2005年1月31日月曜日

ノロウィルス疑惑、決着

 先月一晩中嘔吐し続けて一睡もできなかったという酷い風邪をひいたと簡単にこの日記でも報告しました。そしてその直後から、世間では立て続けにノロウィルス由来の急性胃腸炎発生との報が届くようになりました。その際かかった医者は「最近こういう風邪流行ってるんですよ」と言っていたわけですが、そりゃもう凄まじい勢いで流行っていたわけです。その症状・経過から、私は自分がかかったあの嘔吐風邪はノロウィルスに違いないと思い続けていたわけです。そして先日、アレルギー性鼻炎の薬をもらいにその医者にかかった際、嘔吐風邪の経過を訊かれました。そしてその先生応えて曰く、

「あれ多分ノロウィルスだったと思うんだよね」

 ・・・オイ!

2005年1月30日日曜日

激務の果てに

 今日も今日とてスキーに行った他グループの人達を尻目に仕事だったわけですが、まぁまぁなんとか少しは早く切り上げ、夜はゆっくりと、久しぶりにゆっくりと、音楽を聴いていました。iPodを買ってからというもの、通勤中や定時以降の仕事中は常に音楽が側にあるわけですが、通勤の雑踏の中ではクラシックやジャズなんかは埋もれてしまってイマイチですし(ちなみに最近よく聴くのはU2)、仕事中は「本当に集中したいならBGMは激しければ激しいほどよい」という受験生時代からのポリシーに基づきDream TheaterやIron Maidenばっかり聴いてます(爆)。まぁ当然そんな状況下ではゆっくり音楽など聴けません。今日は久しぶりに本当に音楽を聴いたという気がします。

 正直、精神的にかなり疲れていました。ただでさえ忙しかったこの二週間。毎日続く深夜までの仕事に徹夜作業。昨日は名古屋で納品作業でしたし、31日にはまた納品及び徹夜での深夜作業が待ち構えています。その後もやらなければならない仕事は随分先までたまっています。心も体も休まる暇がありません。精神的には決して弱くはないと自分では思っている私ですが、何にせよ限界というものはあるようです。

 人間というのは疲れて追い込まれて余裕がなくなって来ると、どうやら思考が鈍く麻痺していってしまうもののようです。ぼーっと濁った薄膜が頭に張ったような感じで、不満や不安すら麻痺してしまう。世界から薄皮一枚離れて自分は存在していて、起きる出来事や、あるいは自分でやっていることでさえも何処か"向こう側"で起きている余所事に思えてしまう乖離感。逆に、意外なほど苦痛はないのです。ただ、家に着いて一人になって、濡れたまま乾いていない洗濯物を見たり、日用品や今夜のおかずを買いにスーパーに行ったりした時に、ふと「何をやってるんだろう?」と漠然と思うのです。けれどその疑問すらそこから先に進むこともなく、ただどんよりとした倦怠感だけが残って思考が止まり、そしてまた「何をやってるんだろう?」という曖昧な問いに返って、緩慢と思考がループする。活動エネルギーが明らかに低下していることだけは自分でもわかりました。先へ進もうという気がしないのです。「ああ、こうやって人は鬱になっていくんだな」と、危機感もなく思いました。危機感や焦燥感を抱くには。それなりに大きなエネルギーが必要なのです。どうやら、今の私にはそれもないようでした。

 外での用事を全て終えて家に帰ります。CDをプレーヤーにかける前から、頭の中である曲が流れていました。デビッド・ラッセルが弾くヘンデルの組曲七番『パッサカリア』。以前にも日記で書きましたが、非常に短い間隔で執拗に繰り返される低音主題と、悲観的に過ぎることない儚さを醸す美しい変奏が繰り返す日常の輪廻を連想させる、そんな曲です。スピーカーの前に座って、他に何をするわけでなく目を閉じてただ聴きました。スピーカーの向こう側の演奏者と呼吸を合わせて、合奏をするように、指揮を振るように、曲の流れに身を任せて。曲が終わる頃には、すっかり音楽の世界に集中していました。そして、頭の中に張っていたもやが、少し晴れた気がしました。感動というほど大げさなものではないけれど、確かな心地よさを感じました。そのままそのCDを最後まで聴き、続いてグリュミオーが弾くヴィターリの『シャコンヌ』を聴き・・・。合間に食事をしたり風呂に入ったりしながら色々な曲を聴きました。ピアソラの『AA印の悲しみ』も心が震えました。『オデオン劇場1973』に入っている『アディオス・ノニーニョ』でアントニオ・アグリがむせび泣くように奏でるバイオリンに引き込まれました。今もまだ音楽は続いています。少しずつ、もやが晴れて来ます。再び世界が見えるようになってきます。これらの音楽達は、心を癒してくれているのか、それともエネルギーを分けてくれているのか・・・?それがどちらなのかはわかりませんが、これらの音楽達が疲れきっていた心を助けてくれたのは間違いありません。あらためて、音楽はいいなと思えるし、自分がどれだけその世界に染まっているのかを実感したりもするわけです。

 色々と弱音を吐くようなことも書きましたが、どうやらまだ私は大丈夫なようです。

2005年1月27日木曜日

もはや諦め?

 何だか日に日に朝起きれなくなっていく今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。こちらは「あー、さすがにこのペースで行ったら最後にゃ身も心も壊れるなー」とか割と気楽に諦め気味に思いつつ、今週末に控えていたスキー旅行もドタキャンをして、泣く泣く元気に仕事をしておりました。ん~、スキー行きたかったですねぇ・・・。ゲレンデ気持ちいいから、きっといいストレス解消になったんでしょうが。せめてあと一週間遅ければ納品も終わって少しは落ち着くはずだったのに・・・。などとまぁまぁ、色々な無念を抱えつつ、それでも私はどうにかこうにか今日という日を生き延びましたとさ。どっとはらい。

2005年1月24日月曜日

週報

 1/17(月)9:00出社~深夜作業翌朝6時半帰宅
 1/18(火)13:00出社~24:00帰宅
 1/19(水)6:00起床、8:30まで自宅にて仕事、9時半出社~24時半帰宅、翌朝4時まで自宅にて仕事
 1/20(木)5:30起床、6:30まで自宅にて仕事、その後名古屋出張~16時半帰社、22時帰宅
 1/21(金)10:00出社~23時帰宅
 1/22(土)9:00客先作業開始~翌朝4時タクシーにて帰宅
 1/23(日)13:00客先作業開始~19:30終了、渋谷にて買い物の後帰宅

 ・・・さすがに疲れを感じない方が無理だということはご理解いただけるかと思います。一週間で三回も徹夜したのは久しぶりだ・・・。

2005年1月17日月曜日

裏腹なことば達

 人が何かを語るのに、とりたてて理由はない
 あるとすれば、それはただ自分を守りたいだけだ

 人が何かに耳を傾けるのに、とりたてて理由はない
 あるとすれば、それはただ自分を外に出したいだけだ

2005年1月16日日曜日

プログラマ職人気質

 久々にメルトダウンしてしまいそうな程仕事が入ってきた昨年末から、意識して極力休日は仕事をせずに休息と趣味に時間を費やすようにしてきました。仕事のことばかり考えていたら視点が固定されてしまって、それは仕事にも人生にもいい影響を及ぼさないと思い始めたのが一つ。あまり根を詰めすぎると精神が惰性的になってきて、結局長い目で見ると能率は上がらないという経験上の理由が一つ。そして一昔前と違って今は私の仕事もチームで分担できるので、うまく回せば単純に人数分よりも多い仕事量をこなせるというのも一つ。チームが信頼できるというのはいいものです。

 ですが、今日はそれでも久々に土曜出勤で、その上帰宅後も0時過ぎまで仕事をしていました。どんなにうまくやってもこなせない仕事量の臨界点というのはどうしても存在するわけですが、とうとうそれを超えてしまったわけです。トム・デマルコのいうところのスプリントの体勢に入りつつあります。まぁ、今日仕事していたのは私ともう一人だけだったので、真のスプリントではないですが。最近はマネジメントやら企画・提案・プレゼンといった、どちらかというと私の本意ではない(しかし会社的には願ったりの)仕事が主流でしたので、結構気持ちよくトリップしてプログラム書いてます。やっぱりプログラム書いてると本当に自分の手で作り上げたという感じがしていいですね。マネジメントや要件ヒアリング・提案・設計もまぁシステムを作る上で当然重要な(一般的にはプログラム実装作業以上に)ファクターではあるのですが、そうして旗振ってるだけじゃどうにももう一つ作り上げたという充実感が足りないのです。やはり私は手でギターを引くように、手で文章を打つように、手でコードを書いてシステムを作り上げるプログラムが本質的には性に合ってるようです。ま、世間的には「設計図をもとに作るだけの人足」的な扱いで、結構酷い言われようされますが(苦笑)。

 しかしですねぇ、誰が言ってたのか忘れましたが(この業界の有名人であることは確かです)、ただ設計図通りの仕事をこなすだけのプログラマと、真に創造的な仕事ができるプログラマは明確に区別しなければならないのです。一般によいプログラマは並のプログラマの10倍の仕事を楽にこなすと言われ、それは統計的な有意性も検証されてます。その意味での「よいプログラマ」と、さらにその上の他の誰かでは実現できないことを実現させる「真に創造的なプログラマ」は、一般に上流工程と言われ待遇の良いコンサルタントやマネージャーよりももっと評価されるべきなのです。何故なら彼ら「真に創造的なプログラマ」はソリューションの幅を大きく広げてくれる。他の誰かや世間一般でできないと言われていることを、彼らができるということでコンサルや提案の幅が広がることもあるだろうし、実装の引き出しが広い人間は目新しいわけではない既存の技術の組み合わせで、普通のシステム屋が諦めるところを、あっさり実現してみせてくれたりする。ウチの会社で扱っているTSFormなんかは既存の技術の組み合わせでまったく新しいものを作り出した典型で、これにより新たなソリューションも生まれてくるわけですし、ちょっと企業秘密で具体例は出せませんが、必要があれば既存の規格でない通信プロトコルすら自前で作り上げてしまい、まともじゃ実現できないようなことをやってのける人もいます。実際に実現できる領域以上のコンサルや企画・提案、マネジメントはありえないしあってはいけない以上、その裾野を広げてくれる土台としての「真に創造的なプログラマ」は常に高く評価されるべきなのです。それはすなわちアイディアとイコールなのですから。結局のところ、コンサルだとかプログラマだとか、最終的にはそういったレベルで評価を決めるべきではないということです。要は如何に素晴らしいアイディア、ソリューションを提供できるかというのが価値であり、評価であるべきなのです。そう、たとえどのような仕事であれ、ファンタジスタであれと。そういうことです。

 まぁ、そんな評価なんての自体が個人的には好きじゃないんですけどね。というか、そんなものは所詮後追いでしかないのです。ギターであれ、文章であれ、システムであれ、自分の手を動かして周りがまったく目に見えなくなる程集中して、納得のいくものが出来上がって満足感の中でほっと息をつくあの瞬間が、そして絶好調の時の精神が高揚して時間すら先取りできるような、音すら目に見えて手につかめるような、あの感覚が、やはり私は好きなのです。

 まービジネスの世界じゃそんなんどーでもいーよって言われちゃうんですけどねー。

2005年1月13日木曜日

三分間の幸せ

 Three Minutes Happinessで買ったフリースの膝かけ(315円)が、最近妙にお気に入りだったりします。

2005年1月12日水曜日

激闘!通勤電車

 今日は朝からやられました。8時からメンテナンスの予定があった私は、それに間に合うように7時26分日吉発の急行に乗るつもりで家を出ました。そして無事に何事もなく電車に間に合うように駅前に着きます。そう、ここまでは予定通りでした。

 駅前に着くなり、明らかにいつもと様子が違うことに気がつきました。人が異常に多い。タクシー乗り場には朝7時台だというのに長蛇の列ができているし、駅の中をのぞいてみるとサラリーマンから学生まで、ぎっしりと改札の前を埋め尽くすようにひしめいています。電光掲示板が赤字でメッセージを流し、駅員がメガフォンで何やらアナウンスしています。いや~な予感がします。

 駅に入ってみると、まんまと東横線が全線不通になっていました・・・。7時過ぎに田園調布で人身事故があったとのこと。最低です。こっちは8時からメンテナンスがあるのです。タイムリミットは9時。こんなところで足止め喰らってる場合じゃありません。とはいえ電車は東横線しか通っていないこの日吉、その肝心要が不通になってしまったのではタクシーとバスくらいしか出る手段はありません。どうしようかなと思案に暮れていると、ちょうど東横線が一部復旧し、元住吉~横浜間で折り返し運転を始めたとのこと。「元住吉までか~・・・」というのが正直なところです。日吉からわずか一駅渋谷よりの元住吉まで出たところで、他の電車に乗り継げるわけでもなく大して状況は変わりません。せめて武蔵小杉まで行ってくれればJR南武線が、多摩川まで行ってくれれば東急多摩川線があるのですが・・・。

 とはいえ時間は待ってくれません。渋谷方面の復旧は目処立たずという報を聞いて、とりあえず遠回りでも横浜経由で渋谷に出ようと考えました。パッと思いつく経路は3つ。横浜まで出て湘南新宿ライン、菊名で横浜線に乗り換えて東神奈川経由で品川に出て山手線、ないしは新横浜まで出てリッチに新幹線で品川まで。まぁ新幹線はあまり現実的じゃないので、横浜から湘南新宿ラインで渋谷に出るつもりで横浜方面の電車に乗ります。ところが!この電車がまた凄まじく混むのです。すし詰めとはまさにあのこと。もう腕もキュッと強制的にたたまされる格好で、片足宙に浮いたような形で電車に揺られなければならないのです。しかも次の駅でただでさえその限界オーバーな混雑の電車の中にさらに無理矢理人が乗ってくるもんだからもう大変です。ホントにアバラがミシミシいいました・・・。「このまま押されたらアバラが折られる!」という危機感にさらされ、必死で腕の力で前の人の体からアバラを保護しますが、凄まじく大変な労力です。「こりゃこんな中横浜まで出るのは無理だな・・・」と私は判断し、菊名で横浜線に乗り換えを試みます。それからも異常な混雑は当然続くわけですが、まぁアバラがへし折られることもなくグルリと京浜東北線で品川まで出て渋谷へと辿り着きます。その時、時間は9時10分でした。そう、メンテナンス時間は終わっています。・・・朝からどっと疲れました。

2005年1月11日火曜日

新春MALT福袋

 なんだかウチに酒瓶がたまってきました。いや、「昔からいつもたまってるじゃねーか」言われれば確かにそうで、反論の余地はまったくないわけですが。まぁ学生時代との違いを挙げると、あの頃はカクテルを作るのにベースとなるスピリッツと各種リキュールをたくさん取り揃えていたので酒瓶の数が増えていたわけですが、今はウィスキーの瓶ばかりが増えていきます。あと焼酎・泡盛が少々。これじゃただの飲んだくれです(爆)。

 大体新年にネット通販で「モルト福袋」なるものを見つけて、思わず買ってしまったのがいけないのです。それで一気に三本も瓶が増えてしまいました。とはいえ中身は非常にいいものが入っていたので至極ご満悦な訳ですが。いやー、よかったんですよこの福袋。説明ではオフィシャルボトルが一本、ボトラーズものが二本、計三本で何が入っているかはお楽しみ、ってことだったのですが、私に当ったのはなかなか運がいい部類のようです。オフィシャルで入っていたのがマッカランの18年の、しかも旧ラベル!昨秋からラベルが変わって中身も変わったマッカランの、変更前の旧18年です!これは多分もうこれ以外に飲める機会もないだろうなと思うわけで、大事に飲みたいなと思わず構えてしまいます。そしてボトラーズものの一本がまたマッカラン。12年ものですがHigh Spirits' Collectionというブランドの「Lochs and Castles of scotland」という、ラベルに蒸留所の近くの湖や城が描かれた美しいボトルのものです。通常のオフィシャルの用に複数の樽を混ぜて品質を調整するのでなく、一つの樽からのものをそのまま詰めたこのボトルは世界で332本しかありません!その内のシリアルナンバー19だと手書きで書いてありました。いやー、この二本だけで既に相当な勢いで元が取れています。新年からこんなマッカランの飲み比べができるとは贅沢の極みと思いつつ、18年の方はまだ開けていません。いやー、やっぱいきなり開けるのももったいなくて・・・。微妙に貧乏性です(苦笑)。そしてもう一本のボトラーズものはPROVENANCE(プロヴナンス)というブランドのTAMNAVULIN(タムナヴーリン)というモルトなのですが、・・・正直よくわからんのです、このボトル。プロヴナンスの秋に蒸留されたタムナヴーリンで10年もの、ってのはわかるんですが、そもそもそれがネット上のどこでも売ってない。楽天で全検索かけても出てこないくらいだからよっぽどマイナーなのか、それともよっぽどレアなのか・・・?そもそもタムナヴーリンっていう蒸留所自体初めて聞きましたしねぇ。まぁマッカランと同じスペイサイド地域の蒸留所ということで、この福袋のテーマはマッカランとスペイサイドだったんだろうなぁと推察するわけですが。ん~、欲を言えば一本アイラが欲しかったなぁ・・・。まぁとかなんとか言いつつも、既に味を占めてしまった私は来年もこの福袋あったら絶対買おうと心に決めているわけです。

 ・・・というわけで酒瓶が一杯になりつつあります。明らかに飲むペースより買うペースの方が早い(爆)。とはいってもあまり飲み過ぎて本当に飲んだくれになっても私自身困るので、適度に楽しみながら減らしていこうと思います。

2005年1月10日月曜日

machakic二世誕生、そしてEUROPE

 一昨日のことになります。先日結婚したmachakicに第一子が誕生いたしました!平成17年1月7日17時13分のことです。machakic曰く「"いいないいないいないいな"で揃えて生まれてこようと思ってたのがちょっと外して"いいないいないいないいさ"に生まれてきた」赤ちゃん。元気な女の子だそうです。そしてその次の日である1月8日、machakicが何をしていたかというと・・・。なんと、福島から東京まで出てきて私と一緒にShibuya-AXでEUROPEのライブを観に行ってました(爆)。生まれた直後の子供と奥さんを放置してホントによいのでしょうか(?)。

 というわけでEUROPEです。『The Final Countdown』のあまりに有名なイントロは、きっとこの曲とは意識していなくとも誰もが耳に覚えがあるはず!『Carrie』とかもEUROPEの曲とは知らなくともいい曲だと思っている人も多いはず!全盛期を80年代に迎えたこのバンド、今やメンバーも全員40を超え、頭がハゲてきたので開き直って男らしくスキンヘッドにしたメンバーもいる程ですが、そんな年齢的な問題はさておき、いやー、ジョーイ・テンペストがムチャクチャ歌うまかったんですって!いやまぁ冷静に考えればうまいのは当然なんですけど、CDで聴いてるのより全然生の方がうまい。CDだとなんか声の輪郭がぼやけて少し線が細く感じるところもあるジョーイ・テンペストですが、生だとまったくそんな感じはしません。もの凄くハリも声量もあり、線が細いどころか恐ろしいくらいのキレと表現力がある圧倒的な歌唱力。正直「ああ、ジョーイ・テンペストってこんなに歌うまかったんだ」って思いました。40過ぎてあんなにハリのあるいい声が出るんならまだまだ私も諦めるのは早いなと、腹筋の鍛え直しを心に誓ったくらいです(?)。少しかすれ気味でハリのあるあの歌は、なんかエリック・マーティン(Mr. BigのVo.)に似てるなと私もmachakicも思っていましたとさ。

 新作の『Start From The Dark』はギターのジョン・ノーラムの色が出まくった、非常にヘヴィで暗い構成なのでうまくライブでのれるのかなという不安もありましたが、一曲目にアルバムの開始曲でもある『Got to Have Faith』が始まるとそんな不安は露と消えていきました。ジョン・ノーラムのギターはヘヴィにグルーヴィに終始高いテンションで引っ張っていってくれてるし、そのヘヴィな曲との相性が不安だったジョーイ・テンペストの歌は不安どころ無茶苦茶カッコいいし、最高でした。適度に『Superstitious』や『Carrie』等往年の名曲をはさみつつ、最後は敢えて新作からの選曲ではなく『Ready Or Not』で本編を締める。いやー、盛り上がりました。洋楽のライブでオールスタンディングに行ったのは久しぶりでしたが、最後アンコールの『Seven Doors Hotel』や『The Final Countdown』では思い切り手を振り上げて叫んでいました(苦笑)。いやー、気持ちよかったですね。私もmachakicも大満足で会場を後にしましたとさ。

 さてさて、その後machakicは「福島は渋谷みたいに店が一杯ないから」と言って、生まれたばかりの子供のために店をいくつか回ってベビー服を買い込んでいたとのことです。かなり親バカになってます。しかし渋谷で男二人でベビー服を買い回るその行為が、店員はじめ周囲の人達の目にどのように映っていたかは定かではありません。とりあえずmachakic、長女の誕生おめでとうございます!きっとすくすくと元気に育ってくれることでしょう。そしてその子が大きくなって思春期を迎えた頃に、私が「君のお父さんはね、君が生まれた次の日にね、・・・」とカミングアウトしてあげましょう(笑)。幸せによい家庭を!

2005年1月6日木曜日

人生は後ろ向きにしか理解することはできないけれど

 人生、節目というものがあるのは確かでしょう。ですが、その節目とやらがいつ来るか、それを自分で覚悟して決めるということは実はできそうでいて決してできるものではなく、それどころかそれがいつ来るかを見極めることすらなかなかできないものなのです。

 Life can only be understood backward,
 but it could be forward.

 浪人して代ゼミの一学期の総合英語のテキストを手に取って、その中にあった言葉。この言葉をどう感じるか、どう理解するかというのは、なかなかそのときの心境や状況にも左右されるなと、改めて感じたりします。初めて知ったときから座右の銘ではないけれどたまに思い出す、好きな言葉です。

2005年1月4日火曜日

故郷の空気

 どうもあけましておめでとうございます。皆さん、今年もよろしくお願いいたします。

 年始は意外と上越新幹線が空いているようなので、急遽混雑を忌避して保留していた帰省を実行、実家に帰ってまいりました。とはいっても日程が短かったので親戚への挨拶と休養だけで時間が過ぎ、友人と遊ぶ時間は取れなかったのですが。

 やはり新潟の空気は冷たくて、夜にはキンと冷えて靴下なしで歩くと足が痛いくらいの板張りの廊下や、寝る際に布団から出た頭が引き締まっていくような感覚は東京ではないものです。いつも冬に新幹線を降りて燕三条のホームに立つと、「ああ、この空気だ」と思うのです。寒いのではなく冷たい、雪が降る時独特の、張りつめた、輪郭がはっきりした空気。その空気を肌で感じると、「ああ、帰ってきたな」と思うのです。故郷の空気というのはやはりわかるものですね。落ち着きます。帰るところがあるというのは自分では普段気付かないけれど意外と大きな支えになっているのかもしれません。やはり私は、新潟の冬の冷たい、ピンと張りつめた透明感のある空気が大好きなのです。