2011年8月3日水曜日
豪雨被害地帯に入って作業してみて
井戸場河原の入口はもう弊社の2tトラックが停まれる程度には乾いているのですが、少し中に入るともう川水の汚泥が地面に蓄積していて、軽トラも4WDを入れていないと進めないような道になっていきます。長靴が5cmくらいは潜る感じでしょうか。今回のお客様が機械を保管していた場所に近くなると、これまでより一層泥が厚くなっていきます。お客様の畑に行くいつもの道はまだ水没したままで通れないので、今回はお客様の案内で途中でトラックを停め、一輪車に交換用のエンジンオイルや軽油、バッテリー等を積み替えて、一人が一輪車を押し、もう一人(私)がロープでその一輪車を引っ張る形で、10cm以上の汚泥が溜まった畑の中をやっと進んで行きました。酷いところは長靴がふくらはぎまで泥で潜る感じです。
機械のある場所は、川が近いとはいえ井戸場河原の中では少し高い場所になります。その小高い丘の上でも水は目線より高い位置まで来ていたようで、小屋にクッキリと泥の後が付いていました。今回引き上げた機械はSSですが、となりに置いてあったコンバインもアンローダ以外の部分はすっかり泥にやられた形跡があります。地面から160cm-170cmくらいは水が上がったということでしょう。当然桃も梨も、下枝の果実は全部やられてしまっています。
機械がある丘から下の畑に目をやると、1mくらい下にある桃畑はまだ水が引いておらず、川に浸かった状態になっています。お客様はもう既に袋がかかっている梨の袋を一旦取って、洗ってまた袋をかけ直さなければいけないからえらい手間だと仰ってました。その手間を考えるだけでも大きな被害なのに、この上まだ水に浸かっている桃畑があるのです。今地面を覆っている川泥は、果樹用に耕されて柔らかい団粒構造を持った土ではありません。だから乾くと固くなってヒビが入ります。この泥も、最終的にはどうするか考えなくてはなりません。
そんな被害状況に目を向けつつ、すっかり水が入ってしまったエンジンオイルと軽油タンクの中の軽油を換え、なんとかSSのエンジンをかかる状態にして機械を走らせて引き上げます。4WDのSSではありますが、10cm超もの泥の中では何度もぬかりかけてヒヤヒヤしました。引き上げすがら周りを見ると、泥を被ってしまったので病害虫予防に防除をしている人、今回のお客様のように袋かけをやり直している人、様々に被害の後片付けをしています。被災の中心に入ってみると、やはり今回の被害は大きかったし、後片付けの苦労も、その後の苦労も大きなものだと感じました。震災で津波にやられた地域も、大変なのでしょう。せめて、自分にできるお手伝いをしたいと思いました。
ちなみに今回も写真は撮っていません。例えば病気の家族を写真に撮られて公開されるというのは、あまり気分のいいものではないように思えまして・・・。記録は、それが仕事であるプロの人にお任せしたいと思います。私は、記憶にとどめたいと思います。
2011年7月7日木曜日
雑記帳13周年
最近ではTwitterとFacebookを始め、そちらの方は日々短文をぼそぼそと出しています。Facebookでは元々仕事絡みで農家の方々や農業の周辺で頑張っておられる方々と交流や情報交換を行いたいというのが趣旨ですので、そちらでは趣味の話はあまりせず、仕事の日報的な短信や気になるニュース等に話題・立ち位置を限定して活動しています。こちらは完全に社会人としての立場での参加です。
Twitterでは速報ニュースの情報収集や農業、音楽関係の情報収集をメインで使っています。農業関係は情報収集をメインにして、Twitter上での交流は控えめにするスタイルになりました。逆に趣味の音楽のつぶやきが多く、そっち関係のフォロワーさんとの会話はぼちぼち出てきています。Facebookと比べると趣味寄りにシフトし、交流よりは情報収集メイン、ひとり言メイン、たまに会話、くらいの使い方です。最近ではTwitterへの出没が一番多いです。
対してこの雑記帳の立ち位置は昔から変わりません。基本的には好きな時に好きなことを、あくまで個人としての立ち位置で書くというスタイルです。もちろん個人だからと言っても自分がここで書いた発言に対してはしっかりと責任を持つという考え方なので(だから公開当初から実名を出す実名主義。もっとも当時は実名か匿名かなんて議論すらまだなかったけれど)、その意味では社会性ももちろん考えますが、趣味でも仕事でも何でも、書きたいことはジャンル・内容に関わらず書くというスタンスです。Twitterほどの情報発信力があるわけでもなく、誰の目に触れてるのか触れてないのかもわからないこの雑記帳ですが、最終的に表現の場として私が一番大事にしているのはこの内容にも字数にもこだわらない、昔から続けているこの雑記帳です。更新頻度が少ないのは仕事関連はFacebook、その場限りの単発のひとり言はTwitterへと機会を分散したせいもあります。以前はすべてこの雑記帳でした。
ブログブーム以前から続け、FacebookやTwitterが一般公開されるずっと前から続けているこの雑記帳。最近はコメントスパムのあまりの量に辟易として、対策を施すまで一時的にコメント欄を閉鎖してしまっていますが、今後も細々とかもしれませんが続けていきます。よろしくお願いします。
2011年6月28日火曜日
復興支援演奏会inミュンヘン ズービン・メータ『第九』
楽しみにしていたCDが届いた。ズービン・メータが2011年5月2日にミュンヘンで行った、東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートのライヴCD。以前TVで放映されたN響との復興支援コンサートの演奏は、強い決意と並々ならぬ霊感に満ちた、まさに一世一代ともいうべき名演だったので、その時と同じ曲目が演奏されるこのコンサートCDにはとても期待していたわけだ。手元にこのCDが着いたのは一昨日の6月26日。AmazonやHMVの画面では6月28日朝5時半現在でまだ「6月29日発売予定」の状態になっている。「こんなに早く届いていいんだろうか?」と思いながらも、発売日前に聴けることにちょっとわくわくしながら、早速届いた当日、ライナー・キュッヒルが登場するN響アワーそっちのけで聴き始めた。 |
2011年5月2日、この日メータが振ったのはバイエルン国立歌劇場管弦楽団及び合唱団、バイエルン放送交響楽団及び合唱団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団、実にバイエルンとミュンヘンの名立たる3つのオーケストラ・合唱団が集った連合オケ。バイエルンの弦、ミュンヘンの管が一つになるというだけでも垂涎のオーケストラ。彼らが旧知の間柄であるメータを通じて集まり、日本の復興のためにコンサートを開いてくれたわけだ。その心意気にはただただ感謝。
コンサートはN響の時とまったく同様、演奏開始前に亡くなられた方々のために黙祷が捧げられた。その列にはバイエルン放送響の首席指揮者、マリス・ヤンソンスも加わったという。そして震災で亡くなられた方々に捧げる意味でバッハの管弦楽組曲第3番より『アリア』が始まる。いわゆる『G線上のアリア』。鎮魂の祈りとして演奏されたこの曲は、N響の時も今回も、メータの意思により演奏後の拍手は慎み控えるようにお願いされた。CDではさすがに黙祷の間は収録されていないが、静謐の祈りの空間から静かに浮き上がるように始まるこのアリアは、震災で沈んでしまった日本の心を、重い地面から、暗い闇から、静かに両手ですくい上げてくれているように感じた。わずかではあるかもしれないが、それでも確かに。願わくば、亡くなられた方々の魂もそうでありますように。
そしてベートーヴェンの『第九』が始まる。静かなアリアの終わりから、思った以上に力強く入ってくる第一楽章の導入部。メータの指揮は全体に急ぎすぎず、聴かせどころではオケを煽って走っていくよりもむしろテンポを落としてじっくり聴かせる、そのような演奏をしてくれている。バイエルン/ミュンヘン連合オケのぶ厚い弦と管に支えられた、非常に響きの濃い、充実した演奏。
正直、この演奏にはN響の時のような指揮者にもオーケストラにも満ちていた目が離せないような圧倒的な霊感、音に満ちていた強い意思とも無心な祈りとも感じる不思議な力は感じられない。だから、N響と同じものを期待して聴いていると少しイメージが違ってくる。自分も最初そうだった。あのN響の時に感じた圧倒的なオーラが感じられない。そればかりが最初は気になっていた。でも、最終楽章に入り、歓喜の歌の旋律をバスが最弱音で奏で始めた時、いきなりそこで印象が変わった。そうだ、この演奏はこれでいいのだ、と。N響の演奏は震災で被災した当事者の祈りだ。そこにはそこにしかない痛み、思い、祈り、希望、絶望、様々なものが渦巻いていた。だからこその演奏だった。でも、今演奏している彼らはそうではない。震災の当事者ではない。彼らの演奏はこう言っているのだ。
我々は震災にあったわけではない。だから被災された方々の痛みは半分も理解はできないかもしれない。けれど、それでも我々は立ちあがろうとするあなたの傍にいることはできる。共に立ち上がろうとすることはできる。この音を通じて、と。
そう感じると、これは非常に暖かい演奏だった。バイエルン国立歌劇場が、バイエルン放送響が、ミュンヘンフィルが、一堂に集って、通常よりも大きな編成で『第九』を演奏している。これだけの人が、この音を通じて傍にいてくれる。歓喜の歌の旋律をなぞるバスに、バイオリンが、他のパートが、加わってくる。自分もいるよ、自分もいるよ、と。たくさんの声が合唱から聞こえてくる。これだけの人が、今、ここにいるんだよ、と。とても暖かい、励ましの意味が込められた『第九』だった。
そもそもメータは選曲をする際、「Allle Menschen werden Bruder(すべての人は同胞になる)」というメッセージを込め、この『第九』を選んだそうだ。このコンサートのプローベ初日、バイエルン/ミュンヘンの連合オケを見渡して開口一番「みんな知っている顔ばかりだ」と笑顔を見せたというマエストロは、その同胞達と共に被災された方々に、日本に、「我々も傍にいる」とメッセージを送ってくれたわけだ。N響の当事者の祈りとは違う、バイエルン/ミュンヘン連合オケによる、震災を包み込むとても暖かい『第九』。最後まで感じられるこのたくさんの人の息吹、暖かさが、とても力になるように感じられた。この暖かさが直接の被災をしていない自分だけでなく、本当に被災された方々にも届くことを願ってやまない。
2011年6月25日土曜日
米の輸出と原発問題
一方、福島第一原発の事故を受けて、米の主な輸出先の一つである中国が新潟を含む10都県の米を禁輸にしているとのこと。やはり原発事故による農業への影響は、この新潟でも既に始まっている。
ところで、原発事故の影響で輸出ができなくなるのなら、いよいよもってTPP参加は農業に壊滅的打撃を与えてしまう。輸出もできずにひたすら受け入れるだけになれば、さすがに日本農業はもたないだろう。輸出に希望を持った上でならTPP参加は検討の余地があったわけだが、原発事故の影響を考えると厳しい。困った事態になったものだ。
原発問題で派生する米の国内供給に関しては、少なくとも今年は大丈夫だろう。政府備蓄米もあるし、いざとなったら転作で飼料米として出荷する米を主食用に回すこともできる。飼料米ったって主食用品種を普通に作ったのを減反のため便宜的に飼料米にしてるだけ。それらが主食用として供給されるまでの間に多少の政治的、あるいは流通的な混乱はあるかもしれないが、最終的に米の供給が足りなくなることは恐らくないだろう。新潟まで放射能検出されたら危ないけど。
2011年6月19日日曜日
鈴木秀美/リベラ・クラシカの『ジュピター』
『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。
そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。
2011年5月29日日曜日
LFJより不思議な縁で - アンヌ・ケフェレックのショパン
同曲のCDは手持ちがなかったので、それ以来ノクターン嬰ハ短調のCDを探し始めます。が、元来ショパンは苦手としていたもので、どの演奏が定番なのか、そもそもショパンが得意なピアニストって誰?というところがまずわからず、選定が進まなかったわけです。試みに一度Twitterで「お薦め教えて」とつぶやいて、何人かから情報はいただいたのですが、まさかの入手困難・廃盤なCDの連発(苦笑)。皆さん、意外とマニアックです。そんなこんなで、昨日までノクターン嬰ハ短調のCDは選定されないまま来ていました。
昨日、あるショッピングモールに買い物に行き、妻と下の子が食料品等を回出している間、私と上の子はモール内にある小さなタワレコでCDを物色していました。東京時代に通っていた渋谷のタワレコと比べると寂しくなるくらい小さなタワレコです。それでもタワレコはタワレコ限定の音源もあるので、一応見る価値はあるかなとクラシックの棚を見ていると、一緒にいた4才の上の子が「これ!これがいい!」と一枚のCDを指差します。「ん?」と思って見てみると、それはアンヌ・ケフェレックが弾くショパン作品集でした。
アンヌ・ケフェレック。ラ・フォル・ジュルネ新潟で私が行った、先のダン・タイ・ソン演奏のベートーヴェン ピアノ協奏曲4番で、本来はヴュルテンベルグ管弦楽団と共に来日するはずだったピアニストです。このケフェレックとヴュルテンベルグ管弦楽団が来日キャンセルしたため、代わりにダン・タイ・ソンと井上道義指揮仙台フィルがやってきました。そうした経緯もあるので、その後私は「ケフェレックのCDなんて買わねーぞ、あのチキンが!」くらいの勢いでいたのですが、子供がこれがいいと言うんじゃ仕方ありません。とりあえずCDを手に取ってみました。曲目を見てみると、何とノクターン嬰ハ短調も入っています。ふと棚に目をやると、「ラ・フォル・ジュルネ特集」とのポップ。「ああ、それでアンヌ・ケフェレックなんて比較的マニアックなピアニストのCDがこんな小さいクラシックコーナーにもあったわけか」と納得しつつ、子供に「これがいいのかい?」と確認します。4才の上の子はためらわずに「うん」と言うので、仕方ない、このCDをレジに持って行きました。ケフェレック、結局ラ・フォル・ジュルネには来なかったんだがなぁ、と心の中で苦笑しながら。
で、聴いてみるとケフェレックの演奏が実に素晴らしい。私がこれまでショパンを苦手としてきた理由の一つは、ポロネーズやワルツ何かでは特に力入りすぎ、見事に弾きすぎな演奏が多くて、華やかで絢爛ではあるけれど音楽に深みが感じられなかったことにあるのですが、このケフェレックの演奏はそうではない。ポロネーズもそうですし、幻想即興曲ですら力任せに弾いている感じがせず、実に美しく情感漂う演奏を聴かせてくれます。ノクターン嬰ハ短調も静かな夜に雨だれが打つような、静謐な中に想いのこもったトリルが響く素晴らしい演奏でした。このショパンはいいなぁ、と思いました。これならショパンも聴ける。ポロネーズや幻想即興曲ですら力強く迫力一杯に鳴らすことはせず、華麗で絢爛、英雄的なピアニズムとは一線を画した、スケールは小さいながらも寂しくしとしと降る秋の長雨のような、静かな抒情感に満ちたショパン。私はショパンもピアノも門外漢なので、それがショパンとして正統的な演奏なのかまではわかりませんが、このショパンは実に素晴らしいと思いました。昨日の夜からもう3回も聴き直しています。初めて素晴らしいと思えるショパンの演奏に出会えました。
思えば不思議なものです。このアンヌ・ケフェレックが来日キャンセルしなければ、私がLFJ新潟でダン・タイ・ソンの演奏を聴くこともなく、ダン・タイ・ソンがノクターン嬰ハ短調を演奏しなければ私がこの曲のCDを探すこともなかったでしょう。そこに子供が「これがいい」と指差した偶然も加わり、私はこのアンヌ・ケフェレックのCDを手に取りました。そしてショパンもいいなと、ショパンの良さが少しわかってきた感じです。これもまた、縁というものかもしれません。来日キャンセルのドタバタは色々ありましたが、とりあえず今はダン・タイ・ソンと仙台フィルの心意気と思いのこもった演奏と、このアンヌ・ケフェレックの静かな抒情に満ちたショパン、両方を聴くことができたのだからいいじゃないかと思っています。不思議な、縁のつながりですね。
2011年5月8日日曜日
井上道義指揮 仙台フィル@ラ・フォル・ジュルネ新潟2011
6日の演目はシューベルトの序曲とピアノ協奏曲4番。演奏には元々はアンヌ・ケフェレックをソリストに、ヴュルテンベルグ管弦楽団が来日する予定だったのですが、震災・原発事故後に来日キャンセル。東京他各地の公演でも震災後は来日キャンセルする団体が相次いでいるらしいですが、ここ新潟でもその煽りは受けました。しかしそこで立ち上がったのが自らも震災で被災した仙台フィル!井上道義氏を指揮に迎え、新潟の音楽ファンのためにやって来てくれました。ソリストはケフェレックの代わりにダン・タイ・ソン。演目もシューベルトの序曲がフィデリオ序曲になりました。
というわけで演奏者がガラッと変わったこの公演。仙台フィルが入場してくると、会場はいきなり大きく暖かい拍手が響きます。りゅーとぴあの大ホールに、フルオケとしては少しばかり編成が小さい仙台フィルが並びます。井上道義氏が颯爽と入場し、挨拶もそこそこに指揮台に立ち、すぐさま始めるフィデリオ序曲。少しテンポ早め、爽快で明朗なフィデリオ序曲。仙台フィルは弦の響きが暖かく柔らかい印象です。曲の最後、オケを盛り立てた井上道義氏は最後の音を右手で振ると同時にクルッと観客席の方にターン。両手を広げて仙台フィルのために拍手を求めます。劇場一杯に満ちる拍手。少しして、その拍手を静止して井上氏が語り始めました。
ドイツのオーケストラに突然来たくないって言われちゃって、仙台が来ました!
(拍手)
人間、いつ勝負するかって、一番厳しい時に来ることです。(彼ら仙台フィルは)まさにそれを体現しています。
泣きそうになりました。井上道義氏の言葉は発音が聞き取りにくいし、少し日本語としてはおかしいところもあるのですが(笑)、それでも胸に響く言葉でした。周りを見ると、実際に泣いている人もいました。自らも被災した仙台フィル。人的な被害はなかったといいますが、本拠地となる仙台のホールが被災し、6月までの公演はすべてキャンセル、練習もままならない状態だと聞きました。そんな彼らが、中には自分の気持ちの整理がまだついてない人もいるだろうに、それでも新潟の音楽ファンのために短い準備期間でこうして演奏に来てくれるのです。その精神力と心意気にはただただ敬服するばかり。恐れ入ります。
そしてダン・タイ・ソンを迎えてのピアノ協奏曲4番。いきなりピアノ独奏から入るこの曲、静かなホールにピアノの音が響きます。ダン・タイ・ソンの演奏を聴くのは初めてなのですが、水滴が流れ、弾けるような高音と演奏をするピアニストだなと思いました。そして時たま水面を飛び出す小魚のように自由に跳ねる。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンのものでしたが、その水がどんどん溢れていくような演奏は素晴らしかったです。そしてそのカデンツァを暖かい音色で優しくそっと受け止める仙台フィルの弦。いい演奏でした。第2楽章では少々ソリストと指揮者・オケの思惑がかみ合わない部分もあったようでひやっとしたのですが(苦笑)、最終楽章ではそれもぴったり息が合ってきて演奏も乗ってきました。指揮者も演奏後に自ら「今日は真面目な、ベートーヴェンでした(笑)」と語ったように、正当派の、少しスケールは小さいけれど暖かくて思いの満ちた演奏。素晴らしかったです。
そして、ピアノ協奏曲4番終了後にダン・タイ・ソン氏がまさかのアンコール。基本ラ・フォル・ジュルネは45分一公演。枠が決まっていますので、アンコールはないはずなのです。この時点で既にピッタリ45分経過した21:00。それでも、その本来ないはずのアンコールは始まりました。
震災に被災した日本のために、ショパンのアンコールを弾きます
たどたどしい日本語でそう語った彼が弾き始めたのは、ショパンの遺作となったノクターン第20番 嬰ハ短調。映画『戦場のピアニスト』では冒頭のシーンでこの曲が弾かれ、開始ほどなくして爆撃が始まり演奏は中断されます。震災がまだ完全に落ち着いたとは言えないこの日常の中、仙台フィルのメンバーも聴き入る中で惹かれるノクターンは、非常に美しく心に響きました。
この日の演奏は、心に残る演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を生で聴くという念願が叶ったのもそうですし、自らも厳しい状況に置かれている中、それでも新潟の音楽ファンのために代役を買って出てくれた仙台フィルの心意気にも打たれました。仙台フィルの皆さん、井上道義さん、ダン・タイ・ソンさん、どうもありがとうございました。素晴らしい体験をさせてもらいました。落ち着いて本格的な活動が再開できるまで、まだ大変なことも多いかとは思いますが、頑張ってください。