2005年5月15日日曜日

高校時代

 高校の仲間と横浜で飲んできました。一人は正月以来、もう一人は三年ぶりくらいでしょうか。やはりなかなか懐かしいもので、ベタに言うなら積もる話などをしながら時を過ごしました。あの時誰が何をしたとか、今誰は何をしてるだとか、その手の話です。・・・現役のセンター試験の時、私が会場(新潟大学)の池から数十cm大の氷を取り上げてキャンパスにバンバン打ち付けながら高笑いをしていたということはすっかり自分では忘れていましたが(さらに言うなら友人Aが「やめろ、三高の恥だ!」と叫んだら友人Bが「バカ、学校名出すな!」と突っ込んだとか)。まぁ、色々あります(笑)。

 ふと思い出しました。高校から帰る自転車の道。片道25分はかかります。部活が終わって、三条市街を抜けたら静かな車もほとんど通らないような住宅街で、そこも抜けると両サイドに水田が広がる見晴らしのいい道に出ます。白く揺れる月を眺めて、D'ERLANGERの『MOON & THE MEMORIES』など口ずさみながら、何となく、何かが起こるのを期待しながら自転車をこいでいました。クルクルと転がすような小気味いい高さで合唱するアマガエルと、その間に低くうなるように間の手を入れるウシガエル、土手の上、やや遠くに聞こえる自動車のエンジン音。平和な田舎の帰り道。特別な何かなど未来永劫起こりえないようにすら思える程の、ひどく平凡な帰り道。その中を、何かが起こってくれたらいい、少し幸せになれるような、そんな何かが起こってくれたらいい、そう思いながら自転車を走らせていました。

 その"何か"が起こったのか起こらなかったのか、とにかく今私はここでこうして私としています。何となく、何かが起こらないかなと思いました。何か決まった結末を期待するのでなく、そう、漠然と「何か」です。自宅の部屋の中に入ってしまったら、もう何も起こりえないのはわかっています。だから、日吉の駅を降りて、用もなくTSUTAYAに寄ってみたり、コンビニでちょっと立ち読みして時間を潰してみたりして、"何か"が起こるのを待ってみました。結局、何も起こりません。コンビニで飲み物を買って、途中何人かを追い越して、一人二人に追い越され、二三人とすれ違い、自宅の前まで着きました。何だか前の寄宿舎からヴーンと中音域でうなるような妙な音が断続的に聞こえます。でも、それだけです。それ以上何も起きはしません。誰もいない、そしておそらく誰も見ていない道の上です。小高い丘の上、街の灯は遠くに見えます。マンションの門を開け、オートロックを解除して部屋に足を向けます。いつもよりも足音が響くように感じる階段を下りて、もう一年くらい電球が切れたままの自分の部屋の前の廊下に立ちます。一息ついて、鍵を開け、扉を開けて、体を中に入れます。そして、後ろ手に扉を閉めます。バタン。お終まいです。もう、何も起きません。もう、何も起きません。多分、それでよかったのでしょう。だからこそ現実というのは成り立っているのだから。

 期待するより現実がつまらないときは「そんなもんだよ」と言えばいい。予想できるより現実が、よくも悪くもドラマチックであるあるならば、「現実は小説よりも奇なり」と言えばいい。結局、ものは言いようだ。そのどちらの感覚も、高校時代は味合わせてくれた。そんなことを思い出した。僕らが高校時代を語る時、それはもう10年以上前のことなのだと、今さらながらそう気付いた。

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