2007年4月29日日曜日

祖父の訃報

 大分経った。もう10日も前のことになる。朝、会社に出かける直前に、母から祖父が亡くなったとの連絡が入った。肺を患って17年にもなる祖父。一月前に入院した時から心の片隅で「もしや」とは思っていたものの、いざその報を受けた時には、どうしても実感がつかめずにいた。とりあえずその日一日で木金の仕事を引き継ぎ、休みをもらって、最終の新幹線で新潟に帰った。燕三条駅で迎えてくれた父の、いつになく重苦しい表情が妙に記憶に残っている。

 色々と、書こうかとも思った。ウチは3世代同居(一時期は4世代同居)で、小さい頃は結構おじいちゃん・おばあちゃんっ子だった私は思い出を書こうと思えば書き切れない。けれど、書くべきではないような気もした。それで、今まで書かずにいた。書くとしても、どう書こうか迷っていた。HPという場では、どうしてもある程度他人の目を意識せざるを得ない。この話をHPに書くことで、それを一つの美談のように仕上げようとしている自分がいないか。そう考えると、書くことができなくなった。ので、結局書かないことにした。この場では、このことに関してはこれで止める。とはいえ書くことか、あるいは弾くこと、歌うことでしか辛いことを乗り越えてこなかった私である。どこかで、書かなければきっと消化できはすまい。ので、どこかここではない、他人の目には触れない場所で書くことにする。記憶は変成する。風化するか、そうでなければ美化される。現在の心境は現在でしか書くことはできない。

 一点だけ。祖父は、私にとって非常に個人的な人だった。父からは明確に社会人としての顔も見えるが、祖父は純粋に個人的な存在であった。祖父は物心ついた頃から最後まで、あるいは今現時点でも、あくまで私の"おじいちゃん"だった。曾祖父・曾祖母の時はまだ小さかったこともあって正直実感が湧かなかったので、今回初めて身近で個人的な人を亡くしたように思う。寂しいとか、悲しいとか、辛いとか、そういった言葉ではどうもまだ実感がつかめない。ただ、もう動かない祖父の顔を見る度に涙が出た。火葬場に着いた際に、持病で手足が悪い祖母がもう遺影を持っているのが辛いからと、内孫の長男である私に遺影を持ってくれと言ってきた。その遺影が妙に重く感じられた。

 お通夜通しは祖父の8人の孫と叔母夫婦で行った。久し振りに、従兄弟達とゆっくりと語り合った。「せっかくおじいちゃんが集めてくれたんだから」と、葬儀の次の日に予定されている従兄弟の結婚式に、本来出席する予定ではなかった私を含む東京・京都の遠隔地に住む従兄弟も式だけ顔を出すことにした。もしかしたら、成人してから従兄弟達とこんなにじっくりと話をしたのは初めてだったかもしれない。普段はあまり意識していないものだが、こういう時には小さい頃から親しい親戚達のありがたみが身に染みた。

 夏に会った時、祖父は「そういえばしばらく歩とも将棋を指してないな」と言っていた。申し訳ないけれど、もうしばらく待ってください。いつか俺がそちらに行った時、ゆっくりと指しましょう。今なら飛車・角を抜いてもらわなくてもいい勝負ができるでしょう。昔は飛車・角を抜いたおじいちゃんと数時間に及ぶ対局をして、「名人戦らな」と笑っていたものだけれど。

2007年4月16日月曜日

初挑戦!フットサル

 昨日のことになりますが、初めてフットサルなるものをやってきました。ウチの会社と普段付き合いのある派遣会社とで、若い人間が集まってちょっと交流試合のようなものをやろうということで、お互い10人ずつ集めてフットサルをやったわけです。高校卒業以来本格的な運動とは縁のない私も声をかけられ、「まぁたまには運動も悪くないか」と参加を承諾したわけです。

 運動を(一応)やっていた中学・高校時代でさえサッカーはやっていなかった私です。足技は不得手なことこの上ありません。正直、自信のある分野ではまったくなかったのですが、まぁでも久し振りに運動してみたらこれが結構気持ちよかったわけです。走ってみたら自分で思った以上に意外に走れたので、調子に乗って走り過ぎてしまいました(苦笑)。最後の方はシュートしようと右足を振りかぶったら左足に力が入らなくて膝が折れるという体たらく。さすがに運動不足は否めません。少し運動しようかなと、ちょっと本気で考えました。

 んー、でも、青空の下で汗を流すというのもやはり気持ちいいものです。最近は仕事で変な汗流すことはあっても、気持ちよく爽やかな汗というのはあまり流してませんでしたからねー・・・。フットサルも意外に悪くないと、そう思いましたとさ。

 ちなみに、昨日は家に着くなり服だけ着替えてシャワーも浴びずに崩れるように眠りに落ち、今日は起きるなり足腰を襲う激痛に苛まれながら、反動で実に無気力な一日を送っていたとのことです。どっとはらい。

2007年4月8日日曜日

ソラニン

 『ソラニン』という漫画を読んだ。結構前から日吉東急内の天一書房で平積みにされてフューチャーされていて、どんな作品なのかもどんな作者なのかもよくわからなかったが、河岸の風景写真の中に作中のキャラがぽつんと配置されたジャケットと、"ソラニン"というタイトルがずっと気になっていた。ソラニン。ジャガイモの芽に多く含まれる神経伝達物質阻害系のアルカロイド。まあ、端的に言えば毒だ。そんなものを作品のタイトルに持ってくるとはなかなかいいセンスをしている。何となく漫画が読みたい気分で、何か知らない作品を漁ってみようと思って本屋に行って、その他いくつか選択肢はあったのだが、全2巻完結という手軽さもあり今回はこの『ソラニン』を読んでみることにした。そしたら、これがまた相当な当たりだった。

 この作品が描いているのは一言で言ってしまえば"イマドキの若者像"だ。主人公の芽衣子は社会人2年目のOL。付き合って6年目、同棲して1年が経つ彼氏の種田はバイトをしながらバンドを続けるも、そのバンドにも完全に本気にはなれていない。"仕事が嫌というよりは、疲弊してくたびれていく自分が嫌だった"芽衣子が、「人生のレールなんて外れて自由になっちゃえばいいじゃん」という黒い囁きと種田の言葉をきっかけに会社を辞めた時から、自由と現実の闘いが始まる。貯蓄残高という期限付きの自由。おそらく人生最後のモラトリアム。芽衣子に種田、そしてバンドの仲間達はそれぞれに自由と現実との境界線を眺めつつ、自由であること以外平凡な生活を、将来への不安を抱きながら過ごして行くことになる。

 この漫画のステキなところは、そんな青臭いテーマを扱いつつも、決して浮ついた雰囲気は感じさせずに作品の空気をしっとりと落ち着かせているところだ。若者が侵された微熱を微熱として扱うのではなく、そこをまた一歩外から冷静に見つめる繊細な心理描写と、美しく描かれる背景達がそれを可能にしているのだろう。そして随所に現れるユーモアのセンスもいい。何カ所か、結構笑った。自分と社会との折り合いを見つけようとする若者達の葛藤という、普遍的だが陳腐にもなりかねないテーマを実にすっきりと読ませてくれる。そしてこの『ソラニン』に出てくる人物達は皆キャラが立っている。それぞれがそれぞれの思いを抱えていて、読み進める程に皆が好きになってくる。芽衣子も、種田も、ビリーも、加藤も、皆愛着が持てる。読んでいてキャラ自体をこんなに好きになることは珍しい。何となく「コイツラとなら仲良くなれるんだろうな」とか思ってしまう。それがまたこの作品の魅力をいっそう引き立てている。

 ネタバレになるので控えめに書くが、全2巻完結のこの作品は、1巻と2巻のつなぎ目で非常に重大な事件が起こり、その前後で作品自体の様相がガラッと変わる。作中の人物達が向き合わなければいけない対象が変わる。過去を引き継ぐべく、未来へ進むべく、決意とともに芽衣子は自分でギターを持つ。それまでほとんど弾いたことがないにも関わらず。『ソラニン』というのは作中で種田が作詞・作曲した曲のタイトルだ。前に進もうとするその芽衣子の心境に呼応するように、その歌詞の解釈は作中で変わっていく。2巻のクライマックスで芽衣子はギターを持ち、歌う。この『ソラニン』を。「この曲が終わったら、またいつもの生活が始まるんだ」と思いながら。余韻を残しながら引いていく、若さという微熱の終わりが重なるそのシーンは、まるで真夏の花火のように、美しく、そして儚い。その直後に入る回想の挿話も含めて、そう、ゆっくりと消えていく大きな大輪の花火を見ているような気分になった。遠くに響く残響と余韻を残して、大輪の花火も消える。祭りは、終わる。微熱も、引いていく。儚くとも、それを一つの終わりとして、それを新たな始まりにしようという芽衣子の、そしてその他のメンバーの、ある種の決意が胸を打つ。

 もし、自分が大学の時にクラシックギターを選ばずにバンドの方に進んでいたら、自分はどのような大学生活を、そしてその後の人生を送っていただろう?そんなことはあまり考えなかったけれど、この『ソラニン』を読んでふとそんなことを思った。それ程、読んでいくうちに作品に、作中の人物達に心が引かれていく。それ程、すべてが身近に感じられる空気がある。変に浮世離れしたところがないこの漫画は、映画でもいい表現ができる作品だろうなと思った。映像イメージが実に美しい。漫画や小説に対して「映画化してもよさそうだ」とはホントに滅多に思わないのだけれど。調べてみたらつい先日映画化が決定したらしい。実写かアニメかはまだ決まってないそうだが、是非、実写でやってほしい。キャスティング次第では、とてもいい映画になるだろう。詳細はまだわからないが、楽しみだ。


2007年4月7日土曜日

深夜のFair Warning

 仕事が終わって家に帰り、晩飯も食べて風呂にも入って後はもう寝るだけになってから、久し振りにHR/HM系のCDが聴きたくなって、いくつか手に取ってかけてみた。もう深夜だ。ボリュームはかなり絞っている。主にBon JoviとFair Warning。前者は高校時代に、後者は浪人から大学2回生くらいまで非常にヘヴィローテーションでかけていた曲達だ。たまに聴いてみるとやはりカッコいい。久し振りに聴いた曲でも、好きだった曲達は意外な程今でも歌詞を覚えている。口の中でつぶやくようにして歌いながら(何しろ皆さんご存知の通り、私が本気で歌ったらえらいことになるので・・・)、体をリズムに合わせて動かしながら、それでも歌詞に耳をすませて聴いていた。歌詞。最近は歌のある曲でも声も純粋に楽器の一つとして聴いてしまい歌詞を意識しなくなっているので、歌詞なんて聴いたのは実に久し振りだ。

 本当ならバーボンのロックでも飲みながら、といきたかったのだが、意外にもウチにはあれだけスコッチがあるくせにバーボンが一本もないので、とりあえずパンチの効いたアイラのモルトを飲みながら聴いている。道に迷っている時や、前に進むパワーがほしい時には、ロックがいい。希望は湧かないかもしれないが、少し顔を上げられる。ロックというのは起源はともあれその本質は、反骨精神でもなければ気持ちよさでもない。それは道を探す精神だと思う。それは、迷いの中の音楽だと思う。

2007年4月2日月曜日

桜は嵐に負けず






窓から見える桜 今年も桜の季節がやってきた。やってきたが、今年の桜は例年以上に短命そうだ(苦笑)。昨日になって家の周りを歩いていたら、ふと桜が満開に近づいていることに気付き、「ああ、そうか、春か・・・」と感慨に耽ろうとしたのだが、何かおかしい。何か。そう、昨日は日中晴れてはいたものの非常に風が強く、まだ八分咲きの桜が満開になる前に咲いた傍から強風で吹き飛ばされて、あっという間に桜吹雪になってしまっているのだ。満開になる前に散ってしまったのでは、いつまでたっても満開の桜にはお目にかかれそうにない。加えて夜の台風のような強風と豪雨。窓ガラスが割れるんじゃないかと思うくらいに春の嵐が荒れ狂っているのを見て、「ああ、こりゃ今年の桜は全滅だ・・・」と思ったものだ。




 ところが朝、窓を開けてみるとどっこい結構きれいに咲いている。さすがに部分的に吹き飛ばされて葉が見え隠れしてはいるものの、なかなかどうして、充分桜だ。日本的儚さの象徴として扱われることも多い桜だが、意外に強烈な嵐にも負けないような芯の強さを持っている。まだ散る時期ではない桜は、実はそう簡単に雨風に吹き飛ばされたりはしないものなのだなと、変に感心した。実に見事に日本的な美学を体現している。満開の桜の、淡く控えめな色で華やかに空までも染め上げる静かに存在感のある美しさ。散り行く際に風に吹かれて宙を舞い、優雅に余韻を引きつつも、それでも「まだもう少し見れたらいいのに」と思っている間にすっと身を引いて消えて行くあの潔さ。そして散り行くべきではない時には凶暴な春の嵐にすら負けずに花を咲かせる凛とした芯の強さ。大したものだ。この木が日本人に愛されるのは単に花が美しいからだけではないのだなと改めて感じた。

 とりあえず写真はウチの窓から見える一番近い桜の木。この辺りには方々に桜が咲いていて、丘を登りきって一番高い場所に位置するウチのマンションの窓からは眼下に住宅の間を縫うように折り重なって咲いている桜のパノラマが広がっていてなかなかきれいだ。去年ここの鍵を受け取った時にちょうど桜が咲いていて、なかなかこの景色は気に入った。また、来年も美しく咲いてくれることを祈る。

2007年4月1日日曜日

一年の終わり

 随分と長い間更新をサボってしまいました。おかげで2007年3月度は過去最低の月当り記事数というあまり嬉しくない記録を更新してしまうことが決定的です(泣)。年度末が多忙なのは毎度のことですが、今回はそれに加えて週末も10日-11日は仕事で札幌、17日-19日はプライベートで佐賀、24日-25日は同じくプライベートで新潟、とどめとばかりに新潟から帰ってきた明けの26日には仕事で日帰り名古屋と、週末も日本各地を北へ南へ、東へ西へと飛び回っていたので、土日ですら家でMacに向き合う時間がほとんどなかったのです・・・。いやー、言い訳ですが、疲れました(苦笑)。

 3月13日、ウチの会社があるニュースリリースを出しました。それはウチと住商情報システム株式会社が組んで、ジョイントベンチャーを立ち上げるというものです。この会社は現在ウチでプロダクトとして販売しているX-pointやX-Webformといった製品の企画・開発・販売を扱っている部門、X-point事業部を切り出して分社化するという形を取っており、X-pointの開発最初期から関わり、今もX-point事業部に所属している私もこの新会社に移ることになります。とはいえ当面は場所も変わりませんし(フロア内で多少の席移動はありますが)、業務自体もこれまでと比べて突然大きく変わるわけではありません。新会社設立ということで契約やら原価管理辺りの細かい諸事は最初は戸惑うこともあるでしょうが、まぁ大勢に影響はないでしょう。何はともあれ名目的には、私の今の会社での仕事は2007年3月30日を持って終わりということになるわけです。新卒で入社して丸6年。とりあえずお疲れさまです。4月2日からはあまり代わり映えのしない(苦笑)新会社。実務的な面での変化には乏しいですが、特に営業や上層部を中心に「やってやろう」という気概が妙に溢れています。事業部から会社へと変わったことで、業務の内容自体が変わらなかったとしてもそれにつきまとう責任はより一層大きくなります。心機一転、と言い聞かせながら、また新しい一年に向き合っていきましょう。

今日の一言:重要なのは体制ではない。文化なのだよ。