2003年9月19日金曜日

飲み過ぎた翌日

 いや~、昨日は飲み過ぎました。大学時代の文学部の仲間と二人で飲んでたのですが、見事にしっかり飲み過ぎました(爆)。短いとはいえ昨日は何か日記に書いてますが、あれは恐らく彼と交わした文学談義の余韻で数行だけさっさと書いてしまったものでしょう。実は、書いたのをよく覚えてません(苦笑)。最後ベッドで、でろでろに酔ってるくせに何故か本を読んでいて、そしてそのまま電気も冷房も付けたまま眠ってしまったらしいのです。まぁ、そこまではまだよかったのです。

 昨日飲んでいたということは、当然今日は仕事です。それが社会人の辛さです。とはいえ、これまで私は酒を飲んだ次の日に会社を休んだり遅刻したりしたことは入社二日目(←オイ!)しかありません。酒に負けてはいけないのです。大丈夫。大丈夫、・・・と思っていました。

 ・・・が、朝7時半、あまりの胃の気持ち悪さに目が覚めます。今さらのように胃の中でアルコールが燃えて、胃壁を荒らして喉を遡ってくるような、横隔膜が不自然に蠕動を繰り返すあの不快感。起き上がって便所に向かおうとすると、頭の右後頭部の奥の方で、揺れた脳が頭蓋骨にぶつかってひしゃげて響くような、鈍く深い痛みが走ります。この手の頭痛は決して手の届かない深い所で響くので、どうにも耐えることもできません。胸のむかつきを抑えつつ、その痛みに耐えかねて一端そのまま頭を枕に落とし、もう少し休もうとします。枕に頭が触れた際、そのささやかな衝撃でまた頭に鈍痛が走ります。あー、これはヤバイなぁ・・・。胃袋からは今にもブツが飛び出してきそうです。必至に手を口で押さえますが、当然そんなことで胃に蓋ができるはずもなく、口の奥から止めどなく溢れる酸っぱい粘液がどんどんと口中に溢れてきます。ここで吐くわけにはいかない!そう思って、重苦しい鐘が響くような頭痛と、だるく震える手足を引きずって体をくの字に折り曲げながら、よたよたと便所に向かって歩きます。そりゃもう命懸けでした。水泳の50Mの折り返しでターンする時のように、精一杯手を伸ばして進む方向への慣性にまかせた形で便所の電気のスイッチのすぐ下にバンッと手をつき、指を少しずらして電気をつけます。倒れ込むように便器にかがみ込み、口の中にたまった唾液や粘液を吐き捨て、次の瞬間、堰を切ったように胃の中のものが逆流を始めました。敢えて描写はいたしませんが、前の晩はトマトベースのペーストをパンに塗ったものを好んで食べていたとだけお伝えしておきます。あの胃散が喉を焼いて、口の中に酸っぱく生臭い匂いが広がる・・・、やめておきます。とにかく、しばらく便器に上から覆いかぶさりしがみつくような感じで、何回かわかりませんがとにかく吐きました。いや~参りました。何とか吐き気だけは落ち着いて、便所から出てきたのが8時過ぎ。定時に出社するには9時15分には部屋を出なければなりません。

 ・・・寝てられるのはあと40分か。

 半休取ろうかな?という気持ちは正直ありました。何しろ、二日酔いとはいえ本気で辛いのです。まともに出社できるような体調ではありません。が、社会人としての責任とか何とか、そんな世間一般の美徳はさておいて、ここで休むのは個人的に屈辱でした。ここで休んだら、俺は酒に負けたことになる・・・。それは許し難いことです。風邪とかいつもの自律神経失調症でこの体調だったら、もう迷うことなく会社は休んでいたことでしょう。ですが、今朝のこの不調は酒が原因です。ここで休みをとったら、私は酒に負けたことになります。それはプライドが許しません。酒に負けてはいけないのです。・・・その信念だけを胸に、クラクラする遅い夏の日射しの中、定時に間に合う電車に向けて私は家を出て行きました。胃腸薬と頭痛薬で精一杯体をごまかして。電車の中では金曜夜の終電の酔っぱらいよろしく、ずっと吊り革に全体重をかけてぐったりしていて、震える手足で必死に体重を支えていました。コンビニでアミノサプリを買って会社に辿り着いたのは10時5分前。ちょうどオンタイムの出社です。午前中は正直仕事になりませんでした。後輩の指導という名目で休みつつアミノサプリを飲み切って、どうにか昼食にはきのこハンバーグを食えるくらいには回復しました。いや~、久しぶりに本格的な二日酔いにやられました。ラクにやられましたね、ラクに(ラクとは葡萄から作られるトルコの蒸留酒。まずいし悪酔いする・・・)。

 しかも今日、またもお客さんと飲む用事があった私は、酒を見るだけでも嫌だと言ってしまいたい心境を抑えつつ、失礼のない程度にジョッキ2杯と日本酒グラスで1杯だけ飲んで、ギリギリ終電で帰ってきたとのことです。ってゆーかこの日記長過ぎですね。早く寝たいのに・・・。

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