2011年9月11日日曜日

10年目の9.11、半年目の3.11

 今日は2001年に起きた9.11同時多発テロから10年目となる節目。昨晩BSプレミアムでやっていたステーヴィ・ライヒの『WTC 9/11』も、この節目に合わせて発表された曲だ。2001年9月11日当時、自分がどんな思いでこの事件を見ていたのかは、完全にではないにせよ当時の雑記帳のエントリー『崩れゆくWTC』からうかがい知ることができる。細々とでも長くブログを続けている意味は、例えばこんなところにあるのだね、と実感した次第だ。

 話を戻して、当時のエントリーを読んで、あのWTCが崩壊する映像が、これまでの資本主義社会の崩壊を暗示しているように思えてならなかったことを思い出した。実際はその後も資本主義は膨張し続け、2008年9月のリーマンショックを経ても尚、傷は追ったもののその基本原理は揺るがずにいるわけだが。当時社会人一年目、波乱の新製品開発プロジェクトに投入され、資本主義の厳しい側面を新鮮に感じていた自分にとって、その資本主義経済の象徴とも言えるWTCがイスラム原理主義者のテロによってあっさりと崩壊していく様は、何かしら暗示的なものを感じさせたのだろう。そこから始まった"テロとの戦い"という名目の戦争では、毎日帰宅するとテレビをつけ、夜の爆撃の風景を、時に鳴り響くサイレンの音を、ずっと聞きながら眠りに就く毎日がしばらく続いた。

 もしかしたら、この9.11を境にこの世界が変わるかもしれない。どう変わるのかはわからないにせよ、そんな期待を抱きながら、その遠い国の非日常の映像を眺めていたのかもしれない。でも、短期的な心情としてはともかく、長期的な結果としては9.11以降も自分の周りでは何も変わらなかった。これまで通り渋谷に通って仕事をする毎日だったし、ブッシュが、小泉が、大きな声で国を引っ張る世界だった。9.11は、少なくとも自分の目に見える範囲での世界は、何も変えなかったんだなという曖昧な失望とともに、この日の衝撃は時が経つに連れ日常の中に溶けて消えていった。こう書くと、憤慨する人も多いだろうけれど。

 ただ一点、自分が資本主義、ひいては一神教の限界を見て、崩壊を感じたのはあの9.11の映像からなのかもしれないなと、今、当時の自分の言葉を見ていて感じた。一神教の強固な価値観と推進力は、例えばWTCのような大きく象徴的な建造物を生み出した。でも、それはまた別の一神教的価値観によりあっさりと崩されていく。排他的価値観同士による破壊と創造の無限ループを目の当たりにして、それが急に虚しく感じてしまったのかもしれない。この一神教の限界の超克というテーマが自分の中に発生した契機は、これまで自覚はしていなかったものの、もしかしたらこの9.11にあるのかもしれない。そう考えると、自分の目に見える外の世界はともかく、自分の中の世界には、やはり9.11は大きな変容をもたらしていたのかもしれない。

 そして今年の3月11日、東日本大震災が発生した。奇しくも今日はこの日からも半年の節目に当たる。この衝撃は、同じ日本で起きた分、そして原発事故という二次災害も発生してしまった分、やはり外国の9.11よりは直接的に大きな影響を自分にも生活にも与えた。地震が発生した当時はちょうど仕事中。事務仕事をするのにPCに向かっていた時だった。揺れが来た瞬間、「これは大きい!」と思った自分はPCの画面を瞬間的にEXCELからTweetDeckに切り替え、「地震だ、大きい!」とツイートした。そこから目にしたのは、TLが地震一色に染まる異様な光景。広範囲にわたる全国の人が、皆「揺れている!」と騒いでいる。そんなに大きい地震なのか?と戦慄したのを覚えている。

 そしてそこからのTVとTwitterの混乱ぶりと地獄絵図。津波が畑や民家を押し流し、最後川の堤防に当たって盛り上がってまた溢れていく光景は、正直あまりに現実味がなくて「これは何の映画だ!?」と思ったものだ。そして間断なく起こる余震、燃え上がるコンビナートや気仙沼の光景、次々明らかになる原発事故の詳細、すべてがあまりに現実離れしていて、逆に感覚が麻痺したような心境になった。この3.11について雑記帳のエントリーは、気持ちに整理が付かずにずっと書かないでいた。それでも2週間後に一度エントリーを書きかけはしたのだが、途中で筆が止まったまま、今でも下書きのまま保存されている。消化できないのだ。この出来事も。

 それから半年がたった今、改めて考えてみると、とても不思議な気分だ。「もう半年か」よりも「まだ半年しか経ってなかったのか」という気持ちの方が強い。3.11はもう随分昔に起きたことのように感じる。あの震災は、具体的な生活レベルでも確かに多くのものを変えた。だが、その変わったものの多くは、早くも生活として定着してしまっていて、あたかも昔からそのような暮しであったかのような感覚で既に馴染んでしまっている。これは、自分が直接被災していないから言えることで、本当に被災した方々にとってはひどく失礼な言い分であることはわかっている。だが、実感として、震災後の世界は既に震災後の世界として日常になってしまったのだ。それは記憶の風化ではなく、変化への対応だと思いたい。いつまでもショックを受けたままでは、心が被災したままでは、日常は、暮らしは、立ちいかないのだから。

 3.11は現時点で具体的な生活レベルのあれこれを変えた。その意味での影響力は明らかに9.11よりは大きい。では、この3.11は自分の心には何を起こしたのか。これは、実はまだ見えていない。9.11の時ですら、10年経った今、当時の文章を読み返してみて「もしかしたら9.11は自分に資本主義の限界を悟らせたのかもしれない」と思い至る程度だ。まだ、近すぎて3.11の影響は見えてこないのだろう。目の前1cmのところに物を置かれても、逆に近すぎて何が置かれたかなんてまったくわからないように。

 9.11から10年目で3.11から半年目の今日、改めてそれぞれの出来事について少し思いを巡らせてみた。この、2つの大きな歴史上の出来事は、私という個人には果たしてどういう意味をもたらすのだろうか。あるいは、何も、もたらさないのだろうか。

2011年8月21日日曜日

キース・ジャレット ソロコンサート@2005年 池袋 芸術劇場

 随分昔の話になるが、池袋の芸術劇場にキース・ジャレットのコンサートを観に行った。当時は仕事が忙しい時期で、半ば無理やり客先での仕事を切り上げ直帰して、そのままコンサート会場で友人と落ち合い、開演まで時間もあまりない中、とりあえず二人でビール一杯一気してから客席に向かった記憶がある。



 会場の中に入ってみると、予想だにしなかった一種物々しい空気が漂っていた。その前回のコンサートで聴衆がよほどやかましくてキースがキレたらしく、会場中に「キースの即興演奏は極度の集中力を要します。演奏中は皆さんどうかお静かに」的な張り紙がしてある。アナウンスでも同様のメッセージを執拗に繰り返す。
 そんな状況だからキースがステージに出てからの客席は物音一つ立てないように超緊張状態。曲の合間に咳をすることも許されないような厳戒態勢だった。曲が終わったら拍手は盛大に鳴る。でもその拍手がピタリと止むと、あとは固唾を飲んでシーン、と静まりかえる。例えは悪いかもしれないが、塹壕の中で爆撃が過ぎるのを待つような緊張感。そんな中、何曲目かでとうとう拍手の合間に咳が聞こえると、キースは立ったまま笑って、「今なら、どうぞ」とジェスチャーをした。途端、会場中で急に鳴りだす咳。キースは「どうぞどうぞ」とばかりににっこり笑って、ピアノの周りをグルグル歩いて回りながら客席が静まるのを待つ。一回止まって、「まだかな?」というジェスチャーで客席の笑いをとった。そしてほどなく、また物音一つ聞こえない静寂が戻ったのを確認して、キースは椅子に座って演奏を始めた。
 その日のキースの演奏は素晴らしいものだった。すべて即興の演奏だったからタイトルなどもちろんないが、何曲目だったか、まるで飛行機から見る雲海の上をふわふわと自分の足で歩いているような、そんな映像が自然と目の前に浮かび上がった。本当に、くっきりと鮮烈な映像が。
 視覚に訴えるほど強烈な力を持った即興演奏。その音と映像のイメージに身を委ねる幸福感。演奏後の満場のスタンディングオベーション。自分が観たコンサートの中でも屈指の演奏体験を、この日のキースはさせてくれた。その後、一緒に行った友人と飲みながら熱く語ったのは言うまでもない(笑)。その彼も今はブラジルに行ってしまったが。

2011年8月3日水曜日

豪雨被害地帯に入って作業してみて

本日は先の新潟・福島豪雨にて大きな被害のあった、三条・井戸場の信濃川沿いの畑を訪問しました。水害にやられ、水に潜ってしまった機械の引き上げ及び点検・メンテナンスのためです。午前と午後で一件ずつご依頼がありました。この井戸場河原の果樹畑地帯は、堤防の内側がすっかり水に潜った地帯です。水害後、私も初めて入りました。

井戸場河原の入口はもう弊社の2tトラックが停まれる程度には乾いているのですが、少し中に入るともう川水の汚泥が地面に蓄積していて、軽トラも4WDを入れていないと進めないような道になっていきます。長靴が5cmくらいは潜る感じでしょうか。今回のお客様が機械を保管していた場所に近くなると、これまでより一層泥が厚くなっていきます。お客様の畑に行くいつもの道はまだ水没したままで通れないので、今回はお客様の案内で途中でトラックを停め、一輪車に交換用のエンジンオイルや軽油、バッテリー等を積み替えて、一人が一輪車を押し、もう一人(私)がロープでその一輪車を引っ張る形で、10cm以上の汚泥が溜まった畑の中をやっと進んで行きました。酷いところは長靴がふくらはぎまで泥で潜る感じです。
機械のある場所は、川が近いとはいえ井戸場河原の中では少し高い場所になります。その小高い丘の上でも水は目線より高い位置まで来ていたようで、小屋にクッキリと泥の後が付いていました。今回引き上げた機械はSSですが、となりに置いてあったコンバインもアンローダ以外の部分はすっかり泥にやられた形跡があります。地面から160cm-170cmくらいは水が上がったということでしょう。当然桃も梨も、下枝の果実は全部やられてしまっています。
機械がある丘から下の畑に目をやると、1mくらい下にある桃畑はまだ水が引いておらず、川に浸かった状態になっています。お客様はもう既に袋がかかっている梨の袋を一旦取って、洗ってまた袋をかけ直さなければいけないからえらい手間だと仰ってました。その手間を考えるだけでも大きな被害なのに、この上まだ水に浸かっている桃畑があるのです。今地面を覆っている川泥は、果樹用に耕されて柔らかい団粒構造を持った土ではありません。だから乾くと固くなってヒビが入ります。この泥も、最終的にはどうするか考えなくてはなりません。
そんな被害状況に目を向けつつ、すっかり水が入ってしまったエンジンオイルと軽油タンクの中の軽油を換え、なんとかSSのエンジンをかかる状態にして機械を走らせて引き上げます。4WDのSSではありますが、10cm超もの泥の中では何度もぬかりかけてヒヤヒヤしました。引き上げすがら周りを見ると、泥を被ってしまったので病害虫予防に防除をしている人、今回のお客様のように袋かけをやり直している人、様々に被害の後片付けをしています。被災の中心に入ってみると、やはり今回の被害は大きかったし、後片付けの苦労も、その後の苦労も大きなものだと感じました。震災で津波にやられた地域も、大変なのでしょう。せめて、自分にできるお手伝いをしたいと思いました。
ちなみに今回も写真は撮っていません。例えば病気の家族を写真に撮られて公開されるというのは、あまり気分のいいものではないように思えまして・・・。記録は、それが仕事であるプロの人にお任せしたいと思います。私は、記憶にとどめたいと思います。

2011年7月7日木曜日

雑記帳13周年

 7月7日はこの『あゆむの雑記帳』の開設記念日。大学時代、学内公開のみのサーバから脱出し、インターネットへと公開を開始した日になります。1998年から13周年。1998年分の過去記事はこのMovable Typeで自作した雑記帳にデータ移行はまだしていませんが、1998年7月分から実に13年間、細々とながらも何とか続けてきました。思いだした時にでも立ち寄って、ぶらりと雑記帳を眺めてくれる方々に改めて感謝です。

 最近ではTwitterとFacebookを始め、そちらの方は日々短文をぼそぼそと出しています。Facebookでは元々仕事絡みで農家の方々や農業の周辺で頑張っておられる方々と交流や情報交換を行いたいというのが趣旨ですので、そちらでは趣味の話はあまりせず、仕事の日報的な短信や気になるニュース等に話題・立ち位置を限定して活動しています。こちらは完全に社会人としての立場での参加です。

 Twitterでは速報ニュースの情報収集や農業、音楽関係の情報収集をメインで使っています。農業関係は情報収集をメインにして、Twitter上での交流は控えめにするスタイルになりました。逆に趣味の音楽のつぶやきが多く、そっち関係のフォロワーさんとの会話はぼちぼち出てきています。Facebookと比べると趣味寄りにシフトし、交流よりは情報収集メイン、ひとり言メイン、たまに会話、くらいの使い方です。最近ではTwitterへの出没が一番多いです。

 対してこの雑記帳の立ち位置は昔から変わりません。基本的には好きな時に好きなことを、あくまで個人としての立ち位置で書くというスタイルです。もちろん個人だからと言っても自分がここで書いた発言に対してはしっかりと責任を持つという考え方なので(だから公開当初から実名を出す実名主義。もっとも当時は実名か匿名かなんて議論すらまだなかったけれど)、その意味では社会性ももちろん考えますが、趣味でも仕事でも何でも、書きたいことはジャンル・内容に関わらず書くというスタンスです。Twitterほどの情報発信力があるわけでもなく、誰の目に触れてるのか触れてないのかもわからないこの雑記帳ですが、最終的に表現の場として私が一番大事にしているのはこの内容にも字数にもこだわらない、昔から続けているこの雑記帳です。更新頻度が少ないのは仕事関連はFacebook、その場限りの単発のひとり言はTwitterへと機会を分散したせいもあります。以前はすべてこの雑記帳でした。

 ブログブーム以前から続け、FacebookやTwitterが一般公開されるずっと前から続けているこの雑記帳。最近はコメントスパムのあまりの量に辟易として、対策を施すまで一時的にコメント欄を閉鎖してしまっていますが、今後も細々とかもしれませんが続けていきます。よろしくお願いします。

2011年6月28日火曜日

復興支援演奏会inミュンヘン ズービン・メータ『第九』

復興支援演奏会inミュンヘン ズービン・メータ『第九』 楽しみにしていたCDが届いた。ズービン・メータが2011年5月2日にミュンヘンで行った、東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートのライヴCD。以前TVで放映されたN響との復興支援コンサートの演奏は、強い決意と並々ならぬ霊感に満ちた、まさに一世一代ともいうべき名演だったので、その時と同じ曲目が演奏されるこのコンサートCDにはとても期待していたわけだ。手元にこのCDが着いたのは一昨日の6月26日。AmazonやHMVの画面では6月28日朝5時半現在でまだ「6月29日発売予定」の状態になっている。「こんなに早く届いていいんだろうか?」と思いながらも、発売日前に聴けることにちょっとわくわくしながら、早速届いた当日、ライナー・キュッヒルが登場するN響アワーそっちのけで聴き始めた。

 2011年5月2日、この日メータが振ったのはバイエルン国立歌劇場管弦楽団及び合唱団、バイエルン放送交響楽団及び合唱団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と合唱団、実にバイエルンとミュンヘンの名立たる3つのオーケストラ・合唱団が集った連合オケ。バイエルンの弦、ミュンヘンの管が一つになるというだけでも垂涎のオーケストラ。彼らが旧知の間柄であるメータを通じて集まり、日本の復興のためにコンサートを開いてくれたわけだ。その心意気にはただただ感謝。

 コンサートはN響の時とまったく同様、演奏開始前に亡くなられた方々のために黙祷が捧げられた。その列にはバイエルン放送響の首席指揮者、マリス・ヤンソンスも加わったという。そして震災で亡くなられた方々に捧げる意味でバッハの管弦楽組曲第3番より『アリア』が始まる。いわゆる『G線上のアリア』。鎮魂の祈りとして演奏されたこの曲は、N響の時も今回も、メータの意思により演奏後の拍手は慎み控えるようにお願いされた。CDではさすがに黙祷の間は収録されていないが、静謐の祈りの空間から静かに浮き上がるように始まるこのアリアは、震災で沈んでしまった日本の心を、重い地面から、暗い闇から、静かに両手ですくい上げてくれているように感じた。わずかではあるかもしれないが、それでも確かに。願わくば、亡くなられた方々の魂もそうでありますように。

 そしてベートーヴェンの『第九』が始まる。静かなアリアの終わりから、思った以上に力強く入ってくる第一楽章の導入部。メータの指揮は全体に急ぎすぎず、聴かせどころではオケを煽って走っていくよりもむしろテンポを落としてじっくり聴かせる、そのような演奏をしてくれている。バイエルン/ミュンヘン連合オケのぶ厚い弦と管に支えられた、非常に響きの濃い、充実した演奏。

 正直、この演奏にはN響の時のような指揮者にもオーケストラにも満ちていた目が離せないような圧倒的な霊感、音に満ちていた強い意思とも無心な祈りとも感じる不思議な力は感じられない。だから、N響と同じものを期待して聴いていると少しイメージが違ってくる。自分も最初そうだった。あのN響の時に感じた圧倒的なオーラが感じられない。そればかりが最初は気になっていた。でも、最終楽章に入り、歓喜の歌の旋律をバスが最弱音で奏で始めた時、いきなりそこで印象が変わった。そうだ、この演奏はこれでいいのだ、と。N響の演奏は震災で被災した当事者の祈りだ。そこにはそこにしかない痛み、思い、祈り、希望、絶望、様々なものが渦巻いていた。だからこその演奏だった。でも、今演奏している彼らはそうではない。震災の当事者ではない。彼らの演奏はこう言っているのだ。

 我々は震災にあったわけではない。だから被災された方々の痛みは半分も理解はできないかもしれない。けれど、それでも我々は立ちあがろうとするあなたの傍にいることはできる。共に立ち上がろうとすることはできる。この音を通じて、と。

 そう感じると、これは非常に暖かい演奏だった。バイエルン国立歌劇場が、バイエルン放送響が、ミュンヘンフィルが、一堂に集って、通常よりも大きな編成で『第九』を演奏している。これだけの人が、この音を通じて傍にいてくれる。歓喜の歌の旋律をなぞるバスに、バイオリンが、他のパートが、加わってくる。自分もいるよ、自分もいるよ、と。たくさんの声が合唱から聞こえてくる。これだけの人が、今、ここにいるんだよ、と。とても暖かい、励ましの意味が込められた『第九』だった。

 そもそもメータは選曲をする際、「Allle Menschen werden Bruder(すべての人は同胞になる)」というメッセージを込め、この『第九』を選んだそうだ。このコンサートのプローベ初日、バイエルン/ミュンヘンの連合オケを見渡して開口一番「みんな知っている顔ばかりだ」と笑顔を見せたというマエストロは、その同胞達と共に被災された方々に、日本に、「我々も傍にいる」とメッセージを送ってくれたわけだ。N響の当事者の祈りとは違う、バイエルン/ミュンヘン連合オケによる、震災を包み込むとても暖かい『第九』。最後まで感じられるこのたくさんの人の息吹、暖かさが、とても力になるように感じられた。この暖かさが直接の被災をしていない自分だけでなく、本当に被災された方々にも届くことを願ってやまない。

2011年6月25日土曜日

米の輸出と原発問題

 2010年度の新潟県の米輸出量は約335トンと前年度から倍増していたらしい。輸出は日本の米農家が生き残り発展をするために欠かせない道の一つだと思うので、この実績は喜ばしいなと思う。

 一方、福島第一原発の事故を受けて、米の主な輸出先の一つである中国が新潟を含む10都県の米を禁輸にしているとのこと。やはり原発事故による農業への影響は、この新潟でも既に始まっている。

 ところで、原発事故の影響で輸出ができなくなるのなら、いよいよもってTPP参加は農業に壊滅的打撃を与えてしまう。輸出もできずにひたすら受け入れるだけになれば、さすがに日本農業はもたないだろう。輸出に希望を持った上でならTPP参加は検討の余地があったわけだが、原発事故の影響を考えると厳しい。困った事態になったものだ。

 原発問題で派生する米の国内供給に関しては、少なくとも今年は大丈夫だろう。政府備蓄米もあるし、いざとなったら転作で飼料米として出荷する米を主食用に回すこともできる。飼料米ったって主食用品種を普通に作ったのを減反のため便宜的に飼料米にしてるだけ。それらが主食用として供給されるまでの間に多少の政治的、あるいは流通的な混乱はあるかもしれないが、最終的に米の供給が足りなくなることは恐らくないだろう。新潟まで放射能検出されたら危ないけど。

2011年6月19日日曜日

鈴木秀美/リベラ・クラシカの『ジュピター』

 最近は朝4時に目覚ましをかけて、7時半に家を出るまでの間は子供達に気を取られずに済む自分のための活動タイムにしている。本を読んだり、黙々とネットをしたり、・・・まぁ大体はそんな感じだ。そして気分に合わせてBGMをかけるわけだが、今朝はモーツァルトでも聴きたい気分だった。CDラックのモーツァルトの辺りを物色し、鈴木秀美の『ジュピター』か、コリン・デイヴィスの40番、41番か迷った上に前者にした。鈴木秀美指揮、オーケストラ・リベラ・クラシカ演奏のモーツァルト交響曲41番『ジュピター』。そういえば買った時に1~2回聴いたが、あまり聴きこまずにそのまま放置してしまっていた。小編成で爽やかなイメージがあったと思うが、どうだったか・・・?そう思いながら、CDをかける。

 『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。

 そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。