2001年12月29日土曜日

2001年流行語大賞

 年の瀬です。社会人になり「忘年会シーズン」という言葉も何だかやけに身に染みるようになってきた私は、昨日は飲み過ぎて帰るなり即潰れるといったような凄まじいことになってしまいました。記憶とかは飛んでないのですが、とても起きてられる気力はなかった・・・。酒、弱くなってる気がしますねぇ・・・。っていうか昨日は私が幹事で、間違って酒を頼みすぎてしまって「あちゃ~、仕方ねぇ、こりゃ責任取って飲むしかねぇな」とピッチャーをほとんど一人で空けるようなマネしてたせいでもあるのですが。う~ん、もう若くはないんだからあまり無茶はしない方が身のためですね(苦笑)。

 とりあえず今年の流行語大賞を発表しておきたいと思います。昨年は『アンニュイ』が大賞の座を得ましたが、今年の大賞はズバリ『ザックリベース』です!これは凄い言葉ですよ。例えば上司に「この作業どのくらいでできる?」と聞かれて、私が「そうですねぇ、ザックリベースで一週間ってところでしょうか」と答えたら、なんと誤差が前後一ヶ月あります(笑)。とてつもなくザックリベースです。この言葉は我がグループ公認の流行語大賞となってしまいましたので、やはりこのHPでも流行語大賞として祭り上げてしまいたいと思います。皆さんもさぁ、使ってください、「"ザックリベース"でお願いします」と!

2001年12月25日火曜日

お忍びだったのに・・・

 昨日、今日はお忍びで京都に出かけていました。が、お忍びのはずがしっかりと私が京都にいるところを京大の聖帝殿に見つかってしまい、目撃情報が流出してしまったため(爆)、お忍びのはずが公に出てしまうこととなりました。

 今回はちょっと大阪の方に遊びに出てて、大阪城公演のクリスマスイベントなどを堪能してきたわけですが、そのクリスマスイベント、まぁゆーたら大阪城公園の関西最大級というクリスマスツリーの下で行われるコンサートなわけですが、のっけに出てきたのが『まほろば楽座』とかいう民族音楽をやってるバンドで、その名前から私は二回生までクラギタにいて独自の民族音楽サークルに専念するため去っていった某Sのグループかと思っていたわけですが、どうやらそれとはまったくの別団体だったようです。しかしイルミネーションの艶やかなツリーの下に響く三味線ロックはかなり相当熱いものがありました。後に出てきたゴスペルグループもいい味出してましたしね。そしてその後私は弟の家を急襲、そこで聖帝殿に目撃をされてしまうわけです(笑)。いや~、そういえば彼の家あの近くでしたね。

2001年12月23日日曜日

動乱の年の瀬

 さてさて、次にヤツらが動くのは一体いつなのでしょうか?そもそも首謀者がかなり危機的状況にあるらしいとの報道も入っている現在、再びヤツらが動くかというのも問題なわけですが、まぁ仮に動くとしたらそれはいつかということですね。私が首謀者なら明後日を狙います。そりゃもう確実に狙います。敵対する異教の聖なる夜に、ただ黙ってじっとしてるはずがありません。むしろそこを狙って派手に事を起こし、神の名もろとも穢してやらんとすることでしょう。前回の京都駅テロはただのデマに終わってしまいましたが、今回の私の「思いつき予想」も同じ運命を辿るのでしょうか?まぁ所詮単なる思いつきですから何でもいいんですが。

 そういえば今、アメリカの『Time』誌がHuman of the Year 2001の投票をインターネットで受付けています。見事一位に選ばれた人は新年最初の『Time』誌の表紙を飾るわけですが、皆さん誰が一位になると思います?ちなみに去年はブッシュ大統領でした。では今年は?順当に行くなら首謀者(?)ビンラディンでしょうか。しかし、現実はどうやら物凄いことが起こっているようです。今は亡き(といっても実質あるけど)日本のインターネット・サブカルチャーの代表格、超巨大BBS群『2ちゃんねる』、その常連達(俗に2ちゃんねらーと呼ばれる)が徒党を組んでその『Time』誌の投票に参加、現時点での一位がなんと彼らの力でMasashi Tashiroになっているらしいのです!!! しかもいきなり『田代まさし』とか言われても向こうじゃ知らん人も多かろうと、彼らはMasashi Tashiroを紹介するホームページまで作り、そこでマーシーを「He's Worldwide Photographer」とかわけのわからん紹介の仕方をしてブチ上げているらしいのです。おそるべし2ちゃんねらー・・・。っていうか、「He's Worldwide Photographer」って、違うだろ、明らかに。っていうか盗撮じゃん、あれ!? そうそう、余談ではありますが、同じく2ちゃんねらーの方々の力で同アンケートの五位くらいにはさっちーこと野村某も食い込んでいるらしいです。マジかよ、オイ・・・?

2001年12月21日金曜日

ちょっと悲しい

 無印の入浴剤、結構たくさん入ってるように見えて実は意外に早くなくなるもんなんですね・・・。

2001年12月20日木曜日

空白について

 さてさて、昨日の空白の日記ですが、皆さん如何思われたでしょうか。「おや?書き忘れたのかな?」とか「ネットの調子が悪いのかな?」と思われた方が大半でしょうが、実はあれは狙ってやってみました。「そろそろ日記にも前衛芸術の波を取り入れていこう」とわけのわからんことを思い立った私は、まず手始めとして音楽においてあの有名な『ケルンコンサート』、五分半の空白の芸術があるように、前衛の基本である「空白」から試してみようと考えたわけです。ほ~ら、無心で下の空白をじっと眺めていると、空白の中に浮き上がってくる文字や心情があるでしょう?

 ・・・というのはまぁ半分本気、半分冗談にしておいて、何はともあれ昨日の日記の空白が確信犯であることは本当です。さて、この一日分の空白の中、私は一体何を語りたかったんでしょうか?・・・実はただ単に何も語りたくなかっただけかも知れません(爆)。

2001年12月17日月曜日

さて、

 ハトがポンッと爆発すると、・・・二羽に増えます。

2001年12月16日日曜日

『古いメダル』

 『古いメダル』という曲をご存じでしょうか。アグスティン・バリオスの隠れた(?)名曲で、私が二回生の時独重で弾いた曲でもあります。和音とその声部の動きで淡々と進んでいく静かで憂いを帯びた、地味ではあるが美しい曲なのですが、この曲は私の中で少し特殊な位置付けにあります。特別何度も聴きたいという程好きなわけでもなく、『大聖堂』や『最後のトレモロ』のように強い思い入れがあるわけでもまたないのですが、何故か突然この曲が頭の中を回って離れてくれなくなることがあります。この曲は地味で淡々としていて、派手さがあるわけでもなく劇的に盛り上がっていくわけでもなく、クラシックに馴染みのない人などは「なんて退屈な曲だろう」と思ってしまわなくもない曲なのに、何故か色彩感というか、曲から駆り立てられるイメージは物凄く強烈なのです。ジョン・ウィリアムスの『バリオス作品集』のライナ-ノ-ツの中では「絵巻物語のような」と例えられていましたが、まさにそのような感じで、淡々と少しずつ変化していく響きの中に、何処か古風な、静かでありながらも遠くまで響き渡るような、あるいは霊的とすら感じ得る何かがあるのです。ただただ平穏な、喜びも悲しみも、希望も絶望もなく、ただ平穏な表情が、あまりに平穏すぎて寂しげにも見えるように。流れる音楽の中に物語が見えるのです。決して劇的なものではない、むしろつまらなくて取るに足らない話かもしれないけれど、何故か心を打つ小さい叙情的な物語。あるいは叙情的な物語を叙事的に描いた物語。不思議な曲です。一回聴いただけでは印象に残らないような、でも何回聴いても特に印象が変わるとも思えない曲なのに、ふとした瞬間にそのイメージが頭の中で膨らみ、曖昧とした物悲しさのような、懐かしさのような、ふと訪れてくる寂しさのようなものを与えていきます。私は基本的に宗教などを信じるわけではないのですが、神を信じる人達のいう神秘的なとか、敬虔な、といった感情とはこのことなのかもしれません。この『古いメダル』という曲にそのような思いを抱くのははたして私だけなのでしょうか。

2001年12月13日木曜日

予告や如何に?

 さてさて、明日はいよいよ某苦三味亭殿がテロの実行を予告していた日です(こう書くと彼が実行するみたいだが、そこは敢えて確信犯としてこう書かせていただく)。さてさて、何が起こるのでしょうか。私はとりあえず朝、人がギチギチに詰まる急行には乗らず、多少なりとも余裕のある各停で会社に行く程度の警戒はしておこうと思っています。とりあえずは実行予告のあった京都近辺にお住まいの皆さん、サバイバルナイフに防弾チョッキくらいは用意しておきましょう。

2001年12月12日水曜日

一呼吸

 今日から久々にアプリケーション部分の開発に戻ってきました。これまで数カ月間、ひたすら一般のアプリケーションが動くところの下の階層、ある意味コアな部分を作り続けてきたので、一般に目に見える部分の開発をするのは結構久しぶりです。いや~、やっと上の階層に上がってきたって感じがしますね。一息つかないと。

2001年12月11日火曜日

歌うためには

見るためには 聴かねばならぬ
聴くためには さわらねばならぬ
知るためには 歌わねばならぬ
たとえ世界が どんなに難しい調べだとしても
歌うためには まず 醒めなければならぬ

寺山修司『棺桶島を記述する試み』より


 だが、果たして我々は「醒める」ということができるのだろうか?そもそも、「醒める」とは一体何を意味するのだろう?

2001年12月10日月曜日

『トナディーリャ』練習開始

 さてさてBBSでは某苦三味亭殿が大胆にもテロ予告をしてくれておりますが(笑)、皆さん如何お過ごしでしょうか。私は今日はぼちぼち体力も回復し、一日じっくりとギターを弾いて過ごしていました。ここんとこ週末はずっと京都でギターを弾く時間もあまりありませんでしたからね。ああ、平日の仕事が恨めしい・・・。

 今日はそろそろ新しい曲を弾いておこうと思い(『羽衣伝説』は余興。あれは弾きたいとこだけ弾ければよい)、Angel Barriosの『トナディーリャ』を弾きはじめました。藤井敬吾先生の最後レッスンの日、先生に頼んでいただいてきたものです。ずっと弾く気はマンマンだったのに、何故かこれまで軽く目を通す程度であまり本気で弾いてなかったのですね。2分間スペインの風邪、・・・違うよ風だ、を巻き起こすだけ巻き起こしてあっという間に過ぎ去っていくこの曲は、力強く歯切れのいいベースの消音がミソとみました。ちょいとばかりしんどいところもありますが、基本的に弾きやすい曲です。ただしあの疾風のようなところまでスピードを上げられるかどうかはまた別問題なのですが・・・。しかしあれですね、社会人になってから、新しい曲に目を通してみて「う~ん、これなら一週間あればゆっくりならとりあえずは曲になるかな?」とか目算を立ててみても、実際は平日弾けないのがたたって一ヶ月とか、下手したら二ヶ月かかったりしてしまいます。どうにか平日に一時間だけでいいからギターを弾く時間が作れないものなのでしょうかねぇ・・・?

2001年12月9日日曜日

乳酸菌と抗生物質

 ふと思った。抗生物質を飲んでいる時にヨーグルトを食べたら、抗生物質によって乳酸菌も殺されてしまうのだろうか?冷静に考えれば大きな問題である。体にいいかなと思ってヨーグルトを食べてみても、その体にいい原因である乳酸菌がやはり風邪を治すための抗生物質に殺されてしまうのではしかたない。しかもその場合、乳酸菌を殺すのに抗生物質側も余計な労力を使ってしまい、肝心な風邪の菌を殺す力が多少なりとも弱まってしまうのではないだろうか。・・・これはゆゆしき問題である。抗生物質の働き方を普通に考えれば、やはり抗生物質は乳酸菌まで殺してしまいそうだ。でもやはりヨーグルトは食べたい・・・。大きな大きなジレンマ。これを抗生物質とヨーグルトのジレンマと名付けたいと思う。

2001年12月8日土曜日

発熱39度

 昨日は会社にいる間部屋にいても寒くてたまらず、体も異常にだるいし頭もボ~ッとするしで散々でした。「何かがおかしい」と珍しく八時前に仕事を切り上げて、帰って熱を計ってみたら・・・。なんと39度超の高熱が出ているではありませんか。そらしんどいはずだわと思いつつ、とりあえず以前に会社の保険組合からもらっていた『ナロンエース』と、咳もやけに出ていたので「まぁ効くだろう」と喘息の気管支拡張剤および『紫朴湯』を飲み、飯もそこそこにグッタリとしていました。

 しかし、39度超もの熱、よく風邪をひく方ならおわかりになると思いますが、ここまでくると『ナロンエース』や『バファリン』といった市販の解熱剤レベルではなかなか下がってくれるものでもありません。投薬後三時間半が経過しても39度台をキープし続ける熱に、「う~ん、こりゃやばいなぁ・・・」と思いながら新たな手を考えなければなりませんでした。「そういや以前医者にもらった抗生物質って、まだ残ってたかなぁ?」と思い、薬入れをガサガサと漁ってみます。すると、果たしていつのものかはわかりませんが微妙にカプセルも変色しているような気もするセフェム系抗生物質『ケフラール』が出てきました。いつのだったっけ、と思い出そうとしてもなかなか思い出せず、おそらく一年か二年前のものだろうと当たりをつけて、「まぁ、・・・大丈夫だろう」と飲んで眠りにつきます。約一時間半後、目覚めた時には熱は37度台後半まで下がっていました。どうやらいつのものかわからない抗生物質は効いてくれたようです。そしてとりあえず帰る時に買ってきておいたミカンを食べ、このまま寝るかどうかを思案します。そこで私は思い出しました。「・・・そういや葛根湯があったなぁ・・・」。葛根湯は基本的に汗をかかせるのが目的の薬で、それ故体力がまだ残っている風邪のひきはじめによく効く薬です。熱と寒気がメインならなおさらです。私はちょっと自分の体調を探ってみて、「・・・ふむ、数時間39度台の熱にやられていた割にはミカンも普通に食えたし体力は残ってそうだな」と判断、葛根湯の投薬を決めました。そして汗をかいてもいいように背中にタオルを突っ込んでおき、そのまま眠りにつきました。そして案の定汗まみれで眼が覚めたのは朝方4時くらい。もうパジャマまでびっしょりだったので、新しい冬用のパジャマ(今まで夏用だった)に着替えて水分を補給して眠りにつきました。次に朝七時に目覚めた時、熱は36度台まで下がり、体も意外にさっぱりとだるさの取れた状態で起きれましたとさ。とはいえ昨日も朝は36度台だったし、さすがに39度台の熱が出た直後だったので会社はお休みをいただき、一応病院にいって古くない、カプセルが変色してたりしない抗生物質をもらってきて一日のんびりしていましたとさ。皆さんも風邪には気をつけましょう。

2001年12月5日水曜日

風邪気味

 う~む、二週連続の京都行き敢行で微妙に身体的に休まる暇がなかったせいか、どうやら微妙に風邪をひいてしまったようです。そういや職場でもあらゆるところで嫌な咳をしてる声が聞こえてくるしなぁ・・・。まぁまぁ流行り風邪なのでしょう。私も昨晩辺りから結構嫌な咳をしています。とりあえずドリスタン滋養液でも飲んで寝ることとしましょう。

2001年12月4日火曜日

古代ケルトの「時」

 古代ケルトの人々は、「時」に対して非常に敏感だったように思います。あるいはその「時」がもたらす変化に対して、あるいはもっと究極的には「生」と「死」に対して、彼らは正面から向き合い、感じ取り、畏れ、そして立ち向かっていたように思います。それはもしかしてただのあがきだったのかも知れませんし、真に霊的な何かに近付けていたのかも知れません。今の時代は、そんな感性が乏しくなってしまったのではないでしょうか。刹那的な一瞬の連続が時をつなぐような時代。先も出口も目的地も、何も見えないようにすら感じる瞬間があるような時代。僕らは「時」が真に「流れる」ということを感じられるのでしょうか。ふとそんなことを思ってみました。

2001年12月3日月曜日

2001年度BKC定演所感

 この週末も先週に引き続き京都・滋賀まで出陣、今度はBKCの方の定演を見にいってきました。ん~、いやいや基本的に今のBKCは粒が揃っているだけに安心して見ていられる演奏会でしたね。大合奏の最後のスペ花ではベースは回るは一輪の薔薇は投げられるはで、なかなかパフォ-マンス性にも富んだ(?)演奏会でよかったと思います。しかしやはりCステージは全体的にパワー不足が少々気になりますね。うまいのに音がしっかり抜けてこないしダイナミクスが小さいからもう一つ最後の説得力に欠ける。なんというか、KICもBKCも「音をしっかり出す」ということをもう一度見直してみてほしい気がします。『羽衣伝説』弾いて客を驚かせるのもいいですが、それができたからって『アルハンブラ宮殿の思い出』で聴き手を感動させることができるかと言えばそうではないですよね。難しい曲を弾いて自己満足で終わる演奏より、簡単でもいいから聴き手を引き込んでいける演奏をしてほしいなと今年の両定演を見て強く感じました。ともあれクラギタの皆さん、お疲れさまでした。来年もしつこくまた見に行きますので、素晴らしい演奏を聴かせてください。

 そして定演終了後はキムとたっちー、そして京大の聖帝殿と西大路七条で飲み交わし、しんちゃん邸に襲撃をかけて京都の夜は暮れていきましたとさ。っていうかさすがに二週連チャンでいくと体が休まらないっすね。ちょっとばかり疲れましたよ。来週はのんびりした週末を過ごそう・・・。

2001年11月30日金曜日

勝利と眠気

 今日は客先で久々の勝ち戦をしてきた気がするが、家に帰ってきたのは0時半過ぎ・・・。もう寝ないと明日が辛いのだ。ああ、もう寝ないと・・・。

2001年11月27日火曜日

一日休むと

 うむ。やはり久しぶりの仕事は精神的に疲れる。やはり一日休んだツケはたまっていたか・・・。

2001年11月26日月曜日

2001年度衣笠定演所感

 さてさて、三泊四日京都の陣、只今帰って参りました。今回の京都行きの大目的はもちろん後輩達の定期演奏会。行った足で京都駅地下で手みやげ品を伊勢丹で買っていたら我らの代の書記嬢およびBKC現職指揮兼C技と遭遇、連れ立って一路アルティへと向かいました。


 演奏会の感想及び総評として一言でまとめるなら、「よくまとまった演奏会」だったと思います。去年一昨年はある意味結構バクチ打って演奏会やって、一応は成功と言える形で終われたからいいようなもの舞台裏では結構綱渡りしてたような感がありましたからねぇ(特に俺は何度か綱から落ちかけた、というか少なくとも3回確実に落ちた)。まぁ『カイザーワルツ』なんて大曲やる辺りはかなりのバクチだったのでしょうが、演奏自体は危なっかしさをあまり感じさせない安心して聴けるものでした。個人的に特に気に入ったのはポピュラーアンサンブルと4回生4重奏の『スピン』。ポピアンは皆凄く気持ちよさそうに弾いてて、ちゃんと音色を意識したハ-モニー作りが心地よく響いていたので、見てて「う~ん、やっぱ合奏っていいよな~」と思ってしまいましたね。ああそうさ、一人じゃどう頑張ったって合奏はできないさ(←嘆き)!そして『スピン』は4回生の成長ぶりにビックリ。我が後継者M野(「胃痛とかいうHNでBBSにも登場してきたね~)は本当に御大としての貫禄のようなものが出てきてて、正直一年前は実力はあるのにどこか頼りなげだったのが嘘のようなオーラを醸してました。そしてスカイライン男(まぁ、誰だかわかるでしょう?)も昔と比べてしっかりと音が出て曲を作ってきていて、その成長ぶりに驚かされました。そう、彼らももう4回生ですからね。さすが最上級生、下回生にしっかりしめしをつけてくれていました。

 そして何よりもビックリしたのが2回生の成長ぶり。特にナオエギター教室でももはやマスコットとなりつつあるらしい次期C技候補筆頭はその成長具合に戦慄すら覚えました(←マジ)。いや、合奏の中でもしっかりと存在感のある音で抜けてくる彼女の音とセンスは凄まじいものがありましたよ。ウチらの回に対して一部の間で「もしにらめっこが一回の時から入っていたら」という命題は時たま投げかけられるものですが、次期C技殿はまさにその体現のような・・・(ただしもし本当ににらめっこが一回の時から入っていたら、ウチらの代は違った意味でより破壊的になっていたに違いない)。あれは上回生としてもプレッシャーじゃなかったですかねぇ、あんなに急激に成長されていくと。これは来年が楽しみです。精々今の内にプレッシャーをかけておきましょう(笑)。大合奏は『カイザーワルツ』、大曲への挑戦でどうなることかと思いましたが、実に綺麗にまとまっていて聴きやすかったです。特に指揮者殿は一年前は一回生会本番直前に「指揮教えてください」とか言ってきていたのに、あんな難しい曲の指揮を見事に振れるようになっていて正直頑張ったなぁと思いましたね。

 定演出場者及びスタッフの皆さん、お疲れさまでした。いい演奏会でしたよ。とはいえ私が手放しで誉めたままというのも逆になんかうさんくさかろうということで、技術的に感じたことをまとめた定演裏批評は別にアップしておきます。まぁこれはどちらかというと来年に向けての2回生へのメッセージという方向で。

 そして夜は同期の連中+まりも氏と飲み、キム邸を経由してガッティ邸へ押しかけ、フェアウェルのビデオなど眺めながら熱く、それでいて寒い夜を過ごしていましたとさ。そして次の日、京都駅ビルで福田進一氏が演奏をするというのでガッティ邸から京都駅へ直行しました。そこで龍大のつっきーとも瞬間的な(爆)再会を果たし、赤子の泣き声に切れて(?)ときたまヤケっぱち気味な演奏をする福田氏の演奏を堪能した後奈良ギターフェスティバルへ行くために速攻みやこ路快速に乗り込んでいきました。来週はBKCの定演ですが、さすがに二週連続して行くことができるかどうかが怪しかったためとりあえず奈良ギタでBKCの演奏を聴いておこうというわけです。そして無事3時半からのBKCの演奏に間に合い、休憩時間にフラフラと外に出た私に、後ろからポンポンと方を叩きつつ声をかける人物がいました。ふっと振り向いてみると・・・、

 な~んと、それは藤井敬吾先生でした!ビックリです。先週の火曜まで上海へコンサートに行っていて、奈良ギタに藤井先生が指導している合奏団が出ているので見にきたとのこと。相変わらず色々なところで色々なことをやっておられるようで、少々立ち話で近況報告などしてきました。しかし後輩の演奏会を観て思ったのですが、私ももう一回改めて藤井先生のところに習いに行きましょうかねぇ・・・?2ヶ月に1回でも3ヶ月に1回でもいいから、京都まで行って稽古つけてもらおうかと思案中です。一人でもギターは弾けるし、先生がいなかったからって曲が完成させられないわけではありませんが、短い時間で効率良く技術と知識を身につけたいなら藤井先生のようないい先生に師事するのがやはり一番です。いや、東京で福田進一氏辺りに1レッスン15,000円払って診てもらってもいいのですが、それなら交通費含めても藤井先生にじっくり指導していただいた方がいいように思えます。とりあえず、いつか後輩達の前でギターを弾くことがあったとして、その時ロクな演奏ができないで「仕事が忙しくて弾けてなかったからね~」とか言い訳するようなことだけは絶対したくないんですよね。後輩がどんなに成長してこようと、胸を張って「自分がアイツらの先輩だ」と言える自分でありたいんですよね。別にギター弾けなくても仕事が忙しくて弾く時間がないのは事実なんだからいいじゃんという声も聞こえてきそうですが、例えば後輩の演奏会見に行って「ここがもう少しこうならよかったね」とか言って、「じゃあオマエ弾いてみろ」って言われた時弾けないのはカッコ悪かろうと。まぁそれだけの理由と言えばそれだけの理由なんですが、マジでもう一度藤井先生の門を叩くかどうか思案中です。やはり未だ基礎力(特に右手)には独力での完成、矯正に限界を感じていますしね。私は別にギターのプロは目指してませんが、もっと気持ちよく曲が弾けるだけの技術と知識は持ちたいですし、一線を退いたとはいえまだまだ向上心も好奇心もありますからね。う~ん、どうしようかなぁ・・・?

2001年11月22日木曜日

衣笠クラギタの定演へ

 さて、明日は衣笠クラギタの定演、私も半ば問答無用に休みをいただいて京都へと向かいます。我らが執行部の時入ってきた一回生達が執行部としての定期演奏会、実に楽しみです。さぁさぁ素晴らしい演奏を聴かせてもらおうではありませんか!(←半分脅し)

 しかし明日の休みのために今日はできるだけのことはやっておかねばと、結構終電近間まで会社でねばっていたので、昨日に引き続きやはり私は眠いのです。後輩達のビックリするくらいの成長ぶりを夢見て眠らせていただくこととしましょう。

2001年11月19日月曜日

定演を楽しみに

 さてさて、いよいよ今週は立命衣笠の定演ですね。現役の皆さん、調子は如何でしょうか?しっかり聴きに行かせていただきますのでね、素晴らしい演奏をしてください。しかしこう、後輩達がアルティに立って演奏してるのを見ると、きっと「やっぱり学生の頃がよかったなぁ」とか思うんでしょうねぇ。そして「俺も学生に戻ってまた皆とステージに立ちたいなぁ」とか切実に感じるに違いありません。演奏会が終わって出迎えで俺と会ったら「畜生、オマエらいいなぁ、とりあえず殴らせろ、コラ!」とか理不尽なことを笑顔で言われる可能性もあるので、それが嫌な方はひたすら私から逃げていてください(笑)。う~ん、今週の木曜か。楽しみですね。頑張ってください。

2001年11月18日日曜日

流れ星を探して

 そしたら僕ァ『爆笑オンエアバトル』を見たら流れ星を探しにいってきます。

2001年11月14日水曜日

寝坊の連鎖

 最近はなかなか朝起きられず、ギリギリに起きて「しまった!」と思いながら駅までダッシュをかけ、息を切らしながら電車に飛び乗るという朝が続いています。満員電車の中ス-ツ姿で息を切らす私は、一歩間違えたらただの変質サラリーマンとも誤解されかねません。幸いにもまだ痴漢に間違われるなどといった悲劇は起きていませんが、それを未然に防ぐためにも朝はもう少し余裕を持って起きられるようにしたいものです。そのためには早く寝ること。そのためには早く仕事を切り上げることです。って、それが難しいんだって・・・。

2001年11月13日火曜日

げんこつラーメン

 今日は晩飯に同期と先輩と3人でラーメンを食べに行ってきました。いや、渋谷の駅の手前に結構美味しいラーメン屋さんがあるんですって。そして美味しいラーメンと春雨の入った激辛なタレが絶妙な餃子を堪能し、一緒にいたお二方は至福の笑みを浮かべながら帰っていきました。そして私はというと、どうしてもそのまま帰るわけにはいかず、すごすごと会社に戻ってもうひと踏ん張り軽い動作確認などを行っていたのです・・・。いやしかし部屋で一人で食べるコンビニ弁当なんかよりゃ皆で食べるラーメンの方がよほど豊かであるということを改めて実感してしまいました。そうだよ、夜に一人で部屋でモサモサとコンビニ弁当なんぞ食ってっから一人暮らしの心と体は荒んでいくのだよ。違うか、オイ!?

2001年11月11日日曜日

女神オーキルが紡ぐ「変化」

 さて、敢えてこの場で詳細を語ろうとは思いませんが、今週はとても信じ難いようなことが起こってしまいました。ケルト民話の女神オーキルは、片手で草より萌え出る命を、残りの片手で腐植土の下へと沈んでいく死を織り紡ぎます。そしてその織物は我々の世界では「時」と呼ばれ、また「変化」という名の魂を持つといいます。織り出され、また沈んでいく命はそのまま「時」であり「変化」であるというこの逸話は、何やら妙に心に響いてしまいます。そう、時は流れているのです。たとえ私達がその流れを心に留めることがなかったとしても。すべては変わっていくのです。例え誰もがそれを望まなかったとしても・・・。

 矢のように流れていく歳月は崖を滑り落ちる
 ゆっくり過ぎていく歳月が目の前を行きすぎる
 どれも二度と帰りはしない
 遠くに積み重ねられた歳月は、
 待ちくたびれた眼に涙をためている

フィオナ・マクライド/荒俣宏訳『ケルト民話集』ウラとウルラより


2001年11月7日水曜日

ミリ秒の違いは・・・

 大量のデータを扱うプログラムになると、ほんの少しの処理速度の差が物凄い違いになって現れてくることもあります。18,000件のデータを扱うとすると、1件当たり0.01秒違えばそれだけで3分違うわけですね。それは結構な違いです。う~ん、たまらんなぁ・・・。

2001年11月6日火曜日

男らしくも情けなく

 どんなに熱く男らしく叫んでも、どこかそこはかとなく情けない一言。

『俺ァ負ける戦はしねぇ主義なんだよぉっ!!!!!』

2001年11月5日月曜日

羽衣伝説演奏の心得

 今日は久々に部屋の大掃除をしました。部屋に掃除機をかけたのはもちろん、洗濯機も2回かけたし布団乾燥器もかけたしトイレ掃除もしたし、洗面/バスの真菌類も撲滅させましたし、おかげでこの一日で私の部屋の生活環境は随分と向上しました。そしてそれらの仕事が終了した後はいつものようにギターを弾いて時を過ごしていたわけですが、今日は『バーデンジャズ組曲』と『羽衣伝説』を延々と弾き続けていました。しかし『羽衣』は難しそうに聴こえる割に意外と弾ける曲ではあるのですが、やはり難しいところは鬼のように難しく、とりあえず弾けるところをつなげて弾くみたいな感じでやってます。まぁ長い曲ですしね。そして何よりも誰も弾かないトレモロの部分がカッコいいと信じている私は、そのトレモロしながら下でまったく関係ないメロディーを弾くという嫌な部分に悪戦苦闘を強いられているのでした。

羽衣伝説演奏の心得

 だまされてはいけない
 右手と左手はまったく別の生き物であると割切ること
 そしてその2つの生き物を頭の中のリズムに合わせる
 指揮者のような気持ちで弾くべし
 それでも合わない部分は勢いでごまかせ(←オイ)!

2001年10月30日火曜日

暗闇が消えた現代

 現代に生きる我々は、灯の光になれ過ぎてしまったのかもしれない。本当の暗闇を、忘れてしまっているのかもしれない。部屋の明かりを消しても、まだそこには光がある。うっすらと映る陰影がある。我々は、その薄闇を暗黒と思ってしまっているのかもしれない。灯の光の届かない深遠な闇を、ただ我々は忘れたままに・・・。

2001年10月26日金曜日

トップランナー(大萩康司)

 今日は11時からのトップランナー大萩康司を見るために、半ば無理矢理仕事を早め(10時)に切り上げコンビニでビデオを買って家に帰ってきました。で、無事にトップランナーを録画して見ることに成功したわけですが、いや大萩康司凄いよ!CDで聴くだけでも物凄いギタリストだとは思ってましたが、ホントにまさに「何だあれ!?」って感じですね。幅広いダイナミックレンジに正確無比な技巧、それに繊細さも情熱も兼ね備えた無敵のギタリストじゃないすか。あれは本物ですよ。K村Dどころか、いつ世界に羽搏いていっても全然不思議じゃない。しかもまたキューバで実際に現地で触れながら音楽を身に付けていき、これからも旅をしながら色々な音楽を肌で感じて身に付けて行きたいというクラシック畑の人間には珍しい土着型の姿勢。実に熱いですね。素晴らしい。やっぱり音楽ってのは基礎技術や理論も必要ですが、それに加えて実際に音を感じる感性が何よりも重要ですからねぇ・・・。そしてそれを頭でわかるだけじゃなく、実際に行動に移して身に付けるバイタリティには脱帽です。さぁ皆さん、これからの彼の動向に注目しましょう!

 しかし彼もお気に入りCDのベスト5、1位にグールドの『ゴールドベルグ変奏曲』を上げてましたね。やっぱりあれは・・・。

怒濤の15時間睡眠

 先週は土日と出勤な私でしたが、なんととどめとばかりに月曜には会社に泊まり込んでプログラミングということをしでかしてしまい、深夜に一人で祀ってました。そんな私を見てグル-プ長殿がさすがに心配に思ったのか、「いい加減休みを取れ」との上告をだし、今日は半強制的に(笑)休みをもらって休んでいました。が、さすがに徹夜作業が効いたのか、昨晩十時くらいに家に帰って速効眠りについてからハッと気付いたらもう昼の一時でした・・・。ざっと15時間寝た計算になります。いや、いくらなんでも寝過ぎだろ・・・。

 そしてそれからはのんびりした平日の休暇が始まるわけですが、やはり一日ギターを弾くというよくも悪くもかわりばえのしない休日を過ごしていました。今日は10日ぶりくらいにギターを持ち、何を思い立ったか『羽衣伝説』を弾こうと決意し、何げに下からDADGADの調弦と格闘していました。端で聴いてるととても人間が弾ける曲のようには思えない神の領域のような『羽衣伝説』ですが、やはりある程度は人間が弾くということも想定して作られているようで、弾いてみたら以外に弾けるもののようです。っていってもやはり難しい曲であることに違いはないのですが。でもまぁ今日はとりあえず、あの曲のラストの部分はこっちが何も考えてなくともほっておけば勝手に曲の方が盛り上がってくれるということが判明しましたのでよしとしましょう。

2001年10月21日日曜日

土日出勤とBGM

 最近土日も出勤なことが多い私ですが、土日は客先に出さえしなければ私服で会社に出てヘッドフォンで好きな音楽など聴きながら仕事ができるので案外快適だったりします。そして、高校時代から貫いてきた「本気で集中したいならBGMは激しければ激しい程よい」という絶対的なテーゼにもとづき、Iron MaidenやRoyal Hunt、Fair Warning等といったいわゆるメタルを聴きながらガシガシ仕事をしています。おかげで最近またプライベートで聴く音楽の嗜好もハードなものに偏りがちで、今も部屋ではSynphony Xの『The Damnation Game』が流れていたりします。"The Damnation Game"、訳して"破壊遊戯"。大学時代私のPHSの着メロとしても悪名名高かった(?)あの曲です。給料も入ったことだし、明日は会社に行く前にタワーレコードにでも寄って、久しぶりにメタルのCDでも物色してこようかなと考えています。でもやっぱり寝る時にはグールドのバッハ(最近は主に『トッカータ集 vol.1』)が流れていたりするのですね。う~ん、よしよし。

2001年10月17日水曜日

もの作りと美学

 人生や音楽においても欠かせないものですが、実はプログラムを組む上でも"美学"というのは大事にしなければならないものの一つです。それは単に設計思想というレベルでは留まらず、バグの防止や拡張性、汎用性、そして作業効率のアップにすらつながります。ただその場を凌ぐためだけに書かれたコードを読むのは時に苛立ちすら覚えることがあるくらいで、やはりプログラムも"もの作り"である以上作る人間が美学を持って作らないとどうにもこうにも進みやしないもののようです。打算や計算、刹那的快楽だけに人生を費やすかのように、ただ正確な技術だけで奏でられた音楽のように。

2001年10月15日月曜日

ギターについて雑談あれこれ

 昨日は久しぶりにギターの弦を替え、この週末は非常にいい気分でギターを弾いていました。しかしこの私がまる二ヶ月も弦を替えないでいたとは・・・。そら低音弦も完全に伸び切ってだらしない音で鳴っちゃいますなぁ。やはり月イチくらいでギターの弦は替えたいものです。

 しかしクラギタの皆さんはご存じの通り、学生時代私は高音弦オーガスチンリーガル、低音弦オーガスチン青という非常にテンションの強い弦を好んで張っていましたが、こっちに来てからあまり弾く時間もなくなり力が落ちてきたのか、このセットだとどうにも手がしんどくて仕方がないのです。ので、もっぱら高音弦プロアルテ・ノーマルテンション、低音弦オ-ガスチン赤というクラギタ伝統のいわゆる赤セットで弾いてます。これはこれで悪くはないのですが、弾いてるとやはり曲によってリーガルの艶やかな高音や青の力強い低音が恋しくなる瞬間があったりしますね。ピアソラ弾けば赤だと低音の力がなんとなく足りない気がするし、『シャコンヌ』や『シンプリシタス』を弾けばリーガルの高音の音がほしくなる。世の中なかなかうまくいかないものです。

 そういえば数週間前、ちょうどきよがウチに泊まりに来ていた時に大萩康司の新譜と高田元太郎のCDを買ってきました。いや、久しぶりにタワーレコードに行ってみたら、なんかこれらのCDが出てたんでビックリですよ。大萩康司は期待通りの出来というか、実に表現力豊かで色彩感の溢れる彼の持ち味が堪能できる非常によい一枚でした。っていうか、何でヤツは前回といい今回といい、私が知ってる曲の方が遥かに少ないようなマイナーな、だがしかしよい選曲をしてくるのでしょう?一体何処から曲探してきてるんだ・・・。

 そして高田元太郎の方は、大萩康司とは打って変わって、なんというかリズム感が日本人離れしてるというか日本人的でないというか、ラテン・スペイン系の曲を物凄いノリで弾きこなしているのにはやられましたね。何というか、一言でいうならホントに日本人的でないギターを弾くのです。ある意味斬新です。『ギター演奏法の原理』の訳者として、カルレバーロ奏法の使い手として、実に注目度の高い一枚でしたが、やはり出るべくして出たといった感がありますね。大萩康司が出て、さらに高田元太郎まで出てきたんじゃいよいよもって某K村Dの居場所はなくなっていくばかりでしょう。まぁ何はともあれこの2枚はお薦めです。爽やかな色彩と、時に『舞踏礼讃』などのブローウェル及びそれチックな現代曲が混じる明るい(?)世界を堪能したい方は大萩康司のCDを、怪しく情熱的なピアソラ、及びスペインの間違った情熱を堪能したい方は高田元太郎を、それぞれ買ってみるのもまた一興でしょう。しかし高田元太郎が弾いてたセルジオ・アサドが編曲した『ブエノスアイレスの夏』はカッコいいなぁ・・・。アサド編は『冬』だけ持ってるんですが他がない。探して見つかるものでしょうかね・・・?誰か持ってたら教えてください。

2001年10月14日日曜日

漢方と証

 実はさっきまでちょっと色々漢方薬について調べていました。私は以前から胃腸薬は大正漢方胃腸薬を常に使用して、それだけではありますが微妙に漢方にもお世話になっています。いや、大正漢方胃腸薬いいんですって。まぁそれはおいておいて、この前喘息がちょいとばかり頻発し、仕方がないので近くの病院に行ってきたのですが、その時にこれまで飲んだことのない新しい薬を2種類渡されたのです(これまで使っていたなじみの薬ももらえましたが)。ひとつはいわゆるステロイド吸入薬の『フルタイド』。従来のステロイド剤より副作用や依存性が低く、効果も絶大という魔法のような薬でこの薬が出た当初は需要に供給や処方が追い付かないといった状況まで発生していたようです。そしてもう一つが漢方薬の『紫朴湯(サイボクトウ)』でした。で、ステロイドの方は一応効き方やメリット、デメリットのおおまかなところは既存の私の知識の範疇にあったので軽く調べる程度で納得し、「うん、酷い間だけ試して落ち着いたら使うのやめよう」という結論に達したのですが、如何せん困ったのがこの『紫朴湯』。私の医学・薬学の知識は西洋のものに偏っていますので、どうにもわからなかったのです。しかしまぁ世の中便利になったもので、ネットを探せば出るわ出るわ。で、『紫朴湯』についてもわかったのですが、漢方の話を読んでいたらなんとなく面白くなってしまって二時間くらい読みふけってました(爆)。

 西洋医学が病原を特定してその病原を排除するという方向を基本にして進歩してきたのに対し、漢方は人間それ自体が持つ体のバランスを整え、自然治癒力を高めるという方向を基本にして体系だてられてきました。故に漢方は西洋医学で原因が特定できなかったり根治が難しかったりする病気や症状においても効果を発揮する場合が多いのですね。逆に発作や急を要する病状の場合、漢方の殆どは速効性という意味では西洋医療に及ばないので大人しく病院に行った方がよろしいわけです。

 私が漢方の考え方で特に興味を持ったのは"証"という考え方です。西洋医学では「この症状に対してはこの薬」というように病状に対して処方しますが、漢方では体質やら病気の時期やら何やらそんなことをまとめた(?)"証"というものに対して薬を処方するわけです。だから「頭が痛いからこの薬」ではなく、同じ「頭が痛い」でも人によって処方する薬が全然変わってくるのですね。で、漢方の先生はじっくりと患者さんの話を聞いて肌の色やら髪の色やら舌の色やら見て判断するわけです。しかし最近は日焼けやら茶髪やらで漢方医療士さんは泣いてるそうです(笑)。まぁとにかくなんとなく面白い世界ですよ、漢方ってのは。

 そうそう、まったくの余談ではありますが、私がもらった『紫朴湯』、喘息に対しての長期服用の効果は至る所で証明され最近は一般の病院でもよく用いられるそうですが、他にどんなのに効くかというと(この薬を効能で分けるのは実はあまり漢方的ではないのですが)、ストレス等による自律神経失調症(頭が痛いとか体がふわふわする感じがするとか)やら抑鬱症などにもよく効くそうです。・・・う~ん、ストレス性の神経症にも効いちゃうんですか・・・。

2001年10月9日火曜日

BSE騒動の余波

 狂牛病騒ぎが起こってから、日本各地の焼肉屋さんは大変なあおりを喰らい、閑古鳥が鳴きまくって仕方がないという話を耳にしました。そういや最近牛肉も随分安いそうです。肉牛農家の方はさぞかし大変なことでしょう。なにしろ狂牛病騒ぎ、あのテロ事件と並列して同じくらいの大きさで取り扱われていましたからね。そして吉野家もやはり同じく大変なようで、今日行って食べてきたのですがやはり結構空いていました。「当店では安全な輸入牛肉のみを使用してあります」との入り口の張紙もやや虚しさを漂わせるくらいの勢いがそこにはあったのですが、だがしかしこっちも元々吉野家が国産の松坂牛などを用いて牛丼を作っているなどとは夢にも思っていなかったため、「いや、いいよ今更国産の牛肉は使用してませんなんてことわらなくても」といった感じでした。まぁそこは敢えてつっこむところではないのでしょう。いや~、シュールですねぇ・・・。

ギター編曲に挑戦!- J.S.Bach BWV827

 今日は休みを利用してバッハのパルティータNo.3 BWV827 の『ファンタジア』をギター独奏に編曲しようと試みてみました。元はピアノの曲で、調性はAマイナーと私の最も得意とするキーであるわけですが、いかんせんそのままだと音域が全然ギターに合わず、まともじゃ編曲不能という状態でしたので困りました。ギターはピアノに比べると圧倒的に音域が狭いのが泣きどころです。それで色々試行錯誤してみた結果、どうやらキーを1音下げてGマイナーに設定してみると実は結構うまくいくということに気がつきました。Gマイナーというはフラット2つ、EとBにフラットが付くためギターでは1、2弦及び6弦の開放が封殺されるため、本来あまり相性のいい調性とは言えません。故にきよもモーツァルトのト短調シンフォニーを編曲するのに1音上げてAマイナーに持っていったりしたわけです。今回敢えてその逆をやろうというわけですが、実はギターでもGマイナーはまったく弾きにくいだけかと言えば案外そうでもなく、裏技に近い手法ではありますが6弦をD、5弦をGに下げてやればそれでもまだ1、2弦の開放は封殺されているものの結構弾きやすい形になるのですね。タルレガなんかも自作のト短調の曲(『タンゴ』ですね)でこの調弦を用いています。調性は違うもののバリオスの『森に夢見る』もこの調弦ですしね。まぁ案外無茶というわけでもないでしょう。どうにか編曲して弾いてみせましょう。

 まったくの余談ではありますが、今日ふとCDを聴いていてバリオスの『オラシオン』は結構いい曲だな、と思いました。

2001年10月7日日曜日

連休返上

 昨日突然夜九時過ぎに客先に駆り出され、ギリギリ日吉止めの終電で帰宅、今日も普通に出社して、帰ってきたのは11時半、そして明日も普通に出社・・・。一体三連休という言葉は何処にいったのでしょう?まぁ代休は取れるのでまだいいのですが。

 にしても一週間前に客先のテスト環境に入れた大型プロジェクト第一号機、さすがにすんなりいくとは思ってはいませんでしたがまさかこの土壇場に来てここまでバタバタするとは思いませんでした・・・。昨日からは平和になる予定だったのですが。まぁこれを機に可能な限りのリファクタリングを行っておけば後が楽になって早く帰れるようになるのは確かなので、「♪トラブルは素晴らしいチャンス」と何処かで聴いたような歌を歌いながらやっていきたいと思います。

2001年10月4日木曜日

余談

 まったくの余談ではありますが、私は昨日朝っぱらから血を抜かれてしまいました・・・。

2001年10月3日水曜日

好天

 今日は何だか恐ろしくいい天気で、昼飯で外に出た時など思わず日当たりのいいどっかの屋根に寝転んで昼寝などしてしまいたいくらいの勢いでした。そしてその勢いを会社まで持ち越して、キーボードを叩きながら少々うつらうつらとしてしまったのはご愛嬌。まぁたまにはそんな日もあります。

好天

 今日は何だか恐ろしくいい天気で、昼飯で外に出た時など思わず日当たりのいいどっかの屋根に寝転んで昼寝などしてしまいたいくらいの勢いでした。そしてその勢いを会社まで持ち越して、キーボードを叩きながら少々うつらうつらとしてしまったのはご愛嬌。まぁたまにはそんな日もあります。

2001年10月2日火曜日

ふと

 経済の動向というのは、どうにも決算というものに左右されるらしい。そしてその決算とは、とても怖いものなのであった。いや、別に何があったわけでもないのですが。どうせまだやめても潰れても退職金が出るわけではないので関係ないのです(?)。

2001年10月1日月曜日

初めての徹夜仕事

 とうとう限界バトルも行き着くところまで行っちゃった感じがありまして、私とうとう先日会社に泊まり込んで徹夜でガリガリとプログラムを書いていました。それもこれも金曜日に半年間かけたプロジェクトの納品があったため、その仕上げ作業(?)が鬼のように大変だったためです。そして徹夜明けに飲み会と、しかも二次会まで有無を言わさず参加で終電ギリの帰りという実に危険な週末を送ってきたわけですが、おかげでこの土日はかなり潰れてました。まぁとはいえこれでこの限界バトルにも一旦区切りが尽き、来週一杯くらいは余波で少々遅くはなるのでしょうが再来週以降しばらくは限界バトルから遠ざかって少しのんびりできそうです。目標は平日にギターが少し弾けるくらいの時間に帰ること。頑張ります!

2001年9月26日水曜日

必殺の定義

 「必ず殺す」と書いて必殺技だ。必殺技を名乗るからにはそれを繰り出した際は必ず相手を殺さなければならない。殺りそこなったその瞬間、必殺技はもはやただの「得意技」に成り下がるのだ。

2001年9月25日火曜日

休日の仕事

 さてさて、一週間近く日記の更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。先週はなかなかの限界バトルの応酬で、一週間夜11時前に会社を出ることがなかったという実にシュールな生活をしていたもので、家に帰ってから日記を更新する気力もあまりなくそのまま眠りについてしまうことが多かったというありさまです。まだ今週一杯が修羅なのですが、まぁまぁ気合入れていきたいと思います。

 世間は何やら三連休ということでお休みムードだったようですが、実は私は土曜と今日は会社に出ていました・・・。そして土曜の夜からきよが指揮のレッスンを受けに東京の方に出てきていて、土曜に会社を上がってから彼を我が家に迎え入れて久しぶりに酒など飲んで語らっていたわけです。いや、やはり大学時代の仲間というのはよいものですな。こっちに来てから普段クラシックギターの話をする相手もいないし、コンサ-ト以外で自分以外の人がギターを弾いているのを聴くこともなくなっていたわけなので、なかなかギターの話をしながらちょっと弾いてみたいのが楽しくてよろしかったです。まぁきよは某合奏組織の陰謀にやられ、全人格を否定されてしまったらしいのですが・・・。

 そしてこの三連休で得たささやかな収穫の一つは、「休みの日の会社は案外快適である」ということに気付いてしまったことです。私服で適当に行きたい時間に行けばいいんだし、普段我々新入りは電話番をしなければいけないのですが会社が休みの日はそもそも電話が鳴らないからその必要もない。そしてその必要がないから普通に堂々とPCでCDをかけながらヘッドフォン付けて仕事ができる!これだけで仕事の環境はかなり快適になるものだということがわかりました。私は昔から「本気で集中したい時はメタルに限る!」という確固たるポリシーのもと、浪人の受験勉強の時もずっとウォークマンでメタルを聴きながらやり、大学のレポ-トや雑誌の締切前などもひたすらメタルを聴きながら乗り切ってきた男です。やはりメタルがあった方が集中力の桁が違います。はかどることこの上なかったですね。疲れたらクラシックギターを聴くのもまたよしです。しかも元バンドマンのグループ長殿とやけに話も盛り上がりましたし。う~ん、普段から音楽聴きながら仕事したいなぁ・・・。

2001年9月19日水曜日

限界バトル

 限界バトル続行中。昨日も今日も隣の神社が祭りをやっている故に聞こえてくる祭囃子や、宮益坂を埋め尽くす屋台に目もくれず、夜部屋にもう2人かそこらしかいなくなる11時過ぎまで会社で闘ってました。ああ、早くもう少しゆったりした生活がしたい・・・。

2001年9月17日月曜日

2001年9月16日日曜日

ギター浸けの一日

 今日は何だか一日ギターな気分でした。いや、大体毎週土日はギターを弾いて過ごしているのですが、今日は久しぶりにギターに浸ったというか、そんな気がします。そして今も私の部屋では村治香織の『パストラル』がBGMとして流れていたりするのですね。個人的には村治香織のアルバムで一番好きなのはこれですね。結構周囲では評価の低いアルバムですが、私はこれが彼女の最高傑作だと言い切ります。でなけりゃ『カバティーナ』でしょうなぁ。でもこっちは皆いいって言うからつまらない(爆)。やっぱ『パストラル』でしょう。

 で、最近私がよく弾く曲としては、こちらに来てからずっと弾き続けているものの土日しか弾かないせいかまだイマイチ覚え切れてない(泣)『バーデンジャズ組曲』より『シンプリシタス』、懐かしの『ダンサ・ブラジレイラ』、そして何故かヨークの『フェアー』と、南米系の匂いで固められています。いや、フェアーはちょっと南米ではないけど・・・。ロドリーゴの『ファンダンゴ』や『パッサカリア』、バッハのリュート組曲4番プレリュードなんかも弾きたいんだけど時間がない・・・。せめて一時間でいいから毎日弾けたらと思う今日この頃です。バッハのね、パルティータ第3番(BWV827、ギターでバッハのパルティ-タと言えば無伴奏バイオリンパルティータを連想する人がほとんどだと思うが、それではなくピアノの方)もね、せめてファンタジアだけでも編曲して弾きたいんだけどなかなかそれも。一応譜面だけはネットでMIDI見付けて用意はしてあるのですが、独奏の編曲って難しいんですよねー。まぁ地道にやって行こうと思います。っていうかあの曲、ギター独奏でやろうとすると明らかに音域が・・・。

2001年9月15日土曜日

崩れゆくWTC

 さてさて今週も半ば無理な注文なプログラムをどうにか実現に持っていく作業で一杯一杯な私でしたが、日本で私が普通に仕事をやっている間に世界ではどうやらとんでもないことが起こってしまっていたようですね。アメリカはニューヨークでの大規模テロ、しかも旅客機をハイジャックした上でWorld Tarading Centerに神風特攻隊ヨロシクな特攻をしかけるという実に凄まじい事件です。しかし事件が起こった(日本時間)夜、私は会社から帰ってきて、そんな事件が起こっていることなどつゆ知らず疲れて普通に眠っていました。次の日渋谷に着いたら駅でなんか号外とか配ってんだもん。ビックリしましたよ。

 しかしまぁなんといいますか、基本的に私はナショナリズム的というかイデオロギー的なものはあまり好きではないのですね。集団主義的なものがあまり好きではないと言った方が正確でしょうか。ですのでテロ側についてもアメリカのやけに強気というか、まぁちょっとあれな言い分に対してもあまりコメントはつけないでおきます。ただ私には、少しの迷いもなくまっすぐに貿易センターのビルに飛行機が突っ込んでいき、一瞬ビルの裏に隠れたのかなと思った次の瞬間に中から爆炎が巻き上がるあの瞬間の映像、そしてまるで砂で作られた城が崩れていくかのように粉塵と化して上から雪崩のように建物が崩れて消えていくあの映像が、何か妙に暗示的なもののように思えました。すべては夢なんだよと、あるいはすべては夢だったんだよと、あの映像はそう語りかけてきているような気がしました。大きな、そして権威的であり象徴的でもある建物が一瞬で崩れ去る瞬間。はたして崩れていったものはその建物だけだったのでしょうか。それは、私達の世界も巻き込んで、一緒に何かを崩して持っていってしまったような気すらします。世界の情勢がどうとか言っているのではなく、もっと抽象的で象徴的で潜在的である何か。それも一緒に巻き込んで、あの大きなビルは崩れていったのではないでしょうか。また、世界は激しく動き始めるかも知れません。あるいはそうではないかもしれません。これから先、どういう方向に何が進んでいくのか、実に不透明なこの状況。さて、どうしたものなのでしょうか。

 しかしまったくの余談ではありますが、どうも私は小泉首相というのは元々あまり好きじゃありませんでしたが、今回の件で「好きじゃない」が本格的に「嫌い」になった気がします。あの男、言いっぷりはいいもののどうにもうさんくさい。日本に徴兵制度を作るとしたらヤツじゃないのかねぇ。レベルは違うものの、どうにもヒットラーくさい匂いがするのだよな・・・。

2001年9月12日水曜日

台風一過

 台風もどうやらある程度無事に過ぎ去り、今日の会社からの帰りは比較的平和でしたが、只今進行中のプロジェクトはあまり平和とは言えないようです(苦笑)。納期が着々と迫りくる中、やるべきことが一つ、また一つ・・・。プログラムとは恐ろしいものです。

2001年9月10日月曜日

Sometimes I feel l'm drifting far away...

 遠く、どこまでも遠く、遠く何処を目指そうか?そもそも目的地なんて、決めるべきことなのだろうか?今は何処へ進んでいるんだろう?明日は、何処にいるんだろう?遠く、ただどこまでも遠く。ここではない何処かを目指すのではなく。見据えた何処かを目指すのではなく。流されるように、流されないように、そう、遠くへ・・・

2001年9月9日日曜日

ドラえもん眼鏡

 人づてに聞いた話なのですが、どうやらこの世には『ドラえもん眼鏡』という実に熱い代物が存在するらしいですね。花火のおまけに付いてくるものらしいのですが、それをかけて花火を見ると飛び散る火花が全部ドラえもんの笑顔になって見えるというかなりトリップできる逸品らしいです。線香花火の儚げな火花に重なって映るドラえもん。かなりシュールです。しかもそれだけでなくこの眼鏡、暗闇に明かりという条件下なら問答無用で発動する代物らしく、例えば夜のマンションを見ればマンションに縦一列に並ぶドラえもんが、街灯を見れば道沿いに笑うドラえもんが、もうまるで幻覚のように見えてしまうそうです。夜の電車の明かり、笑いながら一瞬で過ぎ去っていくドラえもん。夜の道路、笑いながら近付いては去っていくドラえもん。・・・かなりシュールです。

2001年9月6日木曜日

仕事に追われて

 いやいや、最近は相変わらず相変わらずな毎日で、会社からの帰りが遅い故に家に着いてからあまり何かをやることもできず、仕事の事を日記に書いても微妙につまらんことから何となく日記の筆が進まない日々を送っております。いや、しんどいのは確かとはいえ仕事はそれなりに楽しくやらせてもらってるのでまだいいんですがね。だがしかし個人的にはもう少々音楽や文学のある文化水準の高い生活をしたいものだと最近痛感しています。あとコンビニ弁当の夕食もどうにかしたいのですが、これは私の性質上おそらく変わることはないのでしょう。我ながらやれやれです・・・。

2001年9月5日水曜日

無限ループ構文の哲学

 while( true ) {
  v.add( a );
  v.setSize( 0 );
  if( ??? ) { break;}
 }

 終わることのない無限ループ。いつかはここから抜け出せるのだろうか。見えないbreak条件は、一体いつループを終わらせるのだろうか。そしてその時輪の外に、一体何が待っているんだろうか。無限ループ構文の哲学。

2001年9月2日日曜日

タイタニック

 どうやら昨日今日とテレビではニ夜連続で『タイタニック』を放送していたらしいですね。昨日は放映している時間帯は見事に会社にいたので見る余地もありませんでしたが、今日はのんびりと家のテレビで見ていました。思えばタイタニックは大学2回の大晦日、新年にかけてのレイトショーに、両親と共に(爆)見にいっていたという・・・。その時も今回も思ったことなのですが、やはりいい味出してるのは最後沈む直前まで演奏を続けている楽団の4人ですよね。彼らが最後「ここまでだな」と言って散りかけた後に、また皆集まって曲を奏でるシーンがいいんですって。またその彼らが奏でる沈んだ曲調の旋律をバックにタイタニック号でのパニックやら決意やら絶望やらが映し出されていくのがカッコいい・・・!あの映画はそれに尽きますね。ディカプリオとかはどうでもいいんだって。ラブロマンスもどうでもいいんだって。やっぱあの映画は音楽家の最期のロマンでしょう。ちなみに船上ものの映画では『海の上のピアニスト』がかなりお気に入りです。あれはよい映画ですよ。

2001年9月1日土曜日

締めきれず

 一応今日で締めのはずのプロジェクト、やはり思っていた通り(?)完全に締めという段階にまでは至りませんでした。今日なんて皆11時過ぎまで残ってやってたのにねぇ・・・。まぁでも最近は私が作ったプログラムの評判がいいのでちょっとばかり嬉しいです。うん、やはり反応があるのはよいことですね。

2001年8月30日木曜日

所詮

 コンビニ弁当は、どこまでいっても所詮はコンビニ弁当である。

2001年8月29日水曜日

まだ遠い平穏

 今日はなかなかいい形で仕事を終わらせて帰ってきました。今月で締めになる予定の結構大きなプロジェクト、只今そのラストスパート真っ最中です。やらなならんことが多い多い。どうやら今月一杯は平穏という言葉とはまったく無縁な生活が続きそうです。

2001年8月28日火曜日

断章

 僕らは自分で自分の幸せを
 見捨てて歩いてきたの
 きっと、きっとこれでいいんだろうって
 愛は幻か夢は戯言かなど
 問うのも疲れた時に
 微睡みすらない程の深い眠りを・・・

2001年8月23日木曜日

台風とXML

 台風が来ました。今日は朝から渋谷に着いたとたんの大豪雨にやられ、皆傘をさしていても太股の辺りまでグショグショに濡れ、酷くブルーな気分で仕事が始まりました。しかもまた10時過ぎまで残ってXMLと格闘してたし・・・。XML君はかなり気難しいのが困りものです。

2001年8月20日月曜日

腐りかけの冷蔵庫

 冷蔵庫の中身を処分しました。ちょっと冷蔵庫の中身があまりにヤバイことになっていたので・・・。賞味期限切れのヨーグルトなどはまだ可愛いもので、生のものを切って保存しておいたはずが何故か切り干しダイコンに変化してしまっていたダイコンや、同じくドライフル-ツになっていたさくらんぼ、とどめは何か怪しい汁を出していたサラダと、ちょっとばかり、いやかなりデンジャラスな代物が冷蔵庫の中に障気を振りまいていたのです。私は手ぬぐいを口周りに巻いてマスク代わりにし、ビニ-ル袋を駆使してそれを処理しました。やはり何事も早目の処置は大切なようです。くわばらくわばら・・・。

2001年8月19日日曜日

浸食

 今、ウチのベランダは野生の植物の蔦に侵食されています。なんか一、ニヶ月前から少しずつ伸びてきていたのですが、まぁいいやと思ってほっておいたら随分伸びてしまって、気付いたらもう手のほどこしようがないくらいにまでなってしまいました。しかもその植物、ずっと「なんか見たことある形の葉っぱだなぁ」と思って見ていたのですが、なんと今朝方、見覚えのある白に赤の花を咲かせていました。そう、アサガオです。びっくりです。野生のアサガオですか。まぁそれはそれで夏の風情があって実によいのですが、やはり野生は元気がよく、昔鉢で育てていた時とは比べ物にならないくらい蔦も長けりゃ花もデカイ。洗濯物を干すのにちょっと弊害が出ていたりもします。・・・秋になって枯れるまで待って処理しようかなと思います。あ、種は少しもらっておこうかな?でも放っといても来年また同じところに生えてくる気もするしなぁ・・・。

 ちなみに私の家のベランダは今、アサガオの他にネコジャラシや正体不明の鈴蘭と藤の花を足して2で割ったような小さい白い花をたくさんつける植物など、実に色々な植物に侵食されています。いや~、自然ですねぇ・・・。

2001年8月18日土曜日

2001年8月17日金曜日

恐怖のどぐろ焼き

 二日前、8/14に私は久しぶりに高校時代の仲間と会ってきました。そして適度にボーリングなど堪能し、その足でいつものように飲み屋へ。そこでもいつものように普通に楽しんで終わるはずだったのですが、その飲み屋に入って早々に、そんな我らの平和願望を嘲笑うかのように事件は起きたのです・・・。

 飲み屋に入り、テーブルについた我々は、やはりまず最初にメニューを吟味することから始めました。そしてある程度固まったところで店員さんを呼び、「生中5つと、イカのげそ揚げに・・・」といった具合に順調に注文を進めていきます。そして私が「他に誰か何か頼む?」と声をかけた時、高校時代からの古の友人は店員さんに向かって言いました。

「あの~すいません、どぐろ焼きってなんですか?

 ・・・どぐろ焼き?一体何のことだか私にもわかりません。そんなん一体どこに書いてあった?と私がメニューの上に視線を走らせている時に冷静に店員さんは答えました。

「・・・ああ、のどぐろ焼きですね?

 一瞬の沈黙。後爆笑。そらそうだ。「どぐろ焼き」なんて意味不明です。そして私は発見しました。メニューに「新潟名産のどぐろ焼き」と書かれているのを。ああ、なるほど。彼は

「新潟名産/のどぐろ焼き」

 として見たのではなく、

「新潟名産の/どぐろ焼き」

 としてその項目を見たわけですね。そうか~、あの「の」は助詞だったんだねぇ・・・。まだ一滴も酒を飲んじゃいないのに、早くも酔っぱらいモードです。かくして我々はその「どぐろ焼き」ネタでしばらく盛り上がり、適度に酔ったところでちゃんと「どぐろ焼き」を注文し、楽しい酒を飲んできましたとさ。どっとはらい。

2001年8月14日火曜日

盆の入り

 今日は盆の入り。何だか久々にお墓参りに行ったような気がします。少なくとも去年、一昨年は行ってないはずなので、ざっと3年ぶりでしょうか。なんとお墓が新しくリニューアルされてました。そして立派に大きくなった墓石には何故かまだ死んでない祖父母の名前が・・・。予約、ってことでしょうか?謎は深まるばかりです。

 しかしまぁお盆の墓参りというのも日本の風物詩としては実はなかなかの物なのではとか思ってもみました。やっぱウチ田舎ですからね。結構どの家もそういうことしっかりやってるんで、行くとどのお墓にもちゃんと花や線香が捧げられてて、お坊さんがお経上げてて・・・。悪い世界ではないように思います。

2001年8月11日土曜日

帰省

 さてさて、予定通り無事新潟に帰ってきました。なんというか、やっぱこっちは田舎って感じがしますね。ひらけてないよ、まったく。ただし私はやはり生まれ育ったところがここなせいかどうなのか、やはり渋谷の雑踏よりはこちらの静けさに不便さの方が落ち着いたりします。これでインターネットがCATVの高速常時接続だったら文句はないんですけどねぇ・・・。ADSLもしばらくは来なそうだし、来たとしてもウチの親はそんなもん入れるつもりはまったくないに違いありません。何はともあれお盆にちゃんと帰れたことで、少しは私の親不孝度も下がったことでしょう(?)。いや、きっと・・・。

2001年8月10日金曜日

夏休み始まり

 やぁ、明日から15日まで会社が夏休みに入ります。丁度昨日にあった現在のプロジェクトの中締め的なイベントが終わり、どうにか気持ちよく休みに入っていけそうです。とはいえ毎日遅くまで残ってプログラムと格闘し、一つできたらすぐ次が、そうこうしている内にどこかでバグが、という実にハードな100m走のペースで10000メートルのような工程が続いたため、かなり疲れはピークに達している模様。とりあえず明日からちょっと実家に帰ってくるのですが、せいぜい体を休めてこようと思います。

2001年8月7日火曜日

言い訳

 社会人になってもやはり月曜とは嫌なもので、朝は起きるのがとても辛かったりするのですね。最近言葉が微妙に出てこないのを疲れているせいにして適当な更新の言い訳にする私でした。う~ん、そろそろスイッチ入れないとヤバイな・・・。

2001年8月4日土曜日

無題

今日の一言:『人は、どこへ行くのか・・・』

2001年8月2日木曜日

無題

 う~む、これは俗に「疲れた」というのだろうか・・・?

2001年8月1日水曜日

八つ当たり

 昨日は10時過ぎ、今日は11時過ぎまで普通に会社で仕事してました。只今私が参加しているプロジェクトはまさに土壇場、佳境、であります。マジな話我がグル-プの命運をかけたと言っても大袈裟ではないこのプロジェクト、はたして無事に終了させることができるのでしょうか?とはいえ今は忙しいながらもそこはかとなく手ごたえもあり、やってて結構楽しいのでそんなに苦ではなかったりします。苦なのは朝と帰りの満員電車でしょうか。畜生、なんで皆平日から酔っぱらってんだ、オイ、そこのサラリーマン!!!!!

2001年7月31日火曜日

2001年7月30日月曜日

グールド『バッハ全集』

 今日は通信販売で買ったCDが届きました。グレン・グールドが弾いたバッハのCDの全集12枚組です。品物を注文したのは私がまだ京都にいた1月下旬。実に半年もの月日が流れてやっとの到着ですが、まぁ注文した時点で既に品薄になっていて入手が難しくなっていた限定版だけに文句も言えますまい。ただし途中で住所が変わってその届けを出したのに、いざ品物が届いた段階で届け先が京都のままになっていたのでHMVのフルフィルメントセンターにクレームの電話をする羽目になったのは確かです。う~ん、やれやれ。

 グールドといえば、私が「ギター、ピアノ、バイオリン等の楽器を問わず史上最高の演奏家は誰か」と問われればまず挙げるであろうピアニスト。当然このCDが届くのは大変心待ちにしていたわけです。彼の超絶に正確な技巧と、常識的か否かにとらわれず自由に音楽を追求した上で計算しつくされた表現、そして明るい曲を弾いていても常に何処かに付きまとう内省的な響きは心ひかれるものがあります。ギターじゃいないなぁ、こういった演奏をしているのは。

2001年7月28日土曜日

残業と占い

 今日は会社居残り時間が過去最長、11時半まで仕事やってました。休憩時間抜いても13時間労働です。う~む・・・。

 まぁそれはそれとして、ちょいと面白いホームページを見つけました。その名も『運命.com』。実に色々な占いからIQ測定、EQ測定までありなかなか楽しませてもらえます。普通のタロット占いなどもあるのですが、とりあえず私が占ったのは『三国志占い』。占った人を三国志の武将に例えて表現してくれるという実にシュールな代物です。あまりに気になったので、ちょっと速攻やってみましたが、何と私は関羽雲長だそうです(笑)。以下にその結果の文章を転載してみます。

 あなたは関羽雲長(かんう・うんちょう)のような人です。あなたの才能は多岐に及び、商才もあり、他者を圧倒する実力もあり、髯も良く似合う。義理堅く頼りにもなる。かつ、少し頑固すぎる所はあるが友達は大切にする忠義の人。言うことなし。文句なし。そんなあなたは後世、永く語り継がれるような人です。呂布との一騎打ちは危険すぎるのでやめましょう。マイカーを持つようなことがあれば是非赤いフェラーリがお奨めです。そんなあなたの座右の銘は色即是空です。

 う~ん、髭、よく似合うか・・・?しかも「呂布との一騎打ちは危険すぎるのでやめましょう」って・・・。この占いはなかなか実にシュールな趣を醸し出していてよいです。ちなみに絶対音感鑑定とか凄まじいのもありますよ。色即是空。

2001年7月27日金曜日

ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』

 ここ数日、ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』が頭の中を回って回ってたまりません。もう仕事してる時とかでも容赦なく頭の中を回ってくれるので、ときたま口ずさんだり一人でのってみたりして隣の先輩に怪訝そうな視線を向けられたりしてます(苦笑)。何はともあれ『アゲハ蝶』はカッコいい曲です。あの微妙に民族音楽っぽさがなくもない旋律と、絶妙に跳ねていくリズムがたまりません。歌詞もなかなかカッコいいですしね。久々のJ-POP心のヒットです。彼らが『アポロ』でデビュ-した時はまさかこんな感じの曲を作るとは思わなかったものですが。『サウダージ』以降の彼らは熱いですね。なかなか最高です。

 余談ではありますが、『ポルノグラフィティ』という言葉で私がまず思い出すのは往年の名曲『More Than Words』を含むエクストリームの名盤『ポルノグラフィティ』。何か関係があるんでしょうかね?

♪旅人に尋ねてみた どこまで行くのかと いつになれば終えるのかと
  旅人は答えた 「終わりなどないさ 終わらせることはできるけど」♪

2001年7月26日木曜日

昼食後の集中豪雨

 昨日は高温にやられた東京の町ですが、今日は集中豪雨にやられました。私がいつものように昼食を取ろうと同僚と会社を出た時、微妙にやばいと思ったんですよ。少し雨がポツポツと降り始めていたんです。その時は「雨、降るのかなぁ・・・?」くらいに思っていたのですが・・・。

 東急のレストラン街で食事をし、「いや~、牛肉となすの辛味噌炒め美味しかったなぁ」くらいのノリで外に出てみたら・・・。渋谷駅から続くアーケードの出口のところで、何やら人が大勢たまっています。アーケードに入ってくるひとは皆びしょぬれです。雨そんなに降ってんのか?とか話しながら出口の方まで行くと・・・。降ってます。無茶苦茶降ってます。やばいくらい降ってます。雷も鳴ってます。最悪です。・・・結局会社に電話し、残っていた同僚に傘を持って迎えに来てもらいましたとさ。しかし傘をさしていても会社までの僅か五分の道のりで下半身は見事びしょぬれになってしまいました。やれやれです。

2001年7月25日水曜日

摂氏39度

 今日東京の気温は実に39度もの高温をマークしたらしいですね。どうりで朝から暑いし、昼飯を食いに出た時など「ここは真夏のまだ冷房の効いてない車の中か!?」と思う程暑かったわけです。といっても私は日中は冷房の効き過ぎた社内でひたすらガリガリとJAVAのコードを書いていればよかったわけで、そんなに死ぬ程の暑さというのは飯の時くらいしか味あわなかったわけですが、営業の皆さんはきっと大変だったことでしょう。そういや客先に打ち合わせに出てて帰ってきた先輩は汗だくになって今にも死にそうな顔してました。お疲れさまです・・・。

 そう、余談ではありますが、私は今でも通勤の際長袖シャツにスーツの上着をしっかり着込んで満員電車へと向かいます。暑いよ。

2001年7月22日日曜日

The Mosquito Battle -オマエハモウシネ-

 何だかこの三連休、ゆっくり休むつもりが何やら色々な障害に阻まれてそうもいかないという事態になってきております。昨日のカギといい今日のこのバトルといい・・・。そんなやれやれな事件を、今日の日記でお伝えしたいと思います。

 私は今日の夕方、ギターの弦を替えようとギターを取り出し、まずおもむろに現在張ってある弦を外しにかかりました。すると、周りの方で何やらプ~ンと音が回っています。そう、・・・蚊です。蚊のヤロウです。我が家はよくも悪くも自然に恵まれた谷間に位置しているので、そりゃあ蚊はたくさんいます。何を隠そうこれまでも部屋の中にいながらにして一日一箇所は刺されていたという始末ですから。まぁ逆に言えば蚊の一匹くらいいても当たり前な状況なので、私も最初は無視していました。が、弦を一本外した辺りでやけに右肘の辺りがかゆくなってきました。・・・ちくしょう、喰われたな・・・、と思いつつも、敢えて無視して次の弦を外しにかかったのですが、それを外し終わらない内に左足の裏、右足首、と次々かゆい場所は増えて行きます。そして左腕にチクリとした痛みを覚えた私は、すっとそちらの方を見ました。血を吸っている蚊がいます。その瞬間、私の中で何かが切れました。

パァン!

勢いよくひっぱたくも、蚊はその攻撃をかわし宙に逃げて行きます。ちっ、外したか・・・、と思っていると、今度は右足の親指に同様の痛みが・・・。見ると、今度は別の蚊が私の血を吸っています。二匹いやがったか、と思いながら手元にあった週刊誌を手に思い切り叩きつけます。・・・今度はやりました。蚊の亡骸は、力なく地面に横たわっています。・・・あと一匹。ギターの弦の交換を邪魔された私の怒りは止まりません。これを機にうざったい部屋の中の蚊を一掃してしまうことに決め、週刊誌を手に持ったまま蚊が来るのを待ちます。自分を餌にしたおとり猟です。もう何でもやったります。じっと待っていると、遠くの方から段々プ~ンという忌々しい音が近付いてくるのがわかります。・・・来たか。私は週刊誌を構え、蚊が愚かにも私の体ではなく壁に止まった瞬間を狙って叩き付けました。

パァン!

 ・・・やりました!壁には赤い鮮血をまき散らして蚊の残骸がこびりついています。これで当面私の視界に入っていた蚊は絶滅させたことになるのです。満足感の中、私は壁にこびりついた蚊の始末をしようとティッシュをとってきました。そこでふと気付いたのですが・・・、

 赤い鮮血・・・? それ、俺の血だよ、俺の!!!!!

 ・・・こんなに吸ってやがったのか、と思いながら、私はその蚊を始末しました。そしてさぁ弦を替えようと再びギターを手にし、古い弦を全部外し終わってギターの手入れをしている時に、またあの独特のチクリとした痛みが・・・。見ると、また新しい蚊が私の右腕に取りついて血を吸っています。もういちいち自らの手で叩き潰すのも疲れていた私は、その蚊を追い払った足で速攻薬局に行き、ブタさんの蚊取リキッドを購入して使いはじめましたとさ。それから蚊に悩まされることもなくなった私は、「効くもんだなぁ」と思いつつ『バ-デンジャズ組曲』と『天使の死』を弾き倒していたそうです。どっとはらい。

2001年7月21日土曜日

人生最大クラスのボケ

 今日はこの不祥ayum、人生最大クラスのボケをかましてしまいました。「いい加減疲れもたまってきていることだし、今日は一日怠惰に過ごそう」と昨日から心に決めていた私は、洗濯も掃除もせずただひたすらのんびりと本を読んだりギターを弾いたりして時を送っていました。そして昼飯を食べに行こうと思い部屋を出て、ついでに少々買い物などして帰ってきたのですが・・・。なんと家の前に着いた時点で自分が部屋のカギを持っていないことに気付きました。我が家はオートロックです。カギがなければそもそも建物の中にすら入れません。それまで通ってきた道を探し、ポケットを漁り、カバンをひっくり返して、それでもカギは出てきませんでした。仕方がないので隣に住んでる大屋さんに事情を話して開けてもらおうと思い、意を決して大屋さんの家のベルを鳴らします。・・・が、出てきません。もう一度押します。・・・やはり出てきません。な~んてこったい!どうにもならなくなった私は、結局管理会社に電話をかけ、一時間待った末に管理会社に出張してもらいカギを開けてもらいましたとさ。やれやれ、これまでの人生でカギを落としたことなんて一回もなかったのになぁ・・・。

 しかしそこの管理会社の人、入居手続きの時から色々とお世話になっている方なのですが、今日の件でも「本来なら出張費を請求するんですけど今日はいいです。気をつけてくださいね」と笑って帰って行きました。う~ん、いい人だ・・・。

2001年7月19日木曜日

飲み会は深夜まで

 昨日はシステムソリュ-ション部に中途で入って来た方の歓迎会。何故か平日から思っくそ飲み会モードでした。とはいえ私は今回幹事グループの金庫番をやっていたので、一次会はあまり飲むこともなく、「まぁ明日会社もあるしねぇ」って幹事で飄々としていたのですが・・・。

 私を知る人なら想像に難くないでしょうが、私がその本領を発揮し始めるのは二次会から。早くも「ayumワールド」と名付けられてしまったカラオケで、一部酔いまくってスパークしていた方を煽りつつ(笑)その本性を僅かながらもさらけだして来ました。が、カラオケも終わり11時半、さて帰るかと家の近い隣のグループのグループ長殿と電車に乗って武蔵小杉まで来ました。ここで一緒に来た第二グループ長殿とは別れるはずだったのですが、降り際に手招きをされ、にこやかに笑って「もう一件回れるか?」と誘われ、何と平日三次会という荒行に入ってしまいました。そして小杉在住のCELを誘い、三人で熱く語って次の日会社、平日の夜はふけていきました。家に辿り着いたのは二時半くらいでしたとさ。さすがに今日はちょいとしんどかったですが、でもまぁ楽しかったし誘いを受けるのも嬉しいことですのでよしとしましょう。

2001年7月16日月曜日

低音の輪廻

 何故シャコンヌやパッサカリアといった低音主題型の変奏曲は、こんなにも私の心を揺さぶるのでしょう。三回生の独重で弾いたヴァイスのシャコンヌ、シノさんが弾いた同じくヴァイスのパッサカリア、ロドリーゴのパッサカリア、バッハのシャコンヌ、そして最近ハマっているヴィターリのシャコンヌ・・・。これらの曲はどういうわけか私の心をグイグイ引き込んでいく、どうしようもない引力のようなものを持っています。シャコンヌもパッサカリアも、同じ低音の主題が一曲を通して繰り返され(途中転調するものもあるが)、その上で変奏が展開されていきます。執拗に繰り返される低音主題、シャコンヌやパッサカリアが持つその形式が、私にとって何か示唆的なものを感じさせるのかも知れません。何度でも何度でも、曲が終わらない限りは執拗に繰り返される低音の主題。どんなに上の変奏部分が形を変えて展開されても、その下でいつまでも同じ旋律が響き続けるこれらの曲が示唆するものは、一体何なんでしょうか。

 歴史は繰り返す。たとえ周りのすべてが変わっても。執拗に繰り返される低音が象徴するものは・・・。そう、すべては因果の流れの中に。

2001年7月14日土曜日

仕事場雑景

 今日は何だか久しぶりに集中して一日JAVAと格闘できました。いや~、なんか最近風邪のせいか集中力がイマイチでねぇ・・・。まぁまぁでも今日は色々と細かいところでハマりながらも(注:『ハマる』;我がグループの用語で、プログラムを書いていて機能の実現の方法がわからなかったりバグの原因がわからなかったりしてずっと同じ箇所にじたばた踏み止まるような状態をさす)、どうにか会社を去るギリギリ夜9時半過ぎに最後のバグを解決し、結合テストを行った上で「いや~、今日は仕事したよ」という気分になって帰ってきましたとさ。

 しかし最近我がグループでは風邪が流行っています。そもそもは私があやしい咳をし始めたのがきっかけですが、今ではグループ長殿含めグル-プ員の半数が実にあやしい咳をしながら仕事をしています。私がグループに風邪を広めたという噂もあり、密かにか明らかにか「ayumに伝染された」と吹聴しているお方もいるようですが(苦笑)、いやいや夏風邪はつらいですからね。私も快方には向かっているものの、まだまだ咳が取れてくれないのです。皆さんも外と中の気温差及び冷房のかけ過ぎには注意しましょう。

2001年7月12日木曜日

頭の中で回る曲達

 皆さんは頭の中である特定の曲の特定のフレーズだけがエンドレスに流れ続けるという症状に悩まされたことはおありでしょうか。私はあります。っていうかむしろよく。今も私の頭の中では、何故か何の脈絡もなくブルーハーツの『シャララ』の出だしが回り続けています。たまりません。

♪ 大変だ~真実が~イカサマ~と~手を組んだ~
  誰か僕に約束の~守りか~た~教えてよ~ ♪

 いや、何でもいいんだけどさぁ・・・。ちなみに私の頭の中ではいくつか回りやすい曲というものがあります。その中の一つが川本真琴(漢字不詳)の『D・N・A』。

♪ グルグル回ってる、回ってる

 ・・・って、オマエの歌がわしの頭の中で回っとんじゃい!と思わず叫び声を上げてみたくなったり。あるいは中谷美紀の『MIND CIRCUS』もやばいです。

♪ 悲しい世界を~浄めるように、街角でわ~らあって~
  君の誇りをけ~がすものから君を守るか~ら~ ♪

 ・・・守ってくれるならまず俺の頭の中を浄めてオマエの歌止めてくれよ(嘆願)、とか思ってみたり。まぁまぁしかしこれらの歌に負けず劣らず私の頭の中を回ってくれる曲はまだあります。よくジャスコなんかの鮮魚市場に行くと流れている名称不明の魚の歌。誰かこの歌の曲名知ってる人がいたら教えてください。

♪ さかなさかなさかな~~~
  さかな~を~食べ~ると~~~
  あたまあたまあたま~~~
  あたま~が~よく~なる~~~ ♪

 ・・・ホントか、オイ!?

2001年7月11日水曜日

2001年7月10日火曜日

青汁

 青汁です。我が社の隣には、『青汁友の会』を名乗る微妙にうさんくさい店が厳かに鎮座しています。そして、私もいつか体調が本気でヤバイ時はお世話になってみようと密かに心に決めていたのですが、その日がとうとうやってきました。

 今日の夜八時くらい、私はいつものようにコンピュータに向かい、一日の仕上げをしようとガシガシとJAVAのコードを書いていました。すると、何やら後ろの方で先輩達が盛り上がっています。何だろうと思ってみてみると、グル-プ長殿が笑いながら部屋の外に出て行きます。彼は私と目が合って曰く、「いや~、青汁こぼしちゃったよ」。その時私は一瞬自分の耳を疑いました。「え?青汁!?」 見ると、確かに某先輩の手の中には青汁が。ラベルも何もついてないサラの500mlペットボトルの中に入った青汁があります。「ayum君も体にいいから飲んでみたら?風邪治るかもよ?」とグループ長殿は笑って言います。そして元来ゲテモノに強い私は、青汁も確かに悪くないかもなと挑戦を決意したのです。

 青汁。それはドロドロしています。まるでアオコが発生して腐りかけた水のようにドロドロしています。その極限まで密度が高められた緑色は、何かしら自然界に存在するものとしては不自然なくらいのヤバさに満ちています。私はまず匂いを嗅いでみました。先輩は匂いを嗅ぐと飲めなくなるからやめた方がいいと言うのですが、幸か不幸か極度の鼻づまりに苦しんでいた私にはその殺人的とも噂されるアオコの臭気にはあてられずに済みました。そして一口。・・・ん?案外こんなものかという感じです。そして普通に飲んでいる私を見て、グル-プ長殿は「案外いけるじゃん、って顔してるな」と仰ります。うん、確かに匂いがわからなければ普通の野菜ジュース(ただしやはりかなり濃い)程度のノリで飲めるのです。そして私はこの風邪を早期に完治させるため、明日は自ら500mlの青汁を購入してきて一気に飲み干そうと心に決めたのでした。何しろ今日会社を風邪で休んだ先輩は、私に風邪を移されたと吹聴していたそうですしね(爆)。そうそう、ちなみに私の後に飲んだ同僚は、もうこの世のものとは思えないくらいの壮絶な表情を醸してくれましたとさ。

2001年7月5日木曜日

夏場に冬布団

 ん~、なんか喉が痛いですねぇ。クーラーのかけ過ぎでしょうか。職場なんてかなり容赦なくクーラーかかってますからね。最近は寝る時もクーラータイマーにして寝ることが多いですし・・・。まぁ寝る時クーラーつける前にまずいい加減冬用の暑苦しい布団で寝るのやめろというツッコミも聞こえてきそうですがそこはそこ。だってしまう場所ないんだもの・・・。俺だってできることなら薄いタオルケット一枚で寝たいよ!

2001年7月4日水曜日

過去の新人の中で一番タスクを抱えた男

 いよいよもって異常な程タスクがたまってまいりました。昨日辺りから先輩はおろかグループ長殿まで私が「グループで1、2を争う忙しさ」だと認めてしまっています。どうやら名実ともに「過去の新人の中で一番タスクを抱えた男」としての道を突き進みつつあるようです(苦笑)。だって今日なんて我がグループの命運をかけた(?)プロジェクトのミーティングがあり、私もそのプロジェクトには加わることになっているのですが、ミ-ティングの最後グループ長殿が皆に「君はあれやって、君はこれやって・・・」と仕事を割り振っていた時に、何故か私だけ「ayum君は今忙しいからね。とりあえずそっちの仕事を早く終わらせて」と、一人役割分担をされずに終わるというシュールな場面もあった程です。そもそも細かい案件がたくさんたまっているのが原因なのですよ。ひとつ終わったと思ったらその終わったと思っていたところから新しい案件が出たり、一ヶ月半くらい完全に凍結していた案件が突然動き出したり・・・。まぁまぁ仕事があるのはよいことですが、早くあのプロジェクトに参加したいんですよねー・・・。今週一杯が勝負です。意地で現在抱えてる3つの案件に目処をつけてみせましょう!

2001年7月3日火曜日

バッハ

 やはりバッハはよいですな。最近微妙にバッハが弾きたい気分です。そもそも私のクラシック音楽の原点は幼い頃親に子守歌として聴かされた『ゴールドベルク変奏曲』にあるわけですが、学生の頃は何故かその『ゴールドベルク変奏曲』はおろかバッハ自体あまり弾かなかったのです。『主よひとの望みの喜びよ』に
『ブーレ(前半戦のみ)』。チェロ組曲4番の『ジーグ』、最初の2ページだけリュート4番の『プレリュード』、中途半端に覚えた無伴奏バイオリンパルティータ1番の『サラバンド』、とそのくらいですか。冷静に考えればまともに完成させたのは2曲しかない(苦笑)。しかもその内の一つ『ジーグ』は私の本番演奏ワースト3に入る素晴らしい出来でしたし・・・。バッハ難しいし覚えにくいし、覚えてから曲にするのが大変だしで、いつも途中で挫折するんですよね。バッハはやはりいつでも私の好きな作曲家であるだけに思い入れも強く、小手先だけで弾いてハイ、お終い、ってやってしまいたくないというのもあり・・・。でもまぁとにかく最近バッハが弾きたいのです。『サラバンド』もいいし、『ガボット~ロンド(リュート4番のいわゆる『ロンド風ガボット』ではなく)もいい。『シャコンヌ』は、・・・いいけどいい(爆)。もう少し弾ける時間があったらいいのにね。

2001年7月2日月曜日

思い出の『ラーメンひら乃』

 只今一人グールドの奏でるバッハを聴きながらビールを飲んでまったりとした時間を過ごすという正しい日曜日の社会人(?)をしているayumです。今日は無茶苦茶暑かったわけですが、その30度をいくらか超えているであろう猛暑の中、私は鎌倉まで繰り出してきました。鎌倉に行ったのは中学の時の修学旅行以来ですが、あの時ガイドブックで見つけて当時の仲間4人で並んで食べてきた『ラーメンひら乃』はまだ当時の姿のままで残っていて、微妙に私をノスタルジックな気分にさせてくれました(?)。しかし中学の頃っていうと、もう10年近く経ってるわけですからねぇ。一つの店が消えていても何もおかしくないくらいの時間ですが、その『ラーメンひら乃』は残っていたのです。いや~、懐かしいですねぇ。・・・と、随分熱く語っていますが、今日は私はそこのラ-メンを食べてはきませんでした(爆)。いや、だってあんなクソ暑い中ラーメンってのもちょっとねぇ・・・。まぁ鎌倉へは千葉へ行くよりは近いということがわかったので、いずれ懐かしのラーメンを食べたくなったらその時また鎌倉に行きますよ。

2001年6月30日土曜日

初納品物初稼働

 今日は私の初仕事のいよいよ本番稼動です。とある企業の会計システムの機能追加及びバグ修正という小さな仕事ではありましたが、本番環境にシステムを入れて動作確認をする時にはやはり相当緊張しましたね。昨日の段階でテスト環境ではバグも出ず順調に動いているとのことでしたので、まぁある程度大丈夫だろうとは思っていたのですが・・・。ですがその一仕事終えた充実感に浸る間もなく、その仕事が終わったら会社に戻らず直で例の千葉のバグの嵐の戦場(もうかなり落ち着いてきて半分様子見の段階には入っていますが)へ踵を返し、客先はしごで今日の仕事は過ぎて行ったのでした。まぁ今日の段階でバグもほとんどなくなり、後はもう様子見で人もそんなにいらないということで、私は今日を最後に千葉の某社さんに行くことはなくなるとのことでしたので、最後ちょっと気合入れてやってきましたよ。これで最後となるとあそこの妙にお洒落なオフィスも名残惜しいものです。といってもまぁそんなに感慨深いほどのもんじゃありませんが。しかし今日の帰り際、神様が微妙に喜んでいいのかどうなのかわからないメールを私に見せてくれました。神様は会社のメールもプライベートの携帯に転送している仕事の鬼なのですが、その神様が受け取って私に見せたメールは、今日午前中に本番環境にシステムを入れてきたばかりの池袋の某社さんからのものでした。しかしてその内容は・・・、「この度はありがとうございました。つきましては次の機能追加の件について打ち合わせをしたいので・・・」という実に熱い代物。今日新しいシステム入れたばっかりなのにもう次の機能追加の仕事ですか!? って感じですね。こうしてタスクは増えていくのでしょう・・・。

2001年6月29日金曜日

湘南飲料

 私が住んでいる横浜市港北区日吉。この辺に最近絶妙にあやしい飲み物が出回っています。その名も『湘南飲料』。最初見た時は何かと思いました。一昔前の海のイメージを象徴するような、ベッタベタな青で塗られた海のラベルに『湘南純愛組』よろしくな字体で『湘南飲料』と書かれているのです。しかもどうやら湘南地区のサークルK限定発売という微妙にレアな代物らしいのです。これは一体何なんでしょう?好奇心にかられた私は思わず買ってしまいました。飲み口としては普通のスポーツドリンクのようなのですが、「ライチの爽やかな風味にローヤルゼリーをミックスした」という謳い文句を反映してかしないでか、何やら微妙にひと味違うのです。懐かしのキリン『ポストウォーター』に近い、爽やかながらもまったりと舌に残る風味があります。あれは一体何なんでしょう?しかも何故『湘南飲料』などという男臭いネーミングなのでしょう?謎は深まるばかりです・・・。

2001年6月27日水曜日

久しぶりの自社

 今日は何だか久しぶりに会社に行ってきたような気がします。というのも、木曜日の午後にグループ長殿の「悪いんだけどこれから一緒に千葉まで行ってくれるかな?」という言葉を皮切りに、私の朝六時起床、千葉まで直行、夜10時に客先を出て、ギリギリ午前様になるかならないかの時間に帰宅というシュールな生活が始まったからです。ウチのグループが担当していたプロジェクトで、グループ長殿をして「10年間この仕事やってるけどこんなに酷いのは初めてだよ」と言わしめたバグ対応の戦場に駆り出されたのです。いやいや、あれは最初は本当に凄かったですよ。あの場にいたウチの人間は皆青ざめてましたから。そして元々このプロジェクトに関係のない人員まで多数かり出され、最終的に一時期我がグループの90%の人員が投入されるという大騒ぎに・・・!凄まじい話です。そして明日はまた千葉まで直行です。きっとまた午前様ギリギリの時間まで帰って来れないことでしょう。まぁバグ自体は数も質も大分収束して落ち着いてきたのですが、何しろお客さんかなり切れてはるので、しばらくは無償の常駐サービスが続きそうです。

2001年6月23日土曜日

in trouble

 昨日の午後から千葉にあるお客様のところにいき、ひたすら無償の常駐サービスに徹していました。や~ばい、あれは・・・。詳しいことはもっと元気な時に書きますが、昨日も今日も家に着いたのは12時前、今日も明日も朝起きるのは六時で千葉まで直行です。ははは・・・。

2001年6月21日木曜日

初仕事納品

 今日の初仕事納品は、現場に行ってから一部私が仕様を勘違いして作っていたことが判明し、多少客先でドタバタしてしまいましたが、基本的な作りは問題なく細かい条件分岐を作り過ぎたというだけのことでしたので、神様がその場でちょいちょいとコードを修正してくれてどうにかことなきを得、無事に会社に帰ることができました。いや~、自分の作ったプログラムの動作検証っていうのは実に緊張するものですね。

2001年6月20日水曜日

初納品前夜

 さてさて、明日は私の初仕事の客先でのテスト環境への導入です。ハッキリ言って相当ヤバイです(爆)。いや、私の今回の仕事は以前に神様と呼ばれる先輩が作ったシステムのバグ修正及び機能追加なわけですが、仕様の問題で少しもめて、バグを直したら思わぬところで新たなバグが発見され・・・、となかなか荒れ模様の開発をすることを余儀なくされたわけですね。で、今日もそのデバッグに追われ、会社を出たのは十時半過ぎだったわけですが、まぁそんなことは小さいことです。それよりもっと重大なことは、私以外誰も完成したソースがどうなっているのかを知らないということです(爆)。いや、神様は昨日今日と新たにシステムを納品したお客のところが何やら凄いことになっているらしく、客先に直行直帰で二日間会社に姿を見せず、当然この二日間私が作ったソースがどうなっているのかなど知りませんし、今回のプロジェクトを補佐的に見守るグループ長殿も、「ああ、そこでつっかえてるのか。ならこうしてこういう処理で問題ないはずだよ」と説明は丁寧にしてくれるのですが、その説明を聞いて私が作ったソースの完成形を見てはいません。初仕事だぞ、オイ!? そこまでほったらかしといて大丈夫なのかよ!? かなり初仕事の新人らしからぬ扱いを受けてます。しかも!なんとシステムの都合上により一部社内でのテスト環境が作れず、動作検証すらまともにしないで納品する部分があります。それでも完成形見てくれないのか!? って感じで実にデンジャラスです。ここまで新人らしからぬ扱いを受けるともはや「俺ってもしかして大物扱い?」とか割切って笑うしかありません(爆)。しかも神様はまだしばらく別の客先に入り浸りの生活が続きそうなので、今回のプロジェクトの電話対応からバグ対応までほとんど私が実質上の窓口となるわけです。やー、俺って大物だねぇ・・・(諦)。グループ長殿は「もしかしたら過去の新人で一番タスク抱えてるかもしれないなぁ」と笑って仰ってました(ちなみにこの仕事の他にも結構仕事が残っている)。

 明日私が普通に客先から帰って来れるのか、あるいは客先でバグ対応に追われNo Returnとなるのか、はたまた動かしたとたん致命的なバグが発現しForever No Returnとなるのか、まだ誰にもわかりません・・・。

2001年6月19日火曜日

Feel H"

 そうそう、事後報告になりますが、PHSを持ち替えました。が、番号もメールも変更はないので大丈夫です。これまで通りで普通につながります。いよいよ私のPHSもFeel H"。I mode他携帯電話全盛のご時世に、敢えてPHSで挑みます。でもI modeやらJ skyなんかよりメモリー容量多いから、多少重いWebサイトとかでも見れるんですよ。J Phoneでは重すぎて見えない(はずの)ウチのBBSもちゃんと見えます。しかし最近のPHSや携帯は、多機能なのは結構なのですがその分操作が煩雑になってますね。前のの方がワンタッチでメール送れて便利と言えば便利だったような気もします。

2001年6月18日月曜日

無題

 今日の一言:『平穏が訪れるのは、まだずっと先のことなんだよ・・・』

2001年6月17日日曜日

破滅に向かって

 世界が破滅に向かっているのと同様(?)、私の体も順調に破滅に向かっているようです。う~ん、もっと心身ともにゆっくり休みたいぞ・・・。っていうか、この右手の痛み及び違和感は何なんだ!? これじゃギターも弾けやしない。最悪です。

2001年6月14日木曜日

残業新記録

 今日は会社最長居残り記録を達成、9時40分です。まぁまぁまだまだ平和なもので、先輩には「いつもの面子に新人二人が残ったね。11時過ぎまで付き合ってく?」とか笑って言われましたが、それは少々遠慮して帰ってきました(笑)。まぁ同期の新人でも違う部署の人は既に普通に10時過ぎとか遅いと11時まで会社に残って仕事してる人いますからねぇ・・・。

 今日は先のASPの仕事を昨日今日で無理矢理終わらせ、7時から8時50分くらいまであった勉強会が終わってから修正で出たバグを速攻修正し、先輩に動作確認をお願いして帰ってきました。こうして少しずつ帰りが遅くなっていくのですね・・・。

2001年6月12日火曜日

初の客先訪問

 今日はとうとう初の客先訪問をしてきました。グループ長殿と"神様"と呼ばれる先輩(自他ともに認める「召されてる」お方)の同行の下、打ち合わせ自体は彼らが全部やって私はひたすら議事録を取るだけでしたので、まぁそれほど緊張するとかいうこともなかったのですが、微妙になんとなく嬉しかったですね。やっぱ他の同期の人間が結構早くから客先に出てるのにねぇ・・・、ってのがありましたから。今回の仕事はASP。コーディングは七割を私が受け持って、一部の設計とレイアウトを神様がやってくれます。そんなに大きな仕事でも難しい仕事でもないのですが、納期がなんと19日!一週間ちょいで普通に動くプログラム組めっちゅーんかい!? ってなもんで、ペースとしてはかなり大変そうです。まぁ気合入れていきましょう。

今日のビックリ:『め、目の前をタヌキが普通に歩き去って行った!!!』

2001年6月11日月曜日

2001年度BKC独重所感

 さてさて、昨日今日と突然の京都襲撃をかけていました。主目的はBKCクラギタの独重奏会。前日夜に「・・・冷静に考えれば明日って土曜だよな。・・・行けるじゃん」と思い、急遽土曜の午前中に洗濯やら何やらの最低限の雑務をすまし、新幹線に飛び乗り一路草津アミカへと向かったわけです。いや~、どうせ腱鞘炎で手ぇ痛くてギターもあんまり弾けないし、それなら後輩の演奏会を観に行こうという実に冷静な(?)判断の下です。

 さてさて、遠奏会の方、やはり彼らはなかなか楽しませてくれました。基本的に今年のBKCは演奏レベルの高い世代のなので、皆技術的な不安はほとんど感じさせずに安心して聴かせてもらいました。が、その反面やや気になったのが技術に頼り過ぎなこと。なんというか、"譜面通りミスなく弾けて、強弱や音色の変化もそつなく付ければそれで完成"みたいな弾き方をしている人がほとんどだったような気がしたのが少々残念です。本来演奏に出るはずの個人個人のセンスがあまり感じられない、・・・というとちと辛く書き過ぎのような気もしますが。もっと自分が選んだ曲に対する思い入れみたいのを感じさせてほしかったです。その意味でなかなかよかったなぁと思うのはぶ~れ殿(確かこのHNでよかったと思うが)。あの『愛のワルツ』は、技術的にはまぁまだ2回生らしい粗さは多々残っているものの、雰囲気の伝わってくる演奏でなかなかよかったですね。あとはF技殿。フラメンコのコンパス感やら何やら深いところは私はわかりませんが、彼の音楽センスには脱帽です。無茶苦茶うまくなってました。彼の今後のさらなる成長には期待大です。

 しかし皆さんしっかり成長していたのには正直ビックリです。もう技術的な部分は私なんて問題でないくらいのレベルにまで達してますね。特にCの皆さんは平均的に技術レベルが非常に高い。まぁまぁあとは如何に技術だけを頼りにせずに、自分の感性を活かして音楽を奏でていくことができるかというところでしょう。"自分の感性を活かして"というのは決して"ひとりよがり"ではないところに注意です。いや~、うらやましいですね、皆さん未来があって成長してて。私なんてここ二週間程両手の腱鞘炎のせいでまともにギターを弾くことすらできてないというのに・・・。まぁ愚痴っても仕方のないことですが(苦笑)。

 そしてせっかく京都へ行ったので、懐かしの我が家"クレージー西ノ京"近辺をしばし散策し(道路が広くなって、となりにあった工場みたいのがなくなってた)、帰りの新幹線までの時間潰しに東寺でハトに餌をやり、心の疲れを癒して(?)日吉に帰ってきました。いや、東寺のハト、手からマメ食べるんですよ。しかも立ってマメ持ってるとバタバタバタッとはばたいてきて、手に乗ってマメ食いやがるんですよ。おかげで楽しかったですけど半袖を着ていた私の腕は、ハトクローに見事にやられミミズ腫れだらけになりましたとさ・・・。

 さて、独重に出た演奏者やスタッフの皆さん、お疲れさまでした。ちょいとばかり辛いことも書きましたが、レベルの高いいい演奏会でしたよ。楽しませてもらいました。衣笠の皆さん、BKCに負けないよう頑張ってください。金曜日だといよいよもって私は行けませんが、あやしいオーラを横浜から送って応援してます。・・・え、そんな応援いらない?

2001年6月8日金曜日

業界用語(?)辞典

 やはりどの世界にも業界用語(?)というのはあるもので、日常生活の中でもちょっと普通の世界じゃ使わんような言い回しが出てきたりします。今日はその素晴らしくもマニアックな業界用語の世界を皆さんに紹介いたしましょう。








タスクがたまるタスクとはコンピュータの用語ですが、まぁ日常用語に直すなら「仕事」でしょうか。CPUが処理している(あるいはしなければならない)仕事のことです。で、それを我々は日常に転用し、仕事がたまってえらい忙しい状態のことを「タスクがたまる」と普通に言います
用例:「某社さん、なかなか返事くれないねぇ。向こうもタスクがたまっていそがしいんだろうけど・・・。」
おちるこれはコンピュータが処理に耐えきれずにフリーズして動かなくなったりした場合に用いる「おちる」という言葉の応用です。あまりの眠さに耐えきれず、仕事中などに思わず眠ってしまった場合のことを指して我々は「おちる」と言います
用例:「やっべぇ、今日客先でおちちゃったよ!」
Aボーイ実に謎の多い言葉です。我が社でもシステムソリューション第二、第三グループでしか通用しないという悪名名高い通り名ですが、「Aボーイ」の"A"とは秋葉原のこと。週末になるとは秋葉原へ行き、一日中色々な店を回って秋葉原を堪能する人のことをさして言います
用例:「(金曜日に)さ~て、明日秋葉原に行ってくるかな」

「またか。さすがAボーイ」


 ・・・とまぁ、ざっとこんな感じで、微妙に外界から隔絶された言語体系を構築しつつ我々は日々の仕事をこなしているわけです。SE達よ、永遠なれ!

2001年6月7日木曜日

光陰矢の如し

 最近時間が過ぎるのがえらい早く感じるような気がします。朝会社のPCの前に座って、ガリガリとJAVAのコードを書いて、気付いたらもう夕方、って感じの生活です。とはいえ今日はまだ順調だったからいいのですが、うまくいかないときなんかは一日が恐ろしく長く感じたりもします。でも結局気付いたら一週間が終わってる、っていう感じなのですね。まぁ今日はまだ水曜日ですが、冷静に考えればこれで一週間の仕事の半分が終わったわけです。そう考えるとやっぱり早いなぁ・・・。先週末よりは幾分よくなったものの、両手の腱鞘炎は相変わらず微妙にやばく、変なキーボードの打ち方したりするとビビビッと手に電気が走ってくれるわけですが、それでもやっぱり何か時間の流れが早いです(って、どういう文脈だ!?)。思えば研修中は時間の流れが妙に遅くて、「研修いつ終わるのかなぁ」くらいに思っていたものですが、気がつけばもう六月ですからねぇ。そらBKC独重まであと一週間も切るわな。

2001年6月4日月曜日

アンニュイな午後

 とてもよく晴れて気持ちのいい日曜日。洗濯日和です。先週と違い今回は水を大漏出させることもなく忠実に洗濯機君は回ってくれ、よく晴れた昼下がりに本を読みながらブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを聴いてアンニュイな午後を過ごしていました。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブいいですよ~。ライ・クーダーが参加した、キューバのソン(民謡のようなものですかな?)の世界の堪能できるグループです。キューバン・サンバという場合もあります。微妙にボサノヴァっぽい曲調とリズムですが、もうちょっと陽気ながらもけだるいです(どんなんだ?)。キューバというとまず連想する音楽家はブローウェルですが(って、俺だけか?)、まぁそれとは全然違うながらも、でもやっぱりブローウェルの曲の和声にはキューバのソンの響きがちょっと感じられたりするのですね。ああ、キューバに行きたい・・・。ブエノスアイレスかドイツでも可。

2001年6月3日日曜日

ギター演奏法の原理 - 独自の解釈も含めて

 腱鞘炎です。結構ヤバイです。原因は明らかにキーボードのタイピングですが、ギターの時のより酷いかもしれません。過去に一回左手の腱鞘炎で三ヶ月見事にギターが弾けなかったことがありますが、その時程ではないにせよ今回は両手が一気にやられているという点で凄惨なものがあります。昨晩は右手の手首から肘にかけての痛みでなかなか寝つけず、バンテリンで右手を漬けるような感じで眠りにつきました・・・。

 そして今日もせっかくの休日なのにそんな状態ではギターなど当然弾けるわけもなく、でもせめてギターに浸った気分になりたいということで先週に引き続きまたも現代ギター社に繰り出してきました。いや、渋谷まで定期で出れば池袋まで160円で行けますしね。時間は一時間ちょいかかるけど。で、CDデビッド・ラッセルの『バロック作品集』と『羽衣伝説』の譜面、新型の弱音機にA.カルレバーロ著高田元太郎訳『ギター演奏法の原理』という本を買ってきました。どうやら私もショッピングでストレス解消をはかれるようです(笑)。

 で、今日買ってきた『ギター演奏法の原理』という本ですが、これは演奏者、作曲・編曲者として、そしてそれ以上に指導者として有名なギタリストA.カルレバーロがギターの構え方から右手・左手の押弦、弾弦の基本といったいわゆる演奏理論をまとめたもので、その名は(特に海外で)有名でも意外にそれに関する著書が少なく謎の多かった『カルレバーロ奏法』を本人が懇切丁寧に解説するというありがたい書物です。今日はちょっとその検証をしてみたいと思います。

 まず、まだ私は『ギター演奏法の原理』を全部は読んでいないということを断わっておきます。まぁJAVA Servlet & JSPの本なんかに比べればはるかに読みやすいので、興味があれば皆さんも買って読んでみることをお薦めします。で、とかく中身が謎のまま名前が先立って有名になってきた感のあるカルレバーロ奏法ですが、その基本原理は「いかに手に余計な力を入れず、負担をかけず効率的にギターを弾くか」ということに集約されます。その目指すところは藤井先生と同じなのですが、実はその理想の実現方法は構え方の時点でかなり異なります。細かいところはまぁ本を買って読んでいただければいいのですが、端的に言えばギターを構える基準点を、藤井先生は左手に置き、カルレバーロ奏法では右手に置きます。その結果、藤井先生はネックを左手の自然な稼動範囲の直線に置くことでネックが体の方により、カルレバーロ奏法では肩を自然に平行状態に保ち、なおかつ右手に変な負荷をかけずに指が弦に届くようにするためにギターを体に対して斜めに構え、ネックが体の前に出るような形になります。どちらが正しいというものでもないでしょう。藤井先生の構え方では右肩がどうしても前に出てきて(実際先週の藤井先生を見ててもそうだった。ただし力が入って前に出てきているのではなくあくまでリラックスした状態で関節の位置だけ前に出ている状態)、それはカルレバーロ奏法的にはよろしくないですし、逆にネックが左手の稼動直線上から離れることは、藤井先生に言わせれば左手に余計な負荷をかけることにもなりましょう。カルレバーロ奏法の場合左手の位置を肘からの距離が7フレットまでと12フレットまでの間で等しくなるようにすることでその負荷を最小限に抑えようとしていますが、やはり左手の稼動範囲を超えていることから、ハイポジションの方はまだいいにしても7フレット以下のローポジションではどうしても手にかかる負荷が大きくなります。この辺両手とも理想の状態にするのはギターの形からして難しいのかもしれませんね。エレキくらいボディが薄ければ藤井先生の構え方そのままで右手をカルレバーロ奏法の理想に持っていくことができるのですが・・・。まぁ細かい話は今企画しているこのページの新コーナー、『ayum'sワンポイントギターTips』ででも述べることにしましょう。

 ひとつ言えることは、やはりギターの演奏法で行き着くところは「いかに手に余計な力を入れず、負担をかけず効率的にギターを弾くか」であり、たとえその実現方法が多少ことなったとしても、それはただ方法が違うだけです。そして藤井先生もカルレバーロも、構えの形を除けば言っていることの共通項はかなり多いです。指の力だけでなく場合によっては腕や肩などより大きな力を利用するとか、何時間もやみくもに練習することの無意味さとか、他にも色々です。細かいことは今回は触れませんが。そして、ギターをうまくなりたいという人はたくさんいますが、そのほとんどの人が「演奏技術」ばかり闇雲に磨こうとし、「演奏理論」を学ぼうとしません。自分が何故ここを弾けないのか、あるいは何故ここは弾けているのかを理解することは上達のスピードに大きくものをいいます。そういった自分の行動を認知することを認知科学の用語で『メタ認知』と言いますが、楽器演奏であれ文章を書くことであれスポーツなどであれ、いわゆる「うまい」人程自分が今やっていることに対する『メタ認知能力』が高いということが認知科学の実験でわかっています。そりゃそうです。例えばギター。「ここ難しいなぁ」と言って何も考えずにただひたすら反復練習で、なんとか指もなれて弾けるようになったかな、と思っても、何故自分がそこを弾けるようになったのか理解してなければ次にまた別の曲などで同じ技術を必要とする場所が出てきた時また指がその部分に慣れるまで反復しなければなりません。それは時間の無駄ですし、技術力の底上げにもつながりません。だってなんとか弾けたとしても、そこで間違った癖が身につく可能性は高いのですから。これは藤井先生もカルレバーロも言っています。「何故そこで弾けないのか」という要因を、要素に分けて分析し、問題点を発見してそこを正確に修正することが大事なのです。それができるのとできないのとじゃ全然上達が違います。まぁこの辺をちゃんと理解したい人は、ちゃんとした先生につくか『ギター演奏法の原理』を買って読んでみてください。現代ギター社の通販で買えます。まだ数冊カウンターに積んでありましたよ。まぁ奥にもあるか。

 ・・・って、タイピングで腱鞘炎になってんのに、何でこんなに文章打ってんだよ、俺!?

2001年6月2日土曜日

熱帯魚

 熱帯魚はいいですね。実は結構好きです。今日はこんなページを見つけました。色々な熱帯魚の飼い方から図鑑まで写真入りで掲載されています。写真は投稿型なのですが、これがまた結構センスのいい写真が多いのでなかなか楽しめます。実家にいた頃は熱帯魚を飼うのも趣味の一つで、やはりマニアックに(爆)結構色々な魚を飼ってました。ま、基本的にグッピーとコリドラスが好きなので、いつも私の水槽にはこの二種類がいたわけですが、他にも有名なネオンテトラとかタイの闘魚"ベタ"とか、像みたいな鼻を持った"エレファントノーズ"とか淡水エイとか飼ってみたりもしました。やっぱ水槽を綺麗な魚が泳いでるの見ると癒されますよ(笑)。下宿を始めてからはさすがに金銭的にも手間的にもちと飼うのは無理ですが、上記HPで熱帯魚の写真を眺めてたらまた「ああ、いいなぁ」とか思い始めてしまいました。う~ん、熱帯魚いるとなごめるんだろうけどなぁ・・・。



グッピー。
グッピーは体系やしっぽの形で色々種類がありまして、その種類によっては無茶苦茶高い値段がついてたりします。一匹10万円とか。ふつうはつがいで500円くらいですけど。
グッピー
コリドラス。
ナマズの仲間ですが3~6cmくらいと小さく、温和な魚なので大抵の魚と一緒に飼えます。いつも底の方にいるのですが、コイツがちょこちょこと水草の間を泳いでたりするとかわいいんだ、これが。
コリドラス

2001年5月31日木曜日

E.S.デ・ラ・マーサ『暁の鐘』

 BBSの方で「最近音楽の話が少なくてつまらん」というクレームがついているようなので、今日はちょっと久々にギターについて書いてみたいと思います。あ、その前に言い訳として、やっぱ今私の生活の90%はコンピュータが占めているわけで、やっぱりその話題が一番書きやすいんですわ。考えなくてもネタ出てくるもん。

 さてさて、そもそも最近私はギターを弾いているのでしょうか。・・・弾いてます。今週は特に先日の藤井先生のコンサートの余波もあってか、毎日帰ってきてから30分ばかりは弾いてます。やっぱねぇ、帰ってくるの遅いし(といっても冷静に考えれば毎日夜11時までBOXで弾いてた頃よりははるかに早いが)、マンションじゃ夜遅くまで弾くのも限界があるし、平日は頑張っても一時間くらいですね。でもちゃんと基礎練から、私が後輩に「一日15分しか弾けないならこれを弾け」と指導していた通りのメニューで始めてます(笑)。それに藤井先生に「一日でこれしか弾けないってときならこのパターンのアルペジオを弾くのがいい」と言われた、アグアドでいうなら、・・・11番かな?あのpimamamaのパターンと。やっぱ短い時間で効率良く技術の維持及び向上を望むならそれなりのメニューを考えないとね。

 そしてこっちに来てからはひたすらE.S.デ・ラ・マーサの『曉の鐘』と『バーデンジャズ組曲(シンプリシタスのみ)』を弾いてるわけです。トレモロがねぇ、なかなか思うように歌わせられないんですよ。難しい・・・。

 ちなみにこの『曉の鐘』、世間に出回っている楽譜は一種類しかありませんが、実はそれとは違うE.S.デ・ラ・マーサ自身による校定版のようなものが存在します。そしてその校定版は譜面としては世界に出回っていません。E.S.デ・ラ・マーサ自身が出版しなかったのですね。で、『曉の鐘』は譜面の記載を見ればわかる通り兄レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに献呈されたもので、レヒーノが残した録音は校定版の方になっています。他アリリオ・ディアスなどいわゆるレヒーノ門下のギタリスト(レヒーノは演奏者、指導者としてはエデュアルドより有名だった。普通「デ・ラ・マーサの弟子」と言えばレヒーノの弟子ということを意味するらしい)は皆校定版の方で録音していますね。まぁ譜面で出回っている方の版は、ゆーたら作曲途中みたいな感じで、仕上げの推敲を済ませたのが校定版の方、ということになるのでしょうか。ちなみにこの校定版、一般には「レヒーノが変更した」ということになってるらしいですが、レヒーノは「エデュアルドが変えたから変えた」と言っているそうで、やっぱり作曲者であるエデュアルド自身の校定らしいです。

 ところが『曉の鐘』の校定版、藤井先生も仰ってましたがプロでもその存在を知らない人が結構いまして、私は『曉の鐘』を収録しているCDを3枚もってるのですが、アリリオ・ディアス以外皆校定版以前の出版されている方で弾いているのです。まぁ敢えて名前は出しませんが、兄がエデュアルドの弟子で、E.S.デ・ラ・マーサ作品集を出している某ギタリスト、E.S.デ・ラ・マーサ作品集まで出しておいて、校定版じゃないので入れてました。まぁそっちが間違ってるってわけじゃないからどっちで弾いてもいいんでしょうけど。ちなみに『曉の鐘』の校定版、譜面は出版されてませんし海賊版の譜面も知る限り出ていませんが、立命クラギタの方はご安心あれ。BOXに『曉の鐘』の譜面があります。あれが実際出版されていた版なのですが、よく見てください。ところどころ手書きでカッコでくくってあったり音符に変更が加えられていたりします。そのカッコでくくってあるところを飛ばして弾いて、変更されている音符を変更されている通りに弾けば校定版の方になります。この『曉の鐘』はナオエ先生がBOXに寄贈されたものですが、昔先生がアリリオ・ディアスのCDから耳コピしたものだそうで、キッチリ校定版になってます。ただし最後のペ-ジの最後の最後、ベースがA-E-C-B-C-E,A-F-C-B-C-Fと流れる部分がありますが、ナオエ先生そこだけ気付かなかったのか直し忘れたのか、校定版の通りに弾くならA-E-C-B-C-E,A-E-C-B-C-Eとなります。同じフレーズの繰り返しになるんですね。まぁ校定版の方で弾いてみようという方はどうぞ。ちなみに私は校定版で弾いてます。

2001年5月30日水曜日

ブラクラ

 というわけで、今日は私お手製のブラウザクラシャーをお贈りいたしましょう。スクリプトも何も使ってない、実に単純明解なものですが威力は抜群!特にWindowsマシンには一瞬で壊滅的な打撃を与えます。Macの分には・・・、先程MacOS8.1+NetscapeComunicator4.7で動作確認したのですが、地道に効果が現れるだけでそれ程の威力は発揮しませんでした。とはいえ一応まともじゃ制御不能な状態には陥ったので、一旦MacsBug(私がMacに多い原因不明のエラー対策に用いているMac用のデバッガ)でCPUに制御を落としてアプリケーションを強制終了させるくらいの事態にはなりましたが。ちなみに私が会社で使っているIBM NetVista(Windows2000+IE5.5)で実験してみたところ、このクラッシャーは実に素晴らしい威力を発揮してくれました。

 なに、大したことはありません。原理としては一瞬で500ものメーラを起動する命令を出すことでCPUに莫大な負荷をかけメモリを喰いつくすだけです。しかもHTMLしか使ってない単純極まりないトラップなので、画像の読み込みを切るだけで回避できます。ちなみに今回はそれじゃ物足りないという方のために、スクリプトや画像はおろかその他あらゆるマルチメディア系の読み込みを切ってしまわないと回避できないという、わが社の同僚が公開している実に素晴らしいブラウザクラッシャーも併せて公開いたします。命が惜しくない方はアクセスしてみてください。もしどちらかのクラッシャーを体験してみたいという場合は、作業中の文書があれば保存し、いつでも再起動をかけられる準備をしてから自己責任の上でアクセスしましょう。ま、この程度のクラッシャならOSが吹っ飛んだりはしないと思いますが。

ayumお手製ブラウザクラッシャー

会社の同僚まあぼうのブラウザクラッシャー

2001年5月29日火曜日

眠い

 今日は眠いのでもう寝ます。昨日たくさん書いたからいいよね?じゃあおやすみなさい。JAVAは結構めんどいです。でもどうにもならんって程じゃない。所詮人が作ったもの。ラテン語覚えるより簡単でしょう。

2001年5月28日月曜日

豪華3本立て

 さてさて、今日の日記はなんと豪華3本立てです。時系列を遡るように新しいものから順に書いていきましょう。この土日の、私の生活の1ピースをお楽しみください。

現代ギター社での夕べ

 昨日、現代ギター社でコンサートがありました。恩師藤井敬吾先生と、マンドリンの柴田高明氏によるギターとマンドリンのデュオコンサートです。こっちに来てから昨日まで、とりあえずこのコンサートを楽しみに社会人生活を頑張ろうと思っていたくらい楽しみにしていたコンサートです。ギターとマンドリンの一対一のデュオというのは案外珍しく(多対多の合奏なら普通だけど)、どんなコンサートになるのか興味津々でしたが、始まってみたらもう・・・!マンドリンの柴田氏の音色が素晴らしく美しく、とても柔らかい音色が印象的で、マンドリンというのはキンキンした音という偏見を持っていた私はまさしく目からウロコのような状態でした。藤井先生のサポートも「先生こんな音だっけ?」と思うくらい繊細でまろやかな音で、実に美しい世界を構築していました。藤井先生が作曲した曲は相変わらずの藤井先生ワールド炸裂といった感じで、妙にカッコよかったですね。先生が自分の曲の中でよく使う(?)変調弦で異弦同フレットを3つ4つ押さえたフォームで解放弦を交えながらそのまま指板を平行移動していくキメフレーズは、マンドリンソナタにおいても健在でした。ん~、カッコいい。

 そして演奏会終了後、現代ギター社で演奏者を囲んでの交流会兼打ち上げみたいのがあり先生に「時間があるならどう?」と誘われたのでお言葉に甘えて出席してきました。とはいえ私は現代ギター社に単身乗り込んでいる身、下でCDを買っている内に打ち上げが始まり、なんか一人ずつ自己紹介と演奏者への激励の言葉を述べていて異常に入り辛くて「どうしようかな~」と入り口からちょっと離れたところで様子を伺っていたのですが、その私を先生が見つけてくださって「どうしたの?入れば?」と大きく手招きして呼んでくださったのでどうにか無事入室することができました。色々と気を使っていただいてありがたい限りです。その後ビールを手渡され、自己紹介と演奏者への激励も恙無く終え、いわゆる歓談の時間と相成ったわけですが、私が座ったところは周囲10人くらい全員『クボタフィロ・マンドリーネン・オルケスター』というマンドリンオケの団体さん。主に彼らと話していたわけです。このマンドリンオケはアマチュアとしては相当レベルの高いところらしく、指揮兼顧問の先生もこの界隈では有名な人で、毎週朝九時から五時までビッチリ練習という社会人のアマ団体としては異常なくらい本格的なところ。話してる内に何故かそこのギターパートに誘われ、さらに村治パパのところに習いに行っているギターパートの人と話も盛り上がり、6月10日にある彼らの演奏会に見に行ってみようかなということになりました。まぁマンドリンオケにはさすがにあまり入る気は今のところないのですが、皆話を聞くと厳しいながらもかなり楽しくやってるみたいなので一回見ておくのもいいかなぁと。そして現代ギター社での打ち上げも終わり、最後に藤井先生に挨拶して帰ろうと思って先生のところに行きます。私の前に一人先生と話している方がおられたのですが、その方も京都の出身で京都にいた時藤井先生についていて、今は品川でコンサル系の会社を興して運営している方でした。先生の紹介でその方とお話しし、一緒に池袋駅まで迷いながら歩いて(爆)渋谷まで一緒に帰ってきました。色々と藤井先生の裏話(?)も聞けて面白かったですよ。えらい気さくな方でしたし。

 まぁまぁそんな感じで音楽も堪能し、人とのつながりもできて素晴らしい夕べを現代ギター社で過ごして昨日の私は家路につきました。ちなみに、僕は一番入り口に近いところで聴いていたのですがコンサートの最後の方、一人見たことのある人が入ってきまして、5秒後くらいに「あれ?もしかして鎌田慶昭?」とか思ったのですが、はやりその人は鎌田氏でした。席の関係上一言もお話をすることなく終わってしまったわけですが(爆)、何げにそんな人が現れるのも現代ギター社でのコンサートならでは、といったところでしょう。面白いことこの上なしです。

夢の話 -僕の時間と君の時間-

 夢を見ました。不思議な夢でした。僕は夢の中で、今住んでいるこの部屋でまったくいつものように目覚めます。そして時計を見ます。それが何時を指していたのかは覚えていませんが、どうやら約束に遅刻してしまうような時間だったらしく、夢の中の僕は慌てて飛び起きて集合場所に向かっていきました。

 集合場所に着きます。そこには人はたくさんいますが、僕が待ち合わせをしていた人達はいないようです。腕時計を見ると、集合時間には完全に遅れています。僕は「遅れたからみんな先に行っちゃったのかな?」と思いました。すると、待ち合わせていたはずの一人が向こうからやってくるのが見えます。彼は僕に「早いな」と声をかけてやってきました。早い?僕はもう一回腕時計を見てみますが、やはりどう見ても一時間は遅れています。腕時計が狂っているのかな、とPHSの時計も見てみますが、やはりそれが示している時間も腕時計のそれと同じです。僕は腑に落ちないまま、集合場所のところにあった(公園のようなところ)時計にふと目をやります。すると、その時計は僕の時計より一時間以上も遅れているのです。集まる予定の皆も続々集まってきました。皆の時計も僕より一時間以上遅れています。

 僕は不思議に思って腕時計の秒針をじっと見つめます。何で腕時計もPHSの時計も、両方とも同じ時間だけ他の人より早くなっているのだろう?そう思って見ていると、その秒針の刻み方のある事実に気付きました。僕の時計は、数分間に一回か二回、1秒ずつ進むのではなく5秒とか10秒分を一気に刻む瞬間があるのです。試しに時計を交換してもらったところ、僕の身につける時計だけがそうなることが判明しました。同じ時計でも他の人が持っている場合はそうはなりません。これは何を意味するのでしょう?僕だけ他の人より時が流れるのが早いということなのでしょうか、それとも、秒針は一気に進むのだから、数秒ずつとは言え、僕の時間が、未来が削られているということなのでしょうか。その後、夢の中で僕の時間と周囲の時間のずれはどんどん大きくなっていき、僕は時間に遅れたつもりが早く来すぎたとか、そういった時系列の狂いに惑わされることになります。ですが、何故僕の時間の流れが変わったのか、あるいは最終的に僕はどうなるのか、夢はそれらのことには一切解答をくれませんでした。

 どこか暗示的にすら思える夢です。僕だけ周囲の人間と時間の流れ方が違ってしまう。それも単純に早くなるのではなく、少しずつスキップするというようなやり方で。この夢を見て目覚めた時、何かこれをモチ-フにして小説かエッセイが書けそうな気がしたのですが、どうにも具体的な形になってくれないのでこういった形で書きました。"僕"の時間の流れが変わる。それでたとえば、他の時間が止まってしまうとかだったら書きやすい。でも、この夢では周囲の時間はこれまで通り普通に流れているのです。僕だけがその流れから外れて、時間の流れは外れたのに空間としてはまったく一緒に共存している。これが意味するものは何なのか、また、秒針が"早く進む"のではなく、少しずつ"スキップする"ことが意味するものは・・・?時間という概念は実に難しいのです。

 "時間"というものはただ時系列の流れに名前をつけただけのもので、実体はないのかといえば案外そうでもなく、アインシュタインなんかは一般相対性理論の中で「加速度運動をするものは止まっているものや等速直線運動を行うものより時間の進み方が遅く、重力が働くものも働かないものに比べて時間の進み方が遅い」ということを証明しました。これは同時に"時間"というものがどんな状況下でも万人に共通に流れるものではなく、状況によって"絶対的に"時間の進み方が異なるということを意味します。また、ホーキングは「宇宙は"虚数の時間"を通って誕生した」と言っています。そして"虚数の時間"は理論上の産物ではなく、実際に存在するとも。虚数とは二乗したら負の数になる数学上の数。そもそもマイナスの時間というのも想像しにくいものがあるのに、その上さらに"虚数の時間"とは一体なんでしょう。ややこしい話です。"スキップ"した僕の時間はどこへ消えていたのでしょう?そして何故、僕だけそのような形で周囲と時間の流れの差異が生まれたのでしょう?謎は深まるばかりです。

Another Holly War -第二次洗濯機の変-

 私は今日、洗濯機をかけていました。週末はお洗濯。いつものことです。洗濯機のスイッチを入れて運転を始めてから、私は掃除機を持ち出し部屋の掃除を始めていました。私の部屋はメインの部屋と洗濯機やバス、トイレ、キッチンが扉で区切られている典型的な1Kです。今日は窓を開けて、メインの部屋の内側に向けて開いてくるドアは掃除の時邪魔なので、閉じて掃除機をかけていました。洗濯機は、古くなって回る度にゴンゴン激しい音が聞こえてきますが、無事にいつものように回っています。そしてメインの部屋に掃除機をかけ終わり、キッチンの方にも掃除機をかけようと、私は部屋を区切るドアを開けました。すると・・・。

 な~んと、キッチンの方が一面水浸しになっているではありませんか!ふと洗濯機の方を見ると、排水パイプが見事に外れてそこから水が吹き出しています。

 「ブチッ!」

 その時、自分の頭の中でそのような音が聞こえました。そして口に出した台詞は「あ”!? またか、コラ!?」といったようなものでした。そう、こちらに来てから以前にも一回こういうことがあったのです。その時にもう洗濯機の排水パイプが外れるなどという悲劇が起こらないようにきつくパイプを締めたつもりでしたが・・・。一面水浸しになっているキッチンフロアを見て私が感じたもの、それは怒りでした。当惑でも憂鬱でもなく、確かな怒りでした。水を吸って膨れている足拭きマット、火曜日に捨てるはずのゴミ、実家から送ってもらった夏服・・・。それらを見て、巨大な水たまりと化した床を見て、私は確かな怒りを感じていました。床に波打つ水面を見ると、微かに、しかし確かに泡立っています。またも洗剤入りの水が大漏出しているのです。その事実は私をさらに怒り狂わせるに至りました。「またイチイチ雑巾で水を吸い出して、ってやるのか俺は!? チクショウ、やってられるか!!!!!」と心の中で叫びつつも、かといって自分でやらなければ他にやってくれる人などいるはずもありません。しかたなく怒りに燃えながらも雑巾で水を吸って絞り、水を吸って絞り・・・、という作業をひたすら繰り返します。回を追うごとに怒りのボルテージは高まっていきます。が、これはまさにやり場のない怒りです。「あ~もう、なんでせっかくの日曜に俺はこんなことやってんだよ?」と疑問に思い、試みに「ったく、チクショウめ!!!!!」と声に出して悪態をついてみたところで何が変わるわけでもありません。結局私は一時間近く雑巾で水を吸って、絞ってまた吸って・・・、という作業を延々くり返していました。段々雑巾を絞るのにも力が入ってきます。怒りのパワーです。

 それでもその不毛な作業をどうにか終え、私は手と足を水洗いして洗剤を流し、ギターでも弾こうかなと部屋に帰っていきました。その時、ふと手を見たら左手の親指の人差し指側の爪と第一関節の間辺り、ちょうど雑巾を絞る時に力の加わる部分に異変が起きているのに気付きました。そう、水で皮膚が柔らかくなったのか、その部分の皮がベロンとめくれて肉が剥き出しになっているのです。いつからこうなっていたのでしょう?全然気付かずに雑巾を全力で絞り続けていました。きっと怒りのパワーがもたらすアドレナリンが、私に痛みを忘れさせていたに違いありません。とりあえず私は「消毒くらいはしといた方がいいんだろうなぁ」と傷を消毒し、カットバンを貼って簡単に処置をしておきました。第二次洗濯機の変、それは私に久しぶりに"憎悪"という感覚を思い出させてくれました。すべての処置が終わった後、洗濯機の排水パイプをもう二度と外れないようにガムテープでグルグル巻きにしておいたのは言うまでもありません。

「てめぇらのくだらねぇまねのおかげで久々に目のさめる思いだぜ。思い出したよ、久しぶりに。最初の気持ちってやつを。ありがとよ、最悪の気分だ

『ベルセルク 断罪篇-縛鎖の章- 去来』より

2001年5月25日金曜日

ASP研修終わり

 いよいよ今日で約二週間お付き合いしたASPのお勉強も一区切りつくこととなり、明日からはいよいよ入社前からグループ長殿に「これからウチのグループはこれが本命だから」と言われていたJAVAとXMLに入ります。とうとうきました。やってやりましょう。私は入社当初からJAVAをやる気マンマンで、いつゴーサインが出るかと待ちわびていたのです。またわからずにへこんで家路につくこともあるでしょうが、まぁそこはそこ。頑張っていきます。どうやらグループ長殿は将来的には我々にJAVAサーブレットの達人になってほしいらしいです。サーブレットかぁ・・・。難しいですがね、まぁまぁどうにかやっていきましょう。

 そう、で、ASPを勉強した成果の程ですが、ここ10日くらいは何を参考にするでもなく自分で一から設計して、ASP(VBScript)+SQLサーバで"一人きりのコミュニティサイト"『EZ Place』を作って楽しんでいました。いや、せっかくデザインも凝って、時にHTMLリファレンスを調べる(いまさらですが、普段使わないFormなんかは結構忘れてた)ようなハメに陥りながらもカッコいい(というかかわいい?)サイトを作り上げたとしても、いかんせんIIS及びSQLサーバは会社の私の個人マシンに入っているので当然社外から使えるわけもなく、好むと好まざるとに関わらず"一人きりのコミュニティサイト"になってしまうという・・・。寂しいですねー。

 で、その作った内容の方はといいますと、まずログインを作り、BBSを作り、コミュニティサイトらしい機能を付けようということで、一時期会社の(一部の)同期の連中の間で流行っていた某出会い系サイトのようなシステムを作りました。まぁASP始めて二週間、このサイトを作り始めて約10日ではこれが精一杯です。ログイン時にブラウザにSessionを渡し(敢えてCookieではない)それがないとサイトのコンテンツにアクセスできないような仕掛けを施し、BBSではメールアドレスを入力したら名前のところにリンクが張られ、書き込み時刻等も表示され、もちろん記事の削除もできる一応の基本機能は網羅しましたし、一つのテキストフォームでIDからも漢字の名前からもひらがなの名前からも部分一致でユーザー検索できるようなシステムもつくりました。そして今週火曜日から作っていた今回の目玉"お友達検索システム"『EZ Friends』では、自分の紹介用のカードを編集し(もちろんSessionからIDをとっておいて、編集画面に入ったら自動で自分のカードの編集に入れるようになっている)、お友達検索画面ではフォ-ムの選択リストで性別や年齢を絞って(絞らなくても可)、やはりBBSで使ったユーザー検索のように一つのテキストウインドウからデータベースの複数のテーブルのあらゆる列を同時に走査して、キーワードによる自由検索も搭載して該当者の自己紹介カードを表示できるようなシステムを作りました。この機能を実現するのに、私はSQLで複数の列を同時に走査する方法がわからず、一つの列を走査してレコードセットが空なら自動で次の列へ、という仕組みをDo WhileとSelect Caseで無理矢理作って実現させました。おそらくそんなことやらなくてももっといい方法あるんでしょうねぇ・・・。まぁおよそ自分で考えられる限りのバグフィクスも施してあるので、ちょっとやそっとじゃエラー画面は出てきません。ちょっと自信作です。先輩の評価も概ね上々でしたし、このサイトを一から設計して完成できたことでいくらか自身もついてきました。これをバネにして明日からのJAVAとXMLの勉強も気合入れていきたいと思います。

2001年5月23日水曜日

危うく遅刻

 今朝は危なかった・・・。朝目が覚めて、ふと時計を見たら時刻は7時50分!出勤は9時まで。タイムカードはごまかせない。私は「ヤバイ!ヤバイぞ、ayum!遅刻はヤバイ!」と焦って飛び起きました。安全に遅刻せず会社に間に合う各駅停車のリミットは8時10分です。私に朝の地獄のような満員急行という選択肢はありません。駅まで早足で7、8分。とすると約10分で身支度です。速攻スーツに着替え、朝飯のパンをカバンに詰め込み、ハミガキをする時間もなかったのでハミガキセットもカバンに詰め込み、勢いよく家を飛び出して行きました。一路日吉へ、そして渋谷へ。はたして今朝の私のタイムカードには、無事「8:46」という文字が刻まれましたとさ。めでたし、めでたし。

2001年5月22日火曜日

エッセイ更新

 ひさしぶりにエッセイを更新。帰りに日吉駅のホームに足を着いた瞬間に浮かんだモチーフを、帰るなりいきなり具現化を試みてみました。『夢』というタイトルのもと、シュールで観念的な世界を描くつもりが、読み返してみたら案外明るめなタッチになってますねぇ・・・。おかしいな、ちゃんと『夢』という言葉の持つプラス志向のイメージに負けないよう配慮したつもりなのに・・・?

2001年5月21日月曜日

machakic

 そろそろうだるような暑さが身に染み始めましたが、皆さん如何お過ごしでしょうか?私は昨日は中学時代の友人が家に泊まりに来ていて、さらに今日もmachakicが就職活動の宿を求めて泊まりに来ているため、日吉に来てから初の連チャン人が家にいる状態になっています。この2つの組が来る間の4時間くらいの間に洗濯をしてス-ツをクリ-ニングに出してと色々諸事をこなし、machakicを迎えに行きました。今は当然そこにmachakicがいます。そう、います。

2001年5月20日日曜日

ややへこみ

 木曜日には初仕事のデータベースの設計ができずに相当へこみフラフラな状態で、帰るなり九時前に眠りについてしまいまいした。そして朝の五時に起きて本を片手に泣きそうな思いでデータベースの設計を・・・。やれやれです。仕事というのは大変だ・・・。そして昨日は仕事帰りにCELやGONちゃん、とnとまた終電近間まで飲んでましたとさ。そして今日はこれから中学時代の仲間二人が遊びにくるはずなんだけど、・・・なかなか連絡こないなー・・・。

今日の一言:『"Confusion" will be my epitaph』(混迷こそが我が墓碑名)

2001年5月17日木曜日

"悲しみ"という言葉

 "悲しみ"という言葉がある。それをどう定義すればいい?
 "悲しみ"という言葉には、あるいはその他のほとんどの言葉、
 特に人間の心の動きを表す言葉には、定義というものは無意味に近い。
 "悲しみ"という言葉が、一体どれほどのものを表せるだろう?
 "悲しみ"という言葉に含まれた内容の多さ、
 "悲しみ"という言葉の持つ許容量の大きさは、
 同時に"悲しみ"という言葉の決定力を消失させる。
 "悲しみ"という言葉は結論にはなり得ない。
 その言葉に辿り着くまでの選択肢の数だけ、
 その言葉の意味は多様化する。
 それは量子論のパラレルワールドにも似ている。
 一旦分岐した言葉の意味は、決して重なりあうことがない。
 それはよりどころになるのだろうか?
 "悲しみ"という言葉にすがることで、
 その悲しみを理解しようとすることから逃げてはいないか?
 "悲しみ"という言葉が含有した多数の可能性は、
 時に一番触れたくない真実に対するめくらましになる
 僕にはわからない
 この言葉を、これらの言葉をどう用いたらよいのだろう
 また饒舌であることが
 常に何かをうまく伝えられることとイコ-ルであるとは限らない
 ときに言葉少なな囁きが
 すべてを伝えることもある
 どこかの誰かはこう言った
 真実は常に小さな声で囁かれる、と
 やはり僕にはわからない

2001年5月16日水曜日

おや?

 どうやら明日から、僕も本格的に開発の初仕事をやることになるようです。ACCESSを使った小さな案件なのですが、グループ長殿がメインで僕はお手伝いという形でACCESSを操作するツールを作ることになるらしいです。いよいよ開発の初仕事ですねー。これまでやってきたお客様向けオンラインマニュアルのHTMLの校正やらインストール作業とは違います。さて気合入れていきましょう。しかし初仕事も思ったより早かったですね。当初は今週一杯ASPやって、来週からいよいよ本命のJAVAの勉強に入るとのことでしたが。きっと修業中の新人にちょうどいい小さな案件がうまい具合に入ってきたんでしょう。まぁこれまで結構色々なことやってきましたしね。VBにORACLE、SQL ServerにASP(VBScript)・・・。・・・あれ?ちょっと待って?ねぇ、ACCESSっていつやったの、俺・・・?あれ、ACCESS・・・?

2001年5月15日火曜日

鬼のような思い

 いや~、今日はなかなか忙しかったっすよ。朝10時くらいに先輩に「このマシン、1時からお客さんが来て使うからOSをNT4.0に入れ直してVisual Studio入れてサービスパック5.0入れてあれ入れてこれ入れてセットアップしておいてね。お願い」とかサラッと言われ、「1時までにOS入れ替えてなおかつそんな重いアプリケーションたくさんセットアップしろっつーんすか!?」といった感じで、半ば修羅の様相を呈しつつ時間との闘いを演じていました。が、結局最初にOSを入れ替えた時はハ-ドのフォ-マットの段階でエラーが発生して(というかしたらしい)、OSの入れ替えが二度手間になってしまい納期に間に合わず先方にご迷惑をおかけしてしまったわけですが・・・。ああ、どんなに頑張ってもインストール作業ってのはモノをコピーする時間だけは短縮できないんだって!俺はセットアップ一つまともにできんのかい!? 先輩曰く、「こんな鬼のような思いを乗り越えて成長していってください」だそうです・・・。な~んと・・・。

 今日になるとASPにも随分慣れてきて、まぁまぁ段々調べものも少なくなり、自分の思い通りの結果を返すことに手間取ることも少なくなってきました。今は先週末から作り始めたWeb掲示板『EZ BBS』の改良に命燃やしてます。ちなみにこのネーミングはどこぞのEZ W◯Bとやらとは何の関係もありません(笑)。少しずつよくなってきてるのですが、まだ足りない機能やバグは残ってますねぇ・・・。開発とは難しいものです。でも段々デバッグ作業にも慣れてきました。こうして人は成長していくのだなぁ・・・。こうしてひたすらプログラムの勉強をするのも、自分が書いたコードが多少のデバッグだけで思い通りに動いてくれている内はかなり楽しいものです。うまくいってないときは先週木曜のように恐ろしくへこみますが・・・。

2001年5月14日月曜日

2001年5月13日日曜日

リンク追加

 昨日は会社から帰って30分くらいした時にCELから呼び出しがかかり、また二人で武蔵小杉にて飲んでました。いや~、風邪がまだ治りきってない時の酒は結構回りますね。飲んでる時はそんなに酔ってるとも感じなかったのですが、終電で家に帰ったらかなりクラクラきました。まぁでもこうしてサシで飲める仲間がいるというのはいいものです。

 今日は久しぶりに見事なまでの快晴になり、一日とてもよく晴れていました。でも結局ほとんど家にいてギター弾いたりしてたのであまり外の天気は関係なかったのですが(苦笑)。そう、久しぶりに大幅にリンクを更新しました。今回は結構大量にリンクを修正したり追加したりしていますが、目玉はやはり実はこれまでリンクを張ってなかった(爆)PCKの『"T" de la frontera』、CELの『Frontale Stadium』、My Brothの『Day Dream』といった友人、知人系のリンクでしょう。それとある意味究極の闇を提供してくれる『Tamalunch Factry No Future』。この際との詳細についてはリンクのところに書いた紹介文を参照していただきたいのですが、とにかく闇と邪悪のオンパレードです(爆)。あまりにやばく、そしてあまりにアンダーグラウンド。熱いです。心や人間性に闇や邪悪を抱えるすべての人は一回訪れてみるべきでしょう。あのHPの運営者、一体何者なのでしょうか・・・?ちなみに他クラシックギタ-関連のMIDIサイトなどを追加し、HP移転等でリンクが切れていた箇所を修正しています。

2001年5月11日金曜日

苦戦、ASP

 ふふふ・・・。ASPとはややこしいものです。基本文法とかはほとんどVBと同じなので(っていうか使ってるのがVBScriptだし)それほど苦労はないのですが、コンポーネントやらメソッドやらプロパティやらがややこしい・・・。っていうかそれもVBScript単体で扱うならまだいいのですが、SQLのデータベースと連係して動かそうと思ったらなかなか大変です。VBScript単体ならまぁいう程の問題はない、SQL言語もそれほど難しくはない。でもその2つを連係して使おうと思ったらそれがうまくいってくれないのです・・・。何でだ?明らかにSQLの読み込みに失敗しているのですが。ADOのインスタンスの生成まではちゃんといってるのになぁ・・・。システムDNSもちゃんと正常に通ってるし・・・。要はConnectionオブジェクトの構文か指定の仕方がまずいのでしょうが、やれやれです。今日は会社にいる時間の2/3以上をそれに費やし、しかも解決してないのです。あ~、「SQLのドライバが見つかりません」って、んなもんどう指定しろっていうんでしょう?本見てもWeb見てもMSDNライブラリ見てもイマイチちゃんと解説してくれてない(俺がわかるように説明してくれてない)ので、精神的にかなり疲れました。今日は完全に頭脳が煮詰まってしまい、「このままでは埒があかん」と早めに切り上げて本屋を回ったりWebでいいチュートリアルを探したりしていました。でもVBScriptとSQLの連係の資料って案外ないんですよね。Accessとの連係はたくさん本も出てるのに。やれやれ、明日も格闘です。

2001年5月10日木曜日

量子論のパラレルワールド

 量子論の描く不思議な世界。光は波でもあり粒でもある。我々が観測していない時、2つに区切られた箱の中に入れられた1個の電子は、区切られた箱の右にいる状態と左にいる状態が重ね合わさって存在している。我々が"見た"瞬間に、波は収縮し電子は粒となり左右のどちらに存在するかが確定する。それは時間も空間もすっ飛ばして。不思議な不思議なコペンハーゲン解釈。シュレーディンガーの猫は生きていると同時に死んでもいます。

 おそらく大方の人は何を言っているのかチンプンカンプンでしょう。量子論というのは只でさえ物理学の中でも理解が難しい分野で、わかりやすく説明するのも大変なので敢えてああ書きました(←ダメじゃん)。要は今回言いたいことは、量子論の論理を極限まで額面通りに解釈していくと『多世界解釈』という話に行き着くということです。これが何を意味するのか。それは、SFの世界の絵空事と思われていた『パラレルワールド』というものが、実際に存在する可能性を示唆するものなのです。

 量子論の理論を突き詰めた『多世界解釈』によれば、世界は瞬間瞬間毎に起こり得るすべての可能性の分だけ分岐していくことになります。人は誰しも「あの時ああしておけば」と思うことがあるでしょう。量子論の『多世界解釈』では、「あの時ああしていた」自分が存在するパラレルワールドが、現在も同時進行していることになるのです。もちろんその後の大小問わないあらゆる分岐点分のパラレルワールドも。しかしパラレルワールド同士は一旦分岐してしまえば物理的なつながりがまったくなくなるため、お互いに干渉することものぞき見ることもできません。そしてある世界にいる「私」にとってはその世界での「私」しかいないのです。実に面白い。量子論が従来の「科学的な」分野だけに留まらず、哲学などの分野にも大きな影響を与えているのもうなずけます。もしかしたら霊能力者とか前世の記憶がある人とか、そういった人々は「パラレルワールド同士はつながらない」というテーゼを破って、どこかでパラレルワールドとつながりを持った人達なのかもしれませんね。

2001年5月9日水曜日

だるさ

 実はまだ微熱が下がりきっていなかったという事実に気がつきました。だるいはずだ・・・。

2001年5月8日火曜日

電卓君

 とうとうGWも終わり、今日からまた日常生活が始まります。といってもGW後半の4連休の内3日を家で休養していた身としては、そんなにGWがバケーションだったわけでもまたありませんが・・・(泣)。とはいえまた今日からあの忌々しい朝の満員電車での通勤が始まったわけです。あー、しんど。早くフレックスにならないかなー。

 今日はまず簡単なWeb文書作成の仕事を初めてもらい、HTMLの知識すらロクにいらんようなその初仕事をサクサクとこなした後は、2日にグル-プ長に添削していただいた『電卓君』のデバッグ及び改良、コードの整理をして日が暮れていきました。今日を含め実質3日間かけて製作した『電卓君』の最後の仕上げです。最後2日の夕方から解消できないで悩み続けていたバグが一つ結局残り、それをどうデバッグしてやろうかと考えていた私は、帰る直前数分でコードに実に阿漕で力技なコードを数行追加し、半ば無理矢理終わらせるような形で帰路につきましたとさ。いや、あんなことやらなくてもいわゆる正統的な対処法はあるのですが、それをやるとこれまで作ったコードの構造を結構根本的に直さないといけないので、「バグなく動きゃあいいんだろ、ああ!?」とでも言わんばかりの勢いでとんでもない処理を追加してきてしまいました(爆)。まぁあのやり方のがコードの記述量も少なくて済むしね?

 ・・・明日の添削が怖いです・・・。

2001年5月7日月曜日

『ハンニバル』鑑賞記

 いよいよGW最後の日となりました。忌々しい風邪のおかげで昨日まで家に引っ込んでいた私ですが、体調も概ね回復したことだし最後くらい出かけてこようと、単身渋谷まで繰り出し『ハンニバル』を観てきました。いやいや、なかなかよかったですよ。会社の同僚で観に行った連中から噂を聞くに「気持ち悪いだけで面白くない」との意見ばかりでしたが、面白くないなんてこと全然ないです。まぁ『羊達の沈黙』は個人的にお気に入り映画BEST3に入るので、当然その続きである『ハンニバル』は期待大だったわけですが・・・。

 まぁしかし始まっていきなりモノクロのコマ送りのような画面で流れる『ゴールドベルク変奏曲よりアリア』にはやられました。前作ではこの曲が凄惨な殺人の場面を異常なまでに静かで美しく演出していたわけですが(詳細は当HPの映画鑑賞記参照のこと)、今回もその手法は見事に踏襲。凄惨な場面で不必要に緊張感を煽らず、あくまで静かに平静に狂気を見せていくやり方は個人的には好きですね。今回は派手なアクションシーンがあるわけでなく、きらびやかなSFX画像が入るわけでもなく、表向きは比較的地味に終始進んでいくのですが、その中で随所に垣間見えるDr.レクターの美学にはしびれました。この映画の見所はそこに尽きます。まぁグロイ場面も多いし、盛り上がりどころはわかりにくいし、あまりカップルとかで行くのをお薦めする映画ではありません。っていうか映画終わった後、誰も喋らないもんだからいやに映画館静かだったし・・・。そらまぁ話題作だからってカップルで観に来てあれじゃあ言葉もなくしますわな。『羊達の沈黙』をちゃんと観て感動してから来よう。

 そしてその足でタワレコに行き、金もないのに思わずアル・ディ・メオラのCDを3枚も衝動買いしてしまいました。いや、CD屋に行くのはやめられるんですけど、一旦CD屋に入ってしまったら衝動買いはやめられない・・・。おかげで給料日までのピンチ度が増しました・・・。

2001年5月6日日曜日

 楓の花言葉は『美しい変化』だったんですね。なんかカッコいい・・・。

2001年5月5日土曜日

風邪薬あれこれ

 GW二日目、な~んと風邪をひいてしまったようです(爆)。いや、2日の朝から喉は痛かったんですけどね。今朝起きたら喉が痛くて頭が痛くて、やけに鼻水が出ます。それだけならいいのですが、最悪なのが喉の奥。粘膜が崩壊してるのか何なのか知りませんが、とにかくネバ~ッとした透明の液体がからんでからんで仕方がないのです。とはいえ熱もそんなに高くなく、体のだるさとかもまぁそれなりだったので、とりあえず薬局に行ってパブロンSゴールドとリポビタン8を買ってきて対処してます。

 しかしまぁ今更言うことでもないかもしれませんけど、市販の薬って基本的に対症療法だけですからね。例えば喉の痛みとか頭痛といった症状を緩和することはできるけど、風邪そのものを治すわけではないのですよ。風邪の原因はウイルスや細菌。市販の風邪薬にそれらを殺す成分が入っているわけではありません。結局風邪を治すのは自分の体力なわけです。だから軽い風邪で頭痛とかそういう症状が耐えられる程度のものであるなら、風邪薬なんて飲むより栄養剤でも飲んで寝てた方がよいです。睡眠は抵抗力を高めてくれるので、風邪ひいた時はとにかく寝ましょう。

 医者の薬だって似たようなものです。医者が処方する総合感冒薬の定番PL顆粒とか、見事なまでの対症療法薬です。でも、実際問題いわゆる風邪には根本的な治療法ってないんですよ。先述したように風邪の原因はほとんどウイルスです。真先に細菌感染症からくるケースはほとんどないです(もしそんなのがあった場合は急性肺炎とかになる。もはや風邪と言うにはデンジャラスだ)。とすると、医者が抗生物質を処方したとして、その抗生物質が風邪のウイルスを殺してくれるわけではありません。あくまで二次感染としての気管支炎他細菌感染症への対処なわけです。対ウイルスの薬と言えばワクチンですが、風邪のウイルスなんていくらでも違うのがいますから、「風邪に効くワクチン」といって投与するのは現実問題無理があります。どのウイルスかによってワクチン変えなきゃいけないんですから。インフルエンザは過去の傾向から「今年はこれが流行るだろう」という予想で予防接種のワクチン投与してますからね(爆)。

 ちなみに今日私が買ってきたパブロンSゴールド、これは「塩酸ブロムヘキシン」という成分を含有していることをウリにしていますが、ではこの「塩酸ブロムヘキシン」とは一体どんな成分でしょう?一言でいうなら痰きりです。痰を出しやすくするのですね。まぁ痰の主成分であるムコ多糖体の蛋白結合をたたき切ることで低分子化、要はネバネバをなくして痰を出しやすくする成分です。何故これがパブロンのウリなのかわかりませんが、とりあえず咳と痰の風邪にはよいでしょう。他には消炎酵素成分である塩化リゾチーム、解熱・鎮痛成分アセトアミノフェン他、咳止めや鼻水止めなど大抵の風邪の症状に対処できるよう成分が配合されているようです。

2001年5月4日金曜日

ATMを探して

 昨日はシステムソリューション部の新人歓迎会があり、渋谷で終電近くまで飲み倒してきました。が、それ以上のネタはあまりありません(苦笑)。特にやることのないGWが始まってしまいましたねぇ・・・。とりあえず今日は床屋に行ってきました。が、床屋に金を払った時点で私はあることに気付きました。・・・金がない。そう、床屋に金を払った後の残金は1,000円ちょっとしかなかったのです。でもまぁ帰りにおろしていくか、とその時はそう思ったのですが・・・。なんと、GW中日吉の郵便局や銀行は軒並みATMも使えないのです。普段なら日曜・祝日でも大体5時までならおろせるので油断していました。これはピンチです。このままでは私はGWの4日間を、予定がなくひたすら一人で暇してるだけでは終わらずに、なおかつ1,000円で過ごさなければならないのです。これはヤバイぞ、と思った私は考えました。そして出した結論は、「定期を使って行けるところの駅前のどこかにGWでもおろせるところがあるに違いない」ということでした。そこでまずは大きくて手近な駅ということで武蔵小杉にて下車。駅前を探索します。が、・・・どこも閉まっています。最悪です。次は自由が丘かなぁと思ったのですが、どうせそこまで行くなら渋谷まで行った方が可能性は高いかなということで、休日にも関わらず渋谷まで行ってきてしまいました(苦笑)。が、駅前の三井住友銀行に行ったらなんとそこもClosed!「ちっ、使えねぇ・・・」と心の中で悪態をつきながらも同時に「オイオイ、GWを本当に暇な上に極貧状態で過ごすのか、俺は!?」とかなり泣き入っていました。その時思い出したのが、会社の隣にある郵便局。確かあそこはこの近辺の郵便物が集まる中央郵便局です。あそこならやってかも・・・?と思い、一路宮益坂へと向かいます。そして、・・・開いてました!やっと金をおろすことができた私は、安堵の中会社の前を通り過ぎ、「何で俺は休日に私服でしかも一人で会社の前にいるんだろうなぁ・・・」とか疑問を持ちつつも急行桜木町行きに乗って日吉に帰ってきましたとさ。どっとはらい。

2001年5月2日水曜日

手詰まり

 GWの谷間ではありますが、今日も今日とてやっぱり会社。でも朝の電車はいつもより空いてました。やっぱ皆休みなんだねー。休みの日まで朝から満員電車なんて乗りたくないんだろうなぁ・・・。

 今は先週(の水曜日から)勉強してきたVBのまとめも兼ねて電卓を作っています。納期は明日。締切ギリギリ一杯です(苦笑)。最初は順調にいっていた電卓作成も、四則演算とその周辺処理が終わってより細かい機能を付けつつデバッグを繰り替えしていた頃に突然手詰まりになり、今日は最後二時間ばかりほとんど画面とにらめっこして過ごしてました・・・。っていうかVBでの電卓作成ごときで手詰まるなよな、俺・・・。

2001年5月1日火曜日

正義とは?

 正義なき力は暴力であり、
 力なき正義は無力である

 では、正義とは何か。ここで注意しなければならないのは、「正義」という言葉の意味は決して「正しい」ということとイコールではないことである。いくら理想を掲げて正義を唱えてみても、それは「正しい」こととは限らない。あるいはその理想は正しいかもしれない。そして力も伴っているかもしれない。だが、その「力」の行使の方法を間違ってしまえば、それはやはり「暴力」になりえるのではないか。あるいは、「理想」そのものが「理想」の段階で終わってはいないか。「理想」というのはあくまで主観的なものであり、個のものとして始まる。主観は常に絶対のものとしては存在しえず、絶えず周囲の反応に曝される。この場合周囲とは客観ではない。周囲もまた各々の立場からの主観に過ぎないからだ。その中で「理想」という主観を周囲の「主観」にぶつけ、「間主観」としての妥当性を探っていくことで「理想」は洗練され、受け入れられていく。妥当であることは妥協ではない。主観と主観の間にあるギャップを埋めていくことだ。それができなければやはり「理想」は個のままでとどまり、周囲に受け入れられることなく孤立していく。そして孤立した「理想」の行使は同時に暴力になりえる。それは周囲の主観にとっては受け入れられないものだからだ。それは周囲の主観には「理想」としてではなく「狂気」と受け取られるかもしれない。「理想」の難しさ。それは個として孤立したままでは「理想」として作用しえないところにある。主観と主観の間を探る、それは妥協でもなければ敗北でも決してない。ただ「理想」をより高めるための止揚である。弁証法哲学はその意義を問いかけた。現象学はその立場を深めた。もう一度考えてみよう。個としての孤立した理想ではなく、間主観的立場から妥当性を得られる理想こそが「正義」として機能し得るものではないだろうか。今、私はここに「正義」の意味を再定義する。「正義」とは「間主観的立場から妥当性を得られる理想」である。その定義のもと、再び最初の言葉に今帰ろう。

2001年4月25日水曜日

祝20,000Hit

 祝!20,000Hit達成!相変わらずメモリアルヒットが近付くとカウンタの回りが早い(笑)。ここ2日で100Hitくらいいってたような・・・?そのせいもあってか最近はBBSも盛況ですしね。いつも訪れてくれている皆さん、ありがとうございます。仕事も始まり少しずつ忙しくなってはきましたが、平日はせめて日記だけでも、土日にできればその他のコンテンツも(そういや『何もない未来へ』が・・・)更新を続けていきたいと思っております。BBSもどんどん使ってやってください。これからもこの『雑記帳』をよろしく!

祝!20,000Hit企画

 さてさて、このページのカウンタもとうとう20,000Hit近くなりました。このまま順当に行けば今週中にも20,000Hitを数えることができるでしょう。そこで、『祝!20,000Hit企画』ということで、今回はかなり現実味のあるプレゼントをご用意いたします。私が勉強も兼ねてJAVAかASPで何かカラクリのあるページを作り、そこに20,000Hitを踏んだ人をご招待したいと思います。ただしこのプレゼントは最大五月末まで待っていただくこともありますのであしからず・・・。尚、前後賞の方には今日私が勉強の過程で作ったしょぼいお絵書きプログラム(OSはWindows限定)を差し上げます(爆)。これまでメモリアルヒットの度に何かプレゼントとか言っておいて、なにげに一回もそれが実現したことはありませんでしたが、今回は大丈夫です(多分)。何しろ仕事の勉強を兼ねてますからね。まぁまぁこんなプレゼント、皆さんがもらって嬉しいかどうかは知りませんが、とりあえず僕ァやらせてもらいます(笑)。20,000Hit踏んだけど、プレゼントもらいたくないから名乗らない、ってのやめてね。泣くよ?さ~て、どんなカラクリ作ろっかな~?

2001年4月23日月曜日

配属初日のエトセトラ

 さてさて、研修も終わり、今日はいよいよ配属一日目。システムソリューション第3グループの部屋に用意された自分の机に座り、まずやることは、・・・待つことでした(爆)。いや、新人用のコンピュータが、用意されてはいるんだけど持ち出すのに申請と許可が必要で、その許可を出す人が客先に出払ったとかで。朝九時出勤、昼飯を食べて帰ってくるもまだ担当の人は帰らず、結局僕らだけでなく新人一堂三時半くらいまで待たされました(泣)。ちなみにそれまで何をやってたかというと、ひたすらJAVAの本を読んで、サンプルや例題のコードを見て頭の中でひたすら「ここをこういじったらこういう結果が出力されてくるんだろうな・・・」とか頭の中でブレイン・シュミレーション(オート生体コンパイラ付)やってました。脳みそ疲れたよ・・・。

 が、悲劇はそれで終わりません。とりあえずは無事新しいマシンをもらうことができ、私は「お~、IBM NetVistaだよ!Pentium3だよ!!!!!」と喜んでいました。そしてチャッチャとセットアップを終え、電源を入れます。OSがWin98なのが痛いところですが、そこは気にしちゃいけません。どうせすぐフォーマットしてOS入れ替えるんだから。・・・が、悲劇はそのOS入れ替えのためにバイオスをいじって再起動をかけた時に起こりました。再起動をかけたはず。かけたはずなのに、いつまで経っても画面が上がってこないのです。確かに電源は入っています。おや?と思いました。不信に思った私は、何度も再起動をかけてみましたが、やはり画面は真っ暗なまま、PC本体には通電している証のライトのみが点灯します。最初はモニタがいかれたかな?と思っていました。何しろ私に割り当てられたモニタは、一応IBM純正ではあるものの、先輩が「これゴミ捨て場で拾ってきたヤツだから」と明るく笑いながら渡してくれたもの。そんなエピソードを聞かされてはまずモニタを疑わない方がおかしいです。で、そのモニタとルームサーバのモニタを取り替えて、再度私はトライしてみました。が、結果は同じ。先輩と色々検討した結果、「初期不良だな」という結論に達しました・・・。

 そして私はその事実を、新人用PC仕入れ担当の方の所に報告しに行きます。そしたら「代わりのPCないから明日朝一にここに電話してください。今はもう営業時間外ですから。以上」と簡潔に切り上げられ、渡されたのはIBMサポートセンターの電話番号・・・。なんてこったい!せっかく支給されたNetVistaも、これではただのガラクラです。IBMサポートセンターの人が早く直してくれることを祈りつつ明日電話をかけますが、とりあえず緊急に私に割り当てられたPCのスペックはなんとMMX 166mhlz・・・。166って、ウチのMacと一緒やん!?しかもウチのはPowerPC 604e、MMXなんかよりはずっとマシなCPUなのに・・・。仕方がないので泣く泣くその代理マシンにJAVA2SDKを入れ、秀丸とJAVA開発用マクロを入れ、心に鬼を抱えながらJAVAの勉強をして今日の初勤務は暮れていきました。あ~、もう。社会とはかくもせち辛いものなのですな・・・(泣)。

浜崎あゆみ『Never Ever』

 さてさて、昨日から我が家にも東急CATVインターネットが導入され、いよいよブロードバンドの時代が到来しました。CATVインターネットは、速いのもそうですが24時間常時接続ができて、いちいち回線につなげにいかなくてもブラウザやメーラを起動するだけでネットができるというのが快適でなりません。もう電話代を気にする必要もないのです。素晴らしい!世の中も進歩したものです。

 ところで、キリンサプリのCMの曲が前々から「カッコいいなぁ」と気になっていた私は、どうやらあの曲は浜崎あゆみの曲らしいということを聞きつけ、今日CDレンタルで浜崎あゆみのベスト盤を借りてきました。が、・・・な~んと、サプリのCMの曲、そのベスト盤に入ってなかったんですねぇ(苦笑)。浜崎あゆみの公式サイトで調べたところ、あの曲『Never Ever』というらしいです(調べてから借りに行けゆーねんなぁ・・・)。やられました。だがしかし、そのベスト盤、聴いてるとこれがまた結構カッコいいんですよ(笑)。「浜崎あゆみいいじゃん!?」とか思ってしまっています。名前が微妙にかぶってるのが気に入らないところではありますが(苦笑)。しかも本名の漢字表記はまったく同じだったしな・・・。

 しかし浜崎あゆみの公式サイトを検索したついでに、非公式なファンのページもいくらか回ってみたのですが、どうやら皆さん彼女の歌詞に結構ひかれているようですね。歌詞について哲学的な考証を行っているサイトまでありました。当日レンタルで借りて、MDに録音したら速効返してきたのでまだ歌詞はよう聴いてませんが、そんなにいいのでしょうか。ちょっと注意して聴いてみましょう。何はともあれ『Boys & Girls』や『appears』がカッコいいです。おかげで今日商品券で買ってきたアル・ディ・メオラのCDまだ聴いてません(爆)。

2001年4月22日日曜日

新入社員歓迎会にて

 またも昨日、一昨日と連チャンで飲んでました。一昨日はいつものようにCELやGONちゃん、T氏(要するに早くもお馴染みとなった面々)とともに武蔵小杉で「技術&経理の研修終了お疲れさん」という名目で楽しく飲んでおりました。やはり飲むのにある程度の口実は必要でしょう?

 そして昨日はわが社の新入社員歓迎会。列席者は社長以下役員・グループ長クラスの方々と我々新人。赤坂の中華料理屋で、かなり緊張に気押され気味の空気の中北京ダックなどの豪勢な料理が出てくるという、実にシュールな会でした。といっても緊張してたのは最初だけで、途中からはもうリラックスして飲みつづけたのですが(爆)。まぁまぁ僕ら開発系の席にいらっしゃった開発系のグループ長の皆さんは概ね20代後半から30台前半とお若いのでね。その意味ではまだ気楽でした。隣に座っていた第2グループのグループ長殿には、注がれたら注がれただけ酒を飲み続ける僕に「君はそこなしか?」と呆れられましたが・・・(苦笑)。

 そして一次回が終わり、二次会へ・・・。最初は社長以下30人近いグループでカラオケへ行って、社長の熱い歌で二次会は始まっていたのですが、これではたまらんという開発第2グループ(僕は第3ですが部屋が同じ)の同僚オイル君の提案で、システムショリューション(開発)の連中だけで抜け出して他へ行かないかとのことになり、第2第3のグループ長を誘って抜け出して他所のカラオケへと出かけました。そして営業第3の二人を交えてのカラオケが始まります。カラオケ自体久しぶりだった僕は、思わずハッスルしてしまい、ここでまたも二人のグループ長殿の僕に対する価値観を変えてしまいました(苦笑)。まぁ僕の歌を知っている方にはその様子は想像に難くないでしょう。幾度もCELに激しいツッコミを入れられ、第2のグループ長殿に「真面目だと思っていたのに酒は飲むは歌うは・・・」とまたも呆れられ、昨日の夜は更けていきました。といっても終電で(おそらく)帰ってきましたけど。昨日散々飲んだ割には今日への後遺症は珍しくほとんどなく、朝から快適に動いていましたとさ。

2001年4月19日木曜日

開発の研修ではないけれど

 昨日、今日と私は研修で燃えていました。顧客の望むようなシステムを作るために必要な機材を探し、その仕入れ値と実売価格から見積りをだして提案書を作るというシュミレーションをこの二日間ひたすらやっていたわけですが、いやこれはハマリましたね。最初は単純なPCの物販に始まり、最後にはファイヤーウォール(今回指定されたのはSonic wall)とExchangeを使用してPC50台のLANを組めというものまで、実に色々な見積書、提案書を作成しました(うちらはついでにRAID5でバックアップを取り、無停電電源装置を付けてハザード対策をやった)。もちろんネットワークが課題になっていた場合にはプリンタサーバ等はもちろんルータやらハブ、果てはケーブルまで全て製品を選んで儲けを計算しなければなりません。しかし、私は「時間内にできるだけ早く、正確に、よりよいものを」を求められる状況を、すっかりゲーム感覚で楽しんでしまいました。隣の仲間と二人一組で、「サーバはProLiantでいいか。メモリが貧弱だな・・・。キングストンのHPで合うのを探そう」とか「え?ProLiantでWindows 2000 serverって動かないぞ!? やばい!NT serverに変えないと。見積りやり直しだよ!」とか「あ、PC本体ばっか見ててディスプレイ何を提案するのか探すの忘れてた・・・」とか言って、結構楽しんでました。燃えましたね。最初はやはりわからないことも多く、手間取るばかりだったのですが、段々コツがつかめて知識も増えてきたらそれにつれて作業もより一層燃えてきましたね。ちなみに今回は敢えてこの日記に宇宙語の翻訳装置はつけないでおきました。あしからず。

 そして今、『バーデンジャズ組曲』の株が再び私の中で急上昇中です。あの曲はやはりよいよ。とりあえず『シンプリシタス』のみ弾いてみたのですが、弾いてみるとやはりよい!あのどこか物悲しげなイントロからボサノヴァ調のリズムに切り替わる瞬間がたまらなくよい。運指のパターンを見切れば割に弾きやすそうだし、本格的に弾こうかなと考える今日この頃です。

2001年4月17日火曜日

轟沈

 いやいや今日の研修はヘコみました。敢えて詳細は語りませんが、見事にへっぽこ技術者ぶりを露呈、「しまった~、俺はこんな基本的なこともわからんのかよ」と、かなり臍を噛む思いでした。おかげで精神的にかなり疲れて帰ってきて、あまり食欲もなかったのですがとりあえずコンビニのサンドイッチを食べ、今まで小一時間ギターに逃げ込んでいました。こっちに来て初めてウォームアップなしでいきなり曲を弾き始めましたからね。本当はそういうことやると手を傷めやすいから難ありなのですが・・・。でもやっぱりギター弾いてるとなんとなく元気にはなりますね。まぁまぁ自分がまだまだ勉強不足であるのはわかっていること。これから学んでいって、先を行く同期の新人達に追い付くしかないのです。先を行く目標がある方がいいじゃないですか。追われるよりは追う方がいい。水泳の選手やってた時も、リレーで一番手に出るよりも、アンカーで挽回を計る方が燃えた男です。これから一年が修羅でしょうが、自分で決めた道、今は下を見ずに進んでいきましょう。さ~て、少しだけお勉強して寝ましょうかね・・・。

2001年4月15日日曜日

みなとみらいの休日

 今日は横浜の観光名所(?)みなとみらい21地区に行ってきました。同じ港町である神戸で例えるならポートピアランドとハーバーランドを足して、さらに巨大に、そして無意味にでかいインテリジェンス・ビルを多数加えたような実に危険極まる地域です。コスモクロックも見てきましたよ。乗りませんでしたけど(苦笑)。しかしあそこのコスモワールドだか、そんな感じの名の遊園地(入園は無料だった)のアトラクションはデンジャラスですね。今日はジェットコ-スタ-系のアトラクションを3つだけ制覇してきたのですが、どれもこれもスピードが速い!やけに速い!今日一日終始吹き荒れていた強風も手伝って、体感スピードは野沢温泉スキー場のスカイラインコース直滑降もやや霞むような素晴らしさを誇っていました。その中でも特筆すべきはスピニングコースター。この遊園地の中では2番目に大きい(?)コースターなのですが、小さなあのコーヒーカップがくるくる回るようなアトラクションみたいな乗り物に乗せられ、普通のジェットコースターと同等のスピードで180度ヘアピンカーブを連続で走り抜けていくという、実にヤバイ代物です。しかも普通のジェットコースターと違って乗り物が小さいため、ヘアピンを曲がり切る瞬間にそれまで視界の先に見えていたレールが消え、目の前にはただ海のみが広がる状態になり、「落ちる!?」と思った瞬間にガクンッとヘアピンカーブを切るという・・・。危ないです。しかも最後ヘアピンの連続の最中にコ-ヒ-カップがいきなりくるくる回り出すのです。回りながらヘアピンを疾走するのです。・・・平衡感覚が完全にやられました。三半規管にクリティカルヒットです。皆さんもみなとみらいに行くことがあったら是非乗ってみてください。一番大きいコースターと違ってあまり人気がないのか、5分も待てば乗れます。

 そして日が暮れるのを待って、定番中の定番、ランドマークタワーに繰り出してきました。地上296m、日本で一番空に近い展望台と謳うランドマークタワーのスカイガーデンからの夜景は、やっぱり素晴らしかったです。まさしく「人がゴミのよう」でしたからね。しかしあそこのエレベーター、69階296mを40秒そこそこで一気に登り切ってしまうスピードにはビックリしましたね。思わず「速い!」と心の中で叫んでしまいましたからね。みなとみらいではアトラクションもエレベーターも、とにかくすべてが速いようです。しかも全然揺れないし。おそるべしみなとみらい21地区。今度またいつか、もっとゆっくり何があるのか調べてから遊びに行ってきたいと思います。

2001年4月13日金曜日

MacでJavaを、妄想中

 只今いかにして我がMacにJAVAの開発環境を構築するかを思案中です。もう一週間くらいずっと色々な手立てを考えています。まぁ一番安上がり(?)なのは外付けハードディスクを一基買ってきて、そこにLinuxかFreeBSDなどをインスト-ルした上でJDKを入れる。それならご予算約3万円で上がります。が、まずOSの環境を構築するのが一苦労な上に、元マシンである今の私のメインマシン、PowerMac 7300/166の性能的な寿命がそろそろ来ていることを考えるとあまり得策ではないようにも思えます。どうせ遅くともこの一年以内には新しいMacを買おうと思っているのですから(金銭的に実現できるかどうかはともかくとして)。

 ならいっそのことCode Warrior(スペル不詳)やVisual CoffeeといったMac用の開発ツールを購入してきたらどうか?これだとご予算が10万円前後といったところでしょうか。これなら今のマシンにアプリケーションをインストールするだけで手っ取り早く開発環境を構築することができます。が、今の私のマシンには、HDの空き要領が400MBそこそこしか残されていません。この上ここにCode~やVisual~のような重いアプリケ-ションを入れ、さらにJAVAなんて修行し始めた日にゃあ・・・。恐らくあっという間に練習で作ったJAVAアプレットやJAVAアプリケーションでHDが埋め尽くされてしまうことでしょう。そしてこのマシンの性能的な寿命が来ているという問題も回避できません。

 とすると残された手段は、思い切って新規マシンの購入。これなら選択肢次第ですべての問題は解決します。必要予算が20万からというのが痛いところですが・・・。まぁまぁ金銭的な問題はとりあえず置いておいて、新規マシン購入の路線を少し詰めてみましょう。まずはOS。JAVAを開発するのを第一条件にすると、まともに考えるならやはりWindows系が無難です。WindowsにそのままJAVA2を入れてもO.K.だし、パーティション切ってLinuxやFreeBSDを入れた上でJAVA2を入れるというのもアリです。しかし、会社でWindows2000にJAVA2を入れてプログラムを組んでみたのですが、メモ帳でプログラムを書くのはハッキリ言ってうっといです。いちいちメモ帳で書いたソースをDOSのコマンドプロンプトでコンパイルし、できたクラスファイルを組み込んだHTMLファイルをまたWindowsに戻ってメモ帳で書く・・・。行ったり来たリがうざったすぎます。秀丸とか使ってもその点は変わりありませんしね。その点やはりUNIXならMuleで書いて、プロセスを一旦切ってコンパイル、そしてまたすぐMuleでファイルを書いて・・・、っていちいちマウスとか持たなくても全部処理できますからねぇ・・・。やはりやるならUNIX環境ですな。しかし、やはりMacでJAVAを、という私の夢は消えません。MacOS X serverには確かJAVA2が標準装備されているはずです。それはどの程度使えるものなのでしょう?MRJみたいに中途半端に使えないのは勘弁してくれよ、と私は今日研修が終わった後、ひたすら本屋でMacOS Xについて調べてきました。そしたら・・・!

 やはりMacは熱い!MacOS Xは名前はMacと冠されているものの、その仕様は実質UNIXに近い。少なくとも開発環境という面ではほとんどUNIXと同じ感覚で作業することができそうなのです。しかもやろうと思えば名前の通り当然サーバも組めるし、UNIXのシェルが使えるのもありがたいです(しかもbashも)。ハードディスクのパーティションを切る時にフォーマットに気を付けてあげればMacOS 9.X以下のMacOSとのマルチブートもでき、共有ドライブを作っておけばそこを経由してのファイルのやりとりもOS Xと9.X以下で可能です。ということは、40GBのHDのモデルを買って、22GBをOS Xに当て、10GBをOS9.1に当てる。そして3GBくらいのパーティションも切って、そこに今の8.1のシステムも全部丸ごと入れておいてそこからもブ-トできるようにしておけば(OS8.1以降なら0S Xとのマルチブートは可能)、今の資産もある程度活かせる。もっともCPUが全然違うのになるわけだから、当然動かないアプリケーションとかもあるだろうけど。そして5GBをOS間の共有ドライブにして、残った領域は後々のためにとっておけば・・・。夢は膨らみます。やはりMacでしょう。今週末に急遽秋葉原に行き、後先考えずにPowerMac G4を買ってきてしまいそうです。ああ、ヤバイ、ヤバイ。しかしJAVAの開発環境が家にほしいという思いは切実。何といっても仕事ですからね。20数万円の先行投資、生活を投げ打ってでもすべきか否か・・・。実に悩ましいところです。

2001年4月12日木曜日

友人とカレーを

 今日は研修が終わった後、「昨日カレー作りすぎたから食べに来ない?」というCELの誘いを受け、武蔵小杉のCEL邸でGONちゃんと3人で飲みながら食事をして帰ってきました。しかしCELが鍋一杯に作りすぎたカレーを食べきりに行くのが目的だったはずなのに、酒のつまみに焼き鳥やらコロッケやらを買いすぎて、米が炊けるまでの間それらをつまみに飲んでたら肝心のカレーは3人とも一杯目にしてお腹一杯という(爆)。せっかく呼んでもらったのにこれでは本末転倒。その意味ではCELに申し訳ないことをしました。でもまぁ、楽しかったしね?玉ねぎたっぷりのお手製カレー、ごちそうさまでした。

 しかし彼の家にはでっかいずん胴の鍋やらなにやら、かなり本格的に気合の入った調理具が並び、食器もたくさんあり、きちんと買ってきた食べ物も盛り付けて出してくれる辺りは素晴らしいです。そこへいくと俺なんて料理はしないは、飲み会の時買ってきた食べ物は適当にそのまま出すはですもんね(苦笑)。ちょっと見習って俺もせめて人が来た時に食べ物を出すのはもうちょっと気を使おうかなぁとか考えてもみたり。酒ならね、お手製のカクテルでも出してあげられるのですが。といっても京都を発つ時皆にカクテルの材料を配ってきて今部屋にはビールとウイスキーが残っているだけなので、その際にはまた材料を買い込んでくる必要があるのですが。・・・給料入ってからだな(爆)。

2001年4月11日水曜日

研修の日々

 さてさて、段々研修の内容も難しくなり、時に与えられた課題を必死になってこなさなければいけないようなことも出るようになってきました。まぁ今日はひたすら話を聞いてるだけでよく、その意味では楽だったのですが、とはいえ今日は技術系の話がメインだったので、おそらく研修で初めて「ためになったな」と心から思えました。これまでは技術系は放っとかれてるみたいな研修でしたからね。そして、研修も始まって一週間が過ぎましたが、そろそろ同期の連中の行動の特色も色濃く出てきました。休憩時間に階段でタバコを吸いながら「わからん・・・」と嘆くのもいれば、そういった人に色々説明して懐の深さをのぞかせるのもいます。かと思えば「うおぉっ、僕らのITソリューションじゃあ~~~っっっっっ!!!!(←意味不明)」とか叫びながら物凄い勢いで課題をこなすのもいたり、本当に人様々です。ちなみに私はというと、幸か不幸か私の所属するシステムソリューション第3グループの席が一番後ろなのをいいことに、話などほとんど聞かずにJAVAの本を開いて開発環境を整えてJAVAのお勉強をしていたりします(爆)。で、「ああ、もう!classpathが通らん!(基本中の基本、というか基本以前)」とか心の中で叫んでるわけです。でも技術系の人間は結構いますよ、同じようなことやってるの。まぁまぁそんな感じで研修は進んでいます。

 そう、昨日からちょっと筋トレを始めてみました。いや、先週は4日も飲み屋で飲んでたし、昨日も一昨日もラ-メン屋のちゃんとしたラーメンな食事だったし、非常に高カロリー・高タンパクな食生活をしているので、「これはヤバイ!」と思いましてね。このままではプクプクになってしまうという危惧を抱いた私は、日頃の運動不足の解消の意味も兼ねて筋トレを始めたわけです。とりあえず腕立て、腹筋、背筋を各20回*3セット。昔からすれば何ともないメニューですが、いやいや歳はとりたくないもので、これでも結構辛いのです。目指せマッチョといった無謀な夢は見ませんが、せめてこのくらい楽にこなせる体力を戻したいものです。

2001年4月9日月曜日

空を見上げてる

 空を見上げてる
 泣き出しそうな空を
 うつむけばこぼれるよ
 だからまだ、ここで、光が差すまで
『街』SOPHIA


 今日、部屋のベランダに座り込んで、なんとなく空を見上げていました。私の部屋は1階ですが、この建物自体が丘の中腹のようなところにあるため、目の前は古びた家屋の屋根と森が広がり、視界の右上方、丘の上にはかなり大きいファミリーマンションが見えます。私の部屋のベランダから見上げる空は、その森の木々とマンションに遮られた形で、多少限定されて広がっています。ベランダに本当に座り込んた状態できつくなった角度で空を見ようとすると、本当に見上げるような格好になります。空を見上げる。思えば、この"見上げる"という感覚はここ最近ずっと忘れていたような気がします。大学生活の中、ほっておいても回生は上がり、3回生になったら何の疑問もなく執行部として役職に就き、4回生になったら元老院のようなものです。その小さな社会の中でそれなりの自信を持って生活していた私は、気付かないうちに井の中の蛙になっていたのかもしれません。

 今、私はこうして現実の"社会"というフィールドに放り出されています。まだまだわからないことだらけです。働いている先輩方を見る。「これはかなわないな」と思うことも多々あります。現時点でかなわないのではなく、いつまでたっても、です。この"社会"では右を見るにも左を見るにも、今の私はいちいち見上げてみなくてはなりません。このベランダから見上げる空の景色は暗示的だな、とそう思ったりもします。少なくとも私の現状の景色です。いつか見上げずに景色を見られる時が来るのでしょうか。その時は、もしかしたらまた私はこうして空を見上げる感覚というものを忘れてしまうのでしょうか。

2001年4月8日日曜日

飲み過ぎな日々と帰宅時間

 結局昨日も今日も会社の新人達と飲んでいたayumです。入社して6日、飲む確率は見事に4/6です。やりすぎでしょう・・・。昨日は一昨日のメンバーとはまた微妙に違う6人と、今日は初日に2人で飲んだCELとまた2人で横浜をちょっと散策した後にここ日吉で飲んでいました。

 まぁまぁ飲む確率どうこうはとりあえず置いておいて、この一週間(というかこれからもですけど)研修の日々が続いていた私は、昨日やっと同じグループの一つ上の先輩達と話す機会があったのですが、どうやらウチの会社の我がグループは、平日は先輩曰く「何時に帰れるかは聞かない方がいいよ」という感じで、でも土日は「この一年で土曜に出勤したことは2、3回しかないなぁ」とのことでしたので、私は「ああ、土日はとりあえず休めるんだ」とほっとしています。まぁ土日さえ休めればギターを弾くくらいのゆとりは持てますからね。今日も私はCELと共に夕方出かけるまでは洗濯とギターに命を燃やしてました。次は何弾こうかなと考えますが、とりあえずスカルラッティの『ソナタK.11』辺りで攻めようかなと思います。やっぱバロックでしょう。っていうか在学中私は思ってるよりバロック弾いてませんでしたしね。しかもスカルラッティって何故か皆あまり弾かないし。バッハやヴァイスは結構いるのに・・・。まぁまぁのんびり弾きます。

 そう、明日はメールの返事が書けてない方々に返事を出して、できれば『何もない未来へ』の続きも書きたいなぁと思っています。

2001年4月5日木曜日

今日も今日とて

 今日も今日とてまたも新人11人で集まって渋谷で飲み会です。いやいや社会人になったら付き合いも含めて飲む機会は多くなるとは覚悟していましたが、入社一週間も経たないうちに早くもこれですかという感じですね(笑)。今回はとりあえず前回の反省を活かし(?)ややセーブ気味にいったのでとりあえずはこうして日記を更新できるだけの正気を保っていますが、にしても都会の若いもんは激しいですね。田舎出の人間にはちと辛いです(?)。

虚しい部屋へ

 社会人3日目、早くも精神的にお疲れモードです。何だか帰りに一人でトボトボと駅から歩いて、妙に広い誰もいない部屋に帰っていくのには虚しさを感じますね。まぁまだ疲れるとは言っても、本当にしんどいのは研修が終わってからなのでしょうし、こちらでの生活に慣れていないせいもあるのでしょうが、にしても滅入るもんは滅入ります。帰宅後に一時間ちょいだけギターが弾けたのがせめてもの救いでしょうか。何となく、不満があるというわけでも何でもないんですが、本当に何となく気が滅入るのですね。う~ん、社会に出るということはそういうものも含めてのことなんでしょうか。何だか色々と筋が通り過ぎている正論に囲まれ過ぎて、納得を通り越してもはや胡散臭い気すらしてきます。う~ん、今日は何だか文が出てこないぞ・・・。

2001年4月4日水曜日

入社二日目の二日酔い

 さてさて、昨日は入社式。正式な辞令をいただき、会社の隣、欲望の街渋谷のビルの隙間にポツンと、しかし超然と存在する神社でお祓いをしていただき私の社会人生活は始まりました。とはいえ、我々は当面まだ研修期間中。昨日も今日もしっかり六時には会社を出られる辺りまだ余裕があります。では何故昨日の日記が更新されなかったのかと言いますと・・・、

 そう、会社が終わった後に新人が10人程集まって、渋谷の飲み屋で飲んでいたのです。まぁ研修が終わって本格的に仕事が始まってしまったら同期の人間で飲みに行くのもそう簡単ではなくなるだろうということで、まずはちらっと行ってきました。そしてその会はまぁジャスト二時間、8時過ぎくらいには終わったのですが、7月の研修で仲良くなったCELの下宿が日吉から渋谷方面に二駅行った武蔵小杉であることが判明、「近いなぁ、じゃあ武蔵小杉で二次会行く?」ってことになり、本当に武蔵小杉で終電の時間になるまで二人で大いに飲んでました。ほとんど昨日は総計六時間弱の間飲み屋で飲み続けていたことになります。やりすぎです(爆)。おかげで今日は一日体調が悪く、死んだ魚のような目をして研修を受けていました。しかし酒が残っている状態での朝の満員電車は凄まじくハード。もう次の日出社しなけりゃならないときはこんなに飲むの止めよう、と本気で思いましたね。しかし入社一日目からこの調子です。やっぱりそんなんばっかりか!?

2001年4月2日月曜日

入社前夜

 さて、いよいよ明日は入社式。いよいよ私も社会人デビューというわけです。なんというか微妙に実感の湧かないところではあるのですが、とりあえず今日生まれて始めて定期券を購入してきました。中学までは歩いて通学、高校、大学はひたすら自転車、唯一バスという交通手段を使っていた浪人時代もバスカードで乗っていたので、定期券というものを持ったことがなかったのですね。斬新です。それだけでも私の中では大した変化です。しかし明日は一体何がどうなるのやら、とにかくさっぱりわからないのです。何しろ会社から明日に関しての連絡は、「入社式開始10時、特別に用意するものはなし」というだけの内容の、極めてアバウトな連絡のみ。う~ん・・・。まぁよしとしましょう。明日行ってみればわかることです。本来ならここで新社会人らしく爽やかにやる気を見せて、熱い抱負など語るべきなのでしょうが、何故か今の私はあまり熱くありません(ダメじゃん)。まぁ実際モノを見て動き始めてからでないと火がつかないのはいつものこと。この一週間で一気に熱くなるかもわかりません。すべては因果の流れの中です。明日の日記はどうなることやら・・・。

2001年4月1日日曜日

2001年3月30日金曜日

初ギターin日吉

 今日の日吉はいやに冷たい雨が降り、昨日までの暑いくらいの暖かさが嘘のような一日でした。そんな中でも入社までに済ませておかなければならない手続きはまだ微妙に残っていまして、今日は大倉山まで免許証の住所変更にいってきました。いや、日吉から大倉山までは2駅なんですけどね。駅から結構歩く。寒かったです。

 なので今日は用事を済ませてからは家で初ギターin日吉をやっていたわけですが、いやいや『曉の鐘』は順調な仕上がりを見せつつあります。実はさりげに2月頭くらいから弾いていた曲、だがしかし衣笠クラギタの人間といえど私がこの曲を弾いている姿を目にした人間はほとんどいないでしょう。あまり人前で弾きませんでしたからねぇ、この曲。仕上がりがもっと早ければ最後にタルレガ発表で弾いて去っていこうかとも考えていたのですが。E.S.デラマーサの名曲『曉の鐘』。実はなにげにナオエ先生と藤井敬吾先生の両氏に見ていただいた最後の曲でもあります。まぁまぁ学生時代最後の名残りとして丁寧に仕上げてあげようかなと、トレモロの基礎力養成から地道にやっていってます。綺麗な曲なんですよ、これがまた。霧の深い、たくさんの寺院がある外国の風景、その夜明けに遠くこだましていく鐘の音・・・。そんなイメージの曲です。トレモロ曲の中では一番簡単(少なくとも『アルハンブラ宮殿の思い出』や『最後のトレモロ』よりはよっぽど弾きやすい)な曲ですし、機会がありましたら皆さんも是非弾いてみてください。

今日の一言:チッ、部屋が片付かねぇ・・・。
��ならギターなんて弾いてないで片付けしろゆーねんなぁ)

2001年3月29日木曜日

更新再開@日吉

 さてさて、いよいよ新居・日吉での生活が本格的に始まりました。引越しの都合でこの日記の更新はおろかBBSへの出現もジャスト一週間滞ってしまいましたが、今日から更新再開です。皆さん、これからもヨロシク。

 さて、私の新居は大物は大体整理し終わったものの、まだ衣服や本などが大量に段ボールの中に入って放置されている状態です。部屋がこれまでより広いのが助かるところ。あの大量の荷物も(多少は京都を出る時間引いたとはいえ)そんなに苦になりません。とはいえまたすぐ汚くなるのかもわかりませんが(苦笑)。私が移り住んだ日吉というところは、慶應のある学生街なので商店街などが発展していてそれはなかなか便利で結構静かで綺麗なところなのですが、いかんせん周囲が山のため坂が多い・・・。私の家の玄関に入るには、どう転んでもBKC前の心臓破りの坂の2/3位の長さで1.2倍くらいの傾斜の坂をクリアしなければなりません。はっきり言って疲れます・・・。しかし綺麗なマンションです。カードキーでのオートロックというのが私の中では斬新です。日吉駅前の東急は、無印やユニクロ、ベスト電気に天一書房となかなか使える店がたくさん入っていることが判明しました。坂が多いのを除けば非常に住みやすいところです。皆さん、東京・横浜方面に来られることがあったら是非我が新居に遊びに来てください。歓迎いたしますよ。

 しかし関西に『関西ウォーカー』があり、東京に『東京ウォーカー』があるように、横浜にも『横浜ウォーカー』なるものが存在します。そして今出てる『横浜ウォーカー』で日吉の特集をやっていたので、「うん、これは家の近辺を探るにはいい資料だ」と思い購入、確かにそれは地図も付いていて色々と有益な情報は仕入れられました。ですが!そこで同時に宇多田ヒカルの特集やってたんですよ。で、駅前の東急でも彼女のCDの即売所みたいのができてて、それはいいと言えばいいのですが、その特集や売られているCDのジャケットをみていて思うことがあります。それは、

・・・絶対ヤツ1stの頃と顔違うだろ!?

2001年3月22日木曜日

クレージーより最後の更新

 どうも4日ぶりの日記の更新になります。この間私は卒業というイベントに向けて学生生活最後のラストスパートをかけてました。予告通り18、19日は四国を目指してレンタカーでひた走り、今回は初のドライバーは私一人という状況の中総計647kmを走破してきました。案外走行距離は稼げなかったのですがね。まぁ今回は行き道にずっと下道で行って交通渋滞に3度巻き込まれたりもしましたからねぇ・・・。しかも明石海峡大橋は交通料が片道概ね5,000円と予想以上にお高くついたため、今回は明石海峡を渡るのを諦め本州を直進、岡山・倉敷をちょいと越える辺りまで行ってきました。そこから山陽道に乗り、岡山の吉備SAで車中一泊した後は「日本のエーゲ海」を名乗る牛窓で観光に入り、「古い街並」や「オリーブ園」を堪能してきました。この牛窓は竹下夢二の故郷で、かなりのどかな田舎町なのですが、その空気が素晴らしく、オリーブ園の頂上から見渡す海の景色は思わず感嘆の声が出てしまう程美しいよいところでした。地中海を目指そうとしてだがしかしびみょうになり切れてないところはやはり日本の田舎かなぁと思わせるものがありましたが、あそこののどかかつ美しい土地はかなり気に入りました。実際問題何もないと言えば何もないところではあるのですがね。そしてその後はどういうわけか赤穂の海浜公園でちょっと遊んだ後、岡山ブルーラインを渡って少しだけ海を車で渡り橋の上から見る瀬戸内海(おそらく)にまた「綺麗だねぇ」と感動し、最後は山陽道~中国道~名神高速を一気に突っ切って京都まで帰ってきました。そして家で少し休んだ後は「車で一回通ってみたかった京都の道を攻めようツアー」と称して衣かけの道、川端通り、宝が池、堀川御池~川端御池を制覇して今回の旅を終了しました。一緒にたっちーも誰も乗ってない状況での運転は初めてでしたが、まぁまぁ無難に走れたのではないでしょうか。今回ので免許を取って以来の運転歴がドライブ5回、走行距離2,600km超となりました。ドライブ5回でのキャリアなら誰にも負けません。何ででしょう?

 そして20日は卒業式。式自体はまぁ大して感慨の湧くものでもありませんでしたが、その後文学部の仲間やクラギタの面々と最後の写真撮影などし、クラギタ面子でカラオケに向かい最後の絶叫をし、私はそれを途中でちょっと抜けて近くでやっていたゼミコンに顔を出して先生に挨拶し、その後皆が飯を食っている間に私とキムとPCKで部屋の大掃除をした後に(ありがとうよ、キム&PCK)いよいよ「クレージー最後の晩餐」は始まりました。1回生の頃から何かと皆のたまり場になり、数々の伝説を生み出してきたこのクレージー西ノ京。この部屋とも23日でお別れ、今回が本当に最後の晩餐です。詰め込んだり14人、6.5畳の私の部屋に、よくもこんなに入れたもんだという凄まじい状況の中、最後の晩餐は行われました。絶好調によっぱらうにらめっこ、熱く語りあうキムとうーやん、やっぱりガスか元王子、寝方が変だぞうーやん、とやはりそれはいつものように盛り上がり、いつものように夜はふけていきました。4年間皆に愛用されたこのクレージー301号室に感謝です。色々と楽しい思い出ができました。そうでない思い出ももちろんありますが、この部屋では実に色々なことが起こりました。蛇足なようですがこの雑記帳が生まれたのももちろんこの部屋でです。きよが思わず振り返る(?)特有の匂いがこの部屋にあったとしても、私があまり掃除をしない上にやけに物が多いのでかなり雑然とした様相を呈する部屋であったとしても、私はこの空間が気に入っていました。皆と楽しく騒げる部屋でした。色々考えたりもできる部屋でした。のんびりボ~ッともできる部屋でした。当たり前のことかもしれませんが、それが結構最高です。

 そんなこの部屋ももう本格的に引越しの準備が始まり(遅いって?)、もうコンポもバラしましたしパソコンデスクもキムに譲渡しましたし、CDやMDも全部片付けました。明日にはMacもバラすので、しばらく日記の更新もできなくなります。どこかから、せめてBBSには来たいと思っていますが・・・。27日に新居に入れるので、早ければその日に更新を再開しますが、まぁなかなかそうもいかないでしょう。今日がとりあえずクレージーからの最後の更新です。皆さん、これまでありがとうございました。今後も『あゆむの雑記帳』は本拠地を横浜・日吉に移し運営を続けていきます。どうぞよろしくお願いします。そしてこの4年間の間に出会ったすべての人達に、心からの感謝を述べさせてもらいたいと思います。おかげで自分で大学に来てよかったと思える素晴らしい時間を過ごすことができました。多くの人とは遠く離れてしまいますが、今後もまた、よろしくお願いします。

2001年3月18日日曜日

クラギタ卒業旅行

 昨日一昨日と、クラギタの卒業旅行として皆で亀岡湯の花温泉に行ってきました。例によって私はジャンクスの車で、今回は途中でにらめっこを拾っての行き道でした。私が運転、ジャンクスがナビという、夏合宿への行き道で「一番デンジャラスな役割分担」ということが判明した組み合わせで亀岡を目指し、案の定線路沿いに保津峡まで行く予定が何故か渡月橋を渡ってルート9に入っていたという・・・。まぁまぁそれでも何とかその後は無事に迷うこともなく亀岡まで行けたんですけどね。そして温泉に入り、サウナでわっきー、きよ、ジャンクスと4人で部屋カツカツの状態で座り、お互いの肩が触れあうくらいの狭さの中、文字通り裸の付き合い(しかも不必要なまでに暑苦しい。色々な意味で)をし、ぼたん鍋を美味しくいただき、そして夜、部屋での本気飲み会が始まるわけです。自転車で来た(爆)PCKが人力で運んできた一升瓶を空け、買い出しておいた缶系の酒も空き、それでも宴は続きました。こうして皆で飲んで騒ぐのももう20日に予定されている"クレージー最後の晩餐"くらいでしょう。あの無意味に盛り上がる空気も名残惜しいものです。最後寝る時は何故か午前4時くらいまでしりとりが続き、しーさんは押し入れでドラえもん寝をしていたのですがまぁそれもまた一興でしょう。最後だし何でもありです。っていうか日常茶飯事の範囲内でしょう。

 次の日宿を出てから、自転車で来ていたPCK、元王子、キム、ヤクザの4人は宿の近くの酒蔵を見学に、きよの車で来た連中はあまりの天気の良さに目をくらまされ、帰りの足でそのまま琵琶湖一週の旅へ、私とジャンクスはにらめっことともみ嬢を京都駅で下ろした後、後輩が合宿をしているホウライへと散っていきました。そして私とジャンクスは後輩が関大交歓演奏会の通しリハをやっているのをしりめに、現職C技が横で練習しているにも関わらず、それでもおかまいなしに一局将棋をさしてきたのでした。私は後輩に指導者指導をした後、二条駅に帰れる最終の湖西線に乗ってギリギリで帰ってきましたとさ。忙しい話です。そして明日は四国を目指して旅立ってきます。果たしてどこまで行けるかわかりませんが、気合入れて行ってきます。

2001年3月15日木曜日

BOXにある譜面を全部コピーしよう計画

 最近「BOXにある譜面を全部コピーしよう計画」を着実に進めています。現時点でギターピース全19冊、セゴビアクラシックアルバム全12冊、バリオス全部、バッハ全部、ディアンス・クレンジャンス全部、その他バロック概ね全部のコピーが終わりました。一体いくらかかっているのかの詳細は把握してませんが、5,000円は楽に超えているものと思われます。あと最低限アルベニス・グラナドスとヴィラ=ロボス、ラウロ、リョベート関係、ソルのエチュードだけは絶対コピーしておきたいものです。もうBOXに行く時間もあまりないのですがね、まぁまぁどうにかしましょう。

 そうそう、無事に卒業できることがきまりました。あまり感慨も湧かなかったのですがね・・・(苦笑)。

2001年3月13日火曜日

最後のRainbow-STAFF勤務

 今日は私のRainbow-STAFFとしての最後の勤務でした。図書館Cコマ、16:00-19:30。この勤務をもって私はRainbow-STAFFから引退です。私が一回生だった当時、STAFFとして働く先輩が妙にカッコよく思えて募集に応募し、採用されてから早三年ちょっと。月日の経つのは早いものです。採用の面接の時、「OPRの混雑を解消するために何か具体的な案は?」と聞かれて答えたことを今でも覚えています。「清心館のOPRで、Macがフリーズしているのに対処法がわからず、STAFFに連絡するのも面倒なのかそのままほっとかれて使われてないマシンをよくみかけます。せめて強制再起動の方法でも紙に印刷して張っておけばそういった事態も少しは回避できるのではないでしょうか」と、そんな感じのことを言ったのです。

 思えば当時は清心館にOPRがあり、しかもそこにはMacが入っていたのでした。私が一回の頃は恒心館にOPRはなく、代わりに研心館や西園寺記念館にOPRがあったのです。有心館にもありました。図書館と尽心館だけは今も昔もOPRがありますね。そしてMacとWindows3.1が当時OPRに入っているマシンでした。今みたいに安定して動くNTでもなく、imapもWeb Mailもありません。ATSONだけは当時からありましたが・・・。少しずつ便利になっていくRainbowのシステムを、STAFFとして三年間変容に置いていかれないようにしながらも常に他の学生より先にそのシステムに触れて学べる機会に恵まれていたわけです。思えば素晴らしい仕事でした。

 私もSTAFFとして色々な経験を積んできました。通常の勤務の他にリエゾンオフィスで書類の整形や大学組織図の作成の仕事をやったこともありましたし、二年前ウチの大学の文学部のホームページをリニューアルしたのも私です。ホ-ムペ-ジ作成講座の講師も何度かやりましたし、2回生の時には新しく入ってきた新人さんの研修チーフもやりました。3回の春には大学が新入生に課した初歩的情報リテラシーの講師を勤め、4回の時には新人採用の際の面接官のまとめ役もやりました。その中で特に、知識を持っているだけでなく、目の前の状況に持ち前の知識を柔軟に対応させて解決を見い出さなければならないということは経験を通じて学んできました。それはSTAFFの仕事以外でも色々なところで役に立つものでしょう。3回と4回の時は部活や就職活動に忙殺され、STAFFの飲み会などは行く機会がほとんどなかったため、STAFFの中では私は普段案外目立たない存在だったかもわかりませんが、私はRainbow-STAFFの仕事に誇りを持っていました。憧れて始めた仕事です。本当に積極的に関われたのは2回生まででしたが、それでもいい経験をさせてもらったと思っています。本当はもう少し積極的に関わる時間がほしかったんですけどね、人間の時間は無限にあるわけじゃありません。残念ですが・・・。

 今日最後図書館のコンピュータの電源を落とし、今年から着ることになったRainbow-STAFFの赤いジャンパーを脱いだ時は「もうこれに袖を通して勤務に就くこともないんだな・・・」と思って少し寂しくなりました。こうして大学でやってきたことの諸事に一つ一つ終わりが訪れていきます。その度いちいち感傷的になってしまいます。でもそうして感傷的になれるということは、自分はそれだけそのことに対して頑張ってきた、誇りを持ってきたということなんだなと今日思いました。自分が力を入れてきたことに終わりの時が訪れるのは寂しいことですが、終わった時後悔することなく、少しくらい感傷的になったとしても、それでも「自分はやったんだ」と思えることがあるというのは、・・・いいことなんじゃないでしょうか、やっぱり。

2001年3月12日月曜日

学生時代ラスト・コンサート@喫茶アルハンブラ

 今日は喫茶アルハンブラでのアマチュアコンサート。私も京大の聖帝や龍大のマンゴレ&アコーディオン嬢と連れ立って一曲披露してきました。今回のアルハンブラ・コンサートは聖帝が『天使の死』を弾くはマンゴレ&アコーディオンデュオは相変わらず凄絶な『タンゴの歴史』を披露するは『黒いデカメロン』弾くヤツがいるは最後にゃ『羽衣伝説』が飛び出し、飛び入りで聖帝&マンゴレの『ジョンゴ』まで出てくるはで妙に濃く、レベルの高いコンサートでした。いやいや、聖帝にマンゴレはさすがですね。一回の頃からお互いに意識しあってここまできたわけですが、3回の頃から3人揃って同じステージに立つ機会がなかなかなく(聖帝とはソロリサイタルの時合奏団の一員として、また教室の発表会で同じ舞台に立つ機会はあったのですがマンゴレとはね・・・)、最後にどうしてももう一回同じ舞台に立ちたくて今回彼らに声をかけたのです。私の心の中ではかなり彼らに期待をかけていたのですが、しっかりとその期待に応えてくれました。『天使の死』はちょっと全体的にぼやけ気味でしたが、あの曲を一週間でほとんどミスなしで弾けてしまう聖帝って一体・・・?『タンゴの歴史』はさすがキャリアが違うと言うか何と言うか、・・・カッコよかったですねぇ(笑)。『ジョンゴ』も部分的にかなり危ういところはありましたが、それでもやっぱりあの二人のデュオは凄いです。25日の京大フェアウェルでまた二人で組んで、今度は『不良少年』をやるらしいですが頑張ってください。今日聴いてたらマンゴレやばそうでしたけど(笑)。私はその頃はもう京都にいないのでね。聴きに行けないのが残念です。

 今日は私自身の『グラナダの花』はお世辞にも出来がいいとは言えなかったのですが(暗譜したの昨日だったしなぁ・・・)、それでも何だか妙にさっぱりした気分なのは聖帝にマンゴレと最後一緒の舞台に立てたおかげでしょう。これを最後に私が人前で舞台に立って弾く機会はもう数年単位でないと思いますが、最後にマスターに去り行く4回生へといった感じでサザンの『TUNAMI』を弾いていただき、4回生で写真も撮って、気分よく終わることができました。今日来てくれていたすべての仲間、特に快く誘いに乗ってくれた聖帝とマンゴレに感謝です。またいつか一緒にやりましょう。その時は重奏もできたらいいですねぇ・・・。

2001年3月11日日曜日

頭痛、演奏会前夜

 明日は喫茶アルハンブラのアマチュアコンサートで一曲弾かなければならないというのに、ただ今酷い頭痛に悩まされております。この前の風邪の時はイマイチ効きがよろしくなかったバファリンよ、今度は効いてくれって感じですね。あ~、もう、何でいつもいつも演奏会の前って体調崩しがちになるんでしょう?今回は定演前みたいに無茶な練習してるわけでもないのに・・・。っていうかあまりに練習してなくてヤバイくらいなのに・・・。どうしましょう?果たして私は明日無事に『グラナダの花』を弾くことができるのでしょうか?まぁ明日は私がいくらとちっても後に控えた聖帝やマンゴレがキッチリ締めてくれるでしょうから、その意味では楽ですね。気楽に弾きましょう。

2001年3月10日土曜日

無題

 何だか突然寒さがぶり返してきましたね。昨晩は一時的に世界が銀世界になりました。三月の京都とは思えない現象です。といっても夜が明けて昼になる頃には概ね雪も全部溶けてたのは所詮京都という感じでしたが・・・。

 しかし最近食生活がまた乱れています。昨日は朝飯に麦チョコを食べて以来晩飯まで何も食べず、しかも晩飯もコンビニ焼そばというていたらく。今日は今日で朝にパンを一個食べてから夕方まで何も口にせず、6時前にあまりの空腹からスパイシーでカレーを食べてそれっきりです。何だかなぁ・・・。

2001年3月9日金曜日

藤井敬吾先生に習う最後のレッスン

 今日は藤井敬吾先生のところへ最後のレッスンに行ってきました。本当はもう一回くらい行きたかったのですが、管理会社に「早く出ていけ」通達を喰らったため(しかも今朝)、期せずして今回が最後のレッスンになってしまったのです。残念ですがしかたないことです。相変わらず鬼のようなテクニックを随時披露しつつのレッスンは衝撃的で、今日なんかは藤井先生が編曲したキラキラ星の変奏曲を延々と弾いて聴かせてくれたり(キラキラ星がベートーベンやバルトークのフレーズと組み合わさってたり、上でキラキラ星のメロディーを弾きながら下でパガニーニのカプリース24番のテーマを同時に弾いたり、ハーモニクスで未知との遭遇の星の交信を模写してエンジン点火とか言って勢いよくキラキラ星が始まったりとかなりデンジャラス・・・)、『リベルタンゴ』を藤井先生がギター独奏にアレンジしたものなんかは「いや、普通人間そんなに弾けませんがな」と思わず唸ってしまったり(あの有名なテーマもベースも上のメロディーも全部ギタ-一本で同時に弾く『Live in Ween』を完全再現したバージョン。ギター一本であんなに激しく動く声部をあんなにたくさんあやつれるとは・・・)、やはりあの人は鬼です。

 藤井先生のところに通い始めたのは昨年10月末から。約半年稽古をつけてもらいました。短い間ではありましたが、基礎力の養成に壁を感じていた私に改めて基礎の大切さと大切な基礎を一から仕込んでくださったのは大変勉強になりました。半年では教えてもらったことを完全に身に付けるまでは到底至りませんでしたが、どこに気をつければいいのかはわかったのでこれから気長にやっていこうと思います。今日は細かい技術のレッスンというよりは、社会に出てギターを弾く時間も少なくなる中でいかに効率良く技術を上げるか、一人で弾いて上達していくにはどうすればいいか等を聞かせてくれました。元々は手を壊さないようフォームの矯正のために藤井先生の門を叩いたわけですが、それ以上の技術や知識を教えていただくことができ、実に実りの多いレッスンだったと思います。最後には私がお願いしたAngel Barriosの『トナディージャ』の譜面も「人にあげたりしないでね」と言って快く渡してくれ(市販されているものとは違うホセ・ルイスとその門下生が校訂した版らしい)、「また東京で会いましょう」と言って玄関まで送ってくださいました。いい先生です。最後に改めてそう感じました。先生から教えていただいたことをしっかり身に付けて、社会に出てからもずっと手を壊さずにやっていきたいと思います。一生ギターを弾き続けてみせましょう。うまいとか下手とかはどうでもいいから・・・。

2001年3月8日木曜日

大切なものは何ですか

 大切なものは何ですか?
 誰かにいきなりそう聞かれた時、
 あるいは自分で自分に向かってそう問いかけた時、
 あなたは即座に答えることができますか?
 即座に答えることができなかったあなた、
 あなたは大切なものがわからなくなっているのですか?
 それとも大切なものがたくさんありすぎて即答できなかったのですか?
 即座に答えることができたあなた、
 答えたことは本当にあなたにとって大切なものなのですか?
 大切だと思い込もうとしているものではありませんか?
 大切なものなど何もないと答えたあなた、
 ・・・あなたは寂しくありませんか?


 大切なものは何ですか?
 自分自身に問いかけてみます
 それまで自分が大切だと思っていたことが実は
 大切だと思い込もうとしていたもので、
 捨ててもいいと思っていたものが、
 実は何より大切なものだった
 そんなことも、またよくある話です
 今の僕にはそれすらよく見えません

 一体何が大切なのでしょうか
 何もなくても生きていけるような気もしてて、
 でもやはりそれは哀しいなという気もしてて、
 結局曖昧な中に答えは沈み、
 結局答えは見つかりません
 昔は何かあった気がします
 必死で守らなきゃいけないことも、
 必死でつかもうとしていたものも

 今は何も見えません
 それでいいのだという気もします
 きっと少し疲れているんだ
 そう思えば片付くこと
 いつかこんな問いかけをしたことも忘れた頃に
 ふと周りを見たら大切なものがあると願って・・・
 自分と向き合うことからさえ逃げたくなった
 そんな自分へのモノローグ・・・

2001年3月7日水曜日

バイオリンソナタト短調『悪魔のトリル』

 ア・ク・マ・のトリぃ~~~~ルッッッッッ!!!!!

 ・・・というわけで、ここ数日タルティーニのバイオリンソナタト短調『悪魔のトリル』にはまっています。演奏はグリミュオーので聴いてます。いや、美しく、そしてやはり最終楽章の"悪魔のトリル"はあやしくカッコいいっ!!! この曲こんなにカッコいいのにギターへの編曲版はないんですよね~。なら一発わしがギターに編曲したろかと思いつつ、でもバイオリンの原譜見付かるかなと思っていたわけですが・・・。ありましたありました。それも立命の図書館に(爆)。結構譜面ありますよ、あそこ。バッハの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータはもちろん、スカルラッティのピアノソナタなんかも有名どころは網羅してます。ギターの譜面も『グラン・ホタ』とか意外なものが結構・・・。卒業までに使えそうなのは一通りコピーしておきたいものです。皆さんも一回図書館で譜面探しをしてみては?

 ちなみに『悪魔のトリル』は別途MIDIも発見することができました。本気でギター用に編曲するかどうかは謎ですが(編曲しても弾く機会もうないしね)、とりあえず準備だけは万端です。そういやコレルリの『ラ・フォリア』もバイオリンからギターに編曲するとか言って途中で止まってたな・・・。ヴィターリの『シャコンヌ』もギターで弾けたらカッコよさそうだな・・・。誰か俺と一緒にバロック時代のバイオリンソナタ片端からギターに編曲しようよ・・・。

2001年3月6日火曜日

近づく旅立ち

 気付いたらもう今日は3月の5日。私がこのクレージー西ノ京を立ち退いて京都を離れるのは25日なわけで、なんと私が京都にいるのはあと20日、残り3週間を切ってしまったわけです。時の経つのは早いもの。そして別れはやはり寂しいものです。昼間部屋でふとそんなことを考えていたら、ここに入居してから起きた色々なことが思い出されなんだか妙に人恋しくなってしまったのでちょっとBOXに行ったりもしてみました。そう、もう4年経つのですね、私がここに来てから。この部屋でも色々ありました。部屋主にことわることもなく、気付いたらこの部屋でくっついていったカップルなどもおりました。数えきれないくらいの飲み会もやりました。一週間私の部屋に誰かしら人がたまっていて、ずっと人が入れ代わり立ち代わりたまり続けた時もありました。幸か不幸か、なんだかいつも人がいたような気がします。そしていつもそれなりに、むしろ相当に笑って過ごせた気がします。そんな部屋ともあと20日でお別れです。例えば京都にはまた来ることはできるでしょう。でもその時はこの部屋には私の知らない誰かが住んでいて、すっかり私の知らない部屋に変わってしまっていることでしょう。数々の伝説を生んだクレージー301号は、私の退去をもって二度と私が楽しい時を過ごした同じ部屋に戻ることはなくなるわけです。そう考えるとやはり寂しいですね。できれば離れたくはないと思います。しかし時は背中を押します。旅立たないわけにはいきません。・・・新しい環境への不安は、素晴らしく感じられる過去の裏返しなのかもわかりません。少し、心が弱くなっているようです・・・。

2001年3月5日月曜日

病み上がり

 長らくネットからも現実でも姿を消していて申し訳ありませんでした。やっとどうにかこうにか回復したと言えるくらいのところまでこぎつけることができました。心配かけた皆さん、どうもすみません。まだ咳と肺の違和感、全身を支配する倦怠感はどうにも残っちゃいるのですが、まぁまぁ何とか日常生活は送れそうです。しかしつまりまだ微妙にずっとしんどさがあるわけで、もはや健康だった時に体がどう動いていたのかを思い出すこともできないくらい精神的に病人な状態です。今日は倒れて以来一週間ぶりにギターを弾いたのですが、いやいや指に力が入らずに、低音弦がビシビシ鳴りまくりましたね。一週間後にはアルハンブラで新曲弾くのに、果たして間に合うのでしょうか?暗譜してねーしな、また・・・。まぁまぁさほど難しい曲ではないのでどうにかなるでしょう。やれやれ、早く健康体に戻りたい・・・。

2001年2月27日火曜日

ドタバタ

 どうも日記の更新も一週間滞り、BBSへの出没も少なくなっていた私ですが、先週は何かと色々ゴタゴタしていまして・・・。どうも申し訳ない。で、土曜日日曜日と東京・横浜を4月からの下宿の契約の問題もあって徘徊してまして、日曜の夜に実家に帰った瞬間から見事に熱を出して寝込むというお決まりのパターンがまたもや・・・。とりあえず落ち着きはしましたが38度台中盤の熱は健在。回復にはもう少し時間がかかりそうです。

 そう、新潟昨日今日となかなかハードに雪が降ってましてね、その影響かわからないのですが、実家ではPHSが使えなくなっているのですよ。夏は問題なく使えたんですけどね・・・。圏外表示がされてるわけでもないのに全然つながらん。私は雪が電波を乱しているのだと勝手に解釈しています。おそるべし、雪・・・。

2001年2月20日火曜日

寺田屋拝見

 今日は比較的暖かい日で過ごしやすくてよかったですね。私は今日、寺田屋を見てきました。あの坂本竜馬が寝泊まりした寺田屋です。といっても中に入ってみたわけではなく、建物を外から眺めて「お~、これかぁ~」とか思ってきただけですけど。寺田屋の場所がもっと早くに正確にわかっていたなら、夏にオサルさんが坂本竜馬を巡る旅をして京都に来た時案内してあげられたのになぁ・・・。

 さてさて、『何もない未来へ』の第五章、アップしました。ついでに第四章、早速ですがちょいと手直しが入りました。とりあえず書けるうちに書いときます。今日なにげにエンディングまでの構成を計算し直してみたら、まだ実は結構書かなければいけないことが判明。東京に行く前に書いておかないと、また一年とか続きを書かずにいそうなので、できれば京都にいる間に完成させたいのですがどうなることやら・・・。

2001年2月19日月曜日

尚永ギター教室発表会

 今日は私やそりすとに2000年度C技(KIC)、京大の聖帝殿が師事している先生の教室の発表会があり、当然私もそりすともそれぞれ『ブエノスアイレスの夏』と『サンバースト』で出演してきました。私は朝会場に行く時スーツの上着と革靴を忘れ、会場(子供文化会館)でそれを指摘され、急いで家に取りに帰るという悲惨な目に・・・。しかも一旦家に帰って上着と革靴を取り、セブンイレブンで買い出しをして一旦円町を過ぎた辺りまで来て、私はふと大事なことに気が付きました。「あ・・・、ベルトも忘れてる・・・」。泣く泣くそこからまた家に取って返し、ベルトを手に「今度こそ大丈夫だな!」と確信し自転車置き場に行きました。ところが!・・・今度はそれまでしていた手袋を部屋に忘れてきてしまっていたのです(爆)。私は「あ~、もう!」と焦りながらまた部屋まで上がりましたとさ。やれやれです。

 演奏の方はまぁ細かいミスはそらありますが、大方無難に弾けたのでとりあえずは及第点かなと?ただし総じて粗さが目に付きました。まぁ今回は定演で弾いた時とはちょいとバージョンを変更しまして、『ブエノスアイレスの夏 ayumバージョン(別テイク)』って感じのものにして弾いてました。細かい変更なんですけどね。部分的に和音をアルペでばらしたりカッティングのリズム変えたり終わりのハ-モニクスの出し方変えたり中間部の運指変えたりテンポの揺らし方変えたりした程度です。こう書くと「結構変えてるじゃん」とか思われそうですが、実際聞いてみれば案外そうでもありません。下手すりゃ変わってることにも気付かないでしょう。そんなものです。演奏会終了後、元合奏団のYさんに「よかったよ」と言ってもらえたのはちょいと嬉しかったですね(まぁ社交辞令かな?)。演奏会後、京大の聖帝殿と共に3月の喫茶アルハンブラでのコンサートに乗り込む決意を固め、今日の演奏会は終了しました。ちなみに金がなかったのでコンパは行けませんでした(苦笑)。やれやれです。

 そう、そして一部の皆さん(日本語おかしいな?)お待たせしました。一年以上もブランクが空きましたが、『何もない未来へ』の続きをアップしました。そして今回のアップで『何もない~』を正式にNOVELの方にアップし直し、第一章を少しだけ修正しておきました。最初から読みたい方はNOVELから、第四章から読みたい方はこちらから行ってください。私に早く書けと言ってくれていた皆さん、申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。しかしこの小説、試しに文字カウントしてみたら第四章までの時点で15,000字。卒論より長いじゃねーか・・・(爆)。

2001年2月17日土曜日

パラサイト・シングル考と『Tango Zapateado』

 最近比較的ものを考える機会も増えているので、ちょっと折に触れ私が考えたショートショート・エッセイを数編。特に深く考えたわけでも推敲を重ねたわけでもないので、色々と手落ちもあるかと思いますが、とりあえず生のままの素材をお届けしましょう。

『パラサイト・シングル考』

 一昨日から今朝にかけてと朝日新聞の朝刊でパラサイトシングルに関する特集をやっていた。数名のパラサイトシングルと思われる人達の生活と言葉を載せるというものだ。

 ところで、パラサイトシングルという言葉はご存じだろうか。その定義は2/14付けの同特集によれば「成人し、仕事を持っても親元を離れず、経済的にも家事等の労力の面でも」親に依存する人ということになるらしい。私の記憶が正しければ、従来その定義に「結婚もせず」というものが入っていて、故に「パラサイトシングル(親に寄生する独身者とでも訳すのか)」という言葉が生まれたはずだ。この言葉が社会問題として取り上げられる場合は「自立できない成人」が問題になる。就職して給料をもらっても家を出ることもなく、家にお金も入れないか入れてもわずかで、家事等も親に負担をかけ楽をする成人というイメージが社会問題として取り上げられるパラサイトシングルなのだ。だが、例によって作り上げられたイメージというものは実際とは異なることも多いもので、今回の特集では病気の親を看病しながら生活費を稼ぎ、結婚する余裕もなかった人等も紹介されている。端から見れば「パラサイトシングル」に見えても、この場合実際は「パラサイト」という言葉とは程遠い。もちろん、イメ-ジ通りのパラサイトシングルももちろん取り上げられている。稼いだお金は全部自分のお金、生活費は親まかせというものだ。中には「結婚式や新居の費用も一部援助してもらえると思っていた」という人もいる。成人の自立という問題について考えさせられる。

 ただ、そうしていわゆる典型的なステレオタイプ通りのパラサイトシングルを自立ができていないと非難し、問題視するのは簡単だが、私も実際自分のことを考えてみると胸が痛いものがある。今は学生である。私は仕送りをもらえていて、学費から生活費まですべてを稼ぐ必要がないという意味ではそれらすべてを自分で稼いで大学生をやっている人達にくらべればはるかに恵まれている。だが、ふと「これはどうなのだろう?」と思った。あまりに当たり前だったのだ、仕送りというものが。これは事実上「パラサイト」ではないのだろうか。「まだ学生だから」と割切るのは簡単だし、実際「今大学生です。仕送りもらって生活してます」と公言したところで別に世間から白い目で見られることはないだろう。だが、私も今年で24才。この歳ですでに社会に出て稼ぎを得ている人間は多い。だというのに私は未だ親からの仕送りをメインに生活しているのだ。それでも親元にいて毎日親と顔を合わせてられるなら今回の特集でもそう言っていた人がいるように「甘えるのも親孝行」と開き直ることもできるかもしれないが、私の場合そういうわけにもいかない。ただ金のみを吸い取っているわけだ(ちなみにこの「甘えるのも親孝行」という言について、実際親も「いてくれた方がいい」というケースも少なくない。この場合は心理学的に「共依存」と呼ばれる状態が発生していることが考えられ、この状態がいわゆるAC、アダルトチルドレンやアルカホリックチルドレンを生み出すという論も根強いので無視できない問題ではあるが、それをやり出すと長くなるのでまた別の機会があれば)。そう考えると実に質の悪いパラサイトである。

 4月からは就職して働けるのはせめてもの心の救いではあるが、正直生活に余裕があるかどうかもわからず、家に金を入れることができるのかどうか・・・。そう考えると「パラサイトシングル」の自立の問題は自身の問題であり、実際には私と同じような状況にある人も含めれば一体どれだけの「パラサイト」が存在するのか・・・。私のようなケースは敢えて社会問題になるようなものではないかもしれないが、自覚の問題として、あるいはこのパラサイトシングルについての論でよく言われることではあるが「日本人特有の甘えの構造」についての問題として何処か頭の隅ででも考えておく問題ではないだろうか。もちろん自身の問題として考える分には頭の隅どころかより多くの思考スペースを確保してやるべきだ。ただし、私がこの問題を自分自身のこととして考えようとするとあまりに胸が痛いため、このエッセイも敢えて論旨を曖昧なままここで締めさせてもらう事にする。

 ・・・、と続けて『史上最高の演奏家は?』というエッセイを書き始めたのですが、音楽家の時代と近代自我の芽生えやら演奏家の直観による無意識とのコンタクトやらまで話が及んできて恐ろしく長くなりそうだったので止めます。他に『"遊び"と"学び"』、『教育問題と教育者の在り方』、『恋愛論ショート・ショート~バレンタイン編~』、『偶然の拡大』等概要が頭の中で渦巻いているのはたくさんあるんですけどね、止めときます。例によって私は気紛れなので、次はいつ書くかわかりませんので悪しからず。

 とはいえエッセイを数編と冒頭で予告しておいて一編のみというのもなんだか味気ないので、代わりにたった今できたMIDIデータをアップします。曲はスペインのギタリスト兼作曲家のAngel Barrios(『大聖堂』とかで有名な方のバリオスではない)の『Tango Zapateado』。Angelは『グラナダの花』や『トナディージャ』が代表曲なのですが、今回は敢えてこの曲を。私の知る限りこの曲を録音しているギタリストはいないので実際に誰かの演奏は聴いたことがないのですが、何故か譜面を持っていて曲名がやけに気になったので一発打ち込んでみました。だってタンゴとサパテアードが組み合わさったらどんな曲になるのかって興味津々じゃないですか。で、MIDIを作ってみたのですが、そしたらまぁ明るいんだか暗いんだか、カッコいいんだか悪いんだか・・・。不思議な曲です。とにかく滑稽なリズムのオンパレード。まぁ聴いてみてください。そしてこの曲を弾きたいというチャレンジャーがもしいた場合は私まで。譜面コピーさせてあげます。そんなに指は難しくないですよ。中間部のおかしいリズムをどう取るかだけですね、この曲は。ちなみにMIDIは今日2時間程でパッと作ったものなので、どこか間違えてるかもしれませんのでご了承下さい。

2001年2月16日金曜日

社会人への準備

 さてさて、いよいよ入社まであと1ヶ月半といったところになり、今まで比較的のんびりしていた(?)私もそろそろマジで色々と準備をしなきゃなぁと思い始めました。私はシステム開発を主業務とする会社に技術職として入社するわけで、当然プログラムなどしっかり勉強しておかなくてはなりません。しかも評価体系が完全能力給で、年功序列も何もあったもんじゃないので、そりゃ意地でもやらな洒落にならんのです。というわけで遅ればせながら本気で勉強を始めることにしました。1日最低3時間を目処に、まずはVBから始めようと思い、今日は必死でVBと格闘してました。以前に買っておいたVBの入門書、全部で8章ある本なのですが、とりあえず今日1日で最初から第3章まで気合で片付けました。といってもここまではそんなに難しくなかったのですが・・・。まぁこれから難しくなってくるので今日程一気には進みますまいが、とりあず1日1章は潰すつもりで頑張ります。で、1週間でこの入門書を終わらせて、次はもうちょい高度な本を買ってきてVBをやりつつJAVAを見ていこうかなと。まぁ明後日からバイトも始まり、朝10時から夜7時まで拘束されることになるので実際問題そううまくいくかはわかりませんが、ともあれコンピュータ言語でも自然言語でも、本気で身に付けたいならちまちまやるよりは短期間に集中してガーッとやった方がよいのです。このことはかの立花隆も言っています(いや、だからどうしたって言われればそれまでですけど)。わしゃやります。