2011年6月25日土曜日

米の輸出と原発問題

 2010年度の新潟県の米輸出量は約335トンと前年度から倍増していたらしい。輸出は日本の米農家が生き残り発展をするために欠かせない道の一つだと思うので、この実績は喜ばしいなと思う。

 一方、福島第一原発の事故を受けて、米の主な輸出先の一つである中国が新潟を含む10都県の米を禁輸にしているとのこと。やはり原発事故による農業への影響は、この新潟でも既に始まっている。

 ところで、原発事故の影響で輸出ができなくなるのなら、いよいよもってTPP参加は農業に壊滅的打撃を与えてしまう。輸出もできずにひたすら受け入れるだけになれば、さすがに日本農業はもたないだろう。輸出に希望を持った上でならTPP参加は検討の余地があったわけだが、原発事故の影響を考えると厳しい。困った事態になったものだ。

 原発問題で派生する米の国内供給に関しては、少なくとも今年は大丈夫だろう。政府備蓄米もあるし、いざとなったら転作で飼料米として出荷する米を主食用に回すこともできる。飼料米ったって主食用品種を普通に作ったのを減反のため便宜的に飼料米にしてるだけ。それらが主食用として供給されるまでの間に多少の政治的、あるいは流通的な混乱はあるかもしれないが、最終的に米の供給が足りなくなることは恐らくないだろう。新潟まで放射能検出されたら危ないけど。

2011年6月19日日曜日

鈴木秀美/リベラ・クラシカの『ジュピター』

 最近は朝4時に目覚ましをかけて、7時半に家を出るまでの間は子供達に気を取られずに済む自分のための活動タイムにしている。本を読んだり、黙々とネットをしたり、・・・まぁ大体はそんな感じだ。そして気分に合わせてBGMをかけるわけだが、今朝はモーツァルトでも聴きたい気分だった。CDラックのモーツァルトの辺りを物色し、鈴木秀美の『ジュピター』か、コリン・デイヴィスの40番、41番か迷った上に前者にした。鈴木秀美指揮、オーケストラ・リベラ・クラシカ演奏のモーツァルト交響曲41番『ジュピター』。そういえば買った時に1~2回聴いたが、あまり聴きこまずにそのまま放置してしまっていた。小編成で爽やかなイメージがあったと思うが、どうだったか・・・?そう思いながら、CDをかける。

 『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。

 そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。

2011年5月29日日曜日

LFJより不思議な縁で - アンヌ・ケフェレックのショパン

 LFJ新潟でのダン・タイ・ソン独奏、井上道義指揮仙台フィルのコンサートで、ダン・タイ・ソンが「被災した日本のために」と本来あるはずのないアンコールをショパンのノクターン嬰ハ短調『遺作』で演ってくれたことは先の日記でも書きました。そのノクターンはとても美しく胸に響きました。正直、ショパンはクラシックの作曲家の中では苦手な部類に入るのですが、この曲、あの日のダン・タイ・ソンの演奏は静かに美しく感動しました。

 同曲のCDは手持ちがなかったので、それ以来ノクターン嬰ハ短調のCDを探し始めます。が、元来ショパンは苦手としていたもので、どの演奏が定番なのか、そもそもショパンが得意なピアニストって誰?というところがまずわからず、選定が進まなかったわけです。試みに一度Twitterで「お薦め教えて」とつぶやいて、何人かから情報はいただいたのですが、まさかの入手困難・廃盤なCDの連発(苦笑)。皆さん、意外とマニアックです。そんなこんなで、昨日までノクターン嬰ハ短調のCDは選定されないまま来ていました。

 昨日、あるショッピングモールに買い物に行き、妻と下の子が食料品等を回出している間、私と上の子はモール内にある小さなタワレコでCDを物色していました。東京時代に通っていた渋谷のタワレコと比べると寂しくなるくらい小さなタワレコです。それでもタワレコはタワレコ限定の音源もあるので、一応見る価値はあるかなとクラシックの棚を見ていると、一緒にいた4才の上の子が「これ!これがいい!」と一枚のCDを指差します。「ん?」と思って見てみると、それはアンヌ・ケフェレックが弾くショパン作品集でした。

 アンヌ・ケフェレック。ラ・フォル・ジュルネ新潟で私が行った、先のダン・タイ・ソン演奏のベートーヴェン ピアノ協奏曲4番で、本来はヴュルテンベルグ管弦楽団と共に来日するはずだったピアニストです。このケフェレックとヴュルテンベルグ管弦楽団が来日キャンセルしたため、代わりにダン・タイ・ソンと井上道義指揮仙台フィルがやってきました。そうした経緯もあるので、その後私は「ケフェレックのCDなんて買わねーぞ、あのチキンが!」くらいの勢いでいたのですが、子供がこれがいいと言うんじゃ仕方ありません。とりあえずCDを手に取ってみました。曲目を見てみると、何とノクターン嬰ハ短調も入っています。ふと棚に目をやると、「ラ・フォル・ジュルネ特集」とのポップ。「ああ、それでアンヌ・ケフェレックなんて比較的マニアックなピアニストのCDがこんな小さいクラシックコーナーにもあったわけか」と納得しつつ、子供に「これがいいのかい?」と確認します。4才の上の子はためらわずに「うん」と言うので、仕方ない、このCDをレジに持って行きました。ケフェレック、結局ラ・フォル・ジュルネには来なかったんだがなぁ、と心の中で苦笑しながら。

 で、聴いてみるとケフェレックの演奏が実に素晴らしい。私がこれまでショパンを苦手としてきた理由の一つは、ポロネーズやワルツ何かでは特に力入りすぎ、見事に弾きすぎな演奏が多くて、華やかで絢爛ではあるけれど音楽に深みが感じられなかったことにあるのですが、このケフェレックの演奏はそうではない。ポロネーズもそうですし、幻想即興曲ですら力任せに弾いている感じがせず、実に美しく情感漂う演奏を聴かせてくれます。ノクターン嬰ハ短調も静かな夜に雨だれが打つような、静謐な中に想いのこもったトリルが響く素晴らしい演奏でした。このショパンはいいなぁ、と思いました。これならショパンも聴ける。ポロネーズや幻想即興曲ですら力強く迫力一杯に鳴らすことはせず、華麗で絢爛、英雄的なピアニズムとは一線を画した、スケールは小さいながらも寂しくしとしと降る秋の長雨のような、静かな抒情感に満ちたショパン。私はショパンもピアノも門外漢なので、それがショパンとして正統的な演奏なのかまではわかりませんが、このショパンは実に素晴らしいと思いました。昨日の夜からもう3回も聴き直しています。初めて素晴らしいと思えるショパンの演奏に出会えました。

 思えば不思議なものです。このアンヌ・ケフェレックが来日キャンセルしなければ、私がLFJ新潟でダン・タイ・ソンの演奏を聴くこともなく、ダン・タイ・ソンがノクターン嬰ハ短調を演奏しなければ私がこの曲のCDを探すこともなかったでしょう。そこに子供が「これがいい」と指差した偶然も加わり、私はこのアンヌ・ケフェレックのCDを手に取りました。そしてショパンもいいなと、ショパンの良さが少しわかってきた感じです。これもまた、縁というものかもしれません。来日キャンセルのドタバタは色々ありましたが、とりあえず今はダン・タイ・ソンと仙台フィルの心意気と思いのこもった演奏と、このアンヌ・ケフェレックの静かな抒情に満ちたショパン、両方を聴くことができたのだからいいじゃないかと思っています。不思議な、縁のつながりですね。

2011年5月8日日曜日

井上道義指揮 仙台フィル@ラ・フォル・ジュルネ新潟2011

 今年も新潟では5月1日~5月8日までの間、ラ・フォル・ジュルネ新潟2011「熱狂の日」音楽祭が行われました。特にメインとなる7日、8日はメイン会場であるりゅーとぴあだけでなく、音楽文化会館や燕喜館、旧斎藤家別邸でも一日中コンサートが催されるという音楽の祭典。今年のテーマは「ウイーンのベートーヴェン」です。ほぼオール・ベートーヴェンで埋め尽くされた音楽祭。できることなら一日中音楽に浸ってコンサートからコンサートへと渡り歩いてみたいところですが、それは田植時期の農機具屋、この期間仕事は休みなし、待ったなしです。何とか行けると言えば6日と7日にある20:15スタートのプログラムのみ。選択肢はありません。私はその2つの公演のチケットを取り、楽しみに待っていました。

 6日の演目はシューベルトの序曲とピアノ協奏曲4番。演奏には元々はアンヌ・ケフェレックをソリストに、ヴュルテンベルグ管弦楽団が来日する予定だったのですが、震災・原発事故後に来日キャンセル。東京他各地の公演でも震災後は来日キャンセルする団体が相次いでいるらしいですが、ここ新潟でもその煽りは受けました。しかしそこで立ち上がったのが自らも震災で被災した仙台フィル!井上道義氏を指揮に迎え、新潟の音楽ファンのためにやって来てくれました。ソリストはケフェレックの代わりにダン・タイ・ソン。演目もシューベルトの序曲がフィデリオ序曲になりました。

 というわけで演奏者がガラッと変わったこの公演。仙台フィルが入場してくると、会場はいきなり大きく暖かい拍手が響きます。りゅーとぴあの大ホールに、フルオケとしては少しばかり編成が小さい仙台フィルが並びます。井上道義氏が颯爽と入場し、挨拶もそこそこに指揮台に立ち、すぐさま始めるフィデリオ序曲。少しテンポ早め、爽快で明朗なフィデリオ序曲。仙台フィルは弦の響きが暖かく柔らかい印象です。曲の最後、オケを盛り立てた井上道義氏は最後の音を右手で振ると同時にクルッと観客席の方にターン。両手を広げて仙台フィルのために拍手を求めます。劇場一杯に満ちる拍手。少しして、その拍手を静止して井上氏が語り始めました。

 ドイツのオーケストラに突然来たくないって言われちゃって、仙台が来ました!

 (拍手)

 人間、いつ勝負するかって、一番厳しい時に来ることです。(彼ら仙台フィルは)まさにそれを体現しています。

 泣きそうになりました。井上道義氏の言葉は発音が聞き取りにくいし、少し日本語としてはおかしいところもあるのですが(笑)、それでも胸に響く言葉でした。周りを見ると、実際に泣いている人もいました。自らも被災した仙台フィル。人的な被害はなかったといいますが、本拠地となる仙台のホールが被災し、6月までの公演はすべてキャンセル、練習もままならない状態だと聞きました。そんな彼らが、中には自分の気持ちの整理がまだついてない人もいるだろうに、それでも新潟の音楽ファンのために短い準備期間でこうして演奏に来てくれるのです。その精神力と心意気にはただただ敬服するばかり。恐れ入ります。

 そしてダン・タイ・ソンを迎えてのピアノ協奏曲4番。いきなりピアノ独奏から入るこの曲、静かなホールにピアノの音が響きます。ダン・タイ・ソンの演奏を聴くのは初めてなのですが、水滴が流れ、弾けるような高音と演奏をするピアニストだなと思いました。そして時たま水面を飛び出す小魚のように自由に跳ねる。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンのものでしたが、その水がどんどん溢れていくような演奏は素晴らしかったです。そしてそのカデンツァを暖かい音色で優しくそっと受け止める仙台フィルの弦。いい演奏でした。第2楽章では少々ソリストと指揮者・オケの思惑がかみ合わない部分もあったようでひやっとしたのですが(苦笑)、最終楽章ではそれもぴったり息が合ってきて演奏も乗ってきました。指揮者も演奏後に自ら「今日は真面目な、ベートーヴェンでした(笑)」と語ったように、正当派の、少しスケールは小さいけれど暖かくて思いの満ちた演奏。素晴らしかったです。

 そして、ピアノ協奏曲4番終了後にダン・タイ・ソン氏がまさかのアンコール。基本ラ・フォル・ジュルネは45分一公演。枠が決まっていますので、アンコールはないはずなのです。この時点で既にピッタリ45分経過した21:00。それでも、その本来ないはずのアンコールは始まりました。

 震災に被災した日本のために、ショパンのアンコールを弾きます

 たどたどしい日本語でそう語った彼が弾き始めたのは、ショパンの遺作となったノクターン第20番 嬰ハ短調。映画『戦場のピアニスト』では冒頭のシーンでこの曲が弾かれ、開始ほどなくして爆撃が始まり演奏は中断されます。震災がまだ完全に落ち着いたとは言えないこの日常の中、仙台フィルのメンバーも聴き入る中で惹かれるノクターンは、非常に美しく心に響きました。

 この日の演奏は、心に残る演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を生で聴くという念願が叶ったのもそうですし、自らも厳しい状況に置かれている中、それでも新潟の音楽ファンのために代役を買って出てくれた仙台フィルの心意気にも打たれました。仙台フィルの皆さん、井上道義さん、ダン・タイ・ソンさん、どうもありがとうございました。素晴らしい体験をさせてもらいました。落ち着いて本格的な活動が再開できるまで、まだ大変なことも多いかとは思いますが、頑張ってください。

2011年5月3日火曜日

オサマ・ビンラディン死亡の報を受けて

 オサマ・ビンラディンが死亡したそうだ。アメリカ軍がパキスタンの首都イスラマバードに近いアボタバードに潜伏していたビンラディンを米海軍特殊部隊(SEALS)が急襲し、銃撃戦の末に殺害したとのこと。米国時間で日曜の深夜に突然発表された、文字通り寝耳に水の出来事だ。


 ところで、ビンラディンが行ったことと、今回アメリカが行ったことは何が違うのか? 無差別に大量の人を巻き込んだか、特定の人物にターゲットを絞ったか、それだけではないか。広場で歓喜するアメリカ人の姿には、 どうも違和感がある。

 一神教では自分の信じる価値と異なるものは文字通り異物として、絶対悪として排除の対象となる。この辺り、伝統的に多宗教・多信仰で"八百万の神"を自然と受け入れていた日本人には感覚として理解が難しいところだ。一神教では自分の価値観を否定するものは敵となる。だから憎しみは終わらないし、これで戦いも終わらない。その意味ではこれまでビンラディンが行ってきたことと今回アメリカが行ったことは、本質的にはまったく同質のものだ。最後にTwitterで見かけた言葉を引用。

 あのビンラディンが最後の一人だとは、ボクにはどうしても思えない。今後も世界で混乱が続けば、地球のどこかに第二、第三のビンラディンが現れるかも知れないよ。

2011年4月22日金曜日

日常に満ち溢れた有害なものたちと

 今日はSS(防除機)の外装を特別なクリーナーでひたすら洗浄。SSの表面には大量の農薬がこびりついてますが、それを酸性の洗剤で溶かして落とします。この洗剤は強力で肌につくとピリピリするし、溶けた農薬もはねてきます。今私の体には基準値以上の有害な何かが付着していること必至です。

 私は外で洗浄でしたが、工場の中では別の人がひたすらラッカーで塗装。シンナーやトルエンの匂いが充満し、時たま「ずっと中にいると具合が悪くなる」と言って外に空気を吸いに来るほど。ウチに限った話ではないでしょうが、工場の現場では体に有害なものが満ち溢れています。
 農薬、シンナー等の有機溶剤、水銀等の重金属、排気ガスや電磁波、環境ホルモン、アスベストとか、果ては放射能まで、人間は有害なものに囲まれつつも、そのデメリットを超えるメリットを生んでここまで来たのだなぁ、と何となく思いました。メリットが勝っているおかげで、ここまで人の平均寿命は延びてきました。
 リスクを取ってメリットを生む。例えば農薬なんて、短期的に見れば放射能より有害でしょう。それでも農薬は分解が早いので消費者の口に届く頃には無害になっている(はず)。でも放射能はモノによっては無害になるまで数万年かかる。その覚悟の上でリスクを取っていたかと言われるとそうでもない。
 経済を効率的に回すためにリスクが見過ごされるのが資本主義の歴史の常。じん肺も、光化学スモッグも、水俣病を始めとする四大公害病も、アスベストも、今回の原発事故もそう。ただし今回はリスクの影響期間がちと長すぎます。直接その物質を摂取した人だけでなく、子孫にまで影響大なわけですから。リスクを見逃していました、で済まされる問題ではないでしょう。
 短期的に体に害のある農薬や酸性の洗剤、シンナー等に囲まれて仕事をしていた今日、作業しながらぼんやりとそんなことを考えてました。結局、有害なものは日常に満ち溢れているのだから、リスクを認識して許容範囲を決めつつ、メリットを生み出して生活していくしかないんでしょう。でも、放射能ばかりは困ったなぁ・・・。
 まとまらないからここでやめ。

2011年4月11日月曜日

選挙戦について思う

 今回の選挙で開票が始まった頃、Twitterで@hitononaka氏が以下のようなツイートをしていたのが目に止まった。

60代以上は戦後の復興を体験してるし、50代は復興を発展させた。つまり「俺たちが日本を作った」という気概があるから選挙に行く。40代以下は、最初から全て与えられているので気概がない。だから選挙に行かないし考えない。あっても「危機感」の方。これは社会構築課程上の問題なんですよ。

 今回の震災では「今日と同じ明日がいつものようにまたやってくる」という閉塞感が打ち砕かれたと以前に書いた。今日と同じ明日はもうやって来ないかもしれないし、今日と同じ明日ではまだこの世界に不安や不幸はたくさんある。それらは決して無くなりはしないだろうけど、それらを減らして安心や幸福を少しでも増やせる世界にしていかなければならない。それが変革ということなのだろうし、直接的には復興ということなのだろう。そのためには、我々若年層も「これからの日本を支え、築くんだ」という気概を持たないといけない。その意味で、まずは選挙に対する意識を高めることは必須だと思う。そして、選挙に行くために常日頃から政治の世界にも気を配ることも。
 それとは別の議論として、現状の日本での間接民主制における情報後悔とその共有システムについてもTwitter上で話をした。こちらは@hsuenobu氏と。今の日本では現実的に直接民主制は取れないので、間接民主制の体裁を取っている。だが、その前提としては民の代表たる議員を選ぶ際に、我々が正しく選択を行うための情報があることが必要となる。理想を言えば選択のために必要な情報が透明に平等に用意され、情報の偏差がない状態を前提とする。ところが現状では地元候補者に投票する際でさえ、誰がどんな考えを持って何を言っているのかは余程意識的に情報を集めないとわからない。それも日本ではネットでの選挙活動が解禁されていないから、市報やらたまたま巡り合わせた街頭演説やら、たまたまニュースや新聞で見かけた過去の活動から判断するしかない。選挙カーなんて名前を連呼するだけでまともな判断材料なんてくれやしない。そんな偶然性に大きく左右される情報偏差が多い状態で、間接民主制の真意たる正しい選択ができるのだろうか。この状態で、我々は情報を基に自分の意思で自分の代理人を選任していると言えるのだろうか。もちろんまずは選挙には行くというのが大前提ではあるが、選挙に行ったとして我々は真に自分の意思で選択していると言えるのか、という問題がそこにはある。本当に判断するための情報がまず揃わないのだから。この点を改善しないことには、間接民主制は意味を成さない。
 そのためにやるべきことは色々あるけど、まずはネットでの選挙活動の解禁は最低限やらないといけないのではないか。それによって平日仕事している時間内に行われる選挙演説や情報量の少ない公の上の広報と比べると、格段に情報の手に入れやすさが容易になる。ネットは拡散性と伝染性(こちらが問題だ)が非常に強いのでそれによる別の弊害は考える必要はあるが、情報のオンデマンドな入手が可能になる点と、やりようによっては双方向な情報のやり取りが可能になる点は大きい。政治家の方々としてはネット活動の解禁によってこれまでの活動手法が通じなくなり、何が起きるのかわからないので恐ろしい、という面があるのだろうが、我々が受けるメリットは大きい。
 もちろんそれだけで情報偏差がなくなるわけではないし、選挙戦だけではなく通常の国家運営についても情報の透明性は確保される必要があるので、課題は山積している。今回は震災直後の選挙戦ということで思うところは多かったが、国にも、民にも改善すべき点はたくさんあるという曖昧な結論を出し、そろそろ眠りに就くことにする。