2011年5月29日日曜日

LFJより不思議な縁で - アンヌ・ケフェレックのショパン

 LFJ新潟でのダン・タイ・ソン独奏、井上道義指揮仙台フィルのコンサートで、ダン・タイ・ソンが「被災した日本のために」と本来あるはずのないアンコールをショパンのノクターン嬰ハ短調『遺作』で演ってくれたことは先の日記でも書きました。そのノクターンはとても美しく胸に響きました。正直、ショパンはクラシックの作曲家の中では苦手な部類に入るのですが、この曲、あの日のダン・タイ・ソンの演奏は静かに美しく感動しました。

 同曲のCDは手持ちがなかったので、それ以来ノクターン嬰ハ短調のCDを探し始めます。が、元来ショパンは苦手としていたもので、どの演奏が定番なのか、そもそもショパンが得意なピアニストって誰?というところがまずわからず、選定が進まなかったわけです。試みに一度Twitterで「お薦め教えて」とつぶやいて、何人かから情報はいただいたのですが、まさかの入手困難・廃盤なCDの連発(苦笑)。皆さん、意外とマニアックです。そんなこんなで、昨日までノクターン嬰ハ短調のCDは選定されないまま来ていました。

 昨日、あるショッピングモールに買い物に行き、妻と下の子が食料品等を回出している間、私と上の子はモール内にある小さなタワレコでCDを物色していました。東京時代に通っていた渋谷のタワレコと比べると寂しくなるくらい小さなタワレコです。それでもタワレコはタワレコ限定の音源もあるので、一応見る価値はあるかなとクラシックの棚を見ていると、一緒にいた4才の上の子が「これ!これがいい!」と一枚のCDを指差します。「ん?」と思って見てみると、それはアンヌ・ケフェレックが弾くショパン作品集でした。

 アンヌ・ケフェレック。ラ・フォル・ジュルネ新潟で私が行った、先のダン・タイ・ソン演奏のベートーヴェン ピアノ協奏曲4番で、本来はヴュルテンベルグ管弦楽団と共に来日するはずだったピアニストです。このケフェレックとヴュルテンベルグ管弦楽団が来日キャンセルしたため、代わりにダン・タイ・ソンと井上道義指揮仙台フィルがやってきました。そうした経緯もあるので、その後私は「ケフェレックのCDなんて買わねーぞ、あのチキンが!」くらいの勢いでいたのですが、子供がこれがいいと言うんじゃ仕方ありません。とりあえずCDを手に取ってみました。曲目を見てみると、何とノクターン嬰ハ短調も入っています。ふと棚に目をやると、「ラ・フォル・ジュルネ特集」とのポップ。「ああ、それでアンヌ・ケフェレックなんて比較的マニアックなピアニストのCDがこんな小さいクラシックコーナーにもあったわけか」と納得しつつ、子供に「これがいいのかい?」と確認します。4才の上の子はためらわずに「うん」と言うので、仕方ない、このCDをレジに持って行きました。ケフェレック、結局ラ・フォル・ジュルネには来なかったんだがなぁ、と心の中で苦笑しながら。

 で、聴いてみるとケフェレックの演奏が実に素晴らしい。私がこれまでショパンを苦手としてきた理由の一つは、ポロネーズやワルツ何かでは特に力入りすぎ、見事に弾きすぎな演奏が多くて、華やかで絢爛ではあるけれど音楽に深みが感じられなかったことにあるのですが、このケフェレックの演奏はそうではない。ポロネーズもそうですし、幻想即興曲ですら力任せに弾いている感じがせず、実に美しく情感漂う演奏を聴かせてくれます。ノクターン嬰ハ短調も静かな夜に雨だれが打つような、静謐な中に想いのこもったトリルが響く素晴らしい演奏でした。このショパンはいいなぁ、と思いました。これならショパンも聴ける。ポロネーズや幻想即興曲ですら力強く迫力一杯に鳴らすことはせず、華麗で絢爛、英雄的なピアニズムとは一線を画した、スケールは小さいながらも寂しくしとしと降る秋の長雨のような、静かな抒情感に満ちたショパン。私はショパンもピアノも門外漢なので、それがショパンとして正統的な演奏なのかまではわかりませんが、このショパンは実に素晴らしいと思いました。昨日の夜からもう3回も聴き直しています。初めて素晴らしいと思えるショパンの演奏に出会えました。

 思えば不思議なものです。このアンヌ・ケフェレックが来日キャンセルしなければ、私がLFJ新潟でダン・タイ・ソンの演奏を聴くこともなく、ダン・タイ・ソンがノクターン嬰ハ短調を演奏しなければ私がこの曲のCDを探すこともなかったでしょう。そこに子供が「これがいい」と指差した偶然も加わり、私はこのアンヌ・ケフェレックのCDを手に取りました。そしてショパンもいいなと、ショパンの良さが少しわかってきた感じです。これもまた、縁というものかもしれません。来日キャンセルのドタバタは色々ありましたが、とりあえず今はダン・タイ・ソンと仙台フィルの心意気と思いのこもった演奏と、このアンヌ・ケフェレックの静かな抒情に満ちたショパン、両方を聴くことができたのだからいいじゃないかと思っています。不思議な、縁のつながりですね。

2011年5月8日日曜日

井上道義指揮 仙台フィル@ラ・フォル・ジュルネ新潟2011

 今年も新潟では5月1日~5月8日までの間、ラ・フォル・ジュルネ新潟2011「熱狂の日」音楽祭が行われました。特にメインとなる7日、8日はメイン会場であるりゅーとぴあだけでなく、音楽文化会館や燕喜館、旧斎藤家別邸でも一日中コンサートが催されるという音楽の祭典。今年のテーマは「ウイーンのベートーヴェン」です。ほぼオール・ベートーヴェンで埋め尽くされた音楽祭。できることなら一日中音楽に浸ってコンサートからコンサートへと渡り歩いてみたいところですが、それは田植時期の農機具屋、この期間仕事は休みなし、待ったなしです。何とか行けると言えば6日と7日にある20:15スタートのプログラムのみ。選択肢はありません。私はその2つの公演のチケットを取り、楽しみに待っていました。

 6日の演目はシューベルトの序曲とピアノ協奏曲4番。演奏には元々はアンヌ・ケフェレックをソリストに、ヴュルテンベルグ管弦楽団が来日する予定だったのですが、震災・原発事故後に来日キャンセル。東京他各地の公演でも震災後は来日キャンセルする団体が相次いでいるらしいですが、ここ新潟でもその煽りは受けました。しかしそこで立ち上がったのが自らも震災で被災した仙台フィル!井上道義氏を指揮に迎え、新潟の音楽ファンのためにやって来てくれました。ソリストはケフェレックの代わりにダン・タイ・ソン。演目もシューベルトの序曲がフィデリオ序曲になりました。

 というわけで演奏者がガラッと変わったこの公演。仙台フィルが入場してくると、会場はいきなり大きく暖かい拍手が響きます。りゅーとぴあの大ホールに、フルオケとしては少しばかり編成が小さい仙台フィルが並びます。井上道義氏が颯爽と入場し、挨拶もそこそこに指揮台に立ち、すぐさま始めるフィデリオ序曲。少しテンポ早め、爽快で明朗なフィデリオ序曲。仙台フィルは弦の響きが暖かく柔らかい印象です。曲の最後、オケを盛り立てた井上道義氏は最後の音を右手で振ると同時にクルッと観客席の方にターン。両手を広げて仙台フィルのために拍手を求めます。劇場一杯に満ちる拍手。少しして、その拍手を静止して井上氏が語り始めました。

 ドイツのオーケストラに突然来たくないって言われちゃって、仙台が来ました!

 (拍手)

 人間、いつ勝負するかって、一番厳しい時に来ることです。(彼ら仙台フィルは)まさにそれを体現しています。

 泣きそうになりました。井上道義氏の言葉は発音が聞き取りにくいし、少し日本語としてはおかしいところもあるのですが(笑)、それでも胸に響く言葉でした。周りを見ると、実際に泣いている人もいました。自らも被災した仙台フィル。人的な被害はなかったといいますが、本拠地となる仙台のホールが被災し、6月までの公演はすべてキャンセル、練習もままならない状態だと聞きました。そんな彼らが、中には自分の気持ちの整理がまだついてない人もいるだろうに、それでも新潟の音楽ファンのために短い準備期間でこうして演奏に来てくれるのです。その精神力と心意気にはただただ敬服するばかり。恐れ入ります。

 そしてダン・タイ・ソンを迎えてのピアノ協奏曲4番。いきなりピアノ独奏から入るこの曲、静かなホールにピアノの音が響きます。ダン・タイ・ソンの演奏を聴くのは初めてなのですが、水滴が流れ、弾けるような高音と演奏をするピアニストだなと思いました。そして時たま水面を飛び出す小魚のように自由に跳ねる。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンのものでしたが、その水がどんどん溢れていくような演奏は素晴らしかったです。そしてそのカデンツァを暖かい音色で優しくそっと受け止める仙台フィルの弦。いい演奏でした。第2楽章では少々ソリストと指揮者・オケの思惑がかみ合わない部分もあったようでひやっとしたのですが(苦笑)、最終楽章ではそれもぴったり息が合ってきて演奏も乗ってきました。指揮者も演奏後に自ら「今日は真面目な、ベートーヴェンでした(笑)」と語ったように、正当派の、少しスケールは小さいけれど暖かくて思いの満ちた演奏。素晴らしかったです。

 そして、ピアノ協奏曲4番終了後にダン・タイ・ソン氏がまさかのアンコール。基本ラ・フォル・ジュルネは45分一公演。枠が決まっていますので、アンコールはないはずなのです。この時点で既にピッタリ45分経過した21:00。それでも、その本来ないはずのアンコールは始まりました。

 震災に被災した日本のために、ショパンのアンコールを弾きます

 たどたどしい日本語でそう語った彼が弾き始めたのは、ショパンの遺作となったノクターン第20番 嬰ハ短調。映画『戦場のピアニスト』では冒頭のシーンでこの曲が弾かれ、開始ほどなくして爆撃が始まり演奏は中断されます。震災がまだ完全に落ち着いたとは言えないこの日常の中、仙台フィルのメンバーも聴き入る中で惹かれるノクターンは、非常に美しく心に響きました。

 この日の演奏は、心に残る演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を生で聴くという念願が叶ったのもそうですし、自らも厳しい状況に置かれている中、それでも新潟の音楽ファンのために代役を買って出てくれた仙台フィルの心意気にも打たれました。仙台フィルの皆さん、井上道義さん、ダン・タイ・ソンさん、どうもありがとうございました。素晴らしい体験をさせてもらいました。落ち着いて本格的な活動が再開できるまで、まだ大変なことも多いかとは思いますが、頑張ってください。

2011年5月3日火曜日

オサマ・ビンラディン死亡の報を受けて

 オサマ・ビンラディンが死亡したそうだ。アメリカ軍がパキスタンの首都イスラマバードに近いアボタバードに潜伏していたビンラディンを米海軍特殊部隊(SEALS)が急襲し、銃撃戦の末に殺害したとのこと。米国時間で日曜の深夜に突然発表された、文字通り寝耳に水の出来事だ。


 ところで、ビンラディンが行ったことと、今回アメリカが行ったことは何が違うのか? 無差別に大量の人を巻き込んだか、特定の人物にターゲットを絞ったか、それだけではないか。広場で歓喜するアメリカ人の姿には、 どうも違和感がある。

 一神教では自分の信じる価値と異なるものは文字通り異物として、絶対悪として排除の対象となる。この辺り、伝統的に多宗教・多信仰で"八百万の神"を自然と受け入れていた日本人には感覚として理解が難しいところだ。一神教では自分の価値観を否定するものは敵となる。だから憎しみは終わらないし、これで戦いも終わらない。その意味ではこれまでビンラディンが行ってきたことと今回アメリカが行ったことは、本質的にはまったく同質のものだ。最後にTwitterで見かけた言葉を引用。

 あのビンラディンが最後の一人だとは、ボクにはどうしても思えない。今後も世界で混乱が続けば、地球のどこかに第二、第三のビンラディンが現れるかも知れないよ。