2003年11月20日木曜日

「委員長」と「道なり君」

 多分どのクラスにもというわけではないんでしょうが、いわゆる「委員長タイプ」の人間というのはいつの時代にも結構いるものです。・・・私はそいつらが大嫌いでした(爆)。とにかく常識やらルールやらを押し付けたがる。「授業中は静かに」、「廊下は走るな」、「悪口言うな」等々、とにかくゴチャゴチャめんどくさい。しかもヤツらの凄いところは、それが誰であろうと面と向かってそれを言ってくるところです。冷静に考えればある意味凄い。正義感という信念に対する揺らぎない確信は、今考えれば宗教的なものすら感じます。まぁあの当時は世間並みに「いい子ぶりやがって」とか「そんなに内申ほしいか」とか、あるいはティーンエイジャーらしく(?)「大人の手先が」くらいに思っていたわけですが。

 大学に入るとそういった「委員長タイプ」の人間は力を発揮する場が少なくなるためか(私はゼミにはあまり参加してなかったし、Toward eveningや虹色電脳集団、クラギタはそのタイプとは無縁)あまり見かけなくなりましたが、今度は何と言うか、「道なり君」みたいなのをよく目にするようになりました。「大学生になったんだからバイトもしないと」とか、「学生の本分はやっぱり勉強だから勉強しないと」とか、非常に短絡的な因果関係に疑問もはさまずそのまま動いているタイプです。見渡してみると何とこいつが非常に多い。そして彼らは大体において、「~だからこうこうしなきゃいけないし、でも自分はそんなんじゃないし、どうしよう」とかいった感じで悩んでたりするわけです。なんだかなぁ、と思いますね。

 こんなのも思考停止の一形態ではないでしょうか。「委員長」は与えられた正義のステレオタイプをそのまま受け入れ、妄信的にそれを実践します。「道なり君」は一般論を自分の状況に適応させることすらせずその差異にとまどいます。どちらも出来合いのものをただそのまま身にまとい、その時点で自分で思考することを放棄しているのです。ところが「委員長」は周りの「法」とでもなるべき自分の「正義感」を自分の「考え」だとして疑わないでしょうし、「道なり君」はそもそも世間の平均値だか最瀕値だかを取った「一般論」なんてもんが「自分」という個人にぴったり隙間なく合うはずもないのに、そのギャップを自分と世間との「ずれ」のように認知して勝手に悩む。悩んでるから一応頭は回っているわけで、そんな人が自分が思考停止してるなんてこれまた当然思うわけがない。前提が間違ってるんですけどね(爆)。「てめぇは悩むとこ間違ってる」と軽く小一時間説教したい気分で一杯です。

 「常識」とか「一般論」とか「風潮」とか、そんな曖昧なもの絶対的に受け入れてしまう人があまりに多い気がします。別に否定しろと言っているわけじゃありません。自分自身の思考なり行動に組み込む前に、ちょっと一回立ち止まって考えてみてもいいんじゃないかと言いたいのです。「一般論」等といったある程度どこにでも適用できそうに思える(当然自分もそこに含まれるように思える)ものとは実は粒度が結構粗いもので、だからこそ「自分」というより粒度の細かい範囲を対象として考えた場合どうしても過不足が出るものです。だから仮に一般論を受け入れるにしろ、自分にもっと合うように余計なものを削ったり足りないところを付け加えたりしてもいいんじゃないかと思うのです。そのまま受け入れるのでなく、「自分の場合はどうなんだろう」というステップを入れることで自分により似合う「自分的一般論」にしていけばいいんじゃないですかってお話です。そうすりゃ少なくとも「道なり君」なんかは相当悩み減ると思います(笑)。そもそも彼らの悩みの大半は「自分」の方を無理に「一般」に合わせようとするそのギャップから出てくるものなのですから。

 例えば本当に学費や生活費を稼ぐ必要があってバイトする人なら「バイトしないと」とは悩まないでしょう。義務感からの焦りとかもっと他のことしたいのにとかいう不満等はあっても実体のない悩みじゃありません。ところが「大学生になったんだからバイトもしないと」とか言って頭抱えてるヤツに限って、実はそんな必要なかったりするヤツばかりなのです。そりゃ現実問題として必要ないものを「一般論」から強制されたんじゃ嫌にもなるだろうよ(爆)。まず別にバイトしなくてもやってけるんならする必要ないってことに気付こうぜ。そうすりゃ他にどんな生活の選択肢があるのかも考えられるでしょう。「学生の本分は勉強だ」って、じゃあアンタその勉強やってどうすんの?って話です。好きならいいです。でもそう言ってるヤツに限って楽しそうじゃない。何も満面の笑みでデカルト読めとは言いませんがね。目的があるわけでも楽しみがあるわけでもないのに何故勉強ができるんでしょうか?まぁ勉めることを強いると書いて勉強なわけですから、ある意味彼らは彼らの言う「学生の本分」を忠実に全うしているのかもしれません。ちなみに私は大学は勉強するところではなく自分の可能性を探すところだと思ってました。

 ところで、「委員長」は相変わらず私には理解が難しいのです(笑)。何やりたいんでしょうね、彼ら?

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