1999年3月31日水曜日

大切な本 -『風の歌を聴け』

 今日、久しぶりに村上春樹の『風の歌を聴け』を読み返してみました。といっても私が持っているハードカバーのやつ(忘れもしない高3の8月14日、長野での合宿の帰りに東京の八重洲ブックセンターで購入したものです)は今貸し出し中で、でもそれでもなんだか無性に読みたかったので、所詮300円ちょいと割り切って生協で文庫本を買ってきました。そして一緒に買ってきたCDを聴きながら読んでいました。短い本です。CDを一回聴き終わるまでには読み終わらないかも知れませんが、二回聴くまでには読み終われます。そういうシンプルな本です。

 初めてこの本を読んだとき、何故かはわからなかったんですけどとにかく心が震えたのを覚えています。それは感動というよりはどちらかというと共感に近いものであったもしれません。ともあれ、私はその本を読んで自分も文章を書こうと思い、そしてそれが今に至るわけです。もう何度読み返したかわかりませんが、それでも読む度にこの本は心に染み入ってきます。初めて読んでから4年がたった今でも読む度に新鮮な感じがします。今はこの本と出会った頃と周りを取り巻く状況が少し似ているせいか、また深く心が震えていました。この本の主人公は大学生で21になり、地元で夏休みを過ごしていて、私は18になる高3の夏にこの本を手にし、今21、今年で22にもなります。その時の流れと共に、私の主人公に対する視点もやはり動いてきたのでしょうか。あの当時得た共感と、今日得たそれとではやはり異なる何かがあるのでしょうか。まだ近すぎます。あまりに近すぎると目は全体を見ることができません。似通ってるんですよ、あの当時と今の自分が。そこの違いがまだ見えないのです。今があまりに近すぎるせいで・・・。

1999年3月30日火曜日

1999年3月29日月曜日

自堕落に

 今日ははっきり言ってあまり動きたくなかったので、一日ずっとギターを弾いたり昼寝をしたりしてゴロゴロと過ごしていました。外に出たのと言えば、散髪に行ってその足で夕飯を食ってCDをレンタルしてきたくらい。傷が痛むせいとはいえそんな自堕落な生活を送っていたのがわざわいしてか、日中うたた寝をしているときに何かいい作品のアイディアが浮かんだような気もしたのですが、見事にすっかり忘れてしまいました。困ったものですね。

1999年3月28日日曜日

怪我の報告

 さて、昨日クラッシュした際の傷ですが、右手と右膝の豪快な裂傷は見事に化膿してしまって凄いことになってます。傷口に当ててるガーゼを通じて、上に巻いてある包帯にまで血と膿がこびり着く始末。傷口なんてグチュグチュと血と膿とリンパ液かなんかが溜まってもう・・・。まぁそれでも今日は教習所で痛みをおして実技やってきましたがね。しかもその後チャリで河原町まで行ってCD買って来ましたがね。まぁ傷は主なところで両手のひらと右膝ということで、日常生活では歩行から炊事、洗面に至るまであらゆるところに支障をきたしているのですが、幸か不幸かギターを弾く分にはまったく影響ないんですよ。敢えていうなら、消音を普通に手のひらでやると痛いから、手の小指側の肉の部分(チョップをしたとき当たる場所)でやってやるよう気をつけるくらいで、あとはホントに全然影響ナシ。というわけでとりあえずしばらくの間はギター弾いて時間を潰すことに専念しようと思います。しかしえらい都合のいい傷だな・・・。

1999年3月27日土曜日

ボロボロの交歓演奏会

 さて、最近更新ペースがかなり乱れていましたが、とりあえず色々なことに区切りは付いたのでこれからは安定した更新ができることかと思います。そろそろまともな作品もあげないとね。

 昨日は関大との交歓演奏会がありました。出来の方はというとまぁよくもあそこまでボロボロに・・・、といった感じで、コンパのときなどは普通に飲み食いはしているものの心の中ではかなり泣き入ってましたね。そら2次会でショットバー、3次会でジャズバーにも繰り出して飲むわ。あかんがな、ありゃ。おかげで珍しく酒でフラフラになって、何人かの人にも迷惑をかけてしまいました。どうもごめんなさい。

 しかも今朝は5時頃から故あって京都駅の方まで行かなならんかったのですが、駅まで自転車で行く途中に暗い道を裸眼で疾走していたら道路の分離帯が視界に入らずに高速でそこに突っ込んで大クラッシュかますし・・・。両手を血みどろにしてジーンズの膝も破れてそこからエグイ傷が覗いているような状態で行ったら待ち合わせていた人はさすがに驚いてましたよ。そらおどろくわ。でも転んで受け身をとる時に、そこはギタリストの本能とでもいいますか、指先の方から突っ込んだのではなく手のひらの手首よりの肉厚なところの方から突っ込んだので、確かに手のひらに大きな裂傷はあるのですが、ギターは問題なく弾けるのです。指と爪には傷一つ付けずに済んだのは不幸中の幸いといったところでしょうか。

1999年3月24日水曜日

民謡のMIDIサイト

 なかなか面白いホームページを見付けました。世界の民謡、名曲や国歌を歌詞付きのBGMやMIDIファイルとして紹介してくれるサイトです。こういったいわゆる音楽の教科書に載っているような曲って意外と忘れられがちですが、よくよく聴いてみるとかなりの名曲も埋もれていたりしますよ。ただ伴奏がピアノだけで授業で歌ったり、素人に毛が生えた程度の合唱団が歌ってたりするイメージしかないからイマイチ曲のよさがピンとこないだけだと思うんですがね。ちゃんとアレンジしてインストに仕上げてみたりすると凄くよかったりもしますよ。個人的には『My Old Kentuckey Home, Good-Night』とか『Feed The Birds』とか『小さい秋みつけた』とか『ドナドナ』とか『ダニーボーイ』とか、この辺はたまらなくいい曲だと思うんですがね。まぁこのサイトに興味のある方はこちらへどうぞ。

1999年3月22日月曜日

卒業式の日に過去を想う

 今日は大学の卒業式がありました。生憎の雨で送る側も送られる側も晴れ晴れとというわけにはちょっとなりにくかったのですが、まぁそれでも先輩達の一仕事終えて充実感のある顔は見てて気持ちのいいものがありましたね。

 で、我々は今日は部活の恒例行事として、式を終えて体育館から出てくる先輩達を花束持って出待ちしていたわけですが、それが雨のせいかムチャクチャ寒い!!! あれはちょいときつかったですね。でもとりあえず卒業する先輩の姿を全員分カメラに収め、なにげにOB会費の徴集もしつつ皆さんを送りだしてきました。ある人は紫のス-ツに派手なネクタイとえんじ色のマフラーで黒のグラサンをかけ木刀を持ち、またある人は上下黒の拳法着に身を包み、ヌンチャクを持って卒業する同期生(爆)の見送りに来たりしていました。本人曰く「いやがらせ」だとか・・・。しかしそのいでたちに本気でツッコミを入れる人も意外と少なく、その事実にとても寂しそうにしていました。やはり卒業は人間ドラマですね?

 しかし卒業式の帰り道って何か妙に寂しい気分になったりしません? 私は高校卒業の時、2次会のカラオケが終わった後いつもの仲間達と別れポツンとバス亭でバスを待っていた時、いいようのない寂しさに襲われた記憶があります。色々あった高校生活もこれで終わりなんだなと思うとね・・・。そのことを今日一緒に帰っていた人に言ったら、自分も今そう思っていたと言いました。そして一人になってから、ふと自分が高校卒業の時に思ったこと、高校時代の(あるいはそれは今も脈々と私の中に息づいている)自分なりの美学というか人生観について思いました。

 中学卒業の時に精神的に一回死を迎えて、自分の中で高校生活というのは新しく1から自分を組み直していく過程にありました。そこで運よく素晴らしい仲間達に恵まれ、やりたいことをやって生きたいように生きてみた結果、人間という不思議な生物のいい面も悪い面も肌で感じて経験することができました。こう書くと高校生風情がなに悟った気になってんじゃとツッコミ入りそうですが、でも実際そうなんです。結局経験なんて比較することはできませんから、極論すればどんなありふれたものでも本人が大切だと感じればそう感じただけ大切なんですよ。それを他人が否定するのはその否定した人にとってその事実が大きな意味を持っていないだけで、当人にとっては当人にしかわかりえない(そして逆説的に当人にも理解しえない)大切さがあるのです。その意味で、客観的に見てどんなに他人が凄いと思う体験でも当人がそう思ってなければそれは当人にとって何の意味も持たないただの事実にすぎないわけで、その意味でやはり人生は自分次第なんだと思います。私の高校時代は、それは有意義なものでした。いいことばかりでなく、悪いことも含めてです。むしろいいことばっかりだったら「あの頃はよかった」と振り返ってそこに逃げ込むだけの避難所としての過去にすぎなかったのではないかと思います。ところがそうではなく、人間関係のよい部分も悪い部分も、極端すぎるほどの勢いでその当時の私にぶつかってきて、本当に素晴らしい黄金時代と言ってもいいような時間から、ドロドロした猜疑的要素の塊の複雑な人間関係の中、必死で手の中のものを守ろうと四苦八苦していた時期までありました。まぁ混乱期は本当にコアな部分で関わった人以外にはそれほど表面的に私に起こっている何かは見えなかったでしょうけど。詳しくは書きませんがそりゃあ色々ありました。その中で得た何かが自然に自分の中に根付いたり、浪人している間にある程度自分の意志でまとめたりして今の私があるわけで、その意味で私の高校時代は決して無意味ではなかったと思うし、今も私の土台としてその日々が存在しているわけです。今日卒業していった先輩達にとって大学生活とは一体何だったのでしょうか。後輩がこんなことを言うのも差し出がましいとは思いますが、それが彼らにとって人生の土台となりえる素晴らしい時間であったことを祈ります。そして私が卒業する時、私はその過ごした時間について何を思うのでしょうか。今はまだそんなこと見当もつきませんが・・・。

「今自分がやっていることの答えは、忘れかけた頃に時が教えてくれる」

 私はそう思います。

1999年3月18日木曜日

自転車を取り返しに

 今日は撤去られた自転車の身柄を引き取りに行ってきました。撤去された場所に貼ってあった地図を見る限り西大路九条からちょっと南に行けばありそうな感じだったので、とりあえずはバスでそこまで行ったのですが・・・。そこから周囲をいくら彷徨ってみてもそれらしき場所が見当たらないのです。そしてジャスコ洛南店の周囲を何周もして、あげく工場の受付のオッチャンに道を聞いてみたのです。すると私が目指していた久世橋通りは十条通のさらに相当南というではありませんか。それで私は泣く泣く九条から南へ十条まで、そしてさらにそこから南へ南へと一人とぼとぼと歩いて行きました。途中道路に停めてある自転車を見る度何度「マジでギッたろかい!?」という言葉が私の頭の中を回ったことか・・・。「チャリとカサは京都の回りものじゃねーか。なぁオイ!?」とね。しかしまぁその衝動が実行に移される前にどうにか撤去自転車の保管所にたどり着けたので無事ことなきを得たわけですが、やはり自転車の撤去なんてされるもんじゃありませんね。罰金は2,300円ですが、労力や時間や精神疲労度を考慮に入れると実際の損失は相当なものだと感じました。まぁ帰りしは途中漬け物屋さんによって、そこでお茶を出してもらったりと色々よくしてもらえたのである程度回復して帰っていくことができました。やはり人情にふれるとよいものです。

 なお、明日から私は部活の合宿に行くので数日更新はお休みします。

1999年3月17日水曜日

足を奪われた日

 今日はちょいと河原町の方に繰り出してきました。で、まぁいつもの私なら河原町程度の距離はサクッとチャリで行ってしまうのですが、今日はどういうわけか西院から電車で出て行ったんですねー。その際チャリは駅前の路上に見事に違法駐輪していたわけですが、・・・やられました。帰ってきて見てみると、私がチャリを停めていた時には過密状態にあった自転車の量が異常に少ない。しかも辺りを見回してみても駅の周囲の道をグルリと一周してみても自分の自転車が見つからない。これはもしや、と思い顔をふと上げたところには自転車撤去のお知らせが・・・。まぁ西院からウチまでは距離的にはどってことないので、今日はとりあえずぽてぽてと歩いて帰ればよかったのですが、生活の歩きを除いた移動手段の95%までを自転車に依存している私としては一日でもチャリがなくなるのは痛いのです。しかも保管所って九条のあたりでしょう? わかる人にはわかるでしょうけど、これはウチからかなり遠く、その上行きはバスに乗ってパ-ッと行っちゃえばいいとしても帰りはかなりの距離をひたすら続く登りをこいでこなければならないという・・・。しかも罰金2,300円も取られるし・・・。え~い、許し難い!!!!! 撤去なんてするんじゃねーよ!!!!!!!

1999年3月16日火曜日

生け贄

 今日は部活の指導者講習会の日。私がいつも習っている先生が学校に来て皆に指導のポイントを解説してくれます。が、いつも習いに行っている先生ということは、向こうも私に対して容赦はしないわけで、何度か前に出て弾いた時には半ば生け贄の様相を呈していました。まぁ弾けない私にも問題アリなのですが・・・。

1999年3月15日月曜日

ラミレスが来た日

 今日は部活の指揮の先生がプロデュースしたヘンデルの『メサイヤ』のコンサ-トに行ってきました。が、まぁ、・・・うん、オケラはいいとこと悪いとこの差が結構ありますからねぇ・・・。楽曲の響きが派手だからくらまされやすいけど。なんか今日のはこれまで聴いてきたオケラの演奏(プロ、学生、市民団体を問わず)と比べるとどうも・・・。まぁこれ以上は敢えて何も申しますまい。

 そして今日やっと手に入れました。念願のニューギターです! 某ギタ-関係のホームページでは「音に毒がある」とのコメントも付いていたラミレスのギターです。な~に、毒の一つや二つ持ってた方が俺向きってもんです。今日は帰ってからひたすら新しいギターを弾き倒してましたよ。弦を店で替えてもらってきたのでひたすら調弦は狂うのですが、それにもめげずほとんど15分おきに調弦し直しながらそれでも悦に入って弾きまくってました。ん~、よいギターですよ~。

1999年3月11日木曜日

続く自動車教習

 今日は教習所で学科と技能を1限づつ受けてきました。これで第一段階の修了に必要な学科の数はあと2つ。こちらはやっと先が見えてきました。しかし技能の方は15必要なのにも関わらず、今日でやっと6つ目が終わったばかり。教習所に通い始めてから既に一ヶ月が経過しています。しかも明日技能を1つ受けたら部活の通常活動や合宿、演奏会の予定と教官の予定がうまく折り合わないため次の技能の予約は27日までありません。さて、私は一体いつになったら自動車の免許を取ることができるのでしょう・・・?

1999年3月9日火曜日

ギター選び

 今日は楽器屋『月光堂』に行ってギターを見てきました。今使っているギタ-は先輩からの借り物で、それもその人が卒業する故ぼちぼち返さなならんのでそろそろ自分でいいギターを持とうかなと思いましてね。ん~、しかしやはり35万円クラスのギターになると根本的な鳴りからして違いますね。ス-パ-ウッド云々の議論はこの際置いといて・・・。で、色々弾かせてもらったけど最後に店の人が上のガラスケースの中から出してきた60万円のホセ・ラミレス(ラミレスモデルではない)は凄かったですね。音量的にはス-パ-ウッドに負けるのですが、音色の豊かさとデッドのないバランスのよさ、そして音の素直な前への飛び方は素晴らしいものがありました。先生の所で弾かせてもらった120万円のギターと比べてもそれほど劣るもんじゃありませんでしたね、あれは。・・・ほしいなぁ・・・。とまぁ今日は昨日日記でぼやいたのもどこ吹く風とばかりにいいギター試奏しまくって悦に入っていたわけです。まさに昨日泣いたカラスがなんとやらですね(笑)。

1999年3月8日月曜日

ギターを弾くことについての無限問答

 ふと、今自分は何でクラシックギターを弾いているのだろうとか思ってしまいました。思えば大学に入った当初は軽音楽部に入ってそこで伝説のギタリスト(or ボーカリスト)になろうという壮大な計画を胸に抱いていたというのに・・・。大学にきて始めて観た軽音のライブのあまりのレベルの低さに絶望し(といっても今観てみればそれほど酷くはないのですが、どうやらそのときは外れのバンドに当たったようです)、清心館549にあった黒板情宣を見てクラギタの新歓に(演奏が終わってから)行き、そこでKIYO & 糸さんと出会ったのが運の尽きとばかりにその道へ・・・。そうじゃ! キサマじゃ、KIYO!!!!! キサマさりげなく人の人生変えてるんだぞ!!!!!! omuの人生もキサマが変えたようなもんだろ。いや、きっとそうに違いない。まぁわしゃそれでよかったと思っているのだがね。そう、それが始まりだったんだよ・・・。

 それでまぁなんやかんやでクラギタに入りタルレガやって、適当にやりたいように曲やってここまで来ました。今じゃクラシック技術部長なんて役職にもついて、ちゃんとした先生にも習いに行ってまでギタ-弾いてます。でも、それでどうなるんでしょう? いくらギターうまくなったって、俺はKIYOのようにその後ギタ-関係の指導に就きたいと思っているわけでもなく、金やU-yanのように音楽関係の仕事に進もうと思っているわけでもない。今は好きで弾いてて、弾く時間があるからいいけど将来仕事が始まったら今やってることはどうなるんだろうと。探せばね、そこらのオッチャンでも「若い頃はギターやってたよ」っていうヤツたくさんいるんですよ。でもオッチャンになってもまだギタ-弾いてる人ってほとんどいないわけで、やはり仕事に就いて日曜とかくらいしかギタ-弾く時間が無くなってきたら自然とギターと疎遠になっていくのかなとか思ってもみたりして、実に微妙な心境になってます。そうするとね、今あれこれ必死でやっていることってその時一体どうなるんだろうな、って・・・。今はそれこそ必死ですよ。技術部長としての責任もあれば、弾きたい曲をイメ-ジ通りに弾きたいという願望もあり、その願望はあれどいくらやっても自分の頭の中でなっている音に現実の音が近付いていってくれないというもどかしさがあるから、そのギャップを埋めようと必死にやってます。ギターでも歌でもあるいは卓球でも(わしゃ中高卓球部だったので。中学の時は部活ムチャクチャ燃えてたんだぜ)、自分のイメ-ジ通りに体が動き現実からの答えが返ってくる瞬間の興奮と充実感、まぁ大袈裟に言えば感動ですね、は同じだし、その感覚が忘れられなくて、また極限まで背筋が震えるような快感を味わいたくて、そのイメ-ジに近付こうと必死でやるわけです。それこそ単純に指が動く動かないのレベルから、ビブラートのニュアンスとか、低音弦の擦か音とか、音色の研究だとか、フォ-ムの改善だとか、課題を挙げ出したらキリもなくなるほどに。でも今そうやって、時にギターを弾くのがイヤになって苦痛に感じるほどに頑張っていても、それが一体どうなるのかとか、ふと考えてしまって止まらなくなってしまいました。でもそう考えれば考えるほど、何故かしらないけどギターを今この手に取って弾いて弾いて弾き倒したくなるんです。そしてそんな虚ろな考えを吹き飛ばしてしまいたくなるんです。そして自分のイメ-ジを現実にトレ-スできる快感を求め、それができないもどかしさに襲われ、また漠然とした脱力感の中自分がやっていることを無意味に感じ、でもそうなるとまた何故かギタ-が弾きたくなる・・・。無限問答ですね。ギターは私にとって大きな浄化作用を持つものであり、何かに行き詰まった時にはやはりなんとなく手に取りたくなるんですよ。でもそれが最近技術的な面から限界を感じ、それに技術部長としての責任が加わった段階で歪みが生じて問いは永遠に繰り返すわけです。ずっと独学でやってきたとはいえ、中2の冬に初めてギターを持ってからはや7年・・・。それだけ時間が流れても自分はまだこの位置にいるのかと思うと少しイヤになりますね。多分そこがこの無限問答の始点にあるのだと思います。そう、俺はまだこの位置にいるんですよ。大学からギターを始めて、それでも俺より先の方までいっちゃってるのもいるというのに・・・。

1999年3月7日日曜日

不健康に椎名林檎

 クックックッ・・・、回る・・・、回るんだよ、椎名林檎の歌が俺の頭の中でええぇえぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!!!! あのアラニス・モリセットの歌がブランキー・ジェット・シティの伴奏にのったかのような不思議な歌がもうたまらなくエンドレス。誰かどうにかしてくれい。昨日のD.C.のコンサートが始まる直前ですら頭の中では椎名林檎が回っていたという微妙な現実に、ヤツの歌の圧倒的な洗脳力のようなものを感じますね。しかもあのクセのきっつい歌い方も最初は抵抗あったけど、ここまでくるともはや味かなと思えてしまえるという・・・。つまりはそこまで彼女の歌が私の頭の中で回ってるということですな。特にアルバム『無罪モラトリアム』の2曲目と4曲目。歌舞伎町の歓楽街の女王さまがどうたらこうたらとかいう歌と、シングルにもなってた『幸福論』。回るってばよ・・・。このままじゃ勢いにまかせてCD買ってしまいかねないぞ。そう、川本真琴(漢字不詳)の『DNA』の時のように・・・。え~い、わしゃ最近財政難なんじゃあっっっ!!!!!!

1999年3月6日土曜日

D.C.クーパー@大阪バナナホール

 さてさて、最近更新が途切れ気味で申しわけありません。でもこれからもこんな感じの更新ペ-スが少しばかりの間続くかもわかりません。ちょっと大目に見てやってください。

 今日は大阪バナナホールまで真茶器と共にD.C.クーパーのコンサ-トに行ってきました。知ってる人は知ってるROYAL HUNTのボーカリストです。コイツの尋常じゃない声域の広さと恐ろしい高音域のキレは、その声質のク-ルさと相まって実にカッコいいのです。会場はコンサ-トホ-ルというよりはライブハウスといった方がいいような小さい会場で、しかも前の方にいたので手を伸ばせばD.C.に届きそうなくらいの所でした。今日のD.C.はまぁちょっと調子悪そうに歌ってましたが、それでも高音のシャウトのキレはさすがの凄まじさがありましたよ。ROYAL HUNTの曲からも『Wasted Time』と『River of Pain』の2曲をやり、アンコールではジューダス・プリーストのカバーも飛び出して場を盛り上げてました。まぁ個人的には『Last Good-bye』か『Message to God』もやってほしかったのですが・・・。とまぁ今日は疲れたんでこのくらいにしときます。でもライブとしてのノリは前座のPink Cream 69の方がよかったかも。ヤツらライブ向けのノリノリの曲ばっかやりやがるから・・・。D.C.は最近のROYAL HUNTの傾向をそのまま踏襲したかのような重々しい大曲志向だからライブだとそうガンガンいけるわけではないしね。

1999年3月3日水曜日

神戸散策

 というわけで、今日はまたも神戸まで遠征してきました。最近神戸での出没率が異常なまでに高まってますね。でも行き来は疲れるの・・・。

 まぁ今日は南京町からハ-バ-ランド近辺を散策して回っていたわけですが、南京町で食べた豚まんじゅうは異様に美味しかったですね。その次に食べたフカヒレラーメンはまぁ美味いっちゃあ美味いんだけど、という感じでしたが。そして夜はモザイクのブラジル焼肉料理の店で食べたのですが、剣にブッ刺した肉をテ-ブルの上でシェフがザクザク切り落として皿に落とす豪快さが気に入りました。が、肉が出てくるペースが異常に早く、食うのにかなりのエナジーを消費していたことは言うまでもありません。しかし港近辺の神戸の夜景ってのは不必要なまでに綺麗ですよね。

1999年3月2日火曜日

無題

 あ~っはっはっはっはっはっ・・・・・!!!!!! ダ~メ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間ダメ人間、ダ~メ~人~間~~~~~!!!!!!!!!!!!

1999年3月1日月曜日

自動車運転適性テスト

 今日、教習所で運転適正テストの結果をもらってきました。免許を既にお持ちの方は知っているかと思いますが、例の性格検査から運転適正をはかるというアレです。何かロールシャッハのようなものもやらされましたよね。・・・で、結果はというと、コメント欄ののっけから「あなたの性格にはよくわからないところがあります」とか書かれてました(爆)。よくわからんて、・・・それを分析するのがこのテストの役割ちゃうんかい!? とかなりツッコミたくもなりましたが、まぁやはり俺くらいのクラスになるとあの程度のテストで計ろうという方が無理があるのだなと思い納得しておきました。で、肝心の適正の方はというと、案の定というか安全運転度が5段階のD評価・・・。実に危険度が高いですね~。追い抜かれたらカッとなって抜き返しにかかるとか、感じやすい面があるので考え事がある時は車に乗るなとか、随分ボロクソ書かれてましたわ。まぁ皆さん、免許とったら私の運転でどっか行きますか? 可能な限り往復切符を用意するつもりですが、場合によってはどっか目的地とは違う場所への片道切符になってしまうかも知れませんがね・・・。しかしですね、身体健康度が3段階のCだったのはまぁわかるのですが、心の健康度がムチャクチャAだったのは一体・・・? 健康なのに「感じやすい面があるので考え事がある時は車に乗るな」とか言うんかい!? まぁその辺がよくわからない所以なのかもしれませんね。