1999年1月2日土曜日

雪の文学的意味

 ・・・雪が降っている。新潟の冬なんだから当たり前といえば当たり前、さして驚くことでもないのかも知れないがとにかく雪だ。30日に京都を出た時は日中の最高気温が12度くらいあるのもざらだったのにこっちは雪である。京都での標準装備にさらにセーターまでおまけしてやっても外に出ると寒い。どうやら京都のぬくさに慣らされてしまったようである。昔はこんな中手袋もせずに高校からバス停までダッシュかけてたのかと思うと年を感じる。あの頃は若かった・・・。

 ときに雪というと何か文学的に死と関連づけられて語られることが多いそうなのですがどうなんでしょうね。どこの国の文学でもそれまで登場してこなかった雪が話の中でなにげに降り出してきたら誰か死ぬと思って間違いないとか。まぁ確かに雪って静かに降る分にはしんみりとした末期の雰囲気ってありますしねぇ・・・。夏にあれだけ満ちあふれた緑や虫たちの姿が消えていった秋のそのまた後に、生命の源である温かさを静かに消し去っていくように降る雪に、人は命の終焉を見て取るのかも知れませんね。そこまで考えずとも窓からしんしんと降り続く雪をただぼ~っと見ているだけでその中にどこかしら寂しさと無邪気さの入り交じった気持ちを感じることもできますし。ただ「きれい」で片付けてしまうには冷酷な面もあり、退廃の美をそこに見い出すだけにしては潔白すぎる新雪のオーラは毎年新鮮なものです。そんな雪も一旦地面に積もって街の空気に汚されてしまうと、もう見るも無惨な残骸に変わり果ててしまうわけですが。自動車の排ガスなんかに汚されて黒くそまり、一旦溶けた表面がまた凍って柔らかさを無くして硬く変わった雪はちょっとよろしくありませんね。やはり純粋で美しいものほど汚されやすいんでしょう。願わくば最後まで美しいままで消えていってほしいところなのですが、街に降る雪はどうもそうはいかなくて。まぁ最近の雪は降る段階で空気中の不純物やら汚染物やらたくさん取り込んでますから、降った段階で既に純粋な美しさとは無縁であるという説もありますがね(苦笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿