2007年4月8日日曜日

ソラニン

 『ソラニン』という漫画を読んだ。結構前から日吉東急内の天一書房で平積みにされてフューチャーされていて、どんな作品なのかもどんな作者なのかもよくわからなかったが、河岸の風景写真の中に作中のキャラがぽつんと配置されたジャケットと、"ソラニン"というタイトルがずっと気になっていた。ソラニン。ジャガイモの芽に多く含まれる神経伝達物質阻害系のアルカロイド。まあ、端的に言えば毒だ。そんなものを作品のタイトルに持ってくるとはなかなかいいセンスをしている。何となく漫画が読みたい気分で、何か知らない作品を漁ってみようと思って本屋に行って、その他いくつか選択肢はあったのだが、全2巻完結という手軽さもあり今回はこの『ソラニン』を読んでみることにした。そしたら、これがまた相当な当たりだった。

 この作品が描いているのは一言で言ってしまえば"イマドキの若者像"だ。主人公の芽衣子は社会人2年目のOL。付き合って6年目、同棲して1年が経つ彼氏の種田はバイトをしながらバンドを続けるも、そのバンドにも完全に本気にはなれていない。"仕事が嫌というよりは、疲弊してくたびれていく自分が嫌だった"芽衣子が、「人生のレールなんて外れて自由になっちゃえばいいじゃん」という黒い囁きと種田の言葉をきっかけに会社を辞めた時から、自由と現実の闘いが始まる。貯蓄残高という期限付きの自由。おそらく人生最後のモラトリアム。芽衣子に種田、そしてバンドの仲間達はそれぞれに自由と現実との境界線を眺めつつ、自由であること以外平凡な生活を、将来への不安を抱きながら過ごして行くことになる。

 この漫画のステキなところは、そんな青臭いテーマを扱いつつも、決して浮ついた雰囲気は感じさせずに作品の空気をしっとりと落ち着かせているところだ。若者が侵された微熱を微熱として扱うのではなく、そこをまた一歩外から冷静に見つめる繊細な心理描写と、美しく描かれる背景達がそれを可能にしているのだろう。そして随所に現れるユーモアのセンスもいい。何カ所か、結構笑った。自分と社会との折り合いを見つけようとする若者達の葛藤という、普遍的だが陳腐にもなりかねないテーマを実にすっきりと読ませてくれる。そしてこの『ソラニン』に出てくる人物達は皆キャラが立っている。それぞれがそれぞれの思いを抱えていて、読み進める程に皆が好きになってくる。芽衣子も、種田も、ビリーも、加藤も、皆愛着が持てる。読んでいてキャラ自体をこんなに好きになることは珍しい。何となく「コイツラとなら仲良くなれるんだろうな」とか思ってしまう。それがまたこの作品の魅力をいっそう引き立てている。

 ネタバレになるので控えめに書くが、全2巻完結のこの作品は、1巻と2巻のつなぎ目で非常に重大な事件が起こり、その前後で作品自体の様相がガラッと変わる。作中の人物達が向き合わなければいけない対象が変わる。過去を引き継ぐべく、未来へ進むべく、決意とともに芽衣子は自分でギターを持つ。それまでほとんど弾いたことがないにも関わらず。『ソラニン』というのは作中で種田が作詞・作曲した曲のタイトルだ。前に進もうとするその芽衣子の心境に呼応するように、その歌詞の解釈は作中で変わっていく。2巻のクライマックスで芽衣子はギターを持ち、歌う。この『ソラニン』を。「この曲が終わったら、またいつもの生活が始まるんだ」と思いながら。余韻を残しながら引いていく、若さという微熱の終わりが重なるそのシーンは、まるで真夏の花火のように、美しく、そして儚い。その直後に入る回想の挿話も含めて、そう、ゆっくりと消えていく大きな大輪の花火を見ているような気分になった。遠くに響く残響と余韻を残して、大輪の花火も消える。祭りは、終わる。微熱も、引いていく。儚くとも、それを一つの終わりとして、それを新たな始まりにしようという芽衣子の、そしてその他のメンバーの、ある種の決意が胸を打つ。

 もし、自分が大学の時にクラシックギターを選ばずにバンドの方に進んでいたら、自分はどのような大学生活を、そしてその後の人生を送っていただろう?そんなことはあまり考えなかったけれど、この『ソラニン』を読んでふとそんなことを思った。それ程、読んでいくうちに作品に、作中の人物達に心が引かれていく。それ程、すべてが身近に感じられる空気がある。変に浮世離れしたところがないこの漫画は、映画でもいい表現ができる作品だろうなと思った。映像イメージが実に美しい。漫画や小説に対して「映画化してもよさそうだ」とはホントに滅多に思わないのだけれど。調べてみたらつい先日映画化が決定したらしい。実写かアニメかはまだ決まってないそうだが、是非、実写でやってほしい。キャスティング次第では、とてもいい映画になるだろう。詳細はまだわからないが、楽しみだ。


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