティータを聴きながら、当てもなくそんなことを考えていた。今日は日曜日。大倉山の梅林では、少ないながらも咲いた梅が冬にしては暖かい日差しの中、静かに上品に佇んでいた。

2009年1月25日日曜日

故障者リスト入り

 どうもしばらく更新をさぼってしまっていました。仕事が忙しかったこともあるのですが、10日程前から左肩甲骨の激痛に悩まされ、インドメタシンでごまかしながら這々の体で仕事をするという状況が続いていたもので、なかなか家でまでPCに向かう気力がなかったのです。しかも今週は左肩甲骨だけでなく、ある日は左肘、また別の日は右手首と、日替わりに場所が変わる関節痛にも悩まされていたので厄介です。そんなわけでここ二週間ばかりは、体調を崩したというよりは故障を抱えた体で生活を続けていたわけです。とりあえず今日、本当は病院に行きたかったのですが閉まっていたので「まぁ、とりあえず」と唯一開いていた接骨院に行き、ホントにタップしようかと思う程に痛いマッサージを受けてきたら結構痛みは軽減しました。意外に、行ってみるものです。

2009年1月6日火曜日

謹賀新年

 随分と遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 多くの人が仕事始めの今日、人が多すぎる都会にあって休み明けに一番憂鬱になるのが月曜朝八時の満員電車なわけですが、今日は意外と混雑もそれほどではなく、この正月休みは帰省はしたものの親戚回り以外はほぼ何もせず惰眠を貪った甲斐あって(?)、珍しく身体の軽い出勤でした。やはり疲れがたまっていない状態というのはいいものです。昨年末は会社の納会の後、各自個別で分かれた飲み会でも各所で「あのままではayumは倒れる」と噂された(らしい)くらいハードな日々だったわけですが、まぁまぁなんとか回復できました。

 さて、また、私は私の戦場に戻るとしましょう。