2005年8月29日月曜日

EXPO 2005『愛・地球博』- リニモ/ブルーホール/マンモスラボ

 というわけで去る8月26日、台風が関東を通過するのとちょうど入れ違うような絶妙なタイミングで新幹線に乗り、もはや行き慣れてしまった感のある名古屋駅を経て、行ってまいりましたEXPO 2005『愛・地球博』。いつも客先に行く際は大曽根で乗り換えるエキスポシャトルにそのまま乗り続け万博八草へ、そして世界初のリニアモーターカー『リニモ』へ。リニモ、はっきり言って混み過ぎててよくわかりません(泣)。4月の月曜朝八時台の東横線ばりのすし詰め満員電車じゃあ、「おー、リニアモーターカーだ」等と感慨に浸る余裕などあろうはずもありません。正直ゆりかもめや、関西の方ならポートライナーと大差ありません。ともあれそんな大混雑のリニモに揺られ、どうにかこうにか長久手会場に辿り着きました。そしていよいよいざ万博へ。

 まず行ったのはグローバル・ハウス。「マンモスが見たい」という連れのリクエストで、事前予約まで取って10:40スタートの回に入って、ソニーの最新レーザー・プロジェクション・システムが体験できるというブルーホール経由でマンモスラボへと回っていきました。とりあえず幅50m高さ10mの超巨大ディスプレイ、凄かったですねー。映画館のスクリーンを横に3つ4つつなげて、しかもプラズマディスプレイのような鮮明さ。あれでグランドキャニオンやらジャングルやらエアーズロックやらナイアガラをビュンビュン小型飛行機で飛び回ってるような映像を立て続けに見せらるので、下手すりゃ酔ってしまいそうな勢いでした。それ程までに鮮明なのです。だけど同時に思ったのは、たとえ幅50mものディスプレイでもその真ん中近辺に座っていた私の左右の視野すべてを映像で覆い尽くす程の領域ではなかったせいか、その光の原色を直接ディスプレイに映すという超鮮明な画像であってもやはり、それは目には映像としか認識されないのだなということ。木の葉を透き通ってくる太陽の日差しや、冷たく青くそびえる北極の氷とそれを移す極冷の海面、それらは単体で見ればなるほど現実と見紛わんばかりの鮮明で美しい映像で、その並外れた奥行きの表現力も含めてとてもそれが映像とは思えない程鮮明なのですが、でもやはりそれは映像としてしか認知されないのです。やはり360度の現実感を作らないことには人間の感覚というのはごまかされないものなのでしょうか。それならやっぱり外の世界にそういった環境を作るよりは、脳を直接いじった方が早いですね。そんなことを思いながら見ていました。

 そのディスプレイのデモンストレーションとして流される映像は、先程述べたような世界各地の絶景を飛び回っていくものと、世界の色々な数字を色々な角度から見てみるというものですが、その中でちょっと気になることがありました。それは以下のようなメッセージです。現在地球上で生産されている食料の量を(何tだったか忘れましたが)表示した後で、それはこう述べました。

「食料不足が心配です。でも、大丈夫です。今世界で生産されている○tで、全世界の人が食べていくには充分です。それを公平に分配できない輸送システム等が問題なのです」

 なかなか意外でした。食料不足食料不足と言われていますが、実は今ある食料を公平に分配できれば、既に全人類が食べていくには充分な量が生産できている。これはある意味新たな問題提起です。これからも(日本はともかく)世界的には続くであろう人口増加で問題になることが予想されている食料危機に対する解決策として、単純な食料増産ではなく、公平な分配システムという改善案が出てくることになります。まぁ、ある意味社会主義的な話ですがここではそういったイズムがどうこうといった話は置いておいて、単純になるほどなと思いました。そういった見方もある、ということです。

 ただ、同時に気になったのは、今現在では仮に公平に分配すれば全人類が食べていけるだけの食料が生産されているとして、果たしてそれは今後もずっとそうなのかという問題です。単純に食料の生産量が今のまま変わらなければ、人口の増加が続けばいつかは増加分が食料供給料を超えてしまうだろうし、それ以上にこれから先農作物や魚介類の生産量は減少していくことでしょう。あまり表立って問題視されてはいませんが、インドやアメリカの穀倉地帯と呼ばれているところでは農業用に大量に汲み上げたせいで地下水が枯渇し、もう農業が続けられなくなった土地やもうあと何十年でダメになる土地が増えてきています。地下水が溜まる数千年から数万年のペースに比べて、人が農業に水を使用するペースはあまりに早すぎるのです。そうでなくても資本主義市場から見たらお世辞にも経済効率がいいとは言えないのが農業です。産業の近代化が進めば、第一次産業に従事する人は減っていきます。食料の作り手が少なくなっていったのでは量を維持できるはずもありません。漁業にしてもそうです。海洋汚染や温暖化等による気象の変化で、近年魚介類の水揚げ量も減ってきています。それはおそらく今後も加速するでしょう。養殖でどこまでまかなえるのか。正直よくわかりません。現状では公平な分配システムとやらが存在しさえすれば食料は何とか足りるのかもしれませんが、将来はどうなのでしょうか。ちょっと、考えてみたりもしました。結局、食料問題が"大丈夫"ってことはなさそうです。

 そしてマンモスです。ロシアの永久凍土の中から出土したという「ユカギルマンモス」。その皮膚のしわや毛までが残っているという保存状態の良さから、見る者になかなか想像力を働かせてくれます。上下二段に分かれている動く歩道に乗って眺めるユカギルマンモスの頭部は思っていたよりも小さくて、高さはせいぜい私の上半身くらい。けれどやはり皮膚や毛が残っている生々しさは、ちょっと感慨深いものがありました。コイツは一体一万年前にどういう風に生きていたのだろう。コイツはマンモスが絶滅した時にはまだ生きていたんだろうか。もしそうでなければ、開かれることのない永久凍土の中から、仲間達が滅んでいくのを一体どのような気持ちで眺めていたのだろうか。そんな歴史的なロマンシズムを感じてしまいます。動く歩道に流されて、マンモスを目にできる時間はせいぜい数分と短いのですし、正直想像していたような迫力のある代物ではないですが、時を超えてきたその姿には、何かしら想像力を刺激するものがあります。

 そしてその後はグローバル・コモン6へ渡り、シンガポール館のレストランで昼食を取った後に南太平洋共同館で白いハゼを見てテンション上げたり、オーストラリア館で巨大なカモノハシの模型をバックに写真を撮ってみたり、東南アジア系のパビリオンを適当に回りながら14時くらいまでを過ごしました。基本的には15分以上並びそうなところは敬遠し、そんなに並ばずともすぐ入れるところを見て回るというスタイルです。そんなに無理して120分待ちとかしてまでトヨタやヒタチのパビリオンを観なくても、万博というところは割に結構楽しめます。そして14時を回った辺りで今度は私が行きたいと言っていたアルゼンチン館とアンデス共同館を見に行くためグローバル・ループに出ます。自転車タクシーに乗ってグローバル・コモン1まで行き、そこから歩いてグローバル・コモン2へ。さぁ、アルゼンチンとアンデスです。もちろん目的はアルゼンチン・タンゴとフォルクローレです。ところが、その目的を果たす前に、実に意外なイベントが待ち構えていました。

続く(次は意外なイベント/アルゼンチン館/アンデス共同館の予定です)

2005年8月26日金曜日

台風に向かって

 本日夕方から明日の未明にかけて、関東に向かって風速40m級の台風がやってくるわけですが、タチの悪いことに私は明日朝7時過ぎの新幹線で名古屋に向かわなければなりません。予報では朝6時の時点で台風は八王子にいるとのこと。予報が正確であるとするならば、それはまさにドンピシャです(泣)。・・・果たして新幹線は動いてくれているのでしょうか。新幹線って雨や雪(上越新幹線限定)には強いけど風には弱いからなー・・・。

2005年8月21日日曜日

新品で買おうとは思わないのだけれど

 本屋の店頭で売られているのを見かけて何となく面白そうだなぁと興味を持つものの、結局それを買わずに別の本を買って(あるいは何も買わずに)帰ってくる。そんな本がある。一度興味を持った本は大抵次に本屋に行くときも覚えていて、その後毎回も買うか買うまいか悩むことになるのだが、まぁ大体は買うことなく何回もやり過ごすことになる。私にとってそういう本は最近の日本の作家の小説(村上春樹以外)が多い。「面白そうだし、最近の日本の作家がどんなの書いてるのか興味もあるし、読んでみたいんだけどやっぱりこっちがよさそうだからこっち」という移り気なジレンマの果てに購入を見送られる作品達だ。

 ところがそんな作品達も、古本屋でみかけると案外迷うことなくスッと手に取ってカウンターに持っていったりしてしまう。下手すればもう一年近く、そんな状態だった本を今日二冊古本屋で購入した。それは白石一文の『見えないドアと鶴の空』であり、三崎亜記の『となり町戦争』だ。前者はよくわからん青緑色の基調に手書きでパステルで書いたっぽい半身の宇宙人のようなカバーと、一見意味がわからないちょっとシュールなタイトルがやけに気になっていたものだし、後者は"ある日届いた「となり町」との戦争の知らせ。僕は町役場から敵地偵察を任ぜられた。だが音も光も気配も感じられず、戦時下の実感を持てないまま。それでも戦争は着実に進んでいた"(オビより引用)という設定と各方面で賛否両論話題を呼んでいた辺りが興味津々だった。何にせよ手に入ってみれば読むのが楽しみだ。読んでみて期待はずれだったということがないよう祈りつつ、あと短編一本を残すのみとなった『僕の恋、僕の傘』を読了しだい読んでみようと思う。うむうむ。

2005年8月20日土曜日

ここではないどこかへ

 結局のところ僕らは、"今"とか"ここ"とかいったものが好きではないのだろう。だって、誰も"今"とか"ここ"に留まっていることを快く思っているようには見えないもの。外面は違って見えるけど、結局みんな同じ。疲れたサラリーマンは満員電車の中で誇大な妄想に耽り、気鋭の芸術家や経営者は自らの展望や将来への進路に思いを巡らす。退屈な学生は何か刺激になるものはないかと当てもなくさまよい、何かに夢中になる学生は世界や自分を変えようとする。部屋に閉じこもりネットやゲームを続ける人はその中に"今"や"ここ"とは違う世界を求め、世界を旅して現地の空気を満喫しながら歩く人は祖国とは違う何かを求めてそこに立っている。子供は早く大人になりたがるし、大人はもはや大人でいたくなくなる。何でだろう、こんなにも僕らは"今"や"ここ"に留まれない。

2005年8月17日水曜日

デジタル・ディバイド - 新飯田の場合

 デジタル・ディバイド(digital divide)という言葉をご存知だろうか。IT用語辞典 e-Wordsでは「パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある」とある。元々の意味としては要するにパソコンやインターネット等の情報技術を巧みに使える人とそうでない人の間で広がる生活的・文化的その他の面での質的格差のことで、例えばネットに詳しい人はAmazon楽天を使って地元では手に入らない商品を購入したり、同じものをより安く手に入れたりすることができるが、ネットがそもそも使えない人はそのような恩恵を受けることができないといったような情報技術に対する知識・環境の差が生み出す格差のことを表す。もちろん今挙げた例はごく端的な一部にすぎない。最近では「地理的情報格差」という意味で、主にインターネット環境の地理的格差を指し示すようにもなった。光通信やADSL、CATVといったブロードバンド環境が全国的に一般化する中、未だに最速の通信手段がISDNだったり、そもそもインターネット環境が存在しない地域が存在するといった、文字通り地理条件による情報環境の格差のことだ。

 今回の帰省でわかったことだが、私の地元である新潟県新潟市新飯田(旧白根市大字新飯田)には未だにADSLが通っていないそうだ。最速の通信手段がISDN。隣接している代官島や茨曽根といった地域には既にADSLが通っているのに、よりによって新飯田だけは開通していないというのだ。まぁ、かねてより"ざいご"(←新潟の方言で"ド田舎"を意味する)呼ばわりされている地域ではあるが(苦笑)、これこそデジタル・ディバイドの典型である。陸続きで車で数分の距離(さらに言うなら河川で遮られていたりすらしない)の隣接地域では既にADSLの環境が整っているのにだ。この件は市報でも問題になっていたらしい。

 聞けば、さすがに新飯田の住民もそれには不満を覚えたようで、まずはNTTに「いつ開通するのか」と問い合わせたらしい。その返答は「当面開通の予定なし」。そこで住民は周辺地域の協力を得て署名活動をし、NTTにADSLの早期開通を訴えたとのこと。そうしたらNTTの返答は、言うに事欠いて「NTTに一千万寄付したら考える」という高慢なものだったそうだ。まぁNTTも今では一企業なわけで、わずか2,000人超の人口の小さな空白地のためにわざわざインフラ投資をしたくはないというのも理屈としてはわからなくはないのだが、にしてももう少し言い方を考えてほしいものだ。「寄付をしたら考える」というのが企業として、あるいは契約として、ないしは法律的にどうなのかは結構ツッコミどころはある気がするのだが、とりあえずそこは置いておこう。

 新飯田は他のいわゆる"田舎"の例に漏れず、過疎化が問題になっている地域である。今どうなっているのかわからないが、一昔前は村興しをしようとして"あかねの里プロジェクト"なるものが発足し、地域の活性化を図ろうとしていた。高齢化・人口の減少は地域にとっては死活問題だ。地域の活気を維持・向上していくためには若い人間に定着してもらわなければならないし、そのために観光客を呼び寄せたり企業を招聘したり新規ビジネスを模索する等して産業やあるいは文化を活性化し、若者が魅力を持って働けるだけの仕事を作ろうとする。やり方や規模に差はあれ村興しというのは要はそういうことだ。新飯田の場合、そこに悪いことにデジタル・ディバイドのハンデが加わることになる。

 今の御時世、特にビジネスという面では常時接続のブロードバンドが使えるかどうかは大きな差が出る。というより、もはやビジネス自体ブロードバンドが前提になりつつある。その潮流の中においてブロードバンド環境がないということは、そもそもスタートラインの時点でハンデを背負ってしまうことになる。新飯田にはいくつか比較的大きな企業の工場や事務所があり、それら既存の会社はまぁ何とかなるのかもしれないが、これから先敢えてブロードバンド環境のないところに進出する企業や個人はまずいないだろうし、村興しの情報発信すら効率がガクンと落ちるのは目に見えている。実際今回の帰省中に128KのPHSで通信してみたが、正直この『ayum's note』Yahoo! JAPANの表示すら遅い。おかげで更新の気力すらなえてしまった。ISDNってことは、まぁさすがにPHSよりは通信が安定しているにしても速度的には所詮128K。このPHSと同じということだ。もう既にブロードバンドが企業や若い個人を引き入れるアドバンテージである時代は終わって、ブロードバンドは前提の時代になっているというのを肌で感じた。これでは若い世代の流出は止まらないだろうし、それを止める施策を打つのも難しい。情報化社会において、情報基盤はもはやライフラインと言っても差し支えない。わざわざ電気や水道のない場所でビジネスをやろうという企業もいなければ、新たに移り住もうという個人もいるわけがない。

 新飯田というのは地味ではあるが割と文化的には豊かな土地だと個人的には思う。5と10の付く日に行われる、いわゆる510(ごとう)市もあり、年に一度の祭りでは小川連による踊り子が佐渡おけさや天狗、狐大名といった多様な踊りで獅子舞とともに地域中を行脚する。大名行列や、最後お宮に突っ込む勇壮な神輿など、小さな地域ながら非常に昔ながらの文化を色濃く残した空気が感じられる。かく言う私も、小学生の頃は踊り子として佐渡おけさを踊りながら新飯田の各地域や家庭を行脚して回ったことがある。狐の大名の役もやった。祭り前、商工会議所で集まっての練習風景も今では懐かしい。他には、ややマニアックなところでは良寛が尊敬していたという有願が居を構えていたのもこの新飯田だ。その円通庵は今もちゃんと残っている。まぁ、残っているだけで手入れもあまりされてなさそうだし、ちゃんと拝観できるわけでもないけれど。その代わり(?)「ふれあいパーク有願の里」なる公園が近年できた。これも村興しの一環だったのだろう。農業という面でもコシヒカリはもちろん、新潟で果物というとあまり他県の人にはイメージがわかないかもしれないが、生産量こそ全国的には目立たないが、味はひいき目抜きでかなりおいしい桃やぶどうも取れる。この今残っている、決して都会的ではないけれど昔ながらの朴訥な文化も、このまま若い世代の流出や高齢化が進んでいけば、いつかその内消えてしまうのかもしれない。

 ブロードバンドは今は人を呼び寄せるためのキラーインフラではないかもしれないが、それがなければ人は来ないし人は出て行く。そしてそのことによって消えてしまう文化や社会も出てくるだろう。現時点では最終的に通信回線を握っているのはNTTだ。この情報化社会において、もはやライフラインと同等の価値を持つに至ったブロードバンドというインフラが提供されないことは、一つの地域社会において致命的な傷となり得る。費用対効果とか何とか、企業としての言い分も色々あるのだろうが、通信基盤の有無が社会や文化を消してしまう時代に既になっているのだということをもっと自覚してほしいと思うのだ。政府はe-Japan重点計画の中でこのデジタル・ディバイドの問題をとらえ、「あらゆる集団の格差を広げてしまう可能性を有しているため、その解消に向けて適切に対処しないと新たな社会・経済問題にも発展しかねない」と明言している。ソフトバンクは「離島にもブロードバンドを」という住民の訴えに応え、八丈島に積極的にブロードバンドを導入した。どちらもブロードバンドの産業活性や社会格差解消の意義を理解しての行動だ。NTTも、もう少し通信基盤を握る立場としての社会的立場を自覚してほしいかなと思うわけだ。もはや通信基盤は情報化社会の前提であり、その不備は一つの社会・産業・ひいては文化を殺すところまできてしまっているのだから。

2005年8月13日土曜日

やっとの思いで

 6月くらいからやけに忙しく、心が折れるのが先か体が折れるのが先かという精神と肉体のサバイバルゲーム状態で仕事をし続けてきた私ですが、どうにか無事に明日からささやかな夏休みに入れそうです。いやー、しんどかった。この一週間なんて睡眠も不規則で、とにかく夏休みを平穏な心で休むためにの一心でやってました。そして今日最後に無事納品を終え、爽やかな充実感とともに一旦の区切りを付けることができたわけです。帰宅の前に一度社に寄る電車の中で(どうせ渋谷に出ないと帰れないロケーションだったので)、後輩と「まるで学校の期末試験が終わったような開放感」を共有しつつやけに高いテンションで話をしていたりしました。

 通常の休みだと、日曜の夕方くらいになるともう「明日朝出社したらまずこれをやってあれをやって・・・」とか自然と頭の中で考えてしまったり、遊んでいるときでも30分に1回くらいは会社の携帯をチェックしてみたりと、軽くPTSD気味な休日を過ごすのが普通になっている私ですが、年末年始とお盆の期間くらいは仕事を忘れて純粋にのんびりとすごしたいものです。うむ、休みだ!

2005年8月8日月曜日

ぐうたらと

 今日はこれまでの人生でかつてないほどテレビでスポーツを観ていた。甲子園の遊学館×秋田商、桐光学園×近江、聖光学院×佐賀商、そしてそのままサッカー東アジアカップ中国×北朝鮮、日本×韓国。佐賀商がノーヒットノーランを喰らうかどうかで結構盛り上がった。8回裏をあっさりと片付けられた時は「ああ、こりゃもうノーヒットノーランだわ」と思ったものだったが、9回裏に三塁線を抜ける文句なしの当たりの2ベースヒットが出て、結局ノーヒットノーランにはならなかった。打った打者が2塁ベース上で興奮して嬉しそうに右手を上げた姿が印象的だ。一矢報いた、といった感じだろう。

 少しずつHPのメンテナンスをしながらの観戦ではあったけど、よくもまぁこれだけ観たものだ。本当にこれだけテレビでスポーツを見続けたのは初めてかもしれない。少なくとも記憶にはない。おかげでのんびりと休養にはなったのだが、何となくやるせなさが残る休日だった。他に何かできたんじゃないかなぁ?

 ・・・まぁ、いいんだけど。

2005年8月7日日曜日

イェラン・セルシェル『eleven-string baroque』

 セルシェルの『eleven-string baroque』を買ってきた。最近CDはひたすらAmazonや社販で買ってしまうので、なかなかタワレコやHMVにも足を運ぶ機会がなかったのだが、昨日久しぶりに行った際に目について、ラッセルの新譜とどちらを買おうか迷った末にこちらを買ってきた。何となく、スペインよりはバロックな気分だったのだ。

 セルシェルといえばとにかく11弦ギターでバロック(特にバッハ)を弾くか、ないしはビートルズを弾くかといったイメージが一般には強いだろうし実際私の中でもそうだが、実は彼の弾くバロックは結構好きだ。まぁ11弦ギターって時点で反則だろとか、そこまでいくならおとなしくリュート弾いてりゃいいだろうがコラとか、そんなツッコミはなくもないところだが、そんな邪念はさておき彼の弾く透明感のあるバロックは単純に聴いていて心地よい。心をグッと持っていかれる程強く響く音楽ではないが、すっと心に入り込んでくる素直で澄み切った音楽。そんな感じがする。

 この『eleven-string baroque』はヴァイスの『Passacaille』から始まり、パッヘルベル、『G線上のアリア』、BWV1001の有名なギターでは有名な『フーガ』を含むソナタ、クープラン等を鏤めつつ、最後はまた最初と同じくヴァイスの『Tombeau』で終わる、バロックの小品集。暖かな旋律が美しいヴァイスのパッサリアから重苦しく終わるトンボーまで、終止北欧出身のセルシェルらしい透明な音楽を聴かせてくれる。

 特に注目はBWV1001の『フーガ』。セゴビアが弾いて以来、ギターの世界ではすっかり定番になったこの曲だが、以前にも書いた気がするが実は結構普通の6弦ギターで演奏するには無理のある曲だと思う。だからところどころ音が非常に薄くなるし、旋律もつながりにくい。この曲に関して素直に名演と呼べる演奏が(あれだけ録音・演奏されているにも関わらず)出てこないのは、やはり元々無理がある曲だからなのだと勝手に思っている。

 だが、11弦ギターでなら話が違ってくる。分厚い音の層が織りなす重厚なフーガが、ギターの和音に強いという特性を活かして原曲以上に色彩感豊かな編曲がなされていて、聴いていて曲自体の良ささえ再認識させられるような、そんな素晴らしい演奏に仕上がっていた。セルシェルの透明感のある演奏は、セゴビアの濃ゆい演奏のイメージが強いこの曲には少しあっさりしすぎているようにも思えるが、その輪郭のはっきりした澄んだ軽やかさは、純粋な意味で言えばバロック的なのではないかなとも思った。何にせよ、6弦ギターでは表現しきれない曲でも11弦ギターならうまく曲のよさを引き出すことができる場合もある。その意味ではセルシェルの11弦ギターも(やっぱり反則だけど)ありなのかもしれない。

 個人的にはセルシェルの弾くヴァイスの『シャコンヌ』と『ファンタジー』が大好きなので、是非『パッサカリア』や『トンボー』も入れてほしいものだとかねてよりずっと思っていた。やっと、とうとうその2曲がこうして録音されてCDになったというのは素直に嬉しい。また演奏も期待を裏切らない、セルシェルらしい澄んだ透明感と控えめの優しさがにじんだよいものになっている。派手な力や演出はないし、これでもかというくらい心を揺さぶる情感があるわけでもない。ただ空気のようにそこにある、澄んだ自然な音楽を、彼は聴かせてくれる。

Linkを作成

 このページにLinkのページを追加しました。他のEssayやNovelのように単純に新しいウェブログを切ってスタイルを調整すれば終わりかな程度に思っていたのですが、いざやってみるとそれだけじゃ細かく技術的に問題があることが判明、ちょっとカスタマイズに時間を食ってしまいました。このページは基本路線すべてMovable Typeという方針に変更はありません。意地でもカスタマイズで逃げ切るのです。まぁ、最初にシステム化しておけば後の更新は楽ですからね。

 とりあえず、このLinkのページは概要の部分にURLを入れるとエントリーのタイトルにリンクが張られるという仕様にカスタマイズ。Movable Typeが想定している本来の意味・仕様とは多少異なりますが、まぁいいでしょう。どうせ管理画面を使うのは私一人なのですから。

2005年8月3日水曜日

例えば

ショウユバッタとオンブバッタの違いについて知りたい時、バッタと検索窓に入れてポンとボタンを押すだけで、知りたいと思っていた以上の情報がサッと出てくる。そんな世の中になった。とりあえず、ショウユバッタではなくショウリョウバッタというらしい。つかまえると口から醤油みたいな黒い液体を出すからショウユバッタなのだなと、ずっと納得していたのだが。

2005年8月1日月曜日

ayum.jpオープン!

 とうとうこの『あゆむの雑記帳』もサイトの引越をします。新しいURLは下記の通り。

http://www.ayum.jp/

 まだ日記のデータも移行し終わってないですし、Linkも作ってません。BBSも使用しているレンタルサーバが用意してくれた出来合いのもので、そこだけデザインが統一されてなかったりします。まだまだ未完成感が満載のサイトですが、こちらの現雑記帳はレンタルサーバとの契約満了に伴い本日で更新を終了いたします。明日からは上記新サイトの方で更新を続けてまいりますので、皆さん今後ともよろしくお願いします。

 新サイトは全体がMovable Typeを使用して作られています。コメントやトラックバック、RSSフィードといったBLOG特有の機能がもちろん使えますので、使いたい方はガンガン使ってやってください。デザインは最初自分で考えていたのですが、どうにもデザインセンスのない私はラチがあかなくなっていたので、HINAGATAさんからいただいたスタイルをベースにトップは3カラム、中身は2カラムというスタイルで多少独自にカスタマイズを入れて作りました。ま、割とシンプルにまとまってこれはこれで悪くないかなと思っています。今はWindowsのIEで見ると少しばかり表示がおかしい(というかおかしかないが意図と違う)部分があるのですが、まぁそこも追々直していきます。

 しかしとうとう7年慣れ親しんだこのna.sakura.ne.jpともお別れとなると名残惜しい気がします。元々大してカッコいいサイトではないですし、今となってはむしろデザイン的にも技術的にも古くささ満載のサイトですが、それでも個人で7年続けてきたサイトです。中身は新サイトの方に移行するとは言っても、やっぱり今のデザインにもURLにも愛着はあるので少し寂しいですね。

 とはいえとうとうayum.jpのドメインも取得しての新たな船出です。皆さん、今後とも新しくなったayum's note -あゆむの雑記帳-をよろしくお願いいたします!