2011年11月29日火曜日

今だから考えさせられる『COPPELION』

 ヤングマガジンで連載中のマンガ『COPPELION』をレンタルしてきて11巻まで一気に読了した。お台場原発がメルトダウンを起こし廃墟となった東京で、遺伝子操作を受けて放射能への抗体を持った少女が生存者の救出に向かうアドベンチャー。当然震災前から連載が始まった漫画だ。さすがに震災後であればこんな内容のマンガは新規連載開始とはならなかっただろう。

 『COPPELION』は爽快で涙もあり、とても面白いけど正直深い話ではない。けれど、震災後の今読むと色々と考えさせられる。セシウムやストロンチウム、中性子等の性質もちゃんと出てきて、ある程度科学的に正しいから尚更だ。もちろん科学的にまったくあり得ないことも出てくるが、まぁそこはマンガの世界。つっこむのは無粋というものだろう。

 挿話的に描かれるのは、震災発生時、放射能漏れを隠して自衛隊に救助をさせ、自分達は逃げ出した政府。事故の実態を隠そうとする電力会社。責任を感じて一人で東京に生存者の理想郷を創り上げる原発設計者や、軽視される安全管理の中で危険を承知の上で現場に残った技術者など。そして一番痛ましいのは、自分の意思で残ったのではなく、逃げ遅れる形で汚染された東京に残されてしまった多数の一般市民。今となってはどれも現実的だ。読んでいるとこの悲劇は福島でも現実にあり得たのだと思ってしまう。

  『COPPELION』を読んでいると、今までなら「まぁマンガの世界だしな」で片づけられる部分がそれで片づけられない。今となっては、恐ろしい程のリアリティがあるからだ。「そんなマンガみたいな」とはよく言うけれど、そう、マンガみたいな世界に、なってしまったのだなと。

  このマンガは震災後は不謹慎との批判もあるらしいし、福島の人から見たら実際精神的にも苦しいのだろうと思う。その人達に対して自分は何も言うことはできないのだけれど、個人的な希望を言えば不謹慎とは言わずに続けさせてほしい。今だからこそ、想像力に働きかける物語でもあるのだから。

2011年11月7日月曜日

上野にて文化の日

 さて、3日から妻子と共に妻の実家である佐賀に盆・正月代わりの帰省という形でお邪魔していたわけですが、今回も妻子は二週間ばかり佐賀に滞在するため、本日一旦自分は一人で新潟に帰ってまいりました。その際、佐賀空港から羽田に飛んで、東京を経由する形で帰ってきたので、まぁ折角東京に来たんだしということで、ちょっと一人で東京で遊んで帰ってきました。

 東京駅から近くて、ノープランでも遊びやすいところとなると個人的には上野になります。美術館も東京文化会館もあって、一年中いつ行っても大抵何かやってるので、東京駅を起点にするなら便利な所。今回もとりあえず行ってみたら西洋美術館でゴヤ展をやっています。ゴヤはクラシックギターで最も重要なレパートリーの一つであるグラナドスに多大なインスピレーションを与えた存在。有名な『着衣のマハ』も見られるということで、これはギター弾きとしては逃すわけにはいきません。まずは行ってきました。

 ゴヤの作品をまとめて鑑賞するのは初めてでしたが、有名な『着衣のマハ』に代表されるように、女性の官能的な魅力やその裏に隠れた闇を描き出した画家ですが、実はそれ以上に世の中の闇に非常に敏感に向き合った人でもありました。それは女性を中心に描いていた頃は女性の魅力と裏腹の恐ろしさ、醜さという形で、後年にはより不気味な幻想世界の描写という形で、現れるようになっていきます。だから彼の作風はエロスに留まらず、次第に時代への風刺とともに強烈なタナトスを織り込むようになっていきます。

 それらの作品群を見ていて感じたのですが、痛烈な教会批判もしたゴヤが、一番疑ってかかって挑んでいたのはやはり神であり、ひいては正義や真理といった概念だったんじゃないでしょうか。そういったものが本当に存在するのなら、何故この世界にはこんなに痛みが、苦しみが、死が蔓延しているのか。彼の作品はそう叫んでいるように思えます。特に晩年近くなってからの不気味に幻想的な作品群からは、そのようなメッセージを強く感じるのです。

 そしてゴヤ展を鑑賞した後は、お腹が減ったので一蘭でラーメン。一蘭のラーメンは久しぶりですが、やっぱり美味しい。有名店の名に恥じないクオリティで楽しませてくれるお気に入りのラーメン屋です。

 ラーメンを食べて満足した後は、東京文化会館へ。この日は東京文化会館の50周年記念ということで、『東京文化会館は音盛り。 ~うえの音楽人フェスティバル~』ということで一日中コンサートが催されていたのです。私は16時からのプログラムに行ってきました。演目はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、モーツァルトのフルート協奏曲第1番K.313より第一楽章、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、上野学園大学管弦楽団の演奏です。この演目でチケ代は2,000円ですから安いもの。上野学園大学管弦楽団は学生と教員が混ざったオーケストラですが、さすが音大のオケだけあってなかなかいい音鳴らしてます。印象的だったのがラフマニノフ。ソリストは何と高校三年生(!)の古賀大路さん。10月にコンクールで3位入賞(?)されたとのことですが、この高校生がなかなか凄い。とても高校生とは思えない深いフレージングで、さすがにまだ少々力尽くではあるものの、それでもラフマニノフに負けずにしっかりと音楽を刻んでいきます。恐らくこのステージにかけての意気込みは強いものがあったのでしょう、最後まで集中力を切らさず一心に弾く姿と音楽は素晴らしいものがありました。演奏後、何度も何度も客席、指揮者、オケにぎこちない礼を繰り返す辺り、まだステージ慣れしていないし、凄く生真面目な人なんだなぁと感じさせて、ちょっと微笑ましくもあったり。まだ高校生とのこと、将来どうなるかわかりませんが、順調に成長していけばいい音楽家になるんじゃないかと思いました。

 そしてコンサートが終わったら足早に上野駅に戻ってそこから新幹線に乗って新潟に帰るわけですが、半日で上野をたっぷりと堪能いたしました。こうしてぶらりといってもたっぷり文化に浸れるところが上野のいいところですね。2011年11月6日、一人で勝手に上野で文化の日をやっていました(笑)。

2011年10月30日日曜日

ジュリアード弦楽四重奏団@黒崎市民会館

 ジュリアード弦楽四重奏団が新潟にやってきました。Lienという新潟大学教育学部音楽科と新潟市西区役所、新潟県文化振興財団が主催し昨年から行われている音楽祭のスペシャル・コンサートという形での実現です。新潟大学と新潟市西区役所が中心となって行われているわけですから、世界のジュリアードが来るのに会場も中央区のりゅーとぴあではなく西区の黒崎市民会館。わずか300席の近い距離感です。ジュリアード弦楽四重奏団が新潟で聴けるという千載一遇のチャンス、逃すわけにはいきません。父母及び4才の上の子と一緒に、ホクホクしながら行ってきました。

 当日のプログラムは以下の通り。

バッハ:フーガの技法よりコントラプンクトゥス1~4
ハイドン:弦楽四重奏曲第57番 ト長調 作品54-1<第1トスト四重奏曲>第1番
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130(大フーガ付き)

 そう、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第番13番を大フーガ付きでやってくれるのです。これだけでも行かないわけにはいきません。実際わずか300席の会場は新潟のクラシックファンで満席状態。黒崎市民会館というややマニアックな会場が、凄い熱気に溢れていました。

 開始前の注目は第1ヴァイオリン。ジュリアード弦楽四重奏団は元々カリスマ ロバート・マンがこの位置で引っ張っていたカルテット。ロバート・マンの引退後、いくつかの変遷を経て今年から若いジョセフ・リンが務めるようになったわけです。当然カリスマであったロバート・マンのイメージが強い第1ヴァイオリンを、この若い(何と1978年生まれで自分より1つ下!)のジョゼフ・リンがどう務めるのかというところが気になっていました。

 いよいよ演奏が始まります。まずはバッハのフーガの技法。弦楽四重奏版は普段はジュリアードの教え子であるエマーソン弦楽四重奏団のテンポ早めでスリリングな演奏で聴きなれているこの曲。ジュリアードはそれよりも穏やかに、ゆったりと入ってきます。全編堅牢な対位法で描かれた究極のバッハイズム。第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラと入っていき、最後に注目の第1ヴァイオリン ジョゼフ・リンが音を出します。その瞬間、彼にロバート・マンの後釜が務まるのかという失礼な疑念は吹き飛びました。同じカルテット内の他の3人と比べても圧倒的な音の存在感!とてもなめらかで澄んで艶のある、それでいていやらしくない素晴らしい美音のヴァイオリン。ロバート・マンの後釜どころか、音楽的にもしなやかにリズムを支配しながら他の3人を引っ張っていくリード力。さすが若くしてジュリアードの第1ヴァイオリンに抜擢されるだけあって物凄い才能です。4声部が対等に展開するフーガの技法ですら思わず彼のヴァイオリンを中心に音を追いかけてしまう程の強烈な存在感にはただただ敬服しました。

 そして次のハイドンがまた素晴らしかった。この曲は音楽構造的にも文字通り第1ヴァイオリンが他のパートをリードする形で引っ張っていく弦楽四重奏曲。最初の和音からアクション大きめ、気持ち良さそうな表情で入ってくるジョゼフ・リンのヴァイオリンがとても魅力的に響く、のびのびとしたとてもいい演奏です。きっと彼、この曲好きなんでしょうね。まったく金属的なか擦音がない美しい音色で、音楽のリズムに乗って自由にしなやかに聴かせてくれました。正直、ハイドンの弦楽四重奏曲にはあまり期待していなかったのですが、この演奏は本当に気持ちよかったです。

 そしてこの前半、一緒に連れて行った上の娘は世界のジュリアードの生演奏を聴きながら、おばあちゃんに抱っこされて気持ちよさそうに眠っておりましたとさ・・・。なかなか贅沢なBGMでのお昼寝です(笑)。まぁ、弦楽四重奏版のフーガの技法は夜に寝る時のBGMにもよくかけますから、条件反射的なものもあったのかもしれません・・・。

 後半は最大のお楽しみ、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番の大フーガ付きです。これもやはり第2楽章楽章などではデモーニッシュな低音から艶のある高音まで駆け抜けるジョゼフ・リンのヴァイオリンの音色に酔いつつ、見事なアンサンブルで進んで行きます。そして美しいカヴァティーナの音楽を堪能した後に始まる。大フーガ。最初の和音からいきなりびっくりしました。全員が今日のコンサートの中でそれまで出していなかった一番のフォルテッシモ!プログラム全体の中で、ここまで最大音量を出さずに温存しておいた驚異の構成力。この入りでまず持っていかれました。本日の演奏を通じて初めて、ジョゼフ・リンのヴァイオリンが金属的な音を(ほんのわずかですが)立てるくらい強烈な音量での入りに、すっかり意識はステージに釘付けです。混沌すらも構造に取り込んだ、目まぐるしいフーガがグルグルと渦巻くようなこの曲。中間部の暖かい間奏部分での美しさとの対比も凄まじく、夢中で聴いている間にあっという間の15分が過ぎて行ってしまいました。最初の大音量から紡ぎ出される、緊張感と迫力に溢れた大フーガ。素晴らしかったです。

 アンコールはハイドンの弦楽四重奏曲第28番 作品20-1、いわゆる『太陽四重奏曲』よりヴィオラのサミュエル・ローズ曰く「ゆっくりの楽章」(笑)。これもまたゆったりと伸びやかで美しい演奏でした。また最後弦の余韻がホールの残響で美しく消えていく中、ゆったりと下ろされるジョゼフ・リンの腕が下がりきるまで静かにその余韻を味わっていた聴衆のマナーのよさもよかったです。やはりこういう綺麗な曲は、終わってすぐ拍手でドーッとやるのではなく、余韻も楽しみたいところですよね。そしてもう終わりだろうと思っていたらアンコール2曲目はまさかのストラヴィンスキー。弦楽四重奏のための3つの小品より第2曲目。サミュエル・ローズは「この曲はピエロの動きを表した曲」と説明してくれました。初めて聴く曲でしたが、これまでの音楽とは一気に打って変って描写的で現代的な響きの曲。ストラヴィンスキーとしてみても前衛的な部類の音楽です。最後不可解な終わり方をしてニヤッと笑うジュリアードのメンバーに一瞬遅れて満場の拍手。最後をなかなか面白く締めてくれました。

 ところでアンコール2曲目に入る前、「もうないだろう」と客席全体がお帰りムードになり、自分たちも一回席を立とうとしました。そんな中再びジュリアードがステージに戻ってきて演奏配置についたものだから、皆あわてて座ります。そしてサミュエル・ローズがしゃべろうとしたその瞬間、ウチの娘が「早く帰る!」と声を上げたのです(苦笑)。拍手が鳴り終わりそうな時に出されたその声は会場中に響いて笑いを誘い、サミュエル・ローズも娘を見て笑っていましたとさ・・・。どうもスイマセン・・・。

 総じてたった2,000円でこんなにいい思いしていいのかというくらい素晴らしいコンサート。一緒に行った父(大体コンサートの後はまず一つ二つの苦言から入る)も珍しく手放しの絶賛でした。ジュリアード弦楽四重奏団、また聴いてみたいものです。今度はバルトーク聴きたいなぁ。そうでなければベートーヴェンの15番とか。いいだろうなぁ・・・。

 ところで今回のジュリアード弦楽四重奏団の新潟コンサートを実現したLien(フランス語で絆を意味するそうです)という音楽祭、こういう試みは素晴らしいですね。大学と自治体が連携して、地域に密着した形での大企画。この音楽祭では学生もステージに立つ機会もあるし、外部の一流の演奏家と触れる機会もできるし、企画や運営に参加するのはいい経験になることでしょう。そして何よりそういった地元の学生の演奏や、世界の一流の演奏が地域でたくさん開催されることは市民の文化的喜びにもつながります。こういった地域の学生にも住民にも嬉しい音楽祭は是非もっと増えていくといいなと思います。できる限り、聴きに行くという形ででしょうが応援したいものですね。

2011年10月24日月曜日

『いまだから読みたい本-3.11後の日本』 坂本龍一+編纂チーム著編

 坂本龍一+編纂チームによる『いまだから読みたい本-3.11後の日本』読了。3.11後の今だからこそリアリティが感じられる過去のテキストを盛り込んだオムニバス。さすが坂本龍一達が厳選しただけあって、感情面や論理面で確かに3.11後の今この世界だからこそ感じられる文章が集まっている。

 少なくとも、3.11後に国や東電に「だまされた」と声高に叫んでいる人達は、この中の伊丹万作による「戦争責任者の問題」だけでも読んでみるべきだ。戦後、日本の国中に「国にだまされた」という空気が漂っていた、その時代の鋭い考察はこの3.11後の日本でもそのまま当てはまる。

 その他、管啓次郎の「七世代の掟」は、そのまま短いスパンでの利益のみを求める現代資本主義社会-それは当然原発利権も含む-への強烈な警鐘となるだろう。直接の被災者の方々は「先住民指導者シアトルの演説」に涙するかもしれない。確かに3.11後に読むべきテキストが集められた一冊だ。

 それにしても、坂本龍一がさらなる参考図書としてレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』や中沢新一のカイエ・ソバージュのシリーズを挙げているのはさすがの慧眼。私自身の思考体系にも大きく影響を与えたこれらの書だが、確かに3.11後の今の世界でこそ読み直され、見直される価値がある書だと思う。

2011年10月23日日曜日

サイトウ・キネン・オーケストラ バルトーク・プログラム

 本日は録画していたBSプレミアムシアターのサイトウ・キネン・オーケストラ バルトーク・プログラムを観ました。演目は『中国の不思議な役人』と『青髭公の城』。小澤征爾が振る青髭公もよかったけれど、本当に凄かったのは『中国の不思議な役人』。あのシュールで鬼気迫るバレエと、そこに見事に絡まる音楽に釘付けです。

 少女ミミを演じていた方、お名前を失念してしまいましたが(確か井関佐和子さん?)実に艶めかしく表情豊か。ギリギリの緊迫感を持つ音楽の中、一際輝く舞を魅せてくれました。これまで音楽でだけ聴いていた『中国の不思議な役人』の曖昧なイメージを一気に吹っ飛ばして、凄くシュールで官能的な世界観を植えつけられた感じです。

 以前BSで春の祭典を観た時にも思ったけど、バレエ音楽って音楽だけでも楽しめる曲が多いけど、やはり実際に踊りが付くとその魅力が全然変わりますね。視覚的に楽しめると、そこに絡まる音楽の意味と魅力もまた変わってくる。バレエ音楽はやっぱり舞台を見てみるべきなんですね。『ペトルーシュカ』とか『くるみ割り人形』とか観てみたいなぁ・・・。

2011年10月10日月曜日

クラシックギター部50周年に寄せて

 私が大学時代に素晴らしい時間を過ごした立命館大学クラシックギター部が創立50周年に当たるということで、昨日10月9日、それを記念するイベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』が梅小路公園の緑の館イベント室で開かれていました。まぁクラギタ創設50周年のイベントで、何故に部全体ではなくフラメンコ技術部による主催なのか、じゃあクラシック技術部どうした!? 的な思いは少々あるものの、あまり細かいところは敢えて突っ込まずに(笑)。50周年という節目にこういった大きなイベントを開く元気がクラギタにあることは素直に嬉しく感じますし、昨日のイベントにも行きたかったのですが会場は当然京都。今自分は新潟に在住なので、なかなか気軽にお出かけするわけにもいかず、少し羨ましい気持ちともに新潟から眺めていました。

 それでも「せめて」と、当日にかつてのクラギタの機関誌『六弦』が復刻・配布されるということで、そこに向けてささやかながら一筆寄稿をさせてもらいました。昨日、無事にイベントも終わったとのことですので、その寄稿文をこの雑記帳でも公開したいと思います。

『ギター、音楽とともに』

1999年度クラシック技術部長 小林 歩

 この度は素晴らしい時間を過ごした思い出深きクラシックギター部が同好会発足より50周年を迎えるということ、おめでとうございます。やはり自分が大切な時間を過ごしたこの部が、順調に発展して長い歴史を創り上げていっているということは、OBの身としても純粋に喜ばしいことです。その喜ばしさにまかせて今こうして六弦への寄稿を書こうとしているわけですが、もう卒業して10年にもなる私の今の、ギター、あるいは音楽に対する思い、そしてその大学時代から変化について、自分への確認の意味も含めて書いていきたいと思います。

 今あらためて思い返してみると、我ながらクラギタでの活動は非常に一生懸命にやっていました。毎日BOX412に通い、一日何時間もギターを弾いて、定演のためにAアン用の合奏曲をオーケストラ譜から自分で編曲したりして、とにかくギター漬け、音楽漬けの日々を過ごしていました。もちろんそれが苦行などではなく、やって楽しいからこそやっていたわけで、素晴らしい仲間達に囲まれていたこともあり、非常に充実した大学生活を送っていたと思います。ですが、だからこそ、当時思い悩むことがありました。

 それは自分が社会人になった後のことについての悩みでした。今自分はこうして一生懸命ギターの練習をして頑張っているけれど、社会人になって仕事が忙しくなってくると、やはりギターを弾く時間というのはなくなってくるのだろうか、それならば今自分がやっていることに何か意味があるんだろうかという悩みでした。確かに、探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。ですので、就職活動が始まり、大学から社会への出口がいよいよ実感されるようになってくるとこの悩みはより一層大きくなって行きました。今自分がやっていることは一体何なのだろうと。社会人になってギターが弾けなくなるのなら、今やっていることは結局すべてムダになるのではないかと。

 そんな最中、私が4回生の6月のことでした、たまたまBKCに行っている時に、あるクラギタのOBの方にお会いしました。その方は当時で25年ほど前(だから今から35年くらい前でしょうか?)に立命のクラギタでコンサートマスターをやっていた方で、たまたま仕事でBKCに来て、ギターを弾いている私をみかけたので声をかけてきてくれたというのです。その方は大学卒業後もずっと自分のためだけに演奏し続けているそうで、ギターから発展してリュートや特注の10弦ギターも弾いているそうです。卒業後もずっと、ギターを楽しんで弾き続けておられるその方から名刺をいただき、私も付箋に名前やメールアドレスを書いて交換させてもらいました。後日、その方からすぐにメールをいただきました。その中に、「どうか一生ギターを弾き続けていただければと思います」と書かれていたのを読んで、当時なんだか嬉しくなったのを覚えています。卒業後25年も経っても、ずっとギターを弾き続けて楽しんでいる人がOBの方の中に実際にいらっしゃるのだとわかり、とても元気づけられました。

 そして卒業の時が来て、私は当時のブログの中で「一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから。」と宣言しました。ギターに費やしたたくさんの時間を無駄にしないためには、やはりBKCでお会いしたOBの方のように、仕事をしながらでも、細く長く続けていくことだというのが当時の自分の解答でした。

 そして今、卒業してちょうど10年が経っています。現状を正直にお話しすると、仕事が忙しいこともあり、さらに子供が生まれてからは家にいても子供と過ごす時間が増えてきたこともあり、現時点でほぼ3年、ギターをまったく弾いていないブランクが空いています。でも、今はそれでもいいかなと思っています。学生時代の自分には怒られるでしょうが、ギターを仕事として生きていくわけではない以上、やはり人生のステージにおいてギターの優先度を下げなければいけない時期があるということが、今になり実感としてわかるからです。それでも、ギターを一生懸命弾いているうちに音楽がさらに好きになり、そしてギターを通し音楽について、表現についてより深く考えたおかげで、音楽を聴く際にもより深く聴けるようになりました。だから今、ギターを直接弾きはしないけれど、音楽を聴くことをクラギタ以前と比べてより深く、より大きく楽しめています。これだけでも、クラギタで音楽に深くかかわり続けた日々は無駄ではなかったのだと思います。

 とはいえ、このままもうギターを弾くつもりがないのかと問われれば、当然そんなつもりもありません。もう少し仕事や子育てに余裕が出てきたら、その時はまた、少しずつギターを弾いていきたいなと思っています。そして、音楽を聴く喜びとはまた少し違った、自分で奏でる喜びをささやかにかみしめていけたらと思うのです。大学時代師事していた尚永先生が「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど、最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」といつかのレッスンで話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でも、ギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。今あらためて胸に響きます。だから皆さん、うまいへたもいいけれど、是非ギターをずっと楽しんでください。弾く楽しみ、聴く楽しみなど、楽しみ方は色々あるでしょう。その楽しみを生涯の友とできたら、クラシックギター部で過ごした時間はとても有意義なものだったと言えるのではないでしょうか。OB/OGの方々の中にも、私と同じように今はギターを弾くことから遠ざかっている方もいらっしゃるかと思います。今弾くことから遠ざかっているならば、聴く楽しみを、そして、また少しずつでも、弾く楽しみを。様々なライフステージにおいて、楽しみ方は変わる時もあるでしょう。せっかくクラシックギター部にいたのです。一生、ギターを楽しんでいきましょう。

2011年9月11日日曜日

10年目の9.11、半年目の3.11

 今日は2001年に起きた9.11同時多発テロから10年目となる節目。昨晩BSプレミアムでやっていたステーヴィ・ライヒの『WTC 9/11』も、この節目に合わせて発表された曲だ。2001年9月11日当時、自分がどんな思いでこの事件を見ていたのかは、完全にではないにせよ当時の雑記帳のエントリー『崩れゆくWTC』からうかがい知ることができる。細々とでも長くブログを続けている意味は、例えばこんなところにあるのだね、と実感した次第だ。

 話を戻して、当時のエントリーを読んで、あのWTCが崩壊する映像が、これまでの資本主義社会の崩壊を暗示しているように思えてならなかったことを思い出した。実際はその後も資本主義は膨張し続け、2008年9月のリーマンショックを経ても尚、傷は追ったもののその基本原理は揺るがずにいるわけだが。当時社会人一年目、波乱の新製品開発プロジェクトに投入され、資本主義の厳しい側面を新鮮に感じていた自分にとって、その資本主義経済の象徴とも言えるWTCがイスラム原理主義者のテロによってあっさりと崩壊していく様は、何かしら暗示的なものを感じさせたのだろう。そこから始まった"テロとの戦い"という名目の戦争では、毎日帰宅するとテレビをつけ、夜の爆撃の風景を、時に鳴り響くサイレンの音を、ずっと聞きながら眠りに就く毎日がしばらく続いた。

 もしかしたら、この9.11を境にこの世界が変わるかもしれない。どう変わるのかはわからないにせよ、そんな期待を抱きながら、その遠い国の非日常の映像を眺めていたのかもしれない。でも、短期的な心情としてはともかく、長期的な結果としては9.11以降も自分の周りでは何も変わらなかった。これまで通り渋谷に通って仕事をする毎日だったし、ブッシュが、小泉が、大きな声で国を引っ張る世界だった。9.11は、少なくとも自分の目に見える範囲での世界は、何も変えなかったんだなという曖昧な失望とともに、この日の衝撃は時が経つに連れ日常の中に溶けて消えていった。こう書くと、憤慨する人も多いだろうけれど。

 ただ一点、自分が資本主義、ひいては一神教の限界を見て、崩壊を感じたのはあの9.11の映像からなのかもしれないなと、今、当時の自分の言葉を見ていて感じた。一神教の強固な価値観と推進力は、例えばWTCのような大きく象徴的な建造物を生み出した。でも、それはまた別の一神教的価値観によりあっさりと崩されていく。排他的価値観同士による破壊と創造の無限ループを目の当たりにして、それが急に虚しく感じてしまったのかもしれない。この一神教の限界の超克というテーマが自分の中に発生した契機は、これまで自覚はしていなかったものの、もしかしたらこの9.11にあるのかもしれない。そう考えると、自分の目に見える外の世界はともかく、自分の中の世界には、やはり9.11は大きな変容をもたらしていたのかもしれない。

 そして今年の3月11日、東日本大震災が発生した。奇しくも今日はこの日からも半年の節目に当たる。この衝撃は、同じ日本で起きた分、そして原発事故という二次災害も発生してしまった分、やはり外国の9.11よりは直接的に大きな影響を自分にも生活にも与えた。地震が発生した当時はちょうど仕事中。事務仕事をするのにPCに向かっていた時だった。揺れが来た瞬間、「これは大きい!」と思った自分はPCの画面を瞬間的にEXCELからTweetDeckに切り替え、「地震だ、大きい!」とツイートした。そこから目にしたのは、TLが地震一色に染まる異様な光景。広範囲にわたる全国の人が、皆「揺れている!」と騒いでいる。そんなに大きい地震なのか?と戦慄したのを覚えている。

 そしてそこからのTVとTwitterの混乱ぶりと地獄絵図。津波が畑や民家を押し流し、最後川の堤防に当たって盛り上がってまた溢れていく光景は、正直あまりに現実味がなくて「これは何の映画だ!?」と思ったものだ。そして間断なく起こる余震、燃え上がるコンビナートや気仙沼の光景、次々明らかになる原発事故の詳細、すべてがあまりに現実離れしていて、逆に感覚が麻痺したような心境になった。この3.11について雑記帳のエントリーは、気持ちに整理が付かずにずっと書かないでいた。それでも2週間後に一度エントリーを書きかけはしたのだが、途中で筆が止まったまま、今でも下書きのまま保存されている。消化できないのだ。この出来事も。

 それから半年がたった今、改めて考えてみると、とても不思議な気分だ。「もう半年か」よりも「まだ半年しか経ってなかったのか」という気持ちの方が強い。3.11はもう随分昔に起きたことのように感じる。あの震災は、具体的な生活レベルでも確かに多くのものを変えた。だが、その変わったものの多くは、早くも生活として定着してしまっていて、あたかも昔からそのような暮しであったかのような感覚で既に馴染んでしまっている。これは、自分が直接被災していないから言えることで、本当に被災した方々にとってはひどく失礼な言い分であることはわかっている。だが、実感として、震災後の世界は既に震災後の世界として日常になってしまったのだ。それは記憶の風化ではなく、変化への対応だと思いたい。いつまでもショックを受けたままでは、心が被災したままでは、日常は、暮らしは、立ちいかないのだから。

 3.11は現時点で具体的な生活レベルのあれこれを変えた。その意味での影響力は明らかに9.11よりは大きい。では、この3.11は自分の心には何を起こしたのか。これは、実はまだ見えていない。9.11の時ですら、10年経った今、当時の文章を読み返してみて「もしかしたら9.11は自分に資本主義の限界を悟らせたのかもしれない」と思い至る程度だ。まだ、近すぎて3.11の影響は見えてこないのだろう。目の前1cmのところに物を置かれても、逆に近すぎて何が置かれたかなんてまったくわからないように。

 9.11から10年目で3.11から半年目の今日、改めてそれぞれの出来事について少し思いを巡らせてみた。この、2つの大きな歴史上の出来事は、私という個人には果たしてどういう意味をもたらすのだろうか。あるいは、何も、もたらさないのだろうか。