2003年7月26日土曜日

時代とラーメン

 突然何を言い出すんだと思われるかもしれないけれど、何か最近のラーメンって、よくも悪くも「今」という時代のラーメンなんだろうなぁ、って思うのです。少し不思議な気もするのです。いつの間にか、「ラーメンの旨さ=油の旨さ」みたいな方程式ができあがってしまったような。いつの日か、こんな文章を書く日が来るような気もするのです。

「あの頃のラーメンは、とにかく油の旨さが勝負だった。世間で旨いと評判になるラーメンは、とんこつか、あるいは鶏ガラベースでもたっぷりと油をスープに浮かせなければならなかった。背脂が好きとか嫌いとかに関わりなく、とにかく雑誌やテレビなんかで紹介されるラーメンは皆、脂の旨味が効いたこってりしたものばかりだったから、自然おいしいラーメン屋を探そうと思うとそういった傾向の店にばかり行き着くことになる・・・・・・・」

 上記のような文章を、絶対書くような気がするのです。私でなくともあるいは誰かが。思えば、昔幼い頃に食べたラーメンって、そんなに背脂がたっぷりと効いたものって記憶に残ってないんですよね。いや、そりゃあるにはあったんでしょうけど、今ほど幅を効かせてはいなかったのも確かでしょう。そういや三条にある大油ラーメンって結構昔からあるみたいですが、あそこは今の方が流行ってるんじゃないでしょうか。高校の頃に食べに行きましたが、あれは結構キツかった・・・。当時あそこまで大量の油を使うラーメン屋は新潟では珍しかったのです。

 ちょっと話は変わりますが、油の効いたラーメンを食べる時、油に弱い人が犯してはいけない過ちというのがいくつかあります。その中でも盲点なのが「海苔のトッピング・追加注文」です。これが、意外とはまるのです。海苔というのは基本的に油をよく吸います。更に悪いことには、店によっては韓国海苔よろしく海苔の表面に油を塗っておくところもあります。それはそれで確かにおいしいのですが、油に弱い人がギトギトしたスープを飲むことに疲れて、その際にひとときの箸休めを脇に並んでいる海苔に求めたりしてしまった場合、・・・大変なことになります。そう、スープを吸ってしなっとなった海苔を口に含んで、まだ少しくらいはパリッとした感触が残っているのを期待しながらそれを噛みます。その瞬間、濃縮された旨味の効いた、濃い脂分が海苔から染み出して口の中に広がります。・・・そう、海苔はスープを吸っていたというよりは、むしろ油を多く吸っているのです。そして、不意を付かれて一気に胸が悪くなるのです。

 話を戻しますと、それがまぁいわゆる「今という時代のラーメン」なんだろうなと思うわけです。確かにおいしいんだけど、そもそも脂に頼り切ってしまっているし、脂というものの性質上基本的に万人受けはしない。万人受けはしないはずなんだけど、他に「うまいラーメン」の基準というものが見つからないものだから、本来脂があまり好きでない人でも「これがうまいラーメンだ」というわけで何となく食べて納得してしまうわけです。重い胃を引きずり、グズグズと灼ける胸を気にしながら。そういう時代なのでしょう。万人受けしないはずの基準が何故か万人受けして、本来それを許容できないはずの人達は、それに違和感を覚えながらも拒否感は示せずにいる。仕事でも人間関係でも、ラーメンの流行りでもそうなのだと思います。深夜にカップラーメンを食べながら、何となくそんなことを考えたのでした。

 ・・・『風の歌を聴け』にはなんて書いてあったっけ?

 深夜に冷蔵庫をあさるような人間にはそれだけの文章しか書けない
 そして、それが僕だ

 とか、そんな感じで書いてあったっけ?

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