2005年7月30日土曜日

最期の時に、もしも音楽を聴けるなら

 以前にも日記に書いたが、ラッセルが弾くヘンデルの組曲七番の『パッサカリア』がたまらない。正直、理論面・構成面ではやはりバッハほどよくできているわけではないし、派手に技巧的な演出があるわけでもない。だけど、同一の低音主題を一曲通じて繰り返し続けるパッサカリアという形式が醸す、表面的な旋律は変奏によって変化していっても根底を流れる主題は決して変わらないという輪廻の定めが、そのまま人生の悲哀の暗喩になっているように思える。いつの日か自分の命が果てた時、それでももし霊というものがあるとしたら、改めてこの曲を聴いてみたい。これまでのもう(認めたくはないが)30年近い人生の中で、音楽的な趣向は色々変わったり広がったりしてきたけれど、それでも人生の終点でこの曲を聴くことは例えその時の音楽的な趣向がどうであれ意味があるように思う。最期の時に、よほど心が腐っているのでなければ。それはきっと、シェイクスピアの悲劇にも似ている。

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