2004年1月27日火曜日

永遠を乗り越えて

 「時よ止まれ、お前は美しい」

 ゲーテの『ファウスト』の中の、あまりにも有名な一節。話のコンテクストはとりあえず見ないことにして、ただ純粋にこの台詞だけを吟味してみる。この一節に込められた、気持ちはなるほどわかる気がする。誰にでも永遠に続いてほしいと願った時間があるはずだから。でも、何だかやっぱり違和感がある。現実に、時は流れるのだから。あまり気付かれてはいないようだけど、永遠は実は一瞬と同義。流れる時は永遠でなく、切り取られた一瞬のみが永遠になる。最も手軽に手にできる永遠は写真だろう。写し込まれた一瞬は、時の流れを外れて永遠になる。

 そんな永遠は望まない。現実に、時は流れるのだから。切り取られた一瞬を生き続けることなんてできないのだから。永遠を求める気持ちは、変化を肯定することのできない弱さでもある。それじゃあ前には進めない。時間がもたらす絶対的な真理が変化というものならば、それを受け入れられないままで前に進むことなんてできるわけがないのだから。

 「時よ止まれ」とは言わない。それは現実から目を逸らすことになるから。時は流れる。すべては大きくも小さくも変わる。永遠を求めて時が連れた変化に置き去りにされるよりは、時のもたらす変化を信じよう。まずそこを受け入れないと、よい方向へと変化を導くこともできやしないのだから。そうして僕らは、少しずつでも前に進まなければならないのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿