2003年6月10日火曜日

『Garbage』アップ/あとがきに代えて

 気付いている人がどのくらいいるかわかりませんが、実は昨晩10時半過ぎくらいにNOVEL『Garbage』をアップしました。とりあえず色々な意味でリハビリを兼ね、昨日一日で一気に書いてみました。とはいえ、熱を出して汗をかいて、洗濯物も溜まっていたのでそれを洗ったり(計2回)、汗を吸って湿った布団を干したり、病み上がりで体力がなく「もうダメだ~」と昼寝したり、結構休み休み書いてましたが(苦笑)。

 今回のテーマは「オブジェクト指向的恐怖」です。プログラムの世界には『オブジェクト指向』という考え方があり、それは無理矢理一行にまとめるなら「コンピュータ上に現実の写像を作り上げる感覚でシステムを構築する」という手法です。まぁここでは細かく深いところまではツッコミませんが、その『オブジェクト指向』を実現できる言語(の一部)に備わっている『Garbage Collect』という機構が今回の小説のテーマの発端です。

 "Garbage"という言葉の意味は「廃品」、「不用品」、「ゴミ」といったものですが、プログラムの処理中にいらなくなったオブジェクト、つまりはプログラム上に写像された現実の「もの」を、自動的に回収してくれる機構が『Garbage Collect』です。プログラム上に作られたAさんが不要になれば、この機構が自動的にAさんを回収してくれて、Aさんがいなくなった分のスペースを他の何かが使うことができるようになります。これはプログラムを組む上では非常に便利なものなのですが、これがもし現実世界にあったらどうなるんだろう?というのが今回の小説のテーマです。『Garbage Collect』が不要オブジェクトを判断する基準は、(本当のところの細かい種類やアルゴリズムは置いておいて)他のどのオブジェクトからも参照されない、ということです。まぁ現実世界的にいうなら「声をかけられない」ってところでしょうか。そこから小説『Garbage』の奇妙な世界観が出来上がるわけです。誰からも必要とされないものは消滅していく世界、というわけです。

 実は、そこまで極端な世界設定をしなくても、この現実世界はこの『Garbage Collect』の恐怖に近いものが存在するように思うのです。誰からも参照されないことへの恐怖、平たく言えば孤独への恐怖です。ネットワークは、それを埋めるどころか助長してしまったようです。距離も時間も飛び越えて、簡単に誰ともつながってしまえるからこそ、逆に離れた時の恐怖が大きくなる。いつの頃からか聞くようになった、「ネットワーク依存者」というものは、この「オブジェクト指向的恐怖」に取りつかれてしまった人達のように思えるのです。

 実はこの『Garbage』、本当はもっと長くつなげようと思えばいくらでもつなげられました。というか、この小説自体はもっと長い、大きな器を求めていました。私はその作品の要求に応えてもっと長く書くことも考えたのですが、「やっぱダメだな」と思って最後無理矢理叩き切るような感じで仕上げてしまいました。なので、この作品の構成は非常にアンバランスです。何故そこで無理矢理短く切る道を選んだかというと、実はこの「オブジェクト指向的恐怖」というのは、今私が本気で一年くらいかけて書こうと思っている長編のテーマの一つなのです。その長編に取りかかる前に、リハビリと準備運動もかねていくつかあるテーマの中から一つだけを切り出してそれを書いてみよう、と思ったのがこの作品なのです。なので、この作品の中で出し尽くしてしまいたくなかったんですよね。だから短くバッサリ煙に巻くような形で切り上げたと(笑)。そういうわけなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿