2002年5月31日金曜日
ブレイク(?)ショット
2002年5月28日火曜日
二度の絶望
2002年5月27日月曜日
ファランドール憧憬
2002年5月24日金曜日
回復してみると
2002年5月19日日曜日
腐った死体
2002年5月18日土曜日
2002年5月16日木曜日
運動不足解消に向けて
2002年5月14日火曜日
適度に適当に
そしてその価値がある人がいたとして、
その人のために本気で体をはる人間もまたほとんどいない
まぁそれでいいんじゃないかという説もある
だからこそこの世の中は適度に適当に回っているのだと
そしてそれはおそらく正しい
誰もが誰かのために常に体をはっているような世界なら
とうの昔に人間は滅んでいただろう
適度に適当にとはそういうことだ
いいかわるいかは別として
2002年5月13日月曜日
喜歌劇『こうもり』序曲、編曲開始
今回は以前に宣言した通りAlt、Prim*3、Bass、W-Bassといったパート編成ですが、アルトは単独のパートというよりはPrim1stの高い方のディビジョンと考えた方がよいですね。私の編曲にしては珍しく(?)今回は音域が全体的に低い方に偏っています。というか、今のところは低いです。後半に行くに従って「もうやめろ~!」と叫びたくなるくらい高い方に音域がシフトしていきます。しかし今年のCGCの皆さんも、こんな曲よう弾くなぁ・・・。
2002年5月10日金曜日
Destiny
この曲は愛しい人への想いを歌ったラブソングといえばまぁそうなのですが、表立って現れる懐古や後悔、寂しさや儚さといったようなものと対立するように、ときたま何よりも強い希望や喜びのようなものも感じ取れる気がする不思議な曲なのです。全体の曲調も明るいとも暗いともつかず、ただ控え目な寂しさだけがずっと流れている。同じMy Little Loverの曲『Hello Again』も同様の印象を受けますが、その寂しさ自体が今にも風に吹き飛ばされそうなくらい儚いのに、何故か自分の体を巻いてゆく風のようにいつもその存在を感じているような不思議な感覚。そこに私は心ひかれるのかもしれません。
『Destiny』、直訳すれば『運命』となります。『運命』とは本来、考えれば考える程に強烈な言葉です。それは人間の力の及ぶ限界を指し示す言葉でもあり、限りある人間の力をそっと、あるいは力強く、手助けしてくれる力を指し示す言葉でもあります。ベートーベンは同じ『運命』という言葉を、その強烈さを象徴するかのように激しく打ち出して表現しました。「運命はかく扉を叩く」のだと。しかし、My Little Loverの『Destiny』からはそういった運命の持つ凶暴なまでの力強さ、あるいは人間の力の限界のような悲劇性は感じられません。それはどうしてなのでしょうか。
私は別に運命論者というわけではありませんが、ときたま『運命』というものの存在を感じることがあります。大体それは既に起きた事柄に対する後付けのものであるのですが。私に言わせれば、『運命』というものは決して強烈なものばかりではありません。むしろ、日常の中にいつもひっそりを息を忍ばせているものだと思います。例えばよく『運命』という言葉が引き合いに出される人と人との出会い。それだって、何も特別の恋人とか、恩師とか、親友とか、そういったものでなくとも、常にそれはある面において運命的なものなのではないでしょうか。私と今これを読んでいるあなたが出会う確率だって、一番単純に考えても地球の人口分の一となるわけです。そりゃ物凄い確率です。宝くじだってもうちょっと当たるでしょう。そう考えると、運命というのは何も特別なものではないのだとも思えます。日常の中に息をひそめて、風のように、感じながら、あるいは気付かないでいても、私達の存在を導いているのかもしれません。My Little Loverの『Destiny』は、そんな運命を表わしているようにも思え、また、よくも悪くも、人間の力の届かないところで、希望も絶望も連れてくる運命を歌っているからこそ寂しさも希望も感じられるのではないかなと思ったりもします。ただ、運命という言葉はやはりどこかしら寂しさや、それが大きくなると悲しみや絶望の色を強く出してくるもののようにも感じます。それは何でなんでしょう。寂しさと希望と、そのどちらもが感じられるMy Little Loverの『Destiny』ですら、全体の空気は寂しさや儚さといった感覚におおわれているのです・・・。
2002年5月9日木曜日
2002年5月8日水曜日
帰還、京都より
今回の京都行脚は内容も充実し、観光、ショッピングはもちろん(?)、マンゴレが熱く薦めていた『音楽の絆ギターフェスティバル』にも行ってステファノ・グロンドーナのマスタークラスを聴講、そして聖帝殿との再会も果たしました。このステファノ・グロンドーナというギタリストはまぁ一般的にあまりメジャーだとは言い難いギタリストではありますが、マンゴレ曰くプロの中では誰もが認めるProfessional of Professionalだそうです。それも彼の経歴を見れば納得、なんとオスカー・ギリアのお弟子さんではないですか。オスカー・ギリアとはセゴビアの直弟子の中でも指導者としてもっとも高い評価を受けているギタリストです。そして現在生き残っているほとんど唯一のセゴビア直系でしょう。そういやこのオスカー・ギリア、日本に来るとか来ないとかいう噂を以前耳にしましたが・・・?というわけでステファノ・グロンドーナのマスタークラスにも当然大きな期待がかかります。しかも受講者として指導を受けるのはマンゴレの師匠、北口先生です。う~ん、まさにマスタークラス。その内容もちょっと独特で、受講者が既に技術レベルは非常に高いものを持つ北口先生だけに論点は技術に関してはほとんど触れず、「如何に曲を組み立てるのか」という一点に集中されていました。このステファノ・グロンドーナというギタリストは他にちょっと見ないタイプのギタリストだなという印象を受けます。基本的には素晴らしい音色と非常にレンジの広い表現力を持つ楽曲志向のギタリストという感じなのですが、例えば一見同じようなタイプに思える大萩康司が「演奏家+詩人=音楽家」というような印象なのに対し、グロンドーナは「演奏家+哲学者=音楽家」といった印象なのです。感性や感覚といった本来抽象的であるものを言葉でも音でも表現でき、また探り出すことができる、非常に希有なタイプのギタリストだなと思いました。彼のマスタークラスは一貫して曲そのものが持つ可能性や曲そのものが求める表現とは何かというのを如何に探るかといったようなもので、「自分の表現や個性にこだわりを持つのもいいが、それが行き過ぎると曲そのものが持つ本来の音楽の真実を見失ってしまう」というような言葉が印象的でした。このグロンドーナ、いいギタリストですよ。CD買ってきたのですが、それがまた非常によい。あれはかなりの掘り出し物でした。そして私は聖帝殿と共に京都まで帰還し、その後宿を求めてたっちー邸in近江八幡を目指しましたとさ。
そして今回は卒業後初のボックス襲撃もかけてきました。いや~、現執行部の皆さん、昼休み以降はほとんど全員ボックスにギター弾きにきてたのですが(さすが独重前ですな)、皆さんボックスに入って俺の姿を見つけるなり一様にえらい驚いた顔を見せるのがちょっと面白かったです(笑)。皆さんやはりというかなんというかあまり変わっておられず、ボックスの空気も相変わらずで、「う~ん、やはりこの空気は落ち着くね」等と思ったりもしました。今回のボックス訪問で印象的だったのは、
・皆さん非常に部活に対して熱心だった
・ぎぃ助がジャマイカ風(?)に変貌していた
・りとりとがいい指導者っぷりを発揮していた(マジで。成長したなぁ・・・)
・電子レンジやポットなど、設備が非常に充実していた
・あゆあゆが『新世界』をラプソディがパチッてるMDを持ち出した(爆)
・・・といったところでしょうか。いやいや現役の皆さん、演奏会前の忙しい時にお邪魔して申し訳なかったですね。でも暖かく迎えてくれてありがとう。独重期待してますんで頑張ってください。
・・・とまぁそんなこんなで怒涛のGWは過ぎて行ったとのことです。ちなみに最終日の晩、私はmy broth邸に泊まっていたのですが、そこに訪れたサトウヒロシ氏(一部のクラギタの人間は覚えてるかな?エスプラナードフェスタにクラギタに参加しないかと誘ってくれた人物だ)と人生ゲームをやりながら夜を明かすという一幕もありましたとさ。しかし3泊4日の放浪生活はやはり疲れましたね。途中ミナクサの極楽湯のジェットバスで体をほぐしてなかったらやばかったかもしれません(笑)。まぁまぁ明日からまた仕事ですが、今回の京都行脚では精神的に結構エネルギーをもらって、その力でやっていこうかなと思います。
2002年5月4日土曜日
Amazonでショッピング
・・・とまぁそんな感じなんですよね。Amazonは現実の店と違って店頭に商品を並べておく必要はないから、提携する卸し業者経由で売れるものならとりあえず何でもカタログにのっけておけば、後は注文が入った段階で取り寄せればいい。よってCDにしろ本にしろ、他ではちょっと売ってないようなマニアックな代物がたくさん検索で引っかかるのです。クラシックギターのCDの品揃えだって、カタログ上ははっきり言って現代ギター社より豊富かつマニアックです。輸入盤も洋書もたくさん扱ってますしね。私の仕事関係の本も相当マニアックに色々あって重宝しています。皆さんも探しているのに見つからない本やCD等、Amazonで探してみると意外にサクッと見つかるかもしれませんよ。ただし、売れ線のメジャーどころはおとなしく最寄りの店を探した方が早いでしょう。
2002年5月3日金曜日
2002年5月1日水曜日
NIGHTMAREの悪夢
社内のLANにつながるコンピュータは、ネットワークで識別されるための名前を持っています。その名前は自分で自由に決めることができます。で、私は新しいそのマシンに元々付いていた名前を改名しました。そう、「NIGHTMARE」という名前に改名しました。・・・が、ヤツめ、名前を変えたとたん何故かまったく起動しなくなってしまい、私の決死のリカバー作業にも反応せず、結局OSを再インストールする羽目になってしまいました。・・・ちくしょう、名前が悪かったのかな・・・。