2014年12月19日金曜日

梅森直之編著『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』

 ナショナリズムの画期的な研究家として名高いベネディクト・アンダーソン。日本でも右傾化が懸念され、隣国である中国や韓国、北朝鮮の動きも気になる中でナショナリズムとは何かを考えてみたいとずっと思っていた。奇しくもスコットランドやスペイン・カタルーニャ地方の独立騒動もあったこの年、まずはベネディクト・アンダーソン本人の著作の前に、比較的手軽そうな新書から手を出してみようとこの本を手に取った。

 この本の内容は大きく二部に分かれる。前半は2005年4月に国際シンポジウム「グローバリズムと現代アジア」の中で二日間にわたって行われたベネディクト・アンダーソンの講演の収録。そして後半は編著者である梅森直之氏によるアンダーソンを読むに当たっての基本的な考え方の紹介と講演の解題という形になっている。

 自分の勉強も兼ねてこの本の内容をまとめてみようとこの記事を書き始めてみたのだが、これが非常にまとめにくい。これは本の前半に来ているアンダーソンの講演が事前に氏の著作を読んでいることを前提にしているため、予備知識なしで頭から読み進めていくと少々わかりづらい点があるからだ。なのでこの記事は本の内容を書かれている順にまとめていくことはせず、本を読んでここから自分が理解したことをまとめていくような形で進めていくことにする。

 ベネディクト・アンダーソンはナショナリズム、ひいては「国民」「ネーション」という意識はいつどこで、どのようにして生まれ、世界に広がってきたのかを考える。そしてその意識が世界にどのように影響を与え、相互作用してきたのかを注意深く観察していく。「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」とはアンダーソンの有名な言葉だが、果たしてそれはどのような意味なのか。

 今では「国民」や「ネーション」といった概念は一般に普通に受け入れられている。だが法律的には、例えば日本人なら日本国籍を持つものが日本人でいいはずなのに、実際の「国民」の意識の区切りはそうなっていない。例えば日本に帰化した外国人は日本人か?逆に日本で生まれ育ったが外国に帰化した日本人はどうか?仮に日本に帰化した元横綱・武蔵丸を日本人とみなさず、ノーベル賞受賞時には既に日本国籍のない中村修二氏を日本人とみなすようなことがあるのであれば、その国籍以外の要素で区切られる国民、ネーションの意識とは何なのか。この点をまずアンダーソンは探求する。ナショナリズムとは何なのか。

 それはまず、近代の発明(国籍という制度ができたのと同時に発生した概念)であるはずの「日本人」が、あたかも太古の昔に起源を持ち、今日に至るまで面々と続いてきたと主張する(国民の古代性)。次にそれは、実際にはかなりの人が出たり入ったりしているはずの「日本人」の境界を、閉ざされたものであるかのように装う(国民の閉鎖性)。最後にそれは、さまざまな偶然の結果である人間の集合を、共通の運命によって結ばれた共同体に変える(国民の共同性)。-『想像の共同体』より

 この問いへの答えとして、アンダーソンは時間と空間に着目する。どのように人々が時間というものを認識しているのか。宗教的な時間、民俗的な時間、デジタルに刻まれる時間によって、人々の認識がどのように変わるか。また同様に、目に見える景色が、地図に描かれた空間が、人々の認識にどのような影響を与えるか。それがネーションの意識を規定すると。

 時間が何故ネーションの意識を規定するものとなりえるのか。アンダーソンは「2014年12月20日 21時27分」というような日常で用いられる標準的な時間を「均質で空虚な時間」とし、このような標準的で過去から未来に向かって規則正しく流れていく時間の感覚は歴史の中で発明されたものだと言う。本来歴史や文化によって多様であった時間感覚を、世界共通の「均質で空虚な時間」が浸透することにより人々の間に「同時性」の感覚が生まれた。そのことで世界の人々は時間を共有することが可能になった。かねてより人類学の世界は提唱されている、時間の発明だ。標準的な時間を得ることにより、まず人類は「時間を共有するコミュニティ」としてまとまることになる。

 ここから時間を共有した人々の中にさらに「ネーション」という概念が生まれるには、加えて空間が境界によって区切られなければならない。解放された時間による共有から、空間による細分化によりネーションが生まれる。その役割に、ネーションを境界で区切るきっかけ作りに、貢献したのが言葉だった。ネーションの意識の空間的な源泉として、言葉が通じる範囲、つまりコミュニケート可能な範囲が原初のネーションとして意識されたわけだ。

 標準的な時間と言葉によって区切られた原初のネーションの意識を、さらに細分化し強化したのが「出版資本主義」だとアンダーソンは指摘する。出版資本主義はまず商圏の拡大のために方言を統一化した「標準語」を生み出した。日本語で例えれば、東北弁で書かれた新聞を九州の人がすんなり理解するのは難しいので、便宜的に日本全国で通じる文字通り「標準的な」言葉として標準語が生み出された。これにより出版資本主義は新聞や雑誌を「全国に」売り出すことが可能になる。そして人々は新聞や雑誌を読む度に同じ時間と、言葉によって区切られた空間を共有し、集団への帰属意識を高めていった。このようにして「想像の共同体」は生まれる。

 そして時間と空間で区切られた共同体に愛着を与え、ナショナリズムを生み出すきっかけとなったのが植民地で生まれ育った人々、クレオールだという。決して本国と同等の立場になることのないクレオールの本国に対するコンプレックスはそのまま自らが属する共同体への愛着へと裏返され、そこに「国民」「ナショナリズム」という観念が生まれる。後でまた触れるが、その植民地で生まれたネーションへの強い愛着、「国民」という強い意識が、ナショナリズムとなって一連の植民地解放運動の力となった。

 そして一度生まれた「国民」という概念は模倣可能な「モジュール」となり、模倣を通じて世界中に伝播していくことになる。2005年の公演、この本の前半部では、アンダーソンはそのモジュール化されたナショナリズムが初期グローバリズムの中でどのように世界各地で模倣され、広がっていったかについて語っている。

 もう一つ、クレオール発の国民意識を民衆の意識に自発的に芽生えたボトムアップ的なナショナリズムだとすれば、権力側が民衆を自分たちの帝国により強く結び付けようと意図的に国民意識を植え付けるトップダウン的な「公定ナショナリズム」とアンダーソンが呼ぶものが生まれてくる。これは世界、特にヨーロッパ各地でナショナリズムというモジュールが模倣され、伝播し、民衆運動が盛んになる中、それを脅威に感じた権力が民衆をより強く自国に結び付けておくために試みられた。開国から明治国家形成に至るまでの日本のナショナリズムもここに分類されている。黒船来襲以来、外国の脅威を目の当たりにしたこの時期の日本は、他国に飲みこまれないためにも国民の帰属意識、ナショナリズムを強めていく必要があったのは想像に難くない。

 では実際、上記のように生まれたナショナリズムの概念が19世紀末から始まる初期グローバリズムの中でどのように広がっていったか。グローバリゼーションが生まれる要因も含めてアンダーソンは言及する。グローバリゼーションの発生・発展のきっかけとなった出来事は2つ。1つはモールスによる電信の開発、そしてもう1つは世界中をつなぐ輸送、物流の発展だった。

 およそ130年前、瞬時に情報を世界中に伝えることができる電信の誕生によって初めてグローバリゼーションは可能になり、誕生した。電信は1850年代に急速に世界中に広がり、1870年代には海底ケーブルが主要な海洋をすべて横断し、つなぐまでに発展。やがて絵や写真も送れるようになる。この電信により人類史上初めて、情報が瞬時に世界中を駆け巡る時代が到来する。もちろん現在のインターネットほど便利ではないが、それでも情報が一瞬で世界中に届く時代は、もうこの頃に生まれていた。

 そして汽船や鉄道の整備が世界中で進んでいき、1874年に万国郵便連合が設立されると、手紙、書籍、雑誌、新聞などがこれまでにない規模で国境を越えて大量に輸送されるようになる。これによりローカルにいながらにして世界中の情報、写真等にも触れることができるようになっていく。早くて安全な蒸気船の交通網が発達することで世界の物流は効率化され、海を渡る巨大な人の流れも生まれる。これら電信と輸送の発達を背景に出版と商業がつながり情報がグローバル化したこと、これをアンダーソンは「出版資本主義」と呼んでいる。出版資本主義は先の標準語の発明で商圏をまとめ、さらに翻訳によって世界中に情報を運んでいった。この「出版資本主義」が世界中の植民地で起こるナショナリズムをつなぎ、伝え、そしてそれが世界各地で模倣されたのが初期グローバル化の空間だったとアンダーソンは言う。

 19世紀の末、世界各地で同時多発的に白人帝国主義と植民地の戦いが始まる。ホセ・マルティが起こしたキューバ革命、ホセ・リナールのフィリピン革命、南アフリカにおけるイギリスとボーア人の戦い…。発展した電信と輸送は、これらの国々の植民地勢力がお互いに連絡を取り合うことを可能にした。また他の国々は新聞や雑誌等を通じてこれらの植民地解放運動の情勢を知ることとなり、それはあらためて自国の「ネーションとは何か、どうあるべきか」を意識させるきっかけとなった。出版資本主義はネーションの概念を伝えるだけでなく、植民地解放のためにどう戦うかまでもモジュール化し、模倣の助けとなっていた。

 同様の情報伝搬による模倣は19世紀末から20世紀初頭のアナーキズムにおいても起こり、それは世界各国の主導者の暗殺という形で具現化された。アナーキストたちは世界各地の情報をグローバルに見聞きし、模倣し、実行したわけだ。その実行には各地のナショナリストも多く関わった。アナーキストたちは要人の暗殺を世界に対するメッセージとして利用し、それは出版資本主義により世界各地に伝えられ、目論見通りの効果を上げた。

 このように、通信と輸送の発達によって遠い国のナショナリズムやアナーキズムがグローバルに広がっていき、世界中にナショナリズムが強く意識され、芽生え、実行されていく。それが初期グローバル化の時代に起きていたことだった。

では現代はどうだろう。アンダーソン曰く、第二次世界大戦の終結から実に1980年代までナショナリズムはヨーロッパにおいて妖しげな観念に他ならなかった。ヒトラーと様々なナショナリズム、ファシスト政権、日本の軍国主義的帝国主義、それらが引き起こした凄惨な光景を目の当たりしたからこそ、ヨーロッパでナショナリズムは反動的で遅れたもの、研究する価値のないものとみなされていた。しかし1960年代から1970年代にかけて、世界各地で多くの地域が植民地からの独立を勝ち取っていき、75年のポルトガル帝国の崩壊を持って植民地解放の時代が終わる。そしてさらに重要なことに、時期を同じくしてヨーロッパ内部において地域ナショナリズムの萌芽が芽生え始める。スコットランド、ウェールズ、カタルーニヤ、バスク、ブルターニュ、シチリアなど。これら植民地の解放と地域ナショナリズムにより、時代遅れと思われていたナショナリズムは新たな形で勃興していく。

 公演後の質疑応答の中でアンダーソンは今後ナショナリズムによる国家の領土の拡大は考えにくいが、逆にネーションのさらなる分割は充分起こりえると話している。特に脆弱なのはイギリス、ロシア、中国にインド。ヨーロッパではスペインも、と。この講義が行われたのが2005年、本として出版されたのが2007年。その後、世界ではアンダーソンが言及したような事象が多数起きてきている。アラブの春では民衆蜂起によるチュニジア政権崩壊を発端に、ヨルダン、バーレーン、リビア、そしてシリアと次々に飛び火。Facebookを使った情報のやり取りはまさにモジュール化され、模倣されていった。ウクライナではクリミア自治区が騒乱を起こし、スコットランドではイギリスからの独立を問う住民投票が実施された。時期を同じくしてスペイン・カタルーニャ地方でも独立を問う非公式な住民投票が実施されるなど、ここ数年でナショナリズムの動きは活発化しているように思える。隣国中国の尖閣諸島、韓国の竹島での動きももちろんだ。

 これらの動きに対して、この本では予見はしていてもその後どうなるか、どうすべきかという話は出てこない。それはこれから語られるべきこと、あるいは我々が自分で考えていくべきことなのだと思う。

 自分はベネディクト・アンダーソンをレヴィ=ストロースや、あるいはガルシア・マルケスの正当な後継者だと感じた。本人も『想像の共同体』は正真正銘の構造主義的テクストだと思っていたと語っている(ただし、実際にはデリダやフーコーの影響が強く感じられるポスト構造主義的、ポストモダン的なテクストとして受容されたとも語っている。執筆当時アンダーソンはデリダもフーコーも読んだことはなかったそうだけど)。そしてこの『想像の共同体』は意外なことにあのジョージ・ソロスによって旧ソ連内のすべての言語に翻訳されるべき100冊の重要な本の1つに選ばれている。意外な人物が出てくるものだ。

 最後に、ここ数年また活発化してきているナショナリズムの今後を占うために、『想像の共同体』の時点では考慮されていなかったがその後アンダーソンが重視するようになったというネーションとグローバリズムの関係について触れておきたい。ネーションの比較研究のためにはネーションをあたかも境界づけられた1つの単位であるかのように扱い、比較の物差しをはっきりさせないといけないとアンダーソンは言う。けれども実際のネーションは絶え間ない動きのうちにあり、変化し、他のユニットと相互作用していく。だからこそナショナリズムをグローバルな文脈で比較し、論じるためにはナショナリズムがそこで生じ、変化し、相互作用する重力場について見なくてはいけない。今後の世界情勢を見ていく時、この視点は重要だと感じる。ナショナリズムの動きが世界で活発になってきている現在、アンダーソンのような視点でその動きを解明していく思考は大切ではないだろうか。自分としては今後是非、『想像の共同体』を始めとする氏の著作も読んでいきたい。

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