2002年4月11日木曜日

新人さんが来る

 さてさて、新年度に入り当然我がグループにも新人さんが入ってきます。今年は2名の新人さんが配属になり、私ともう一人の同期の仲間がそれぞれ1人ずつ教育担当としてついているわけですが、これがなかなか楽じゃない。Rainbow-Staffや、あるいはクラギタでも後輩の指導という意味では何かと経験を持っているつもりの私ではありますが、それも仕事となると自分の仕事もこれまで通りこなしつつ、なおかつ新人さんの面倒も見なければならないわけで、それがなかなかシュールなのです。いや~、「新人の面倒を見ていたら納期に間に合いませんでした」なんて言い訳にもなりませんからね。まぁまぁ色々なものと折り合いをつけつつやって行きたいと思います。

2002年4月10日水曜日

ラーメン隊『唐そば』

 ラーメン隊出動!今日も会社の帰りにいつもの先輩と3人でラーメンを食べて帰ってきました。ひとつ断わっておきますが、我々はいつも同じラーメン屋に行っているわけではありません。今のところ常に新規開拓で新しいラーメン屋を求めて徘徊しているのです。我々の最大の武器は隊員各々の記憶に刻まれた不確かなラーメンデータベース。「確か◯◯通りと××通りの交差点にあったと思う」とかその程度の記憶をもとに(しかも以前行ったことがあるわけではなく、ネットの地図をおぼろげに思い出しながら)、店の名前すらまともに覚えず、看板のロゴを見て「ああ、あれだあれだ!」と思い出すという激しい不確かぶり。それでもこれまで目的の店が見つからなかったことはないのですから不思議なものです。

 今日の店はこの前日記に書いた『山頭火』と同じトンコツベースのラーメンでした。スープを飲んだ瞬間、結構あからさまにトンコツ特有の匂いがしてくるので「お、こてこて系か!?」と思いきや、実は後に残らず最後まですっきりさっぱり食べられるラーメンでした。メニューも実に男らしく、ラーメンと大盛とおにぎりとゆでたまごしかありません。実に無骨でいい感じです。こだわりを感じます。店の雰囲気も木の振り子時計やアンティークラジオなどが置いてある民俗調の装いがなかなかいい感じです。渋谷の会社から駅までの帰り道にある(といってもいつも帰る道とはルートが違うが)隠れラーメン屋さん。これからもしかしたら結構行くことになるのかもわかりません。ラーメン隊は、渋谷駅から歩いて行ける範囲のおいしいラーメン屋を募集しています。

2002年4月7日日曜日

或る土曜日の日記

 歯医者行って歯に金属詰めて、床屋行って髪切って、家に帰って熱を出しました・・・(泣)。

2002年4月5日金曜日

うむ。

 なんだか微妙に面白いことになってきました。思いつきでビジネスやってていいんでしょうか(笑)。

2002年4月4日木曜日

冷えたチキン

 ふふふ・・・。やられました。今日は日中打ち合わせだホットトラブル(即対応の致命的バグ)だと忙しく、昼飯を食う時間がなかったため先輩ともどもケンタッキーを出前で取りました。が、結局それを食うこともままならず、私がケンタッキーを口にすることができたのは届いてから四時間以上経った夕方五時過ぎ。完全に冷えきったチキンは浮き世のあはれを物語っておりました。しかもそれだけならまだいいのですが、そんな冷えきったチキンを大量に食ったせいか、夜胃が非常に重くて気分が悪くなりとても仕事にならなかったので、やらなければならない残務もそこそこに私はグッタリしながら家路に着きましたとさ。帰ってまず最初にやったことは大正漢方胃腸薬を飲むことでした・・・。やれやれです。

2002年4月2日火曜日

入社して一年

 今日で晴れて私も入社以来一年が過ぎたことになります。そう、今日からフレックスが適用されるのです。ああ、念願の十時出社・・・!これで朝一時間余計に寝られると思うと嬉しくてたまりません。とはいえ新人が正式に配属になるまでは我々二年目が当番制で九時出社のお留守番をしなければならないわけですが、とにかく週三日は十時でもよいことが保証されるわけです。素晴らしいことではありませんか!

2002年4月1日月曜日

華厳の滝参拝

 さてさて、この週末、金曜日にお休みをいただいた私は栃木の山奥に心と体を癒す旅に出ていました。栃木の山奥というと「何処だ!?」って感じですが、要は奥日光です。有名どころはやはり自殺の名所華厳の滝でしょう。というか今回の目的もかつて藤村操があの「厳頭之感」を書きとめ、華厳を見ていた時の心境とはいかなるものだったのかと、自らの目で華厳を眺めてみることでありました。華厳の滝で「万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く不可解」との言葉を残して散っていった藤村操、そして彼に続いた者達は、この滝を見て何を思ったのでしょうか。

 私が華厳の滝を見てまず思ったのは、そういった思惑や感慨とは裏腹に、実に単純かつ世俗的な一言でした。

 ・・・ああ、こりゃ死ねるわ・・・。

 中禅寺湖から流れる水が、いかつい岩壁から水煙となって自らの身をも砕きながら文字通り「叩き付けられるような」感じで透き通った深緑と青の入り交じる水面へと落ちていっているのです。流れ落ちるなんて優しげなものではなく、半ば投げやりに、そして半ば悲しげに、身を投げるようなイメージでした。そして華厳の滝本体の中段くらいにある岩棚からは、小さな滝が十数本(十二滝と呼ばれているそうなのですが十二本なのですかね?)、中央の本流を円陣で囲うように流れているのです。その様は蓮の花を切ってみてみた花弁のようでもありました。正直、思っていた程大きな滝というわけでもなかったのですが、あそこは何かが違いました。敢えて言うなら自然の叡智とでもいうのでしょうか、あるいは偶然の芸術とでもいうのでしょうか、ただ自然が自然としてそこにあるだけで、ああいった不思議な調和の取れた美しい場所ができあがるものなのかと思いましたね。華厳に比べれば正直東照宮など所詮は人の思い上がりといった印象すら受けてしまいます。『眠り猫』は非常に気持ちよさげにみえましたが。皆さんも生きている間に一度は華厳の滝へ足を運んでみることをお薦めします。

厳頭之感

悠々なる哉天襄。遼々なる哉古今。五尺の小躯を以て比大をはからむとす。ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ。万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く”不可解”。我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

藤村操(1903/5/22)