2003年1月27日月曜日

凶悪な傘

 雨が降っています。私が持っている新品のビニール傘は、昼飯を食いに店に入って、出て行く時には何故か別のぼろいビニール傘しか残ってなかったり、そんな憂き目にあってしまいましたとさ。あ~あ、俺のは透明で先が金属になってて人を突いて殺せるようなビニール傘じゃなくて、白くてプラの先っちょが付いた、人に優しくてもっと新しいヤツだったんだけどなぁ・・・。

2003年1月25日土曜日

2つの衝撃

 今日は、2つの衝撃と出会えました。一つは大萩康司氏の新譜『Bleu』、もう一つは貫井徳朗氏の小説『慟哭』です。

 まずは『Bleu』の方から。私がこのCDの曲目を見て、まず「おっ」と思ったのはモンポウの『コンポステラ組曲』です。この美しくも儚く、そしてあやしい(結局それかい!?)名曲を、大萩氏がどのように聴かせてくれるのかは実に興味津々です。確か去年アルティで大萩氏がコンサートをやったときもプログラムに『コンポステラ組曲』があるのを見つけ、これを聴くためだけでも行く価値あるななどと思いつつ、ところがどっこい仕事が忙しくて行けなくて悔しい思いをしたりもしたものでした。それがCDになって出てくるんですからそりゃ期待もします。・・・思わず譜面を引っ張り出して突き合わせながら聴いてしまいました(爆)。なんでいちいちそんなマニアックな譜面持ってんだなんてのは言いっこなしです(まぁ、今更私にそんなことを言う人間もいないでしょうが)。・・・で、肝心の感想の方ですが、やはり彼らしい美しい音色を基調とした、時に大胆なまでの表現力は健在で、『コンポステラ組曲』はもちろんのこと、一枚を通して実に楽しませてもらいました。とりあえず1曲目、ドメニコーニの『Toccata "in blue"』の入りは「おおう、いきなりそれかい!?」とちょっとビックリしてしまいましたが(笑)。しかしまた『Cielo』に続いて、派手好みな現代曲マニアが喜びそうな曲を・・・。『ヴィラ=ロボス讃歌』と並んで、これから譜面が売れるんじゃないですかね?う~ん、でも『リブラ・ソナチネ』や『コユンババ』みたいのを好んで弾く辺りとは微妙に志向が違うかなぁ?なんか、その路線とブローウェル路線の中間のような、そんな感じの曲ですね、2曲とも。というか、むしろ全体的に。そんな中でラベルの『亡き王女のためのパバーヌ』やサティの『グノシェンヌ』のようなピアノ小品が綺麗なアクセントとなっていい味を出してました。大萩氏、今回も豊かな表現力で曲を活かしたいい演奏を聴かせてくれます。繊細さも激情も、自在に操ってみせる彼の圧倒的な音楽センスには脱帽です。"洗練"という言葉すら早くも感じさせられました。今日本人ギタリストで私が一番好きなギタリストです(藤井敬吾先生は別格)。

 そしてもう1つの衝撃『慟哭』です。これはいわゆるサスペンス・ミステリー系の小説で、随分前(何年単位で)に話題になっていたような記憶があるのですが、ふと今日書店で文庫本を見つけて、なんとなく買って読んでみました。しかしあれは凄いです。ここ数年の間に読んだサスペンス・ミステリー系の小説の中で私の記憶に残っているのと言えば『黒い家』ですが、衝撃度という点ではこちらの方が遥かに上です。『黒い家』が話の緊張感の出し方や盛り上げ方が非常にうまくて面白かったのに対し、『慟哭』は本当に純然たる衝撃です。あのラストは本当にここ数年来の衝撃でした。まぁ、サスペンス・ミステリー系の小説の種明かしをすること程不粋なことはないので内容まで詳しくは触れませんが、この手の小説が好きな人は是非読んでみてください。あのラストには絶対震えます。しかも、私自身文章を書くとあって、本当にあのラストに当たっては「マジか!? ちょっと待て!!!」と震えたと同時に、「反則だろ、でもこれは・・・」とか思わず苦笑いまで浮かべたくなりました。文章を自分で書くような人にも是非お薦めしたい一冊です。ただし、この本は読むに当たっていくつかの注意点があります。

 1. 最初に解説から読むような不粋な真似は絶対しないこと

 2. 読み始めたらできるだけ短期間(数日以内)に読み切ること

 3. 絶対に最後まで読み切ること

 上記の注意点さえ守れば、この本を読み終えた時には確実に私が感じたような"ありえない"衝撃に打ちのめされることでしょう。この本はかなりお薦めです。ただし、確か別の著者が同名の本を出していたような気もするので、買う際は間違えないように注意しましょう。

2003年1月22日水曜日

乾き

 結局、コンピュータになどいくら向かってみても何も作れない。便利なものとか、効率的なものとか、俺が作りたいものはそんなものじゃない。プログラムは哲学かもしれない。でも、それによってできる製品はそれとはやっぱり程遠いことが多い。0と1の歪み。その二進法の中間値の欠除は、一体何の欠落を意味するのだろうか。何が見えないんだろう。何に飢えているのだろう。ただ、渇きだけが募っていく。潤すものも探せないまま。楽しくないなぁ。・・・楽しくない。何となく憶えがあるこの渇きは、ずっと昔にも味わった気がする。何で満たせばいい?何を見つければいい?何処へ動けばいい?ここに留まればいい?手当りしだいにつかんだものが、掌の中で砂塵と消えていくのをただ眺めているのも、この際また一興かもしれない。そしてまた渇きは酷くなる。・・・ねぇ、俺は今、どんな顔をしてる?

2003年1月20日月曜日

語るべき物語

 「語る物語があるうちは、人生は捨てたもんじゃない」

 私が繰り替えして観るほど好きな映画のひとつ、『海の上のピアニスト』で上記のような台詞が出てきます。なかなかいい言葉だなと、なんとなく思うのです。語る物語・・・。私は、何を語りましょうか。自分のことでしょうか、周りの誰かのことでしょうか、あるいは空想の物語でしょうか。

 もしかしたら、人は年をとるにつれて少しずつ、語る物語が減っていくのかもしれないなと思ってみたりします。小さい頃のような、プラモを持って無邪気に動かしながら語るような類いの空想物語は今はもう語れないでしょうし、もう少し大きくなって小学校の作文で書かされるような、本当に夢物語的な「将来の夢」なども今となっては語れる気がしません。少しずつ、物語は夢物語から現実味を帯びたものに変わっていきます。フィクションはノンフィクションへと変わっていきます。その2つが混ざりあう恋物語は、もしかしたら多くの人にとって最後の夢物語の一種になるのかも知れません。気付くと、現実の物語を、あるいは現実的な物語だけを語るようになっています。それは自分のことかも知れません。周りの誰かのことかも知れません。現在のことかも知れません。過去のことかも知れません。ですが、いつか、気付くと未来の物語は語れなくなっているのかも知れません。そうして、時とともに人は語るべき物語を少しずつ、なくしていくのかも知れません。

 『海の上のピアニスト』のストーリーテラーが、語るべき物語を失いかけているところから映画は始まります。少なくとも、物語が失われようとしているところから映画は始まります。そして、彼は語り始めます。それは過去の物語。しかし彼はその過去の物語から、また未来を語れるようになったのかもしれません。それもまたありかなと思います。フィクションや未来を語れなくなる時は、きっと現実世界に打ちのめされている時なのでしょう。いつまでたっても、過去しか語れないのなら、いつかその物語さえ輝きを失って消えていってしまうでしょうが、例えばそんな時には、過去の物語に再生の機会を(意識的にか無意識的にか)求めるのは、悪くはないと思います。そして少しずつ、現在を、未来を、あるいは子供染みた夢物語を、取り戻していければいいのかなと。

 語る物語があるということは、結局すがるものがあるということなのだと思います。あまり個人的には好きじゃない甘ったるい言葉でいうなら、希望があるということなのでしょう。あなたには、どのような物語がありますか?そこには、きっとあなたが本当に大事だと思える何かがあるはずです。私は、どんな物語を語りましょう?その前に、どんな物語があるのでしょう?いつからか、言葉に苦しむことが増えてきました・・・。

2003年1月17日金曜日

ほこりタオル

 一週間も床にほっておいたタオルを、風呂上がりに目についたからといって頭の上にかぶせちゃいけません。ほこりでむせて大変なことになります。その前に床の上にタオル一週間もほっとくんじゃねえっていうツッコミも入りそうですが(笑)。

2003年1月16日木曜日

ただ眠りを

 眠い・・・。とにかく眠い・・・。今日は早く寝よう。何が何を意味するのかわからなくとも。何が起こるのかなどわからなくとも。

2003年1月13日月曜日

苦し紛れに指頭奏法?

 薬指の爪にひびが入っているのに気付かないふりをしてギターを弾いていたら、和音をフォルテで叩いた際に嫌な感触と共に爪の白い部分の上半分が吹っ飛んでしまって非常にブルーになってしまった今日この頃、皆さん如何お過ごしでしょうか。いや~、やっぱ爪のひびはほっておくもんじゃないですね・・・。現役の頃なら見つけた時点でどうにかしていたでしょうに、私も勘が鈍ったものです。おかげで今薬指はほとんど爪がない状態です。おかげでaが鳴らない鳴らない。aだけ指頭奏法なんて無茶はできません(笑)。指頭奏法は難しいんですよ。爪で弾く時と違って「弾く(はじく)」というより「転がす」感じで弦を扱わないといけないですからね。Weissの『Chiacona』なんかでは部分的にpで指頭奏法やってましたが。pで爪を使わずに、指の腹で弦を転がすようにして丸くて豊かな音を出してあげるわけです。爪で弾くのとは全然音質が違うふくよかな音が出ます。爪があるからといって指頭奏法ができないわけではないのですよ。ですが、さすがにaだけ指頭奏法は無理があります・・・。