2006年11月30日木曜日

無題

 寡黙さを、選ぶといい。饒舌であることを蓑としながら。

2006年11月27日月曜日

マタニティ・クラシック

 今日はみなとみらいの方までコンサートを聴きに出張っていました。和光堂が提供している『岡崎ゆみファミリーコンサート』という企画で、応募して抽選に当たれば無料でコンサートが聴けるものです。この企画には通常ならクラシックのコンサートには入れない未就学児童とその親を主な対象とした『ベビー&ファミリークラシック』と、妊娠中の女性とその連れを対象とした『プレママ&ファミリークラシック』があり、今回は後者の方に行ってきたわけです。演奏者の岡崎ゆみ氏『クラシックを聴くと良い子が育つ』という著作もあり、幼児のためのコンサートを各地で開くなど、家族で楽しむクラシックを推し進めるその道の第一人者とのこと。まぁ、たまにはそんなのもいいでしょう。

 ショパン『華麗なる大円舞曲』で始まるコンサート、曲目はやはり聴きやすいものが中心ですが、中にはショパンのエチュード『木枯らし』等、結構聴く側にとってもいかつい印象を与える派手な曲も織り込んであったりするので油断がなりません。ショパンに始まり、ルービンシュタインリストラフマニノフを経由して最後はベートーベンピアノソナタ『月光』にて第一部終了。ちょっと意表を突かれた選曲もありました。

 しかし岡崎ゆみ氏、マタニティ・クラシックという割には結構強気な演奏します(笑)。一曲目の『華麗なる大円舞曲』からしてかなりカツカツに強調されたスタッカートと、随所に聞かれるかなり強烈な打鍵が鮮烈に響きます。えらい主張の強いピアノだなと、そんな印象を受けました。まぁでもなかなかいいです。『華麗なる大円舞曲』や『木枯らし』、『月光』なんかではその強気さがいい方向に出ててよかったです。「これホントにマタニティか!?」というツッコミはありますが(笑)。

 休憩を挟んでの後半はマタニティビクスの実演に始まり(この辺がさすがプレママコンサート)、ソプラノが出てきて『パパゲーノ』や『アヴェ・マリア』を歌ったり、バイオリンが出てきて『ツィゴイネルワイゼン』弾いたり、なかなかバラエティに富んだコンサート内容でした。欲を言えばバイオリン、『ツィゴイネルワイゼン』やるならもっと頑張ってほしかった・・・。まぁ私の中でこの曲はハイフェッツの演奏が非常に強く頭にこびりついてしまっているので、それと比べるのはさすがにかわいそうな気もするのですが。

 というわけで、マタニティ・クラシックを堪能した休日でしたとさ。ちなみに現在胎教・情操教育として、寝る際のBGMを毎夜選定していたりします。例えば、こんなCD達です。

『The Night Music』 アンドリュー・マンゼ指揮イングリッシュ・コンサート
『ルクレール:VN・ソナタ第3番』 グリュミオー
『The Melody At Night, With You』 キース・ジャレット
『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』 グレン・グールド
『モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8・11・15番 <<キラキラ星>>の主題による変奏曲』 クリストフ・エッシェンバッハ

 等です。何故かエッシェンバッハのCDがAmazonでもHMVでも見つからなかったので、比較的内容が近いCDのリンクになってます。


2006年11月26日日曜日

初対面

 今日は午前中、妻と一緒に産婦人科に行った。妻は妊娠5ヶ月。3週間に一度の定期健診で、初めて私も一緒についていった。これまでは妻が一人で通院していたので同伴は初だ。現在のところ経過も順調なので、同伴の目的はお腹の中にいる子供との対面になる。病院に行く度に超音波写真は撮ってもらえるので、写真ではまだただの袋にしか見えない頃から見ているが、実際に動く姿を見るのは当然初めて。嬉しいような恥ずかしいようなおっかないような、そんな微妙に入り混じった気持ちで待合室に座っていた。

 妻が通っている病院は古い個人経営の病院で、最近流行の4Dエコーはない。ので、伝統の(?)2Dエコーでお腹の子供と初のご対面となる。先生が器具を妻のお腹に当てると、画面にぼやっと白黒のグラデーションで曖昧な壁に囲まれた空間が現れる。少し位置を調整していくと、今度はその真っ暗な空間の中に、白く丸い輪郭が浮かび上がってくる。

「これが頭だよ」

 言われるとなるほど、人の頭に見える。「ちゃんと脳みそも入ってるね」とは先生の談。頭の中央にぼんやり見える線がどうやら、右脳と左脳の分け目らしい。そしてまた少し位置を調整していくと、今度は体や、手足が見えてきた。暗闇から白い輪郭が浮き上がってきて姿を見せるその映り方は、何故か「もきゅっ」という擬音を頭によぎらせた。「もきゅっ」と浮かび上がってくるのだ。めそかよ!お腹の子供は手足を上下に小さく動かして、たまに頭を回したりして動いている。先生曰くお腹の中の子供はほとんどの時間寝ているので、動いている姿を見るのは実は意外に難しいらしい。その意味では、今日は運が良かったようだ。でも、見ているうちに眠ってしまって、すぐに動きがなくなってしまったのだけれど(笑)。

 初対面というよりは、まぁどちらといえばのぞきに近い形だけれど、ともあれ自分の子供が動いているのを初めて見た。まだ深く大きな感動というほどではない。けれど確かに新しい命が息づいているんだなと感じた。不思議なものだ。子供。自分の遺伝子と、妻の遺伝子が受け継がれている。どういう形でかはまだ全然わからないけれど。男か女かすら、まだわからないけれど。とりあえず、"実感"という言葉が実体になりつつある。自分は、親になる。どんな子供が、生まれてくることか。まぁ、なんか一癖あるのが出てくることは確かなんだと思うのだけれど(苦笑)。

 というわけで子供が生まれてくるのは、来年5月上旬の予定となっております。

2006年11月24日金曜日

PORT ELLEN - ポートエレン17年 プロヴナンス

PROVENANCE ポートエレン17年
Distillery : PORT ELLEN

Years : distilled in 1982-Winter and bottled in 2000-Winter, aged 17 years

Area : Islay

Bottler : PROVENANCE

Cask Type : Unknown

Product : 43% vol, 700ml

Price : 7,000yen

Remarks : -


 1983年に閉鎖され、もう今後は残っているストック分しか出てこない蒸留所、ポートエレン。「最も閉鎖されるべきではなかった蒸留所」という声も多く、その美しい名前の響きと味わいを惜しむ愛好者は多くいます。今回私が手にしたのは1949年操業の老舗ボトラー、ダグラス・マックギボン社がノンチルフィルター&ノンカラーリングで瓶詰めしているブランド『プロヴナンス』の17年もの。このプロヴナンスは他にも19年、22年、23年、25年、そして23年と25年のジョン・ミルロイコレクションと、執拗なまでにポートエレンをリリースしています。何でも創業者のダグラス・マックギボン氏が最も愛した蒸留所がこのポートエレンだったとか。・・・にしても1ボトラーとしてはストック持ちすぎな気もしますが。また、このプロヴナンスというブランドは蒸留された季節によってラベルの色を使い分けることでも有名。春は緑、夏は赤、秋は黄、冬は青です。今回のポートエレンは瓶にも冬の蒸留と書いてあるので、青いラベルとなっています。

 グラスに注いだ瞬間に、濃い潮の香りに、熟成に使用された樽は公表されていませんが、まぁ濃厚なアンバーの色合いからしても明らかにシェリー樽でしょう、ある程度以上のシェリー樽熟成を経たモルト特有の生醤油のような、しかしマッカランのような甘みはあまり感じない、濃厚ながらもドライな印象を持つ独特の香りが広がります。華やかというのとは違う、重厚でいて、それでいて奇抜な個性も持ち合わせた、落ち着いたアイラモルトの香り。強烈にピートが炊かれたアイラ特有の"正露丸のような"と形容される薬くささが、ラフロイグほどきつくはないにせよしっかりと存在しています。口に含むと、すぐにその香りが口の中一杯に、そして鼻孔の中まで満ちあふれて、まろやかな角のないしょっぱさと、それでいて輪郭がぼやけない枠のしっかりしたシャープな味わいが広がります。そして後口にほんのわずかな麦の甘みと、それ以上の強烈な香りとしょっぱさを残しながら、長く、長く印象を残してなかなか消えていきません。そのどっしりと落ち着きながらも強烈な個性をもった香りと、潮っぽさを常に口の中に感じさせながら最後にほんのわずかな甘みが顔をのぞかせる味わいは、PORT ELLENという優雅で美しい名前に似合わず、そう、まるで晩年のヘミングウェイのような老人が上品で暗いバーのカウンターで一人どっしりとかまえて飲むような、そんなモルトのように思えます。将来、このモルトが飲めなくなるのは確かに惜しい。重厚な個性が素晴らしいモルトです。

 余談ではありますが、このポートエレン蒸留所が閉鎖された1983年はモルトにとって大災厄の年。このポートエレンの他にもバンフ、グレンアルビン他いくつもの蒸留所が閉鎖されています。80年代はモルト大不況の時代で、倒産したり生産の縮小を余儀なくされる蒸留所がたくさんありました。以前紹介したローズバンクが閉鎖されたのは1993年ですが・・・。その後のモルトブームまで生き残ることができなかった蒸留所達。このポートエレンやローズバンクは、確かに閉鎖されるべきではなかった。まったく性格は違いますが、どちらも実においしい、素晴らしいモルトを作ってくれています。これほどのモルトを作る蒸留所が閉鎖に追い込まれる。どの世界でもそうですが、いいものが常に生き残るとは限らない。このモルトを飲んでいると、色々とそんな世界の理不尽さにまで考えがいってしまいます。


2006年11月21日火曜日

晩秋・雨・平日・夜・バス

晩秋の重い霧雨の夜、家路のためにバスに乗る
最終間際の小さなバスに、うつむき無言の人が詰まる
病的に、震えるバスの、蒼白の弱い灯の中で、
立つ人の影がぼんやりと、重なり闇を下に落とす

ずっしりと沈んだ空気の中、引きずるようにバスは進む
人を乗せて、雨を乗せて、重苦しい坂をバスは進む
今日を乗せて、闇を乗せて、湿った道をバスは進む

2006年11月19日日曜日

音楽の指向性と20世紀音楽

 最近、ワーグナーやマーラー、ストラヴィンスキーといった、19世紀後半~20世紀の作曲家の、比較的編成の大きな歌劇や交響曲的なものを改めて真面目に聴いてみている。実は、そんなに好きではなかったのだ。彼らの作品が好きではないというよりは、そもそもある程度以上編成の大きな音楽が好きではなかったのだ。具体的には弦と金管が両方必要になる程度の大きさの編成になると、もう毛嫌いしていた。だから自分でかける音楽は、大きな編成のものでもせいぜいバッハの管弦楽組曲か、モーツァルトのシンフォニーくらい。ベートーベンのシンフォニーは余程気分が乗っていないとかけない。そんな感じだったので、巨大な編成を必要とするワーグナーやマーラーなんて、そもそも真面目に聴こうとすら思っていなかった。例外として、ショスタコーヴィチだけは昔から好きだったのだけれど。

 そもそも、大編成の交響曲や歌劇があまり好きでなかったのには明確な理由がある。それはひとえにそれらの音楽があまりに外向きに過ぎるからだ。音楽は編成が大きくなればなるほど、当然ではあるが自分一人の中に対する指向性だけでは解決ができなくなってくる。それは指揮者に対する指向であったり、あるいは他の楽団員に対する、自分以外の音や空気に対する指向性であったり、とにかく意識のベクトルを外に向けざるをえない。自然、音楽それ自体も一個人の意識の内面に潜っていくというよりも、外に、世界に対して働きかけるような形で作用する。個人の中に潜っていくのではなく外の世界へ。大編成の曲は、もはや音楽作品自体それがそのような指向性を持ってしまうし、それを演奏する側も聴く側も、無意識のうちにそういった指向性の元に音楽を表現し、体験する。ベートーベンやワーグナーの壮大な音楽や、その他現在では退廃音楽と呼ばれている様々な作品達がナチス・ドイツに利用され、旧ソ連の共産体制の中ショスタコーヴィチの音楽が(物議を醸しながらも)政治的に利用されたことも、それらの音楽が持つ外向性を所以とするのは明らかだ。大編成の音楽は、個人に向かうのではなく世界に、社会に向かう。音楽が政治的に利用されたから嫌いだと言っているのではない。単純に、私はそういった外向性を音楽には求めていない。それだけのことだ。

 そもそも音楽は、元々は祈りから始まった。原初の祈りが宗教行為だったとして、その祈りは個人的なものだったのか、それとも社会的なものだったのかというのは諸説あるところではあるが、明らかなこととして、原初の祈りは人や人が織りなす社会に対してではなく、人の力が及ばない自然や超自然に対して行われていた。その超自然が形を変えると神となる。その祈りのバリエーションの一つとして始まった音楽も、元々は言ってしまえば神に対して捧げられるものであった。だが、それは時代とともに次第に人の立つ地平にまで降りてくる。いわゆるアーリー・バロックの時代に既にその傾向は見られる。その当時の西洋音楽はほとんどが教会で演奏される宗教音楽の範疇にあった。それでも少しずつ、楽器の技法を駆使するための楽曲や、作曲技法のための楽曲、そして直接的に人に対して捧げられる音楽が出始めてくる。ただ、この頃はそれでもまだ、音楽は個人のものだった。神を存在理由とする音楽は、最終的には内省へ向かう。

 音楽が本格的に社会的になっていくのは、やはりベートーベン以降だろう。彼の交響曲第3番『英雄』は、その意味で音楽史的にも音楽精神史的にも、非常に大きな転機となったことは間違いない。フランス革命に欧州中が動揺する中、神に対してでも貴族に対してでもなく、初めて明確に政治的な意図を持って"民衆"のために書かれ、そして受け入れられた音楽。ここに至って本格的に、音楽は神から人へとその対象を変える。そして今に至るまで、音楽の捧げられる対象は人から神へは返っていない。私の考えではその後、シェーンベルクやベルク等の新ウィーン学派が調性や旋律の解体を始めた辺りから今度は無意識から意識へという音楽作用の対象のシフトが行われていくのだが、そこまで語り始めると長くなりすぎるので今は口をつぐむ。

 そのように、外向的な傾向を持つ音楽を私は好まなかった。どこまでも、奥深く自身の意識・無意識の深みにはまっていけるような、そんな内向的な音楽ばかりを好んでいた。また機会があればこれについても語るが、そう考えると私自身のバロックと現代曲という極端にアンバランスな音楽傾向も一応理論的な説明がつく。逆に言えば、ベートーベン以降から第二次世界大戦以後数十年の音楽は、ギターやピアノの独奏、弦楽四重奏等の一部の例外を除けば基本的に私自身が避けて通ってきた音楽になる。最近は、そういった音楽も避ける前にまず聴いてみようと思い直したわけだ。

 きっかけは、『20世紀音楽 クラッシックの運命』という本を読んだことだ。音楽は、特に外向的な性質を持つ19世紀後半~20世紀半ばまでのものであれば尚更、歴史とも大きな関わりを持つ。音楽を考えていくことは歴史を、人が辿ってきた精神史を考えることにもつながる。そこに興味を持った。

 私の音楽に対する基本的な考え方は、歴史や背景等は音楽を聴く際には極力意識しないことだ。ベートーベンはフランス革命の動乱の中、自身の難聴の苦悩の中で『英雄』を書いたかもしれない。ショスタコーヴィチは当局の厳しい目をかわすために、敢えて交響曲第五番をアイロニカルに書いたのかもしれない(彼が後に語ったところによれば、あの最終楽章のフィナーレは「勝利の讃歌などではなく、"ほら、喜べ!"と強制された凱歌」だそうだ)。スペイン内乱の中で曲を書き続け、最後はフランコ派に処刑されてしまったアントニオ・ホセは、どのような心境であの『ギター・ソナタ』を書き綴ったのか。

 ただ、そんなものは音楽それ自体には関係がない。音楽は、それが生み出されたコンテクストとは関係なく、ただそれ自身無垢に人の心を揺さぶる力を持っていなければならないというのが私の考えだ。だから、曲を聴く時には音楽それ自体に集中し、そのような背景は考えないようにする。そういった聴き方をしてきた。音楽は、作曲者や演奏者は理論や歴史・背景等を学び、糧とする義務があるが、聴く側にとっては逆にそういったものは音楽自身に対する印象のノイズとなって働くというのが私の考えだ。作曲者や演奏者が理論や歴史背景等を学ばないのはただの怠慢で、そこで得た知識的なものも含めてそれを如何に音楽に組み込んでいくかが送り手としての音楽家の責務となる。逆に、受け手は(少々残酷に過ぎるようだが)そういった音楽自身以外のコンテクストは排除した上で、純粋に音楽を享受することで音楽それ自身の価値を体験しなければならない。そう考えていた。大雑把にまとめると、音楽の送り手としての作曲者や演奏者は、知らなければならない。音楽の受け手としての聴衆は逆に、知ってはいけない。それによって、送り出された音楽がそれ自身の力によって受け手にどのように解釈されるか、どのように影響を与えるかといった音楽それ自身の力が試されるのだ。ただ、敢えてそこまで音楽に対して純粋さを求めるのでなくても、歴史背景や音楽史の流れを意識しながら聴いてみるのも、それはそれで面白いのかもしれないと思い始めた。例えそれが時に音楽に対する色眼鏡として働くことがあるとしても。その色眼鏡を作り出す力もまたある意味では音楽の力なのかもしれない。

 そう思いながら、ワーグナーやマーラー、ストラヴィンスキーといった、19世紀後半~20世紀の作曲家の、比較的編成の大きな歌劇や交響曲的なものを改めて真面目に聴いてみている。マーラーの交響曲第二番『復活』など、実に劇的で壮大で、美しい。やはり、喰わず嫌いはしないにこしたことはないものだ。


2006年11月15日水曜日