7月30日が土曜日だったので、週が明けて8月1日からすぐ修理依頼が来るかと思いきや、実際に依頼が来始めるのは1日おいて2日から。1日の時点ではまだ地面がドロドロで、お客様も状況を確認したくても入っていけないエリアも多かったのです。そこから何枚も続く、水に潜った機械の修理伝票。改めて、災害の被害の大きさを感じます。
今年は東日本大震災もあり、和歌山でも豪雨被害があり、全国的に自然災害が多い年でした。自然ばかりはどうにもなりませんが、来年は大きな災害がないようにと願う年の暮れです。
今年は東日本大震災もあり、和歌山でも豪雨被害があり、全国的に自然災害が多い年でした。自然ばかりはどうにもなりませんが、来年は大きな災害がないようにと願う年の暮れです。
特に印象に残ったのはまず第27番の第2楽章。音楽が始まった瞬間、その場の空気が変わりました。柔らかく透明な音色に包まれた、あの優しく牧歌的な旋律。「ああ、27番ってこんなにいい曲だっけな」と思うほど、会場をその音楽の世界で満たしていました。
そして第30番での泉からどんどん湧き上がる清い水のような音楽。第2楽章では時にペダルを踏む足音を響かせながら鬼気迫る演奏を聴かせてくれます。本当にあの細い体のどこからあれ程の鋭く気迫に満ちた音が出てくるのか。
第31番では嘆きの歌からフーガへつなぐ和音の、嘆きがためらいながらも救済のフーガへ収束していくその自然と息が吸い込まれるようなアーティキュレーションに目を見張りました。
そしてやはり凄かったのが第32番。力強く、デモーニッシュな迫力すら感じる第1楽章から、美しさを極めた第2楽章へ。清澄した水の玉が輝いているような高音が、本当に天国的に美しい。最後のトリルに入った時は「ああ、もう終わってしまう」と曲が進むのが残念に思えるほど、その素晴らしい音楽にひきこまれていました。
イリーナ・メジューエワの何が凄いかというと、もちろんその音色の美しさや強奏時の迫力、その切り替えや多彩な表情も見事なのですが、それらを駆使して演奏をする果てに、最後にはメジューエワという奏者を超えて曲そのものの素晴らしさが見えてくるところ。彼女の演奏を聴いていると、この曲はやはり素晴らしいなと素直に感じられるようになってくる。演奏が凄いと感じるのでなく、音楽が素晴らしいと感じてくる。そこが、何よりも凄いところだと思います。美しい音色も、力も、確かな技術も、あらゆる発想も、持てるものをすべて使い切った果てに音楽が浮かび上がる。素直で、清廉に磨き上げられた音楽そのものの魅力が。それこそ、確かな音楽性によるものなのだと思います。そして、その音楽が心を洗い流してくれる。
今日は素晴らしいコンサートでした。聴衆も非常にリテラシーが高く、曲が終わった後すぐに拍手をしたりしない。メジューエワが手を下ろし、一息つくまでまってから熱烈な拍手。音楽の余韻までしっかり味わうことができました。終焉後、第32番が収録されているCDを所望し、サイン会でサインをもらって、感動に加えてほんのりミーハーな喜びも満たして帰ってきましたとさ。
でもこんなに素晴らしい内容なのに、かなり席はガラガラだったのです。おかげでCD買うのにもサインもらうのにも大して時間かからなかったのはいいのですが、これだけのコンサートにあれだけしか人がいないのは、正直寂しい気もしました。平日だからでしょうか?ベートーヴェンの後期ピアノソナタは『悲愴』『熱情』『月光』辺りと比べて人気がないからでしょうか?それともイリーナ・メジューエワがまだあまり名前が知られてないせいでしょうか?あまりに、もったいない。これだけの音楽が、新潟で比較的手ごろなお値段で聴けるのに、とかもちょっと思ってしまいましたとさ。
見ていると、この先生はこの発表会に向けて生徒が選んだ曲は、ポピュラーでもジャズでも、先生自身が知らない曲でも、それでよしと認めて指導してきた様子。普通先生って自分の知らない曲、ジャンル外の曲って嫌がるんですけどね。それもあって生徒達は自分の好きな曲をいきいきと演奏していたのだなと思いました。
ある程度以上のレベルを目指すなら、課題曲を通じて技術的なステップをクリアしていく過程も必要でしょう。でも、それ以上に先生はまず音楽を楽しむことを大事にしているようで、それは凄くよいことだなと思いました。ピアノが上手になるために、音楽が嫌いになったら意味がないですから。いい先生についたなと感じる、暖かい発表会でした。来年はウチの子も出られるようになってるといいなぁ。
余談が長くなりすぎましたが、当時の自分達はそこまでが挑戦でした。それは大きな挑戦ではあったけど、クラシックギター部が自立するための小さな一歩でもありました。当時師事していた尚永豊文先生に「来年は編曲を自分がやります」と話した時、ここ数年は外部に編曲を依頼していたことをお話しすると「甘えていましたね。自分達でやることはいいことです」と仰っていたのを思い出します。編曲も自分達でやることで、音楽に向き合うことができたのは、確かに厳しい側面もあったものの、実際いい経験でした。
自分が卒業してから10年以上が経ち、その間自分の後のクラシック技術部長達には自分など及びもつかないような実力を持った人達も就いていきました。卒業後も何曲か合奏用に私が編曲をさせていただいたこともありますし、藤井眞吾先生に編曲をお願いしたこともあったようです。今でもクラギタのBOXに顔を出す同期に聞くと、自分らの頃とは大分雰囲気も変わったそうです。それでも、大学で公式に部として昇格して50周年となる節目の年に、フラメンコは記念イベント『xA惰・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』を開催し、Aアン大合奏では藤井敬吾先生の委嘱新作を自分達で演奏できる。それだけの大きな活力を持つ今の後輩たちを頼もしく思うし、嬉しく思います。今後も楽しみになります。自分達がいた頃とは空気や何やらは変わっても、自分達がそう感じたような、あるいはそれ以上のいい部であるのだなと、その活動を通じて感じることができました。
現執行部の皆さん、部員の皆さん、50回の記念となる定演での大きな挑戦、お疲れさまでした。是非今後とも、頑張ってください。
多国籍企業の利益をもとに、国民国家を論じるのは、筋違いである。多国籍企業の利益は、そのまま多国籍でアノニマスな株主の懐へ納まる。
新自由主義のメリットは、ほとんど多国籍企業のためのメリットと同じだ。国民利益とは、なんの関係もない。にもかかわらず、経済政策は、多国籍企業やアノニマスな株主に配慮してばかりいる。
TPPに感じる違和感、それは「国に縛られない企業の論理を、国土と国民に縛られざるをえない国に適用する」ところにあるのだなと、これを読んで感じました。国土や国民にしばられることなくコストを下げ、収益を上げたい企業論理。その論理をどうしたって国土や国民が前提となる国に適用することで、ビジネスに関して国の差、地域差をなくそうというのがTPPです。そもそも前提となる範囲が異なる規範を無理に適用しようとするから齟齬が生じるのだなと。
その国土、国民性に合った農業や医療、法令、ビジネスが本来はあるはずです。でも「その国に合った」なんて考えてたら国ごとにビジネスを考えなきゃいけなくなって非効率だから、「じゃ、その差を考えなくていいようにルール作りましょ」ってのがTPP。グローバル化はイコール均質化です。TPPの無理があるところは、実際これだけ異なる世界を、論理的に一つと見なそうとするその本質の部分にあるのだなと、改めて感じました。
その後意見交換の中でも出てきましたが、外から見ると盤石に見える"魚沼産コシヒカリ"のブランドも、実は案外消費者から「こんなものか」と受け止められてしまうことがある。これは生産者による質の違いもあり、その質の違いをすべてブレンドして出してしまう流通の問題でもあり、なかなか根の深い問題です。個人的には山形の「つや姫」を筆頭に、他県が打倒新潟コシヒカリを掲げて頑張っている中、少々新潟は後手に回ってしまったのかなという感は正直あります。ただ、その中でも個人レベルでは危機感を持って食味・品質の向上に努めておられる農家の方が魚沼に限らずおり、私の周辺地域の農家の方もそういった方々はやはり一般的な魚沼産コシヒカリより(私が食べて)美味しいと感じるようなコシヒカリを生産されています。問題はそれが農家対消費者で直接届く場合はいいとしても、流通を通すと悪い言い方をすればミソもクソも一緒にされるようなやり方で、でもそれが"新潟米"だとして出ていく辺りにもあるのだと思います。新潟では単純に地域で分けて価格が決められているのも問題の一端としてはあります。そういった"コメ王国新潟"が抱える問題点は、やはり県内どこの現場でも感じていることなんだなと確認することができた点はよかったと感じています。
二部は農家のこせがれネットワークから離れ、奨学米プロジェクトのイベントに移ります。これは大学生に農家の作業を手伝ってもらい、その代償として奨学金の代わりに自分が手伝った農家から米が送られるというプロジェクトで、今年が一回目のようです。企画自体はまぁ正直ありそうな感じだったのですが、ちょっと驚いたのがその構成人員。大学生は最初当然新潟大学の学生なのかと思っていたら、なんと全部首都圏の大学生。それが新潟の農家に来ていたというのです。そしてその(奨学米プロジェクトの言葉を借りれば)コメ親さんとなる農家の方々も、自然派農業、有機農業で筋を通してやっておられる非常に熱意のある方ばかり。この組み合わせには少々驚きました。そしてこのプロジェクトの年間活動報告の後、自分が手伝った農家さんから米を手渡された大学生達は一人一人感想を述べていくわけですが、それがまた面白い。各人奨学米プロジェクトに参加したきっかけは様々です。農業に興味があった、流通に興味があった、オシャレなオーガニック食品が好きだった、等々様々です。で、ほとんどは家が農家ではなく、都会生まれ都会育ちの大学生達。そんな大学生が、田んぼに素足で入って除草をしたり、畦草を刈ってニワトリの餌にしたりする。そして自然から色々なことを学ぶんだという農家の方々と話をして、人生について考える。このプロジェクトの非常に面白く、また素晴らしいところは、参加した学生達がほぼ例外なく、農業体験を通じて農業だけではなく、食について、また人生について深く考える機会を得たというところです。学生達は次々に口にしていました。普段東京の高級なスーパーで並んでいる綺麗なオーガニック食材にも、これだけの苦労をして作ってくれている人がいる、そんなことも気付かないでこれまで生活してきていたと。この食べ物がどれだけ大切なものか、体験を通じてわかった。これからは米の一粒も大事に食べていきたいと。そういった都会暮らしから、いわゆる昔ながらの土と結びついた暮らしへの、価値観の転換、パラダイムシフトを学生達に起こしたというのが、このプロジェクトの一番凄いところだと感じました。たった3回の新潟での農作業でも、米を受け取る時には涙ぐむくらい大切な体験ができる。これは受け入れ先となった農家の方々の仁徳もあるのでしょう。そして一面、都会の暮らしがどれだけ土と離れているかもあるのでしょう。色々と考えさせられる話でした。
そしてまた面白かったのが最後のパネルディスカッション。これまでの流れを受けて「農と地域の活性化」という題目で30分ばかりの意見交換だったのですが、大越農園の大越さんの発言が奮ってました。曰く、農業を使って何か企画しようという時、例えばホテルがグリーンツーリズム的に宿泊と農業体験をセットにしたパックを作ろうとした時、ホテルは宿泊場所は用意するから後のプランは農家にすべてお願いしますと丸投げてきたりすることが多い。あるいはマルシェで出店依頼があったとしても、例えば東京まで出ていくのにはその交通費、新幹線で行ったら2万円、その他農産物を送る手間や送料があって、売れ残ったらまた地元まで送り直さないといけない。それらで無駄になる時間や手間、コスト、そういったものはすべて農家が背負わなければいけない。農を絡めた企画を立てるのはいいけれど、今はそれに関わるリスクをほとんど農家が背負っている場合がほとんどだ。これから本当に農で地域を復興していきたいのなら、そのリスクを農家だけに重く背負わせるのではなく、リスクを分散する、あるいはリスクに見合うだけのメリットを明確にして進めていかなければいけない。そう仰ってました。至極、真っ当な意見だと思います。個人的な見解としても、世の人が企画ごとに農家を巻き込む時、ともすると農家を聖人的に見てしまう。農家も商売で、コスト管理、リスクヘッジ等あることを忘れてしまう。変な言い方をすると、農家をビジネスマンとして見ない。そんな空気への警鐘もあるのだと思います。ここは継続的に農業の発展を望むなら考えなければならないところで、農家だけがリスクを過大に背負う形では、いずれ今やっている農家達もリスクの大きさに潰れる時が来ますし、そのリスクの大きさが一般的に認知されれば新しいことへの参加は及び腰になります。だからここは継続的発展のためにはしっかり考えないといけない。これは強く感じました。
同じく大越さんが仰っていたことで、地域復興というのなら、東京進出とか何とか言う前に、まず自分達が自分達の地域に正面から向き合う方が先じゃないか、というのも心に残りました。自分達が住んでいて楽しくない地域、魅力がない地域なら復興も何もないだろうと。自分達が住んでいて楽しいから、魅力があるから、外にアピールできるし、外から人も呼べるんだと。そのためにまず自分達で自分達の地域に向き合い、何が悪いのか、何を直せばいいのかを考えていくところから始まるのではないか。そう仰っていました。これも至極正論です。なるほど、と思いました。
短いディスカッションの時間ではこれ以上議論を深めることも、結論を出すこともできなかったわけですが、それでもこれらの問題提起は非常に大きな意味があると感じました。個人的にはそれ以上に、自分自身の意識の甘さについても考えることの多い機会となり、非常にいい刺激を受けたイベントとなりました。できれば次回はもっと深く意見を交わし、拙いながらも自分もあのディスカッションに加われるような形で、こういったイベントに参加できたら嬉しいなと思います。自分だけの世界では見識は深まらないものだなと、改めて感じた世界です。そしてそれは見識だけでなく…。
ともあれ非常にいい刺激を受けたイベント。想像した形とは違っていましたが、参加してよかったと思います。次はどなたか、近しい農家の方もお誘いして、できれば一緒にその刺激を味わうことができればなおよいなと、そう感じました。
挿話的に描かれるのは、震災発生時、放射能漏れを隠して自衛隊に救助をさせ、自分達は逃げ出した政府。事故の実態を隠そうとする電力会社。責任を感じて一人で東京に生存者の理想郷を創り上げる原発設計者や、軽視される安全管理の中で危険を承知の上で現場に残った技術者など。そして一番痛ましいのは、自分の意思で残ったのではなく、逃げ遅れる形で汚染された東京に残されてしまった多数の一般市民。今となってはどれも現実的だ。読んでいるとこの悲劇は福島でも現実にあり得たのだと思ってしまう。
『COPPELION』を読んでいると、今までなら「まぁマンガの世界だしな」で片づけられる部分がそれで片づけられない。今となっては、恐ろしい程のリアリティがあるからだ。「そんなマンガみたいな」とはよく言うけれど、そう、マンガみたいな世界に、なってしまったのだなと。
このマンガは震災後は不謹慎との批判もあるらしいし、福島の人から見たら実際精神的にも苦しいのだろうと思う。その人達に対して自分は何も言うことはできないのだけれど、個人的な希望を言えば不謹慎とは言わずに続けさせてほしい。今だからこそ、想像力に働きかける物語でもあるのだから。
ゴヤの作品をまとめて鑑賞するのは初めてでしたが、有名な『着衣のマハ』に代表されるように、女性の官能的な魅力やその裏に隠れた闇を描き出した画家ですが、実はそれ以上に世の中の闇に非常に敏感に向き合った人でもありました。それは女性を中心に描いていた頃は女性の魅力と裏腹の恐ろしさ、醜さという形で、後年にはより不気味な幻想世界の描写という形で、現れるようになっていきます。だから彼の作風はエロスに留まらず、次第に時代への風刺とともに強烈なタナトスを織り込むようになっていきます。
それらの作品群を見ていて感じたのですが、痛烈な教会批判もしたゴヤが、一番疑ってかかって挑んでいたのはやはり神であり、ひいては正義や真理といった概念だったんじゃないでしょうか。そういったものが本当に存在するのなら、何故この世界にはこんなに痛みが、苦しみが、死が蔓延しているのか。彼の作品はそう叫んでいるように思えます。特に晩年近くなってからの不気味に幻想的な作品群からは、そのようなメッセージを強く感じるのです。
そしてゴヤ展を鑑賞した後は、お腹が減ったので一蘭でラーメン。一蘭のラーメンは久しぶりですが、やっぱり美味しい。有名店の名に恥じないクオリティで楽しませてくれるお気に入りのラーメン屋です。
ラーメンを食べて満足した後は、東京文化会館へ。この日は東京文化会館の50周年記念ということで、『東京文化会館は音盛り。 ~うえの音楽人フェスティバル~』ということで一日中コンサートが催されていたのです。私は16時からのプログラムに行ってきました。演目はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、モーツァルトのフルート協奏曲第1番K.313より第一楽章、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、上野学園大学管弦楽団の演奏です。この演目でチケ代は2,000円ですから安いもの。上野学園大学管弦楽団は学生と教員が混ざったオーケストラですが、さすが音大のオケだけあってなかなかいい音鳴らしてます。印象的だったのがラフマニノフ。ソリストは何と高校三年生(!)の古賀大路さん。10月にコンクールで3位入賞(?)されたとのことですが、この高校生がなかなか凄い。とても高校生とは思えない深いフレージングで、さすがにまだ少々力尽くではあるものの、それでもラフマニノフに負けずにしっかりと音楽を刻んでいきます。恐らくこのステージにかけての意気込みは強いものがあったのでしょう、最後まで集中力を切らさず一心に弾く姿と音楽は素晴らしいものがありました。演奏後、何度も何度も客席、指揮者、オケにぎこちない礼を繰り返す辺り、まだステージ慣れしていないし、凄く生真面目な人なんだなぁと感じさせて、ちょっと微笑ましくもあったり。まだ高校生とのこと、将来どうなるかわかりませんが、順調に成長していけばいい音楽家になるんじゃないかと思いました。
そしてコンサートが終わったら足早に上野駅に戻ってそこから新幹線に乗って新潟に帰るわけですが、半日で上野をたっぷりと堪能いたしました。こうしてぶらりといってもたっぷり文化に浸れるところが上野のいいところですね。2011年11月6日、一人で勝手に上野で文化の日をやっていました(笑)。
バッハ:フーガの技法よりコントラプンクトゥス1~4
ハイドン:弦楽四重奏曲第57番 ト長調 作品54-1<第1トスト四重奏曲>第1番
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130(大フーガ付き)
そう、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第番13番を大フーガ付きでやってくれるのです。これだけでも行かないわけにはいきません。実際わずか300席の会場は新潟のクラシックファンで満席状態。黒崎市民会館というややマニアックな会場が、凄い熱気に溢れていました。
開始前の注目は第1ヴァイオリン。ジュリアード弦楽四重奏団は元々カリスマ ロバート・マンがこの位置で引っ張っていたカルテット。ロバート・マンの引退後、いくつかの変遷を経て今年から若いジョセフ・リンが務めるようになったわけです。当然カリスマであったロバート・マンのイメージが強い第1ヴァイオリンを、この若い(何と1978年生まれで自分より1つ下!)のジョゼフ・リンがどう務めるのかというところが気になっていました。
いよいよ演奏が始まります。まずはバッハのフーガの技法。弦楽四重奏版は普段はジュリアードの教え子であるエマーソン弦楽四重奏団のテンポ早めでスリリングな演奏で聴きなれているこの曲。ジュリアードはそれよりも穏やかに、ゆったりと入ってきます。全編堅牢な対位法で描かれた究極のバッハイズム。第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラと入っていき、最後に注目の第1ヴァイオリン ジョゼフ・リンが音を出します。その瞬間、彼にロバート・マンの後釜が務まるのかという失礼な疑念は吹き飛びました。同じカルテット内の他の3人と比べても圧倒的な音の存在感!とてもなめらかで澄んで艶のある、それでいていやらしくない素晴らしい美音のヴァイオリン。ロバート・マンの後釜どころか、音楽的にもしなやかにリズムを支配しながら他の3人を引っ張っていくリード力。さすが若くしてジュリアードの第1ヴァイオリンに抜擢されるだけあって物凄い才能です。4声部が対等に展開するフーガの技法ですら思わず彼のヴァイオリンを中心に音を追いかけてしまう程の強烈な存在感にはただただ敬服しました。
そして次のハイドンがまた素晴らしかった。この曲は音楽構造的にも文字通り第1ヴァイオリンが他のパートをリードする形で引っ張っていく弦楽四重奏曲。最初の和音からアクション大きめ、気持ち良さそうな表情で入ってくるジョゼフ・リンのヴァイオリンがとても魅力的に響く、のびのびとしたとてもいい演奏です。きっと彼、この曲好きなんでしょうね。まったく金属的なか擦音がない美しい音色で、音楽のリズムに乗って自由にしなやかに聴かせてくれました。正直、ハイドンの弦楽四重奏曲にはあまり期待していなかったのですが、この演奏は本当に気持ちよかったです。
そしてこの前半、一緒に連れて行った上の娘は世界のジュリアードの生演奏を聴きながら、おばあちゃんに抱っこされて気持ちよさそうに眠っておりましたとさ・・・。なかなか贅沢なBGMでのお昼寝です(笑)。まぁ、弦楽四重奏版のフーガの技法は夜に寝る時のBGMにもよくかけますから、条件反射的なものもあったのかもしれません・・・。
後半は最大のお楽しみ、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番の大フーガ付きです。これもやはり第2楽章楽章などではデモーニッシュな低音から艶のある高音まで駆け抜けるジョゼフ・リンのヴァイオリンの音色に酔いつつ、見事なアンサンブルで進んで行きます。そして美しいカヴァティーナの音楽を堪能した後に始まる。大フーガ。最初の和音からいきなりびっくりしました。全員が今日のコンサートの中でそれまで出していなかった一番のフォルテッシモ!プログラム全体の中で、ここまで最大音量を出さずに温存しておいた驚異の構成力。この入りでまず持っていかれました。本日の演奏を通じて初めて、ジョゼフ・リンのヴァイオリンが金属的な音を(ほんのわずかですが)立てるくらい強烈な音量での入りに、すっかり意識はステージに釘付けです。混沌すらも構造に取り込んだ、目まぐるしいフーガがグルグルと渦巻くようなこの曲。中間部の暖かい間奏部分での美しさとの対比も凄まじく、夢中で聴いている間にあっという間の15分が過ぎて行ってしまいました。最初の大音量から紡ぎ出される、緊張感と迫力に溢れた大フーガ。素晴らしかったです。
アンコールはハイドンの弦楽四重奏曲第28番 作品20-1、いわゆる『太陽四重奏曲』よりヴィオラのサミュエル・ローズ曰く「ゆっくりの楽章」(笑)。これもまたゆったりと伸びやかで美しい演奏でした。また最後弦の余韻がホールの残響で美しく消えていく中、ゆったりと下ろされるジョゼフ・リンの腕が下がりきるまで静かにその余韻を味わっていた聴衆のマナーのよさもよかったです。やはりこういう綺麗な曲は、終わってすぐ拍手でドーッとやるのではなく、余韻も楽しみたいところですよね。そしてもう終わりだろうと思っていたらアンコール2曲目はまさかのストラヴィンスキー。弦楽四重奏のための3つの小品より第2曲目。サミュエル・ローズは「この曲はピエロの動きを表した曲」と説明してくれました。初めて聴く曲でしたが、これまでの音楽とは一気に打って変って描写的で現代的な響きの曲。ストラヴィンスキーとしてみても前衛的な部類の音楽です。最後不可解な終わり方をしてニヤッと笑うジュリアードのメンバーに一瞬遅れて満場の拍手。最後をなかなか面白く締めてくれました。
ところでアンコール2曲目に入る前、「もうないだろう」と客席全体がお帰りムードになり、自分たちも一回席を立とうとしました。そんな中再びジュリアードがステージに戻ってきて演奏配置についたものだから、皆あわてて座ります。そしてサミュエル・ローズがしゃべろうとしたその瞬間、ウチの娘が「早く帰る!」と声を上げたのです(苦笑)。拍手が鳴り終わりそうな時に出されたその声は会場中に響いて笑いを誘い、サミュエル・ローズも娘を見て笑っていましたとさ・・・。どうもスイマセン・・・。
総じてたった2,000円でこんなにいい思いしていいのかというくらい素晴らしいコンサート。一緒に行った父(大体コンサートの後はまず一つ二つの苦言から入る)も珍しく手放しの絶賛でした。ジュリアード弦楽四重奏団、また聴いてみたいものです。今度はバルトーク聴きたいなぁ。そうでなければベートーヴェンの15番とか。いいだろうなぁ・・・。
ところで今回のジュリアード弦楽四重奏団の新潟コンサートを実現したLien(フランス語で絆を意味するそうです)という音楽祭、こういう試みは素晴らしいですね。大学と自治体が連携して、地域に密着した形での大企画。この音楽祭では学生もステージに立つ機会もあるし、外部の一流の演奏家と触れる機会もできるし、企画や運営に参加するのはいい経験になることでしょう。そして何よりそういった地元の学生の演奏や、世界の一流の演奏が地域でたくさん開催されることは市民の文化的喜びにもつながります。こういった地域の学生にも住民にも嬉しい音楽祭は是非もっと増えていくといいなと思います。できる限り、聴きに行くという形ででしょうが応援したいものですね。
少なくとも、3.11後に国や東電に「だまされた」と声高に叫んでいる人達は、この中の伊丹万作による「戦争責任者の問題」だけでも読んでみるべきだ。戦後、日本の国中に「国にだまされた」という空気が漂っていた、その時代の鋭い考察はこの3.11後の日本でもそのまま当てはまる。
その他、管啓次郎の「七世代の掟」は、そのまま短いスパンでの利益のみを求める現代資本主義社会-それは当然原発利権も含む-への強烈な警鐘となるだろう。直接の被災者の方々は「先住民指導者シアトルの演説」に涙するかもしれない。確かに3.11後に読むべきテキストが集められた一冊だ。
それにしても、坂本龍一がさらなる参考図書としてレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』や中沢新一のカイエ・ソバージュのシリーズを挙げているのはさすがの慧眼。私自身の思考体系にも大きく影響を与えたこれらの書だが、確かに3.11後の今の世界でこそ読み直され、見直される価値がある書だと思う。
少女ミミを演じていた方、お名前を失念してしまいましたが(確か井関佐和子さん?)実に艶めかしく表情豊か。ギリギリの緊迫感を持つ音楽の中、一際輝く舞を魅せてくれました。これまで音楽でだけ聴いていた『中国の不思議な役人』の曖昧なイメージを一気に吹っ飛ばして、凄くシュールで官能的な世界観を植えつけられた感じです。
以前BSで春の祭典を観た時にも思ったけど、バレエ音楽って音楽だけでも楽しめる曲が多いけど、やはり実際に踊りが付くとその魅力が全然変わりますね。視覚的に楽しめると、そこに絡まる音楽の意味と魅力もまた変わってくる。バレエ音楽はやっぱり舞台を見てみるべきなんですね。『ペトルーシュカ』とか『くるみ割り人形』とか観てみたいなぁ・・・。
それでも「せめて」と、当日にかつてのクラギタの機関誌『六弦』が復刻・配布されるということで、そこに向けてささやかながら一筆寄稿をさせてもらいました。昨日、無事にイベントも終わったとのことですので、その寄稿文をこの雑記帳でも公開したいと思います。
『ギター、音楽とともに』
この度は素晴らしい時間を過ごした思い出深きクラシックギター部が同好会発足より50周年を迎えるということ、おめでとうございます。やはり自分が大切な時間を過ごしたこの部が、順調に発展して長い歴史を創り上げていっているということは、OBの身としても純粋に喜ばしいことです。その喜ばしさにまかせて今こうして六弦への寄稿を書こうとしているわけですが、もう卒業して10年にもなる私の今の、ギター、あるいは音楽に対する思い、そしてその大学時代から変化について、自分への確認の意味も含めて書いていきたいと思います。
今あらためて思い返してみると、我ながらクラギタでの活動は非常に一生懸命にやっていました。毎日BOX412に通い、一日何時間もギターを弾いて、定演のためにAアン用の合奏曲をオーケストラ譜から自分で編曲したりして、とにかくギター漬け、音楽漬けの日々を過ごしていました。もちろんそれが苦行などではなく、やって楽しいからこそやっていたわけで、素晴らしい仲間達に囲まれていたこともあり、非常に充実した大学生活を送っていたと思います。ですが、だからこそ、当時思い悩むことがありました。
それは自分が社会人になった後のことについての悩みでした。今自分はこうして一生懸命ギターの練習をして頑張っているけれど、社会人になって仕事が忙しくなってくると、やはりギターを弾く時間というのはなくなってくるのだろうか、それならば今自分がやっていることに何か意味があるんだろうかという悩みでした。確かに、探せば「自分も昔はギターを弾いていたよ」という人には案外多くお目にかかれます。が、弾き続けている人というのは比率にしてみたらとても少ないのです。ですので、就職活動が始まり、大学から社会への出口がいよいよ実感されるようになってくるとこの悩みはより一層大きくなって行きました。今自分がやっていることは一体何なのだろうと。社会人になってギターが弾けなくなるのなら、今やっていることは結局すべてムダになるのではないかと。
そんな最中、私が4回生の6月のことでした、たまたまBKCに行っている時に、あるクラギタのOBの方にお会いしました。その方は当時で25年ほど前(だから今から35年くらい前でしょうか?)に立命のクラギタでコンサートマスターをやっていた方で、たまたま仕事でBKCに来て、ギターを弾いている私をみかけたので声をかけてきてくれたというのです。その方は大学卒業後もずっと自分のためだけに演奏し続けているそうで、ギターから発展してリュートや特注の10弦ギターも弾いているそうです。卒業後もずっと、ギターを楽しんで弾き続けておられるその方から名刺をいただき、私も付箋に名前やメールアドレスを書いて交換させてもらいました。後日、その方からすぐにメールをいただきました。その中に、「どうか一生ギターを弾き続けていただければと思います」と書かれていたのを読んで、当時なんだか嬉しくなったのを覚えています。卒業後25年も経っても、ずっとギターを弾き続けて楽しんでいる人がOBの方の中に実際にいらっしゃるのだとわかり、とても元気づけられました。
そして卒業の時が来て、私は当時のブログの中で「一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから。」と宣言しました。ギターに費やしたたくさんの時間を無駄にしないためには、やはりBKCでお会いしたOBの方のように、仕事をしながらでも、細く長く続けていくことだというのが当時の自分の解答でした。
そして今、卒業してちょうど10年が経っています。現状を正直にお話しすると、仕事が忙しいこともあり、さらに子供が生まれてからは家にいても子供と過ごす時間が増えてきたこともあり、現時点でほぼ3年、ギターをまったく弾いていないブランクが空いています。でも、今はそれでもいいかなと思っています。学生時代の自分には怒られるでしょうが、ギターを仕事として生きていくわけではない以上、やはり人生のステージにおいてギターの優先度を下げなければいけない時期があるということが、今になり実感としてわかるからです。それでも、ギターを一生懸命弾いているうちに音楽がさらに好きになり、そしてギターを通し音楽について、表現についてより深く考えたおかげで、音楽を聴く際にもより深く聴けるようになりました。だから今、ギターを直接弾きはしないけれど、音楽を聴くことをクラギタ以前と比べてより深く、より大きく楽しめています。これだけでも、クラギタで音楽に深くかかわり続けた日々は無駄ではなかったのだと思います。
とはいえ、このままもうギターを弾くつもりがないのかと問われれば、当然そんなつもりもありません。もう少し仕事や子育てに余裕が出てきたら、その時はまた、少しずつギターを弾いていきたいなと思っています。そして、音楽を聴く喜びとはまた少し違った、自分で奏でる喜びをささやかにかみしめていけたらと思うのです。大学時代師事していた尚永先生が「昔の教え子が演奏会に来てくれて、一時期は忙しくてあまりギターは弾けなかったけど、最近はまた余裕が出てきて本格的に始めたと報告してくれたりするととても嬉しい。私はギターを一生楽しんでもらいたいんですよ」といつかのレッスンで話しておられました。「演奏会は華々しいですけど一瞬ですよね。でも、ギターを楽しめるのはその一瞬だけではないのです」とも。今あらためて胸に響きます。だから皆さん、うまいへたもいいけれど、是非ギターをずっと楽しんでください。弾く楽しみ、聴く楽しみなど、楽しみ方は色々あるでしょう。その楽しみを生涯の友とできたら、クラシックギター部で過ごした時間はとても有意義なものだったと言えるのではないでしょうか。OB/OGの方々の中にも、私と同じように今はギターを弾くことから遠ざかっている方もいらっしゃるかと思います。今弾くことから遠ざかっているならば、聴く楽しみを、そして、また少しずつでも、弾く楽しみを。様々なライフステージにおいて、楽しみ方は変わる時もあるでしょう。せっかくクラシックギター部にいたのです。一生、ギターを楽しんでいきましょう。
もしかしたら、この9.11を境にこの世界が変わるかもしれない。どう変わるのかはわからないにせよ、そんな期待を抱きながら、その遠い国の非日常の映像を眺めていたのかもしれない。でも、短期的な心情としてはともかく、長期的な結果としては9.11以降も自分の周りでは何も変わらなかった。これまで通り渋谷に通って仕事をする毎日だったし、ブッシュが、小泉が、大きな声で国を引っ張る世界だった。9.11は、少なくとも自分の目に見える範囲での世界は、何も変えなかったんだなという曖昧な失望とともに、この日の衝撃は時が経つに連れ日常の中に溶けて消えていった。こう書くと、憤慨する人も多いだろうけれど。
ただ一点、自分が資本主義、ひいては一神教の限界を見て、崩壊を感じたのはあの9.11の映像からなのかもしれないなと、今、当時の自分の言葉を見ていて感じた。一神教の強固な価値観と推進力は、例えばWTCのような大きく象徴的な建造物を生み出した。でも、それはまた別の一神教的価値観によりあっさりと崩されていく。排他的価値観同士による破壊と創造の無限ループを目の当たりにして、それが急に虚しく感じてしまったのかもしれない。この一神教の限界の超克というテーマが自分の中に発生した契機は、これまで自覚はしていなかったものの、もしかしたらこの9.11にあるのかもしれない。そう考えると、自分の目に見える外の世界はともかく、自分の中の世界には、やはり9.11は大きな変容をもたらしていたのかもしれない。
そして今年の3月11日、東日本大震災が発生した。奇しくも今日はこの日からも半年の節目に当たる。この衝撃は、同じ日本で起きた分、そして原発事故という二次災害も発生してしまった分、やはり外国の9.11よりは直接的に大きな影響を自分にも生活にも与えた。地震が発生した当時はちょうど仕事中。事務仕事をするのにPCに向かっていた時だった。揺れが来た瞬間、「これは大きい!」と思った自分はPCの画面を瞬間的にEXCELからTweetDeckに切り替え、「地震だ、大きい!」とツイートした。そこから目にしたのは、TLが地震一色に染まる異様な光景。広範囲にわたる全国の人が、皆「揺れている!」と騒いでいる。そんなに大きい地震なのか?と戦慄したのを覚えている。
そしてそこからのTVとTwitterの混乱ぶりと地獄絵図。津波が畑や民家を押し流し、最後川の堤防に当たって盛り上がってまた溢れていく光景は、正直あまりに現実味がなくて「これは何の映画だ!?」と思ったものだ。そして間断なく起こる余震、燃え上がるコンビナートや気仙沼の光景、次々明らかになる原発事故の詳細、すべてがあまりに現実離れしていて、逆に感覚が麻痺したような心境になった。この3.11について雑記帳のエントリーは、気持ちに整理が付かずにずっと書かないでいた。それでも2週間後に一度エントリーを書きかけはしたのだが、途中で筆が止まったまま、今でも下書きのまま保存されている。消化できないのだ。この出来事も。
それから半年がたった今、改めて考えてみると、とても不思議な気分だ。「もう半年か」よりも「まだ半年しか経ってなかったのか」という気持ちの方が強い。3.11はもう随分昔に起きたことのように感じる。あの震災は、具体的な生活レベルでも確かに多くのものを変えた。だが、その変わったものの多くは、早くも生活として定着してしまっていて、あたかも昔からそのような暮しであったかのような感覚で既に馴染んでしまっている。これは、自分が直接被災していないから言えることで、本当に被災した方々にとってはひどく失礼な言い分であることはわかっている。だが、実感として、震災後の世界は既に震災後の世界として日常になってしまったのだ。それは記憶の風化ではなく、変化への対応だと思いたい。いつまでもショックを受けたままでは、心が被災したままでは、日常は、暮らしは、立ちいかないのだから。
3.11は現時点で具体的な生活レベルのあれこれを変えた。その意味での影響力は明らかに9.11よりは大きい。では、この3.11は自分の心には何を起こしたのか。これは、実はまだ見えていない。9.11の時ですら、10年経った今、当時の文章を読み返してみて「もしかしたら9.11は自分に資本主義の限界を悟らせたのかもしれない」と思い至る程度だ。まだ、近すぎて3.11の影響は見えてこないのだろう。目の前1cmのところに物を置かれても、逆に近すぎて何が置かれたかなんてまったくわからないように。
9.11から10年目で3.11から半年目の今日、改めてそれぞれの出来事について少し思いを巡らせてみた。この、2つの大きな歴史上の出来事は、私という個人には果たしてどういう意味をもたらすのだろうか。あるいは、何も、もたらさないのだろうか。
Twitterでは速報ニュースの情報収集や農業、音楽関係の情報収集をメインで使っています。農業関係は情報収集をメインにして、Twitter上での交流は控えめにするスタイルになりました。逆に趣味の音楽のつぶやきが多く、そっち関係のフォロワーさんとの会話はぼちぼち出てきています。Facebookと比べると趣味寄りにシフトし、交流よりは情報収集メイン、ひとり言メイン、たまに会話、くらいの使い方です。最近ではTwitterへの出没が一番多いです。
対してこの雑記帳の立ち位置は昔から変わりません。基本的には好きな時に好きなことを、あくまで個人としての立ち位置で書くというスタイルです。もちろん個人だからと言っても自分がここで書いた発言に対してはしっかりと責任を持つという考え方なので(だから公開当初から実名を出す実名主義。もっとも当時は実名か匿名かなんて議論すらまだなかったけれど)、その意味では社会性ももちろん考えますが、趣味でも仕事でも何でも、書きたいことはジャンル・内容に関わらず書くというスタンスです。Twitterほどの情報発信力があるわけでもなく、誰の目に触れてるのか触れてないのかもわからないこの雑記帳ですが、最終的に表現の場として私が一番大事にしているのはこの内容にも字数にもこだわらない、昔から続けているこの雑記帳です。更新頻度が少ないのは仕事関連はFacebook、その場限りの単発のひとり言はTwitterへと機会を分散したせいもあります。以前はすべてこの雑記帳でした。
ブログブーム以前から続け、FacebookやTwitterが一般公開されるずっと前から続けているこの雑記帳。最近はコメントスパムのあまりの量に辟易として、対策を施すまで一時的にコメント欄を閉鎖してしまっていますが、今後も細々とかもしれませんが続けていきます。よろしくお願いします。
楽しみにしていたCDが届いた。ズービン・メータが2011年5月2日にミュンヘンで行った、東日本大震災の復興支援チャリティーコンサートのライヴCD。以前TVで放映されたN響との復興支援コンサートの演奏は、強い決意と並々ならぬ霊感に満ちた、まさに一世一代ともいうべき名演だったので、その時と同じ曲目が演奏されるこのコンサートCDにはとても期待していたわけだ。手元にこのCDが着いたのは一昨日の6月26日。AmazonやHMVの画面では6月28日朝5時半現在でまだ「6月29日発売予定」の状態になっている。「こんなに早く届いていいんだろうか?」と思いながらも、発売日前に聴けることにちょっとわくわくしながら、早速届いた当日、ライナー・キュッヒルが登場するN響アワーそっちのけで聴き始めた。 |
ところで、原発事故の影響で輸出ができなくなるのなら、いよいよもってTPP参加は農業に壊滅的打撃を与えてしまう。輸出もできずにひたすら受け入れるだけになれば、さすがに日本農業はもたないだろう。輸出に希望を持った上でならTPP参加は検討の余地があったわけだが、原発事故の影響を考えると厳しい。困った事態になったものだ。
原発問題で派生する米の国内供給に関しては、少なくとも今年は大丈夫だろう。政府備蓄米もあるし、いざとなったら転作で飼料米として出荷する米を主食用に回すこともできる。飼料米ったって主食用品種を普通に作ったのを減反のため便宜的に飼料米にしてるだけ。それらが主食用として供給されるまでの間に多少の政治的、あるいは流通的な混乱はあるかもしれないが、最終的に米の供給が足りなくなることは恐らくないだろう。新潟まで放射能検出されたら危ないけど。
『ジュピター』の最大の楽しみは、やはりクライマックスのジュピター主題によるフーガの展開からエンディングまで。鈴木秀美氏の解説によると、C-D-F-Eのジュピター主題はメッサ・ディ・ヴォーチェと呼ばれる、音の膨らみと減衰の形にも当てはまる非常に普遍的な旋律らしい。モーツァルトのジュピターはこのジュピター主題の印象があまりに強烈なため、最終楽章のクライマックスではこのジュピター主題から最後のエンディングにどう着地するかが問題になってくる。個人的な主観では、ここを上手に着地できてる演奏はほとんどなく、大体はなし崩し的にエンディングに突入する。比較的上手に着地しているのは圧倒的な構築力で終始楽曲をガッチリと固めたクレンペラー指揮フィルハーモニア管(TESTAMENT盤)の演奏。これがこれまで聴いた中で最も好きな『ジュピター』の一つだ。鈴木秀美氏の演奏ではこのクレンペラーや他の多くの指揮者とは違い、立派に高らかにジュピター主題を歌い上げる感じではない。ジュピター主題を柔らかに展開した後、すぐにエンディングに向けて演奏を盛り上げるのではなく、フーガの終わりに達してもその柔らかな演奏を引き継ぎ優しくつなげ、自然な曲線を描くようにそのままエンディングに軟着陸していく。そして接地後に一気に大団円へと盛り上げていき、派手ではないが透き通った響きのフィナーレを迎える。実に自然で無理のないまとめ方だ。こういう解決の仕方があったかと納得した。圧倒的な力で直線的に音楽を構築して組み上げたクレンペラーの演奏と対比すると正に剛と柔。小編成のオーケストラで優しく柔らかく、ギリシャ神ゼウスを意味する堅牢な『ジュピター』というよりは、女性的な平和の象徴としての『ジュピター』。語源からは少しイメージが離れてしまうけれど、それもまたよし。この柔らかで爽やかな『ジュピター』も素晴らしい。
そしてその次に流れるアンコールのハイドン交響曲47番の緩徐楽章。これがまた『ジュピター』の余韻を静かに引き継ぎ、火照った心を静かにクールダウンしてCDを終わらせてくれる。このリベラ・クラシカのシリーズは演奏会をそのままCD化しているだけあって、最後まで素晴らしい音楽の流れを感じさせてくれる。とても心地よい一枚だ。
昨日、あるショッピングモールに買い物に行き、妻と下の子が食料品等を回出している間、私と上の子はモール内にある小さなタワレコでCDを物色していました。東京時代に通っていた渋谷のタワレコと比べると寂しくなるくらい小さなタワレコです。それでもタワレコはタワレコ限定の音源もあるので、一応見る価値はあるかなとクラシックの棚を見ていると、一緒にいた4才の上の子が「これ!これがいい!」と一枚のCDを指差します。「ん?」と思って見てみると、それはアンヌ・ケフェレックが弾くショパン作品集でした。
アンヌ・ケフェレック。ラ・フォル・ジュルネ新潟で私が行った、先のダン・タイ・ソン演奏のベートーヴェン ピアノ協奏曲4番で、本来はヴュルテンベルグ管弦楽団と共に来日するはずだったピアニストです。このケフェレックとヴュルテンベルグ管弦楽団が来日キャンセルしたため、代わりにダン・タイ・ソンと井上道義指揮仙台フィルがやってきました。そうした経緯もあるので、その後私は「ケフェレックのCDなんて買わねーぞ、あのチキンが!」くらいの勢いでいたのですが、子供がこれがいいと言うんじゃ仕方ありません。とりあえずCDを手に取ってみました。曲目を見てみると、何とノクターン嬰ハ短調も入っています。ふと棚に目をやると、「ラ・フォル・ジュルネ特集」とのポップ。「ああ、それでアンヌ・ケフェレックなんて比較的マニアックなピアニストのCDがこんな小さいクラシックコーナーにもあったわけか」と納得しつつ、子供に「これがいいのかい?」と確認します。4才の上の子はためらわずに「うん」と言うので、仕方ない、このCDをレジに持って行きました。ケフェレック、結局ラ・フォル・ジュルネには来なかったんだがなぁ、と心の中で苦笑しながら。
で、聴いてみるとケフェレックの演奏が実に素晴らしい。私がこれまでショパンを苦手としてきた理由の一つは、ポロネーズやワルツ何かでは特に力入りすぎ、見事に弾きすぎな演奏が多くて、華やかで絢爛ではあるけれど音楽に深みが感じられなかったことにあるのですが、このケフェレックの演奏はそうではない。ポロネーズもそうですし、幻想即興曲ですら力任せに弾いている感じがせず、実に美しく情感漂う演奏を聴かせてくれます。ノクターン嬰ハ短調も静かな夜に雨だれが打つような、静謐な中に想いのこもったトリルが響く素晴らしい演奏でした。このショパンはいいなぁ、と思いました。これならショパンも聴ける。ポロネーズや幻想即興曲ですら力強く迫力一杯に鳴らすことはせず、華麗で絢爛、英雄的なピアニズムとは一線を画した、スケールは小さいながらも寂しくしとしと降る秋の長雨のような、静かな抒情感に満ちたショパン。私はショパンもピアノも門外漢なので、それがショパンとして正統的な演奏なのかまではわかりませんが、このショパンは実に素晴らしいと思いました。昨日の夜からもう3回も聴き直しています。初めて素晴らしいと思えるショパンの演奏に出会えました。
思えば不思議なものです。このアンヌ・ケフェレックが来日キャンセルしなければ、私がLFJ新潟でダン・タイ・ソンの演奏を聴くこともなく、ダン・タイ・ソンがノクターン嬰ハ短調を演奏しなければ私がこの曲のCDを探すこともなかったでしょう。そこに子供が「これがいい」と指差した偶然も加わり、私はこのアンヌ・ケフェレックのCDを手に取りました。そしてショパンもいいなと、ショパンの良さが少しわかってきた感じです。これもまた、縁というものかもしれません。来日キャンセルのドタバタは色々ありましたが、とりあえず今はダン・タイ・ソンと仙台フィルの心意気と思いのこもった演奏と、このアンヌ・ケフェレックの静かな抒情に満ちたショパン、両方を聴くことができたのだからいいじゃないかと思っています。不思議な、縁のつながりですね。
というわけで演奏者がガラッと変わったこの公演。仙台フィルが入場してくると、会場はいきなり大きく暖かい拍手が響きます。りゅーとぴあの大ホールに、フルオケとしては少しばかり編成が小さい仙台フィルが並びます。井上道義氏が颯爽と入場し、挨拶もそこそこに指揮台に立ち、すぐさま始めるフィデリオ序曲。少しテンポ早め、爽快で明朗なフィデリオ序曲。仙台フィルは弦の響きが暖かく柔らかい印象です。曲の最後、オケを盛り立てた井上道義氏は最後の音を右手で振ると同時にクルッと観客席の方にターン。両手を広げて仙台フィルのために拍手を求めます。劇場一杯に満ちる拍手。少しして、その拍手を静止して井上氏が語り始めました。
ドイツのオーケストラに突然来たくないって言われちゃって、仙台が来ました!
(拍手)
人間、いつ勝負するかって、一番厳しい時に来ることです。(彼ら仙台フィルは)まさにそれを体現しています。
泣きそうになりました。井上道義氏の言葉は発音が聞き取りにくいし、少し日本語としてはおかしいところもあるのですが(笑)、それでも胸に響く言葉でした。周りを見ると、実際に泣いている人もいました。自らも被災した仙台フィル。人的な被害はなかったといいますが、本拠地となる仙台のホールが被災し、6月までの公演はすべてキャンセル、練習もままならない状態だと聞きました。そんな彼らが、中には自分の気持ちの整理がまだついてない人もいるだろうに、それでも新潟の音楽ファンのために短い準備期間でこうして演奏に来てくれるのです。その精神力と心意気にはただただ敬服するばかり。恐れ入ります。
そしてダン・タイ・ソンを迎えてのピアノ協奏曲4番。いきなりピアノ独奏から入るこの曲、静かなホールにピアノの音が響きます。ダン・タイ・ソンの演奏を聴くのは初めてなのですが、水滴が流れ、弾けるような高音と演奏をするピアニストだなと思いました。そして時たま水面を飛び出す小魚のように自由に跳ねる。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンのものでしたが、その水がどんどん溢れていくような演奏は素晴らしかったです。そしてそのカデンツァを暖かい音色で優しくそっと受け止める仙台フィルの弦。いい演奏でした。第2楽章では少々ソリストと指揮者・オケの思惑がかみ合わない部分もあったようでひやっとしたのですが(苦笑)、最終楽章ではそれもぴったり息が合ってきて演奏も乗ってきました。指揮者も演奏後に自ら「今日は真面目な、ベートーヴェンでした(笑)」と語ったように、正当派の、少しスケールは小さいけれど暖かくて思いの満ちた演奏。素晴らしかったです。
そして、ピアノ協奏曲4番終了後にダン・タイ・ソン氏がまさかのアンコール。基本ラ・フォル・ジュルネは45分一公演。枠が決まっていますので、アンコールはないはずなのです。この時点で既にピッタリ45分経過した21:00。それでも、その本来ないはずのアンコールは始まりました。
震災に被災した日本のために、ショパンのアンコールを弾きます
たどたどしい日本語でそう語った彼が弾き始めたのは、ショパンの遺作となったノクターン第20番 嬰ハ短調。映画『戦場のピアニスト』では冒頭のシーンでこの曲が弾かれ、開始ほどなくして爆撃が始まり演奏は中断されます。震災がまだ完全に落ち着いたとは言えないこの日常の中、仙台フィルのメンバーも聴き入る中で惹かれるノクターンは、非常に美しく心に響きました。
この日の演奏は、心に残る演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲を生で聴くという念願が叶ったのもそうですし、自らも厳しい状況に置かれている中、それでも新潟の音楽ファンのために代役を買って出てくれた仙台フィルの心意気にも打たれました。仙台フィルの皆さん、井上道義さん、ダン・タイ・ソンさん、どうもありがとうございました。素晴らしい体験をさせてもらいました。落ち着いて本格的な活動が再開できるまで、まだ大変なことも多いかとは思いますが、頑張ってください。
一神教では自分の信じる価値と異なるものは文字通り異物として、絶対悪として排除の対象となる。この辺り、伝統的に多宗教・多信仰で"八百万の神"を自然と受け入れていた日本人には感覚として理解が難しいところだ。一神教では自分の価値観を否定するものは敵となる。だから憎しみは終わらないし、これで戦いも終わらない。その意味ではこれまでビンラディンが行ってきたことと今回アメリカが行ったことは、本質的にはまったく同質のものだ。最後にTwitterで見かけた言葉を引用。
あのビンラディンが最後の一人だとは、ボクにはどうしても思えない。今後も世界で混乱が続けば、地球のどこかに第二、第三のビンラディンが現れるかも知れないよ。
行ったのは地元新潟の契約農家から仕入れた減農薬野菜を使用したイタリア料理が売りの『A alla Z』というお店。全体に野菜をふんだんに使った優しい味付けで、素材を生かした料理が素晴らしく美味しかったです。子供達も美味しいのがわかるのか、いつもよりもいい食べっぷり。一つだけある個室が予約で取れたので、3才と1才の子供が少しくらい暴れても大丈夫。安心して美味しいコース料理を堪能できて私も妻も大満足でした。
地元で採れた野菜がこんなに美味しい料理になり、近所のお店で食べられる。地産地消の一つのいい形だなぁと感じました。このお店にはまた機会があれば行きたいものです。
Twitterを始めるに当たり、つぶやくのはいいんですが、この雑記帳と合わせてあっちも更新、こっちも更新となると読む方も書く方も落ち着かないだろうと思って少々二の足を踏んでいた感がありました。ので、とりあえずここに情報を集約してみた感じです。最終的にはここを見ればTwitterもBLOGも見れる、と。これでTwitterも合わせればこの雑記帳の更新頻度は増すことでしょう。Twitterは携帯からの更新も簡単ですしね。
このTwitterというのは良くも悪くもリアルタイム性と手軽さが身上。やはりBLOGとはメッセージの質が完全に異なるように思います。BLOGならある程度ネタを見つけて考えて、多少なりとも文章をまとめた上で公表します。が、Twitterは思いついたら推敲などせず直発信です。それこそ「カレーライスなう。」くらいの勢いで現状の事実や思いがストレートに出てくる。それはそれで情報の一面としては面白いのかなと感じています。
今の状況や気持ちをリアルタイムに発信。それは思想よりは感想に近い。そのコミュニティの広がりと、極端なまでのリアルタイム性がこのツールに強力な情報発信力を与え、最近じゃTwitter絡みで色々な情報や事件すら巻き起こっています。とりあえずはちょっと、自分でも使ってみようと思います。
というわけで私をフォローしてくれる人がいるならば、@AyumuKobayashiでお願いします。
ウチのような小さな建物がたくさんあるような会社ではなく、自社ビルを構えているような会社なら除雪はしなくても業務が進むかというとそうでもなく、今朝なんかはやはり朝一で職員が大勢でビルへの入り口や駐車場の除雪に追われていた。手でシャベルやスノーダンプで雪のけをする会社もあれば、豪勢にユンボで駐車場を除雪している会社もある。地上にスペースが多ければ多いほど、当然人も手間もかかる。
朝、出社前も余計な仕事が増える。車が雪に埋まっているため、まずは最低限ガラスの雪をのけて、前に雪が積もっていたら出られるように除雪しなければならない。それだけで10分から15分はかかる。朝にそれだけ時間が取られるのは大変だ。
雪国で仕事をして雪と付き合うというのは、新潟の中では雪が少ないウチのような会社でもそれなりに大変なものだ。雪がないとまた果樹のリズムも狂うので困るということだが、降って適度に溶ける程度でなんとか勘弁してもらえないだろうかと空に向かってお願いしてみたくもなったりする。
元々はFM新潟で『ラフ』がよく流れてきて、そのサビのメロディーがとにかく耳に残って離れなくなったのが始まりだ。そこでとりあえずiTunes Storeでその曲だけ買ってじっくり聴いてみたわけだが、仕事をしながらラジオで聴くのではなく、じっくりと聴いてみてとにかく驚いた。サビだけでなくAメロからすべてのメロディーも、そのアレンジも歌もすべてのクオリティが尋常じゃなく高い。あまりに衝撃を受けたので、今度はアルバム『ブタベスト』を聴いてみた。これがたむらぱんのメジャーデビューアルバムとのことだが、やはり全曲そのメロディーもアレンジも丁寧でよく考えられていてクオリティが高い。あっという間に通勤中のBGMのヘビーローテーションになってしまった。
たむらぱんの魅力はよく言われるようにやはりまずはその柔らかく親しみやすい珠玉のメロディー。しかもサビだけがいいのではなく、AメロBメロと言わずに思わず口ずさんでしまいたくなるメロディーばかりが曲をつないで一つの曲が出来上がっていく。だから彼女の曲に「サビはいいけど他はちょっと・・・」という曲はない。しかも一つのメロディーから次のメロディーへ、ちょっと想像できないつながり方で進んで行く。聴きながら「え?こうつながるの?」といった意外さが聴いている側をドキドキさせる。そしてそれがすべて違和感なくつながっていく。
そしてそのメロディーを引き出す巧妙なアレンジ。たむらぱんはアレンジからプロデュースまですべて自分で手掛けているとのことだが、このアレンジが実に素晴らしい。とにかく同じ旋律を同じ形では絶対に登場させない。静も動も使い分けて、曲の始まりから終わりまで聴いていて常に期待をいい意味で裏切るような意外性に満ちた進み方をする。転調や変拍子を多用しているわけでもない(もちろん多少はある)のに、音とリズムの使い方を変えるだけで曲の先が読めない面白さ。ここが私がたむらぱんにはまった最大の理由かもしれない。Dream Theaterといい、そういう意外性の音楽は好きなのだ。かの大指揮者フルトヴェングラーは、音楽で一つの主題が提示された後に様々な展開や変奏を経てまた主題に戻ってくる時、その主題は最初に提示された時とはまったく違った形で響かなければならないと言った。何故ならその主題は再び登場するまでに音楽的にも時間的にも様々な経験を積んでいるのだから、その経験の分だけ主題は変わっているはずなのだからと。たむらぱんの音楽にもそのような音楽自身による音楽の成長が感じられる。同じ旋律が同じ曲の中で出てきても、決して同じようには響かない。それはアレンジ面でもそうだし、歌唱面においてもそうだろう。
たむらぱんの歌の魅力はわかりやすいと言えばわかりやすい。透明できれいに伸びる高音と、曲により様々な表情を見せる表現力。曲によく合ったその歌声は実にチャーミングだ。個人的に気に入っている点は、彼女が声にビブラートをかけるかけないを恐らくはかなり意識的に使い分けている点だ。そして最近のR&B系の歌手のように深く大きいビブラートはほとんど使わない。それが彼女の"透明できれいに伸びる高音"をより一層効果的にしている。ビブラートは音を揺らして深みや艶を出す、と一般には簡単にそう言われているが、ビブラートのかかった音が"いい音"とは単純には直結しないことを意識している人は少ない。ビブラートは音を揺らすわけだけら、どうしたって揺らした分だけ音は不協する。不協する分周囲の音からは引き立つし、使い方によってはその不安定な響きが艶となるわけだが、純正律的な響きの美しさとは決して両立しない。つまりビブラートは使い方によっては旋律の強調や艶っぽい響きと引き換えに、音楽全体の響きの美しさを壊すこともあるわけだ。だからビブラートは声に限らず楽器においても使い所と使い方が重要になる。そこを意識せずにクセだけでビブラートを使う歌い手や弾き手は多いが、たむらぱんはそうではない。曲の中で透明な響きの歌声がほしいところではビブラートを使わず、素直に声をすっと伸ばす。それがまた音楽に溶け込んで実にきれいに響く。この歌はかなりクセになる。
アルバム『ブタベスト』ではまず最初の曲『責めないデイ』にいきなりKOされた。どこか懐かしいピアノの旋律から入るこの曲は、たむらぱんの魅力であるトントンと旋律も曲調も転がって行って先が読めない意外性に満ちた面白さも、透明できれいに伸びるチャーミングな歌声も堪能できる名曲だ。最後たたみかけるように「♪~今日もヨシ、それもいいよ」と繰り返し呼びかける部分はとても印象的に耳に飛び込んでくる。2曲目『ぶっ飛ばすぞ』ではちょっとスピッツを彷彿させるシンプルで明るいロックナンバーと思いつつ、イントロから続くキーボードのUFO的な響きの音が周りの歌や伴奏がすべてブレイクかけようと何しようと延々と淡々と同じ調子で続くというツッコミどころが用意されています。そして大好きな3曲目『へぶん』。これも聴き始めは「♪平凡だ、平凡だ」で始まる軽快なガールズロックチューンと思いきや、序盤も序盤、最初のAメロでいきなりまさかのキーアップ。「え!? そこでいきなり転調ですか!?」と突然ド肝を抜かれる素敵なアレンジ。全然平凡じゃない。この曲はその後も犬の鳴き声や車の急ブレーキ音等の効果音を取り入れながら素敵に盛り上がっていく。軽妙な6/8拍子のリズムに心地よく揺られながら、ゆったりと聴き手を空に引っ張っていくようなたむらぱんの透明な歌声が堪能できる夢見心地な名曲『ノバディノウズ』に、曲が進むにつれて音が洪水のように溢れていき、最後はアップテンポなポップチューンなのにアップテンポなままこれまでと同じ旋律が感動的にすら響く『フロウハロウ』。やさぐれ気味な牧歌的旋律で「♪ヘイヨー、メイヨー」と始まりながら幾度もの曲的展開を経て最後は抒情的な響きと足取りで終わっていく『ヘイヨーメイヨー』。アルバムの最後にたむらぱんが敢えてアレンジを控えめにしてピアノ弾き語りと少しのストリングスだけで歌い上げる3拍子の名曲『回転木馬』。この『回転木馬』は歌詞の世界もなかなか好き。共感できるというよりは、こういう感じが好きだ。総じて、まるでパステルカラーのふわふわした万華鏡のような音楽世界。音の気持ちよさと展開の意外さに驚きながら、面白く気分良く、時にじんわりしんみりとしながら聴いているうちにあっという間にアルバム一枚が終わってしまう。デビューアルバムでこれだけのクオリティを持つたむらぱん、恐るべしだ。
彼女は作詞・作曲はおろかアレンジもプロデュースもアルバムで使用するイラスト等も自分で手掛け、MySpaceでの活動から初めて日本人としてメジャーデビューしたという経歴だけを見ても怖いくらいのマルチな才能に満ちたアーティストだと感じる。これだけの才能は日本の音楽界にはJ-POPに限らずともそうそう見当たらない。歌詞の世界が中学・高校生にも受けるものというよりは比較的若い社会人向けに感じるものが多いので、幅広い世代の支持というのは受け辛く、爆発的なセールスを記録するということは多分ないと思うのだが(売れるためには世代を超えた支持が必要)、純粋に音楽面で見た場合にこれだけの才能が日本に出てきたことは凄いと思う。今後もその活動は注目していきたい。とりあえずは最新アルバム『ナクナイ』でも買うか。