母がモンゴルへ旅行に出かけた。叔父夫婦(母の実兄夫婦)が行く際に、母の兄嫁が一緒に行ってくれる女性がほしいということで母に白羽の矢が立ったのだ。母は初めてのモンゴルへ楽しみ半分恐れ半分で旅立って行ったが、この話のメインはこちらではない。母の旅行で一人家でお留守番をすることになった父の方だ。
父は昭和の男性である。いわゆる団塊の世代の最後の辺り。その世代の男性にありがちなように、父は家事全般を母に任せ、自分は仕事に生きてきた。その是非はここでは問わないが、結果として父の生活能力は低い。それでも掃除や洗濯はまだいいとして、問題は食事だ。料理が得意な母に任せきりだった父は自分では料理をしない。大学時代は一人暮らしだったわけだから多少はできたのかもしれないが、半世紀に及ぶ母との暮らしの中でその能力はすっかり消えてしまったようだ。そこで母が4泊5日の旅行に出るとなると、当然父の食事をどうするかという話になる。本人は大丈夫だよと言うが、正直大丈夫なわけがない。何しろ作れないだけならまだしも買えないのだ。スーパーやコンビニで出来合いの弁当や総菜を買ってくるという発想すらない。母は心配しつつ父に冷凍食品のチャーハンの作り方を仕込み、出発の昼にはカレーライスを作ってそれを夜まで食べるのだよと指示して旅立っていった。
今自分は仕事で実家に毎日通っているわけなので、当然昼は一緒に食べる。母の出発の日は母のカレーライスを一緒に食べて、イオンでサトウのごはんやレトルトの中華丼、インスタントみそ汁等を買ってきて父に渡し、その日は自宅に帰っていった。さて次の日の昼、自分は渡した中華丼とかを食べるかなと思っていたら、父は意気揚々と昨日のカレーを出してきた。夜食べなかったのかと聞くと夜はチャーハンを食べたという。朝は何を食べたのかはわからない。自分が渡したレトルト等も手を付けていない。これはいかんなと感じた。ヘタすれば母が帰るまでひたすら冷凍チャーハンを食べ続けそうだ。5日くらいそれでも死にはしないだろうがさすがに心配だ。ということで、急遽次の日は自分も仕事終わったらそのまま実家に泊まり、食事を用意することにした。自分も料理は苦手だがまだ買って揃えることはできる。
思えば父と2人で酒を飲むのも久しぶりだ。大学~社会人と自分が一人暮らしをしていた時はたまに自分のところに来て2人で飲むこともあったが、自分が家庭を持つと自然とその機会はなくなった。もしかしたら本当に2人だけでゆっくり飲んだのはもう20年近く前のことになるのかもしれない。
当時の父は今の自分よりまだ少し年上だろうか。父方の下戸の血を引きつつ、鍛錬である程度飲めるようになった父。その頃はまだ元気なもので、新潟から自分がいる都会に出てきた時は一緒に深夜までバーで飲むことも多かった。自分が敵わないなと思っていた圧倒的な知識量も健在で、酔うと好きな音楽についてや文化芸術について、社会について、周りの人たちについて、様々な知見を上機嫌に語ったものだ。圧倒的に自分だけがしゃべり続けるのは当時からちと玉に瑕ではあったけれど。今振り返ってみても、今の自分は当時の父ほどの知識や知見はあるのだろうかと思う。どうだろうな、知識は厳しそうだな。父はちと頭固いところがあるので、そこだけは自分がちっとはマシかもしれないけれど。
では今の父はどうか。少し残念であり寂しいところを語ると、最近の父は危ういほどに頭の働きが鈍くなっている。まず短期記憶(この場合は新しい最近についての記憶くらいの意味)の保持が非常に難しいようで、ほんの30分前、ヘタしたら数分前に話したこと聞いたことも覚えていられず、何度も同じことを言ったり聞いたりする。その状態で新しい知識など当然入るわけもないので、ここ数年の知識はアップデートされないまま昔の情報や価値観で語るので、ちょっと色々とちぐはぐなことが起こる。でも昔に覚えたことは忘れてないので、原理原則は変わらない経理会計の仕事については相変わらず問題なく進められる。
この状態だと日常生活ならまだいいが、仕事となるとなかなか大変で、例えば今年の2月は久しぶりにかなりの大雪が降ったのに「前の冬は全然雪降らなかったからね」というレベルのことを、この程度ならまだ雑談だからいいけれど、もっと仕事的な話で言い出したりする。何度も同じことを繰り返しやろうとしたり聞いてきたり、お客さんから頼まれたことをすっかり忘れてたりする。でも仕事人間だったわけだから仕事はしたいので、大部分の仕事を自分に譲った今でも父は割とグイグイ前に出てくる。実は困ることも多くなってきたけれど、仕事を全部取り上げてもそれはそれで一気によくない方向に進んでしまいそうで怖くてそれもできずにいる。
歳を取るとはかくも残酷なことなのかと最近よく思う。かつてどうあがいても敵わないと感じていた父が、今は少しずつと言うのもちょっとはばかられるほど足早に、自分がフォローしたり困ったりする機会がどんどん増えていく。今回の食事の件もそうだ。もっと若い頃の父なら、いくらなんでもここまで心配はしなかっただろう。
仕事が終わって、自分が買い出しに行って刺身や総菜を買って食卓に並べた。冷凍チャーハンよりはマシな食事に、父の好きなエビスビールを用意して、お互いに注ぎながら食事をする。TVのニュースにコメントを付けたり、クラシックの話を上機嫌に語る様子は昔のままだ。その昔のままというのが安心するような少し寂しいような気持ちで、実はもう何度か聞いている話を相槌打ちながら聞く。仕事柄たくさんの年寄りのお客さんと接するが、多くの人が年を取ると何パターンかの同じ話ばかりをするようになる。今では父も明らかにそのような話し方をする。なんとなしに、父はもう未来には進まないのだなと思った。もちろん、もう父にその必要はないのだ。これまで頑張って生きてきた。ここからは頑張って未来に進まずとも、心地よく今を過ごすことができればいいのだ。それでも、自分としては一緒に未来へと進まなくなった、進めなくなった父をやはり寂しく思う。世代は変わる。今は自分がかつての父のように一生懸命未来に向かって進まなければいけない時がきている。それだけのわかりきったことではあるのだけど。
20年ぶりくらいの父と2人の夜。もうこうして何度過ごせるかわからないなと思っていたから、父からか自分からか、何か特別な話でもするのかもしれないなと思っていた。でもそんなことはなく、父はこれまでのように何も変わらず上機嫌に自分の話をする。おそらく父にとってみればこれまでも何度もあった時間の延長に過ぎないのだろう。最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく、と子育てについて歌ったのは俵万智だったか。これは親が子を見る短歌だけれど、子が親を見る視点でも同じなのだ。いつも通り、普段通りが過ぎていく。後から見た時、あれが最後だったねと振り返る。結局、そういうものなのだろう。
その夜も何も特別なことは起きなかった。いつも通りの様子でいつも通りの話。ただ昔と違い、22時になったところで「明日も仕事だしね」と自分の方から切り上げた。元々酒に強くない父、最近普段は20時には寝ているという父に、これ以上無理をさせてもいけないかなという思いで。天辺を超えてもバーで飲んでいた、そんな飲み方の最後は果たしていつだったのか。きっとその最後の夜も、何も起きないいつも通りの夜だったことだろう。最後とは知らぬ最後を、これからきっと、親としても子としても積み上げていく。振り返った時に、やっとわかる最後を。
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