2000年9月6日水曜日

音楽理解の認知論

 どうもまた最近日記の更新が滞りがちで申し訳ありませんでした。お詫びと言っては何ですが、今日は「音楽を聴く」ことをテーマにショ-トエッセイ風の日記を書いてみることにします。

 世の中には色々な音楽があります。いわゆる西洋音楽理論体系に基づく音楽だけでもペンタトニックを基調とした童歌みたいのからシェーンベルグやらウェーベルンやらといった12音技法を用いた小難しい曲まで色々です。我々が音楽を聴く時、「これはわかりやすい」とか「難解だなぁ」とか、そこまで思わずとも「聴きやすい」とか「わからない」とか思う場合は多いと思います。ではその「聴きやすい」というのはどういうことなのでしょう?それは曲が悪いのでしょうか、それとも聴く人が悪いのでしょうか?

 こんな研究レポートがあります。音楽の認知、すくなくとも心地よい音楽として判断できる基準はある一定の発達段階をもっているというものです。つまりまずは先に挙げたいわゆる『ヨナ抜き』、その調のドレミファソラシドからファとシを抜いた5つの音から成る『ペンタトニックスケール』を理解できるようになり、続いてファとシも加えたドレミファソラシドすべての音階から成る音楽を、そしてそこから短調やらスケールアウトした半音やらという風に高度に音楽の理解は発達していくというものです。つまり高度な理論に基づいた音楽は、それが高度であればある程聴く側にもそれなりの資質を要求するというわけです。このレポートは音程だけでしたが、リズムや和声その他の理解にもほぼ同じことが言えるでしょう。はじめは上に出た旋律だけの聴取、理解にとどまり、続いて低音の旋律等が耳に入るようになり、内声、和声・・・、といった具合でしょうか。音楽はその構造が複雑になればなる程聴く側にもそれを受け入れるだけの器を求めるのではないでしょうか。

 そして楽器を演奏する人と自分で演奏はしないでただ聴く人との差も考えられます。私はギター弾きですのでギターの曲をまず引き合いに出させてもらいますが、弾く人とそうでない人で決定的に理解の差が出るのはブローウェルの音楽でしょう。彼の作る曲は、特に『舞踏礼讃』や『シンプルエチュード』などはそうなのですが、実際弾いてみるとわかる面白さというものがあります。逆に言えば、ギター以外の楽器だったらこの曲は生まれていないだろうという楽器特有の面白味とでもいうのでしょうか。これはギターならギターを弾いている人でなければわかりえないものです。そのはずです。だがしかし、それも楽器を弾いてなくてもわかる奇特な連中も中にはいるのです。私の仲間にいわゆる絶対音感を持つピアノ弾きがいます。耳に入る音が全部音階で聞こえるというあれです。その仲間にブローウェルの音楽を聴かせたところ、「ああ、こういう音の配列になってるのか。面白いなぁ」とか、「へぇ、こんなところでこんな音が出てくるなんて以外だけどいいね」とか、ギタ-弾きなら楽器の運指の特徴で理解できるけどそうでない人にはわかりえないであろう音の並びをすべて一回聴いただけで「面白い」と思えてしまっていたのです。ギターは弾けないそいつがです。ある意味愕然としました。私は『舞踏礼讃』なんかは試みに弾いてみるまでその面白味はわからなかったというのに・・・。聴く方にも才能というものはあるのですね、これが。より高度な音楽を理解するためにはより高度な訓練や才能が必要。音楽の世界は厳しいです。クラシックの現代曲なんかは私にも音楽に聞こえないのはよくありますが、そういうのは私がその曲を聴くだけの素養を持っていないのでしょう。

 しかし、聴く方にも高度な能力を求めるいわゆる「高度な」音楽が必ずしもよいとは限りません。私はブローウェルのような今回の定義でいけば「高度な」音楽も好きですが、メタルやらJ-POPやらも好きです(J-POPはかなり選り好みしますが)。はっきり言ってJ-POPなんて音楽的にはかなり稚拙なものが多いですし、メタルも高度な音楽理論を用いてとうたわれているDream Thaterをはじめとするプログレ系だってブローウェルほどのことはやってません。理論的には高度なことはやっていても、演奏の方が高度になりきれていないのです。それは下手という意味ではなく、ある意味ではメタルというかエレキ音楽の限界だと私は思っています。そしてエレキ音楽はその限界を知ってか知らずか、クラシックにおける表現とは違った方向に進化を見い出してやってきているように思えます。結果は同じでも過程が違うのですね。今回は深く言及しませんが。ですが、私はそういったエレキ音楽が音楽として高度なクラシックの下とも思いません。いいもんはいいのです。そこにクラシックもメタルもありません。自分の素養が足りずに理解できない音楽があるのは残念ですが、理解できるだけの素養があるのにつまらんことを気にして「あれは駄目だ」とやるのはもったいないと思います。私はヨ-クの曲は簡単だとよくバッシングしますが、それは演奏する場合に簡単で深みがあまりないからつまらんといっているだけで、聴く分には好きです。つまらないことで受け皿を狭めてしまうのはもったいないでしょう。どうせならいい曲にはたくさん巡り会いたいものです。かの大ピアニスト、グレン・グールドはこう言っています。

「1才半くらいの幼児を誘拐して音楽のまったく聞こえない山奥に幽閉したとする。そしてシェーンベルグなどの純粋な12音技法を用いた音楽を慎重に選び、そういった曲ばかりを聞かせたらどうなるだろう?6才か7才になる頃になるとその子はこんな旋律(12音技法の意味不明の旋律)で歌い出すと思うかい?」

 この彼の言葉は実に示唆的であると思います。

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