これはよくない想像だから、こっそり書きます。ISISが日本人2人を人質に取り、身代金2億ドルを要求している件。
ネットでもリアルでも色々言われてはいるけれど、細かな陰謀論とか何とかはすべて脇に置いておいて、自分が今一番心配なのはこれを機にナショナリズム、全体主義的な機運が異常に高まったりしないかなということなのです。一番心配なのは人質の方の命ではないのかという意見にはごめんなさい。だからこっそり書くのです。
人質が解放された場合でも最悪の結果になった場合でも、これを機に日本でもアメリカの「テロとの戦い」に巻き込まれたという認識はある程度出てくることと思う。それでも無事に人質が解放されさえすれば、せいぜい「今後こういったテロとの戦いに備えるためにも集団的自衛権の法的な保証が必要だ」という論調が強まるくらいだろう。もしかしたらこうした国民が直接巻き込まれた有事の際に自衛隊を海外に派遣させるための法整備を、なんて話も出てくるかもしれない。それはそれで慎重に考えるべきことであるけれど、そこまでならまだ怖くない。いや、怖いは怖いけど、まだ最悪の結果には至らないと思う。
でも仮に最悪の結果になったら?その先の事態として、仮に日本国内でテロが起こったりしたら?その場合考えられる一番ひどい状況は、これまで日本のお家芸であった自己責任論やその他様々な他人様言論も言える雰囲気でなくなってくること。「亡くなった人を悪く言うなんて許せない」「テロを否定しないとは非国民だ」みたいな変な同調圧力が高まってきやしないかなと、それを密かに心配しているのです。そのようになってくると、まさに戦時中の日本のようになってしまう。こうなると一気に改憲だの国防軍だの、そういう話になっていくんじゃないかと、それを心配しているのです。
Twitterで平野啓一郎氏が以下のようにつぶやいていました。
スポーツなどで国際的に活躍すると、「同じ日本人」として思いっきり共感するのに、紛争地帯で拘束されたりすると、いきなり「自己責任」と言って突き放してしまう冷たさは何なのか。
2004年の香田さん処刑事件の際にも出ていた自己責任論。確かに冷たいようにも思えるけど、これはある種の自己防御システム、免疫のようなものなのかもしれないなと今思うのです。この「失敗した日本人」に対する冷たさは、ある意味その失敗にさらに追加のベットをしないような安全装置的な働きがあるのではないかと感じています。戦時中、少なくとも公の場ではまさに思想も言論も一つの方向に統制された状態で、無惨な戦争に身を投じたこの日本。その当時の極端な全体主義への反動から、今逆にそこに向かわないために敢えて冷たく「自己責任」と切り捨てることで距離を置いているのではないかと。今日たまたまお話をしたお年寄りの方(戦争体験者)の方もことさらに(特にビジネスで向かった人の方)を「自分で勝手に行って捕まったんだからなぁ…」と自己責任論を支持していた辺り、やはり全体主義への反動という一面はあるのでないかと思うのです。
だから怖いのは「自己責任」とさえ言えない空気が生まれることなのです。仮に人質の2人に最悪の事態が起きた時、彼らに対して「自己責任だから仕方ない」と言える空気が残っているかどうか。香田さんの時は、良くも悪くもその余裕はまだありました。けど、今はどうだろう?ネットの発達で不寛容さが目立つようになった昨今。自己責任論の冷たさと裏腹に、日本には一度同調圧力が高まってくるとどうにもそこから抜けだせない怖さもあります。この自己責任論の冷たさが、セーフティネットにならない空気が生まれないといいと思うのですが…。
とはいえまずは何よりも、人質のお2人が無事に帰国できることを祈っております。
2015年1月22日木曜日
2015年1月19日月曜日
インフルエンザ・パンデミック
先週から、我が家でインフルエンザが猛威をふるっています。先週の日曜11日の夜に上の子が発熱して以来、妻も下の子も次々とインフルにかかっていきました。簡単に時系列をまとめると以下のような感じです。
11日(日) 上の子発熱。
13日(火) 上の子病院へ。インフル確定。
14日(水) 妻発熱、インフル確定。下の子微熱。
17日(土) 上の子治癒認定。下の子インフル確定。
19日(月) 上の子登校。下の子微熱。
途中から妻もやられてしまったので、我が家は自分以外見事に全滅。15日から17日までは自分以外誰ひとり外出することができない状況にまで追い込まれました。おかげで先週は自分もまともに仕事ができたのは一日だけというありさま。ひどいものです。妻子はちゃんとインフルエンザの予防接種を受けてはいたのですが、今年流行っている香港A型は予防接種の効果が薄いタイプらしいですね。逆に予防接種を受けていない自分には(今のところ)うつってないんだからわからんものです。まぁ多分、自分はこの香港A型には過去にかかっていて免疫を持っているのでしょう。ひたすら病弱な子供時代でしたが、たくさん病気しておくのもたまにはいいこともあるものです(?)。
今回ちとしくじったなと 思ってるのが下の子への対処。実は下の子、先週水曜からなんか37度台の微熱があったのですが、それ以上上がることもなかったからインフルではないかなと油断していたのです。でも上の子が完治の診断書をもらいに行く土曜になってもまだ微熱が続いているので一緒に診察してもらったら、見事にインフルA型判定。どうやら予防接種を受けている場合には、インフルエンザでもときたまこのように高熱にならずに微熱がダラダラ続くパターンがあるようなのです。もう発熱後大分日数が経っているのでタミフルももう効果的な時期ではなく…。ちょっと失敗しました。高熱にならずとも、周りにインフルが蔓延している際は微熱でもインフルを疑うべし。そうでないと結局治りが遅くなってしまいます。今朝も下の子は37度台の微熱。はたして完治はいつの日か。見てる分には元気なんですけどね…。
そして今日から通学解禁の上の子、朝は学校に行きたくないと泣きじゃくっておりました。ちょうど三連休の途中から発熱し、期せずして九連休となっていた上の子。まるで冬休みが二回あったようなものです。そりゃ学校行きたくなくもなりますわな…。「おとうさんとおうちがいい!」と必死で言ってくれるのは嬉しいのですが、なかなかそうもいかないのです。ちょっと後ろ髪引かれる思いで泣きじゃくる上の子を送り出したとのことです。
11日(日) 上の子発熱。
13日(火) 上の子病院へ。インフル確定。
14日(水) 妻発熱、インフル確定。下の子微熱。
17日(土) 上の子治癒認定。下の子インフル確定。
19日(月) 上の子登校。下の子微熱。
途中から妻もやられてしまったので、我が家は自分以外見事に全滅。15日から17日までは自分以外誰ひとり外出することができない状況にまで追い込まれました。おかげで先週は自分もまともに仕事ができたのは一日だけというありさま。ひどいものです。妻子はちゃんとインフルエンザの予防接種を受けてはいたのですが、今年流行っている香港A型は予防接種の効果が薄いタイプらしいですね。逆に予防接種を受けていない自分には(今のところ)うつってないんだからわからんものです。まぁ多分、自分はこの香港A型には過去にかかっていて免疫を持っているのでしょう。ひたすら病弱な子供時代でしたが、たくさん病気しておくのもたまにはいいこともあるものです(?)。
今回ちとしくじったなと 思ってるのが下の子への対処。実は下の子、先週水曜からなんか37度台の微熱があったのですが、それ以上上がることもなかったからインフルではないかなと油断していたのです。でも上の子が完治の診断書をもらいに行く土曜になってもまだ微熱が続いているので一緒に診察してもらったら、見事にインフルA型判定。どうやら予防接種を受けている場合には、インフルエンザでもときたまこのように高熱にならずに微熱がダラダラ続くパターンがあるようなのです。もう発熱後大分日数が経っているのでタミフルももう効果的な時期ではなく…。ちょっと失敗しました。高熱にならずとも、周りにインフルが蔓延している際は微熱でもインフルを疑うべし。そうでないと結局治りが遅くなってしまいます。今朝も下の子は37度台の微熱。はたして完治はいつの日か。見てる分には元気なんですけどね…。
そして今日から通学解禁の上の子、朝は学校に行きたくないと泣きじゃくっておりました。ちょうど三連休の途中から発熱し、期せずして九連休となっていた上の子。まるで冬休みが二回あったようなものです。そりゃ学校行きたくなくもなりますわな…。「おとうさんとおうちがいい!」と必死で言ってくれるのは嬉しいのですが、なかなかそうもいかないのです。ちょっと後ろ髪引かれる思いで泣きじゃくる上の子を送り出したとのことです。
2015年1月9日金曜日
仏『シャルリー・エブド』紙襲撃に思う表現の自由とその限界、リスク、責任
新年早々痛ましく、また考えることの多い事件が起きた。フランスの風刺漫画が売りの週刊新聞、『シャルリー・エブド』編集部がイスラームの3人組に襲撃され、警官含め12人が射殺された事件。以前から度々イスラームを過激に風刺する漫画を載せていた同紙に対し、侮辱行為だと憤慨した犯人が計画的に襲撃を行ったという。現時点ではまだ確定情報ではないが、イスラームの過激派組織とのつながりも指摘されており、一連の欧米とイスラーム過激派組織の闘いの文脈の中で起きた、完全な民間人が被害者となった悲痛な事件。
まずは犠牲者となった方々に哀悼の意を表し、いかなる理由があれ文字通り致命的な暴力という手段に打って出る行為自体に同意することはまったくないということを明言した上で、それでもこの事件については色々と思うところがやはりある。ここに至るまでの社会背景は、それこそ歴史的なものから911以後の欧米とイスラームの対立、フランス国内におけるイスラーム系移民の扱い等々複雑なものがたくさん絡んでいるが、ここでは話を単純化して、ある一点に絞って考えてみたい。
この事件で自分が考えるのは、「表現の自由はどこまで許されるのか。許されない領域があるとしたら、その線引きはどこになるのか」ということ。今回は表現者がムハンマドを笑い物にするような漫画を風刺として送り出し、それを受け手がイスラームの聖人に対する侮辱と取ったことが直接の原因となった。犠牲者が出た非常に痛ましい事件ではあるが、これを「表現の自由に対する暴挙」と考えるのか、それとも「行き過ぎた表現の自由」と考えるのか。
奇しくも2年前、今回襲撃を受けたのと同じシャルリー・エブド紙がやはりムハンマドの風刺画を載せてイスラームの反感を買った時、当時のフランスのエロー首相は「表現の自由は支持するが、限界はある」と指摘したという。その限界はどこなのか。
誰しも自分が大切に思っているものを侮辱されたら、され続けたら怒る。それはわかる。だから表現の自由といってもそれは対象を明らかに侮蔑するようなものであってはならないという指摘も一理あるとは思う。けれど、果たして世界中の誰も不快にならないような表現など果たして可能であろうか?何よりも、表現が不快であるかどうかは送り手の問題でもあると同時に受け手の問題でもある。仮に送り手に侮蔑の意図がなかったとしても、受け手がそう取れば不快な表現となってしまう。メディアが発達し、価値観が多様化した現在、すべての受け手に不快を感じさせないようにと気を使い始めたら、最終的には沈黙するしかなくなる。
では表現の自由の名の下に、我々は何を発信してもいいのだろうか?誰を、何を侮蔑しても、傷つけても?最近話題のヘイトスピーチや、現役の国の元首をパロディにした映画なども、限界なく表現の自由で保護されるべきものなのだろうか?
一つの線引きとして、攻撃的、侮蔑的な意図をもって対象を表現することはできないとすることもできる。あるいは、表現の自由といってもその対象に対しては最低限の敬意を払うべきだと言うこともできる。でもその線引きは実に恣意的だ。その「攻撃的、侮蔑的であるか?」「対象に敬意が払われているか?」を判断するのは誰なのか?送り手なのか、受け手なのか、それともそのどちらでもない第三者なのか?先に指摘した通り、送り手にその気がなくとも受け手が「侮蔑だ」とすることもある。また、ヘイトスピーチに対する規制の話題でも、受け手の他に規制する側(権力者)がある意思をもって運用された場合、過剰に表現の自由が侵されるかもしれないという危惧が指摘されている。送り手が攻撃・侮蔑の意図はないと宣言すれば表現の自由の名の下に無罪とするのか?この例でも、先日は自分の女性器を3Dプリンタで表現したアーティストが逮捕された。猥褻罪。アーティスト自身は「猥褻な意図ではない」と宣言している。それでも彼女は逮捕された。処罰、規制の運用がこのケースをもっと極端にしたような形で行われたらどうなるか?主観でしか判断できない線引きは、いくらでも恣意的な運用ができる。これでは誰もが納得する線引きは難しい。この規制が行き過ぎると、実質的に表現の自由は失われ、非常に安全性の高い表現しか残らなくなる。最終的には伊藤計劃の『ハーモニー』でミァハが語る台詞が現実味を帯びる日がくるのかもしれない。
昔の人の想像力が、昔の文学や絵画が、わたしはとってもうらやましいんだ。誰かを傷つける可能性を、常に秘めていたから。誰かを悲しませて、誰かに嫌悪を催させることができたから。
表現の自由の限界はどこまでかという話にはここで結論は出せない。けれど一点、いくら表現の自由といっても表現はその名の下にすべてが無罪でありノーリスクであるわけではないということは忘れてはいけない。法律を犯すような表現、極論すれば殺人をアートだと称することは明らかに自由の範囲を超えるし、仮に攻撃的・侮蔑的な表現が自由だとして保護されるとしても、相手にも逆に怒り、恨む権利はあるし対抗する権利もまたあるということは忘れてはいけない。怒りや恨みによる対抗的な表現もまた自由だからだ。「表現の自由で私はあなたを攻撃するよ。でもあなたは私を攻撃しないでね。これはあくまで表現。表現の自由なんだから」とはならない。
だから表現者は自分が行う表現に対してリスクを自覚的に覚悟しなければいけない。反論や対抗の可能性を意識しなければいけない。表現に対する責任を負わなければいけない。しかるに今回の件。サウジアラビア等のイスラーム諸国では今でも神の冒涜に対して死刑が求刑され、実行される。イスラームにおいて神の冒涜は極刑に値する罪なのだ。その論理と、特に911以降の欧米諸国とイスラーム過激派の悲惨な戦闘の経緯を鑑みれば、イスラームの神や預言者を冒涜する行為の代償として死を求められるリスクは確かに存在した。そのリスクを請け負った上で、命をかけてまで表現しようという気概が果たしてあったのか。自分もネットで問題となった漫画を見たけれど、あの本当にくだらない1コマ2コマのカットにそこまでの覚悟があったとはとても思えない。画像をここに転載したくもないくらいくだらないあの漫画に、命を落とす価値があるとは、申し訳ないけれど自分にはとても感じられない。
少し話は逸れるが、表現に対する責任を負うとは言っても、表現の結果生じた事態が、とても責任を負えないレベルに達することもありうる。最近話題になった北朝鮮の現役総書記をパロディにした映画をきっかけにサイバー攻撃の応酬が始まった件等、自分の表現が国家間の関係にまで影響を及ぼした場合、個人の表現者は一体どうやって責任が取れるのか?もし、この件で北朝鮮がミサイルを飛ばして戦争が始まったりしたら?リスクは表現者の手を離れてどこまでも拡大する可能性がある。だからといって自分の手に負える範囲でしか表現をしてはならないと言えば、それもまた表現の自由と可能性を奪うことになるのでそこには慎重にならないといけないが、せめて表現者は自分の表現のリスクに対してはある程度自覚的でいるべきだと思う。すべてを予見することは当然できないだろうけど。
ただこの事件では、犯行者が12人もの命を奪ったのはあきらかにやりすぎだ。確かにあの漫画もひどいものではあった。正直あのただ対象をバカにするだけで政治的主張も何も感じられないような浅薄な風刺画は、表現の自由といって守るほどのものなのかなと悩んでしまうくらいだ。だが、それにしても命を奪うことはない。今回のような致命的な暴力による表現への弾圧、脅迫はあってはならない。先に「イスラームにおいて神の冒涜は死に値する」と書いたが、実はこれは国家が定めた政治的な決まりであって、教義で定められているものではない。ハンムラビ法典では「目には目を、歯に歯を」と言われるが、これもまたよく言われる「自分がやられたことをやり返すべき」という意味ではないそうだ。あくまでイスラームの教義においては相手を許すことが一番いいとされる。けれどもどうしても許せない場合には「自分がやられたことまではやり返してもいいよ」と、報復のレベルに制限をかけるための法だということだ。ハンムラビ法典は限度のない復讐を明確に規制している。だからせめて、表現による侮辱には表現による侮辱で対抗すべきだった。相手に瑕疵があるとはいえ、命を奪う手段を取るべきではない。
今回の事件に対する抗議デモの中で、コーランの一節を引いて抗議のメッセージを掲げている写真をTwitterで見かけた。そこにはこう書かれているという。
互いに殺しあったのはあなたがたであり、(中略)凡そあなたがたの中でこのようなことをする者の報いは,現世における屈辱でなくてなんであろう。また審判の日には,最も重い懲罰に処せられよう。アッラーはあなたがたの行うことを見逃されない。
事件の後、今度はイスラーム関係の施設が各地で襲撃されているとの報が入ってきている。イスラームも我々も、このコーランの一節を、じっくりと噛みしめる必要があるのではないだろうか。
このような痛ましい事件が、もうこれ以上起きないことを祈ります。
まずは犠牲者となった方々に哀悼の意を表し、いかなる理由があれ文字通り致命的な暴力という手段に打って出る行為自体に同意することはまったくないということを明言した上で、それでもこの事件については色々と思うところがやはりある。ここに至るまでの社会背景は、それこそ歴史的なものから911以後の欧米とイスラームの対立、フランス国内におけるイスラーム系移民の扱い等々複雑なものがたくさん絡んでいるが、ここでは話を単純化して、ある一点に絞って考えてみたい。
この事件で自分が考えるのは、「表現の自由はどこまで許されるのか。許されない領域があるとしたら、その線引きはどこになるのか」ということ。今回は表現者がムハンマドを笑い物にするような漫画を風刺として送り出し、それを受け手がイスラームの聖人に対する侮辱と取ったことが直接の原因となった。犠牲者が出た非常に痛ましい事件ではあるが、これを「表現の自由に対する暴挙」と考えるのか、それとも「行き過ぎた表現の自由」と考えるのか。
奇しくも2年前、今回襲撃を受けたのと同じシャルリー・エブド紙がやはりムハンマドの風刺画を載せてイスラームの反感を買った時、当時のフランスのエロー首相は「表現の自由は支持するが、限界はある」と指摘したという。その限界はどこなのか。
誰しも自分が大切に思っているものを侮辱されたら、され続けたら怒る。それはわかる。だから表現の自由といってもそれは対象を明らかに侮蔑するようなものであってはならないという指摘も一理あるとは思う。けれど、果たして世界中の誰も不快にならないような表現など果たして可能であろうか?何よりも、表現が不快であるかどうかは送り手の問題でもあると同時に受け手の問題でもある。仮に送り手に侮蔑の意図がなかったとしても、受け手がそう取れば不快な表現となってしまう。メディアが発達し、価値観が多様化した現在、すべての受け手に不快を感じさせないようにと気を使い始めたら、最終的には沈黙するしかなくなる。
では表現の自由の名の下に、我々は何を発信してもいいのだろうか?誰を、何を侮蔑しても、傷つけても?最近話題のヘイトスピーチや、現役の国の元首をパロディにした映画なども、限界なく表現の自由で保護されるべきものなのだろうか?
一つの線引きとして、攻撃的、侮蔑的な意図をもって対象を表現することはできないとすることもできる。あるいは、表現の自由といってもその対象に対しては最低限の敬意を払うべきだと言うこともできる。でもその線引きは実に恣意的だ。その「攻撃的、侮蔑的であるか?」「対象に敬意が払われているか?」を判断するのは誰なのか?送り手なのか、受け手なのか、それともそのどちらでもない第三者なのか?先に指摘した通り、送り手にその気がなくとも受け手が「侮蔑だ」とすることもある。また、ヘイトスピーチに対する規制の話題でも、受け手の他に規制する側(権力者)がある意思をもって運用された場合、過剰に表現の自由が侵されるかもしれないという危惧が指摘されている。送り手が攻撃・侮蔑の意図はないと宣言すれば表現の自由の名の下に無罪とするのか?この例でも、先日は自分の女性器を3Dプリンタで表現したアーティストが逮捕された。猥褻罪。アーティスト自身は「猥褻な意図ではない」と宣言している。それでも彼女は逮捕された。処罰、規制の運用がこのケースをもっと極端にしたような形で行われたらどうなるか?主観でしか判断できない線引きは、いくらでも恣意的な運用ができる。これでは誰もが納得する線引きは難しい。この規制が行き過ぎると、実質的に表現の自由は失われ、非常に安全性の高い表現しか残らなくなる。最終的には伊藤計劃の『ハーモニー』でミァハが語る台詞が現実味を帯びる日がくるのかもしれない。
昔の人の想像力が、昔の文学や絵画が、わたしはとってもうらやましいんだ。誰かを傷つける可能性を、常に秘めていたから。誰かを悲しませて、誰かに嫌悪を催させることができたから。
表現の自由の限界はどこまでかという話にはここで結論は出せない。けれど一点、いくら表現の自由といっても表現はその名の下にすべてが無罪でありノーリスクであるわけではないということは忘れてはいけない。法律を犯すような表現、極論すれば殺人をアートだと称することは明らかに自由の範囲を超えるし、仮に攻撃的・侮蔑的な表現が自由だとして保護されるとしても、相手にも逆に怒り、恨む権利はあるし対抗する権利もまたあるということは忘れてはいけない。怒りや恨みによる対抗的な表現もまた自由だからだ。「表現の自由で私はあなたを攻撃するよ。でもあなたは私を攻撃しないでね。これはあくまで表現。表現の自由なんだから」とはならない。
だから表現者は自分が行う表現に対してリスクを自覚的に覚悟しなければいけない。反論や対抗の可能性を意識しなければいけない。表現に対する責任を負わなければいけない。しかるに今回の件。サウジアラビア等のイスラーム諸国では今でも神の冒涜に対して死刑が求刑され、実行される。イスラームにおいて神の冒涜は極刑に値する罪なのだ。その論理と、特に911以降の欧米諸国とイスラーム過激派の悲惨な戦闘の経緯を鑑みれば、イスラームの神や預言者を冒涜する行為の代償として死を求められるリスクは確かに存在した。そのリスクを請け負った上で、命をかけてまで表現しようという気概が果たしてあったのか。自分もネットで問題となった漫画を見たけれど、あの本当にくだらない1コマ2コマのカットにそこまでの覚悟があったとはとても思えない。画像をここに転載したくもないくらいくだらないあの漫画に、命を落とす価値があるとは、申し訳ないけれど自分にはとても感じられない。
少し話は逸れるが、表現に対する責任を負うとは言っても、表現の結果生じた事態が、とても責任を負えないレベルに達することもありうる。最近話題になった北朝鮮の現役総書記をパロディにした映画をきっかけにサイバー攻撃の応酬が始まった件等、自分の表現が国家間の関係にまで影響を及ぼした場合、個人の表現者は一体どうやって責任が取れるのか?もし、この件で北朝鮮がミサイルを飛ばして戦争が始まったりしたら?リスクは表現者の手を離れてどこまでも拡大する可能性がある。だからといって自分の手に負える範囲でしか表現をしてはならないと言えば、それもまた表現の自由と可能性を奪うことになるのでそこには慎重にならないといけないが、せめて表現者は自分の表現のリスクに対してはある程度自覚的でいるべきだと思う。すべてを予見することは当然できないだろうけど。
ただこの事件では、犯行者が12人もの命を奪ったのはあきらかにやりすぎだ。確かにあの漫画もひどいものではあった。正直あのただ対象をバカにするだけで政治的主張も何も感じられないような浅薄な風刺画は、表現の自由といって守るほどのものなのかなと悩んでしまうくらいだ。だが、それにしても命を奪うことはない。今回のような致命的な暴力による表現への弾圧、脅迫はあってはならない。先に「イスラームにおいて神の冒涜は死に値する」と書いたが、実はこれは国家が定めた政治的な決まりであって、教義で定められているものではない。ハンムラビ法典では「目には目を、歯に歯を」と言われるが、これもまたよく言われる「自分がやられたことをやり返すべき」という意味ではないそうだ。あくまでイスラームの教義においては相手を許すことが一番いいとされる。けれどもどうしても許せない場合には「自分がやられたことまではやり返してもいいよ」と、報復のレベルに制限をかけるための法だということだ。ハンムラビ法典は限度のない復讐を明確に規制している。だからせめて、表現による侮辱には表現による侮辱で対抗すべきだった。相手に瑕疵があるとはいえ、命を奪う手段を取るべきではない。
今回の事件に対する抗議デモの中で、コーランの一節を引いて抗議のメッセージを掲げている写真をTwitterで見かけた。そこにはこう書かれているという。
互いに殺しあったのはあなたがたであり、(中略)凡そあなたがたの中でこのようなことをする者の報いは,現世における屈辱でなくてなんであろう。また審判の日には,最も重い懲罰に処せられよう。アッラーはあなたがたの行うことを見逃されない。
事件の後、今度はイスラーム関係の施設が各地で襲撃されているとの報が入ってきている。イスラームも我々も、このコーランの一節を、じっくりと噛みしめる必要があるのではないだろうか。
このような痛ましい事件が、もうこれ以上起きないことを祈ります。
2014年12月19日金曜日
梅森直之編著『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』
ナショナリズムの画期的な研究家として名高いベネディクト・アンダーソン。日本でも右傾化が懸念され、隣国である中国や韓国、北朝鮮の動きも気になる中でナショナリズムとは何かを考えてみたいとずっと思っていた。奇しくもスコットランドやスペイン・カタルーニャ地方の独立騒動もあったこの年、まずはベネディクト・アンダーソン本人の著作の前に、比較的手軽そうな新書から手を出してみようとこの本を手に取った。
この本の内容は大きく二部に分かれる。前半は2005年4月に国際シンポジウム「グローバリズムと現代アジア」の中で二日間にわたって行われたベネディクト・アンダーソンの講演の収録。そして後半は編著者である梅森直之氏によるアンダーソンを読むに当たっての基本的な考え方の紹介と講演の解題という形になっている。
自分の勉強も兼ねてこの本の内容をまとめてみようとこの記事を書き始めてみたのだが、これが非常にまとめにくい。これは本の前半に来ているアンダーソンの講演が事前に氏の著作を読んでいることを前提にしているため、予備知識なしで頭から読み進めていくと少々わかりづらい点があるからだ。なのでこの記事は本の内容を書かれている順にまとめていくことはせず、本を読んでここから自分が理解したことをまとめていくような形で進めていくことにする。
ベネディクト・アンダーソンはナショナリズム、ひいては「国民」「ネーション」という意識はいつどこで、どのようにして生まれ、世界に広がってきたのかを考える。そしてその意識が世界にどのように影響を与え、相互作用してきたのかを注意深く観察していく。「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」とはアンダーソンの有名な言葉だが、果たしてそれはどのような意味なのか。
今では「国民」や「ネーション」といった概念は一般に普通に受け入れられている。だが法律的には、例えば日本人なら日本国籍を持つものが日本人でいいはずなのに、実際の「国民」の意識の区切りはそうなっていない。例えば日本に帰化した外国人は日本人か?逆に日本で生まれ育ったが外国に帰化した日本人はどうか?仮に日本に帰化した元横綱・武蔵丸を日本人とみなさず、ノーベル賞受賞時には既に日本国籍のない中村修二氏を日本人とみなすようなことがあるのであれば、その国籍以外の要素で区切られる国民、ネーションの意識とは何なのか。この点をまずアンダーソンは探求する。ナショナリズムとは何なのか。
それはまず、近代の発明(国籍という制度ができたのと同時に発生した概念)であるはずの「日本人」が、あたかも太古の昔に起源を持ち、今日に至るまで面々と続いてきたと主張する(国民の古代性)。次にそれは、実際にはかなりの人が出たり入ったりしているはずの「日本人」の境界を、閉ざされたものであるかのように装う(国民の閉鎖性)。最後にそれは、さまざまな偶然の結果である人間の集合を、共通の運命によって結ばれた共同体に変える(国民の共同性)。-『想像の共同体』より
この問いへの答えとして、アンダーソンは時間と空間に着目する。どのように人々が時間というものを認識しているのか。宗教的な時間、民俗的な時間、デジタルに刻まれる時間によって、人々の認識がどのように変わるか。また同様に、目に見える景色が、地図に描かれた空間が、人々の認識にどのような影響を与えるか。それがネーションの意識を規定すると。
時間が何故ネーションの意識を規定するものとなりえるのか。アンダーソンは「2014年12月20日 21時27分」というような日常で用いられる標準的な時間を「均質で空虚な時間」とし、このような標準的で過去から未来に向かって規則正しく流れていく時間の感覚は歴史の中で発明されたものだと言う。本来歴史や文化によって多様であった時間感覚を、世界共通の「均質で空虚な時間」が浸透することにより人々の間に「同時性」の感覚が生まれた。そのことで世界の人々は時間を共有することが可能になった。かねてより人類学の世界は提唱されている、時間の発明だ。標準的な時間を得ることにより、まず人類は「時間を共有するコミュニティ」としてまとまることになる。
ここから時間を共有した人々の中にさらに「ネーション」という概念が生まれるには、加えて空間が境界によって区切られなければならない。解放された時間による共有から、空間による細分化によりネーションが生まれる。その役割に、ネーションを境界で区切るきっかけ作りに、貢献したのが言葉だった。ネーションの意識の空間的な源泉として、言葉が通じる範囲、つまりコミュニケート可能な範囲が原初のネーションとして意識されたわけだ。
標準的な時間と言葉によって区切られた原初のネーションの意識を、さらに細分化し強化したのが「出版資本主義」だとアンダーソンは指摘する。出版資本主義はまず商圏の拡大のために方言を統一化した「標準語」を生み出した。日本語で例えれば、東北弁で書かれた新聞を九州の人がすんなり理解するのは難しいので、便宜的に日本全国で通じる文字通り「標準的な」言葉として標準語が生み出された。これにより出版資本主義は新聞や雑誌を「全国に」売り出すことが可能になる。そして人々は新聞や雑誌を読む度に同じ時間と、言葉によって区切られた空間を共有し、集団への帰属意識を高めていった。このようにして「想像の共同体」は生まれる。
そして時間と空間で区切られた共同体に愛着を与え、ナショナリズムを生み出すきっかけとなったのが植民地で生まれ育った人々、クレオールだという。決して本国と同等の立場になることのないクレオールの本国に対するコンプレックスはそのまま自らが属する共同体への愛着へと裏返され、そこに「国民」「ナショナリズム」という観念が生まれる。後でまた触れるが、その植民地で生まれたネーションへの強い愛着、「国民」という強い意識が、ナショナリズムとなって一連の植民地解放運動の力となった。
そして一度生まれた「国民」という概念は模倣可能な「モジュール」となり、模倣を通じて世界中に伝播していくことになる。2005年の公演、この本の前半部では、アンダーソンはそのモジュール化されたナショナリズムが初期グローバリズムの中でどのように世界各地で模倣され、広がっていったかについて語っている。
もう一つ、クレオール発の国民意識を民衆の意識に自発的に芽生えたボトムアップ的なナショナリズムだとすれば、権力側が民衆を自分たちの帝国により強く結び付けようと意図的に国民意識を植え付けるトップダウン的な「公定ナショナリズム」とアンダーソンが呼ぶものが生まれてくる。これは世界、特にヨーロッパ各地でナショナリズムというモジュールが模倣され、伝播し、民衆運動が盛んになる中、それを脅威に感じた権力が民衆をより強く自国に結び付けておくために試みられた。開国から明治国家形成に至るまでの日本のナショナリズムもここに分類されている。黒船来襲以来、外国の脅威を目の当たりにしたこの時期の日本は、他国に飲みこまれないためにも国民の帰属意識、ナショナリズムを強めていく必要があったのは想像に難くない。
では実際、上記のように生まれたナショナリズムの概念が19世紀末から始まる初期グローバリズムの中でどのように広がっていったか。グローバリゼーションが生まれる要因も含めてアンダーソンは言及する。グローバリゼーションの発生・発展のきっかけとなった出来事は2つ。1つはモールスによる電信の開発、そしてもう1つは世界中をつなぐ輸送、物流の発展だった。
およそ130年前、瞬時に情報を世界中に伝えることができる電信の誕生によって初めてグローバリゼーションは可能になり、誕生した。電信は1850年代に急速に世界中に広がり、1870年代には海底ケーブルが主要な海洋をすべて横断し、つなぐまでに発展。やがて絵や写真も送れるようになる。この電信により人類史上初めて、情報が瞬時に世界中を駆け巡る時代が到来する。もちろん現在のインターネットほど便利ではないが、それでも情報が一瞬で世界中に届く時代は、もうこの頃に生まれていた。
そして汽船や鉄道の整備が世界中で進んでいき、1874年に万国郵便連合が設立されると、手紙、書籍、雑誌、新聞などがこれまでにない規模で国境を越えて大量に輸送されるようになる。これによりローカルにいながらにして世界中の情報、写真等にも触れることができるようになっていく。早くて安全な蒸気船の交通網が発達することで世界の物流は効率化され、海を渡る巨大な人の流れも生まれる。これら電信と輸送の発達を背景に出版と商業がつながり情報がグローバル化したこと、これをアンダーソンは「出版資本主義」と呼んでいる。出版資本主義は先の標準語の発明で商圏をまとめ、さらに翻訳によって世界中に情報を運んでいった。この「出版資本主義」が世界中の植民地で起こるナショナリズムをつなぎ、伝え、そしてそれが世界各地で模倣されたのが初期グローバル化の空間だったとアンダーソンは言う。
19世紀の末、世界各地で同時多発的に白人帝国主義と植民地の戦いが始まる。ホセ・マルティが起こしたキューバ革命、ホセ・リナールのフィリピン革命、南アフリカにおけるイギリスとボーア人の戦い…。発展した電信と輸送は、これらの国々の植民地勢力がお互いに連絡を取り合うことを可能にした。また他の国々は新聞や雑誌等を通じてこれらの植民地解放運動の情勢を知ることとなり、それはあらためて自国の「ネーションとは何か、どうあるべきか」を意識させるきっかけとなった。出版資本主義はネーションの概念を伝えるだけでなく、植民地解放のためにどう戦うかまでもモジュール化し、模倣の助けとなっていた。
同様の情報伝搬による模倣は19世紀末から20世紀初頭のアナーキズムにおいても起こり、それは世界各国の主導者の暗殺という形で具現化された。アナーキストたちは世界各地の情報をグローバルに見聞きし、模倣し、実行したわけだ。その実行には各地のナショナリストも多く関わった。アナーキストたちは要人の暗殺を世界に対するメッセージとして利用し、それは出版資本主義により世界各地に伝えられ、目論見通りの効果を上げた。
このように、通信と輸送の発達によって遠い国のナショナリズムやアナーキズムがグローバルに広がっていき、世界中にナショナリズムが強く意識され、芽生え、実行されていく。それが初期グローバル化の時代に起きていたことだった。
では現代はどうだろう。アンダーソン曰く、第二次世界大戦の終結から実に1980年代までナショナリズムはヨーロッパにおいて妖しげな観念に他ならなかった。ヒトラーと様々なナショナリズム、ファシスト政権、日本の軍国主義的帝国主義、それらが引き起こした凄惨な光景を目の当たりしたからこそ、ヨーロッパでナショナリズムは反動的で遅れたもの、研究する価値のないものとみなされていた。しかし1960年代から1970年代にかけて、世界各地で多くの地域が植民地からの独立を勝ち取っていき、75年のポルトガル帝国の崩壊を持って植民地解放の時代が終わる。そしてさらに重要なことに、時期を同じくしてヨーロッパ内部において地域ナショナリズムの萌芽が芽生え始める。スコットランド、ウェールズ、カタルーニヤ、バスク、ブルターニュ、シチリアなど。これら植民地の解放と地域ナショナリズムにより、時代遅れと思われていたナショナリズムは新たな形で勃興していく。
公演後の質疑応答の中でアンダーソンは今後ナショナリズムによる国家の領土の拡大は考えにくいが、逆にネーションのさらなる分割は充分起こりえると話している。特に脆弱なのはイギリス、ロシア、中国にインド。ヨーロッパではスペインも、と。この講義が行われたのが2005年、本として出版されたのが2007年。その後、世界ではアンダーソンが言及したような事象が多数起きてきている。アラブの春では民衆蜂起によるチュニジア政権崩壊を発端に、ヨルダン、バーレーン、リビア、そしてシリアと次々に飛び火。Facebookを使った情報のやり取りはまさにモジュール化され、模倣されていった。ウクライナではクリミア自治区が騒乱を起こし、スコットランドではイギリスからの独立を問う住民投票が実施された。時期を同じくしてスペイン・カタルーニャ地方でも独立を問う非公式な住民投票が実施されるなど、ここ数年でナショナリズムの動きは活発化しているように思える。隣国中国の尖閣諸島、韓国の竹島での動きももちろんだ。
これらの動きに対して、この本では予見はしていてもその後どうなるか、どうすべきかという話は出てこない。それはこれから語られるべきこと、あるいは我々が自分で考えていくべきことなのだと思う。
自分はベネディクト・アンダーソンをレヴィ=ストロースや、あるいはガルシア・マルケスの正当な後継者だと感じた。本人も『想像の共同体』は正真正銘の構造主義的テクストだと思っていたと語っている(ただし、実際にはデリダやフーコーの影響が強く感じられるポスト構造主義的、ポストモダン的なテクストとして受容されたとも語っている。執筆当時アンダーソンはデリダもフーコーも読んだことはなかったそうだけど)。そしてこの『想像の共同体』は意外なことにあのジョージ・ソロスによって旧ソ連内のすべての言語に翻訳されるべき100冊の重要な本の1つに選ばれている。意外な人物が出てくるものだ。
最後に、ここ数年また活発化してきているナショナリズムの今後を占うために、『想像の共同体』の時点では考慮されていなかったがその後アンダーソンが重視するようになったというネーションとグローバリズムの関係について触れておきたい。ネーションの比較研究のためにはネーションをあたかも境界づけられた1つの単位であるかのように扱い、比較の物差しをはっきりさせないといけないとアンダーソンは言う。けれども実際のネーションは絶え間ない動きのうちにあり、変化し、他のユニットと相互作用していく。だからこそナショナリズムをグローバルな文脈で比較し、論じるためにはナショナリズムがそこで生じ、変化し、相互作用する重力場について見なくてはいけない。今後の世界情勢を見ていく時、この視点は重要だと感じる。ナショナリズムの動きが世界で活発になってきている現在、アンダーソンのような視点でその動きを解明していく思考は大切ではないだろうか。自分としては今後是非、『想像の共同体』を始めとする氏の著作も読んでいきたい。
この本の内容は大きく二部に分かれる。前半は2005年4月に国際シンポジウム「グローバリズムと現代アジア」の中で二日間にわたって行われたベネディクト・アンダーソンの講演の収録。そして後半は編著者である梅森直之氏によるアンダーソンを読むに当たっての基本的な考え方の紹介と講演の解題という形になっている。
自分の勉強も兼ねてこの本の内容をまとめてみようとこの記事を書き始めてみたのだが、これが非常にまとめにくい。これは本の前半に来ているアンダーソンの講演が事前に氏の著作を読んでいることを前提にしているため、予備知識なしで頭から読み進めていくと少々わかりづらい点があるからだ。なのでこの記事は本の内容を書かれている順にまとめていくことはせず、本を読んでここから自分が理解したことをまとめていくような形で進めていくことにする。
ベネディクト・アンダーソンはナショナリズム、ひいては「国民」「ネーション」という意識はいつどこで、どのようにして生まれ、世界に広がってきたのかを考える。そしてその意識が世界にどのように影響を与え、相互作用してきたのかを注意深く観察していく。「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」とはアンダーソンの有名な言葉だが、果たしてそれはどのような意味なのか。
今では「国民」や「ネーション」といった概念は一般に普通に受け入れられている。だが法律的には、例えば日本人なら日本国籍を持つものが日本人でいいはずなのに、実際の「国民」の意識の区切りはそうなっていない。例えば日本に帰化した外国人は日本人か?逆に日本で生まれ育ったが外国に帰化した日本人はどうか?仮に日本に帰化した元横綱・武蔵丸を日本人とみなさず、ノーベル賞受賞時には既に日本国籍のない中村修二氏を日本人とみなすようなことがあるのであれば、その国籍以外の要素で区切られる国民、ネーションの意識とは何なのか。この点をまずアンダーソンは探求する。ナショナリズムとは何なのか。
それはまず、近代の発明(国籍という制度ができたのと同時に発生した概念)であるはずの「日本人」が、あたかも太古の昔に起源を持ち、今日に至るまで面々と続いてきたと主張する(国民の古代性)。次にそれは、実際にはかなりの人が出たり入ったりしているはずの「日本人」の境界を、閉ざされたものであるかのように装う(国民の閉鎖性)。最後にそれは、さまざまな偶然の結果である人間の集合を、共通の運命によって結ばれた共同体に変える(国民の共同性)。-『想像の共同体』より
この問いへの答えとして、アンダーソンは時間と空間に着目する。どのように人々が時間というものを認識しているのか。宗教的な時間、民俗的な時間、デジタルに刻まれる時間によって、人々の認識がどのように変わるか。また同様に、目に見える景色が、地図に描かれた空間が、人々の認識にどのような影響を与えるか。それがネーションの意識を規定すると。
時間が何故ネーションの意識を規定するものとなりえるのか。アンダーソンは「2014年12月20日 21時27分」というような日常で用いられる標準的な時間を「均質で空虚な時間」とし、このような標準的で過去から未来に向かって規則正しく流れていく時間の感覚は歴史の中で発明されたものだと言う。本来歴史や文化によって多様であった時間感覚を、世界共通の「均質で空虚な時間」が浸透することにより人々の間に「同時性」の感覚が生まれた。そのことで世界の人々は時間を共有することが可能になった。かねてより人類学の世界は提唱されている、時間の発明だ。標準的な時間を得ることにより、まず人類は「時間を共有するコミュニティ」としてまとまることになる。
ここから時間を共有した人々の中にさらに「ネーション」という概念が生まれるには、加えて空間が境界によって区切られなければならない。解放された時間による共有から、空間による細分化によりネーションが生まれる。その役割に、ネーションを境界で区切るきっかけ作りに、貢献したのが言葉だった。ネーションの意識の空間的な源泉として、言葉が通じる範囲、つまりコミュニケート可能な範囲が原初のネーションとして意識されたわけだ。
標準的な時間と言葉によって区切られた原初のネーションの意識を、さらに細分化し強化したのが「出版資本主義」だとアンダーソンは指摘する。出版資本主義はまず商圏の拡大のために方言を統一化した「標準語」を生み出した。日本語で例えれば、東北弁で書かれた新聞を九州の人がすんなり理解するのは難しいので、便宜的に日本全国で通じる文字通り「標準的な」言葉として標準語が生み出された。これにより出版資本主義は新聞や雑誌を「全国に」売り出すことが可能になる。そして人々は新聞や雑誌を読む度に同じ時間と、言葉によって区切られた空間を共有し、集団への帰属意識を高めていった。このようにして「想像の共同体」は生まれる。
そして時間と空間で区切られた共同体に愛着を与え、ナショナリズムを生み出すきっかけとなったのが植民地で生まれ育った人々、クレオールだという。決して本国と同等の立場になることのないクレオールの本国に対するコンプレックスはそのまま自らが属する共同体への愛着へと裏返され、そこに「国民」「ナショナリズム」という観念が生まれる。後でまた触れるが、その植民地で生まれたネーションへの強い愛着、「国民」という強い意識が、ナショナリズムとなって一連の植民地解放運動の力となった。
そして一度生まれた「国民」という概念は模倣可能な「モジュール」となり、模倣を通じて世界中に伝播していくことになる。2005年の公演、この本の前半部では、アンダーソンはそのモジュール化されたナショナリズムが初期グローバリズムの中でどのように世界各地で模倣され、広がっていったかについて語っている。
もう一つ、クレオール発の国民意識を民衆の意識に自発的に芽生えたボトムアップ的なナショナリズムだとすれば、権力側が民衆を自分たちの帝国により強く結び付けようと意図的に国民意識を植え付けるトップダウン的な「公定ナショナリズム」とアンダーソンが呼ぶものが生まれてくる。これは世界、特にヨーロッパ各地でナショナリズムというモジュールが模倣され、伝播し、民衆運動が盛んになる中、それを脅威に感じた権力が民衆をより強く自国に結び付けておくために試みられた。開国から明治国家形成に至るまでの日本のナショナリズムもここに分類されている。黒船来襲以来、外国の脅威を目の当たりにしたこの時期の日本は、他国に飲みこまれないためにも国民の帰属意識、ナショナリズムを強めていく必要があったのは想像に難くない。
では実際、上記のように生まれたナショナリズムの概念が19世紀末から始まる初期グローバリズムの中でどのように広がっていったか。グローバリゼーションが生まれる要因も含めてアンダーソンは言及する。グローバリゼーションの発生・発展のきっかけとなった出来事は2つ。1つはモールスによる電信の開発、そしてもう1つは世界中をつなぐ輸送、物流の発展だった。
およそ130年前、瞬時に情報を世界中に伝えることができる電信の誕生によって初めてグローバリゼーションは可能になり、誕生した。電信は1850年代に急速に世界中に広がり、1870年代には海底ケーブルが主要な海洋をすべて横断し、つなぐまでに発展。やがて絵や写真も送れるようになる。この電信により人類史上初めて、情報が瞬時に世界中を駆け巡る時代が到来する。もちろん現在のインターネットほど便利ではないが、それでも情報が一瞬で世界中に届く時代は、もうこの頃に生まれていた。
そして汽船や鉄道の整備が世界中で進んでいき、1874年に万国郵便連合が設立されると、手紙、書籍、雑誌、新聞などがこれまでにない規模で国境を越えて大量に輸送されるようになる。これによりローカルにいながらにして世界中の情報、写真等にも触れることができるようになっていく。早くて安全な蒸気船の交通網が発達することで世界の物流は効率化され、海を渡る巨大な人の流れも生まれる。これら電信と輸送の発達を背景に出版と商業がつながり情報がグローバル化したこと、これをアンダーソンは「出版資本主義」と呼んでいる。出版資本主義は先の標準語の発明で商圏をまとめ、さらに翻訳によって世界中に情報を運んでいった。この「出版資本主義」が世界中の植民地で起こるナショナリズムをつなぎ、伝え、そしてそれが世界各地で模倣されたのが初期グローバル化の空間だったとアンダーソンは言う。
19世紀の末、世界各地で同時多発的に白人帝国主義と植民地の戦いが始まる。ホセ・マルティが起こしたキューバ革命、ホセ・リナールのフィリピン革命、南アフリカにおけるイギリスとボーア人の戦い…。発展した電信と輸送は、これらの国々の植民地勢力がお互いに連絡を取り合うことを可能にした。また他の国々は新聞や雑誌等を通じてこれらの植民地解放運動の情勢を知ることとなり、それはあらためて自国の「ネーションとは何か、どうあるべきか」を意識させるきっかけとなった。出版資本主義はネーションの概念を伝えるだけでなく、植民地解放のためにどう戦うかまでもモジュール化し、模倣の助けとなっていた。
同様の情報伝搬による模倣は19世紀末から20世紀初頭のアナーキズムにおいても起こり、それは世界各国の主導者の暗殺という形で具現化された。アナーキストたちは世界各地の情報をグローバルに見聞きし、模倣し、実行したわけだ。その実行には各地のナショナリストも多く関わった。アナーキストたちは要人の暗殺を世界に対するメッセージとして利用し、それは出版資本主義により世界各地に伝えられ、目論見通りの効果を上げた。
このように、通信と輸送の発達によって遠い国のナショナリズムやアナーキズムがグローバルに広がっていき、世界中にナショナリズムが強く意識され、芽生え、実行されていく。それが初期グローバル化の時代に起きていたことだった。
公演後の質疑応答の中でアンダーソンは今後ナショナリズムによる国家の領土の拡大は考えにくいが、逆にネーションのさらなる分割は充分起こりえると話している。特に脆弱なのはイギリス、ロシア、中国にインド。ヨーロッパではスペインも、と。この講義が行われたのが2005年、本として出版されたのが2007年。その後、世界ではアンダーソンが言及したような事象が多数起きてきている。アラブの春では民衆蜂起によるチュニジア政権崩壊を発端に、ヨルダン、バーレーン、リビア、そしてシリアと次々に飛び火。Facebookを使った情報のやり取りはまさにモジュール化され、模倣されていった。ウクライナではクリミア自治区が騒乱を起こし、スコットランドではイギリスからの独立を問う住民投票が実施された。時期を同じくしてスペイン・カタルーニャ地方でも独立を問う非公式な住民投票が実施されるなど、ここ数年でナショナリズムの動きは活発化しているように思える。隣国中国の尖閣諸島、韓国の竹島での動きももちろんだ。
これらの動きに対して、この本では予見はしていてもその後どうなるか、どうすべきかという話は出てこない。それはこれから語られるべきこと、あるいは我々が自分で考えていくべきことなのだと思う。
自分はベネディクト・アンダーソンをレヴィ=ストロースや、あるいはガルシア・マルケスの正当な後継者だと感じた。本人も『想像の共同体』は正真正銘の構造主義的テクストだと思っていたと語っている(ただし、実際にはデリダやフーコーの影響が強く感じられるポスト構造主義的、ポストモダン的なテクストとして受容されたとも語っている。執筆当時アンダーソンはデリダもフーコーも読んだことはなかったそうだけど)。そしてこの『想像の共同体』は意外なことにあのジョージ・ソロスによって旧ソ連内のすべての言語に翻訳されるべき100冊の重要な本の1つに選ばれている。意外な人物が出てくるものだ。
最後に、ここ数年また活発化してきているナショナリズムの今後を占うために、『想像の共同体』の時点では考慮されていなかったがその後アンダーソンが重視するようになったというネーションとグローバリズムの関係について触れておきたい。ネーションの比較研究のためにはネーションをあたかも境界づけられた1つの単位であるかのように扱い、比較の物差しをはっきりさせないといけないとアンダーソンは言う。けれども実際のネーションは絶え間ない動きのうちにあり、変化し、他のユニットと相互作用していく。だからこそナショナリズムをグローバルな文脈で比較し、論じるためにはナショナリズムがそこで生じ、変化し、相互作用する重力場について見なくてはいけない。今後の世界情勢を見ていく時、この視点は重要だと感じる。ナショナリズムの動きが世界で活発になってきている現在、アンダーソンのような視点でその動きを解明していく思考は大切ではないだろうか。自分としては今後是非、『想像の共同体』を始めとする氏の著作も読んでいきたい。
2014年12月9日火曜日
日本農政私感-自由競争の前提条件
突然訪れた衆院選。アベノミクスに対してYESかNOかというような論点が主流のようだが、そんな中今、日本の農政はどのような方向に進むのがよいのか。これまであまり考えを表立っては述べてこなかったが、自分なりの意見をここに書いてみたいと思う。
まず現在の農業、特に新潟をとりまく状況を簡単に眺めてみる。新潟と言えばやはり生産者の収益やマインドに大きく影響するのは米、特にコシヒカリの動向だ。新潟コシヒカリ(一般)の生産者米価を見てみると、近年だけを見ても2012年に15000円だったものが今年2014年は12000円に下がっている。わずか2年で実に20%の下落。消費低迷や在庫過剰、MA米、TPP(これはどうなるかまだわからないけれど)の現状を考えると今後も米価自体が上がっていく状況にあるとは考えにくい。この見通しが新潟の米生産者の意欲に暗い影を落としている部分があることは正直否めない。
例えば生産者米価の全国下限が7000円程度になれば国際市場でも価格的に戦えるという。国としてはTPPを見据えてこのレベルまで米価を下げたいという思惑があるらしい。今年の仮渡金の全国下限が8810円。それを7000円まで落とすには現在からさらに2割強価格を落とす計算になるので、同じ割合で新潟コシの価格も下落すると仮定するとその時の価格は約9500円。一万円を切ってしまう。ここ2年で2割生産者米価は落ちたというのに、さらにそこからまた2割落とす。当然その分売上は小さくなり、収益を圧迫する。
そんな中、国の政策は簡単にいえば大規模化・集約化。若く意欲のある農家に農地を集めて大型機械を導入し、作業の効率化をはかることで生産コストの低減を図り競争力を上げようというもの。でも冷静に考えてほしい。大規模化・集約化程度のことをいくらやったところで、生産者米価の2割下落×2をカバーできるほどのコスト削減ができるだろうか?それほど大きなコスト削減は、ただ単に大型化と集約による効率化だけでは難しいと言わざるをえない。今回の選挙の街頭演説でも一様に候補者は「米の値段が下がる。苦しいです。でも頑張りましょう」と声を張るが、どう頑張れと言うのか?
さらに言えば機械のコストは上がる一方。大きな要因として鉄や原油等の原料の値上がりがあるが、それ以外に政治的な要因がここにきて大きく響いている。その最たるものがディーゼルエンジンの排ガス規制。この排ガス規制は2014年11月から50馬力以上が、翌2015年9月からは25馬力以上が規制の対象になり、それぞれ排ガスをクリーンにするための装置を付けていかなければならない。その装置を付けることにより機械の実売価格がモノにより違いはあるものの30万円~100万円も跳ね上がる。500万円クラスの機械で100万円上がるケースもある。現在米の生産者が使用しているトラクターやコンバインは個人でも30馬力以上が主流になっているし、大規模な生産法人となれば50馬力以上のものが一般的だ。果樹で使う防除機、ステレオスプレーヤも600L以上のクラスはすべて25馬力以上のディーゼルエンジン。これらが軒並み政治的な理由で、生産性が上がるわけでもない機械の更新により価格が大きく上がる。
エンジンだけでなくモーターも値上がりする。省エネ法の施行により2015年4月以降生産される機械に関しては現行のモーターよりエネルギー消費効率のよいトップランナーモーターを使用しなければいけなくなる。それによりモーターを使っている機械はモーター一つ当たり軒並み3万円~5万円価格が上がる。米農家の機械でいうなら乾燥機や籾摺機がこの対象になる。農水省の議事録を読んでいると相変わらず農業は省エネやエコに積極的に貢献していくべきだとの論調ばかりでそれに対するコスト面の批判は出ていないようだが、余計なことをやるとコストは上がるということは少しは認識してほしいもの。
その他ビニールや肥料、農薬といった資材の価格もデフレ下においてですらずっと上昇が続いており、生産物の消費者価格が下がる一方でコストは右肩上がりに上がっていく。
このように最終生産物の価格が下がっていくのにコストは大きく上がっていく中、農業が生き残るために必要な要素は何か。補助金だったり海外生産だったり色々と考えられることはあるが、一番大事なことは生産物の価格決定権を生産者に与えることだと思う。関税自由化も市場原理による自由競争も結構なことだが、自由競争といいつつ農協等の卸が買い取り価格を一方的に決め、生産者がその価格で出荷するという現在の制度では農業経営も何もあったものじゃない。
米なんてその最たるもので、昨年の在庫がたくさん残っているから買い取り価格を下げますという指示を全農が出し、民間の業者の買い取り価格すら程度の差はあれそれに準じる。供給過多で値段が下がるのはマクロ経済における神の手として理論上理解できるが、それを卸が勝手にやるのが自由経済なのか。それは神の手ではない。人の手だ。
去年の米が余ってるから今年の米を安く買いますというのもおかしな話で、去年の古米と新米では誰が食べてもわかるくらい風味には違いがあるのに、それを同列に扱って新米を安く買いますよというのは完全に卸の都合でしかない。本来は次の年の新米が出てくる時分になっても買った米が余ってるのは買った卸の責任で、卸は風味の落ちる古米を安く売る等で在庫処分しなければならないはず。なのに売れ残った責任を生産者に押しつけて自分達は新米を安く買う。そもそもこういったことがまかり通っていること自体が自由競争というならおかしいだろう。卸は次の年まで残らないように見越して米を仕入れ、もし次の新米が出てくるまで在庫があったなら安売りでも何でもして在庫処分。つまり買った分に関しては自分がリスクを負うのが正しい形なのに、そうはならずに卸がリスクを徹底的に押しつけて今の農業界は成り立っている。
現状は農協が需給を見て価格調整する形で、その代わりに生産者がいくら出しても農協側では(等級等検査はあるものの)買い取りますよという形で成り立っている。少なくとも米に関しては野菜と違ってせっかく作ったものを出荷できずに廃棄というようなことは(一定品質に届いていない分は除いて)起きていない。生産者としては作った米を出荷できないリスクはない代わりに、価格決定権は手放していたという形だ。
今後は減反廃止に合わせて生産者が需給を見て、例えば主食用米を作るのか飼料用米を作るのかを決めていってほしいと国は言う。そうであるなら合わせて農協等の卸も自己責任で在庫管理を行うようにし、出された分は何でもかんでも全量買い取るという方向を改めるべきだ。卸が主食用米が供給過剰・在庫過多でもう買えないし、生産者も主力用米を作っても売れないという状況で自らの意思でそれでも買い取りをしてもらえる飼料米に生産をシフトするなら話はわかる。けれども今のように卸が主食用米の価格を下げて、仕方がないから飼料用米と補助金で息をするというような在り方はとても自由経済とはいえない。
だからまず、健全な自由競争を行う上で、農協のような卸があらかじめ価格を決定するのでなく、生産者が価格を決定できることは絶対必要になる。そうして初めてコストの転嫁や需給調整ができる。農協のような卸も米が残ったから安く買うなんてことはできなくなり、自分の仕入れに責任を持たなければいけなくなるから、売れる見込み分しか仕入ないようにするしかない。そのような状況になれば生産者も供給過多で自分が提示した金額で買う卸がいないなら価格を下げようか、あるいは需要が多くて価格を上げられるなら上げようか、それとも何か違ったものを作ろうかという自由競争が行えるようになる。
農業で自由競争を導入するなら、合わせて農協の解体も必要になってくるだろう。よく言われるのは金融部門の切り離しだが、自分はむしろ集荷・出荷業務、いわゆる農協の卸業の部分のみ切り離し民営化でいいと思う。農協の営農支援や金融は生産者にとって有益な部分も多くあり、むしろ急いで民営化する理由は自分には見当たらない。
農協の卸業部分を切り離す目的は、民営化・営利化することで農協間の卸業務の価格競争を促進すること。そのために現在広域合併が進み巨大化している農協を、民営化のタイミングで再度細かい地域レベルに細分化する。生産者が最寄りの農協が自分の提示価格で買ってくれなくても簡単に隣近所の農協に買ってくれるかどうか打診できる状況が大事だ。そのような状況を生み出すことで「この価格で出さないなら買わない」と卸の側が強気に出ることを牽制する。農協の卸業務が民営化されれば独禁法の対象外となるので、地域の農協すべてが結託して価格決定ということも当然できない。このようにして自由経済が活動できる場をまず整えることが肝要だ。
今でも産直ではこのように生産者が価格決定権を持った上で自由経済を営むという動きは出ていて、自分はそれを歓迎している。けれども、一般的に産直でさばける量は農協やスーパーへの出荷と比べると多くはない。一部スーパー等で生産開始前にあらかじめ価格を決定した上での契約栽培等の方法も出てきていているが、それもまだ一般的というには程遠い。だからこそ量を確保できる農協等の卸に対して生産者が価格決定権を持つということは重要になる。
前提として、生産者側でも原価を正確に管理することは必要だろう。現状、生産コストが正確にいくらかかっていて、品種や作物ごとの利益率はどのくらいかということを正確に把握している生産者は少ない。でもそこをしっかり管理し損益分岐点を正確に把握することで初めて値下げをどこまでできるのかの駆け引きもできるようになる。余談ながら、日本の農業でIT化を導入するとしたら、オランダのIT農業みたいに生産物の管理をする前に、まずこうした労務費も含めたコスト管理の部分から始めるのが費用対効果としては高いのでないかと思っている。それは価格決定権を持った自由競争下で効いてくる投資となる。
生産者が価格決定権を持ち、農協等の卸が仕入に責任を持つようになることで、国が望むようにTPPを見据えた農産物の輸出にもむしろ対応はしやすくなるだろう。現在は輸出用の米は数少ない業者が主食用米よりも安い価格で買い、生産者側へのメリットとしては輸出米分は減反分として認めることで調整されている。そうではなく、卸は生産者から主食用米と同じ価格で仕入れればいい。仕入れた後国内に売るのか輸出するのかというのは販売する卸の責任であって生産者の問題ではないのだから、輸出するからといって生産者が卸への販売価格を下げる理由は本来ない(始めから輸出用にコストを抑えて安価な品種を契約栽培、といった形は別として)。農産物の輸出を国が促進していきたいというのなら、その分の補助を生産者に出すのでなく輸出を行う卸業社に出せばいい。そうすることで農産物の輸出業者は自動車などの工業製品と同じ「輸出企業」になるわけだから、そのサポートはこの国は手慣れたもの。円安誘導もできるし、法人税の特例措置で税金下げてもいいし、輸出量に応じて補助金を出してもいい。国も大好きなグローバル企業と同じ扱いで農業の促進もできるようになるのだから、むしろ扱いやすくなるのではないだろうか。円安で日本の農産物価格が安くなり海外需要が増えれば、卸はどんどん国内の農産物を仕入れればいい。そのサイクルがうまく回れば国外へ向けての供給が増え生産者価格も上がり、農業の景気もよくなるだろう。何しろ世界的に見れば今も、そして今後はもっと、食糧は不足しているのだから。
まとめると、自分が考える今後の農業の理想形は大雑把に以下のようになる。
・生産者が生産物に対して価格決定権を持つ
・農協の卸部門は切り離し、民営化する
・卸は仕入れた生産物の販売を生産者に責任を押し付けず自己責任で行う
・生産者はコスト管理をより厳密に行う
最低限上記をクリアすることで市場原理の中で農業が自由競争を行う準備が整うことになる。その上で、卸が販路を国内だけに向けるのでなく海外へ輸出するという動きを、国には精一杯サポートしてほしい。人口減少時代に入る日本では、国内需要を大きく伸ばすことは難しい。それよりも今後食糧不足が深刻になる世界に向けて食糧を供給していくことが明るい道だ。自分はそう考える。
今回は特に大規模大量生産の一般的な農業生産者が発展するための条件について書いてみたが、これとは別に品質やブランド化にこだわり、プレミアのついた生産物を少量生産することで発展する道もあると思う。あまり肯定的ではないけれど六次産業化なども実はこちらの道だ。こちらについてはまた、いつか改めて書いてみたい。
…で、このように思い描いているヴィジョンを現実のものとするためには、自分は今回の衆院選、一体どこに投票すればよいのだろう???
まず現在の農業、特に新潟をとりまく状況を簡単に眺めてみる。新潟と言えばやはり生産者の収益やマインドに大きく影響するのは米、特にコシヒカリの動向だ。新潟コシヒカリ(一般)の生産者米価を見てみると、近年だけを見ても2012年に15000円だったものが今年2014年は12000円に下がっている。わずか2年で実に20%の下落。消費低迷や在庫過剰、MA米、TPP(これはどうなるかまだわからないけれど)の現状を考えると今後も米価自体が上がっていく状況にあるとは考えにくい。この見通しが新潟の米生産者の意欲に暗い影を落としている部分があることは正直否めない。
例えば生産者米価の全国下限が7000円程度になれば国際市場でも価格的に戦えるという。国としてはTPPを見据えてこのレベルまで米価を下げたいという思惑があるらしい。今年の仮渡金の全国下限が8810円。それを7000円まで落とすには現在からさらに2割強価格を落とす計算になるので、同じ割合で新潟コシの価格も下落すると仮定するとその時の価格は約9500円。一万円を切ってしまう。ここ2年で2割生産者米価は落ちたというのに、さらにそこからまた2割落とす。当然その分売上は小さくなり、収益を圧迫する。
そんな中、国の政策は簡単にいえば大規模化・集約化。若く意欲のある農家に農地を集めて大型機械を導入し、作業の効率化をはかることで生産コストの低減を図り競争力を上げようというもの。でも冷静に考えてほしい。大規模化・集約化程度のことをいくらやったところで、生産者米価の2割下落×2をカバーできるほどのコスト削減ができるだろうか?それほど大きなコスト削減は、ただ単に大型化と集約による効率化だけでは難しいと言わざるをえない。今回の選挙の街頭演説でも一様に候補者は「米の値段が下がる。苦しいです。でも頑張りましょう」と声を張るが、どう頑張れと言うのか?
さらに言えば機械のコストは上がる一方。大きな要因として鉄や原油等の原料の値上がりがあるが、それ以外に政治的な要因がここにきて大きく響いている。その最たるものがディーゼルエンジンの排ガス規制。この排ガス規制は2014年11月から50馬力以上が、翌2015年9月からは25馬力以上が規制の対象になり、それぞれ排ガスをクリーンにするための装置を付けていかなければならない。その装置を付けることにより機械の実売価格がモノにより違いはあるものの30万円~100万円も跳ね上がる。500万円クラスの機械で100万円上がるケースもある。現在米の生産者が使用しているトラクターやコンバインは個人でも30馬力以上が主流になっているし、大規模な生産法人となれば50馬力以上のものが一般的だ。果樹で使う防除機、ステレオスプレーヤも600L以上のクラスはすべて25馬力以上のディーゼルエンジン。これらが軒並み政治的な理由で、生産性が上がるわけでもない機械の更新により価格が大きく上がる。
エンジンだけでなくモーターも値上がりする。省エネ法の施行により2015年4月以降生産される機械に関しては現行のモーターよりエネルギー消費効率のよいトップランナーモーターを使用しなければいけなくなる。それによりモーターを使っている機械はモーター一つ当たり軒並み3万円~5万円価格が上がる。米農家の機械でいうなら乾燥機や籾摺機がこの対象になる。農水省の議事録を読んでいると相変わらず農業は省エネやエコに積極的に貢献していくべきだとの論調ばかりでそれに対するコスト面の批判は出ていないようだが、余計なことをやるとコストは上がるということは少しは認識してほしいもの。
その他ビニールや肥料、農薬といった資材の価格もデフレ下においてですらずっと上昇が続いており、生産物の消費者価格が下がる一方でコストは右肩上がりに上がっていく。
このように最終生産物の価格が下がっていくのにコストは大きく上がっていく中、農業が生き残るために必要な要素は何か。補助金だったり海外生産だったり色々と考えられることはあるが、一番大事なことは生産物の価格決定権を生産者に与えることだと思う。関税自由化も市場原理による自由競争も結構なことだが、自由競争といいつつ農協等の卸が買い取り価格を一方的に決め、生産者がその価格で出荷するという現在の制度では農業経営も何もあったものじゃない。
米なんてその最たるもので、昨年の在庫がたくさん残っているから買い取り価格を下げますという指示を全農が出し、民間の業者の買い取り価格すら程度の差はあれそれに準じる。供給過多で値段が下がるのはマクロ経済における神の手として理論上理解できるが、それを卸が勝手にやるのが自由経済なのか。それは神の手ではない。人の手だ。
去年の米が余ってるから今年の米を安く買いますというのもおかしな話で、去年の古米と新米では誰が食べてもわかるくらい風味には違いがあるのに、それを同列に扱って新米を安く買いますよというのは完全に卸の都合でしかない。本来は次の年の新米が出てくる時分になっても買った米が余ってるのは買った卸の責任で、卸は風味の落ちる古米を安く売る等で在庫処分しなければならないはず。なのに売れ残った責任を生産者に押しつけて自分達は新米を安く買う。そもそもこういったことがまかり通っていること自体が自由競争というならおかしいだろう。卸は次の年まで残らないように見越して米を仕入れ、もし次の新米が出てくるまで在庫があったなら安売りでも何でもして在庫処分。つまり買った分に関しては自分がリスクを負うのが正しい形なのに、そうはならずに卸がリスクを徹底的に押しつけて今の農業界は成り立っている。
現状は農協が需給を見て価格調整する形で、その代わりに生産者がいくら出しても農協側では(等級等検査はあるものの)買い取りますよという形で成り立っている。少なくとも米に関しては野菜と違ってせっかく作ったものを出荷できずに廃棄というようなことは(一定品質に届いていない分は除いて)起きていない。生産者としては作った米を出荷できないリスクはない代わりに、価格決定権は手放していたという形だ。
今後は減反廃止に合わせて生産者が需給を見て、例えば主食用米を作るのか飼料用米を作るのかを決めていってほしいと国は言う。そうであるなら合わせて農協等の卸も自己責任で在庫管理を行うようにし、出された分は何でもかんでも全量買い取るという方向を改めるべきだ。卸が主食用米が供給過剰・在庫過多でもう買えないし、生産者も主力用米を作っても売れないという状況で自らの意思でそれでも買い取りをしてもらえる飼料米に生産をシフトするなら話はわかる。けれども今のように卸が主食用米の価格を下げて、仕方がないから飼料用米と補助金で息をするというような在り方はとても自由経済とはいえない。
だからまず、健全な自由競争を行う上で、農協のような卸があらかじめ価格を決定するのでなく、生産者が価格を決定できることは絶対必要になる。そうして初めてコストの転嫁や需給調整ができる。農協のような卸も米が残ったから安く買うなんてことはできなくなり、自分の仕入れに責任を持たなければいけなくなるから、売れる見込み分しか仕入ないようにするしかない。そのような状況になれば生産者も供給過多で自分が提示した金額で買う卸がいないなら価格を下げようか、あるいは需要が多くて価格を上げられるなら上げようか、それとも何か違ったものを作ろうかという自由競争が行えるようになる。
農業で自由競争を導入するなら、合わせて農協の解体も必要になってくるだろう。よく言われるのは金融部門の切り離しだが、自分はむしろ集荷・出荷業務、いわゆる農協の卸業の部分のみ切り離し民営化でいいと思う。農協の営農支援や金融は生産者にとって有益な部分も多くあり、むしろ急いで民営化する理由は自分には見当たらない。
農協の卸業部分を切り離す目的は、民営化・営利化することで農協間の卸業務の価格競争を促進すること。そのために現在広域合併が進み巨大化している農協を、民営化のタイミングで再度細かい地域レベルに細分化する。生産者が最寄りの農協が自分の提示価格で買ってくれなくても簡単に隣近所の農協に買ってくれるかどうか打診できる状況が大事だ。そのような状況を生み出すことで「この価格で出さないなら買わない」と卸の側が強気に出ることを牽制する。農協の卸業務が民営化されれば独禁法の対象外となるので、地域の農協すべてが結託して価格決定ということも当然できない。このようにして自由経済が活動できる場をまず整えることが肝要だ。
今でも産直ではこのように生産者が価格決定権を持った上で自由経済を営むという動きは出ていて、自分はそれを歓迎している。けれども、一般的に産直でさばける量は農協やスーパーへの出荷と比べると多くはない。一部スーパー等で生産開始前にあらかじめ価格を決定した上での契約栽培等の方法も出てきていているが、それもまだ一般的というには程遠い。だからこそ量を確保できる農協等の卸に対して生産者が価格決定権を持つということは重要になる。
前提として、生産者側でも原価を正確に管理することは必要だろう。現状、生産コストが正確にいくらかかっていて、品種や作物ごとの利益率はどのくらいかということを正確に把握している生産者は少ない。でもそこをしっかり管理し損益分岐点を正確に把握することで初めて値下げをどこまでできるのかの駆け引きもできるようになる。余談ながら、日本の農業でIT化を導入するとしたら、オランダのIT農業みたいに生産物の管理をする前に、まずこうした労務費も含めたコスト管理の部分から始めるのが費用対効果としては高いのでないかと思っている。それは価格決定権を持った自由競争下で効いてくる投資となる。
生産者が価格決定権を持ち、農協等の卸が仕入に責任を持つようになることで、国が望むようにTPPを見据えた農産物の輸出にもむしろ対応はしやすくなるだろう。現在は輸出用の米は数少ない業者が主食用米よりも安い価格で買い、生産者側へのメリットとしては輸出米分は減反分として認めることで調整されている。そうではなく、卸は生産者から主食用米と同じ価格で仕入れればいい。仕入れた後国内に売るのか輸出するのかというのは販売する卸の責任であって生産者の問題ではないのだから、輸出するからといって生産者が卸への販売価格を下げる理由は本来ない(始めから輸出用にコストを抑えて安価な品種を契約栽培、といった形は別として)。農産物の輸出を国が促進していきたいというのなら、その分の補助を生産者に出すのでなく輸出を行う卸業社に出せばいい。そうすることで農産物の輸出業者は自動車などの工業製品と同じ「輸出企業」になるわけだから、そのサポートはこの国は手慣れたもの。円安誘導もできるし、法人税の特例措置で税金下げてもいいし、輸出量に応じて補助金を出してもいい。国も大好きなグローバル企業と同じ扱いで農業の促進もできるようになるのだから、むしろ扱いやすくなるのではないだろうか。円安で日本の農産物価格が安くなり海外需要が増えれば、卸はどんどん国内の農産物を仕入れればいい。そのサイクルがうまく回れば国外へ向けての供給が増え生産者価格も上がり、農業の景気もよくなるだろう。何しろ世界的に見れば今も、そして今後はもっと、食糧は不足しているのだから。
まとめると、自分が考える今後の農業の理想形は大雑把に以下のようになる。
・生産者が生産物に対して価格決定権を持つ
・農協の卸部門は切り離し、民営化する
・卸は仕入れた生産物の販売を生産者に責任を押し付けず自己責任で行う
・生産者はコスト管理をより厳密に行う
最低限上記をクリアすることで市場原理の中で農業が自由競争を行う準備が整うことになる。その上で、卸が販路を国内だけに向けるのでなく海外へ輸出するという動きを、国には精一杯サポートしてほしい。人口減少時代に入る日本では、国内需要を大きく伸ばすことは難しい。それよりも今後食糧不足が深刻になる世界に向けて食糧を供給していくことが明るい道だ。自分はそう考える。
今回は特に大規模大量生産の一般的な農業生産者が発展するための条件について書いてみたが、これとは別に品質やブランド化にこだわり、プレミアのついた生産物を少量生産することで発展する道もあると思う。あまり肯定的ではないけれど六次産業化なども実はこちらの道だ。こちらについてはまた、いつか改めて書いてみたい。
…で、このように思い描いているヴィジョンを現実のものとするためには、自分は今回の衆院選、一体どこに投票すればよいのだろう???
2014年12月1日月曜日
雑記帳を振りかえって
先にお知らせしました通り、当『あゆむの雑記帳』は2014年11月一杯をもってこのGoogle Bloggerに引越をいたしました。このタイミングで一つ、究極の自己満企画としてこの雑記帳のこれまでの歴史を、自分用の記録の意味も含めて振り返ってみたいと思います。
かねてより7月7日を「この雑記帳の公開記念日」としているように、さくらのサーバにHTMLをアップしてインターネットで公開を始めたのが1998年7月7日。自分が大学2年の時です。が、公開前の記録も僅かながら今でも辿れる部分があります。それによると同年5月24日、この日に初めて『あゆむの雑記帳』の原形がサーバにアップされたようです。といっても学内からのみアクセス可能なサーバで、まだインターネットに公開したわけではありません。HTMLやホームページ作成のお勉強も兼ねて、イントラネット内に上げただけでした。このころはページのタイトルが『Beyond the Dayunite』となっていて、背景は公開時のようなノートスタイルではなく黒一色だった、…ということですが、そのデザインはおぼろげに記憶には残っているものの、記録には残っていないので今となってはどのようなものだったか…。
そして6月17日にデザインを一新、初代『あゆむの雑記帳』として公開された時の左のようなノートを意識したデザインに変わります。縦フレーム使って左にメニュー、右にコンテンツ。当時このスタイル流行ってました。ボタンの画像やロゴも、当時大したアプリも持ってなかったし、今みたいにフリーの画像加工ソフトもない中クラリスワークスやGraphic Converterで一生懸命作った記憶があります。何もかもが懐かしい…。スクショはバックアップして取っておいてあいた当時のHTMLファイルを開いて撮りました。
このデザインに変更後、とりあえず公開できる体裁は整ったと判断したのか、6月23日に学内のサーバながらインターネットに公開できる位置にとうとう雑記帳のHTMLをアップします。仮公開というわけですね。そしてその後、さくらインターネットのレンタルサーバーで正式公開を始めたのが当HPの開設記念日としている7月7日ということになります。当時のURLは「http://na.sakura.ne.jp/~ayum/」でした。そのタイミングでいささかのJavaScriptも装備。ただ時間ごとに表示するメッセージを変えるだけの簡単なスクリプトではありますが、当時の自分は大満足でした。夜11時台に表示される「テレホーダイだ!戦闘開始!!!」というメッセージなど、実に時代性を表していてノスタルジックです。そう、当時はまだ今みたいなネットへの常時接続なんてなくて、ISPに電話をかけて回線をつなぐダイヤルアップしかなかったのですよね。だから当然電話代が普通にかかる。日中好きなようにネットにつなぎっ放しにしていると電話代の請求がとんでもないことになるので、多くの人は夜11時~翌朝7時までの間、あらかじめ登録してある特定電話番号への電話がかけ放題になる『テレホーダイ』なるサービスを利用してインターネットを利用していたわけです。だから夜11時を過ぎると如実にネットが賑わい始める。そんな時代でした。テレホタイムという言葉も今は昔、ですね。あのダイヤルアップルータがつながる時の「ピッポッポッパッパッパ…、ガーーーッ、キーンキーンキーン」みたいな音が懐かしい(笑)。
当時既にHomepage BuilderやPageMillみたいないわゆるホームページ作成ソフトは出回っていたし、いくつかは持っていたのですが、そこは敢えてHTML手打ちにこだわり、テキストエディタJEdit2を使ってEUCエンコードで、ひたすら手組でHTML組んでHPを作成してました。ホームページ作成ソフト使うと色々と余計なタグが付与されるのが気に入らなかったんですよね。なので左のような過去のアーカイブへのリンク、これもある程度まとまった時点でHTML分けてリンク作って…、っていちいち手でやってたわけです。う~ん、頑張ってましたねぇ、自分(笑)。
この初代雑記帳にはPerlによるCGIでBBSなど用意してありまして、大学の仲間なんかはよくそのBBSへの書き込みで盛り上がったものです。そういう意味ではこの頃が一番訪問者も賑やかだったと思います。
しばらくは上記のような体制で運営していた雑記帳ですが、2000年台に入りHTML手打ちも時代の趨勢に合ってないなというのと、当時仕事でMovable TypeだのXoopsだのいじる機会もあったので、そろそろ自分のHPもシステム化しようかと考え始めました。それで準備を始めたのが記録によれば2004年10月。自分のMacbookにMovable Typeを入れたという記録が残っています。それ以降コツコツとデザインを作っていったりコメントスパム対策入れてみたりと準備を進めていき、最終的にドメインも取得してayum.jpとして公開したのは翌2005年7月31日。元の記事では7月31日になってるのですが、Blogger移行時に何故か記事の日付が8月1日としてインポートされた様子。原因究明はさておき、ほぼ2005年8月1日からMovable Typeによる新体制『あゆむの雑記帳』がスタートしたわけです。
デザインはネットでフリーで公開されていたテンプレートをベースに、トップページは3カラムながら日記等の詳細に入ると2カラムで広く表示、というスタイルにこだわりカスタマイズ。シンプルでスッキリ見やすいデザインは気に入っていました。自分でデザインやるとなかなかこうはできないですね(苦笑)。
Movable Type導入で一番助かったのはやはり更新時にHTMLを手打ちしなくても済むようになったこと。おかげで更新の労力は大分少なくなりました。ただ、やはり記事中に画像を入れようと思ったらテーブルを手で組まないと並ばないんですよね。画像のアップロード機能もちょっと頼りないので、結局自分でサーバに直接アップしたり。それでもこのシステムで9年半、さすがに親しんできたので乗り換えるのはやや寂しい思いもあったのは確かです。でも次第にスパムのコメントやトラックバックに悩まされるようになってきて、ここ1年はどちらも完全に閉鎖してしまうありさまでしたから、システム的にもさすがに寿命だったと考えています。コメント欄の閉鎖の代わりに、Facebookのソーシャルプラグインを埋め込んでFB経由でコメントをできるようにはしてみましたが、それほど活用はされませんでした。やっぱり基本的に日本ではネットは匿名文化ですからね。FBの中だけでならまだしも、FBの外でまで実名でコメントしようってのはなかなか心理的にもハードル高いのかもしれません。
そして今、2014年12月からこのGoogle Bloggerでの運用が始まるわけです。HTMLファイルからシステムに移行した前回と違い、今回はシステムからシステムへの移行なので準備期間はかなり短く済みました。Movable Typeからデータをエクスポートして、Movable TypeのデータをBloggerへのインポート用の形式に変換してくれるMovabletype2Bloggerというサービスを用いてデータを変換、Bloggerへインポートで済みます。簡単です。過去記事をHTMLからコピペして一つ一つ移行していた前回から比べると天国のようです。とはいえそれなりの年月が経ち記事数が増えたこの雑記帳、一日のインポート数の上限に引っかかったりなんだりで少しは手間もあったのですが、それでも前回に比べれば遥かに楽です。およそ1580の日記が暇を見ての作業で一週間程度で完了するんだから大したものです。前回はシステム構築からデータ移行まで、全工程で半年以上かかっているというのに、引越しを決断したのが11月中旬で、その月のうちにもう公開までこぎつけるのだから素晴らしい。今のブログサービスはデザインの変更のしやすさ等も含めてとてもユーザビリティしっかりしてます。投稿時の画像の埋め込み、レイアウトが簡単にできるのも非常にいい。ローカルからのアップロードだけでなくてPicasaウェブアルバムからも取ってこられるのは嬉しいです。まぁいいことばかりでもなく、これを書いている現時点では設置したブログ内検索で自分のブログを検索しても何も引っかかってこないとかあるわけですが。DB内を直接検索してるわけではなくて、あくまでGoogleのブログ検索を利用しているわけですからクロールされるまでのタイムラグがどうしてもあるわけですね。そればかりは仕方ない。
さてさて、こまごまとこの雑記帳の歴史を語ってみました。思い返せば色々なことがあるわけですが、16年を超える月日を細々と続けてきたこのページ、新しいサービスに引越しはしましたがまだまだこれからも続けていく所存です。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
かねてより7月7日を「この雑記帳の公開記念日」としているように、さくらのサーバにHTMLをアップしてインターネットで公開を始めたのが1998年7月7日。自分が大学2年の時です。が、公開前の記録も僅かながら今でも辿れる部分があります。それによると同年5月24日、この日に初めて『あゆむの雑記帳』の原形がサーバにアップされたようです。といっても学内からのみアクセス可能なサーバで、まだインターネットに公開したわけではありません。HTMLやホームページ作成のお勉強も兼ねて、イントラネット内に上げただけでした。このころはページのタイトルが『Beyond the Dayunite』となっていて、背景は公開時のようなノートスタイルではなく黒一色だった、…ということですが、そのデザインはおぼろげに記憶には残っているものの、記録には残っていないので今となってはどのようなものだったか…。
そして6月17日にデザインを一新、初代『あゆむの雑記帳』として公開された時の左のようなノートを意識したデザインに変わります。縦フレーム使って左にメニュー、右にコンテンツ。当時このスタイル流行ってました。ボタンの画像やロゴも、当時大したアプリも持ってなかったし、今みたいにフリーの画像加工ソフトもない中クラリスワークスやGraphic Converterで一生懸命作った記憶があります。何もかもが懐かしい…。スクショはバックアップして取っておいてあいた当時のHTMLファイルを開いて撮りました。
このデザインに変更後、とりあえず公開できる体裁は整ったと判断したのか、6月23日に学内のサーバながらインターネットに公開できる位置にとうとう雑記帳のHTMLをアップします。仮公開というわけですね。そしてその後、さくらインターネットのレンタルサーバーで正式公開を始めたのが当HPの開設記念日としている7月7日ということになります。当時のURLは「http://na.sakura.ne.jp/~ayum/」でした。そのタイミングでいささかのJavaScriptも装備。ただ時間ごとに表示するメッセージを変えるだけの簡単なスクリプトではありますが、当時の自分は大満足でした。夜11時台に表示される「テレホーダイだ!戦闘開始!!!」というメッセージなど、実に時代性を表していてノスタルジックです。そう、当時はまだ今みたいなネットへの常時接続なんてなくて、ISPに電話をかけて回線をつなぐダイヤルアップしかなかったのですよね。だから当然電話代が普通にかかる。日中好きなようにネットにつなぎっ放しにしていると電話代の請求がとんでもないことになるので、多くの人は夜11時~翌朝7時までの間、あらかじめ登録してある特定電話番号への電話がかけ放題になる『テレホーダイ』なるサービスを利用してインターネットを利用していたわけです。だから夜11時を過ぎると如実にネットが賑わい始める。そんな時代でした。テレホタイムという言葉も今は昔、ですね。あのダイヤルアップルータがつながる時の「ピッポッポッパッパッパ…、ガーーーッ、キーンキーンキーン」みたいな音が懐かしい(笑)。
当時既にHomepage BuilderやPageMillみたいないわゆるホームページ作成ソフトは出回っていたし、いくつかは持っていたのですが、そこは敢えてHTML手打ちにこだわり、テキストエディタJEdit2を使ってEUCエンコードで、ひたすら手組でHTML組んでHPを作成してました。ホームページ作成ソフト使うと色々と余計なタグが付与されるのが気に入らなかったんですよね。なので左のような過去のアーカイブへのリンク、これもある程度まとまった時点でHTML分けてリンク作って…、っていちいち手でやってたわけです。う~ん、頑張ってましたねぇ、自分(笑)。この初代雑記帳にはPerlによるCGIでBBSなど用意してありまして、大学の仲間なんかはよくそのBBSへの書き込みで盛り上がったものです。そういう意味ではこの頃が一番訪問者も賑やかだったと思います。
しばらくは上記のような体制で運営していた雑記帳ですが、2000年台に入りHTML手打ちも時代の趨勢に合ってないなというのと、当時仕事でMovable TypeだのXoopsだのいじる機会もあったので、そろそろ自分のHPもシステム化しようかと考え始めました。それで準備を始めたのが記録によれば2004年10月。自分のMacbookにMovable Typeを入れたという記録が残っています。それ以降コツコツとデザインを作っていったりコメントスパム対策入れてみたりと準備を進めていき、最終的にドメインも取得してayum.jpとして公開したのは翌2005年7月31日。元の記事では7月31日になってるのですが、Blogger移行時に何故か記事の日付が8月1日としてインポートされた様子。原因究明はさておき、ほぼ2005年8月1日からMovable Typeによる新体制『あゆむの雑記帳』がスタートしたわけです。
デザインはネットでフリーで公開されていたテンプレートをベースに、トップページは3カラムながら日記等の詳細に入ると2カラムで広く表示、というスタイルにこだわりカスタマイズ。シンプルでスッキリ見やすいデザインは気に入っていました。自分でデザインやるとなかなかこうはできないですね(苦笑)。
Movable Type導入で一番助かったのはやはり更新時にHTMLを手打ちしなくても済むようになったこと。おかげで更新の労力は大分少なくなりました。ただ、やはり記事中に画像を入れようと思ったらテーブルを手で組まないと並ばないんですよね。画像のアップロード機能もちょっと頼りないので、結局自分でサーバに直接アップしたり。それでもこのシステムで9年半、さすがに親しんできたので乗り換えるのはやや寂しい思いもあったのは確かです。でも次第にスパムのコメントやトラックバックに悩まされるようになってきて、ここ1年はどちらも完全に閉鎖してしまうありさまでしたから、システム的にもさすがに寿命だったと考えています。コメント欄の閉鎖の代わりに、Facebookのソーシャルプラグインを埋め込んでFB経由でコメントをできるようにはしてみましたが、それほど活用はされませんでした。やっぱり基本的に日本ではネットは匿名文化ですからね。FBの中だけでならまだしも、FBの外でまで実名でコメントしようってのはなかなか心理的にもハードル高いのかもしれません。
そして今、2014年12月からこのGoogle Bloggerでの運用が始まるわけです。HTMLファイルからシステムに移行した前回と違い、今回はシステムからシステムへの移行なので準備期間はかなり短く済みました。Movable Typeからデータをエクスポートして、Movable TypeのデータをBloggerへのインポート用の形式に変換してくれるMovabletype2Bloggerというサービスを用いてデータを変換、Bloggerへインポートで済みます。簡単です。過去記事をHTMLからコピペして一つ一つ移行していた前回から比べると天国のようです。とはいえそれなりの年月が経ち記事数が増えたこの雑記帳、一日のインポート数の上限に引っかかったりなんだりで少しは手間もあったのですが、それでも前回に比べれば遥かに楽です。およそ1580の日記が暇を見ての作業で一週間程度で完了するんだから大したものです。前回はシステム構築からデータ移行まで、全工程で半年以上かかっているというのに、引越しを決断したのが11月中旬で、その月のうちにもう公開までこぎつけるのだから素晴らしい。今のブログサービスはデザインの変更のしやすさ等も含めてとてもユーザビリティしっかりしてます。投稿時の画像の埋め込み、レイアウトが簡単にできるのも非常にいい。ローカルからのアップロードだけでなくてPicasaウェブアルバムからも取ってこられるのは嬉しいです。まぁいいことばかりでもなく、これを書いている現時点では設置したブログ内検索で自分のブログを検索しても何も引っかかってこないとかあるわけですが。DB内を直接検索してるわけではなくて、あくまでGoogleのブログ検索を利用しているわけですからクロールされるまでのタイムラグがどうしてもあるわけですね。そればかりは仕方ない。
さてさて、こまごまとこの雑記帳の歴史を語ってみました。思い返せば色々なことがあるわけですが、16年を超える月日を細々と続けてきたこのページ、新しいサービスに引越しはしましたがまだまだこれからも続けていく所存です。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
2014年11月30日日曜日
あゆむの雑記帳 引越のお知らせ
突然ではありますが、この『あゆむの雑記帳』、現在のhttp://www.ayum.jp/から引越を行います。新しいURLは以下の通り。
http://ayumnote.blogspot.jp/
1998年7月7日のオープンから16年超、この雑記帳はさくらのレンタルサーバを使って自分のサーバスペースにおいて運営してきましたが、今後はGoogle Bloggerを利用させていただきまして、そのサービス内で運営を進めていくことにいたしました。
このタイミングで自分でのインフラ運営から一般のサービスに乗り換えるのには色々と理由があるのですが、一番大きいのは現在ブログのフレームワークとして利用しているMovable Typeのシステムとしての陳腐化・老朽化です。現在利用しているバージョンがMovable Type 3.171-ja。このバージョンだと今ネットワークに跋扈しているスパムコメントやトラックバックを防ぐことができず、放っておくとすぐにブログ記事がスパムで埋まってしまうのです。業を煮やしてここ1年以上はコメントやトラックバックも閉鎖して対応してきましたが、そうすると今度は当然ながら読んでくれた方からのフィードバックも全く受け取ることができない。毎回反応が得られることは最初から期待はしていないにせよ、いくら書いてもまったく反応が返ってこないというのはまた記事を書くモチベーションを無くすものです。その点Google Bloggerのサービスならスパム対策は基本システムに任せておけばいいので、安心してコメント機能を利用することができます。
Movable Typeもバージョンアップすればいいのですが、3から4に変わった段階でデザインのテンプレートの仕様が結構変わってしまっていて、結構ゴリゴリとカスタマイズを入れた『あゆむの雑記帳』のデザインはそのまま移行ができなかったんですよね。で、デザインに対する情熱が比較的低く、その面倒な移行作業を行う気力を持てない自分は「いつかバージョンアップしなきゃな」と思いつつもここまで来てしまったのです。さらにはさくらのレンタルサーバで利用しているMySQLまでバージョンが古くなってさくらの運営からサポート期限切れの連絡が来てしまう有様。これはもう限界だなと、自分でのインフラ運営を諦めることにいたしました。
Movale TypeからGoogle Bloggerへは一応データ移行の手段があるので、過去記事といただいたコメントは可能な限り新しい雑記帳に移してあります。デザインはGoogle君が用意してくれたものほとんどそのままですが、まぁそこそこいい感じだし、ま、いっかみたいな…。こちらも簡単に変えられるので、もしかしたら今後突然変えるかもわかりません。
このayum.jpのドメインは当面移行せずにこのまま残しておくので、旧URLも相当期間生きる予定ではありますが、とりあえず本日をもってこちらayum.jpの更新は終了させていただきまして、今後はhttp://ayumnote.blogspot.jp/の方にて『あゆむの雑記帳』は続けていきたいと思います。訪れてくださる皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
http://ayumnote.blogspot.jp/
1998年7月7日のオープンから16年超、この雑記帳はさくらのレンタルサーバを使って自分のサーバスペースにおいて運営してきましたが、今後はGoogle Bloggerを利用させていただきまして、そのサービス内で運営を進めていくことにいたしました。
このタイミングで自分でのインフラ運営から一般のサービスに乗り換えるのには色々と理由があるのですが、一番大きいのは現在ブログのフレームワークとして利用しているMovable Typeのシステムとしての陳腐化・老朽化です。現在利用しているバージョンがMovable Type 3.171-ja。このバージョンだと今ネットワークに跋扈しているスパムコメントやトラックバックを防ぐことができず、放っておくとすぐにブログ記事がスパムで埋まってしまうのです。業を煮やしてここ1年以上はコメントやトラックバックも閉鎖して対応してきましたが、そうすると今度は当然ながら読んでくれた方からのフィードバックも全く受け取ることができない。毎回反応が得られることは最初から期待はしていないにせよ、いくら書いてもまったく反応が返ってこないというのはまた記事を書くモチベーションを無くすものです。その点Google Bloggerのサービスならスパム対策は基本システムに任せておけばいいので、安心してコメント機能を利用することができます。
Movable Typeもバージョンアップすればいいのですが、3から4に変わった段階でデザインのテンプレートの仕様が結構変わってしまっていて、結構ゴリゴリとカスタマイズを入れた『あゆむの雑記帳』のデザインはそのまま移行ができなかったんですよね。で、デザインに対する情熱が比較的低く、その面倒な移行作業を行う気力を持てない自分は「いつかバージョンアップしなきゃな」と思いつつもここまで来てしまったのです。さらにはさくらのレンタルサーバで利用しているMySQLまでバージョンが古くなってさくらの運営からサポート期限切れの連絡が来てしまう有様。これはもう限界だなと、自分でのインフラ運営を諦めることにいたしました。
Movale TypeからGoogle Bloggerへは一応データ移行の手段があるので、過去記事といただいたコメントは可能な限り新しい雑記帳に移してあります。デザインはGoogle君が用意してくれたものほとんどそのままですが、まぁそこそこいい感じだし、ま、いっかみたいな…。こちらも簡単に変えられるので、もしかしたら今後突然変えるかもわかりません。
このayum.jpのドメインは当面移行せずにこのまま残しておくので、旧URLも相当期間生きる予定ではありますが、とりあえず本日をもってこちらayum.jpの更新は終了させていただきまして、今後はhttp://ayumnote.blogspot.jp/の方にて『あゆむの雑記帳』は続けていきたいと思います。訪れてくださる皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
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