2014年12月9日火曜日

日本農政私感-自由競争の前提条件

 突然訪れた衆院選。アベノミクスに対してYESかNOかというような論点が主流のようだが、そんな中今、日本の農政はどのような方向に進むのがよいのか。これまであまり考えを表立っては述べてこなかったが、自分なりの意見をここに書いてみたいと思う。

 まず現在の農業、特に新潟をとりまく状況を簡単に眺めてみる。新潟と言えばやはり生産者の収益やマインドに大きく影響するのは米、特にコシヒカリの動向だ。新潟コシヒカリ(一般)の生産者米価を見てみると、近年だけを見ても2012年に15000円だったものが今年2014年は12000円に下がっている。わずか2年で実に20%の下落。消費低迷や在庫過剰、MA米、TPP(これはどうなるかまだわからないけれど)の現状を考えると今後も米価自体が上がっていく状況にあるとは考えにくい。この見通しが新潟の米生産者の意欲に暗い影を落としている部分があることは正直否めない。

 例えば生産者米価の全国下限が7000円程度になれば国際市場でも価格的に戦えるという。国としてはTPPを見据えてこのレベルまで米価を下げたいという思惑があるらしい。今年の仮渡金の全国下限が8810円。それを7000円まで落とすには現在からさらに2割強価格を落とす計算になるので、同じ割合で新潟コシの価格も下落すると仮定するとその時の価格は約9500円。一万円を切ってしまう。ここ2年で2割生産者米価は落ちたというのに、さらにそこからまた2割落とす。当然その分売上は小さくなり、収益を圧迫する。

 そんな中、国の政策は簡単にいえば大規模化・集約化。若く意欲のある農家に農地を集めて大型機械を導入し、作業の効率化をはかることで生産コストの低減を図り競争力を上げようというもの。でも冷静に考えてほしい。大規模化・集約化程度のことをいくらやったところで、生産者米価の2割下落×2をカバーできるほどのコスト削減ができるだろうか?それほど大きなコスト削減は、ただ単に大型化と集約による効率化だけでは難しいと言わざるをえない。今回の選挙の街頭演説でも一様に候補者は「米の値段が下がる。苦しいです。でも頑張りましょう」と声を張るが、どう頑張れと言うのか?

 さらに言えば機械のコストは上がる一方。大きな要因として鉄や原油等の原料の値上がりがあるが、それ以外に政治的な要因がここにきて大きく響いている。その最たるものがディーゼルエンジンの排ガス規制。この排ガス規制は2014年11月から50馬力以上が、翌2015年9月からは25馬力以上が規制の対象になり、それぞれ排ガスをクリーンにするための装置を付けていかなければならない。その装置を付けることにより機械の実売価格がモノにより違いはあるものの30万円~100万円も跳ね上がる。500万円クラスの機械で100万円上がるケースもある。現在米の生産者が使用しているトラクターやコンバインは個人でも30馬力以上が主流になっているし、大規模な生産法人となれば50馬力以上のものが一般的だ。果樹で使う防除機、ステレオスプレーヤも600L以上のクラスはすべて25馬力以上のディーゼルエンジン。これらが軒並み政治的な理由で、生産性が上がるわけでもない機械の更新により価格が大きく上がる。

 エンジンだけでなくモーターも値上がりする。省エネ法の施行により2015年4月以降生産される機械に関しては現行のモーターよりエネルギー消費効率のよいトップランナーモーターを使用しなければいけなくなる。それによりモーターを使っている機械はモーター一つ当たり軒並み3万円~5万円価格が上がる。米農家の機械でいうなら乾燥機や籾摺機がこの対象になる。農水省の議事録を読んでいると相変わらず農業は省エネやエコに積極的に貢献していくべきだとの論調ばかりでそれに対するコスト面の批判は出ていないようだが、余計なことをやるとコストは上がるということは少しは認識してほしいもの。

 その他ビニールや肥料、農薬といった資材の価格もデフレ下においてですらずっと上昇が続いており、生産物の消費者価格が下がる一方でコストは右肩上がりに上がっていく。

 このように最終生産物の価格が下がっていくのにコストは大きく上がっていく中、農業が生き残るために必要な要素は何か。補助金だったり海外生産だったり色々と考えられることはあるが、一番大事なことは生産物の価格決定権を生産者に与えることだと思う。関税自由化も市場原理による自由競争も結構なことだが、自由競争といいつつ農協等の卸が買い取り価格を一方的に決め、生産者がその価格で出荷するという現在の制度では農業経営も何もあったものじゃない。

 米なんてその最たるもので、昨年の在庫がたくさん残っているから買い取り価格を下げますという指示を全農が出し、民間の業者の買い取り価格すら程度の差はあれそれに準じる。供給過多で値段が下がるのはマクロ経済における神の手として理論上理解できるが、それを卸が勝手にやるのが自由経済なのか。それは神の手ではない。人の手だ。

 去年の米が余ってるから今年の米を安く買いますというのもおかしな話で、去年の古米と新米では誰が食べてもわかるくらい風味には違いがあるのに、それを同列に扱って新米を安く買いますよというのは完全に卸の都合でしかない。本来は次の年の新米が出てくる時分になっても買った米が余ってるのは買った卸の責任で、卸は風味の落ちる古米を安く売る等で在庫処分しなければならないはず。なのに売れ残った責任を生産者に押しつけて自分達は新米を安く買う。そもそもこういったことがまかり通っていること自体が自由競争というならおかしいだろう。卸は次の年まで残らないように見越して米を仕入れ、もし次の新米が出てくるまで在庫があったなら安売りでも何でもして在庫処分。つまり買った分に関しては自分がリスクを負うのが正しい形なのに、そうはならずに卸がリスクを徹底的に押しつけて今の農業界は成り立っている。

 現状は農協が需給を見て価格調整する形で、その代わりに生産者がいくら出しても農協側では(等級等検査はあるものの)買い取りますよという形で成り立っている。少なくとも米に関しては野菜と違ってせっかく作ったものを出荷できずに廃棄というようなことは(一定品質に届いていない分は除いて)起きていない。生産者としては作った米を出荷できないリスクはない代わりに、価格決定権は手放していたという形だ。

 今後は減反廃止に合わせて生産者が需給を見て、例えば主食用米を作るのか飼料用米を作るのかを決めていってほしいと国は言う。そうであるなら合わせて農協等の卸も自己責任で在庫管理を行うようにし、出された分は何でもかんでも全量買い取るという方向を改めるべきだ。卸が主食用米が供給過剰・在庫過多でもう買えないし、生産者も主力用米を作っても売れないという状況で自らの意思でそれでも買い取りをしてもらえる飼料米に生産をシフトするなら話はわかる。けれども今のように卸が主食用米の価格を下げて、仕方がないから飼料用米と補助金で息をするというような在り方はとても自由経済とはいえない。

 だからまず、健全な自由競争を行う上で、農協のような卸があらかじめ価格を決定するのでなく、生産者が価格を決定できることは絶対必要になる。そうして初めてコストの転嫁や需給調整ができる。農協のような卸も米が残ったから安く買うなんてことはできなくなり、自分の仕入れに責任を持たなければいけなくなるから、売れる見込み分しか仕入ないようにするしかない。そのような状況になれば生産者も供給過多で自分が提示した金額で買う卸がいないなら価格を下げようか、あるいは需要が多くて価格を上げられるなら上げようか、それとも何か違ったものを作ろうかという自由競争が行えるようになる。

 農業で自由競争を導入するなら、合わせて農協の解体も必要になってくるだろう。よく言われるのは金融部門の切り離しだが、自分はむしろ集荷・出荷業務、いわゆる農協の卸業の部分のみ切り離し民営化でいいと思う。農協の営農支援や金融は生産者にとって有益な部分も多くあり、むしろ急いで民営化する理由は自分には見当たらない。

 農協の卸業部分を切り離す目的は、民営化・営利化することで農協間の卸業務の価格競争を促進すること。そのために現在広域合併が進み巨大化している農協を、民営化のタイミングで再度細かい地域レベルに細分化する。生産者が最寄りの農協が自分の提示価格で買ってくれなくても簡単に隣近所の農協に買ってくれるかどうか打診できる状況が大事だ。そのような状況を生み出すことで「この価格で出さないなら買わない」と卸の側が強気に出ることを牽制する。農協の卸業務が民営化されれば独禁法の対象外となるので、地域の農協すべてが結託して価格決定ということも当然できない。このようにして自由経済が活動できる場をまず整えることが肝要だ。

 今でも産直ではこのように生産者が価格決定権を持った上で自由経済を営むという動きは出ていて、自分はそれを歓迎している。けれども、一般的に産直でさばける量は農協やスーパーへの出荷と比べると多くはない。一部スーパー等で生産開始前にあらかじめ価格を決定した上での契約栽培等の方法も出てきていているが、それもまだ一般的というには程遠い。だからこそ量を確保できる農協等の卸に対して生産者が価格決定権を持つということは重要になる。

 前提として、生産者側でも原価を正確に管理することは必要だろう。現状、生産コストが正確にいくらかかっていて、品種や作物ごとの利益率はどのくらいかということを正確に把握している生産者は少ない。でもそこをしっかり管理し損益分岐点を正確に把握することで初めて値下げをどこまでできるのかの駆け引きもできるようになる。余談ながら、日本の農業でIT化を導入するとしたら、オランダのIT農業みたいに生産物の管理をする前に、まずこうした労務費も含めたコスト管理の部分から始めるのが費用対効果としては高いのでないかと思っている。それは価格決定権を持った自由競争下で効いてくる投資となる。

 生産者が価格決定権を持ち、農協等の卸が仕入に責任を持つようになることで、国が望むようにTPPを見据えた農産物の輸出にもむしろ対応はしやすくなるだろう。現在は輸出用の米は数少ない業者が主食用米よりも安い価格で買い、生産者側へのメリットとしては輸出米分は減反分として認めることで調整されている。そうではなく、卸は生産者から主食用米と同じ価格で仕入れればいい。仕入れた後国内に売るのか輸出するのかというのは販売する卸の責任であって生産者の問題ではないのだから、輸出するからといって生産者が卸への販売価格を下げる理由は本来ない(始めから輸出用にコストを抑えて安価な品種を契約栽培、といった形は別として)。農産物の輸出を国が促進していきたいというのなら、その分の補助を生産者に出すのでなく輸出を行う卸業社に出せばいい。そうすることで農産物の輸出業者は自動車などの工業製品と同じ「輸出企業」になるわけだから、そのサポートはこの国は手慣れたもの。円安誘導もできるし、法人税の特例措置で税金下げてもいいし、輸出量に応じて補助金を出してもいい。国も大好きなグローバル企業と同じ扱いで農業の促進もできるようになるのだから、むしろ扱いやすくなるのではないだろうか。円安で日本の農産物価格が安くなり海外需要が増えれば、卸はどんどん国内の農産物を仕入れればいい。そのサイクルがうまく回れば国外へ向けての供給が増え生産者価格も上がり、農業の景気もよくなるだろう。何しろ世界的に見れば今も、そして今後はもっと、食糧は不足しているのだから。

 まとめると、自分が考える今後の農業の理想形は大雑把に以下のようになる。

 ・生産者が生産物に対して価格決定権を持つ
 ・農協の卸部門は切り離し、民営化する
 ・卸は仕入れた生産物の販売を生産者に責任を押し付けず自己責任で行う
 ・生産者はコスト管理をより厳密に行う

 最低限上記をクリアすることで市場原理の中で農業が自由競争を行う準備が整うことになる。その上で、卸が販路を国内だけに向けるのでなく海外へ輸出するという動きを、国には精一杯サポートしてほしい。人口減少時代に入る日本では、国内需要を大きく伸ばすことは難しい。それよりも今後食糧不足が深刻になる世界に向けて食糧を供給していくことが明るい道だ。自分はそう考える。

 今回は特に大規模大量生産の一般的な農業生産者が発展するための条件について書いてみたが、これとは別に品質やブランド化にこだわり、プレミアのついた生産物を少量生産することで発展する道もあると思う。あまり肯定的ではないけれど六次産業化なども実はこちらの道だ。こちらについてはまた、いつか改めて書いてみたい。

 …で、このように思い描いているヴィジョンを現実のものとするためには、自分は今回の衆院選、一体どこに投票すればよいのだろう???

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