2011年12月19日月曜日

ピアノ発表会見学

 昨日は上の娘が習いに行っているピアノの先生の教室の発表会でした。ウチの子はまだ習い始めて間もないので今回は出場せず、観客席でただ聴くだけでしたが、一緒にいった自分はなかなか楽しめました。

 まだ若い先生で、発表会に参加する生徒も下は幼稚園の年長さん、上でも中学一年生。わずか6、7人の生徒が2巡するだけの発表会です。それでも皆、上手に弾いたというのもそうですが、それ以上にピアノを楽しんで演奏していたのが凄く気持ちよかったです。

 見ていると、この先生はこの発表会に向けて生徒が選んだ曲は、ポピュラーでもジャズでも、先生自身が知らない曲でも、それでよしと認めて指導してきた様子。普通先生って自分の知らない曲、ジャンル外の曲って嫌がるんですけどね。それもあって生徒達は自分の好きな曲をいきいきと演奏していたのだなと思いました。

 ある程度以上のレベルを目指すなら、課題曲を通じて技術的なステップをクリアしていく過程も必要でしょう。でも、それ以上に先生はまず音楽を楽しむことを大事にしているようで、それは凄くよいことだなと思いました。ピアノが上手になるために、音楽が嫌いになったら意味がないですから。いい先生についたなと感じる、暖かい発表会でした。来年はウチの子も出られるようになってるといいなぁ。

2011年12月18日日曜日

クラギタ50回目の定演の報を聞き

 昨日出身校クラシックギター部の50回記念となる定演があり、そこで藤井敬吾先生の委嘱新作となる合奏曲『暁のファンファーレ』を演奏したとのこと。スネアやら叩き、グリッサンド、果てはバルトークピッチカートまであるという特殊技法が散りばめられた弾くのが楽しい曲ということで、きっと色々な意味でスリリングな曲だったんでしょう。 50回という節目でプロの作曲家による委嘱新作を自分達で演奏するという挑戦。その意義は大きく、後輩達の順調な発展と挑戦は、話に聞くだけでもやはり嬉しいものです。

 自分達の頃は、何はともあれまず"自分達で編曲をする"ということが挑戦でした。前年まではしばらくプロの先生にオーケストラ曲の編曲を依頼して、それを演奏するという文化が続いていたのですが、自分が2回生の時はそのいつもの先生が練習を開始する時期になってもなかなか編曲を上げてくれず、あまつさえ上がってきた譜面が「こんなんギターで弾けるか!」と叫びたくなるような非ギター的な譜面。当時の指揮者・パートリーダー達は随時そこを苦心して手直ししながら練習していきました。その不毛さに怒った私は、「来年は自分が編曲をやる!」と言い放ち、手探りで編曲を始めたものです。今思えば断片的な楽典知識はあったとはいえ、宣言した当時の状態からするとなかなか無謀に近いチャレンジです。それでもまぁ何とかノーテーションソフト『Encore』の力もあり、オーケストラの譜面を読む訓練もして、何とかブランデンブルグ協奏曲第3番(第1楽章)や威風堂々第1番等を編曲してきました。おかげでオーケストラの譜面を読んでアルト、バス等の合奏用ギターを含む合奏用の譜面に(多少の手心を加えた上で)コンバートするという特技が身につきました。

 余談が長くなりすぎましたが、当時の自分達はそこまでが挑戦でした。それは大きな挑戦ではあったけど、クラシックギター部が自立するための小さな一歩でもありました。当時師事していた尚永豊文先生に「来年は編曲を自分がやります」と話した時、ここ数年は外部に編曲を依頼していたことをお話しすると「甘えていましたね。自分達でやることはいいことです」と仰っていたのを思い出します。編曲も自分達でやることで、音楽に向き合うことができたのは、確かに厳しい側面もあったものの、実際いい経験でした。

 自分が卒業してから10年以上が経ち、その間自分の後のクラシック技術部長達には自分など及びもつかないような実力を持った人達も就いていきました。卒業後も何曲か合奏用に私が編曲をさせていただいたこともありますし、藤井眞吾先生に編曲をお願いしたこともあったようです。今でもクラギタのBOXに顔を出す同期に聞くと、自分らの頃とは大分雰囲気も変わったそうです。それでも、大学で公式に部として昇格して50周年となる節目の年に、フラメンコは記念イベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』を開催し、Aアン大合奏では藤井敬吾先生の委嘱新作を自分達で演奏できる。それだけの大きな活力を持つ今の後輩たちを頼もしく思うし、嬉しく思います。今後も楽しみになります。自分達がいた頃とは空気や何やらは変わっても、自分達がそう感じたような、あるいはそれ以上のいい部であるのだなと、その活動を通じて感じることができました。

 現執行部の皆さん、部員の皆さん、50回の記念となる定演での大きな挑戦、お疲れさまでした。是非今後とも、頑張ってください。

2011年12月14日水曜日

TPPという名の世界均質化

Twitterで平川克美氏(@hirakawamaru)が以下のようなツイートをされていました。


多国籍企業の論理や行動は、基本的に超国家主義的であり、覇権主義的にならざるを得ない。法人税率を上げたり、規制があると海外へ逃避してしまうと脅す人がいるが、そうしなくてもボーダレスに消費者を探し、安価な労働力を探しまわるものだ。ボーダレスな焼き畑農業をやっているわけだ。

多国籍企業の利益をもとに、国民国家を論じるのは、筋違いである。多国籍企業の利益は、そのまま多国籍でアノニマスな株主の懐へ納まる。

新自由主義のメリットは、ほとんど多国籍企業のためのメリットと同じだ。国民利益とは、なんの関係もない。にもかかわらず、経済政策は、多国籍企業やアノニマスな株主に配慮してばかりいる。

 TPPに感じる違和感、それは「国に縛られない企業の論理を、国土と国民に縛られざるをえない国に適用する」ところにあるのだなと、これを読んで感じました。国土や国民にしばられることなくコストを下げ、収益を上げたい企業論理。その論理をどうしたって国土や国民が前提となる国に適用することで、ビジネスに関して国の差、地域差をなくそうというのがTPPです。そもそも前提となる範囲が異なる規範を無理に適用しようとするから齟齬が生じるのだなと。

 その国土、国民性に合った農業や医療、法令、ビジネスが本来はあるはずです。でも「その国に合った」なんて考えてたら国ごとにビジネスを考えなきゃいけなくなって非効率だから、「じゃ、その差を考えなくていいようにルール作りましょ」ってのがTPP。グローバル化はイコール均質化です。TPPの無理があるところは、実際これだけ異なる世界を、論理的に一つと見なそうとするその本質の部分にあるのだなと、改めて感じました。

Google『未来へのキオク』

本日、Googleが東日本大震災被災地の最新のストリートビューを公開しました。あらためて津波被害地域等を眺めてみると、いまだに荒れ果てたままの街並みと、時折警備員の姿が飛び込んでくる非日常的な世界。胸が痛み、言葉をなくします。震災から9ヶ月、震災後の生活は既に日常に溶け込んでしまった感もありますが、こういった映像を見るとまだ震災は、復興は、まったく終わっていないのだと強く感じます。

以下は、Googleのサイトの文の転載です。
今回のデジタルアーカイブプロジェクトは、震災の被害の大きさをストリートビューの技術を活用し、撮影・公開することで、世界中の科学者や研究者だけでなく、一般の方がこうした情報にアクセスできるようになり、地震や津波が引き起こす被害を知っていただくきっかけになるものと考えています。これが、後世に震災の記録をきちんと継承し、震災の記憶の風化を防ぐことにつながることを期待しています。
震災を風化させず、未来への記憶と記録をつなごうというGoogleの強い意志を感じます。

2011年12月11日日曜日

農家のこせがれネットワーク:農と食の新潟地域交流会@新潟

 本日は農家のこせがれネットワークの地域交流会が新潟で初めて開催されました。以前エコノミストで代表宮治氏のインタビューを読んで以来彼らの活動がどんなものか興味を持っていた自分は一体何をやるのかもよくわからないまま、とりあえずまずは参加してきました。

 第一部は「農家のこせがれ地域交流会」ということでしたが、今回残念ながらイベントの告知自体が開催一週間前だったということもあり農家の方は非常に少なく、それどころか参加者自体が非常に少なく、そのせいもありどちらかというとこせがれネットワークの紹介がほとんどの感じでした。それでも10名に満たない参加者は非常に意識の高い方々で、特に魚沼の農業関係者の方々が仰っていた「魚沼コシヒカリのブランドも内部的には崩壊の危機感が募ってきている」という趣旨のご意見には考えさせるものがありました。

 その後意見交換の中でも出てきましたが、外から見ると盤石に見える"魚沼産コシヒカリ"のブランドも、実は案外消費者から「こんなものか」と受け止められてしまうことがある。これは生産者による質の違いもあり、その質の違いをすべてブレンドして出してしまう流通の問題でもあり、なかなか根の深い問題です。個人的には山形の「つや姫」を筆頭に、他県が打倒新潟コシヒカリを掲げて頑張っている中、少々新潟は後手に回ってしまったのかなという感は正直あります。ただ、その中でも個人レベルでは危機感を持って食味・品質の向上に努めておられる農家の方が魚沼に限らずおり、私の周辺地域の農家の方もそういった方々はやはり一般的な魚沼産コシヒカリより(私が食べて)美味しいと感じるようなコシヒカリを生産されています。問題はそれが農家対消費者で直接届く場合はいいとしても、流通を通すと悪い言い方をすればミソもクソも一緒にされるようなやり方で、でもそれが"新潟米"だとして出ていく辺りにもあるのだと思います。新潟では単純に地域で分けて価格が決められているのも問題の一端としてはあります。そういった"コメ王国新潟"が抱える問題点は、やはり県内どこの現場でも感じていることなんだなと確認することができた点はよかったと感じています。

 二部は農家のこせがれネットワークから離れ、奨学米プロジェクトのイベントに移ります。これは大学生に農家の作業を手伝ってもらい、その代償として奨学金の代わりに自分が手伝った農家から米が送られるというプロジェクトで、今年が一回目のようです。企画自体はまぁ正直ありそうな感じだったのですが、ちょっと驚いたのがその構成人員。大学生は最初当然新潟大学の学生なのかと思っていたら、なんと全部首都圏の大学生。それが新潟の農家に来ていたというのです。そしてその(奨学米プロジェクトの言葉を借りれば)コメ親さんとなる農家の方々も、自然派農業、有機農業で筋を通してやっておられる非常に熱意のある方ばかり。この組み合わせには少々驚きました。そしてこのプロジェクトの年間活動報告の後、自分が手伝った農家さんから米を手渡された大学生達は一人一人感想を述べていくわけですが、それがまた面白い。各人奨学米プロジェクトに参加したきっかけは様々です。農業に興味があった、流通に興味があった、オシャレなオーガニック食品が好きだった、等々様々です。で、ほとんどは家が農家ではなく、都会生まれ都会育ちの大学生達。そんな大学生が、田んぼに素足で入って除草をしたり、畦草を刈ってニワトリの餌にしたりする。そして自然から色々なことを学ぶんだという農家の方々と話をして、人生について考える。このプロジェクトの非常に面白く、また素晴らしいところは、参加した学生達がほぼ例外なく、農業体験を通じて農業だけではなく、食について、また人生について深く考える機会を得たというところです。学生達は次々に口にしていました。普段東京の高級なスーパーで並んでいる綺麗なオーガニック食材にも、これだけの苦労をして作ってくれている人がいる、そんなことも気付かないでこれまで生活してきていたと。この食べ物がどれだけ大切なものか、体験を通じてわかった。これからは米の一粒も大事に食べていきたいと。そういった都会暮らしから、いわゆる昔ながらの土と結びついた暮らしへの、価値観の転換、パラダイムシフトを学生達に起こしたというのが、このプロジェクトの一番凄いところだと感じました。たった3回の新潟での農作業でも、米を受け取る時には涙ぐむくらい大切な体験ができる。これは受け入れ先となった農家の方々の仁徳もあるのでしょう。そして一面、都会の暮らしがどれだけ土と離れているかもあるのでしょう。色々と考えさせられる話でした。

 そしてまた面白かったのが最後のパネルディスカッション。これまでの流れを受けて「農と地域の活性化」という題目で30分ばかりの意見交換だったのですが、大越農園の大越さんの発言が奮ってました。曰く、農業を使って何か企画しようという時、例えばホテルがグリーンツーリズム的に宿泊と農業体験をセットにしたパックを作ろうとした時、ホテルは宿泊場所は用意するから後のプランは農家にすべてお願いしますと丸投げてきたりすることが多い。あるいはマルシェで出店依頼があったとしても、例えば東京まで出ていくのにはその交通費、新幹線で行ったら2万円、その他農産物を送る手間や送料があって、売れ残ったらまた地元まで送り直さないといけない。それらで無駄になる時間や手間、コスト、そういったものはすべて農家が背負わなければいけない。農を絡めた企画を立てるのはいいけれど、今はそれに関わるリスクをほとんど農家が背負っている場合がほとんどだ。これから本当に農で地域を復興していきたいのなら、そのリスクを農家だけに重く背負わせるのではなく、リスクを分散する、あるいはリスクに見合うだけのメリットを明確にして進めていかなければいけない。そう仰ってました。至極、真っ当な意見だと思います。個人的な見解としても、世の人が企画ごとに農家を巻き込む時、ともすると農家を聖人的に見てしまう。農家も商売で、コスト管理、リスクヘッジ等あることを忘れてしまう。変な言い方をすると、農家をビジネスマンとして見ない。そんな空気への警鐘もあるのだと思います。ここは継続的に農業の発展を望むなら考えなければならないところで、農家だけがリスクを過大に背負う形では、いずれ今やっている農家達もリスクの大きさに潰れる時が来ますし、そのリスクの大きさが一般的に認知されれば新しいことへの参加は及び腰になります。だからここは継続的発展のためにはしっかり考えないといけない。これは強く感じました。

 同じく大越さんが仰っていたことで、地域復興というのなら、東京進出とか何とか言う前に、まず自分達が自分達の地域に正面から向き合う方が先じゃないか、というのも心に残りました。自分達が住んでいて楽しくない地域、魅力がない地域なら復興も何もないだろうと。自分達が住んでいて楽しいから、魅力があるから、外にアピールできるし、外から人も呼べるんだと。そのためにまず自分達で自分達の地域に向き合い、何が悪いのか、何を直せばいいのかを考えていくところから始まるのではないか。そう仰っていました。これも至極正論です。なるほど、と思いました。

 短いディスカッションの時間ではこれ以上議論を深めることも、結論を出すこともできなかったわけですが、それでもこれらの問題提起は非常に大きな意味があると感じました。個人的にはそれ以上に、自分自身の意識の甘さについても考えることの多い機会となり、非常にいい刺激を受けたイベントとなりました。できれば次回はもっと深く意見を交わし、拙いながらも自分もあのディスカッションに加われるような形で、こういったイベントに参加できたら嬉しいなと思います。自分だけの世界では見識は深まらないものだなと、改めて感じた世界です。そしてそれは見識だけでなく…。

 ともあれ非常にいい刺激を受けたイベント。想像した形とは違っていましたが、参加してよかったと思います。次はどなたか、近しい農家の方もお誘いして、できれば一緒にその刺激を味わうことができればなおよいなと、そう感じました。

2011年11月29日火曜日

今だから考えさせられる『COPPELION』

 ヤングマガジンで連載中のマンガ『COPPELION』をレンタルしてきて11巻まで一気に読了した。お台場原発がメルトダウンを起こし廃墟となった東京で、遺伝子操作を受けて放射能への抗体を持った少女が生存者の救出に向かうアドベンチャー。当然震災前から連載が始まった漫画だ。さすがに震災後であればこんな内容のマンガは新規連載開始とはならなかっただろう。

 『COPPELION』は爽快で涙もあり、とても面白いけど正直深い話ではない。けれど、震災後の今読むと色々と考えさせられる。セシウムやストロンチウム、中性子等の性質もちゃんと出てきて、ある程度科学的に正しいから尚更だ。もちろん科学的にまったくあり得ないことも出てくるが、まぁそこはマンガの世界。つっこむのは無粋というものだろう。

 挿話的に描かれるのは、震災発生時、放射能漏れを隠して自衛隊に救助をさせ、自分達は逃げ出した政府。事故の実態を隠そうとする電力会社。責任を感じて一人で東京に生存者の理想郷を創り上げる原発設計者や、軽視される安全管理の中で危険を承知の上で現場に残った技術者など。そして一番痛ましいのは、自分の意思で残ったのではなく、逃げ遅れる形で汚染された東京に残されてしまった多数の一般市民。今となってはどれも現実的だ。読んでいるとこの悲劇は福島でも現実にあり得たのだと思ってしまう。

  『COPPELION』を読んでいると、今までなら「まぁマンガの世界だしな」で片づけられる部分がそれで片づけられない。今となっては、恐ろしい程のリアリティがあるからだ。「そんなマンガみたいな」とはよく言うけれど、そう、マンガみたいな世界に、なってしまったのだなと。

  このマンガは震災後は不謹慎との批判もあるらしいし、福島の人から見たら実際精神的にも苦しいのだろうと思う。その人達に対して自分は何も言うことはできないのだけれど、個人的な希望を言えば不謹慎とは言わずに続けさせてほしい。今だからこそ、想像力に働きかける物語でもあるのだから。

2011年11月7日月曜日

上野にて文化の日

 さて、3日から妻子と共に妻の実家である佐賀に盆・正月代わりの帰省という形でお邪魔していたわけですが、今回も妻子は二週間ばかり佐賀に滞在するため、本日一旦自分は一人で新潟に帰ってまいりました。その際、佐賀空港から羽田に飛んで、東京を経由する形で帰ってきたので、まぁ折角東京に来たんだしということで、ちょっと一人で東京で遊んで帰ってきました。

 東京駅から近くて、ノープランでも遊びやすいところとなると個人的には上野になります。美術館も東京文化会館もあって、一年中いつ行っても大抵何かやってるので、東京駅を起点にするなら便利な所。今回もとりあえず行ってみたら西洋美術館でゴヤ展をやっています。ゴヤはクラシックギターで最も重要なレパートリーの一つであるグラナドスに多大なインスピレーションを与えた存在。有名な『着衣のマハ』も見られるということで、これはギター弾きとしては逃すわけにはいきません。まずは行ってきました。

 ゴヤの作品をまとめて鑑賞するのは初めてでしたが、有名な『着衣のマハ』に代表されるように、女性の官能的な魅力やその裏に隠れた闇を描き出した画家ですが、実はそれ以上に世の中の闇に非常に敏感に向き合った人でもありました。それは女性を中心に描いていた頃は女性の魅力と裏腹の恐ろしさ、醜さという形で、後年にはより不気味な幻想世界の描写という形で、現れるようになっていきます。だから彼の作風はエロスに留まらず、次第に時代への風刺とともに強烈なタナトスを織り込むようになっていきます。

 それらの作品群を見ていて感じたのですが、痛烈な教会批判もしたゴヤが、一番疑ってかかって挑んでいたのはやはり神であり、ひいては正義や真理といった概念だったんじゃないでしょうか。そういったものが本当に存在するのなら、何故この世界にはこんなに痛みが、苦しみが、死が蔓延しているのか。彼の作品はそう叫んでいるように思えます。特に晩年近くなってからの不気味に幻想的な作品群からは、そのようなメッセージを強く感じるのです。

 そしてゴヤ展を鑑賞した後は、お腹が減ったので一蘭でラーメン。一蘭のラーメンは久しぶりですが、やっぱり美味しい。有名店の名に恥じないクオリティで楽しませてくれるお気に入りのラーメン屋です。

 ラーメンを食べて満足した後は、東京文化会館へ。この日は東京文化会館の50周年記念ということで、『東京文化会館は音盛り。 ~うえの音楽人フェスティバル~』ということで一日中コンサートが催されていたのです。私は16時からのプログラムに行ってきました。演目はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、モーツァルトのフルート協奏曲第1番K.313より第一楽章、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、上野学園大学管弦楽団の演奏です。この演目でチケ代は2,000円ですから安いもの。上野学園大学管弦楽団は学生と教員が混ざったオーケストラですが、さすが音大のオケだけあってなかなかいい音鳴らしてます。印象的だったのがラフマニノフ。ソリストは何と高校三年生(!)の古賀大路さん。10月にコンクールで3位入賞(?)されたとのことですが、この高校生がなかなか凄い。とても高校生とは思えない深いフレージングで、さすがにまだ少々力尽くではあるものの、それでもラフマニノフに負けずにしっかりと音楽を刻んでいきます。恐らくこのステージにかけての意気込みは強いものがあったのでしょう、最後まで集中力を切らさず一心に弾く姿と音楽は素晴らしいものがありました。演奏後、何度も何度も客席、指揮者、オケにぎこちない礼を繰り返す辺り、まだステージ慣れしていないし、凄く生真面目な人なんだなぁと感じさせて、ちょっと微笑ましくもあったり。まだ高校生とのこと、将来どうなるかわかりませんが、順調に成長していけばいい音楽家になるんじゃないかと思いました。

 そしてコンサートが終わったら足早に上野駅に戻ってそこから新幹線に乗って新潟に帰るわけですが、半日で上野をたっぷりと堪能いたしました。こうしてぶらりといってもたっぷり文化に浸れるところが上野のいいところですね。2011年11月6日、一人で勝手に上野で文化の日をやっていました(笑)。