2001年2月27日火曜日

ドタバタ

 どうも日記の更新も一週間滞り、BBSへの出没も少なくなっていた私ですが、先週は何かと色々ゴタゴタしていまして・・・。どうも申し訳ない。で、土曜日日曜日と東京・横浜を4月からの下宿の契約の問題もあって徘徊してまして、日曜の夜に実家に帰った瞬間から見事に熱を出して寝込むというお決まりのパターンがまたもや・・・。とりあえず落ち着きはしましたが38度台中盤の熱は健在。回復にはもう少し時間がかかりそうです。

 そう、新潟昨日今日となかなかハードに雪が降ってましてね、その影響かわからないのですが、実家ではPHSが使えなくなっているのですよ。夏は問題なく使えたんですけどね・・・。圏外表示がされてるわけでもないのに全然つながらん。私は雪が電波を乱しているのだと勝手に解釈しています。おそるべし、雪・・・。

2001年2月20日火曜日

寺田屋拝見

 今日は比較的暖かい日で過ごしやすくてよかったですね。私は今日、寺田屋を見てきました。あの坂本竜馬が寝泊まりした寺田屋です。といっても中に入ってみたわけではなく、建物を外から眺めて「お~、これかぁ~」とか思ってきただけですけど。寺田屋の場所がもっと早くに正確にわかっていたなら、夏にオサルさんが坂本竜馬を巡る旅をして京都に来た時案内してあげられたのになぁ・・・。

 さてさて、『何もない未来へ』の第五章、アップしました。ついでに第四章、早速ですがちょいと手直しが入りました。とりあえず書けるうちに書いときます。今日なにげにエンディングまでの構成を計算し直してみたら、まだ実は結構書かなければいけないことが判明。東京に行く前に書いておかないと、また一年とか続きを書かずにいそうなので、できれば京都にいる間に完成させたいのですがどうなることやら・・・。

2001年2月19日月曜日

尚永ギター教室発表会

 今日は私やそりすとに2000年度C技(KIC)、京大の聖帝殿が師事している先生の教室の発表会があり、当然私もそりすともそれぞれ『ブエノスアイレスの夏』と『サンバースト』で出演してきました。私は朝会場に行く時スーツの上着と革靴を忘れ、会場(子供文化会館)でそれを指摘され、急いで家に取りに帰るという悲惨な目に・・・。しかも一旦家に帰って上着と革靴を取り、セブンイレブンで買い出しをして一旦円町を過ぎた辺りまで来て、私はふと大事なことに気が付きました。「あ・・・、ベルトも忘れてる・・・」。泣く泣くそこからまた家に取って返し、ベルトを手に「今度こそ大丈夫だな!」と確信し自転車置き場に行きました。ところが!・・・今度はそれまでしていた手袋を部屋に忘れてきてしまっていたのです(爆)。私は「あ~、もう!」と焦りながらまた部屋まで上がりましたとさ。やれやれです。

 演奏の方はまぁ細かいミスはそらありますが、大方無難に弾けたのでとりあえずは及第点かなと?ただし総じて粗さが目に付きました。まぁ今回は定演で弾いた時とはちょいとバージョンを変更しまして、『ブエノスアイレスの夏 ayumバージョン(別テイク)』って感じのものにして弾いてました。細かい変更なんですけどね。部分的に和音をアルペでばらしたりカッティングのリズム変えたり終わりのハ-モニクスの出し方変えたり中間部の運指変えたりテンポの揺らし方変えたりした程度です。こう書くと「結構変えてるじゃん」とか思われそうですが、実際聞いてみれば案外そうでもありません。下手すりゃ変わってることにも気付かないでしょう。そんなものです。演奏会終了後、元合奏団のYさんに「よかったよ」と言ってもらえたのはちょいと嬉しかったですね(まぁ社交辞令かな?)。演奏会後、京大の聖帝殿と共に3月の喫茶アルハンブラでのコンサートに乗り込む決意を固め、今日の演奏会は終了しました。ちなみに金がなかったのでコンパは行けませんでした(苦笑)。やれやれです。

 そう、そして一部の皆さん(日本語おかしいな?)お待たせしました。一年以上もブランクが空きましたが、『何もない未来へ』の続きをアップしました。そして今回のアップで『何もない~』を正式にNOVELの方にアップし直し、第一章を少しだけ修正しておきました。最初から読みたい方はNOVELから、第四章から読みたい方はこちらから行ってください。私に早く書けと言ってくれていた皆さん、申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。しかしこの小説、試しに文字カウントしてみたら第四章までの時点で15,000字。卒論より長いじゃねーか・・・(爆)。

2001年2月17日土曜日

パラサイト・シングル考と『Tango Zapateado』

 最近比較的ものを考える機会も増えているので、ちょっと折に触れ私が考えたショートショート・エッセイを数編。特に深く考えたわけでも推敲を重ねたわけでもないので、色々と手落ちもあるかと思いますが、とりあえず生のままの素材をお届けしましょう。

『パラサイト・シングル考』

 一昨日から今朝にかけてと朝日新聞の朝刊でパラサイトシングルに関する特集をやっていた。数名のパラサイトシングルと思われる人達の生活と言葉を載せるというものだ。

 ところで、パラサイトシングルという言葉はご存じだろうか。その定義は2/14付けの同特集によれば「成人し、仕事を持っても親元を離れず、経済的にも家事等の労力の面でも」親に依存する人ということになるらしい。私の記憶が正しければ、従来その定義に「結婚もせず」というものが入っていて、故に「パラサイトシングル(親に寄生する独身者とでも訳すのか)」という言葉が生まれたはずだ。この言葉が社会問題として取り上げられる場合は「自立できない成人」が問題になる。就職して給料をもらっても家を出ることもなく、家にお金も入れないか入れてもわずかで、家事等も親に負担をかけ楽をする成人というイメージが社会問題として取り上げられるパラサイトシングルなのだ。だが、例によって作り上げられたイメージというものは実際とは異なることも多いもので、今回の特集では病気の親を看病しながら生活費を稼ぎ、結婚する余裕もなかった人等も紹介されている。端から見れば「パラサイトシングル」に見えても、この場合実際は「パラサイト」という言葉とは程遠い。もちろん、イメ-ジ通りのパラサイトシングルももちろん取り上げられている。稼いだお金は全部自分のお金、生活費は親まかせというものだ。中には「結婚式や新居の費用も一部援助してもらえると思っていた」という人もいる。成人の自立という問題について考えさせられる。

 ただ、そうしていわゆる典型的なステレオタイプ通りのパラサイトシングルを自立ができていないと非難し、問題視するのは簡単だが、私も実際自分のことを考えてみると胸が痛いものがある。今は学生である。私は仕送りをもらえていて、学費から生活費まですべてを稼ぐ必要がないという意味ではそれらすべてを自分で稼いで大学生をやっている人達にくらべればはるかに恵まれている。だが、ふと「これはどうなのだろう?」と思った。あまりに当たり前だったのだ、仕送りというものが。これは事実上「パラサイト」ではないのだろうか。「まだ学生だから」と割切るのは簡単だし、実際「今大学生です。仕送りもらって生活してます」と公言したところで別に世間から白い目で見られることはないだろう。だが、私も今年で24才。この歳ですでに社会に出て稼ぎを得ている人間は多い。だというのに私は未だ親からの仕送りをメインに生活しているのだ。それでも親元にいて毎日親と顔を合わせてられるなら今回の特集でもそう言っていた人がいるように「甘えるのも親孝行」と開き直ることもできるかもしれないが、私の場合そういうわけにもいかない。ただ金のみを吸い取っているわけだ(ちなみにこの「甘えるのも親孝行」という言について、実際親も「いてくれた方がいい」というケースも少なくない。この場合は心理学的に「共依存」と呼ばれる状態が発生していることが考えられ、この状態がいわゆるAC、アダルトチルドレンやアルカホリックチルドレンを生み出すという論も根強いので無視できない問題ではあるが、それをやり出すと長くなるのでまた別の機会があれば)。そう考えると実に質の悪いパラサイトである。

 4月からは就職して働けるのはせめてもの心の救いではあるが、正直生活に余裕があるかどうかもわからず、家に金を入れることができるのかどうか・・・。そう考えると「パラサイトシングル」の自立の問題は自身の問題であり、実際には私と同じような状況にある人も含めれば一体どれだけの「パラサイト」が存在するのか・・・。私のようなケースは敢えて社会問題になるようなものではないかもしれないが、自覚の問題として、あるいはこのパラサイトシングルについての論でよく言われることではあるが「日本人特有の甘えの構造」についての問題として何処か頭の隅ででも考えておく問題ではないだろうか。もちろん自身の問題として考える分には頭の隅どころかより多くの思考スペースを確保してやるべきだ。ただし、私がこの問題を自分自身のこととして考えようとするとあまりに胸が痛いため、このエッセイも敢えて論旨を曖昧なままここで締めさせてもらう事にする。

 ・・・、と続けて『史上最高の演奏家は?』というエッセイを書き始めたのですが、音楽家の時代と近代自我の芽生えやら演奏家の直観による無意識とのコンタクトやらまで話が及んできて恐ろしく長くなりそうだったので止めます。他に『"遊び"と"学び"』、『教育問題と教育者の在り方』、『恋愛論ショート・ショート~バレンタイン編~』、『偶然の拡大』等概要が頭の中で渦巻いているのはたくさんあるんですけどね、止めときます。例によって私は気紛れなので、次はいつ書くかわかりませんので悪しからず。

 とはいえエッセイを数編と冒頭で予告しておいて一編のみというのもなんだか味気ないので、代わりにたった今できたMIDIデータをアップします。曲はスペインのギタリスト兼作曲家のAngel Barrios(『大聖堂』とかで有名な方のバリオスではない)の『Tango Zapateado』。Angelは『グラナダの花』や『トナディージャ』が代表曲なのですが、今回は敢えてこの曲を。私の知る限りこの曲を録音しているギタリストはいないので実際に誰かの演奏は聴いたことがないのですが、何故か譜面を持っていて曲名がやけに気になったので一発打ち込んでみました。だってタンゴとサパテアードが組み合わさったらどんな曲になるのかって興味津々じゃないですか。で、MIDIを作ってみたのですが、そしたらまぁ明るいんだか暗いんだか、カッコいいんだか悪いんだか・・・。不思議な曲です。とにかく滑稽なリズムのオンパレード。まぁ聴いてみてください。そしてこの曲を弾きたいというチャレンジャーがもしいた場合は私まで。譜面コピーさせてあげます。そんなに指は難しくないですよ。中間部のおかしいリズムをどう取るかだけですね、この曲は。ちなみにMIDIは今日2時間程でパッと作ったものなので、どこか間違えてるかもしれませんのでご了承下さい。

2001年2月16日金曜日

社会人への準備

 さてさて、いよいよ入社まであと1ヶ月半といったところになり、今まで比較的のんびりしていた(?)私もそろそろマジで色々と準備をしなきゃなぁと思い始めました。私はシステム開発を主業務とする会社に技術職として入社するわけで、当然プログラムなどしっかり勉強しておかなくてはなりません。しかも評価体系が完全能力給で、年功序列も何もあったもんじゃないので、そりゃ意地でもやらな洒落にならんのです。というわけで遅ればせながら本気で勉強を始めることにしました。1日最低3時間を目処に、まずはVBから始めようと思い、今日は必死でVBと格闘してました。以前に買っておいたVBの入門書、全部で8章ある本なのですが、とりあえず今日1日で最初から第3章まで気合で片付けました。といってもここまではそんなに難しくなかったのですが・・・。まぁこれから難しくなってくるので今日程一気には進みますまいが、とりあず1日1章は潰すつもりで頑張ります。で、1週間でこの入門書を終わらせて、次はもうちょい高度な本を買ってきてVBをやりつつJAVAを見ていこうかなと。まぁ明後日からバイトも始まり、朝10時から夜7時まで拘束されることになるので実際問題そううまくいくかはわかりませんが、ともあれコンピュータ言語でも自然言語でも、本気で身に付けたいならちまちまやるよりは短期間に集中してガーッとやった方がよいのです。このことはかの立花隆も言っています(いや、だからどうしたって言われればそれまでですけど)。わしゃやります。

2001年2月15日木曜日

日雇いバイト

 私のバイトが決まりました。先の日記では警備員をやると書いていましたが、その後ふとしたことからコンピュータ関係の短期バイトで日給1万円のものを見つけ、そこに応募したのです。どうやらやらせてもらえるようで、17日から26日までの適当な5日間で稼いできます。やっぱ私は警備員よりコンピュータ関係の仕事の方が似合ってますよね?

2001年2月14日水曜日

人は増える、ある日の晩餐

 昨日は久しぶりに我が家で非常に大規模な、人工過密状態の飲み会が催されました。といっても、あんなに人が増えたのは結果的にのことで、当初は割にこじんまりとした飲み会のはずだったのです?

 当初の予定では私とジャンクスにPCK、そしてきよの4人が確定の面子で、シノさんとにらめっこが来れるかどうかということでした。それがまずPCKから来られなくなったとの連絡が入り、その代わり(?)てっちゃんが加わり、まずはその4人で飲み始めました。その4人でほどほどに出来上がった頃、突然PCKから連絡があり、「今から行く」とのこと。この時点でおよそ9:00 P.M.。彼が神戸から来るとなると11時近間になります。「本気か!?」と思う我々の心配をよそに、彼はしっかり11時くらいには現れました。そして5人に人数が増え盛り上がっていると、話の流れの中、キムに電話をかけることになります。そして今の状況を説明すると「来る」という。その時既に午前0時前。これもまた本気かと思いきや、しっかり数十分後には「車どこに停めればいい?」とのメールが・・・。そしてキムが来る直前に参加が危ぶまれていたシノさんににらめっこも加わり人数は8人に。ついにしーさんも呼ぼうということになり、深夜1時前に彼女も参加し9人に、最後に忍も呼べとなり、彼も参加して総計10人、久しぶりに私の部屋が飽和状態になるくらいに人を詰め込み、朝までわいわい盛り上がって楽しんでいました。いやいや・・・。しかしこんな馬鹿騒ぎをするのもあと何回あるのでしょう? そんなことを皆帰って一人になってから考えつつ、2月のある日は過ぎていきました。私がこの部屋を去る前、また皆で集まって「クレージー最後の晩餐」を行いましょう。