2008年9月24日水曜日

GLOBAL METAL

 先週の金曜日のことになるが、『GLOBAL METAL』という映画を観に行った。"メタルをこよなく愛する人類学者"であるサム・ダンが、世界各地でどのようにメタルが聴かれ、根付こうとしているのかを文化人類学のフィールドワークさながらに各地を足で回って確認していくという、コアなメタル・マニア向けのドキュメンタリー風映画。前作『METAL -A HEADBANGER'S JOURNEY-』はブラック・サバスやアイアン・メイデン等、メジャーどころのインタビューを中心に構成されていたのでまだ一般的なメタルファン向けな感じもしたのだが、今回は如何せん"GLOBAL"だ。どこのどんなメタルが出てくるのかわかったもんじゃない。その意味でマニアレベルは随分上がっていると考えていいだろう。そんなコアな映画が渋谷の単館系映画館アミューズCQNで上映されているので、一緒に観に行こうと会社のメタル好きに誘われ、21時半上映開始という我々にとっては行きやすい時間帯のレイトショーに行ってきたわけだ。

 この『GLOBAL METAL』、これがまた実によかった。最初はブラジルから始まり、いきなりセパルトゥラから始まる。アングラのラファエル・ビッテンコートのインタビュー等を挟みつつ、ブラジルではメタルが若者の間での新しい文化、民主化の象徴として浸透してきたと語る。

 次に日本。マーティー・フリードマンと伊藤政則が語る日本のメタルシーンは(特にマーティーが語る分には)やや偏りがある気もしたが(苦笑)、まぁ面白かった。マーティーはビジュアル系が面白いといい、その代表としてX JAPANが紹介される。どうせビジュアル系を取り上げるなら欧州でもっと売れてるDir en greyとかにしときゃいいものを。あるいは『Death Pandaデス!』が何でも様々な要素をミックスしてしまい、他の国ではありえない取り合わせが生まれるという日本の特質を表す曲として紹介されてみたり。なかなかマーティー、面白い。

 対して伊藤政則が語る、「日本ではメタルに政治的な思想や社会への反発、自己実現といった要素を求めて聴いている人はほとんどいないと思う」という台詞には共感が持てた。実際、私にとってメタルとはあくまで音楽であり、思想やアイデンティティの問題ではない。逆にそれが日本という国の独特なところなのだろう。思想や立場から切り離されて、音楽が音楽として浸透していく。それはゆとりなのだろうか、それとも弛緩なのだろうか。余談だが、先日会社の人間と行ったロックバー『Blackmore』が日本のメタルファンが集う聖地として紹介された際はちょっとニヤッとした。

 その後もどんどんマニアックな各国を回っていくが、どんどんメタルへの風当たりは強くなる。インドネシアでは一度だけメタリカのコンサートが開催されたが、会場周辺で暴動が起き、それ以来メタルのコンサートは禁止になった。レバノンではメタルも長髪も禁止されており、髪を伸ばしていたりロックTシャツを着ているだけで警察に逮捕され、悪魔崇拝者か、それともメタルファンかと尋問を受ける。常に戦地としての側面と隣り合わせであるイスラエルでも事情は似ている。そこでメタルを演奏するバンドは、

「ここでは争いが絶えず、ただ道を歩いているだけでいつ殺されるかもわからない。自爆テロにだって巻き込まれるかもしれない。道で悪魔に襲われても怖くない。ここでは、生きている人間の方が怖い。恐怖は、身近に溢れすぎている。だから自分は希望を歌いたい」

 と語る。日本は、なんと平和な場所だろう。中近東で唯一安全にメタルを楽しめるイベントであるデザート・ロックにはその日を楽しみに大勢のファンが詰めかけるという。彼らがメタルに対して持っている熱狂はきっと我々とは明らかに種類が違うものだろう。

 映画の最後はインドでアイアン・メイデンが初めてコンサートを開く場面に移っていく。『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音が、あのように緊張感のある期待と不安を持って響いたのは初めて聴いた。かつてウィーンフィルのメンバーがフルトヴェングラーのタクトの下、ベートーベンの『英雄』を演奏した際に述べたと言われる「最初の二つの和音があのように響くことはもう決してないだろう」という言葉が、あの『Hallowed Be Thy Name』の最初の鐘の音にも通じるように思えた。インドで響く『Hallowed Be Thy Name』や『Fear Of The Dark』。自他ともに認める敬虔なヒンドゥー教徒がほとんどを占めるこのインドという国で、彼ら聴衆は一体どのような思いで"Hallowed Be Thy Name"と叫んでいたのだろう。それは確固たる宗教、神を心の中に持たない私には決してわかり得ない胸中のように思えた。

 この映画は確かにメタルのドキュメンタリーだが、単純にそれだけではない。それは今も世界中に残る、抑圧や差別、不自由、恐怖との闘いだったり、その精神といったものをメタルという音楽を通じて炙り出す、実に考えることの多い映画でもあった。この映画は観てよかった。DVDが出たら買うかもしれない。しかし使われた音楽は随分とエクストリーム系ばかりで激しかったなー・・・。

 余談ではあるが、本編の最後を締めた曲は『Hallowed By Thy Name』。だが、エンディングのスタッフロールの際に流れていた曲が私も一緒に行った人も何だかわからなかった。あれは一体誰の何という曲なのだろう?結構、カッコいい曲だった。

2008年8月25日月曜日

仕事と買い物

 8月は仕事が非常に忙しく、一人繁忙期の様相を呈しつつも何とかかんとかやっています。まぁ仕事に過酷に忙しい時期がたまに来るのは昔からなのでそれはいいのですが、これもまた昔から、一つ変わらない私の癖があります。それは仕事が忙しくなると購入する酒やCDの量が増えること。どんな深夜に帰宅してもインターネットで24時間商品を探して購入できるこのご時世、気力さえあれば週に一度くらいはネットでショッピングくらいはできます。以前にも書いた気がしますが、私も意外とショッピングでストレスを発散できるタイプのようで、仕事が苛酷な際にはそれに比例して買い物の量が増える傾向があります。

 最近はどちらかというと酒よりCDをよく購入します。iPodのイヤフォンをaudio-technicaの『ATH-CK10』に換えてからというもの、インナーイヤー型イヤフォンの特質として外界からのノイズがかなりシャットアウトされた上に音の解像度も非常に上がり、地下鉄のホームの騒音の中でもクラシックのppの音まで明瞭に聴けるようになったので、どこでもクラシック/ロックを問わずに音楽が楽しめるようになったことが非常に大きいのです。前のはHR/HM系の音楽をボリューム大きめにしていても地下鉄のホームに電車が入ってくる際はもう全然音楽は聴こえませんでしたからね。いやー、大したものです。

 というわけで最近はベートーベンに結構ハマっています。今更ですが。しかも指揮者という面ではフルトヴェングラーとトスカニーニという半世紀以上前の巨匠二人にハマっています(苦笑)。いやー、この二人、どちらも残されている録音は実に酷い音質のものが多いですが(特にフルトヴェングラー)、その音楽は実に凄まじく、そして素晴らしい。何故この二人が今も巨匠と呼ばれ、その酷い音源にも関わらず今でも尊敬され続けているか、実に今更ながら最近やっと実感できた次第です。確かにこの二人の演奏を聴くと最近の演奏は酷く頼りない。音楽の持つ力が弱いようにさえ感じてしまいます。

 しかしやはり、ベートーベンの音楽は私にとって少々聴くのに力がいるので、ふと合間にグールドの弾くバッハなど聴くとやはり落ち着きます。まぁ、グールドの演奏で"落ち着く"ってのも如何なものかとは思いますが(苦笑)。

2008年8月13日水曜日

告別・旧『あゆむの雑記帳』、そして、お盆

 多分今月頭くらいになってからだと思うのだが、突然私の学生時代からのメールアドレスであるayum@na.sakura.ne.jpでのメール受信ができなくなった。旧『あゆむの雑記帳』のサービスである。このアドレスでの受信ができないということは、つまり旧『あゆむの雑記帳』のサービスが満了したということである。まぁ元々このayum.jpに移行した次の年で契約は切れていて、利用しているレンタルサーバの新サービス移行キャンペーンで一年間のデータ保持が約束されていただけなので、それが移行後三年も残っていただけでたいしたものだったのだが。今は旧『あゆむの雑記帳』のURLであるhttp://na.sakura.ne.jp/~ayum/にアクセスしても何も表示されない。仕方ないことではあるが、やはり少々寂しい。

 あのHPでは色々なことを書き、様々な人から反響があり、色々な形での交流があった。学生時代も、社会人になってからも、自分自身のランドマークとして、変な話随分と助けてもらったものだ。その内容はこの現『ayum's note - あゆむの雑記帳』にも引き継がれているが、あの当時の姿はもう見れなくなってしまった。もちろん、私のマシンの中にはデータが残っているので見ようと思えば見れないことはないけれど。

 このようにして、時は移る。昔のなじみは少しずつ消えていき、新しいなじみができる。悪いことではない。それは前に進むということ。だが、消えていったなじみをほんの少し懐かしむことも、それもまた別に悪いことではないだろう。

 明日はお盆だ。ご先祖様が一年に一回、里帰りをする日だ。ウチの実家では今も祖父(曾祖父だったかもしれない)が作った手作りのおしょろ様を13日に組み立て、飾り付けをする。いわゆる精霊棚だ。そういえば、祖父が亡くなる前の夏、祖父とこのおしょろ様を組んだ。「(父が作ると)いつもここが間違ってるんだ」と言い、肺を病んでいた祖父は大きくふうふうと息を吸いながら、このおしょろ様を組み立てていった。その祖父も、今はその棚に里帰りする人となってしまった。

 今年もまた、お盆が来る。私にとってこの時期は色々なものを懐かしむ時だ。新潟の夏の、どこまでも平坦な水田の緑と川の景色は、私に色々なものを思い出させる。その意味で、いつからだろう、夏は四季の中で一番寂しい季節になってしまった。

 そう、今年もまた、お盆が来る。

2008年7月22日火曜日

一泊二日、湯河原にて

 この三連休、後半二日間で湯河原温泉に旅行に行ってきた。構成人員は私と妻と娘と、私の両親、そして祖母である。娘から見たら私の祖母は曾祖母。実に4代にわたる壮大な(?)家族旅行である。今回は比較的近場で、しかも温泉で療養もできる湯河原温泉にしようということで、急遽三連休の前の一週間で計画を練って、ある程度行き当たりばったりに、「とりあえず出かけてしまえば何とかなる」くらいの勢いで旅行に出た。

 一日目、新潟から来る両親と祖母と新横浜の新幹線内で合流し、湯河原の途中、小田原で一旦降りる。小田原城址公園を軽く散歩し、天守閣広場の木陰で涼しい風に吹かれながらかき氷を食べ、天守閣に登っていきます。相模湾を一望する眺めと気持ちいい風に癒されて、そばを食べて一路湯河原へ。奥湯河原にある清巒荘という旅館は、少々風呂の構造に難はあるものの、やはり温泉は気持ちよく、それ以上に料理がおいしく、昼間は何かとご機嫌斜めだった娘も夕飯後は絶好調で、6人一部屋の大部屋で夜は更けていきました。

 二日目は観光タクシーに乗って名所巡り。海岸線を走り、貴船神社で海の神輿を見て(京都・鞍馬にも同名の神社があるが、関係は不明)、三ツ石の海岸線を眺め、中川一政美術館にも急遽寄って、湯河原~真鶴を堪能して帰ってきました。しかし観光タクシーとはいいものです。もちろん移動も楽ですが、大して下調べをしていなくてもちゃんと素晴らしいスポット(それは時に穴場含む)を案内してくれます。三ツ石の海岸沿いの休憩所も、中川一政美術館も、非常に素晴らしかったです。

 そんなこんなでこの連休は久しぶりに東京・京都以外に家族旅行に行き、温泉で疲れを癒し、風景に心和ませて帰ってきましたとさ。これで帰宅後のトラブルさえなければ最高だったのですが・・・。しかしよく考えてみれば、家族4代でこうして旅行に行けるというのも恵まれていることです。本当に。

2008年7月8日火曜日

気付いたら10周年

 また今年も七夕がやって来ました。この日だけはどうにかして更新をしなければなりません。今日はこのHPの開設記念日。最近は記事数もめっきり減ってしまい、息も絶え絶えな感じになってしまってますが、それでもたまには来てくれる皆さん、ありがとうございます。「since July 7, 1998」ということは、もしかして今年で10周年でしょうか。自分でも本当に今気付きました。びっくりです。いやいやよく続いたものです。これもひとえに、今でも見捨てずにたまには来てくれる皆さんのおかげかと思います。

 しかし最近は公私とも時間を取るのが難しく、この日記の更新も月に数回のペースまで落ちてしまいました。今日も0時7分渋谷発の急行に乗って家まで帰り、晩ご飯を食べてシャワーを浴びて、「さぁ七夕くらい日記を書くか」と息巻いて管理画面まで到達したところで娘が泣いて、あわててミルクを作って飲ませて落ち着かせてやっと再開したところです。なかなか、このように時間を取らせてくれません。

 しかし娘ももう一才と二ヶ月になります。一般的には一才半くらいまでにミルクは卒業だそうで、最近では娘もミルクをあまり飲まなくなりましたし、さっきみたいに夜中に目覚めることも少なくなりました。だから、こうして夜中に暗い部屋の中で娘を抱っこしてミルクを飲ませていると、「もしかしたらコイツにこうしてミルクをやるのはこれが最後かもなぁ・・・。」とか思ってしまいます。夜中に目を覚ました娘は泣きわめいていても大抵寝ぼけていて、哺乳瓶を口に持っていくと薄目を開けながらそれでも一生懸命に吸い付き、ゴキュゴキュとミルクを飲み干していきます。汗っかきなので額いっぱいに汗をかきながら、ときたま手でその汗をぬぐうように頭や耳をわしわしとかきます。最近ではお腹がふくれると自分で哺乳瓶を口から外し、薄目のまま「うーっ」とえびぞって、私の腕から抜け出そうとします。そして布団に置いてあげると、すぐに一回か二回ゴロンと転がって、寝るための体勢を作ります。そしてそのまままた眠ってしまうのです。まぁ、たまにそのまま目が覚めて夜中にひとしきり暗い部屋の中をハイハイして回ることもありますが(苦笑)。

 そんな風景も、気付けばすぐに過ぎ去ってしまうのでしょう。去年の夏はまだ寝返りも打てずに、たまに腹ばいにしてみて、首を持ち上げたと言っては喜んで、やわらかい体をぐるんと反らせて、かかとと頭がくっつきそうな変な格好で寝ているのを見ては笑っていたものです。今ではもう部屋中を高速でハイハイして回り、数歩ばかりならよたよたと、おっかなびっくり歩くのです。そう、子どもの成長は、あっという間です。

2008年6月16日月曜日

今週の掘り出し物

 24時間音楽計画と平行して、最近はiPodにほぼ日替わりで新しい音源を入れて、これまで買ったはいいけどあまり深くは聴き込んでこなかった音源、あるいは最近買ってまだ聴いていなかった音源の発掘に尽力しています。先週はテンシュテットが指揮を振るブルックナーの『ロマンティック』を発掘しました。そして今週も、またいくつかいい音源が見つかりました。

 一つはピエール・モントゥーが指揮するシカゴ交響楽団のフランク作曲『交響曲ニ短調』。元々はストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』のいい演奏を探していて購入したCDです。モントゥーは19世紀後半生まれで20世紀半ば以降まで活躍した指揮者で、同時代の名指揮者の一人。『ペトルーシュカ』や、同じくストラヴィンスキーの名曲『春の祭典』の初演者でもあります。そんなこんなで実はこのCD、『ペトルーシュカ』ばかり聴いて満足していて、ほとんどまともにフランクの『交響曲ニ短調』は聴いていませんでした(苦笑)。

 ですが、実際に聴いてみるとこの曲がまた実にカッコいい。曲の説明の詳細はリンク先のウィキペディアに譲りますが、Lentでゆっくりと不安げに始まる曲は序盤から緊張感溢れる荘厳な弦の同音連打(ギター合奏で言うところのトレモロに近い)でじわじわとエネルギーを溜め込んでいき、最終楽章のクライマックス、鮮烈な旋律とともに一気に解放された緊張感が音楽としてのカタルシスにつながっていくのです。最終楽章に至るまで聴き手にある種の緊張感の持続と忍耐を要求する曲でもありますが、それが解き放たれた時に噴き出すエネルギーはもの凄い。といってもベートーベンの『運命』の第3楽章から第4楽章への移り変わりのような暗から明への転換ではなく、あくまでどこか暗い情熱をそのまま噴出していく、ある意味ではバロック的な内省を持った交響曲。またモントゥーの指揮が序盤の緊張感をある種の敬虔さを持って紡いでいて実にいい。これは素晴らしい曲、そして演奏です。録音も1961年のステレオ録音でなかなかいい。少なくとも、古さは全く感じない録音です。

 しかしこのフランクの『交響曲ニ短調』、どうやらあまり有名な曲ではないらしく、他に録音を探してもなかなか見つかりません。どうやら、フルトヴェングラーがライヴで演奏したCDがあるらしいです。フルトヴェングラーはベートーベンとブラームスの交響曲以外は自分が納得した曲以外振らなかったというのは有名な話ですが、その彼が演奏をしているということは、やはりこの曲は彼のお眼鏡に適うだけの価値がある曲だったのでしょう。このフルトヴェングラー盤はまだ持ってませんが、是非一度聴いてみたいものです。

 まったくの余談ではありますが、また昨日は娘の寝かしつけで一緒に眠りこけていましたとさ(苦笑)。

2008年6月9日月曜日

24時間音楽計画

 また昨日も日記を書こうと思っていたのに娘の寝かしつけで一緒に沈んでしまった今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。いやー、しかし日頃の疲れ+暗闇+適度のアルコール+静かな音楽はさすがに聴きます。寝ます。まぁ仕方ないでしょう(?)。

 というわけで先々週は東京文化会館にウィーン・フォルクス・オーパーが上演するJ.シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』を観に行き、先週はロックバーで飲んでいたという緩急の差が激しい音楽生活を過ごしている最近ですが、今週はとある計画を実行に移しました。その名も『24時間音楽計画』です。

 きっかけは小泉 純一郎氏が著した『音楽遍歴』。政治家としての彼が好きか嫌いかというのはともかくとして、本屋で見かけて何となく読みたくなったので買って読んでみました。

 まぁ、正直それほど深いことが書いてあるわけではないのですが、いくつか共感するところがありました。例えばクラシックは一度聴いただけではわからない、好きなところがみつかるまで何度か我慢して聴く辛抱強さが必要だという点。これは私はクラシックに限らずロックもそうだと思っていて、高校時代ロックを周囲に布教していた時にCDを貸す際に添えていた言葉が「とりあえず通して2度は聴け」でした。音楽は、そのよさがわかるようになるためにはある程度聴き手に忍耐を求める場合がある。その小泉氏自身が音楽を、クラシックを好きになって行くその経緯、方法は面白かったです。

 そこで出てきたのが今回の『24時間音楽計画』。小泉氏は普段音楽をよく知っているものでも知らないものでも、状況が許す限りは常にBGMとして流しているそうです。そしてその中からふっと「これはいい曲だな」と思うものがあればそこから掘り下げて行く。これは音楽の幅を広げて行くにはなかなかいいやり方のように思えました。もちろん音楽を本当に満喫するには聴くと意思を固めて、じっくりと聴くのが当然一番いいわけですが、それではなかなか裾野を広げて色々な音楽を聴くのが難しい。ところが逆に変な話、BGMとして割り切って流すのであれば何かをやりながらでも別にある程度音楽は聴ける。よく知っているものでもそうでないものも、です。そしてその中でちょっとでも気に入った曲やフレーズがあったら覚えておき、後でじっくり聴き直せばいい。そういうやり方でなら聴かず嫌いをなくして、広大な音源がひしめくクラシックの様々な魅力を探索できるように思えたのです。

 で、今回の『24時間音楽計画』。これまで我が家には私の(自称)書斎にはONKYOの5.1ch対応のコンポ(SACD/DVD-A対応)があり、寝室には妻が独身時代から使っているコンポがあります。が、リビングには音楽機器が何もなかったため、これが日々の生活が音楽に浸りきらない要因の一つになっていました。そこで今回、ヨドバシのアウトレットで一万円を切る程度のコンパクトなCDラジカセを購入。テーブルの上にちょこんと乗っけておいて、いつでも音楽が聴けるようにしようというわけです。当面は私も試しに買って一度くらいは聴いたけど、結局その後真剣に聴き直すこともなく埋もれているCD達をBGMとして流してみることにします。とりあえず今日はブルックナーの交響曲 第4番『ロマンティック』は結構いいということに気がつきました。やはり、音楽の裾野を広げるにはとりあえず流しておくというのも重要です。BGMにしておいても、自分の好きな曲であれば大抵気付くものですから。

 ところで、今日私が聴き直してみたテンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年東京簡易保険ホールでのライブ録音、これはなかなかお薦めです。値段も2枚組で1,000円とお手頃ですし、シューベルトの交響曲 第8番『未完成』も含めて、テンシュテットが非常にいい指揮を振っています。今でこそ日本でも名指揮者の誉高いテンシュテット、当時はまだ日本では名が知れていなかったという頃のライブ録音。このコンサートがきっかけで日本でも認知が高まっていったとか。それがTDK Original Concert Selectionシリーズで出ています。FM東京の秘蔵音源をシリーズ化しているこのシリーズは、なかなか掘り出し物が出てきます。録音も意外にいい。今回のこのCDはテンシュテットの指揮でシューベルトの『未完成』もブルックナーの『ロマンティック』も二度おいしい、なかなかの掘り出し物です。