人生が無意味だから嘆くのではない。人生が無意味に感じられるから嘆くのだ。人生が楽しいのではない。人生を楽しく感じようとするから楽しいのだ。我々は人も草木もすべて含めて、万物何一つ同じではない。それは差異であり個である。外面の差異、内面の差異、あるいはその境界の差異。アイデンティティが失われたから彷徨うのではない。アイデンティティが失われたように感じるから彷徨うのだ。厳然たる何らかの差異の下、我々一人一人はれっきとした個である。群に埋没したと思えるその時も、我々が個でなくなる時は世界が溶解する時である。差異なき人生は我々の死である。
まだ人は問う。まだ人はもがく。まだ人は苦しみ、まだ人は嘆く。それは誰かを救うかもしれない。それで自分も堕ちるかもしれない。また人は悦ぶ。また人は赦す。また人は微笑み、また人は立ち上がる。それは誰かを傷つけるかもしれない。それで自分は前へ進めるかもしれない。また何かがぶつかる。また誰かとぶつかる。人も草木も、風も大地も、正義も悪も、義理も情けも、論理も感情も、歌も祈りも、愛と憎悪も、関心と無関心も、原子と電子も、何もかもが何かとぶつかる。アンビバレンツは最大の正論、逆説は必然の真理。それでも生を愛し、それでも人を愛す。そこには無意味はどこにもない。無意味はすべてという言葉の下に、差異をなくして失効した。それでもまだ根底に存在する無意味を感じるというのなら、踊れすべての事象を抱え。無意味に踊らされるその前に、自らですべてを踊ってしまえ。悲劇も喜劇もすべてを抱え、涙を流して踊る道化のように。
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